2002年8月前半の日記
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8月15日(木)
午後まで実家に逗留して、夕方の高速バスで帰ってきました。10日から今日まで、東京都・千葉県・神奈川県はずっと晴天続きだったのに、関越国境が近づくと雲が広がってきて、新潟県は雨模様でした。
(8月24日アップ)

8月14日(水)
今日も実家に逗留して、両親が6月にアイルランドへ旅行してきた折の写真や紀行文を見ます。母が英会話教室を通じて知り合ったアメリカの友人がアイルランド移民の子孫で、また妹が学生時代からケルト民族の文化に興味を持っていたのに感化された、というようなことです。
アイルランドは近年、EUの中でもIT関連産業などが盛んになってきて、急速な経済成長を続けているようですが、それまではヨーロッパの辺境に位置する農業国で、イギリスによる長年の植民地支配のためもあって経済発展の遅れた国だったらしいです。私が前にアメリカへ行った時、トラベラーズチェックが必要ないくらいクレジットカードが普及していたのを思い出して、アイルランドではクレジットカードが使えたかと聞いてみると、どうもクレジットカードは日本ほども使えなかったようでした。
現在のヨーロッパ系アメリカ人の出自をたどっていくと、アイルランド系がかなり多いらしいですが、それだけ多くの移民の祖国である、いや、多少過激な表現をすれば、それだけ多くの人々が逃げ出した国である19世紀以前のアイルランドが、どんな国であったか、百科事典を見てみると、イギリス史の暗部に触れる思いがします。17世紀にイングランドで清教徒革命があった後、カトリック(数ス革命勢力)の根拠地と目されたアイルランドをイングランドが征服してから、アイルランドはイングランドのすぐ隣にあるとは到底思えないほどの(見方によってはイングランドのすぐ隣にあったからかもしれませんが)ヨーロッパの最貧国に転落し、19世紀から20世紀にかけて人口は海外流出によって半減しました。アイルランド共和国がイギリスから独立した後も、イギリスに属した北アイルランドでは不穏な情勢が続いていますが、カトリック人口の多いアイルランド島の中で北アイルランドに国教徒が多いのは、この地域が特にイングランドの植民地となって、イングランドから国教徒が入植したからです。キリスト教国の内部で今に至るまで武力を伴う宗教紛争が続いているのは、世界でも北アイルランドくらいかもしれませんが、それもイングランドによる植民地支配の負の遺産と言わねばならないと思います。

と、こういう小難しい話はさておいて、両親だけでなく親戚や職場の同僚など、アメリカまたはイギリス(アイルランドも含む)へ海外旅行したことのある人の土産話を聞くたびに不思議に、というよりもむしろ不愉快に思うことは、決まってこれらの国々の「料理がまずい」と言うことです。特にイギリスの。私がオーストラリアとアメリカに旅行した時には、現地の料理が日本で食べる料理に比べてまずいと感じたことは一度もなかったものですから、他の人たちがそう言うのは、日本人の傲慢としか思えません。
(8月23日アップ)

8月13日(火)
今日は両親と、昨夜から帰省していた兄と私の4人で、墓参りを兼ねて墓掃除に行きます。
わが家は二十数年前に新潟県から、当時分譲が始まったばかりの神奈川県内の新興住宅地に引っ越してきて、その後で先祖の墓も、近郊の山の上にある墓地に移してきました。墓地の最寄り駅から墓地へ登る道路は山の中腹の曲がりくねった道、緑濃い低い山に囲まれた墓地は階段状──そう、「加奈」のエンディングNo.2の景色にそっくりなのです。制作元D.O.の、少なくともどこかの部署が神奈川県藤沢市にあることに気がついてから、「あの景色はこの道と墓地の景色ではないのか」と思っていました。それからさらに推測して、ゲームの舞台全体が神奈川県内中部あたりを想定しているのではないかとも(あるファンサイトでは、病院の正面や最寄り駅の駅前風景から、ゲームの舞台は埼玉県南部であろうと分析していましたが)。
砂利を敷いた墓所に生えた雑草を抜きながら思ったことは、現在の日本では火葬が主流ですが、もし土葬だったら今の季節には「周りより草の育ちが良い土饅頭」がそこら中にあるんだろうなあ、ということです。人が死んだら土葬、行き倒れの人や動物の死骸が放置されていると、すぐに溶けて形を失い、そしてやがてそこだけ周りより草の育ちが良くなる、という現象を何百年も目の当たりにしてきたアジアのモンスーン地帯では「輪廻転生」の考え方が自然に生じてくるのに引き換え、行き倒れの人や動物の死骸はいつまでもミイラや白骨になって残っている砂漠地帯では、輪廻転生という考えは生じてこないのではないか、という意見を、新聞のコラムか何かで読んだことがあります。
それにしてもこの墓地は、墓所の周りに木が植えられていないので、墓所にほとんど日影がありません。古い寺の墓地であれば、長年の間に木が茂って木陰を作るのでしょうが、山を削って造成してから20年程度では、墓所の周りに植樹したとしても、木陰を作るほどの大樹には育たないでしょう。今日も関東地方南部は晴天でした。
(8月23日アップ)

8月12日(月)
今日の行き先は昨年5月に行った鴨川シーワールドです。朝6時前に起きてサウナをチェックアウトし、浜松町から東京湾横断道経由安房鴨川行きの高速バスに乗ります。このルートを開拓したのは前回の鴨川行きの時でしたから、それほど前のことではありませんが、JRの普通列車(2210円、約2時間50分)と大差ない運賃(2400円)で、渋滞に遭わなければ特急列車(3580円、約1時間50分)より少し遅い程度の時間(東京駅からだと2時間)で行けてしまうのですから、いくら国鉄時代からの鉄道びいきの私でも、JRに乗ろうとは思わなくなるわけです。
私がこうやって、年に1回くらいのペースではるばる鴨川まで行くのは、日本で初めて飼育下での繁殖に成功したシャチ ラビー(1998年1月11日誕生)と、第2例のララ(2001年2月8日誕生)の成長を見守りたいという気持ちが第一にあるからです。初めて見た時には生後1カ月の嬰児だったラビーが、4歳半の今は親世代の3頭(父ビンゴ・母ステラ・もう1頭の成牡オスカー)より一回り小さいくらいに成長して(現在の体長4.1メートル、体重1トン)、ショーに出れば昨年よりもずっと場慣れして主演を務め、親世代と同じ芸をそつなく演じているのを見ると、感慨深いものがあります。
今日は夏休みのピークのこととてショータイムは朝から夜まで詰まっていて、ショーに出演するのはオスカーとラビー、ステラは隣のプールでララの哺育に専念しています。それでもショータイムの最後にオスカーとラビーがプールサイドに上がる時には、示し合わせたようにステラもプールサイドに上がっていることがありました。ビンゴは……現在18歳くらいですから隠居するにはまだ早いのですが、体が重くなりすぎて(体重4トン)空中技を演じられなくなったのでしょうか?
シャチの子供のことばかり書いていますが、前回来てから1年余り経って行くと、バンドウイルカやカリフォルニアアシカの子供が生まれているのを知ることがあります。動物園・水族館の社会的役割として、最近では稀少動物の生理生態、中でも繁殖に関する研究を通じて自然界での稀少動物の管理・保護に寄与することに重点が置かれるようになっていると聞いていますが、子供が生まれて増えていくのを見るのは、理屈抜きで微笑ましいものです。
午後5時に鴨川を後にして、来た時と同じ高速バスで東京湾を渡って実家へ向かいました。
(8月23日アップ)

8月11日(日)
午前4時過ぎに池袋に着いた高速バスを降りてから、すぐに山手線に乗ります。東京駅からの臨時バスは午前6時を過ぎてからでないと動き出さないということが冬コミの時にわかったので、もっと早くから動いている交通手段、すなわち京葉線→新木場→りんかい線→国際展示場というルートで有明入りすることにしたのです。
途中でロスタイム(大腸が大脳に従わなかったとも言う)があって、東側の入場待機列に到着したのは午前6時30分頃でしたが、これより早く有明入りできる交通手段はいくらもないはずなのに、既に長蛇の列ができているというのは、やはり、いくら取り締まっても入場待機場所で野宿する輩が後を絶たないのでしょうか。
一昨年昨年も悪天候にたたられた夏コミ、もはや かつて関東地方を直撃するはずだった台風の進路をねじ曲げたという伝説のヲタクパワーは完全に過去のものとなり果てたのか、それとも逆に有明に集まったヲタクの熱気が上昇気流を生んで、熱帯低気圧と同じ物を有明上空に発生させているのか、そのへんは気象予報士の資格を持つ人にでも分析してもらいたいところですが、今日に限っては澄み渡った空はどこまでも青く、万をもって数えるヲタク達は入場開始を待ち続けることになったのでした、「果てしなく青い、この空の下で・・・。」
日射しが次第に強まる中で朝飯にしようとして気づいたことは、スポーツドリンクの粉末を溶かす水をポリ容器に汲んでおくのを忘れたこと。連れがいないのでうかつに列を離れることもできず、そもそも飲料水を汲める場所が近くにあるかどうかも定かでないので、何も飲まずにじっと入場を待つしかありません。せめてもの救いは、それほど蒸さず、わりと風が吹いていたことでした。それにしても、飲み物なしで固ゆで卵を食べるのは辛いです。これで握り飯でなくてパンだったらと思うと。
やがて10時になると、会場では開会が宣せられたようで、入場待ち行列の間からも一斉に拍手が湧き起こります。イベントの開会と閉会が宣せられる時、会場内外から拍手が湧き起こるのは、コミケだけの風習ではないようですが、コミケの場合、会場から数百メートル離れた駐車場に座り込んで、自分の入場が1時間後になるか2時間後になるかわからない一般参加者までも、遠くから聞こえて来るのであろう(難聴の私には聞こえませんでした)開会宣言に合わせて、嬉々として一斉に拍手するというのは、「日本人の従順さと忍耐強さの象徴」なんて風に、外国人の目には映っているのかもしれません。
閉会の時は参加者はみんな会場内にいて買い物を済ませているからいいとして、入場できるのが何時間後になるかわからないほどの長蛇の列をなしている一般参加者に、開会すなわち入場開始を告げることは、痺れを切らした参加者が列を崩して我先にと会場に殺到するという事態の引鉄になる可能性が非常に大きい、と思ったことはないでしょうか? もちろんそんな事態になって、死傷者でも出ようものなら、即座にそして永久にコミケが開催されなくなることは、少しでも良識のある参加者なら誰でも想像してしかるべきで、だからこそ参加者の誰もが、何時間もの行列に辛抱強く耐えているのだろうと思いますが。
入場は11時でした。前々回の夏コミ3日目はバスを降りたのが8時45分で入場が11時20分、前回の冬コミ2日目はバスを降りたのが7時20分で入場は11時20分だったのと比べると、有明入りの時刻を考えつく限りの方法で早くしても、入場時刻がほとんど早くならないのが不思議です。こんなことが続くと、「体力に自信のない人は」とカタログに書いてあるように午後から来て行列せずに入場する方が賢明なのでは、と思うのですが、入場待ちの間にカタログの「マンガレポート」を隅から隅まで読んでいると、前回は「午後1時を過ぎても入場待ち行列が続いていた」ということがあったらしいので、朝早く来て何時間も行列するのもコミケのうちと思うしかないのかもしれません。
今回は前回の夏コミと逆に、ギャルゲー系サークルのうちLeaf・Key系が西地区、それ以外が東地区に配置されているので、まず東地区でelf・アリスソフト・F&C・月姫といったサークルを見て回ります(その前に館内の冷水器でポリ容器に水を汲んで)。
elf系サークルは今回も少なくて、十指に余るほどしかありませんでしたが、elfと同じように老舗のソフトメーカーといわれるアリス系やF&C系サークルと比べると、elf系サークルは総数が少ないだけでなく、さらに寂寥感を覚えずにはいられない現象があります。アリス系では、旧作に属する「アトラク=ナクア」や「DiaboliQue」メインのサークルは徐々に減ってきているようですが、新作が出るとそれをメインにしたサークルが大挙進出する(昨年の夏コミでは「夜が来る!」今年は「大悪司」)結果、総数は減っていずむしろ増えていますし、F&C系も昨年の冬コミで「Canvas」メインのサークルが現れ、今回は「Piaキャロットへようこそ!3」メインのサークルが一大勢力をなしている(Pia3メインのサークルはPia2メインから移行したサークルが多いと思いますが)のに対して、elf系というのはその実質は「同級生系」と「下級生系」が大半で、それ以後の純然たる新作「YU-NO」「臭作」「リフレインブルー」「鬼作」「あしたの雪之丞」、あるいはシルキーズ(新)の「flutter of birds」「愛しの言霊」といったゲームをメインにしたサークルは、皆無とは言いませんがほとんどないことです。ゲームそのものの人気と、そのゲームの同人誌を作りたいと思うファンの数が正比例するとは限りませんが(仮に「脱衣雀」シリーズがギャルゲー史上最高の販売本数を記録したとして、脱衣雀同人誌のオンリーイベントが開催される可能性は到底想像できません)、同人誌を作りたいという意欲をそそるタイトルが下級生より後にはほとんどないとすると、2,3年後のコミケでelf系のサークルはどうなっているでしょうか。
東地区をざっと買い回って、12時過ぎには西地区へ移動しました。西地区はLeaf・Key系で全体の半分弱を占めているので、これを全部見て回ることはせず、小説本を出しているサークルを重点的に見て回ることにしました。Leaf系はやや少ないのではっきりしませんでしたが、多数を占めるKey系の中では、例えば「Kanon」メインのサークルの中で、さらに小説本を出しているサークルを同じ区画に集めている様子がありました。
昨年の夏コミの時に「Leaf人気は過去の遺産」なんて思ったのですが、カタログを見ると最新作「うたわれるもの」メインのサークルがそこそこの数ありました(その反面「誰彼」メインのサークルは見当たりませんでしたが)。チャットルームでも「けっこういいゲームだった」という評価を聞いたことがあり、Leaf人気はこれからまた盛り返してくるかもしれません。
カタログチェックの際に「このサークルのスペースへ行ってみよう」と計画していたサークルの買い回りは2時過ぎには終わりましたが、せっかくだからもうしばらく見て回ることにして、チェックしていなかったサークルのスペースで、良さそうな小説本を見つけて買っていると、やがて午後4時になって閉会が宣せられます。この時もホール全体から拍手が湧き起こります。
閉会になったからといって、今すぐ有明を後にしようとすれば、交通機関に乗るためにまた行列しなければならないのは経験済みです。それで今日は最終日でもあることですし、この後も特に用事はないので、会場の撤収を手伝うことにしました。
テーブルと椅子を畳んで、何ヶ所かに集めて積み上げ、やがてレンタル業者のトラックが来ると、荷台に積み込みます。つい1時間前まであれだけ賑わっていた西ホールは、撤収が終わると人影も物もない広大な空間となります。それを見ると、今まで撤収を手伝わずに有明を後にしていた時とは違う感慨がこみ上げ、撤収作業中に「撤収が終わるまでがコミケ」とスタッフの誰かが言っていたのに、心から同意したくなりました。
その時は、「家に帰るまでがコミケ」と言う人もいれば、「同人誌を読んでハァハァするまでがコミケ」と言う人もいましたし、私が言ったのは「サークル参加者にとっては、冬コミの申し込みが終わるまでが夏コミ(冬コミのサークル参加申込書は夏コミの会場で販売され、申込期限は夏コミの直後らしいです)」でしたが。
撤収が終わったのは午後5時半で、西地区から出てくると、ちょうど東京行きの臨時急行バスの最終便が出るところでした。臨時バスが終わるくらいですから、参加者はほとんど帰路に就いた後で、帰りに乗った りんかい線も空いていました。
こうして上京1日目が終わりましたが、実はまだ実家へは向かいません。明日も早朝から行動を起こす予定なので、上野の近くにある仮眠所付きのサウナを宿にすることにします。宿へ移動する途中で午後7時頃、夕飯と明日の朝飯を調達するために、デパートの食料品売場に入ってみましたが、それは取りも直さず閉店間際の値引きを当て込んでの行動ですが、……東京って物価が高いんですね。弁当も惣菜も、地元のスーパーよりずっと高かったです。それでも外食したり値引きにならないコンビニで買ったりするよりは安いのですが……。
(8月21日アップ)

8月10日(土)
今夜から夏コミと帰省のために上京しますが、その前に何を措いても済ませておかなければならないのは、まず頂いた残暑見舞の公開です。
その作業を済ませてから上京の支度をします。明日の朝バスを降りてから有明入りするまでの時間をなるべく節約するために、朝飯と昼飯は現地調達ではなくて握り飯とゆで卵を持参。新潟はこのところ雨模様ですが東京は晴天で炎暑の予報なので、スポーツドリンクの粉末と広口のポリ容器(水は会場内に冷水器があるはずなので)もリュックサックに入れていきます。それから出発間際までウェブ日記の更新をして、そして東京行き夜行高速バスの客となりました。ちなみにこの夜の新潟発東京行き夜行バスは、4台続行運転でした。
ところで、今思い出しても不思議なことがありました。このところ夜になっても暑さが引きませんが、私がバス乗り場へ向かっている時、夜もかなり遅い時間帯だというのに、街路樹でセミが鳴いていたのです。それも1匹2匹ではない数の。
昆虫は変温動物ですから、夜になって気温が下がれば活動を停止するはずですし、それ以前に気温がどうであれ昼行性の昆虫は夜になれば活動を停止するはずだと思っていたのですが、人間が築いた不夜城が、昆虫の活動に影響を与えているのでしょうか?
(8月21日アップ)

8月9日(金)
どうにか残暑見舞をお贈りすることができたので、「flutter of birds」最後に残ったメインキャラ、朝比奈めぐみのシナリオに取りかかりました。
で。まだエンディングには遠いんですが、今の段階で一言だけ言わせていただきます。
草間茂美逝ってよし
……失礼しました。私がウェブ日記にこんなことを書くと、「お前は本当に2ちゃんねらーではないのかと小一時間(以下略)」とか言われてしまいそうな気がしますが、偽りなき実感です。
そうしているうちに夜が更けたので、ウェブ日記を少しだけ更新します。そろそろチャットルームへ行こうという時間になってからメールチェックすると、WPWさんとなりぽしさんから残暑見舞が届いていましたが、例によってコメントを書いたりしていると今から公開するのは遅くなるので、10日付の公開にすることにします。それでもチャットには行く私……
(8月19日アップ)

8月8日(木)
また思いきり日記の更新が滞ってしまいましたが、弁解はしません。
「暑中」には間に合いませんでしたが、8日の夜にCGが完成したので、昨夜頂いたCGと一緒に今夜の更新で公開し、お知り合いの人たちには残暑見舞のメールを出します。
ところで、いつの頃からか、サイトを持っている人が暑中見舞や年賀といってCGや写真を贈る際に、添付ファイルとして贈らないでサイトにアップロードし、メールにはCGや写真のURLを書いて、受け取った人にダウンロードしてもらう、というやり方をすることが増えてきたようです。かく言う私も2001年の暑中見舞まではメールに添付してお贈りしていましたが、その年のクリスマスからはCGはサイトにアップロードしてメールにはURLを書くやり方にしています。
それは、大きな添付ファイル付きのメールはあまり送らないほうがいいという、ブロードバンドが普及していなかった時代のネチケットの名残というよりは、昨今猛威を振るっている、メールを介して伝染するウイルスが、メールの添付ファイルの形を取ることが多いため、添付ファイルのあるメールは殊更に警戒され不安感を煽るので、それを避けようという配慮が働いているのだと思います。
ところがその風潮に対して、「暑中見舞や年賀を贈り合う間柄なのに、その相手を信頼できないのか」という、ネット人心の荒廃ぶりをいたく嘆くような発言を、お知り合いの方のサイトの掲示板で見たことがありました。
そう言われてみればたしかに、贈り先の人に贈り元のサイトからダウンロードしてもらうやり方は、贈り先に手間を強いることでもあるわけですし、メールを受け取った側としても贈り物の実物が来るのではなくて目録だけが来るようなものですから、人によっては礼を失すると取られるかもしれません。
このことは、クリスマスの季節までにはもう少し考えてみようと思います。
(8月19日アップ)

8月5日(月)〜7日(水)
夏コミ上京の交通手段を確保したところで、次はいよいよ暑中見舞の制作です。といっても暑中(立秋すなわち8月7日より前)に出せるかどうかは目下のところすこぶる不透明なのですが、間に合わなくて残暑見舞になったとしても、お盆より前には出したいからです。
ところがそう考えているはずなのに、どうも気分が乗らないのか作業が捗らず、いつの間にかネットサーフ──それもお知り合いの人のサイトへの定期巡回ではなく、コミケカタログを見ながらサークルチェックと称して、以前に同人誌を買ったことのあるサークルのサイトを見に行くとか、気分転換と称してGoogleに適当なキーワードを入れて検索しては、検索にヒットしたサイトを見に行くという、端から見れば時間の浪費にしか見えそうにないことをやっている体たらくです。
そうしているうちに7日の深夜には、神楽 零さんから暑中見舞が届いたので、8日の更新で公開することにしました。
(8月10日アップ)

8月4日(日)
東京の夏の名物行事と化した夏コミは、今年は9日から11日までです。私も帰省を兼ねて参加しようと思っていましたが、初日から参加しようにも、仕事が押していて9日に休みを取れるかどうか定かでなかったので、交通手段の手配に踏み切れませんでした。それに、委託販売同人誌や企業ブースを狙うなら初日から参加するのが常識だとしても、女性向けジャンルが配置される2日目には参加するつもりはほとんどありませんし、それなら東京で一日あちこち買い回るよりは自宅で(たとえ冷房がなくても)やりたいことをする方がいいという考えもあって、9日に休みを取ってまでずっと上京することには消極的でした。
先週になって、仕事の関係で9日は休めそうにないとわかったので、夏コミは最終日の11日だけ参加することにし、それに続く帰省の日程も決めて、今日になってやっと交通手段の手配に腰を上げました。一週間前ではいくらなんでも遅すぎて、安価な交通手段である夜行高速バスも夜行快速列車も多分無理だろうと踏んでいましたが、偶然キャンセルが出たのか、10日の夜行高速バスが1席だけ空席があって、往復とも高速バス(帰りは昼行)を確保することができました。
コミケに行くのならカタログも必要ということで、新潟市までカタログを買いに行きましたが、この程度の遠出から帰ってきて夜までのびているようでは、夏バテにもほどがあります。土用の丑の日に食べた「う」の字のつく食品が「梅干し」では、夏を乗り切るには不足だったのでしょうか。
(8月10日アップ)

8月2日(金)〜3日(土)
お知り合いの人たちに贈る作品が何であれ、この週末に集中的に制作しないときっと暑中見舞ではなくて残暑見舞になってしまうので、2日の夜からCGの制作に取りかかりました。この頃は行きつけのチャットルームも金曜の夜は人少ななので、2日の夜はチャットにも行かず、作業に専念します。
題材は、ずいぶん前から事あるごとに提案されていた、「同級生2とflutter of birdsのクロスワールド」にしました。
flutter of birdsは田舎の診療所を舞台にしたゲームですし、同級生2には長期入院患者の杉本桜子がいるので、森の診療所に桜子が入院している、というシチュエーションが、最初に提案されたものです。これはまさにぴったりなシチュエーションですし、私としても桜子は好きなキャラですから、これは良さそうだな、と思ったものでした。
あるいは時系列的にflutter of birdsは同級生2より後になるとし、同時にflutter of birdsキャラの方が同級生2キャラよりも年齢が低く見えるということもあったものですから、ゲームの発売時期と合わせて同級生2が1994〜95年の冬、flutter of birdsが2001年の夏の出来事だとすると、同級生2に登場する18歳のキャラたちはflutter of birdsの時には24〜25歳になっているはずですから、友美を薬剤師、桜子を看護婦として、診療所のスタッフとして登場させることも考えました。
結局は、季節の贈り物には友美を描くことが友美萌えCG画家たる私の使命、と考えて、同級生2キャラから登場させるのは友美にしました。
対するflutter of birdsキャラは、……正直なところ「このキャラがいちばん好き」と断言できるほど気に入ったキャラがいなかったので、お約束とか受け狙いとか言われてしまいそうな気もしますが、かねてから「友美にそっくりなキャラ」として有名だった南田白風を描くことにしました。
友美と白風が、わざと狙って造形したとしか思えないほど外見が似ているのならば、その違いを自分なりに描き分けてみるのも、絵描きとしての挑戦の一つと言えなくはないでしょう。
(8月9日アップ)

8月1日(木)
ここ数日やたらに暑く、しかもなぜか夕立も降らないので、夜になっても暑さが引きません。
サイト運営も何となく低調ですが、それでも最低限、頂いた暑中見舞の公開だけは行います。
さて私の方は、どうしましょうか……。にはるまろのめそろらひわ

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