2001年9月前半の日記
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9月14日(金)
ニューヨークとワシントンで発生した航空機によるテロ攻撃に対し、アメリカ政府は早くも実行犯を割り出し、テロ集団の本拠地に対する報復攻撃に乗り出す構えを見せているようです。力には力をもって、誤解を恐れずに言えばアメリカの正義を押し通そうとするアメリカに呼応して、NATOは創設以来初めて、集団的自衛権の行使に踏み切る──つまり今回のテロを全ての加盟国に対して加えられた武力攻撃と見なし、全加盟国が協同で反撃する用意があると表明しました。
こうなってくると、日米安全保障条約に基づく集団的自衛権は「保有しているけれど行使できない」という奇妙な公式見解を持っている日本政府の出方が気になるところです。現行法の解釈では日本にある米軍基地が攻撃されても自衛隊が防禦に参加することもできないらしいですが、そんなことは言っていられなくなるのではないでしょうか。
そもそも日本政府の姿勢は──こういうことを書くと、私がそこら中にいる自国の政府をよく考えもせずに批判することしか楽しみがない連中の同類と思われる恐れがあるのですが、11日の夜に小泉総理の第一声として報じられた「何だかわからない、怖いことだ」というあたりが露呈しているような気がします。アメリカ政府はこの時までには「これはテロだ、我々はテロリストを裁く」と表明していましたし、ヨーロッパ各国とロシアの首脳も同じような表現をしていたと思います。

興味本位と言われてしまえばそうなのですが、現地時間で11日の夜にブッシュ大統領がアメリカ国民に対して行った演説の原文を、ホワイトハウスのホームページへ見に行ってみました。読んでいて、「アメリカだなぁ」と思ったのは後半の一節です。
And I pray they will be comforted by a power greater than any of us, spoken through the ages in Psalm 23: "Even though I walk through the valley of the shadow of death, I fear no evil, for You are with me."
非キリスト教徒、中には今回の事件に無関係とはいえイスラム教徒も、アメリカ国民には大勢います。それでも大統領が国民に向けてこのように発言しても何の違和感もない国。日本で政府首脳が「神の加護を」と言ったら、真っ先に連立与党から言いがかりがつくでしょう。

さて話は一変して、毎度おなじみの「下級生リレーSS」の順番が回ってきて、今夜が締切なのですが、全く文章が思いつかないまま、時間切れでパスしてしまいました。
前回の結末に続けることができず、「その頃○○は〜」の場面転換も思いつかずじまいでした。
凹んでいても始まらないので、明日のオフ会に向けて、今夜は早く寝ることにします。
何しろオフ会は夕方からなのに、列車の都合で午前6時出発ですから・・・。

9月15,16両日はオフ会のため上京します。
よって16日深夜あるいは17日まで更新を停止します。

9月12日(水)〜13日(木)
11日の夜から全世界を(誇張でなく)席捲している大ニュース──アメリカ、ニューヨークの貿易センタービルと国防総省に対する、民間航空機による自爆テロについては、私がいつも巡回しているサイトのうち、日記をコンテンツにしているどのサイトも取り上げています。
そもそも私がこの事件を知った経路というのが、11日の午後11時頃に日記をアップしてから巡回していて、今仕事でアメリカ東海岸に出張しているお知り合いの方のサイトの掲示板に、「○○さんが航空機突入テロおよびそれに伴うパニックに巻き込まれている可能性がゼロではないので」という書き込みを見つけたことでした。何事かと思ってテレビをつけると、旅客機が高層ビルに衝突する瞬間が映っています。
初めのうち、貿易センタービルにオフィスを置いていた日本企業の関係者は、大部分が「無事を確認」と報じられていたので、超高層ビル2棟が全壊するという被害の激しさの割には人的被害は少ないかと──飛行機が突入してからビルが崩壊するまで数十分の時間があったことが幸いして──と思っていたのですが、時間が経つにつれて犠牲者数が増えていきます。ハイジャックされた飛行機4機に乗っていた合計二百数十人はまず確実に全滅として、貿易センタービルで数千人、国防総省でも数百人ということで、被害の全貌がわかるにはまだ時間がかかりそうです。思い起こせば阪神大震災の時も、当日の夕方に出先でラジオのニュースを聞いた時には、死者は百数十人と言っていたのに、最終的には五千人を超えたのでした。
ニュースを見ていて「こんな事もあるのか」と思ったのは、第一に、超高層ビルの中ほどに飛行機が衝突してからしばらく経って、衝突箇所より上の階が崩落し、それによってビル全体が崩壊したことです。110階建てのビルの70〜80階あたりに衝突した結果、そのすぐ上が崩れるのは何となくわかりますが、上の方が崩れてきた衝撃で衝突箇所より下が全部崩れたとなると、もしかしてアメリカの超高層ビルは、地震国日本の私たちが考えるよりずっと脆弱なのではないか、という疑問が湧いてきます。
それから、テロの武器に使われた民間航空機ですが、テレビの報道によると現地時間の午前8時頃(飛行機の突入は、貿易センタービルが午前8時45分と9時3分、国防総省が9時45分)ボストン・ワシントン・ニューアークを相次いで離陸し、しばらくしてハイジャックされたということですが、飛行機がハイジャックされてニューヨークやワシントンに向かっているということを、地上の管制塔が把握できなかったのか、という大きな疑問が湧いてきました。ハイジャックされたということを乗客が携帯電話で地上に知らせたくらいですから、パイロットが地上に何も知らせなかったのはおかしい、と思ったのです。いつだったか日本国内で旅客機がハイジャックされた時には、発生直後に地上に通報が行ったはずだったと覚えていましたから。
その点については後の報道で、犯人グループがよくあるようにパイロットを武器で脅迫したのではなく、ハイジャックされたというコールサインを発する暇も与えないほど、極めて手際よくパイロットを無力化して飛行機のコントロールを手中に収めた可能性を知って、納得したところです。
敵ながら天晴れ──と言うとあまりにも不謹慎ですが、報道を見るにつれて、周到に計画されたテロだという思いを強くせざるを得ません。4機の旅客機、それも大陸横断飛行をするために大量の燃料を積んだ飛行機を離陸直後にハイジャックして、さながら「有人誘導ミサイル」のように使う巧妙さ。2棟のビルに対して北と南から相次いで突撃した役割分担の的確さ。そしてその後に起こった事態は、超高層ビルの中ほどに衝突すれば、そこから上が崩れる衝撃でビル全体が崩れることが計算済みだったとしか思えません。日本でジャンボジェット機をハイジャックした犯人の動機が「ジェット機を操縦できることを誇示したかった」と聞いて私が怒るよりも前に失笑した時、「ジェット機は素人が操縦できる物ではない」とコメントしていた識者がいたのですが、その素人が操縦できる物でないジェット機を操縦して、過たず目標に命中させたのですから、4機の飛行機をハイジャックしたそれぞれのグループに、プロ並の腕前でジェット機を操縦できる人間がいたことになります。
ボストン他の空港のチェックが4機同時ハイジャックを阻止できなかったことを問う声も聞こえてきます。爆破テロに対する委託手荷物のチェックが厳重になった反面、ハイジャックに対する機内持ち込みのチェックが日本よりも甘いとか、国内線の警備が国際線よりも緩いところを突かれたとか言われていますが、これだけ訓練されたテロリスト集団が犯人となると、どうやってもハイジャックを防ぐことは不可能なのではないかという気がしてきます。ハイジャックにナイフが使われたと聞いていますが、仮にナイフだけでなく日本の国内線がそうであるように鋏やドライバーも機内持ち込み禁止、いやそれどころかボールペン1本に至るまで機内持ち込みを禁止したとしても、です。
今回のテロに使われた最大の凶器は、いかなる方法でも機内持ち込みを防げない、犯人の「頭脳」──乗っ取ったジェット機を操縦して目標に命中させる能力だった、という趣旨の文章がここにあります。それと似たようなことを言うだけなのですが、凶器が「拳」だったら──複数からなる犯人グループが格闘術の熟達者だったら、格闘術の心得のない丸腰の乗務員など、たちどころに無力化してしまえるはずだからです。

このテロ行為に対してアメリカ政府は、アメリカに対する宣戦布告と受け止め、テロリストだけでなくそれを支援し匿う者全てに対する報復を宣言していますが、そこでふと思うことは、60年前の出来事です。
ヨーロッパ戦線に対して、イギリスを助けるというくらいの目的で限定介入していたアメリカが、アメリカ合衆国本土に属する真珠湾で、他ならぬ日本の航空機によるテロ行為(宣戦布告なしの雷爆撃)を受け、これによって挙国一致して対日全面戦争に踏み切ったこと。それから4年足らずで、真珠湾にテロ攻撃を加えた「自由の敵」は、数百万人にのぼる非戦闘員の犠牲者を出し、ほとんどの都市を焦土と化した末に降伏しました。その終結直前には、一発で十数万人の犠牲者を出す最終兵器が使われたことは、誰も否定できない事実です。
もちろん私は、今回の事件を起こしたテロリストを擁護するつもりはありません。しかしテロリストに対するアメリカ式の「報復」が、ニューヨークとワシントンで失われた人命の、幾倍幾十倍の犠牲を強いることになるのか、それは想像がつきません。テロリストだけでなく、アメリカ国民に対しても。
テロリストの素性とその背後にある者がまだわかっていない段階で、うかつな発言はできませんが、仮にもしキリスト教以外の宗教を信仰する者が今回のテロ行為の実行者だとしたら、これに対するアメリカの戦いは、ベトナム戦争よりさらに絶望的な戦いになるでしょう。
宗教戦争と他の戦争との最大の違いは、宗教戦争には「損得勘定」が働く余地がないことです。例えば領土獲得のような利益が目的の戦争だったら、「今その戦争を起こしたら国際社会から袋叩きに遭う。そのリスクは戦争に勝って得られる利益より大きい」という抑止力が働く余地があります。国際社会を敵に回すリスクは、クウェートに侵攻したイラクがどうなったかを見ればおわかりでしょう。
しかし国家を宗教戦争に駆り立てる原動力は「憎悪」、あらゆる理性を後ろへ押しやり、損得勘定の働く余地を消し去る、人間が持つ最も強い情動です。しかも宗教戦争を戦う者は自らの戦いを「聖戦」として正当化する絶対の信念がありますから、行き着くところは「聖戦で異教徒と戦って死んだ者は、殉教者として天国に迎え入れられる」といった確信になり、これを持つ者は死を恐れなくなります。
今回のテロもそうでしたが、中近東で自爆テロが後を絶たないのは、テロリストが死を恐れないからです。自分1人が死んでも、それによって異教徒を2人以上死なせることができれば聖戦完遂なのです。正気の沙汰ではないと言ってしまえばそれまでですが、そんなテロリストを最後の1人に至るまで殲滅しようとしたら、一体どれくらいの犠牲を払わなければならないか……。宗教戦争ではありませんが、太平洋戦争末期、小笠原硫黄島で日本軍二万一千人と戦ったアメリカ海兵隊が、島を占領するまでに六万人の兵力を投入し、二万六千人の死傷者を出したことを挙げておきましょう。第二次世界大戦で、勝った側の人的被害が負けた側のそれを上回った類い希な例として。
(9月13日アップ)

9月11日(火)
ニュースによると、日本で初めて狂牛病の疑いのある事例が報告されたようです。
狂牛病──医学的には牛海綿状脳症(Bovine Spongiform Encephalopathy)といい、1980年代からイギリスで牛に大発生していた病気で、この病気に罹った牛の臓器を食べると人間も感染して変異型クロイツフェルト・ヤコブ病という病気に罹る可能性があるとされたことから、大問題になっている病気です。
この病気に罹った牛の肉や乳を食べても感染することはない、つまり牛乳を介して母牛から子牛へ伝染したのではないとされている病気ですが、イギリスで流行したのは、病死した牛の死骸の、病原体を含む部位(脳・脊髄・眼球に多いとされています)を粉砕して牛の飼料にしていたことが原因とされています。そもそもこの病気が牛に発生したのは、狂牛病によく似たスクレイピー病という羊の病気が昔から知られていましたが、スクレイピー病で死んだ羊を牛の飼料に使ったことが原因と考えられています。
ですから、いつだったか新聞か何かで読んだのですが、この病気は自然の摂理に反した、経済効率に目が眩んだ畜産業の歪みがもたらした病気だという言葉がありました。そもそも牛は草食動物ですから、野生時代からずっと、死んだ羊の脳や脊髄を食べるなんてことはなかったはずなのです。それを、早く肥らせるために動物性の飼料をやるようになって、その際にいちばん安価に利用できた、病死した動物の死骸を利用した結果がこれなのだと。天罰という言葉を軽々しく使うのはどうかと思いますが、この狂牛病の流行に関しては、ヨーロッパの人ならこういう言葉を使いたくなるんだろうなあ、と思ったものです。
いつ頃からかはよく覚えていませんが、献血の際の問診項目に「1980年以後に6ヶ月間以上ヨーロッパに滞在していましたか」という項目が加わったのに気づいていました。変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の輸血による感染の可能性はよくわかっていないようですが、安全を期して、ヨーロッパで長期間にわたって牛肉を食べていた人からは献血を受けないことにしているようです。
日本で狂牛病を発病した牛が出た、その伝染源としては、輸入された動物性飼料の疑いが濃厚とされています。ヨーロッパで狂牛病が流行し始めてから、動物性飼料の輸入を自粛する通達が出ていたそうですが、実際には昨年くらいまで輸入されていたらしく、「日本でも狂牛病が発生する可能性がある」と、どこかで話題になったのを思い出しました。
どれくらいの人が知っているかわかりませんが、日本の畜産業は飼料の大部分を輸入に頼っています。そればかりか、厩舎の敷きワラまで輸入しているということを、昨年知りました。
世界的に発生が相次いでいる重大な家畜伝染病の一つである口蹄疫が、昨年3月に、92年ぶりに日本で発生しましたが、その伝染源として、口蹄疫が流行している国から輸入されたワラが疑われていたのです。口蹄疫は狂牛病に比べて伝染力が非常に強く、流行している国から帰国した人は靴の底をよく消毒するようにと指示されているくらいだそうです。
日本は島国であることが幸いして、動物伝染病に関しては世界でも指折りの安全な国とされていますが(狂犬病が発生していない国は、日本やオーストラリアなどごくわずかです)、その安全がいつ覆されるかわからないということを、心しておかなければならないのかと思います。

9月10日(月)
今日9月10日は、屋外広告の日、カラーテレビ放送記念日だそうですが、インターネットの一部では保科智子の誕生日として知られているようです。
「下級生」のようにプレイ期間が通年にわたるゲームには、それぞれのキャラクターの誕生日が設定されているゲームがよくありますが、「ToHeart」は下級生と違ってプレイ期間が通年にわたるゲームではないためもあってか、もともとのWindows版には誰の誕生日も設定されてはいません。
ですがWindows版が大変な人気を博し、アナログ・デジタルを問わず二次創作が世上に溢れるに至って、「誰それの誕生日は何月何日」という設定がてんでばらばらでは具合が悪いというのでしょうか、PlayStation版が発売されるまでには、制作サイドからオフィシャル設定としてメインキャラ8人の誕生日(HMX-12マルチの場合は起動された日なのでしょうか)が決定されていたようです。
さてそれで、智子のファンサイト「いいんちょ普及委員会」では、サイト開設以来の恒例行事として9日の夜にカウントダウンチャットをやると告知されていたので、私も明日の仕事に差し支えない程度に参加することにしました。
ここのチャットは前にも書いたようにIRCチャットですが、IRCはインストールなどが初心者にはちょっと難しいと思われているのか、今夜限りの臨時チャットとして普通のウェブチャットも設置されています。そこで両方にログインして、両方で会話に加わっている人が、私の他にもいました。
チャットルームによっては、ボットと呼ばれる物があって、チャット参加者と同じように発言しているチャットルームがあります。委員会のIRCチャットにはその名も「いいんちょ」がいて、こんな具合に発言しています。
(ログを抜粋、一部改変)

--- ym_800(~ym_800@************.ppp.infoweb.ne.jp) がチャットに参加しました。 (22:57)
--- [_marry] いらっしゃい〜
--- [_iincho] よお遊びにきたね、800君、ゆっくりしていってな。

--- [_iincho] 11時やでー
--- [_iincho] http://www7.cds.ne.jp/~yuni/cgi-bin/tvote/tvote.cgi?event=moe_c
--- [_iincho] http://www5.lunartecs.ne.jp/~pandaya/cgi/leaf.cgi/
--- [_iincho] http://www2.azaq.net/vote/100/vote.cgi?toyo2
--- [_iincho] 闘票したってや〜☆

--- [********] いいんちょ、今何人?
--- [_iincho] ここには、私も含めて19人おるで☆

--- [ym_800] いいんちょ、どういう単語に反応するのかな?
--- [*******] ええと、もみもみ、ふにふに、眼鏡とって、脱いで、ちゅっ、蹴って、それから……
--- [*********] (いいんちょは基本的な"無能系BOT"なので一定の単語にしか反応しませんぞよ)
--- [*******] いいんちょ、もみもみ(^^ゞ
--- [_iincho] 家事に追われている***君、肩揉んでくれるんか。わるいなぁ。毎日塾で肩が凝ってしゃあなかったんよ
--- [ym_800] 見覚えがあるのは「マック」「大阪」
--- [_iincho] だから大阪やなくて神戸や言うとるやろ!?

--- [**] なんか大阪に来るそうですがどうしたものか(笑)
--- [_iincho] うちとこ大阪ちゃう、神戸や!
--- [**] 大阪オフ?(笑)
--- [_iincho] うちとこ大阪ちゃう、神戸や!
--- [**] 黙れロボット(笑)
--- [**] 今週?
--- [ym_800] いいんちょ過剰反応中(笑)
この夜はいいんちょボットだけでなく、開発中の毬依というボットも稼働していました(2行目で発言しています)。これは特定の単語に反応したり時報を告げたりするのではなくて、会話に出てくる単語を分析してランダムに会話に割り込んでくるという、何やら「人工知能」らしい仕組みになっているそうですが、いかんせん開発中で学習途上のため、人工知能と呼ぶには程遠い状態でした。

さて人工知能とか学習というと、ToHeartに出てくるHMシリーズのロボットを思い浮かべるのですが、それについてふと気になったのは、学習した成果に基づいて自律的に判断して行動するロボットの責任能力という問題です。
現在の産業用ロボットのように、工場のライン上で定型的な動作だけをしている分には問題化することはないでしょうが、家事補助や介護補助を主たる用途として、家庭で稼働し始めると、さまざまな状況に対して臨機応変に判断して行動しなければなりません。その際に学習が不充分であったために判断ミスを犯して、その結果として使用者に損害を与えた場合、ロボットの製作元が責任を負わされることになるのかどうか、ということです。
ゲーム本編に即して言うと、HMX-12は「ミートスパゲティーを作る」というタスクを実行しようとしたにもかかわらず、そのタスクに習熟していなかったためにタスクを遂行できませんでした。その時の使用者はそれを受け容れて責任追及をしなかったわけですが、量産型のHM-12が普及してくれば、どこかに責任を負わせようとする使用者がいてもおかしくありません。
しかし、例えば家事補助ロボットにバッテリー切れを感知する機能がなかったというのであれば、これは誰が見ても製作元の設計ミスで、それによって生じた損害に対しては製作元はPL法に基づいて責任を負うことになると思いますが、製作元の手を離れて使用者の手に渡ってから相当の期間を経た後で、「ロボットが当然このくらいのことは学習しているだろう」と使用者が予想してロボットにタスクを課したのに、使用者が予想したほどロボットが学習していなくてタスクを遂行できなかったとしたら、その結果生じた損害に対して製作元は責任を負わされるのかどうか。
あるいはもっと、ロボット自体の責任能力が問われそうな状況が考えられます。家事補助ロボットが留守番している時に、悪徳セールスや霊感商法の勧誘が来たとします。ロボットがそれを断れずに(「人を疑う」なんてアルゴリズムを搭載しているとは思えないあのHMX-12が、悪徳セールスや霊感商法の勧誘をきっぱりと撥ねつけられるとは、私にはとても思えないんですよ)契約させられてしまったとすると、これはきっとロボットが使用者の意に反して使用者に経済的損害を与えたことになるでしょう。それは、霊感商法を見抜けなかったのはロボット自身の責任なのでしょうか、それだけの学習能力をロボットに持たせられなかった製作元の責任なのでしょうか、ロボットを教育しなかった使用者の責任なのでしょうか。
もし製造元の責任になるとしたら、こんなリスクの大きい商品を製造販売しようとする企業はなくなるでしょう。使用者の責任になるとしたら、誰も家事補助ロボットなど買わなくなりそうです。
問題を面倒にしているのは、学習機能によって、ロボットの判断力が出荷時から次第に向上していく(ことが想定されている)ことです。出荷時には右も左もわからなかったロボットが、学習を重ねて霊感商法を撃退できるようになっていくとすると、ロボットの責任能力が問題になった時に備えて、いつの時点でどれくらいの判断能力が備わっているかを客観的に判定できるようにしておく必要があるでしょう。
といっても実際にそれを行うのは非常に困難でしょう。製作元としても、例えば「HM-12の出荷時の判断能力は3歳児相当、HM-13のそれは義務教育修了相当」と表示することを良しとするかどうかは大いに疑問ですし。
(9月11日アップ)

9月9日(日)
体調が回復し、天気も良くなったので、思い立ってプリンタを買いに行きました。
今までプライベートではプリンタを使うことがほとんどなく、毎年数枚しか出さない紙の年賀状を出す時も全て手書きで出していましたが、デジカメで撮った写真をプリントアウトしたり、オフ会用の名刺を印刷したりするのに、職場のプリンタを使うのも気が引けるので、それほど高い買い物でもないなら自前で買おうと思ったからです。
新潟市のパソコンショップには、EPSONとCanonの他にもHewlett-Packardや富士ゼロックスのプリンタが陳列されていましたが、値段が安くて性能も悪くなさそうな富士ゼロックスのプリンタについて、店頭の展示では性能がよくわからないので質問してみたところ、インクカートリッジが手に入れにくいからこの機種は勧めないと言われました。
プリンタは、パソコンの周辺機器の中では消耗品が多い物です。消耗品の入手が困難なのでは使用に差し支えるのはもっともなので、EPSONとCanonから選ぶことにして、結局職場で同じシリーズを使っていたEPSONのPM-720Cにしました。最新型のPM-780CSより1つ前の型になりますが、値段ほどの性能差があるのかどうかわかりませんでした。帰りに町の電器屋や文具屋に寄ってみても、売っているインクカートリッジはこの両社だけのようです。
さて買ってきたプリンタを、パソコンのプリンタポートに接続してみると、印刷できません。パソコンを買ってから2年あまり、プリンタポートをずっと空けたままにしてあったからかもしれません。
幸いこの機種はUSB接続できる機種ですが、2つあるUSBポートにはタブレットとデジカメが接続されているので、また町へ出かけてUSBのハブ(4つ口)を買ってきて接続します。これで、パソコン上で見ている物を印刷できるようになりました。
そこで印刷して自分で眺めて楽しむような物となると、さしずめ「ジークフリート」以後のCGの原版でしょうか。「三乙女の礼拝」までは原画を50〜72dpiでスキャンして、そのままのサイズで完成版のCGになるように制作してきましたが、「ジークフリート」以後は原則として200dpiで原画をスキャンし、CGの原版を仕上げてから縦横とも3分の1に縮小して公開しています。
その原版を200〜300dpiで印刷すると、A4の紙にちょうど収まって手頃な大きさになります。写真を印刷するための光沢紙に印刷すると、縮小したCGをパソコンのモニタで見るよりはるかに見栄えがします。
それを見ているうちに、ふと「これをイベントで売ったらどうだろう」などという妄想が頭をよぎりますが、身の程知らずな暴挙はしない方が身のためでしょう。無料のホームページに公開していてすら見てくれる人がほとんどいないのに、イベントで金を取って売れるなどと思う方が間違っています、きっと。
(9月10日アップ)

9月8日(土)
急に涼しくなってきて今日は雨模様。そんな日にチャットで夜更かしした後、夏物の寝具のままで寝ていると、てきめんに体調を崩します。
病気をしないのも社会人の責務、というより、自己管理ができることが社会人の最低条件なのだとすると、今の私の状態ははなはだそれに相応しくないことになります。
ちょうどそんな時に、アメリカ大リーグの伊良部選手が解雇されたというニュースを耳にしました。その理由というのが単なる成績不振ではなくて、酒を飲み過ぎて体調を崩したことが「体調面で万全であることなどを定めた契約書に違反する」とされて謹慎のうえ解雇というのですから、プロスポーツの世界はシビアなものです。
それはそうとして、いつもだと多少風邪気味なくらいでは風邪薬を飲むだけなのですが、つい先日肝機能の数値に大幅な異常値を出していると、ちょっと風邪気味に感じても、単なる夏風邪なのだろうか、それとももっと重大な疾病の前兆なのだろうかと不安になります。
不安になっているだけでは有害無益なので、きちんと検査してもらうべきです。その上で、食生活を改善するなり何なり、然るべき対処を取るべきなのですが。
(9月10日アップ)

9月7日(金)
昨夜のWindows版「同級生」のプレイは、ゲーム中の日付で8月18日まで進みました。ゲーム全体のタイムスパンが、ちょうど8月10日の日曜日から始まって8月30日の土曜日で終わる3週間になっていますが、シナリオの進行から言っても第1週(8月10〜16日)が序盤、第2週(17〜23日)が中盤、第3週(24〜30日)が終盤となっていて、プレイしていても、そろそろ中盤にさしかかってきたな、という感じがします。
ネタバレにならない範囲で、ちょっと気づいたことがあります。主人公と同じ学校に通っていて、主人公が最初から知っている女性キャラの一人である仁科くるみが、主人公を「○○先輩」と呼んでいることです。DOS版では同学年の設定だったと記憶しているのですが、聞くところによればDOS版に1ヶ所だけ、デバッグ中に見落とされたかのような「先輩」という台詞があったらしいです。それがどういうわけかWindows版では、主人公の後輩という設定に変わったようです。
ところで同級生のような、高等学校を主たる舞台にしたゲームの場合、主人公(プレイヤーキャラ)の学年は、高校2年に設定されることが多いような気がします。知っている範囲では「アトラク=ナクア」「With You」「Kanon」「雫」「ToHeart(厳密には高校1年の3月から高校2年の5月)」「星空☆ぷらねっと」「みずいろ」「ONE」といったところが高校2年と明示されていて、「真・瑠璃色の雪」も主人公は高校3年でないことが推測されます。elfの「同級生」「同級生2」「下級生」三部作の主人公が高校3年に設定されているのは、むしろ例外的でしょう。
そのように設定している理由は、大方想像がつくとおり、同じ学校の中に「先輩」と「後輩」を配置することが極めて容易にできるからです。事実、上に列挙した、主人公が高校2年であるゲームの中には、先輩も後輩も配置されていないゲームはありません。
しかしそういうゲームの全てが、主人公を取り巻くキャラクターの中に主人公と異なる学年の生徒が存在していること──特に「先輩であること」に、シナリオ的に不可欠な必然性を持っているかとなると、どうもそうではないような気がします。
具体例を挙げれば、ToHeartの来栖川芹香と、Kanonの川澄舞と倉田佐祐理が、主人公より1つ上の学年であることに、シナリオ的な必然性が、私には感じられないのです。それどころかKanonの2人に至っては、どこかのサイトで見たのですが「高校3年の1月に授業があるの?」なんぞというツッコミを受ける有様です。
そう思ってみるとこの3人には、前にも日記に書いたかもしれませんが、高校2年である主人公が彼女たちに対して敬語を使わないという、奇妙な共通点があります。ToHeartの主人公もKanonの主人公も、敬語を使う能力が欠如しているとか敬語廃止論者というわけではないらしいのは、前者は長岡志保がつき合い始めた橋本先輩(覚えていますか?)に対して、後者は叔母に当たる水瀬秋子に対しては敬語を使っていることから明らかです。
とするとこの3人が高校3年とされているのは、敢えていやらしい言い方をしますが、ただ単にシナリオライターが「先輩」という語感に憧れただけではないのか、という気がしてきます。 そうすると今度は逆に、主人公が高校3年であるelfの三部作において、主人公が「先輩であること」のシナリオ的な必然性があるかどうか──「高校3年であること」の必然性ははっきりしています。同級生2において特に顕著ですが、「主人公とその同級生たちの卒業後の進路」がゲームの背景に一本通っていますから。高校までが事実上義務教育化した現代の日本では、高校卒業に際しての進路選択が、最初に直面する「人生の岐路」であろうかと思います──が気になってきます。それは、DOS版の「同級生」で主人公と同学年だった仁科くるみがWindows版では後輩になっていることもありますし、「下級生」には飯島美雪という、主人公に敬語を使うことを知らない後輩がいますから。

9月6日(木)
今日は日記だけ軽く更新してから、引き続きWindows版「同級生」のプレイです。プレイ期間はゲーム中の日付で8月10日から30日までの21日間ですが、昨夜で(もちろん今日は仕事がありますから、徹夜でプレイしたわけではなくて仕事に差し支えない時間に切り上げました)8月13日までの4日間。全体の5分の1弱です。……なんだか先の長さに気が滅入りそうです。

9月5日(水)
PlayStation版「With You」はまだ見ていないCGが何枚もありますが、昨日で一応コンプリートと見なすことにして、今日からはWindows版「同級生」に取りかかります。
私にとって「人生を変えられたゲーム」と言い切って憚らないのは「同級生2」ですが、それに先立つこのゲームはいわば私にとってギャルゲー遍歴の原点にも当たるゲームで、大学生の時に友人に紹介されて、それまで18禁ゲームを忌避していた私が一気にのめり込んだゲームでした。
で、elfのゲームに限っても「リフレインブルー」と「恋姫」が手つかずなのに、なんで今さら、と言われそうな気もするのですが、DOSからWindowsへの移植に際してシナリオ面の変更がなかったらしい同級生2と違って、同級生は相当枚数のCGを新しく起こし、シナリオもかなり書き換えられたと聞いています。
DOS版をプレイした時のことを思い出すと、ヒロインと愛欲に溺れるシーンだけを描いたようなDOS版のエンディングは、あの当時(1992年)ならいざ知らず、同級生2のエンディングを知り、最近流行の「心が痛くなる系」のゲームシナリオに慣れたプレイヤーは、最後で鼻白むのではないかと思います。
ですから私としては、エンディングがどうなっているかだけを知りたいのが本音ですが、まあそうもいかないので、だいぶ前に買ったゲーム雑誌の増刊号にWindows版同級生の攻略法が特集されていたのを見つけて、そこに載っていたタイムテーブル通りに流してみる──せっかくですから、相原健二以外のキャラボイスくらいは聞きますが──ことにしました。
でも文字で表示されるテキストを目で読むのに比べて、キャラボイスを耳で聞くのって時間がかかるんですよね。会話のシーンに、実際の会話と同じくらい時間を要するとなると、エンディングに到達するまでに何日くらいかかるでしょうか。
(9月6日アップ)

9月4日(火)
9月の声が聞こえてきた途端、めっきり涼しくなってきました。気がつくと蝉の声はもうどこからも聞こえてきませんし、夏の間は一晩中窓を開けていても暑苦しかったのに、この頃は宵の口から窓を閉めています。
相変わらず新作CGを描く意欲が湧いてこないので、今日もPlayStation版「With You」をプレイして、菜織シナリオを終わらせました。
このゲームはPlayStationへの移植に際して、真奈美シナリオがCGの修正以外ほとんど変更なしで移植されたのと対照的に、菜織シナリオはかなり変更されています。 一つ解せないのは、真奈美シナリオと菜織シナリオの両方のトゥルーエンドを見たはずで、そしてサブシナリオも全部終わりまで見ているはずなのに、CGモードに「見ていないCG」がたくさんあることです。菜織シナリオにはWindows版になかったCGが何枚も追加されていたのは確かですが、Windows版をプレイした当時の記録に基づいてプレイしてきた私が見つけることのできなかったシナリオの分岐が、まだあちこちに隠されているのでしょうか。

9月3日(月)
7月には自分でも不思議なほどCGの制作が「のって」いましたが、その反動が出てきたのか、このところCG制作の意欲が減退気味で、新作の題材も全然思いつきません。
ですが今日は、制作直後から気になるところのあった「お忍び」の改作に踏み切りました。
そもそもCGに限らず作品というものは、制作する時点で作者自身が充分納得がいくように制作するべきであって、何年も経ってからならともかく制作後すぐに改作するような、そんないい加減な態度で制作に当たるべきではないというのが私の持論ですが、この作品はそれを枉げて改作したくなったのです。これとても、もし他の方に差し上げた作品であったなら、改作には踏み切らなかったでしょう。
どこをどう描き直したのかは、3号館別館1号室に移した旧版のコメントを読んでいただければおわかりになると思いますが、なんと言っても眼鏡の形です。
鳴瀬真奈美(With You) 私が見て知っているゲームキャラなんて微々たるものですが、その管見する中では、当初「お忍び」で描いたような、レンズが四角形に近い眼鏡をかけている女性キャラはあまり多くありません。どちらかというと右の鳴瀬真奈美(With You)のような、レンズが丸くてわりと大きめ、そしてフレームがごく細い、こういう眼鏡をかけているキャラが比較的多いような気がします。加藤みのり(同級生2)はやや傍系ですが、Leafのゲームには小出由美子(痕)から猪名川由宇(こみパ)、リアン(まじかる☆アンティーク)を経て石原麗子(誰彼)に至るまで脈々と受け継がれていますし、他にも篠崎由里乃(真・瑠璃色の雪)、李紅蘭(サクラ大戦)、松倉明日菜(青空)、鞠絵(シスプリ)といったところが思いつきます。
先日からPlayStation版With Youのプレイを始めたことが、「やっぱり女の子がダテ眼鏡かけるならこういう眼鏡だろうなあ」という思いを強くし、改作に踏み切らせるきっかけになったのは事実です。

9月2日(日)
所用で新潟市へ出かけた折、この前成分献血してから1ヶ月経っているので、また成分献血をしに献血ルームへ行きましたが、何としたことか、肝機能の数値に異常が出たため献血できませんでした。
献血の際に検査する肝機能の数値としては、最近γ-GTPが上がってきているのが気になっていましたが(標準域が10〜65に対して前回は89)、今回引っかかったのはALTで、標準域が5〜45とされ前回は32だったのに、なんと66でした。
ここしばらく酒を減らしているし、夏ばてのせいもあって暴飲暴食しているつもりなど毛頭ないので、思い当たる節がありません。あるいは夏ばてで肝臓が弱っているのかもしれませんが(肝臓の細胞が壊れるとALTが上がるそうです)、これからしばらくは食生活の改善といっそうの減酒に努めながら様子を見る必要がありそうです。
それにしても、献血100回で表彰される矢先に、いやな事になったものです。

肝機能の数値に多少問題があるとはいえ、病院に通うほどの持病はない私は、看護婦が働いているのを見る機会というと献血する時ぐらいです。
それで今日は血液検査の順番待ちの間に、ナースキャップの構造を観察してきました。これも単に物珍しさだけではなくて、将来看護婦の絵を描くことになった時に備えての資料収集です。
広げると1枚の布になるというナースキャップは、後ろ側をどのように折り曲げるとあの形になるのか、私が今日見てきたところでは、こうなっていました。
ナースキャップの折り方
これはあくまで一つの例です。でも将来ナースキャップの絵を描く必要に迫られた時、実際に自分でその形に紙を折って作った物を見ながら描くのと、他の人が描いた絵を見ながら描くのとでは、自ずとリアリティに差が出てくるでしょう(出てこないようなら、それはデッサン力という別の問題です)。
そう考えながら処女作「献血パニック」を見ると……これがその当時の私の実力だった、と思うしかありません。そう思うということこそが、進歩の証なのですから。
(9月3日アップ)

9月1日(土)
今日9月1日は、大正12年のこの日に関東大震災が起こったことにちなんで防災の日です。「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉がありますが、地震そのものは人智の及ばない天災ですが、それが発生した際に被害をどれだけ抑えられるかは人智の余地が大いにあります。阪神大震災では5千人を超える犠牲者が出ましたが、あれと同規模の地震が江戸時代に、同じ季節の同じ時間帯に発生していたら、家屋の倒壊と火災だけでなく、疫病と飢饉もきっと発生を免れなかったでしょうから、犠牲者はもっと増えていたでしょう。
しかし人間の営みは、不慮の災害に際して、時として被害を拡大することがあるということを思い知らされる事故がありました。新宿の雑居ビルで火災が発生して44人が亡くなるという事故です。
新聞記事によると火災の原因は検証中とのことですが、防火扉が作動しなかった・ビルの外に非常階段がなかった・窓がふさがっていた、というように被害を拡大した原因を見ると、人災の要素が濃いような気がします。
この前の上京の時、宿にしていたサウナに、階段は何ヶ所あったでしょうか。屋外の避難ばしごは。隣のビルに飛び移れるような窓は。仮眠室に消火器はあったでしょうか。スプリンクラーは。……考え始めると、私自身いつどこでこういう災害に遭遇するか、気が気でなくなります。
(9月2日アップ)

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