2004年6月前半の日記
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6月14日(月)〜16日(水)
週明けから、6月中旬とは思えないほど晴れた日が続いています。梅雨入り宣言を出そうとすると、あるいは宣言を出すと一転して晴天続きになるのを見ていると、天気に人間をからかって面白がるような意思はないはずだと頭では理解していても、「天気の天の字は天邪鬼の天の字」と思いたくなる時があります。

脱サラして三十路後半まで独身だった兄が5月に結婚したことで、両親の関心というよりもむしろ憂慮は、もうすぐ四捨五入で40歳になる私に集中してきたような気がします。特に私は兄や妹と違って、子供の頃から家の外へ出て人と交わる性格でなく、加えて学生時代からパソコンへの惑溺ぶりが両親の目に余るほどだったこともあって、三十路半ばにして親元を離れて独り暮らししている今では、独り暮らししながらちゃんと生存している以上、昨今流行りの「引き籠もり」にはなっていないはずだ(独り暮らしで引き籠もりしたら、たちまち餓死しますから)とは、私が殊更に力説するまでもなく両親は納得しているようですが、ゲームにせよインターネットにせよ、パソコンのために廃人化しつつあるのではないかと危ぶまれているかもしれません。
それに私の家族、なかんずくインターネットというものを平均的な60代の日本人男性が知っている程度には知っているような父は、インターネットに対して相当強い偏見を持っているらしいので(むしろパソコンに手を触れようともせずインターネットについてほとんど何も知らない母のほうが、インターネットに対して悪い先入観を持っていないようです)、インターネット上に存在するコミュニティはその全てが反社会的行為に日夜うつつを抜かしている犯罪者の集団ではない、ということを理解してもらうことも必要だろうと考えていました。
それで一つの試みとして、まず私自身のカミングアウトに踏み切ることにしました。
といって、いきなり当サイトの全貌を見せるというのは、特に6号館を母と妹に見せると憂慮すべき事態が発生すると容易に予想されたので、まず4号館2号室の文章作品のうち「正直な与兵衛(初稿)「優しさ」「みさかかおり(改訂版)「500円玉20枚」「うおぬま産コシヒカリ」の本文と後書きをWordファイルにし、メールに添付して送ることにしました(「下級生リレー小説」は本文がなく、「保科智子に捧ぐ」は「ToHeart」を知らない人には全くわかりませんし、「800秋葉原へ行く」は家族に見せるには痛すぎるので)。
こういう手順を採ったのも、実家のパソコンにインストールされているOutlookExpressの設定が初期設定、すなわちOfficeファミリーのファイル以外の添付ファイルはダウンロードできないと推測される設定のままで、父は例えば知人から来るメールに添付されているJPEG画像が見られないと言い、設定を変えるやり方を私がメールに書いても「やってみる気もない」と返答してくる始末だからです。
もちろん、父(60代・無職)も母(60代・専業主婦)も兄(30代後半・自由業)も妹(30代前半・総合職)も、そして私としてはこの2人に見せることは想定していませんが義姉(30代・一般職)も義弟(30代前半・総合職)も、みなヲタクとは無縁な一般人、堅気の衆です。義弟だけがゲーム機を持っているらしいですが、18禁エロゲーとして「同級生2」と「Kanon」を認識してはいないものと思います。
二次創作小説を、元ネタになったゲームを全く知らない人に読んでもらうのは、それを制作した時には「元のゲームを知っていて、キャラ・背景・世界観を知っている」ことを念頭に置いて制作したのですから、ある意味ではオリジナル小説を読んでもらうよりも難しい企てかもしれません。Kanonに基づく二次創作小説3作(みさかかおり・500円玉20枚・うおぬま産コシヒカリ)はいずれも、主題はKanonを全く知らない人が読んでもわかるように書いたつもりですが、ゲームの二次創作小説やライトノベルに馴染みのない一般人に、私の小説がどのように評されるか、期待と不安は半々どころか1対99といったところです。
(6月30日アップ)

6月13日(日)
今日も今日とて「うたわれるもの」三昧ですが、戦闘ステージの戦い方として、持久戦に持ち込むべきステージと一目散に突っ走るべきステージがあり、そして実際は大半が前者に属するということがわかってきましたが、中盤の大きな山場と思われるあたりで、またもや高難度2では何度やってもクリアできないステージに突き当たってしまいました。といって、ここでまた難易度を下げて最初からやり直すのも癪なので、ついに手を出したのは、RPGと戦闘SLGの禁じ手、「改造ツール」です。
改造ツールといっても様々で、中にはゲームのプログラムが動作している最中に、プログラムが占有しているメモリに割り込んで書き換えてしまい、その結果として味方キャラの受けるダメージを全て0にしてしまうとか、敵キャラの行動する順番が来ないようにしてしまうという乱暴なツールもありましたが、そこまでやるとゲームをプレイする面白味がなくなってしまいそうなので、ディスクにセーブされるデータを書き換えて(これも動作としては、ゲームのプログラムと一緒に起動してメモリを書き換える形になります)、攻撃力や防御力といったパラメータを嵩上げするくらいにしておきます。幸いにして うたわれるものの場合、難関と感じられるステージも、「WordsWorth」の時のように最初からレベル99にしてしまうほど強引な嵩上げをしなくてもクリアできそうです。
とこう、高難度2という、最も高いわけではない難易度で改造ツールに頼るという軟弱ぶりに我ながら忸怩たるものを感じながら、2ちゃんねるを見ていると、うたわれるものを「高難度5」だの「高難度6」でプレイしているという猛者の書き込みがあります。ゲームのメニューをいくら見ても高難度3までしかないのに、どうやって5だの6だのを作っているのか──考えられるのは、標準難度から高難度3へと難易度が上がるに従って敵キャラのパラメータが上がっていきますから、それを外挿して高難度5や6に相当する仮想的なパラメータを設定し、改造ツールでメモリに書き込んでいるのでは、というくらいですが、それにしても世の中には、わざわざ高いハードルをこしらえてまで、それに立ち向かっていく人というのがいるものです。今の私がそれに似た喩えを出すとすれば、この日記をローマ字入力で打鍵している私が、「こみパDCE」の同人誌作成パート(タイピング)を「カナ入力」でやろうとするようなものでしょうか。そんなことをすれば、DreamCastのアナログコントローラで同人誌を作成するのと同じような結果になると、自信を持って断言できます。
(6月28日アップ)

6月12日(土)
このところ夜の自由時間は、「うたわれるもの」をプレイしているか、2ちゃんねるへ うたわれるもの関連スレッドを読みに行っているか、思い出したようにウェブ日記を更新しているか、この3つにほぼ限定されるような過ごし方をしています。
11日の夜も、日記を更新してから2ちゃんねるへと足を踏み入れていたのですが、うたわれるものスレッドとは別のスレッドを眺めていたところ、「アドベンチャーゲームと携帯」というような話題が出ていました。
携帯という物は、地方に住んでいる社会人にとって自家用車がそうであるように、単身生活者や外回りの仕事に出る社会人にとっては、もはやそれを持っていることを当然の前提として社会システムが出来上がっていると言ってもいい道具だと思いますが、社会人のみならず最近では中学高校生でも持っているのが当たり前になっているようです。ですから現代社会風俗を映したゲームでは、制服のある「学園」に生徒として在籍する登場人物が携帯を持っていたり、それがシナリオの小道具として使われていたりするのは、当然考えられることです。
ですが、中学高校生の生活スタイルを変えるほど携帯が普及したのは、それほど古いことではありません。ですから少し古いゲームだと携帯が登場しないのがよくあり、携帯を持っているのが当然と感じている今の私たちが見ると、「そんなの主人公が携帯を持っていれば即座に解決してしまうんじゃ?」というイベントやシチュエーションがあるわけです。
その最たる物は、elfの「遺作」、廃墟と化した旧校舎に閉じ込められた主人公たちが脱出を図るシナリオでしょうが(ですからDOS時代のスペシャルディスクに収録されていたおまけゲーム「盗作」では、登場人物の一人が携帯を持っていた、というオチがつけられていました)、elfのゲームで言えば「同級生」三部作にも、主人公が特定の日の特定の時間帯に自室に帰ってくると、特定の人物から自室に電話がかかってきて(携帯が普及していない時代に、18歳の子供の私室に固定電話が引いてあること自体が、けっこうな御都合主義のような気がしますが)、その電話を受けることが特定のヒロインのシナリオをクリアするために絶対不可欠な条件になっている場合があります。
しかしそれが「主人公は携帯を持っているので、どこにいてもその電話を受けることができる(携帯時代のマナーとして、電車に乗っている時や映画館の中にいる時は受けられないことにしておきましょうか)」になるとしたら、たしかにゲーム性を損なう惧れがあるな、と思ったものでした。
(6月28日アップ、7月2日訂正)

6月7日(月)〜11日(金)
6月上旬というと、九州・四国から本州へと次第に梅雨前線が北上してきて、各地で梅雨入り宣言が出される季節だと、関東地方に住んでいた頃には思っていたのですが、今住んでいる新潟県では、5月の末から6月にかけての頃に「梅雨の走り」と呼ばれるぐずついた天気が続き、そして6月に入って梅雨入り宣言が出されると一転して「梅雨の中休み」と呼ばれる晴天が続くことが多いようです。

修理のため1日にauショップに持ち込んだ携帯のことで、8日になってやっとショップから連絡があり、修理に持ち込んだ時の見立て通り、部品交換を要することになって修理代は5250円(税込)、アドレス帳などは全て初期化することになる、以上でよろしいかと言ってきたので、そのようにすると返答しました。そして10日に修理が終わったと連絡があったので、仕事が終わってから受け取りに行き、代用機は返しました。最初は1円で買った携帯でしたが、買っていくらも経たずにこれだけの修理代がかかったので、この携帯は税込5251円で買った物だと思うことにします。それでも最新型を電器屋で買うよりは安いでしょう。
ショップに持ち込んだその場で「ああ、これは部品交換ですね」という感じだったのに、それから修理内容についての連絡が来るまでに1週間もかかりましたから、昨年ハードディスクを修理に出した時のことを思い出すと、このくらいの確認にしては日数がかかるものだなと思いましたが、聞いてみれば「お客様の携帯(ショップから代用機を借りていますから、代用機の番号は把握しているはずです)に電話しようとしてもいつもつながらず、自宅の電話はいつかけても留守だった」というのです。
そう言われて気が付いたのは、仕事で使うために持つことにした携帯ですが、自分からかけることだけを念頭に置いて、自分が受けることを全く念頭に置いていなかったため、出勤してから帰宅するまでずっと電源を切ったままにしていたことでした。これでは昼間、ショップから私の携帯にかけてもつながるはずがありません。30代の社会人が、何をやっているんでしょうか。

8日の夕方、日本で見られるのは実に130年ぶりという天文現象、金星の太陽面通過が起こったそうです。
──「そうです」とは、中学高校では天文部に籍を置いていた元天文少年としてはあまりにも冷淡な表現ですが、その頃から何か天文現象があるたびに悪天候に祟られることが多かった私は、ちょっと雲が出ればそれでもうお終いになってしまう天文現象には、始めからそれを見られることを期待しない、という醒めた意識があったのだろうと思います。
実際、金星が太陽面を横切っている頃、私がいる地域は雨でした。もしこれが、ほぼ日本全国にわたって快晴で、私がいる地域だけ雨が降っていたのならば、「ほら、耳を澄ましてごらん、天地が800を嘲笑っている声が聞こえるよ」と辺り構わず叫んでいたかもしれませんが、季節柄ほぼ全国的に曇または雨だったようでした。
(6月27日アップ)

6月6日(日)
この日もまた新潟市へ行く用事があったので、そのついでにもう一度、先日は売り切れで買うことのできなかった「Fate/stay night(以下「Fate」と略記します)を求めてゲームショップを探し回ってみました。
すると今度も新品は売り切れでしたが、その代わりに初回版の中古を見つけました。目に止まったのはその値段で、店頭の広告に表示されている通常版の新品の値段が8800円(税抜)、実売価格はもっと安いであろうのに対して、初回版の中古は10800円でした。
何らかの特典が付いている初回版が、中古市場で通常版と違う値段が付くことはよくあることで、どのような値段が付くかは初回特典の内容によると思います(稀な例だと思いますが、初回版の方が通常版より安かったのを見たこともあります)。だとしても初回版の発売からそれほどの年月が経っていないのに、通常版の新品よりかなり高い値段が付くほどの初回特典とはどんな物か、と見ると
特製設定資料本「Fate/side material」(B5版変形・約100頁)
つまり「月姫」の設定資料集として同人ショップで売られていた「月姫読本」のような物ということでしょうか。月姫読本は私が買うまでにも何度か再版された様子ですが、もし今度の資料本は単独で再版される予定がないとしたら、中古でも多少高くても初回版を買う価値があると思いました。
そういうわけで大枚はたいてFateを買ってきましたが、プレイに取りかかるのは今しばらく保留、当面は「うたわれるもの」が優先です。それでもインストールだけはするためにパッケージを開けてみると、初回特典の資料本には厚紙で封がしてあって、こんな注意書きがあります。
△開封に関するご注意
この小冊子にはゲーム「Fate/stay night」のストーリーの核心部分に触れる重要な事柄、画像などが多数掲載されています。ゲームをクリアした後にお楽しみになってください。
なお、プレイ前もしくはプレイ中に本書に目を通す事によってゲームとしての楽しさが損なわれる等の問題が生じたとしても、TYPE-MOONでは一切の責任は持ちません。
要するに月姫読本がそうだったように、ネタバレ満載だから先に読まないように(月姫読本にはシナリオごとの攻略法まで載っていました)ということでしょう。
マニュアルに目を通していて気になったのは、トラブルシューティングの「ゲームの動作が非常に遅い」の項目で、
・グラフィックチップ統合型のチップセットを利用していませんか?
→十分な性能が見込めませんので、AGPスロットへ搭載するタイプのグラフィックボードをご用意ください。
最近のゲームが快適に動作するために要求するハードウェアの水準は、上がる一方で止まるところを知りませんが、3Dを駆使したフライトシミュレータならいざ知らず、画面の動きの少なそうなビジュアルノベル(「電気紙芝居」などという悪意に満ちた呼び方が生まれるような)がこうなるとすると、古いパソコンしか持っていないユーザはどうしたらいいのでしょうか。
私がFateをインストールすることにした3号機が、取りも直さず「十分な性能が見込めない」チップセットを搭載しているパソコンなのですが、CPUに関してはCeleronとはいえ2.0GHzで、推奨環境(PentiumIII 800MHz)を充分に上回っていると思うので、ゲームの動作は何とかなるのではないかと思うことにします。
(6月27日アップ)

6月4日(金)〜5日(土)
18日の夜、正確には19日の明け方までかかって、ようやく「うたわれるもの」DVD版をエンディングまでプレイしました。それで19日からは日記の更新を再開します。
と書いてはみたものの、この2週間というもの、世間の出来事にほとんど関心を払わず、毎晩もっぱらゲームに時間を費やし、たまに2ちゃんねるの葉鍵板へ うたわれるもの関連スレッドを読みに行くという具合だったので、今になって日記帳を開いてみても、ウェブ日記に書くほどのネタがそれほどありません。
ゲームは佳境に入ってきましたが、高難度2では何度やってもクリアできないステージに突き当たってしまいました。といって、ゲーム全体の中盤まで来ている感触がある今、難易度を下げてまた最初からプレイし直すのも癪なので、戦闘SLGというゲームの性質上「必勝法」というものはないとしても、ステージをクリアするための「コツ」というくらいのものはあるかもしれないと、攻略サイトを探してみました。
するとやはり、ステージごとにクリアするためのコツがあるようです。全体的に言ってこのゲームの戦闘ステージは、味方が受けたダメージを回復できるキャラがプレイヤー側に1人だけいる反面、コンピュータ側にはそのようなキャラがいないこと、ステージごとに制限時間が一応設定されているものの、高難度でだけ画面に表示されるゲージを見れば、事実上制限時間はあってないようなものであることから、たいていのステージは退き気味に布陣して持久戦に持ち込むのがクリアへの道なのですが、私が行き詰まっていたステージだけは、積極的に打って出ないとうまくいかないようでした。
こういった戦闘ステージの戦術的なこととは別に、戦闘ステージの間をつなぐアドベンチャーステージをプレイしていると、いろいろと感じるところがあります。まず第一に感じたのは、今までに私が主人公の人物を把握できるまでプレイしたゲームの中では、最も主人公に感情移入できるゲームだということでした。
人の好き嫌いが激しいというのは、私が自覚している欠点の一つでもあるのですが、主人公に感情移入できなかったためにプレイが中断している、どころかプレイ開始直後に放り出してしまったゲームがいくつもあるのも、その一つの現れだと思います。
この手のゲームの主人公で、私が感情移入できないタイプというのは、まあいろいろあるのですが、多くのゲームの主人公に感情移入しにくくなってきた理由を考えてみると、一番大きな理由は、よくあるように高等普通教育を施す学校を舞台にしたゲームの主人公、高等普通教育を施す学校の生徒と設定されている主人公が、たとえ18歳以上であるとしても、彼等の2倍近い年数を生きてきた私には、彼等の精神が年齢相応であれば年齢相応であるがゆえに、年齢不相応に老成していれば年齢不相応に老成しているがゆえに、共感しにくくなってきていることではないかと思います。簡単に言ってしまえば、「学園物のエロゲーを楽しむには齢を取りすぎた」のです。
年齢のことはさておき、造形的に見ても、ちょっと古いタイプの学園物の主人公によくありそうな「悪漢(その典型はelfの「同級生」三部作でしょうか。私が考える、後述する「悪党」との違いは、悪事を働くにしても彼等なりの規範があること、ごく端的に言えば「女の子をいじめることはしない」というような)」であれ、少数ですが「悪党(敢えてその例を挙げるなら「ONE」の折原浩平を挙げましょう)」であれ、最近多くなってきたらしい、悪漢にも悪党にもなれなかった「ヘタレ(「雫」の長瀬祐介あたりを嚆矢とするでしょうか、最近では「君が望む永遠」の主人公がこれの極致とも聞いています)」であれ、社会に出て幾星霜を経た身から見ると、他の登場人物なかんずくヒロインたちに顧みられるにはとうてい値しない人物としか見えないものです。そんな時、「意中のヒロインと結ばれたかったら、まずそのヒロインに顧みられるに値する人間になれ」という思想を掲げたゲームがあることを思い出しますが、他の人物から信頼されるに足る能力も資質も、信頼されようとする意欲も気概も持たない主人公が、主人公としてまかり通るのは白けます。
それに対して うたわれるもの の主人公は、Leafのホームページに書いてある範囲に限っても「助けてもらったお礼に村の発展に力を貸すことにした」ように、まず村人の信頼を勝ち得るところから始まって、やがて苦労の甲斐あって村人から一目置かれる存在になります。昔の叙事詩のように、あまりに超人的な主人公でも読者は引いてしまいますが、このゲームのような壮大なストーリーの主役を名乗る人物には、周りの登場人物のみならずプレイヤーもが、主人公たるに値すると納得するだけの人物であって欲しいと思います。
(6月21日アップ、7月2日訂正)

6月2日(水)〜3日(木)
2日の夜「そこつやの館」に行ってみると、5月31日夜の時点ではまだ残っていたコンテンツもほとんどが撤去されて、残っているコンテンツは、下級生ヒロイン投票の5月分の結果と、チャットルームだけでした。
それで、そこつやの館は6月2日限りで閉鎖と見なすことにし、6月3日付で、リンクページおよび1,2号館からのリンクの削除を始めとする更新を行いました。
それにしても、自作品や寄贈作品の公開、あるいは新規リンクやリンクの削除といった、サイトのコンテンツの本質的な変化と私が見なしている更新(日記の更新はこれには含めないことにしています)が1ヶ月以上も開き、しかも久しぶりのそれが、永らくお付き合いのあった相互リンクサイトの閉鎖にともなう更新であることには、何と言っても寂しさが拭えませんが、それと同時に1ヶ月以上も新作が──という思いもあります。
まぁ、こればかりは本人がその気にならなければ始まらないわけですが、今の様子なら暑中見舞の季節までには「うたわれるもの」をコンプリートできると思いますから、そうしたら創作活動を再開する気になるでしょう。
──と言っているはしから、もし「Fate/stay night」を入手したら、またゲーム三昧になってしまいかねませんが。
(6月11日アップ)

6月1日(火)
今日は珍しく早く帰宅でき、明日も天気が良さそうなので、週の半ばにもかかわらず洗濯をしたのですが、不注意にもほどがあって、服の胸ポケットに携帯を入れたまま洗濯してしまいました。洗濯機が回り始めてから気が付いて、洗濯機を停めて携帯を取りだしたのですが、どこかがショートして完全に故障してしまったようです。
外回りの仕事に出る際に必要だからと持つことにした携帯ですから、持たないと明日からの仕事にも差し支えるので、すぐに市内のauショップへ持って行きました。
ですが、電気製品を買って1年未満の故障だから保証書を持って行けば無償修理になるだろうと思っていると、携帯が水に濡れて故障した場合は、利用者の過失による故障となって有償修理になり、買って1年未満でも5000円になると言います。保証期間が切れたら有償修理するより買い換えた方が安いというのは、当節の家電製品一般に言えることですが、何しろ電器店の投げ売りとはいえ1円で買った携帯ですから、修理に5千円もかかるなら今すぐ電器店へ行って同じ機種を1円で買った方がいい、とまで思いましたが、落ち着いて考えてみると、機種交換とかそういうのではなしに今の携帯を捨てて新しい携帯を買うとしたら、電話としての契約をもう1回し直すことになり、その手数料が2700円かかります。さらにauの割引サービスの1つである「年割(1年以上契約することを条件に基本料金を割り引く)」を今解約すると、違約金として3000円を払わなければならず、携帯の買い換えと別に合計5700円必要になります。
そこまで考えると、買い換えるよりは修理に出した方が安いと判断できたので、故障した携帯を修理に出すことにしました。修理が終わるまで同じ番号で使える代用機を無料で貸してくれましたが、もしこれを故障させたら8000円、と念を押されました。
それにしても、自分の不注意を棚に上げての物言いになりますが、屋内に据え付けて使う固定電話ならともかく、屋外を持ち歩いて使うことが当然想定される携帯電話が、水濡れに対してこんなに脆い(聞くところでは、真夏にワイシャツの胸ポケットに入れていて、汗で濡れて故障することもあるそうです)というのは、小型軽量化を追求する余り基本的な性能を犠牲にした本末転倒な設計思想、もっと穿った見方をすれば、買い換え・機種交換・修理の需要を狙って「わざと壊れやすくする」設計思想の産物ではないでしょうか。設計に際して買い換え需要よりもっと基本的な性能が重視されるべき物、例えば軍隊で使う持ち運び式の無線通信機が、雨に濡れたら故障するくらい耐水性が弱かったら、決して採用されないと思うのです、人命ひいては国家の存亡にかかわりますから。
(6月11日アップ)

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