2004年8月前半の日記
↑2004年の日記へ   7月後半の日記へ→

8月13日(金)
夏コミ参加のための上京の準備にはいろいろありますが、平日の日中にしかできない準備というのは、銀行へ行って千円札と100円玉をなるべく大量に用意することです。100円玉を何十枚も用意するのに、前は図書館のコインロッカーの所にある両替機を使ったこともありましたが、銀行の自動両替機で札を100円玉50枚のパックに替える方が簡単だということに気付いたのは当然のことでした。
両替機といえば、紙幣から硬貨への両替はどこででもできますが、逆に硬貨から紙幣への両替をしてくれる自動両替機は、おそらく日本中どこの銀行にもありません。近くにある銀行の自動両替機で硬貨を紙幣に両替することができないのに気付いたのが、このKanonSSを思いついたきっかけの一つです。
上京の出発準備を済ませてから、高速バスに乗るための出発時刻まで、日記の更新を進めます。もし上京中に不慮の事故に遭って落命した場合、私という人間がインターネット上に遺した絶筆が「同級生2」キャラのCGでもなければ「Kanon」SSでもなく、1ヶ月遅れのウェブ日記になるということは、敢えて考えないようにしていたと思うのですが、バス乗り場へ向かう道中、アパートを出る前に最後に口にしたのがレモンウォツカだったのを思い出した時には、もしこの世で最後に口にしたのがそれだったという結果になったなら、ある意味では私らしいかもしれない、と埒もないことを思ったものでした。
この夜の新潟発東京行き高速バスは4台続行運転、20日前に予約した私は3号車でした。一般的な帰省とは逆向きなのにこれだけの客がいるのですから大したものですが、私が見た範囲では車内でコミケカタログを広げていた客はいず、「客の大半が夏コミ2日目の参加者」ということはなかったようでした。
(9月15日アップ)

8月12日(木)
今年の夏コミは最終日の15日のみ参加と決めていましたが、14日にはコミケとは別件で行きたい場所があるので、13日の夜行高速バスで上京することにしました。そうすると13日の夜になってから上京の準備を始めたのでは遅いので、今日から早手回しに準備に取りかかります。
まず東京地方の天気予報を調べますが、すると13日は晴・最高気温35℃・降水確率0%という絵に描いたような猛暑の予報、14日は晴時々曇・最高気温29℃・降水確率10%という一応晴れの予報なのに対して、15日になると曇一時雨・最高気温29℃・降水確率50%という予報が出ています。それで一昨年持って行った広口のポリ容器は持って行かないことにし、代わりに昨年持って行ったビニールのポンチョを持って行くことにします。東京地方の天気は、冬コミの頃は安定していて毎年たいてい晴れるのに対して、夏コミの頃の天気は必ずしも安定していず、ここ数年は雨が降ることが多くなったようです。
それから手持ちの同人誌や同人CDのリストを印刷します。こういった作業を済ませてから、日記の更新を進めます。正直、次回作CGの制作を何よりも優先したい今、しかもコミケ前のこの時に、1ヶ月前の日記の更新などあまり乗り気ではないのですが、私というこの優柔不断で思い切りが悪いエロゲヲタ兼、中途半端にハードウェアの知識がある反面、自分の手に余ることを相談できる、もっとハードウェアに詳しい友人はいない半可通PCヲタが、1ヶ月にわたって金と時間と気力の逐次投入を続けた愚行の記録というのは、賢明なる読者の方が決して踏んではならない轍として、満天下に晒しておく価値が絶無ではない、と思います。
(9月7日アップ)

8月9日(月)〜11日(水)
2号機がインターネットに接続できないことに関しては、これ以上何もしないことに決めました。その決断を下して間もない11日にNiftyから配信された、加入者向けのメルマガに、まるで私に揺さぶりをかけるかのように「@Nifty出張設定サポート」なるサービスの案内が載っているのに気付きましたが、見なかったことにします。
そうすると次は、8月3日にネタが浮かんだ残暑見舞CGの制作に着手するか、それとも暑中見舞の時にネタが出なくて断念した、加納涼子が主役になるCGのネタ出しを始めるか、どちらかになります。前者は内容的に8月15日頃に公開するのがふさわしく、後者は「下級生」のゲーム本編で涼子の誕生日が8月11日と設定されていることから、できればその頃に完成させて公開したいと思うものです。
しかし後者は、7月からネタ出しに努めているにもかかわらず、これぞという題材が出てこない状態なので、11日までに制作して公開することなど及びもしません。それで後者は、前にも誕生日連作で使った手段すなわち「旧暦の8月11日(新暦では今年の場合9月24日)に合わせて制作・公開する」という逃げ口上を今から用意することに決め、今は前者の制作のための資料収集を始めることにしました。
これは既にここに公開されていますから、この日記をご覧になる方はCGもご覧になっていると思いますが、私が初めて描く軍服、それも架空の時代の架空の国の、架空の軍隊またはそれに類する組織の「何となくそれっぽい」服装ではなく、アメリカ海軍と海上自衛隊という、どちらも実在する、世界最大かつ最強の軍隊と、世界屈指の“国際的に軍隊と見なされている組織”の、現行の制服を描こうというのですから、できる限り厳密な考証に基づいて描かなければ、と考えたのは当然の成り行きです。
資料収集を始めてから気付いたのですが、自衛隊の制服の詳しい資料というのは、インターネット上にありそうでいて案外ないものでした。何しろ防衛庁および陸上・海上・航空自衛隊の公式サイトに、制服だけの写真も、制服を着用した自衛隊員をモデルのように写した写真も、ただの1枚も見当たらなかったほどです。むしろアメリカ軍の制服の方が、個人で趣味として詳しく調べて公開しているウェブサイトがいくつもあって、絵を描くのに充分な資料収集ができたほどです。
それとは別に、8日の夜にはDragoonさん、9日には豚雲海さんから暑中見舞CGを頂いたので、それらをなるべく早く公開していきます。10日に公開させていただいた豚雲海さんの暑中見舞CGに、下級生のキャラにしては見覚えのないキャラが描かれているのを見て、以前School Memoriesで買った氏の同人誌をいくら見直しても判断できず、「キャラ名および登場タイトル名不明」としてコメントを付けて公開しましたが、その夜のうちに、問題のキャラは「リフレインブルー」の津賀島つぐみ だという指摘を頂き、翌日の更新でコメントを補足した次第です。
(9月7日アップ)

8月8日(日)
2号機への、時間と気力の逐次投入は、とどまるところを知りません。昨夜の時点で、2号機と3号機でLANを組んでファイルを共有できる形にまで持ってきたのですから、本来2号機はWindowsXP非対応のゲームをプレイするためのパソコンと割り切るはずだったことを考えれば、2号機でプレイしたゲームのセーブデータは3号機を経由してMOディスクにバックアップできる態勢が整ったわけで、これで良しとするべきだったはずです。そして後はゲームを再インストールしてセーブデータを復帰するだけ──いやそれも不要かもしれません。今まで2号機にインストールしたゲームは全部、今回の作業では全く手を触れていないEドライブにインストールしてありますから、わざわざ再インストールしなくても、ゲームのプログラムをスタートメニューに登録し直すだけで事足りるかもしれません。
しかし起きてパソコンデスクに向かうと、別の考えが起こってきました。
ルータに接続するところまではできた2号機をインターネットに接続できないままでは、将来3号機の性能に満足できなくなったり、WindowsXPのサポートが終了したりして、4号機なるパソコンを導入するに至った時、4号機をルータに接続してもインターネットに接続できないままになってしまう可能性があります。だから今ここで多少苦労しても、2号機をインターネットに接続する方法を習得しておけば、その経験は将来きっと役に立つはずだ、と考えたのです。
そこで朝飯もそこそこに2号機の設定作業を再開したのですが、ネットワーク設定をあれこれいじっているうちに、2号機から3号機の共有フォルダにアクセスできなくなりました。元に戻そうとしても戻りません。不思議なことに、3号機からは2号機の共有フォルダにアクセスできます。
1ヶ月にわたる金と時間と気力の逐次投入の果てに、こんな事態に立ち至ったことで、ついに気力が尽き果てました。2号機については、もうこれ以上何もしたくなくなったのです。
事実、この文章を打鍵しているのは9月5日ですが、2号機にインストールされていたゲームをスタートメニューに登録し直す作業は、今に至るも開始していません。
2号機のことを忘れられるような作業は何かないか、それもできれば有意義な作業がいいが、と室内を見回して真っ先に思いついたのは、夏コミを前にしてサイトを移転したので、夏コミで誰かにあげる機会があるかもしれない名刺を作り直すことでした。これはPhotoshopを起動して、PSDファイルのレイヤーを1枚差し替えるだけですから、手早く済ませられる作業だったのですが、印刷してみるとプリンタの調子があまり良くなく、ずいぶん汚い名刺になってしまいました。
夜になってからメールチェックすると、夕凪さんから残暑見舞、毎度おなじみの自衛隊機写真が贈られてきていました。これを公開する準備を手早く済ませ、日記も少し公開するために打鍵を進めて、サイトの更新を終わらせました。
(9月5日アップ)

8月7日(土)
7月24日に修理に出した2号機について、30日にソフマップから電話があり、修理に出す前に私が予想した通り、マザーボードの故障らしいと伝えてきました。
そこで次にどうするかは、修理に出す時から考えがまとまっていました。
マザーボードは何しろ5年前の製品ですから、メーカー保証など遠い昔に切れてしまっていますし、それどころか海外のメーカーの製品ですから、修理用の部品がメーカーにあることも期待しない方がいいくらいでしょう。仮に修理用の部品があったとしても、保証の切れた製品を海外のメーカーまで送って修理を依頼していたら、時間も費用もどのくらいかかるか見当がつきません。
ですから、2号機のケースに合う新しいマザーボードを買うことを考えるのが、当然の成り行きです。
それで週末の到来を待って31日にさっそくソフマップ新潟店へ繰り出し──はせず、31日はサイトの移転と暑中見舞CGの公開、8月1日は日記を少し更新したり検索サイトに登録更新を出したりしていました。暑中見舞が完成して燃え尽きていたとも見える7月31日はともかく、8月1日に新しいマザーボードを買いに行かなかったのは何故でしょうか、いくつかのゲームのためだけに、故障した古いパソコンにこれ以上金と時間を逐次投入することに、心のどこかで疑問を持っていたのかもしれません。
そして次の週末を迎えた7日、クレジットカードを握りしめてソフマップ新潟店へ繰り出しました。
しかし、2号機の従来のマザーボードはCPUを取り付ける部分がSocket370という規格なのですが、今時その規格のマザーボードはどこのメーカーも生産していないそうです。今市販されている、Intel純正のCPUが取り付けられるマザーボードはSocket478という規格が普通で、3号機のマザーボードもその規格なのですが、当然と言うべきなのでしょうか、Socket370とSocket478には互換性がありません。要するにマザーボードを買い換えるとしたら、CPUも買い換える必要があるのです。さらにメモリも、従来2号機に積んでいたのはPC100/CL2という規格でしたが、Socket478のマザーボードにはその規格のメモリは装着できないらしいので、新たに買わなければなりません。マザーボードは8千円くらいからありますが、CPUとメモリも買うとなると、CPUがCeleron2.0GHzでメモリがPC2100の128MBという程度の最低ラインでも、さらに1万円くらいの支出が必要になります。
いろいろ考えて買い込んだのは、Socket478のマザーボード(8500円)、CPUはCeleron2.4GHz(7750円)、メモリはPC2700の256MB(4580円)でした。CPUはCeleron2.0GHzと、メモリはPC2100の256MBと、それぞれ数百円の差しかなかったので、そこまで最低価格を追求することもないと思ったのが第一の理由です。
そしてもう一つの理由は、3号機のマザーボードも同じSocket478なのだから、もしそれに2.0GHzより周波数の高いCeleronのCPUが装着できるなら、今3号機に積んでいるCeleron2.0GHzのCPUを2号機に転用し、もっと周波数の高いCPUを3号機に積むことで、あわよくば3号機の性能も向上しようと企てたからです。もっともメモリについては、もし3号機のマザーボードがPC2700に対応していたとしても、2枚積んでいる(1枚が256MB)PC2100のメモリを1枚だけPC2700に積み替えるのは、違う規格のメモリが混在することになるから何となく危ないんじゃないかなあ、という漠然とした不安があったので、今ここで買っていったメモリを3号機のメモリと積み替えることはしないつもりでした。

帰宅すると、まず3号機の空き箱から、マザーボードの取扱説明書を取り出します──3号機のマザーボードがCeleron2.4GHzのCPUに対応しているかどうか確認するために(ここ、突っ込む場所です)。2.4GHzまで対応していることが確認できたので、3号機のケースを開けて、CPUを買ってきたばかりのCeleron2.4GHzに積み替えました。
もし欲を出してCeleron2.6GHzのCPUとか買ってきたら、どうするつもりだったんでしょうね?
それからふと思い立って(取扱説明書に書いてあるのを見て)BIOSのアップデートをしてみました。その後で電源を入れてみると、Windowsロゴの前に出る画面がだいぶ変わりましたが、正常に起動しました。
次は2号機の組み立てになります。マザーボードを外して付け替えるのは、5年前に2号機を組み立てた時以来ですが、取扱説明書を見ながら慎重に進めてゆくと、特に問題もなく──
──古いマザーボードから取り外したビデオカード(StealthIII)がAGPスロットに填りませんが?
取扱説明書をよく読むと、このマザーボードのAGPスロットは「1.5V」のカード専用と書いてあります。ところが古いマザーボードとビデオカードの取扱説明書を読むと、これらは「3.3V」ですと。AGPスロットの規格が2種類あるなんて、ソフマップの店員は言っていませんでしたが……。新しいマザーボードは3号機のと違ってグラフィックチップが組み込まれていませんから、AGPスロットに装着するビデオカードが必要です。組み立てを中断して、溜息をつきながら、またソフマップ新潟店へ繰り出しました。
買ってきたビデオカードは、先日3号機に取り付けたのと同じ製品です。Windows98対応と書いてあるし、同じ製品ならドライバのインストールや設定などの手順も面倒がないと思ったのでした。
AGPスロットに新しいビデオカードを取り付けて組み立てを終え、電源を入れると──
「Windows保護エラー」なるメッセージを見たのは、Windowsマシンを5年使っていて初めてです。
今はもう着いていないStealthIIIのビデオカードのドライバとコンフリクトしているのでしょうか。そのドライバをアンインストールする手順がわからないので、いったんWindows98を再インストールしてみます。大した手間でもないですし──Windowsの再インストールを「大した手間でもない」と言い切る私は、間違いなく「半可通パソコンヲタク」でしょう。
Windows98の再インストールを終えてからビデオカードのドライバをインストールしようとすると、インストールに失敗しました。考えてみれば、ハードディスクをフォーマットし直さないでWindowsだけを再インストールした時、他のアプリケーションはそのまま残っているのですから、古いデバイスドライバも正しい手順でアンインストールしない限り、ハードディスクに残っているはずです。
そこで次は、Cドライブの領域解放から始める、Windows98のクリーンインストールです。これも思ったほど時間はかからず、午後9時にはWindowsのインストールが終わりました。ビデオカードのドライバも、今度は正常にインストールされた様子です。
ところが続いてこの2号機をルータに接続する段階になって、またわからなくなりました。
古いマザーボードにはLANケーブルをつなぐコネクタがなかったので、パソコンとルータをつなぐためにLANカードをPCIスロットに取り付けていたのですが、新しいマザーボードにはLANケーブルをつなぐコネクタが元から着いています(3号機のマザーボードもそう)。それでLANカードは取り付けず、マザーボードのコネクタとルータをLANケーブルでつないでみましたが、ルータを認識できません。
そこで従来使っていたLANカードをPCIスロットに取り付けて起動すると、どういうわけかネットワークアダプタのデバイスドライバが2つインストールされてしまいます。それでもルータは認識されるようになり、2号機と3号機のハードディスクを互いに共有してアクセスできるようになりました。
しかし2号機をインターネットに接続するために、ルータの取扱説明書に書いてある通りの手順でルータを設定しようとすると、MSN Accessセットアップウィザードが始まってしまいます。これはダイヤルアップでインターネットに接続するためのウィザードのはずですから、LANとADSLでインターネットに接続する場合には関係ないはずで、実際ルータの取扱説明書にはウィザードが始まらないようにする手順が書いてあります。しかしその手順通りにしても、ウィザードが始まらないようにすることができません。もしかするとルータ側の設定が何か必要なのかもしれませんが、下手に手出しして3号機までインターネットに接続できなくなってしまったら取り返しがつかなくなりますから、うかつに手出しできません。午前0時過ぎに一時中断して3号機からネットに入り、掲示板にレスをつけ、行きつけのチャットルームに誰も来ないのでネットから抜けて2号機の設定作業を再開しましたが、気力が尽きて午前2時半に中止しました。
(9月5日アップ)

8月6日(金)
週末を前にしたこの日の夜は、(記述を忌避)に取りかかろうと思っていましたが、3号機のバックアップを取って電源を切る前にメールをチェックすると、ともゆきさんからメールが届いていました。しかも暑中見舞のCGが添付してあります。
ともゆきさんからは1月に神山みこの年賀CGを頂いていましたが、それを年賀CGと認識していなかったのか、「季節物CG贈り先リスト」に ともゆきさんのお名前を加えるのをすっかり忘れていました。でしたから急いで ともゆきさんに返信を出して、私の暑中見舞CGをお贈りしました。日本標準時で8月6日のうちに送信できましたから、何とか「暑中」見舞に間に合った、という言い訳をしておきます。
さて、暑中見舞として ともゆきさんから頂いたCGには、私がこの夏、もし余裕があったら水野友美とは別に(一緒に描くことは暑中見舞のネタ出しの段階で断念しました)描こうと思っていた、「下級生」キャラの中では私がいちばん気に入っている、加納涼子が描いてありました。しかもゲーム本編にもあった服装と、私が考えつかなかった背景で、ここまで正統派の美人画を描かれてしまうと、私としては「やられたー!!」がメールを開いた時の第一声だったことを白状しなければなりません。
まあ、ともゆきさんから頂いた みこのCGを見て、同じキャラでこういうCGを描いて(さすがに誰にも送りつけはしませんでしたが)公開したような私ですから、ここはもう「ネタで勝負」するしかないでしょう。
(ここから先は本当は私信だったのですが、すでに掲示板にご本人が書かれているので、ここに書いてしまっても差し支えないでしょう)
「麗子となりぽしの部屋」の常連の人たちの間で、寄贈CG画家として最近急にその名が知られてきた ともゆきさんは、近いうちにサイト開設を計画されているそうです。
古参「そこつやの館」は閉鎖、一大コミュニティの中心「麗子となりぽしの部屋」は更新中断と、同級生メインのサイトに比べればまだ活気を保っていたといえる下級生メインのサイトも、この頃は次第に活気が薄れてきたように見えてなりませんが、氏のような新進気鋭のCG画家が活動を続けていくならば、「下級生2」の発売がいよいよカレンダーに載ってきたことでもあり、下級生系のサイトは再び盛り上がることを期待したくなります。
(8月12日アップ)

8月4日(水)〜5日(木)
2日のことですが、全く身に覚えのない人からメールが来ました。送信者のメールアドレスが私のアドレスで、件名も本文も書いてないメールを受け取ったので返信してみる、というのです。
少しでもインターネットのセキュリティ事情に通じている人なら、「件名も本文も書いてない」という時点で即座に、「ウイルスに感染した第三者のパソコンから、送信者のアドレスを偽って送り出されたメール」だと断定するのが当然です。それを知らないのか無邪気に私のアドレスへ返信する、しかもプライバシーに関わる事柄を書いて送ってくる(女性ですと)のですから、インターネットの危険性を知らないにもほどがあります。
これには私も見かねて、「コンピュータウイルスに感染している惧れがあるから、すぐにあなたのパソコンをインターネットから切り離してウイルススキャンをすることを、強くお勧めする」という内容で返信しました。
こう返信した判断は間違っていなかったと思いたかったのですが、その後また当の女性からメールが来て「このアドレスが男の人だとわかって云々」と書いてありました。
ウイルスについて注意を促したメールには、私が男性だなんて一言も書いていませんから、何を根拠にそんなことを言うのかと首を傾げましたが、やがて思い当たったこと、そして実際に試してみて明らかになったことは……。
私のメールアドレスを検索文字列に入れて検索すると、どの検索エンジンでも、当サイトのトップページが真っ先に出てくることです。
つまり私のメールアドレスを何らかの方法で知った人が、ちょっとキーボードを叩けば、そのメールアドレスの持ち主が「下手の横好きで18禁CGサイトを開設している」ことがわかり、プロフィールや日記を少し読めば「新潟県在住、35歳のエロゲーヲタ独身男性」だということも容易に推測できてしまう、ということです。
新潟県在住の35歳の男性といっても1万人以上いるはずで、そこからもっと絞り込めるような情報はサイトには公開していないつもりですが、どこからどんな形でネット上のバーチャル人格が、実社会での私の身の回りにいる人たちに洩れるか、うかつなことはできないと悟らされました。
今のところ、サイトに公開しているメールアドレスで家族・同僚・オフラインの友人にメールを出してしまったことはないはずなので、実社会で私を知っている人に当サイトの存在を知られてはいないと思い込んでいるのですが、いつまでそうしていられるでしょうか……?
──考えてみれば、サイトを作って公開していることを隠して家族に送ったSSにしたって、その題名をGoogleででも検索すれば、ほぼ間違いなく当サイトのURLが出てきます。家族の誰かが、そこからトップページへ行き、6号館へ行ったら、…………。
……もしそんな事態になったとしても、自分で稼いだ金でプロバイダと契約し、サーバスペースを借りてサイトを開設しているのですから、当サイトを閉鎖する道義的責任というようなものはないはずですが。
(9月2日アップ)

8月3日(火)
暑中見舞とサイト移転記念を兼ねて、久しぶりにCGを制作・公開しましたが、サイトの移転準備と平行してCGを制作するというやり方で適度に頭に負担をかけたことが、頭に好ましい刺激を与えたのか、暑中見舞CGを制作したばかりだというのに、さっそく残暑見舞CGのネタが浮かんできました。それも、暑中見舞を構想・制作していた時に「できればもう1人(織姫に対応する牽牛あたりを)描きたいなー」と思っていたのを見送ったとか、もう少し後で頂いたCGのコメントに書いたように、4年ぶりに加納涼子のCGを描いてみたいと思っていたというのとは全く別の題材です。
実は暑中見舞CGのネタ出しをしていた時、この私が描くのですから水野友美を主演として描くのは当然として一昨年の暑中見舞に南田白風を描いたように、相方に加納涼子を描いてみたいと、かねてから考えていました。
ところが困ったことに、涼子というキャラは、外見にせよ内面にせよ、白風のように「狙いすぎ」なほど友美に似ている(白風の場合は外見が)キャラではありませんし、そうかといってこの前のクリスマスに描いた七瀬留美年賀に描いた松原葵・雛山理緒のように、特に工夫しなくても友美との外見・内面・シチュエーションの違いを容易に描けるキャラでもありません。同じ「下級生」の女性キャラでも、結城瑞穂だったら「眼鏡をかければ友美にそっくり?」というネタが使えるのですが、涼子は──表現は悪いですが「中途半端に友美に似ている」と言えましょうか。
ですから、暑中見舞のネタ出しを始めてから数日間、「友美と涼子を一緒に描くとしたらどんなシチュエーションがいいか……?」と考えあぐねて、そのうちにサイト移転の期日が迫ってきたため、とうとう今年は友美と涼子を一緒に描くことを断念したのでした。
新しく浮かんだ題材は、残暑見舞にぴったりと言えるかどうかは受け取る人次第かもしれませんが、時季的には会心の題材と、私は思っています。ですから早急に制作を始めたいものですが……。
(8月8日アップ 9月2日補足)

8月2日(月)
日記の更新がサイト開設以来初めてなほど遅れに遅れているからといって、7月31日の分を打鍵し終わるまで8月2日から後の分を打鍵しない、なんて事をしていたのでは、8月2日の分の日記が更新されるのは、夏コミ参戦を挟むこともあって下手すると9月になってしまいますから、日記の更新をする意欲がある時には、軽いマルチタスクをする──1ヶ月前の日記と今日の日記を同時進行で更新することを目標にします。
もちろん、古い日記の更新と新しい日記の更新の、どちらよりも優先したい作業を開始した場合には、日記の更新は、予告なく、期限を定めずに停止される可能性が大きいことをご了承ください。
8月2日は「土用二の丑」だそうです。土用というのは18日間で、その期間は日々の十二支とは無関係に決められますから、夏の土用の間に丑の日が2回あるのは、毎年というわけではありません。観光業者が毎年観光シーズンに必ず3連休が出現することを心から願っていたのと同じように、ウナギ養殖業者は毎年必ず「土用二の丑」があるようになってくれることを心から願っているのではないか、と思いますが、こればかりは歴史的な習慣ですからどうしようもないでしょう。
そういうわけで7月下旬にウナギの蒲焼を食べたばかりの私も、もう1回奮発してウナギの蒲焼を買ってきて食べました。もう2〜3日経てば売れ残り品が安く買えるだろうと思うものを、わざわざ定価で買ってくるのも私の日頃の行動基準に反しますが、これは一種の縁起物だし、誕生日の後で、サイトの移転完了や新作CGの完成などパソコン・ネット関係が少し一段落したので、それを自分なりに祝いたい気持ちもあったのです。
(8月5日アップ)

8月1日(日)
突然ですが、本日2004年8月1日付で当サイトは移転しました。
移転といってもプロバイダおよびURLが全面的に変わるわけではなく、プロバイダは従来通りさくらインターネットです。
7月上旬に さくらインターネットからメールが来て、従来私が利用していた「さくらウェブ」に代わる、「さくらのレンタルサーバ」という、もっと安価なサーバスペース提供サービスが7月15日から始まること、現在のさくらウェブの利用者は新しいサービスに優待で移行できることを案内してきました。
そもそも私が一昨年の秋に、当サイトを置くサーバをNiftyから さくらインターネットに移すことにしたのは、その時の日記にも書いたように、さくら(150MBのスペースが年額1万円(税別))の方がNifty(40MBまで増設すると月額1200円(同))よりも安かったからですが、今度始まる新しいサービスは、最も安い料金プランだと300MBのスペースが年額1500円(税込み)という破格の安さです。
今までのサービスと同程度の料金になるプランは、利用できるサーバスペースが3GBという、一昔前には個人でそんなサーバスペースを借りることなど考えられなかったようなプランです。当サイトのコンテンツもけっこうな量になってきたと思いますが、それでも今の総量は50MBくらいで、3GBのサーバスペースを埋めることなど想像もできません。
優待の内容は、私が現在契約しているサービスは9月30日で期限が切れますが、7月20日までに新サービスを申し込めば、9月いっぱいまで新サービスを無料で利用でき、10月からは新サービスに移行できる、ということでした。
それでさっそく新サービスを申し込み、7月17日から9月30日まで新サービスを無料で利用できるようにしました。
サービスが変わるのにともなってサイトのURLも多少変わるので、Niftyから さくらに移転した時ほどではないにしても、サイトは移転という形になります。移転の時期は9月末までならいつでもいいのですが、ハンドルネームに引っかけて「8月00日」──というのは無理なので8月01日(誰ですか「やをゐ」とか読んでいるのは?)に移転することを目標にしました。
それともう一つの作業、他でもない暑中見舞CGの制作を並行して進めていきます。
こちらは「暑中」というのは今年の場合立秋が8月7日なので、8月6日までに完成すれば暑中見舞と名乗れるのですが、サイトを移転して、当サイトを登録している数多くの検索サイトで登録更新をするのに、CGサイトを標榜しているサイトでありながら、トップページに掲載している作品(最後の晩餐)と、制限なしで公開している最新の作品(ペトロの悔恨)が、どちらも3ヶ月前の作品というのでは、検索サイトから来た一見の客はそっぽを向いてしまう懸念があります。
ですから移転を決めると同時に、移転までに新作CGの1枚も制作したいと思いました。
CGの題材を決めるにあたっては、暑中見舞という時候の挨拶としての性格を強調するか、それとも移転記念あるいは移転の挨拶としての性格を強調するか、もし1枚のCGに両方を盛り込むことが難しいならば、いっそ2枚制作してしまおうと、我ながら無謀なことを考えもしました。結果的には、暑中見舞としての性格を強調した形になったと思います。
そういったわけで7月下旬は、折からの猛暑のために萎えがちな気分を奮い立たせつつ、毎晩せっせと作業に打ち込んでいました。どうにか31日のうちに全ての準備を終えて、予定通り8月1日に、それも8月1日午後11時59分という時間帯ではなく、感覚的には7月31日になる8月1日午前0時0分を期してサイトを移転することができました。

さて……サイトの移転準備、CGの制作、さらに連日の猛暑による気力の減退とが相まって、日記の更新がほぼ1ヶ月遅れています。
これを7月3日から日付順に打鍵していったのでは、8月1日の分まで打鍵できるのがいつになるかわかりませんし、サイトを移転して気分一新するというのを口実に、いっそのこと……という思いも頭をよぎりますが、どうしたものでしょうか、まぁあまり思い切ったことはできないのが私の性分というものですから、何となくそれらしくやっていくことになるでしょう。

ページのトップへ戻る

↑2004年の日記へ   7月後半の日記へ→