2002年4月前半の日記
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4月11日(木)〜15日(月)
平穏無事な毎日──平日は夜まで仕事をして、帰宅後はインターネットで見つけた二次創作小説を読んだり新聞社のホームページを見たりして過ごし、週末前夜は遅くまでチャットをする。特にウェブ日記に書きたいほどの出来事もない日々が続いていると、日記の更新が停滞するものです。
平成9年の3月に作った眼鏡のフレームが先日壊れたので、14日に町の眼鏡屋へ行って、フレームを新調することにしました。ただしレンズは12年の10月に交換し、それ以来あまり度が進んでいないので、今の眼鏡のレンズをそのまま使うことにします。
5年前に眼鏡を作った時というのは、スキーを始めて2度目のシーズンで、腕の限度を超えた急斜面で大回転をやってフレームを壊したので、この時もレンズはそのままでフレームだけ新調したのでした。12年に交換するまで入れていたレンズは、いつ頃から使っていたのか記憶も確かではありませんが、はっきりと「この時に眼鏡を作った」という記憶があるのは昭和63年に運転免許を取った時ですから、その時以来だとすれば12年間使っていたことになります。12年間毎日紫外線を浴び続けて、本来無色透明のはずのプラスチックレンズが、眼鏡屋の人が驚いたほど黄色くなっていたものでした。
5年前に新調した時のフレームは、折り畳み部分にバネが入っていましたが、今回壊れたのはそのバネの部分だったことに鑑みて、バネの入っていないフレームにしました。
一般的に、日常生活に使う道具というものは、一見便利そうな仕掛けがついている道具ほど、その仕掛けの部分から壊れるもののようです。私は小学生の頃から今に至るまで自転車に乗っていますが、一番使用年数が短かったのは就職直後に買ったのの満3年です。その自転車は私が今まで使った中で唯一、変速付きだったのですが、どこが壊れたかというとその変速機構です。それに懲りて変速のない自転車に替えてから4年が過ぎましたが、タイヤのパンク以外はまだどこも壊れていません。

アパートの目の前に看板が立てられたと思っていると、そこにポスターが張り出され、自宅には葉書が郵送されてきて、参議院新潟選挙区の補欠選挙が行われることを知りました。
そもそも参議院新潟選挙区は、昨年の選挙で当選した議員が在職わずか3ヶ月余りで病没したために補欠選挙が実施されることになったのですが、今年の1月頃に自民党が公認した候補者を、2月に発生した新潟県出身の某閣僚更迭騒動でおばさん層を中心としたバブルがはじけて小泉内閣の支持率が下がったために、「ロートルでは勝てない」とかいうような判断で自民党本部が公認候補者を入れ替え、地元新潟県では自民党県議団が猛反発して大騒ぎになっているようです。
自民党としては結局、昨年当選した前議員が6年間の任期を全うできる健康状態でなかったことが最大の誤算だったということになるのでしょうが、その後で更迭された外相は自業自得です。小泉内閣の支持率が下がったといっても森内閣よりはずっと高いですし(いや、森内閣が低すぎたんですね)、逆境の中でこそ本当の民意を見極めることができるはずですから、逆境に耐えて改革を推し進めてほしいものです。
非常に低レベルかつ危険な物言いになると思いますが、次の総選挙で自民党が負けて、民主党を中心とする連立政権に社民党が加わったら、有事法制の整備は頓挫するかもしれませんが、自民党の勝敗に関わりなく児童ポルノ禁止法の改正は行われそうな気がするのです。それだったら自民党には、いちいち公明党の顔色を伺わなくても済むくらい、選挙に勝ってほしいのです。
(4月15日アップ)

4月8日(月)〜10日(水)
ADSLを導入したことにともなって自宅の電話番号が変わったことは、実家の両親にもメールを出して知らせてありましたが、その後で母から電話がかかってきて、どういう経緯で電話番号が変わったのかよくわからないと言います。父がパソコンを買ってから2年経つのに一度も自力でメールを出したことがないくらいコンピュータが苦手で、インターネットのことも全くと言っていいほど知らない母に、ADSLのことを電話口で説明できる自信がなかったので、考え考えメールを打鍵しました。
ところで、ISDNだった時の自宅の電話番号は、下4桁が000*という割と覚えやすい番号だったのですが、ADSLに替わってからの電話番号は、アナログ回線用の市内局番(東京23区なら03-****-****という番号の、2番目の4桁)の中から使われていない番号を探してきたのでしょうか、申し込んだ時に新しい番号の候補としてNTTの人が提示した5つの番号は、下4桁が全部 42** という、いかにも語呂が悪いとして敬遠されそうな番号でした。もちろん私はそんなことは気にしませんが。

ウェブ日記を打鍵する際には、特にその内容が特定の企業に対して批判的なものであるような場合には、思い込みで迂闊なことを書いてしまわないように、随時インターネットで裏付け調査をしながら打鍵しています。
それで例えば、平成11年の夏に成立した法律の正式名称を知りたい時にはこういうページ(衆議院ホームページ内、制定法律の一覧)を参照するわけですが、改めて見ると、この時の国会ではいろいろな法律が成立していたことがわかります。
・平成11年法律第52号 児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律
・同60号 周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律
・同78号 男女共同参画社会基本法
・同89号〜101号 内閣府設置法、総務省設置法、郵政事業庁設置法、財務省設置法、国土交通省設置法、環境省設置法など
・同103号 独立行政法人通則法
・同106号 食料・農業・農村基本法
・同127号 国旗及び国歌に関する法律
・同128号 不正アクセス行為の禁止等に関する法律
・同129号 国家公務員倫理法
・同133号 住民基本台帳法の一部を改正する法律
・同136号 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律
・同137号 犯罪捜査のための通信傍受に関する法律
・同138号 刑事訴訟法の一部を改正する法律
このサイトをご覧になっている方にとっては、もしかすると上に挙げた法律の中で一番関心が深いのは第52号(附則で、児童ポルノの規制については施行後3年つまり今年をめどにして「必要な措置が講ぜられるものとする」ことになっている)かもしれませんが、11年8月の新聞各紙を見ていると、第133号も相当国会が紛糾した法律だったようです。でもこの法律に対しては、例の新聞も「一億総バーコード法」というような大衆を煽動しやすいわかりやすい表記を思いつかなかったようで、「改正住民基本台帳法」と表記していました。
(4月10日アップ)

4月7日(日)
昨夜は徹夜覚悟でネット喫茶に乗り込んだのに、チャットが思ったより早く散会になってしまったので、ネット喫茶で朝まで寝てから、高速バスで帰りました。
帰ってからは寝直すことなく、週末いつもしているように、近くの図書館へ新聞を読みに行きます。道すがら、あちこちに植わっている桜の花が、もう満開を過ぎて散り始めているので、次回作のCGの背景に使うことを想定して、何枚かデジカメで撮っておきました。

ところで、最近知ったことですが、公道上で多数集合して常習的に共同危険行為を行う集団を「珍走団」と呼ぶこと(「珍呼運動」)を提唱しているサイトがあるそうです。
サイトの趣旨は至って明快。共同危険行為を常習的に行う集団を、その実態に即しつつ、できる限り格好悪い呼び方(男性器を指す幼児語に通じる)をすることによって、年少者がそのような行為およびそれを行う集団に誤った憧れを持つことを防ぐ、というものです。
初めてこのサイトを見た時には、いかにもあそこ生まれらしいネタだなぁ〜(発祥の地は某巨大掲示板らしいです)と思ったものですが、そのサイトにこんな記事が載っているのを見ると、インターネットの威力を本気で考えてみたくなります。
2001年7月25日
>21日の愛媛新聞投書欄「門」より
>『暴走族という呼称改めては』
>18日付本欄で、暴走族の所業を嘆く投稿を目にしたが、いいかげん、その呼称をやめてはどうだろうか。
>あるホームページで「暴走族」との呼び方を「珍走団」と改めてはどうかと提案していた。
>略して「珍」である。マスコミの方々、いかがであろうか。
>名を呼び替えてイメージを変えてみるのも、対策の一つとして悪くはないと思うのだが。
>実は、これと同様の試みを、私はどこかで聞いたことがあるのだが、その別の呼び方が不自然すぎたのと
>マスコミが呼応しなかったのが妨げとなり、自然消滅したようだ。
>いうまでもないが、新聞、テレビなど情報媒体の、人々に対する影響力は決して小さくなく、
>それは公の器としての任を担っている。
>その公器が、ある存在をどのような名で呼び、そしてその呼び方を正式なものとするか否かで
>社会内でその存在の位置付けが変わってくるのは明らかだろう。
>メディア関係者の方々、影響力を、ぜひご一考いただきたい。
投稿してくださった方、そして掲載していただいた愛媛新聞社の方、ありがとうございました。
(引用元はここ
ですがここで、急に考えが逸れ始めるのが、私の悪い癖です。
マスコミが「ある存在をどのような名で呼び、そしてその呼び方を正式なものとするか否かで、社会内でその存在の位置付けが変わって」きた具体例は、いくつもあります。今日、図書館で新共同訳聖書(昭和62年発行)を読んでいたら、あちこちに「重い皮膚病」という表現が出てきましたが、これが何を指すか、おわかりですか。ハンセン病です。私の手元にある文語訳聖書では、全て「癩病」となっています。
誤解にもとづく いわれなきマイナスイメージが定着している病気の呼び名を変えようということでは、最近 Schizophrenia の訳語を「精神分裂病」から「統合失調症」に変えようと提唱しているのが有名かと思います。あるいは牛海綿状脳症(Bovine Spongiform Encephalopathy)が、最初に発生したイギリスでの俗称 mad cow disease を直訳した狂牛病という呼び方が流布しているのに対し、「狂牛病の牛は狂っていない」という主張がなされ、読売新聞社はBSEを用語として使うことにした、という記事を読んだことがあります。
(日本語の俗称はおそらく、学術用語でもある狂犬病からの類推でしょうが、犬の狂犬病は英語では rabies と呼び、mad dog disease とは呼びません)

しかし私のもっと悪い癖というのは、マスコミがこのように社会の誤謬を正すために行なっている例よりも、逆に一部のマスコミが故意に本質を歪曲し、大衆を誤った方向へ誘導しようという意図を持ってそれを行なった例が先に浮かんでくることです。
最近──といってもBSEが日本で発生したのよりは古い話ですが、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(平成11年法律第137号)」が施行されました。この法律が国会で審議されている間、「盗聴法」という、30年余りの間日本語を母国語として使用してきた私の日本語能力の範囲内では、正式な法律名の略称とはどうしても解釈することのできない表記をしていた新聞があったことを覚えています。たしかNHKのニュースでは「通信傍受法」と呼んでいたと思うのです。
法律の実態に即して──とでも言うのでしょうか。でも私は、その新聞社が「母体保護法(昭和23年法律第156号)」を「堕胎法」と表記していた記事を読んだ覚えはありません。「堕胎」は俗称でも放送禁止用語でもなく、刑法第212条から第215条で使われている正式な法律用語です。
それが気になったので今日、図書館で新聞各紙の縮刷版を調べてみました。その結果ですが、平成11年法律第137号と「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(平成11年法律第136号)」及び「刑事訴訟法の一部を改正する法律(同138号)」が参議院本会議で可決成立した平成11年8月12日の朝刊・夕刊・13日の朝刊で、上に挙げた新聞は「通信傍受(盗聴)法」という表記を9回、議員等の発言として「盗聴法」という表記を2回用いていました。それに対して他の新聞は、日本経済新聞が「通信傍受(盗聴)法」を2回用いていましたが、読売新聞・毎日新聞・産経新聞・新潟日報とも、このような表記はしていませんでした。たいていは一括して審議された上の3法案を総称して「組織犯罪対策3法」と表記しており、毎日新聞が「組対法」と表記していたのが目につきました。
それと、今日図書館で調べてみたもっと古い例です。日本と連合国の間の戦争状態を国際法的に終了させるためのサンフランシスコ講和条約は、昭和26年9月8日に調印されて翌27年4月28日に発効しましたが、昭和20年以前に日本に宣戦布告した全ての国との間で、この時に講和が締結されたわけではないことは、高校の日本史の授業で習うことです。辞典には一般論として、こう書いてあります。
この場合戦争当事国のうち特定の国が敵国と講和を結び戦争状態を離脱すると分離講和となり、講和の締結国が多数である場合に多数講和、ごく一部の国である場合には単独講和と呼ばれる。
(太字は筆者。出典は吉川弘文館「国史大辞典」6巻603ページ、項目名「サンフランシスコ講和問題」)
サンフランシスコ講和条約は、日本に宣戦布告した50余りの国のうち、48ヶ国が調印しました。講和会議に参加しながら調印しなかったのはソ連・ポーランド・チェコスロバキアの3ヶ国、講和会議に参加しなかったのはインド・ビルマ・ユーゴスラビアの3ヶ国、また中国は、中華人民共和国と国民党政府のどちらに代表権を認めるかが決着していなくて講和会議に参加していませんでした。(国名と「国民党政府」の表記は辞典の記述にもとづく)
単純に国の数だけを数えれば、54+αのうち48ヶ国が締結した講和条約は、多数講和になると思います。締結国のうち主だった国を挙げても、アメリカ・イギリス・オーストラリア・オランダと講和しています。
しかるにこれを「単独講和」と呼び、1918年3月に当時のロシア革命政権が、対ドイツ戦を継続することができなくなってドイツと講和した(これは本当の単独講和です)のと同一視して日本政府を批判した新聞がありました。その新聞のうち国史大辞典に社名が書いてあったのが、上に述べた、平成11年法律第137号を「通信傍受(盗聴)法」と表記した新聞です。
図書館には昭和20年代の新聞の縮刷版はなさそうなので、当時のこの新聞と読売・毎日・産経の各新聞を読み比べてみることは、ちょっと難しそうです。
(4月10日アップ)

4月6日(土)
昨夜、というより今朝は、午前4時半まで起きていてしまったのですが、今日は午後から新潟市へ行きます。
ネットで親しくさせていただいているH.Saitouさんから、昨年の4月1日に誘われて聴きに行ったライブに、今年も誘われたのです。会場は去年と同じゴルフ練習場の片隅で、土曜日なので仕事のある方もいることから、午後5時開演でした。
去年は開演時刻に1時間遅れて到着したら、H.Saitouさんの出番が終わった後だったということがあったので、今年こそ遅刻しないようにと早めに出かけたのに、また開演時刻に間に合わず、会場に着くとH.Saitouさんがステージで熱唱中でした。
出演者はこのライブを主催されたそうだみつのり氏を始め、昨年お会いしたBaby★babaさん、H.Saitouさんのお知り合いの人たち10人くらいだったでしょうか。H.Saitouさんが事ある毎に「これは必見」と賞していた そうだ氏の絶唱は、これこそ「百聞は一見に如かず」でしたが、概して穏やかなフォークギターの弾き語りが多く、少人数で顔見知りの方々ばかりだったことも手伝って、和やかな雰囲気が流れていました。
持ち時間20分で、入れ替わり立ち替わりステージに出て歌っていましたが、遅くなって来た方が1時間も歌い続けるということがあったので、終演は午後10時近くなりました。
終演後は、約束してあったとおりH.Saitouさんの車で、少し離れた所にあるH.Saitouさんがお気に入りのインド料理屋へ行って、会食となります。私は、かねてから噂に聞いていた「カニのぶつ切りが入っているカレー」を食べてみました。インドではヒンドゥー教徒は牛肉を食べませんし、イスラム教徒は豚肉を食べませんから、カレーに入れる動物性の具というと羊・鶏・魚介類となり、海の幸カレーはよくあるらしいです。
三食完全自炊になって1年経ちましたが、実は私は一度も、カレーを作ったことがありません。貰わず寡夫の自炊というとまずカレーが出てきそうなものですが、あまりに定番すぎるので逆に作ろうとしなかったのかもしれません。
車に乗った時から会食中も、ゲームや小説、イラスト、サイト運営と話題は尽きませんでした。H.Saitouさんは最近新しいパソコンを注文した際にタブレットも買ったとのことで、ぜひ本格的なCGに挑戦してみたいと言っていましたが、紙に水性マーカーで彩色というのがH.Saitouさんのイラストの大きな個性だと私は思っていますから、タブレットとペイントソフトでいろいろな表現手法を取り入れて制作されるとしても、今の個性を失ってほしくはないと思います。
──まあ、私が要らざる心配をしなくても大丈夫でしょう。H.Saitouさんのイラストは、たとえ画風が全く没個性的になってしまったとしても、題材の卓抜さで人目を惹きつけ続けるでしょうから。色鉛筆塗りを止めたら個性のかけらもなくなってしまうに違いない私のイラストと違って。
せっかくオフでお会いするのに手ぶらで行くのも何なので、出かける前に用意していったのは、昨年11月に「雑草文庫」の開設1周年記念にお贈りした「舞と瑞穂」のプリントアウトです。料理屋を出た後、車の中でそれを差し上げましたら、とても喜ばれました。
新潟駅へ戻ってきたのは、午前0時近い時刻でした。こんな時間に高速バスは運転していないので、自宅へ帰ることはできません。しかし明日は休みですし、帰れなくなることは予想していたので、駅前のシティホテルを予約しておいた──のではなくて、以前に駅の近くに終夜営業のネット喫茶がある(さすがは日本海側第一の都市)のを確認しておいた無謀な者がここにいます。
(4月9日アップ)

4月3日(水)〜5日(金)
ADSLで快適ブロードバンドを満喫、といきたいところですが、差し当たっては遅れに遅れているウェブ日記の更新です。
3日と4日の夜、寝る前に打鍵して、「今日はここまで」と一区切りつけてFTPソフトでアップロードするわけですが、その際やはり、回線に接続している状態でコマンドを送っても、なかなか実際の送受信が始まらないという現象が気になります。

5日の夜は、いつものようにチャットルームに行きました。するとブロードバンドの通信速度が話題になっていましたが、2日に私が試したのとは別のサイトで通信速度を試してみると、8Mbpsで接続している方の実測値が3〜4Mbps、1.5MbpsのADSLで接続している方の実測値が1.3Mbpsといったところでした。私の実測値は1.0Mbpsと、やや低めです。
NTT東日本のサイトにADSLの線路情報を表示するページがあったので、物は試しとやってみましたが、私の場合は線路長2620m、伝送損失41dBでした。この伝送損失だと、8Mbpsを導入しても実際の伝送速度は運が良くても4〜5Mbps、平均は2Mbpsといったところで、使い始めたばかりの1.5Mbpsとほとんど変わりません。私の住んでいるアパート、けっこう街外れなんですよ。
というわけで、私の住んでいる市に8Mbpsが来るのはそれほど遠い先ではないかもしれませんが、慌てて飛びついても仕方がないようです。やっぱりBフレッツ(光ファイバー)待ちですかね……なんて今から欲望の皮を突っ張らかしていてどうする気でしょう、私は?注意! ここから先は電波が強いです。
(4月8日アップ)

4月2日(火)
NTTから連絡があったとおり、今日の午前中にADSLが開通します。自宅側の接続作業は自分でやることにしたので、午前休を取って待機します。
午前9時過ぎにNTTから電話があって、局内の切替を始めると知らせてきました。その時「もし切替がうまくいかなかった場合の連絡手段は」ということになったのですが、私が携帯電話を持っていないと言うと、先方は困っていたようでした。固定電話を持っていなくても携帯電話を持っている、という人が多い昨今、社会人なのに携帯電話を持っていない私のような者は、単に少数派であるだけでなく異端者かもしれません。
私が電話機をTAから外してスプリッタにつなぎ替えるとすぐ、NTTから電話があって、局内の切替は無事に済んだと知らせてきました。私のほうからも117に電話をかけると正常にかかったので、電話に関しては無事に切り替えが終わりました。
次はいよいよ肝心のADSLです。昨夜LANボードとドライバをインストールした時点で、パソコンとADSLモデムの間の接続は問題ないことを確認してあるので、NTTから送ってきた「フレッツ接続ツール」をパソコンにインストールして、マニュアルの手順通りに、NTTのフレッツ・スクウェアへの接続試験をしますが、ダイヤルアップ接続のダイアログが立ち上がって、もちろんダイヤルアップ接続などできません(TAは取り外してあるので)。といって接続をキャンセルしてオフラインにしても、フレッツ・スクウェアには接続できません。
接続・設定等に関する問い合わせ番号(フリーダイヤル)がマニュアルに載っているので、その番号にかけてみると、よくある自動案内だったのですが「プッシュ回線からでないと利用できない」ことが判明します。
プッシュ回線でないと利用できないサービスを利用する、ということを考えなかったので、月額390円のプッシュ回線使用料を惜しんでダイヤル回線にしたのです、私。
弱り果ててNTTに電話して、ダイヤル回線に接続したプッシュホンからプッシュ回線用のトーン信号を発信する方法(*ボタンを押す)を教えてもらい、先ほどのフリーダイヤルにかけて、設定の方法を尋ねました。設定の要点は、インターネットへの接続(InternetExplorerなら「ツール」→「インターネット オプション」の「接続」タブにある「ダイヤルアップの設定」です)を「ダイヤルしない」にすることでした。今一つよく理解していないのですが、ADSLを介してのインターネットへの接続は、パソコンから見るとLANへの接続と同じなのでしょうか。
ようやくインターネットに接続できるようになったので、理論値では1.5MbpsつまりISDNの24倍出るはずのダウンロード速度を試してみたい気がしますが、午後からは仕事です。

夜、以前に見つけた、ADSLの通信速度を測定できるウェブページにアクセスして、1MBのファイルをダウンロードする際の速度を測定してみると、ISDNの20倍という数値が出ました。
この結果に気をよくして、平日だというのにチャットルームに行ってADSLのことを吹聴し始めたのですが、どうもISDNの時に比べてリロードが円滑でないような気がします。
ISDNだと、TAのDATAランプは接続している間ずっと点灯していますが、ADSLモデムを見ているとDATAランプは思い出したように点滅するという感じで、チャットしていて発言しても、なかなかリロードされないことがあります。ウェブページを見に行っても、新しく開いたウィンドウになかなか読み込みが始まらないこともあります。読み込みが始まれば、相当重い画像でも目の覚めるような速さで表示されますが。

それで今夜の更新は、パソコンとその周辺機器に、TAに代えてADSLモデムとLANボードが加わったための「館長の仕事場」の更新ですが、これをサイトのトップページに「最新の展示」として出すと、昨夜公開したばかりの、なりぽしさんから頂いたCGへの直リンクが、1日でトップページから消えてしまうことになります。
これでは何だか なりぽしさんに申し訳ない気がします。
それで今夜の更新からは「最新の更新」を「最近の更新」に改め、頂き物を始め自分が重要だと思う更新へは、「展示替え」に前月分の更新履歴を残す期間と同じく、10日間トップページから直リンクすることにします。
(4月8日アップ)

4月1日(月)
本日、当サイトは前身「800Tours」として開設してから満2年を迎えました。
こうしてまた1年間サイトの運営を続けてくることができたのも、サイトを訪れては折に触れてサイトや公開作品に感想を下さった皆さんの、温かいお励ましのおかげと、深くお礼申し上げます。
このところウェブ日記の更新はベタ遅れ気味ですが、今後も当サイトをよろしくお願いいたします。
一昨年、昨年と違って今日は4月1日が月曜日なので、企業では入社式、官庁では入省式、地方自治体では何と呼ぶのでしょうか、そういうのが全国津々浦々で行われたことと思います。そういう日にホームページで何をやっているかといえば……です。
エイプリルフールの引っかけを狙って作ったトップページですが、平日の午前0時から午後12時までの公開では、ほとんど人目に触れることがないままになってしまいそうなので、今週末くらいまではこのままにしておきます。
それで今夜の更新は、第一に昨日なりぽしさんから頂いたCGの公開です。公開してから、なりぽしさんのウェブ日記を拝見してみると、年度末のこととて3月30日には休日出勤するほどご多忙な中、疲労困憊と体調不良をおして「何とか2周年に間に合わせなければ」と制作してくださったとのことで、それほどにしてまで制作してくださったのなら、私も昨夜のうちに公開すべきであったかと思いました。
それから、明日の午前中にADSLが開通するので、それまでにLANボードとドライバをインストールし、昨日届いたADSLモデムの接続まで済ませておくことにします。

私程度のディレッタント(敢えてアマチュアとは言いません)であっても、絵描きや文章書きを名乗るなら、作品のことは作品で語り尽くすべき、ウェブ日記なんかでご託を述べるべきではない、という意見がありますが、今回の作品の題材を思いついたきっかけは、長くなりますが触れておきたいと思います。
昨年の10月に「秋の日は落ち葉」を制作した時、私としては初めて、2人の人物が背中合わせに座っている場面を描きました。その直後の日記で、1枚の絵に2人の人物を描いた際の、2人の位置関係およびシチュエーション的な関係を振り返って、ただ単に2人並べて描いたのでなく、深い関係にある2人の何か特定のシチュエーションを描いた絵には、いろいろな組み合わせがある、その例として挙げたのはこんなところでした。
・向かい合っていて視線が交差している(「夏色の姉妹」
・嬰児を抱いている(「2000年のクリスマス」
・肩を貸している(「PlayStation版ToHeartの眼鏡っ娘」の左側)
・後ろ姿を見守っている(「秋の夜長によせて」
・そっぽを向いている(「ローレライ」
・片方はもう一方の心の中にしかいない(「紅環」
さて、これを見ているうちに、18禁のギャルゲーにわりとよく見られる2人の人物(しかも圧倒的多数は「ごく親しい間柄にある男と女」)の組み合わせ方の、かなり重要なのを、まだ描いたことがないのに気づきました。それが他でもない、今回描いた
「男が女をおんぶしている」 だったわけです。(あっ、そこのあなた、「18禁行為をしている」だと思いましたね?)
今さらですが、エイプリルフールで引っかけを狙うなら、もっと周到にミスディレクションすべきだったかと思います。つい先日、贈り先の「なちゅらりすと」「はじめてのじゅうはちきん」というキャプションを頂戴するに至った絵を描いたことを強調するなどして。
といって本当に、当サイトをいつもご覧になってくださる方が期待あるいは危惧されるような絵を私が描くことがあるか、それは現状では否定的です。たぶんニフティは18禁NGだと思いますから。
(4月7日アップ)

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