2002年3月後半の日記
←4月前半の日記へ   ↑2002年の日記へ   3月前半の日記へ→

3月31日(日)
週末の夜に一度もチャットルームに姿が見えなかったからといって、病気で倒れていたわけではありません。それどころか、日頃決してしないほどに、極めて健康的な早寝早起きをしていました。
今日は復活祭で、朝9時半からミサ、その後で祝賀会があります。3日続けて聖週間の儀式に参列した後で、今日のミサに参列しないという話もないと思うので、多少夜更かししたとしても早起きして行くつもりでしたが、昨夜も早く寝たので今朝は6時に起きました。
教会に着いてみると、昨夜までの3日間よりずっと大勢の人が集まっています。これを見て、やっぱり日本には復活祭と降誕祭にしか教会に来ない信者が多いと思うよりは、平日の夜だと来たくても来られない(大人は仕事があるから、子供は夜遅くなると不安だから)と思うほうが、角が立たずに済みます。
今日から復活節が始まり、ミサの式次第も昨日までと少し変わって、何ヶ所かで「アレルヤ(ハレルヤと語源は同じ)」が唱えられます。ミサの途中で鐘が鳴らされましたが、これも聖金曜日と次の土曜日には一度も鳴らされないことになっているようです。
ミサが終わって教会堂を出ると、殻に色を着けたゆで卵が配られました。信者でない人でも名前を聞いたことくらいはあるかもしれないイースターエッグは、欧米では盛んな習慣のようですが、卵を生命と豊饒の象徴とする考え方は、ゲルマン民族の風習だったと思います。
ミサの後の祝賀会に、信者でもないのに潜り込んでいると、4日続けて来ていた間に顔を覚えられていたようで、何人かの年輩の人に声をかけられました。毎日曜日、また特別な典礼の時には欠かさずミサに来るほど熱心な信者は、きっとみんな顔見知りになっているでしょうから、その中に見慣れない顔が、しかも4日続けて見えたとなると、やはり気になるのでしょう。私の他にも、信者ではないが友人に誘われて来たという高校生くらいの人がいて、キリスト教について勉強していると話していました。
祝賀会といって、昼日中からパンとブドウ酒ならぬ米の酒やら麦の酒が出てくるのも何ですが、雰囲気としては昨夜洗礼を受けた2人を歓迎するという雰囲気が漂っていました。それでも正午にアンジェラスの鐘が鳴って、それをしおに散会になる時には、一本締めではなくて、司祭の祝福と「アーメン」だったのは、教会です。

帰ってくると宅配便の不在配達票が郵便受けに挟まっているので、再配達の手配をします。ほどなく再配達が来て、届いたのはNTTからレンタルすることにしたADSLモデムとスプリッタでした。モデムとパソコンをつなぐLANケーブルも同梱されていて、長さも問題はないので、私のほうでLANケーブルを用意する必要はなく、用意する必要があるのはLANボードだけです。これを確認してから、LANボードを買いにまた出かけます。
それにしてもLANボードって安いですね。10BASE-T専用なら1000円しません。最近は事業所や学校だけでなく個人宅でも、2台以上のパソコンがある場合には、LANでつないでしまうのが主流なのでしょう。フロッピーディスク1枚に収まらないデータ(動画の大きい物は優に100MBを超えますね)を頻繁に移動するとして、リムーバブルメディア(私の場合MO)を使う・CD-RWを使う・LANでつなぐ、の3方法を比較すると、ハードウェアの値段に関する限りLANが最も安いです。安くなったから普及する→普及するとさらに安くなる、これは経済の基本法則です。

それから、何も買う当てはありませんがゲーム売場を覗いてみると、……世の中にはいろいろな物がありますね、「女性向けのゲーム」が、棚1段を占めるほどありました。
といっても、「プリメ」シリーズのようにプレイヤーの性別をあまり問わないゲームとか(「子供を育てるゲーム」は、子供の性別がどうであれ、女性のほうが楽しめると思います。人類が人類になる前から、子育ては雌の分担でしたし)、「ときメモ」シリーズの最新作として宣伝が始まっている「主人公の女の子が憧れの男の子を彼氏にする過程をシミュレートするゲーム」のように、世の中に星の数ほどある男性向けゲームの男女キャラを入れ替えたゲームだけではなく、というよりそのようなゲームはむしろ少数派で、大多数は男性の同性愛を主題にした「やおいゲー」です。
同性愛的嗜好はない(と信じている)男性の私から見ると、「うわぁ〜(@@;;」というのが第一印象なのですが、そこでもうちょっと考えてみるに、男性向けギャルゲー(18禁に限らず)で、女性の同性愛を単なる興味本位あるいは男女間の性愛より低級なもの(適切な喩えと言えるかどうかわかりませんが、「全寮制女子校の寮生同士が同性愛行為をしているところを、プレイヤーが演じる主人公である寮の管理人((男性))が盗撮し、その写真をネタに寮生を脅迫して凌辱するゲームとか──そんなゲーム、ありそうだと思いませんか?)としてでなく、「男性が入り込む余地のない、女性同士の極めて純粋な心の絆」というように扱っているゲームって、どのくらいあるでしょうか?
男性向けギャルゲーが今日の隆盛を極めるずっと前から、コミケのような同人誌即売会では女性作家が女性読者のために作る「やおい本」が盛んに売られていたと聞きます。男性の同性愛──描写されているのが、あからさまな性行為であれ、清純至高な心の絆であれ──に熱いまなざしを向ける女性という市場の大きさに、ゲームメーカーが気づき始めたということでしょう。
(ここまで4月5日アップ)
再び帰宅してからは、今夜の更新で公開することに決めたCGの制作に専念します。2年前に当サイトを開設した時は、2000年4月1日の午後10時を期して公開したのを4月1日付の開設としたので、「4月1日の午前0時に公開」とすると感覚的には3月31日の公開となり、実際 更新履歴への記載も3月31日付になっていますから、ちょっとフライング気味の気はしますが。
CGが仕上がると引き続き、いつもの冗舌なコメント、さらにエイプリルフールの仕掛けも作ります。
どうにか午後12時間際になって公開準備ができたので、サイトを更新する前に掲示板を見ると(午後12時の時点で掲示板の3月分のログを採って、余力があれば数十分遅れで「過去のゲストブック」も更新しようと思ったので)、毎度のなりぽしさんから「メールを送りました」という書き込みがありました。
メールをチェックすると、これはまた大いに有難い、当サイトの開設2周年記念CGです。しかしこれを今から公開するとなると時間的に遅くなるので、本当の満2年になる4月1日付の更新で公開させていただくことにしました。
(4月7日アップ)

3月30日(土)
昨夜は金曜の夜なのにネット遊びをせずに早々と寝ました──別に聖金曜日だから行いを慎んだわけではなくて、ただ単に疲れて早く寝たかっただけですが、そうしたら朝6時に目が覚めたので、朝から夕方までCGの制作に没頭します。
そして夕方になると、またまた教会へ。復活祭が行われる復活の主日(日曜日)は、古代のパレスチナの考え方では土曜日の日没から始まるので、日没後の午後7時から復活徹夜祭が行われます。もっとも古代のパレスチナでならともかく、今の日本で一般の信者が教会で徹夜するわけではありません。
復活徹夜祭の典礼は、参列者全員がロウソクに火を点して行列する「光の祭儀」に始まります。その後はミサの式次第に則って行われますが、通常のミサ(降誕祭のミサを念頭に置いています)との違いは、通常は1つだけ行われる旧約聖書からの朗読が4つ行われ(これでも省略しているほうで、正式には7つの朗読が行われることになっています。これと新約聖書から書簡と福音書の朗読によって、天地創造からキリストの福音までを通して再確認するのだそうです)、説教の後で洗礼と堅信の儀が行われることです。
海外のキリスト教国では子供が生まれたらすぐに洗礼を授けるのが普通だと思いますし、別に日本でも洗礼を受けてはいけない時期があるとは思いませんが、イエスの復活(=新しい誕生)を記念する復活徹夜祭を洗礼に最もふさわしい時期とするという風習は、キリスト教が始まったばかりの頃からあるらしいです。
洗礼式の途中で「洗礼の約束の更新」といって、すでに洗礼を受けている参列者も洗礼を受けた時の初心に返るような儀式があります。祝福した水を司祭が参列者にかける──改めて洗礼を授けるという意味なのでしょう、そういう儀式で、この時ばかりは本来洗礼を受けていない私がこの場にいるのは不適切だったか、と思わずにはいられませんでした。
今日この教会で洗礼を受けたのは1組の夫婦でした。洗礼と堅信の儀が終わった後だったか、典礼が全部終わった後だったか、もう忘れてしまいましたが、洗礼を受けた人が司祭に紹介された時、参列者の中から湧き起こった拍手は、どこかよそよそしい感じのするキリスト教の典礼とは違って、「新しく仲間に加わった人を歓迎する」というごく自然な温かさが感じられました。
朝6時に起きたので、教会から帰ってくるとサイトの更新もCGの制作もせずにすぐ寝ました。
(4月4日アップ)

3月29日(金)
今日は聖金曜日(Good Friday)、イエス・キリストが十字架上で「霊を父の御手にゆだねた」日とされています。キリスト教では一年で最も厳粛な日とされていて、ヨーロッパの観光施設などは「聖金曜日は休業」という所が多いようです。
教会では今夜は7時から受難の祭儀です。福音書にはイエスが霊を渡したのは午後3時頃と書いてあり、それに倣って午後3時から「十字架の道行き」という儀式がありますが、年休を取らない限り参列できないので私は参列しません。
今夜の祭儀は「ミサ」ではありません。その教理的な根拠は私などが理解しきれるところではありませんが、式次第は昨夜のミサとずいぶん違っていて、例えば司祭が入場する時にオルガンが奏されません。通常のミサでは助祭によって福音書の朗読が行われる箇所では、ヨハネ伝福音書に基づき、司祭・助祭・信者の1人・他の全参列者がそれぞれ、イエス・他の個人・福音記者・群衆の台詞を担当して、長大な受難朗読が行われます。この受難朗読に音楽をつければ、いわゆる受難曲になることに気がつきました。
受難朗読に続いて行われる共同祈願は、特に「盛式共同祈願」と呼ばれます。普通は「教会のために」「キリスト者の一致のために」というように祈願しますが、今夜の盛式共同祈願の中では
「ユダヤ教を信じる人たちのために祈りましょう」
「キリストを信じない人々のために祈りましょう」
「神を認めない人々のために祈りましょう」
という祈願が行われました。過去にカトリック教会と教徒が、ユダヤ教徒や非キリスト教徒、自らが異端と宣告した人に対して何を行なってきたか、それは私たちも知っていますが、現在の教会はこういう考え方を持っているということです。──これ以上のことを独断で書くと、不本意な感情的論争を惹き起こす恐れがあるので、ここまでに止めておきます。
それから、昨夜のミサの後で祭壇から下げられていた十字架(つまり受難の祭儀の間、祭壇に十字架はありません)が運ばれてきて「十字架の礼拝」が行われます。続いて昨夜安置された聖体を使って聖体拝領が行われますが、普通のミサで聖体拝領の前後に歌われる「感謝の賛歌」「平和の賛歌」と、信者同士が交わす「平和の挨拶」はありません。

教会から帰ってくる間、にわかに信心づいたというのでもないでしょうが、突然思ったことがあります。
この時は雨が降っていたのですが、私は自分が傘を持たず合羽も着ずに自転車に乗っている時に雨が降り出すと、決まって「もし自然というものに意志があるならば、それは人間に対する(もっと端的に言えば「私に対する」)悪意に決まっている」と心の中で毒づいていたものです。そして「自然が人間を愚弄するならば人間は自然を無視するだけだ」と。
ですが客観的に考えて、2002年3月29日午後9時の新潟県地方の気圧配置に、そこにいる誰か1人の人間をずぶぬれにしてやろうという意志が働いているはずはありません。仮に、私が自転車に乗っている時に雨が降ってきたという出来事に何者かの意志が働いていたとして(熱烈なキリスト教徒なら、きっと「神の御意志」と言うでしょう)、そこで私が腹を立てたからといって、私にとって何かいいことでもあるでしょうか?
私が腹を立てれば雨が止む──わけではありません。私が腹を立てれば服が乾く──わけでもありません。それなら腹を立てるだけ無駄です。それよりは「明日は傘を持って出かけよう」と思うだけにしておいたほうがずっと有益です。
信仰に目覚めたなんて言うほど大仰なものでない、心の持ち方をほんのわずか変えようと思っただけですが、こうしたことの積み重ねが大切なのだろうと思います。
(4月4日アップ)

3月28日(木)
サイトの更新が全くできなくなるほど仕事が忙しいとか病気で臥せっているわけでないのに、日記の更新が遅れているのは、いつものことです。もちろん時節柄、仕事は決して暇ではないのですが、人事や経理といった部門に勤めている方に比べれば、まだしも余裕があると言えるでしょう。
もうすぐ当サイトは開設2周年を迎えます。昨年の開設1周年には、ちょうどその時期に転勤と引っ越しが重なったためもありますが、1周年記念作品として公開できる物を制作できなかったので、今年こそ新作イラストの1枚も制作したいところです。
昨年の3月末には、「いいんちょ普及委員会」が頒布するCDに収録されるCGを制作し、3月31日に委員会に贈るという離れ業をやっていますが、この作品は委員会が制作したCDがイベントで頒布されるまで、当サイトでは公開しませんでした。
また、それに続いて委員会のお絵描き掲示板に書き込んだ落書きは、あれを開設1周年記念作品と呼ぶことはしません。
それと当サイトの開設は、ちょっと不謹慎ですがエイプリルフールと同じ日でもあります。私が当サイトの開設前から欠かさず巡回していて、掲示板ではすっかり常連ヅラをしている有名なテキスト系サイトで、一昨年も昨年もエイプリルフールに引っかかったというお間抜けぶりを発揮している(一昨年は「夏コミにサークル参加を決定/夏コミ本の表紙ラフ画はこちら」、昨年は「18禁化」)私としては、一度くらいは引っかける側に回ってみたいという、良からぬ考えもあります。
そういうわけで、開設2周年を期して公開するための作品の制作に、25日から本格的に取りかかっています。日記の更新が停滞していたのは、第一にはそのせいです。

それだけではなく、この週には以前から考えていたことがありました。
私がヨーロッパのクラシック音楽のディレッタントであることは、今までこの日記でも何度となく書いてきたことですが、ヨーロッパの音楽と美術に興味を持つうちに、キリスト教に関心を持つようになってきました。信仰としてのキリスト教への関心から始まったのではないところが、私の心の畸形ぶりを露呈していますが。
それでキリスト教の年中行事というと、普通の人が最初に思い浮かべるのは、今の日本ではキリスト教に限らず、また宗教との関係のあるなしを問わず、あらゆる年中行事のうちで最も商業主義に毒された年中行事と言っても過言ではない、12月25日の降誕祭だろうと思います。
もちろん、イエス・キリストの降誕すなわち救世主の来臨を祝する降誕祭が、キリスト教の年中行事の中で重要な位置を占めることは言うまでもありませんが、だから私は一昨年昨年も降誕祭前夜のミサに参列したのですが、キリスト教の教義としては、イエスが十字架上での死によって人類の犯した原罪を贖い、そして3日目の復活によって、人類に課せられた宿命である死を超克したことを示した復活祭が、最も大切な行事になるそうです。
降誕祭の時に教会で信者に配っていたパンフレットを見て、今年の復活祭は3月31日(日)だとわかっていましたが、それに先立つ儀式が何日の何時から行われるか、前の週末のうちに教会に行って掲示板を見ておきました。
するとまず「最後の晩餐」を記念する聖木曜日のミサが、28日の夜7時から行われます。
復活祭は「春分の後の最初の満月の次の日曜日」ですが、それに先立つ木曜日の夜から「聖なる過越の3日間(古代のパレスチナでは木曜日の日没から金曜日の日没までを1日と数えたので。降誕祭のミサを12月24日の夜に行うのも同じ考え方に基づいています)」が始まり、年間で最も厳粛な一連の儀式が執り行われます。
キリスト教の中心となる典礼であるミサは、この最後の晩餐の時にイエスが弟子たちにパン(キリストの体を象徴する)とブドウ酒(キリストの血を象徴する)を用いて行うように命じたことに由来するので(参照箇所の1つは新約聖書コリント前書第11章第23〜26節:この夜のミサでも朗読されました。他にも多数)、この夜のミサは特に重要な意味を持っています。
この夜のミサに限らず、ミサの際には聖体拝領という儀式があり、キリストの体を象徴する聖体(実物は小さいせんべいのような物です)を信者が司祭から受け取って食べます。ミサは信者でなくても参列できますが、聖体拝領だけは、洗礼を受けていない人は受けることができません。降誕祭の時には信者でない人が大勢来るので、式次第にこの注意書きがありましたが、今夜のミサには信者でない人が来ることを想定していないのか、式次第には聖体拝領についての注意書きはありませんでした。
この日の典礼で特徴的なのは、福音書の記述に基づいて司祭が男性信者の足を洗う「洗足式」と、聖体拝領の後で教会堂の隣の部屋に聖体を移す「聖体安置式」が行われたことです。
(4月3日アップ)

3月25日(月)〜27日(水)
27日の朝で、3度にわたるニフティのサーバのメンテナンスが終わりました。それで27日の更新で、トップページのお知らせを削除しました。

今は人事異動の季節です。ちょうど去年の今頃、私がそうであったように、4月1日付で転勤する人が職場には何人もいて、部署ごとに、あるいはサークルごとに送別会が開かれています。今年は新潟県でも桜の開花が平年より早いようですが、さすがに日が暮れてから屋外に繰り出して花見兼送別会を開く部署は多くありません。
私が巡回しているいくつかのサイトでも、サイト管理者の方が転勤することになったとか、あるいは大学を卒業して4月1日付で就職するという、もっと大きな人生の節目を迎えられる方がいます。
学生が就職して社会人になると、ネット活動に限らず趣味に割くことのできる時間が減ってしまう、というのは現実ですが、この就職難の時代、どんな職であれ就職できただけでも儲け物です。頑張ってください。──就職浪人して自主留年したことのある者として。

月初めに申し込んだNTTのフレッツADSLのことで、27日になってNTTから連絡があり、4月2日の午前中に開通することになりました。ADSLモデムとスプリッタはレンタルにすることにしたので、開通までにこちらで用意するのは10Base-TのLANカードとLANケーブルになります。
モデムを買い取るかレンタルにするかという話も、ADSLに踏み切るきっかけとなったチャットの時に出たのですが、モデムを買い取ってレンタル料の元が取れるまでに、いちばん安いモデムでも2年余りかかります(13000円)。しかもこのいちばん安い機種は1.5Mbps専用ですが、NTT東日本管内の8Mbps提供地域はどんどん拡大していますから、私の住んでいる地域も今から数ヶ月後に8Mbps化する可能性が多分にあるわけで、そうなれば8Mbpsに切り替えたいと思うに決まっています(8Mbpsと1.5Mbpsの基本料金は月額200円しか違いませんから)。それなら今から8Mbps対応のモデムを用意するとして、これをNTTから買い取ると18000円、レンタル料の元が取れるまでに3年かかります。アナログ回線をISDNに切り替えてから1年半(フレッツISDNにしてからだと1年足らず)でISDNを止めてADSLにすることにしたくらいですから、今の技術革新とその普及の速さを考えれば、3年後には光ファイバーが全国的に普及しているはずで、これから加入しようとしている1.5MbpsのフレッツADSLなんか、今「1200bpsのアナログモデムで電話回線につなぐ」というのと同じくらい時代遅れのネット接続環境になり果てているはずです。
次に工事費用は、自宅側の接続作業を自分でやると3000円、NTTに依頼して人を派遣してもらうとそれに1万円ほど上乗せというので、今の室内を他人に見られたくない電話機とパソコンをつなぎ替えるくらいの作業は自分でできるつもりですから、自宅側の作業は自分でやると言いましたが、すると万一ADSLが開通しなかった場合、派遣工事ならその場でISDNに戻せるが、自分でやるとISDNに戻すのに1週間くらいかかるといいます。アナログ回線をISDNに切り替えた時には、切替がうまくいかない可能性があるなんてことは言われなかったので、ADSLって思ったより不安定な技術なのでは?と不安になってしまいました。
ADSLは、最初から100Mbpsのデジタル信号を流すために作られている光ファイバーと違って、明治時代からアナログ信号を流すのを本来の用途として敷設されている銅線に、従来のアナログ通信(最大57.6Kbps)の十数倍から100倍以上の信号を流そうというのですから、根本的に不安定な技術、光ファイバーが普及するまでの過渡期の技術の域を出ないのかもしれません。

フレッツADSLとセットで、市内と県内市外のマイラインを、NTT東日本をマイラインプラスで登録することにしましたが、県外と国際はNTTコミュニケーションズにマイラインプラスで登録することにしたのは、前に書いた通りです。
NTT東日本にDM同封の書類を返送して申し込んだ後、NTTコムから書類を取り寄せて申し込んだのですが、25日くらいにそれが返送されてきて、「捺印がない」
先方から送ってきた料金別納の封筒に入れてまた送ることになりましたが、社会人になって満7年になるというのに、何をやっているんでしょうね、私って。
(3月27日アップ)

3月24日(日)
昨夜も午後11時を過ぎてから、行きつけのチャットルームへ行き、午前4時過ぎまで長っ尻をしていました。
16日の項に書いた、「お昼寝宮」の閉鎖直前にはわいこなさんが寄贈されたSSの処遇については、さんとなりぽしさんの間で話し合いが持たれたようで、なりぽしさんが寄贈されたSSとともに、「麗子となりぽしの部屋」で昨夜公開されました。
同時公開されたSSにはもう1本、はわいこなさんが なりぽしさんに私的にお贈りされたSSもありました。詳しい内容はここでは触れませんが、なりぽしさんの作品と共通して、「新藤麗子と篠原いずみの間に芽生えた友情は、これからもずっと、ずっと続いていく」というモットーを謳い上げている、と言っておきましょう。具体的な内容と比べてみると……ちょっと綺麗事すぎますかね?
それとは別の話になりますが、22日に相互リンク記念CGをお贈りした藤咲はじのさんの「なちゅらりすと」が、4月下旬(正確な日付までは不明)で開設1周年になるそうです。
サイトのトップページには「2001年4月」としか書いてなかったので、いい機会だし何かお贈りしたいけれど、もし正確な1周年が4月1日(当サイトと同じ)だったらちょっと間に合わないなぁ、と思ったのですが、下旬なら何とかなりそうです。はじのさんのお気に入りのキャラは、「同級生2」では桜子が上位に入っている(一番は可憐だそうです)そうなので、季節と引っかけて桜子で1枚描いてみようか、とか。何のことはない、2年前にも同じことを考えていたのです。
と発言したら、はじのさんに「『Flutter of Birds』とのクロスワールドはどうですか?」と提案されました。友美と白風は狙いすぎとしても、同じ竹井正樹氏の原画のゲームですし、Flutter of Birdsのシチュエーションは桜子にぴったりなのですが、いかんせん…………です。その場での私の返答は「・・・・・・・・・・・・・・1年後でよければ」でした。(弱気すぎ)
今朝になってからアパートの外へ出てみると、近所の桜が次第に咲き始めています。「桜子で1枚描く」意欲が湧いてきました。

3月23日(土)
昨年、あるチャットルームでお知り合いになった藤咲はじのさん(「なちゅらりすと」管理者)には、先月23日に20000HIT記念CGを頂いたり、なちゅらりすとと当サイトを相互リンクさせていただいたり、最近とみに懇意にしていただいています。
そして先日は、ありがたくも相互リンク記念CGまで頂いたので、私としても何か、お返しを差し上げなければ、と思っていました。
20日になってやっと重い腰を上げ、「2001年〜」以来2ヶ月ぶりに色鉛筆を執って、相互リンク記念絵を描き始めました。それが昨夜完成したので、はじのさんにお贈りしました。
はじのさんに相互リンク記念CGを描いていただいた際には私の好みを言って、わざわざネレイドを描いていただいたのですから、こちらから描いて差し上げるとなれば はじのさんのお気に入りのキャラで、できることならばシチュエーションも はじのさんに喜ばれそうな、あるいは贈り先サイトにふさわしい絵を描くことになります。

そういうわけで久しぶりに絵を描いたのですが、当サイトでは公開いたしません。
ご覧になりたい方は、寄贈先の「なちゅらりすと」へどうぞ。

3月20日(水)〜22日(金)
3月も下旬に入り、春分を迎えました。20日の夜のチャットでも、関東地方ではもう桜が咲いていて、今週末が花見のピーク、というような発言がありました。今年は桜の開花が平年よりも早いようです。
といっても新潟県は関東地方より桜の開花は遅いので、私のアパートの周りではまだ咲いていません。東北地方在住の方は、ようやくフキノトウが咲き始めた、と言っていました。

ですが私の心は、ちょっと冬に戻っています。
9日に長岡へ行った時に成分献血をしてきて、その検査結果が22日に届いたのですが、また肝機能の数値に異常が出て、「あなたの血液は輸血に使用できませんでした」と書いた紙が挟まっていました。
肝機能の数値というと、前に一度、献血ルームで採血したその場で献血を断られるほど数値が上がったASTはあれ以来標準域に収まっていて、γ-GTPも特に問題はなかったのに、今度はもう一つの数値ALTが61(標準域は5〜45)まで上がったためでした。
実際のところこれらの数値は、標準域をちょっとでも外れているとアウトというのではなくて、標準域が10〜65であるγ-GTPが89で献血OKだったこともあるのですが、あまり大きく外れると不可になるというのは当然のことです。
実は昨年9月に献血を断られた時のALTが58で、その後もだいたい50台だったのです。今回とうとう危険水域に踏み込んでしまったことが明らかになったので、なんとかしなければなりません。
ALT高値の原因は「飲酒、過食、肥満、肝炎ウイルス、薬剤、激しい運動」ということで……
いよいよ禁酒とダイエットに取り組まなければならないようですな。花見の季節を前にして……。
(3月22日アップ)

3月19日(火)
11日からトップページでお知らせしてきましたが、ニフティのサーバのメンテナンスのため、当サイトが閲覧できなくなるのは、今日の午前2時から午前8時にかけてが2回目で、最後に3月27日の午前2時から午前5時にかけて1回あります。あと少しの辛抱です。
あと少しといえば、当サイトの開設2周年もあと少し、十日余りです。しかしその日がエイプリルフールの日だからといって、
「満2年を期して当サイトは閉鎖しました」→「エイプリルフールでした」
とやったら、「お昼寝宮」を通じて知り合った方々あたりからは、大ひんしゅくを買うでしょう。
ですからそれはやりません。悪ふざけをするなら、もっと別の方法を。腹案はあります。

3月18日(月)
昨夜遅くパソコンを起動して、メールチェックしてから掲示板を見ると、当サイトの掲示板では初めての方から書き込みがありましたが、そこに書いてあったURLを見に行った先に何があったか、それを見た私がどういう反応をしたかは、こういうレスをつけたと言えば充分でしょう。
へ(*^^*)へ ノ(*^^*)ノ へ(*^^*)へ ノ(*^^*)ノ へ(*^^*)へ ノ(*^^*)ノ
……はしゃぎすぎました。この恥ずかしい私を笑い飛ばしてやって下さい。
それにしても、この写真を見せて下さった方がカスタマイズドールのサイトを開いていることは、私は前から知っていたのですが、その方のサイトの掲示板に書き込みをしたり、メールを出したりチャットルームでお話ししたりといったことは一度もなかったのに、どうして私のこと、なかんずく私が友美萌えであることをご存じだったのか、不思議です。

今日の更新では、まず昨日掲示板に書き込みのあったドールサイトをリンクページに登録します。それにともなって、リンクページの書式を少し変更しました。
それから、1号館5号室に収蔵している、今年に入ってから頂いた画像作品が、H.Saitouさんの最新作で13点になったので、1号館に6号室を新たに設け、3月に入ってからの2点を移しました。
毎年1月の初めに年賀としていただいた画像作品の点数を数えると、サイト開設前の2000年には2点、サイトを開設して初めて正月を迎えた2001年には6点、そして今年は9点と、年を追って増えています。こうしてオンラインでの交友関係が広がっていくことには、改めて感謝したくなります。

ところで、──このことをここに書いていいものかどうか躊躇しているのですが、H.Saitouさんご自身のウェブ日記でも触れられているので、思い切って書きます──2月にH.SaitouさんからCGを頂いた時のことなのですが、初版を頂いたその日のうちに、差し替え依頼のメールが来ました。この時は、そのCGを公開するページを制作してサーバにアップする前に差し替えの依頼が来たため、当サイトで公開されたのは最初から修正版だったので、初版と修正版を頂いたことはその日の日記でも該当ページでも触れていません。
ですが、思い出せばずっと前、2000年の12月なりぽしさんからCGを頂いた時にも、いくらも日を置かずに修正版を頂いています。
その時には修正版を頂いたのが初版を公開した後だったので、修正版への差し替えのことを更新履歴に記載し、該当ページにもその旨を書いてあります。
修正版に差し替えた日の日記に書いたことを繰り返しますが、
CGに限らずどんな創作物でも、仮に制作当時は最善の作だと思っていても、後から見直すと修正したくなるところが出てくるのは、ごく当然のことです。
ただ、それを際限なく修正していったら、いつまでも完成しませんし、他の人に贈った物の場合、新版に差し替えてもらうのは送り先に負担を強いることにもなるわけです。
その点は、どうしたものだろうか、と思わないでもありません。
(3月19日アップ)

3月17日(日)
昨日までの日記と全然違う話題ですが、図書館へ新聞をまとめ読みしに行った折に、電子投票の導入が検討されているという記事を見たことから、考えたことがあります。
電子投票といっても、個人が自宅のパソコンから、ゲームキャラの人気投票に投票するようなやり方で投票するというのは、セキュリティを完璧に守れるか、本人確認をどうやって行うかといった問題があって、すぐには実現しそうにありませんが、投票所で投票用紙に候補者名を鉛筆で書いて投票箱に入れる今のやり方を、タッチパネル式とかマウスでクリックする式の機器を投票所に持ち込んで、有権者が操作するやり方に変えるというのであれば、機器の導入にそれなりの費用はかかりますが、すぐにでも実現しそうです。
よく言われている電子投票の利点は、開票が迅速に行えることだと思いますが(実際、即日開票のために徹夜で開票作業を行う人員の確保が難しいことが、電子投票の導入を求める大きな理由になっているようですから)、システムがきちんとしていさえすれば疑問票が生じる余地がまずないことのほうが、より大きな利点ではないかと思います。
そう思ったのは、もう1年以上前になりますが、2000年に実施されたアメリカの大統領選挙が史上まれに見る大接戦になり、フロリダ州のある郡で開票された数百票の疑問票の数え方次第で、ブッシュ候補とゴア候補のどちらが当選するかが決まる、という事態になったことを思い出したからです。
あの時問題になったのは、フロリダ州で大統領選挙の際に用いている投票用紙の方式が、候補者名の横にパンチで穴を開ける方式になっているのに、ちゃんと穴が開いていなくて穴の部分の紙片が用紙にくっついたままになっているのを有効投票とするかどうか、ということだったと覚えています。
ですが、──もしアメリカの大統領選挙や、あるいは来年実施される韓国の大統領選挙が、こういったマークシートのような方式でなかったら、つまり日本でやっているような「紙に候補者名を書く」方式だったら、疑問票の率は桁違いに跳ね上がるでしょう。
これは何も、アメリカや韓国の識字率が──なんていう、閣僚が口にしたら詰め腹を切らされること間違いなしの危険発言をするわけではなくて、アメリカなら同名、韓国なら同姓の候補者が出現する可能性が、日本のそれより遙かに大きいからです。
アメリカの場合を考えてみます。2000年の大統領選挙に出馬したのは、共和党のジョージ・ブッシュ候補と民主党のアル・ゴア候補だけではなくて、他にも有象無象の泡沫候補が出馬していたと思います。合衆国憲法に「大統領選挙に出馬できるのは共和党と民主党の公認候補に限る」なんて書いてあるとは思えませんから、選挙に出るだけなら誰だってOKでしょう。
そうやって出馬した泡沫候補の中に、ジョージ・○○候補やアル・××候補がいるということは、充分に考えられます。そこで日本式に候補者名を書いて投票する方式にしたとして、「ジョージ」「アル」とだけ書いてある票があったら、集計が非常に面倒になるのではないか?ということです。
しかも面倒なのは、アメリカ風の“愛称名”。「ジョージ」は問題ないですが、英和辞典によると「アル」はアルバートの愛称名だそうで、ですからゴア候補のファーストネームはアルバートだと思いますが、アルフレッドとかアレクサンダーというファーストネームを持つ候補が、奇をてらってか民主党陣営の攪乱を狙ってか「アル・△△」という名前で立候補を届け出ることを、法律は禁止していないと思うのです。
韓国の場合はもっとわかりやすいと思います。泡沫候補を考えなくても、有力候補に「金候補」が何人もいますから。
日本でも同姓あるいは同名の候補者がいた場合は、どちらに投票されたか判断できない票は一応有効票とし、どちらに投票されたか確実に判断できた票数に応じて按分することになっていますが(公職選挙法第68条の2)、戸籍名以外の名前で立候補することが制限されていないとすると、偶然同姓同名の候補者が立候補してしまったり、あるいは有力な候補者の攪乱を狙って故意に同姓同名で立候補した候補者がいた場合はどうするのか、ちょっとわかりません。
もし戸籍名まで同姓同名の候補者が立候補してしまったら、マークシートや電子投票を導入した場合でも、何らかの方法で区別できるようにしなければならないと思いますが、どうするんでしょうね? 同姓同名の候補者がいた場合についての規定が公職選挙法にあるということは、過去に前例があったからだと考えられますが、その際にどう対処していたのか、調べてみたいところです。
まあ何にしても、疑問票の行方をめぐって紛糾に紛糾しながらも、最後にはブッシュ候補の当選をゴア候補が認めたのは、民主主義の成熟の証でしたね。民主化を求める世論に押されて大統領選挙を実施したものの「政府当局は現職大統領が当選と宣言する→民主化を求める市民団体は対立候補の当選を宣言する→現職大統領が対立候補を投獄する→対立候補を支持する民衆が暴動を起こす→軍隊を投入して弾圧→独裁が続く」というパターンを踏んでいる国が、世界にはままあるようですから。
(3月19日アップ)

3月16日(土)
この日記がサーバにアップされたのをお読みになる頃には、もうご覧になっている方が多いと思いますが、H.SaitouさんからCGを頂いたので、1号館に公開しました。
そして夜が更けてから行きつけのチャットルームへ行くと、先日「お昼寝宮」の幕引きを見届けた顔ぶれ、なりぽしさん、はわいこなさん、H.Saitouさんがいました。私はまずH.Saitouさんに頂き物のお礼を言いますが、他の人たちの話題は、お昼寝宮の幕引き直前に なりぽしさんと はわいこなさんが お昼寝宮に寄贈された作品の今後について、でした。
なりぽしさんの作品は、お昼寝宮閉鎖後の今日16日、「さんのご好意により」という断り書きをつけて「麗子となりぽしの部屋」で公開されました。ご自分のサイトをお持ちの方はそれでいいのですが、はわいこなさんはサイトをお持ちではありませんから、このままでは はわいこなさんの作品は、以前に お昼寝宮に投稿された作品ともども、二度と日の目を見ることがなくなってしまいます。
サイトに投稿された、ご自分のサイトをお持ちでない方の作品が、サイトの閉鎖とともに安住の地を失って日の目を見なくなってしまうこと、これは投稿作品がたくさんあったサイトが閉鎖される際にはどうしても避けて通れないことで、すさんも お昼寝宮の閉鎖を告知してから、そのことを気にしておられたようです。
はわいこなさんの最後の投稿SSは、天巡 暦さんのサイト「恋姫達の社」に投稿するオムニバス風SSの一部だったということなので、恋姫達の社に再投稿されることになるのかと思いますが、なりぽしさんのSSがその設定を借りる形で書かれていることでもあり、居合わせた方の中には なりぽしさんのサイトで公開されることを望む方もいました。
これからのことは、関係者の方々の相談に待つしかありませんが、どうか優れた作品が後々まで残されるよう願うばかりです。
(3月19日アップ)

ページのトップへ戻る

←4月前半の日記へ   ↑2002年の日記へ   3月前半の日記へ→