2000年12月前半の日記
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12月15日(金)
昨夜は忘年会で酔って帰宅したので、サイトの更新もしないまま午後9時頃に寝ましたが、そうしたら午前0時過ぎに目が覚めました。
この程度の仮眠では本格的なサイトの更新は無理な気がしましたが、少し酔いも醒めてきたのでパソコンを起動し、適当に巡回します。
すると「同級生FanPage」のチャットルームでお知り合いになったkuntaさんから、サイトを開設されたというカキコがありました。
オンラインではずいぶん前から親しくさせていただいている方で、当サイトにもユニークな3DCGを下さった方ですから、さっそくサイトを訪れてみます。
開設されたばかりで、ほとんど知られていないサイトですから、当サイトからリンクしてあげることによって、少しでもサイトが賑わうように協力したいところですが、今はサイトの更新ができる状態ではないので、次の夜に延期します。

夜帰宅してからせっせと運行日誌を打鍵して、午前0時頃に14日の分まで打鍵し終わったところで一時中断します。
それからチャットルームへ行き、kuntaさんにリンクの申し出をして快諾を頂きました。
そうしているうちに、最近なりぽしさんのサイトに新設されたチャットルームでお知り合いになったH.SaitouさんからICQが入りました。
H.Saitouさんはつい先月、同級生・下級生系サイトを開設された方なので、H.Saitouさんにもリンクを申し出て、相互リンクしていただけることになりました。
(12月16日アップ)

12月14日(木)
冬型の気圧配置が続いてはいますが、寒気は緩んできたようで、一昨日降っていた雪は昨日には雨に変わり、積もった雪はすっかり解けました。
一昨日課の忘年会があったばかりだというのに、今日は部の忘年会です。
昨日は終列車で帰ってきましたし、今日は一次会で退散したのに帰ってきた時には酔っていて、サイトの更新どころではありません。
そんなわけで運行日誌の打鍵も捗らないままです。
(12月15日アップ)

12月13日(水)
雪国の必需品、防寒長靴 今日は東京へ日帰り出張なので、普段の日より早く起きて、新幹線で上京します。
雪が積もっているので最寄り駅までは自転車に乗っていくことはできず、歩いていくしかありません。
そんな時は、右の写真のような防寒長靴を履いて出発し、目的地までこれで行きます。
冬に首都圏へ出張する時、あるいは年末年始に帰省する時、私の地元では誰もが履いているこれを履いて首都圏へ行くと、周りには誰もこれを履いている人がいません。
職場でも、首都圏へ出張する時は最寄り駅まで防寒長靴で行って、そこで革靴に履き替えていく人が多いようで、私が防寒長靴で東京まで行くと、一緒に行く上司や同僚は一歩離れるのですが、私にはその方がむしろ解せません。
東京へ行くのに、雪国から来たことを隠すような振舞をするから、いつまで経っても東京に対する劣等感を払拭できず、それが東京の中華思想を助長するのだ、などと叫ばなくても、靴の履き替えを持っていくのはただ単に荷物が増えて面倒だから、そうしないだけです。
東京での用務が終わって、新潟へ帰る新幹線のデッドラインまでは時間があるので、いそいそと秋葉原へ向かいます。
そしてゲームショップを何軒も渡り歩いて、やっと夢幻泡影の攻略法が載っている「アリスソフト公式完全必勝ガイド2」を見つけました。
この収穫に気をよくして、またもや衝動買いしてしまったのが、中古品の「WORDS WORTH」(エルフ)です。
これは以前の日誌に、私が最近までそのジャンルのゲームを避けてきたと書いたところの、RPGです。
ゲームの世界観としてみれば全編殺戮に次ぐ殺戮、エンディングに到達するまでには際限ない「レベルアップ」を強いられるであろうゲームなのに、なぜそれを買う気になったかと言えば、同じ日の記事に書いたセーブデータ書き換えツールを手に入れるめどが立ちそうだからです。
そうでなかったら、レベルアップに何十時間も費やすゲームに手を出そうとはしなかったでしょう。
まあ、買ってはみたものの、実際にプレイするのは相当先のことになりそうな気がしますが。
(12月15日アップ)

12月12日(火)
昨夜から強い冬型の気圧配置になり、寒気が吹き込んだためもあって、新潟県地方はこの冬初めての本格的な雪になりました。
一日中雪が降り続き、夕方になって止むまでに15センチほど積もりました。首都圏で15センチ雪が積もると大騒ぎになると思いますが、新潟県ではこのくらいは雪のうちにも入りません。

昨日のことで、「夢幻泡影」のコンプリートは当分先のことになりそうだと思っていましたが(まあそれほどこのゲームに固執することもないと思いますが──何しろまともにプレイしていないゲームは十指に余りますから)、世の中何がどう転ぶかわからないものです。
突然、明日、日帰りで東京に出張することになりました♪
これも年末が迫って仕事が押してきたからではありますが、自腹を切らずに東京へ行ける機会が、こんなにすぐ舞い込んでくるとは思いませんでした。
折しも今夜は課の忘年会ですが、明日出張する私はごく早い新幹線で上京することになっているので、二次会に付き合わさせられずに大手を振って帰ってくることができました。出張さまさまです。
(12月15日アップ)

12月11日(月)
昨日の項で最後に触れた「夢幻泡影」は1995年、「アトラク=ナクア」より前にアリスソフトから発売されたゲームです。
MS-DOSからWindowsへの移行期に、Windows3.1対応、画面解像度640×480ピクセル、256色として制作されたゲームでした。
その当時私が持っていたパソコンはPC-9801BA3で、メモリとグラフィックアクセラレータを増設すればWindows3.1をインストールすることは不可能ではなかったのですが、ちょうどその頃は私が人生を変えられたゲーム──誇張でなくそう思っています。またその事を後悔してはいません──「同級生2(MS-DOS版)」に嵌まりまくっていたので、多少は興味をそそられたものの、ハードウェアに何万円も投資してまでWindows3.1用のゲームを買おうとは思いませんでした。
その後1999年、Windows95とWindows98が完全にMS-DOSに取って代わった時代になって、いろいろなゲームをするためと自宅でも仕事をするため(本音を言えば前者が動機の99.9%以上を占めますが)Windowsマシンを買った時、物欲に目を眩ませられるままに「雫」から「Kanon」まで新旧取り混ぜて9本のゲームソフトを一気買いしたのですが、その時Windows95/98対応の廉価版が発売されていた夢幻泡影も一緒に買ったのでした。
しかし初プレイで、どうも今一つゲームの世界に浸りきれないまま(アトラク=ナクアと違ってBGMが私のツボに填らなかったからかもしれません)何となく流していたら、いきなり「エンド」と宣告され、しかもそれがハッピーエンドなのかバッドエンドなのかもわからないエンディングだったので、当惑したまま棚上げしてしまい、そのままになっていたものです。
でもせっかく買ったゲームなのだから、たとえ攻略本に頼ってでも、もう少しくらいプレイしてみてから判断するべきではなかったか、と最近になって思い始めました。
それで昨日、攻略本を探してみましたが、あまりに古いゲームのせいか攻略本がありませんでした。新作ゲームが毎日のように発売される今は、攻略本の出版社にしても、新作の攻略で手一杯なのでしょう。
やっと見つけて買ってきた設定資料集を今夜開封してみましたが、ざっと目を通してみても肝心の攻略法(数十種類のエンディングがあるというのですが、どこでどういう選択をすればどのエンディングに到達するか)が載っていません。
それに気付いた時の私の第一声が「うぐぅ」「あぅーっ!」「が、がお…」のどれだったかは、ご想像にお任せします。
(12月15日アップ)

12月10日(日)
年末が近づいて、仕事が押してきたため、日誌の更新が遅れています。
8月に書いたことの繰り返しになりますが、まとめ書きであっても毎日1日分を独立した項目として打鍵することを、一種の「形式」として自分に課することにします。
夜行高速バスで午前4時に東京池袋に着いてから、また山手線を周回して時間調整し、まず秋葉原へ行きます。
8月に故障したのを秋葉原のパソコンショップへ送ったVGAカードの件で、ショップからメーカーへ送って修理を依頼していたのがメーカーから戻ってきたので、ショップへ取りに来てくれ、という連絡がありました。
実はその連絡があったのは10月下旬だったのでしたが、今新品を買えば1万円程度のカードを、それよりずっと高い交通費(新幹線往復18000円)をかけて取りに行く気には、いくら私でもならなかったので、取りに行くのはこの次に上京する用事ができた時にしようと決めていたのでした。
ショップへ引き取りに行くと、カードの故障についてはどうやらメーカーでも原因がわからなかったようで、同じ型式の新品を送ってきたということです。
これ以上どうすることもできないので、新品のカードを受け取ることにします。
現在私のパソコンには、秋葉原へ来てこのカードの修理を依頼した時に買っていったカードが入っていて、何ら支障なく動作しているので、今さらこのカードは必要ないという見方もできるのですが、8月の経験からVGAカードが故障するとパソコンは全く使えなくなるということがわかったので、それを教訓として、今入っているカードが故障した際の予備のカードとして保有することにします。

次に、今回の上京の主たる目的である、第4回ドールズパーティー、略称「ドルパ」に参加すべく、会場の池袋サンシャインシティへ向かいます。
私自身、今のところまだ人形者の世界に足を踏み入れるには至っていないのですが、今回のドルパにはネットでのお知り合いであるふりんとぶらっくさんがディーラーとして参加されると伺っていたことでもあり、コミケと同様祭りの雰囲気を味わうのも経験のうちと思っていました。
11時開会でしたが、秋葉原で少し長居しすぎたので会場到着は12時になりました。
ふりんとぶらっくさんのブースでは、オフ会で実物を拝見したことのある「下級生」キャラのドールの他、今回のドルパで販売するために制作されたドールが展示されていましたが、販売向けドールは開会後1時間でほぼ完売でした。
市販のドールの髪、特にショートヘアの出来に飽きたらず、手植毛によるショートヘアの表現にいろいろ工夫を重ねた成果を世に問う意味もあって、今回のドルパにディーラー参加されたと察しています。
それだけに販売向けドールの出来栄えは、入魂の一作と言っても過言ではありませんでした。
しかし余計なことを思うのですが、人に売っても恥ずかしくないほどに丹精すればするほど、情が移ってしまって売るに忍びなくなる、というジレンマがあるのではないでしょうか。
CGのような電子的制作と違って実物を手元に残しておけない物、ましてドールともなれば。

その他のブースを見て回っていて、コミケとの対比で気付いたことがいろいろあります。
・ディーラー、客とも女性の比率が高いこと
もっともコミケの場合、延べ参加サークル数2万、入場者数20〜30万という巨大なイベントのため、日によってまた会場によってジャンルを分けてあり、夏コミの時に私が見て回ったジャンル(ギャルゲー、同人ソフト)が配置されている日と場所には、相対的に女性参加者が少なかったからだと思います。
確かに「ドール」愛好者には女性が多いかもしれませんが、「モデル」愛好者まで窓口を広げれば、男性の比率はぐんと上がるでしょう。
・ミリタリー系が目につくこと
これも上と同じで、コミケではたとえ日が同じであっても、ギャルゲー系サークルとミリタリー系サークルは配置がはっきりと分かれています。
それに対してドルパでは、ジャンルによるディーラーの配置というのは特に分かれていないようで、ギャルゲー系ディーラーもミリタリー系ディーラーも混ざって配置されています。
それで、ミリタリー系が目についたのでしょう。
ミリタリー系ディーラーの方の中には、いわゆるコスプレをしている方もいました。コミケでは最近コスプレの規制が厳しくなっていて、ミリタリー系のコスプレに使うような小物(銃や軍刀の模型)の持ち込みが禁止されていますし、自衛隊で現在使用されている制服のコスプレは禁止です(コミケカタログによる)。
コミケでミリタリー系が思ったほど目につかなかった理由は、その辺りにあるのかもしれません。
・参加者の年齢層が高いこと
コミケは親子二代にわたる四半世紀の歴史を持っていますから、かなり年輩の参加者を見かけることはあります。それに対してドルパは今回が4回目ですから、最近急速に広まってきた趣味だと思うと、その割には参加者の年齢層が高いように見えます。
しかしこれも錯覚で、ドルパを主催している(株)ボークスという会社がカスタマイズドールのブームを押し広げたのはつい最近かもしれませんが、人形制作という趣味自体はもっと古く、それこそ平安時代まで遡ります。
バービーやリカちゃん人形の最初期の時代から、少女の心を失わなかった人たちによって、脈々と支えられてきた趣味だと思えば、年齢層が高いのもうなずけます。
むしろ、コミケなら客層の少なからぬ部分を占める小中学生、人形で遊んでいた年頃からそれほど時を経ていない世代の客が思ったほど多くなかったのが意外でした。
手作り一点物のドールや衣裳は、やはり同人誌よりは値段が高くなりますから、資金力の乏しい子供には敷居が高いのでしょうか。
・「版権」問題の存在
もちろんコミケで販売されている同人誌やCG集にも、著作権の問題は無縁ではないわけですが、アニメやゲームのキャラクターのドールを制作し販売しようとする場合、版権はかなり高い壁となって立ちはだかるようです。
二次元の紙上に表現される同人誌や、ウェブ上の電子情報であるCGに比べると、ドールや衣裳はより実体的な「物」であるだけ、アマチュアがそれを作って販売することに版権所有者がうるさくなるのは已むを得ないのでしょうか。
いくつものディーラーが、「版権が通らなかったので販売できません」という札を出していました。

2つか3つのディーラーでしたが、「アトラク=ナクア」のドールを展示していました。
以前の日誌に、思い込みで「ほとんど忘れられたゲーム」と書いたことがありますが、その後で「いまだに好きって人が多くて、男性向け同人イベントなんかには、必ずと言って良いほど登場している」というカキコが伝言板にあったので、実際のところどうなのだろうと思っていたところです。
それがこうして、複数のディーラーが展示・販売しているということは、やはり人気が廃れていないということなのでしょう。

冬にもかかわらずドルパ会場は大変な熱気でした。
そのドルパも午後4時で閉会となり、会場を後にした私は再び秋葉原へ向かいます。
第一に、きたる冬コミのカタログを手に入れるため。新潟県内には、コミケのカタログを扱っている書店がありません。
次に、買い込んだまま積んであるゲームの攻略本を探すため。
もちろん、攻略本に頼り切りではゲームを楽しんでいるとは言い難いと思うので、初プレイでエンディングに到達するまでは攻略本を見ない、という制約を自分に課しています。
有名なゲームならば、攻略法を公開しているウェブサイトがあるとは思うのですが、それでも紙に印刷された物を欲するあたりは、私はまだ古い人種に属しているのかもしれません。
しかし一番目標としていた「夢幻泡影」の攻略法が載っている本は見つからなかったので、設定資料集なる物を買って帰りました。
(12月15日アップ)

12月9日(土)
今日は夕方から、長岡で開かれるチェンバロの演奏会を聴きに行きます。
長岡で定期的に演奏会を開いているチェンバロ奏者のことは、この日誌でも何度も触れてきましたが、今回は初めて、リコーダー奏者を客演に招いて、リコーダーとチェンバロの二重奏が中心のプログラムでした。
リコーダーという楽器は、今の日本では小学校の音楽の授業で広く使われている反面、オーケストラで使われることは全くない楽器なので、大した事のない入門用の楽器というイメージがあるかもしれません。
しかし起源はルネサンス時代までさかのぼる古い楽器であり、バロック後期(18世紀初めくらい)まではフルートよりも広く愛好された楽器でした。その頃は単に「フルート」と言えばリコーダーを指し、今のフルートを指すのには「横のフルート」と言ったそうです。バッハやヘンデルの曲で、現在フルートで演奏される曲の中には、本来はリコーダーのために書かれた曲が多いということです。
リコーダーが近代オーケストラの楽器になり得ない第一の理由は、音量が小さいことです。
18世紀に発明されたピアノがチェンバロに代わって鍵盤楽器の主役になってから、どんどん音量を増す方向へ楽器製作の関心が向けられるようになり、ピアノとアンサンブルを組む他の楽器も、ピアノに引きずられる形で音量を増していきました。
そうなった理由には、市民階級の抬頭によって、音楽が演奏される場が、王侯貴族のサロンから大勢の聴衆を集めたコンサートホールへと移り変わっていったことが挙げられます。
そのような時代の要請による、楽器とそして音楽そのものの変化──改良、進化という言い方は敢えて避けます──に取り残された楽器であるリコーダーとチェンバロは、端的に言えばどちらも音量が小さいので、コンサートホールでの演奏には向きません。リコーダー1本とピアノの二重奏があったとしても、ピアノの音をよほど抑えない限り、リコーダーの音は聞こえないでしょう。
しかしリコーダーとチェンバロの二重奏だと、チェンバロの音量はリコーダーよりも小さいくらいなので、ちょうどよい二重奏になります。
楽器を使う音楽というものは、楽器が先にあってそれに合わせて音楽が作られるのですから、音楽に合わせた楽器を使うことによって、その本来の姿がよくわかるものです。
コンサートが終わってから、長岡で少し時間を潰し、夜行高速バスで上京しました。
(12月12日アップ)

12月8日(金)
昨夜はサイトを更新し、いくらか巡回してお知り合いの方のサイトの掲示板にカキコしてから、午前2時にオフラインにしました。
普通ならもう寝る時間ですが、まだ眠くならないので、5日に2回目のプレイが不首尾に終わった「With You」を、もう一度最初からやり直してみることにしました。
今度も目標は氷川菜織とゴールインすることなので、前回の教訓も取り入れて、
1.大原則:菜織との絆を深める(と判断される)選択肢を選ぶ
2.菜織との絆に影響しない選択は、真奈美との絆を深める選択肢を選ぶ
3.菜織と真奈美、両方の絆に影響する選択は
3-1.両方の絆を深める選択肢があったら必ずそれを選ぶ
3-2.菜織との絆を深め真奈美との絆を弱める選択肢、またはその逆の選択肢があったら、
その時は信じる道を征く。
すると、2回目の時はずっと1回目とほぼ同じシナリオをたどってきながら佳境に入る直前で終わってしまったのでしたが、今度は中盤からシナリオが変わってきました。
そして、めでたく菜織とゴールインしましたが、その時刻は午前6時でした。
ネタバレにならないような書き方が難しいのですが、菜織のシナリオは、サスペンス調から最後は華々しいオカルト調に持っていく真奈美のシナリオと比べると、かなり地味です。
しかも相当ウェットなところもあり、見方によっては真奈美を蚊帳の外においたまま、豹変した菜織が一人で盛り上がっているように見える節もあって、人によっては好悪が分かれると思います。
シナリオの質と、その中での菜織の造形が、真奈美のシナリオとかなり異質であるために、プレイヤーが戸惑ったかもしれないことが、このゲームのシナリオに対する評価があまり高くない理由なのかもしれません。
などと思わせぶりなことばかり書いていないで、きちんとしたゲームレビューをさっさと書いて、Bコースにアップすればいいのですがね。
(ここから下は12月12日アップ)
仕事が済んでから少し仮眠して、それから3番倉庫のネタを打鍵していきます。
最初にこの文章を思いついた時は、クローン規制法の成立を新聞で知ったのとは違う点から思いついたのでしたし、打鍵を開始する前に漠然と考えていた時も、クローンとは少し違う方向へ連想が広がっていったのでしたが、文章としてまとめる段になると、法律の条文まで引用するほど真面目くさった文章から、話題の中心がどんどん逸脱していくのも好ましくないので、最初に思いついたことには触れないまま、クローンに関する話だけでまとめることにしました。
従って、すぐに続編を打鍵することになります。

12月8日は、昭和16年のこの日、日本がアメリカおよびイギリスに宣戦布告した日です。
毎年8月上旬から中旬にはテレビや新聞が特集を組むので、8月15日が終戦の日であることは小学生でも知っていますが、それに比べると12月8日が対米英開戦の日であることは、マスコミはあまり大きく扱っていないような気がします。
当サイトの伝言板に、この日が対米英開戦の日であることを忘れてはいけないというカキコがありました。
私としても、私の祖国であるこの日本が、過去に世界の大部分を敵に回した戦争を起こしたことは厳然たる事実であり、歴史として後世に受け継いでいかなければならないと思いますが、同時に思うことは、戦争を歴史として後世に受け継いでいくための活動が、8月の一時期だけに限られているような気がするのです。
15年戦争は、昭和20年8月6日に始まって8月15日に終わったのではありません。
対米英戦争(太平洋戦争)は、昭和16年12月8日から3年8ヶ月続きました。その前から、昭和12年の第二次上海事変に始まる日中戦争は続いていましたし、そもそもの発端となる満州事変は、昭和6年9月18日の柳条湖事件から始まっています。日本が起こした中国大陸の戦争は、ドイツでヒトラーが権力を握るよりも前から、13年と11ヶ月の間続けられたのです。
そもそも戦争とは、何の脈絡もなしにそれだけが単独で発生する物ではなく、クラウゼヴィッツが「戦争論」で述べているように、特別な手段をもってする外交の継続です。
つまり、昭和初期の日本の、アメリカ・イギリス・中国・ソ連(当時)との外交の延長線上に、あの戦争があったわけです。
日本の無条件降伏という形で戦争が終わったため、終戦ばかりが特別視されますが、戦後に生きる私たちが本当に考えるべきは開戦であり、それに至るまでの外交と内政であると思います。
なぜ戦争に勝てなかったか、ではなく、なぜ戦争を避けられなかったか、歴史の教訓からそれを学び、再び戦争を起こさないことが、今の世に生きる私たちの責務であり、あの戦争での死者(前線銃後を問わず)への慰霊と鎮魂の道であると思います。

12月7日(木)
昨夜サイトを更新してから、今日は仕事があるというのになりぽしさんのサイトのチャットルームへ行き、うっかり3時近くまで話し込んでしまったので、思い切り寝不足です。
何とか勤務時間だけは乗り切って、帰宅後は布団に直行です。
2時間ほど仮眠してから、昨夜に引き続いて3番倉庫のネタを打鍵していきますが、どうも文章の方向性が定まらなくなってきました。
それでこのネタは一時中断とし、テレホタイムになったので定例のサイト更新(運行日誌の整理)を行います。
そろそろ本格的に、AコースとBコースのコンテンツを作り始めないといけないかなぁ、とも思いますが。

12月6日(水)
そろそろ、気の早い部署では忘年会が始まっています。今夜は釣りサークルの忘年会でした。
私は特に釣りが趣味というわけではないのですが、以前に釣りの好きな上司に誘われて一度だけ釣りに行ったことがありました。
しかしその時、ゴカイを針に付けると赤い血を流すのを見て、これは生理的に自分にはだめだと悟ってからは、釣りサークルには「忘年会だけ参加する会員」になり果てています。
明日も通常勤務ですし、それにサイトの更新もやりたいので、あまり飲まずに早々と帰ってきました。

昨日打鍵しようと思っていた3番倉庫のネタを打鍵しているうちにテレホタイムになったので、メールをチェックしてみると、またもなりぽしさんからメールが届いていました。
3日に頂いたCGの修正版とのことです。
さっそくICQで礼を述べてからサイトの更新にかかり、午前0時前にアップしました。
CGに限らずどんな創作物でも、仮に制作当時は最善の作だと思っていても、後から見直すと修正したくなるところが出てくるのは、ごく当然のことです。
ただ、それを際限なく修正していったら、いつまでも完成しませんし、他の人に贈った物の場合、新版に差し替えてもらうのは送り先に負担を強いることにもなるわけです。
その点は、どうしたものだろうか、と思わないでもありません。

12月5日(火)
かなり寒くなってきました。時々雨が降る曇り空の下、断続的に稲妻が光り、雷が鳴ります。
こうなると新潟の冬はもうすぐそこです。

初プレイで鳴瀬真奈美とゴールインした「With You」について、もう一人のヒロイン氷川菜織とゴールインするにはどんな方針でプレイすればよいのか、先週末にチャットルームでヒントをもらったので、まだ見ていない数枚のCGを見ることも考慮しながらプレイしてみました。が……。
バッドエンドでした。
どうやら、真奈美をあまり顧みずに菜織べったりでやっていると、途中で終わってしまうらしいです。
といって真奈美べったりでは菜織とゴールインできないでしょうし。
ほぼ一本道の、かなり楽勝なゲームだと思っていましたが、そうでもなさそうです。
で、ゲームに熱中しすぎて、昨夜か今夜にでもアップしようと思っていた3番倉庫のネタを打鍵する時間がなくなりました(滅)。
そのネタを思いついたのは、With Youからだったのですが……。
運行日誌の更新も、午前2時です。

12月4日(月)
今日が期限の仕事は、特に問題なく片づきました。これでサイトの更新に専念できるようになればいいのですが。
12月になって急に寒くなってきたので、ネット活動に精を出すためには、風邪を引かないように気をつけなければなりません。

今日の更新は、昨夜なりぽしさんから頂いたCGに、コメントを付けて絵画展示室に収めるのが第一です。
その他、「岩倉宮物語」の公開も進めます。仕事が早く終わって早く帰宅できましたし、サイト更新の気分が乗っているので、こんな日は生活リズムを変えるために早寝するのではなく、積極的にサイトの更新を進めることにします。

12月3日(日)
昨夜は久しぶりにチャットルームへ行き、午前2時半頃までチャットをしましたが、それから午前5時まで巡回して、寝て起きると午後2時でした。
平日の勤務と休日夜のネット活動を両立させるために、生活リズムを前へずらす計画は、元の木阿弥になったようです。

夜メールをチェックすると、なりぽしさんからメールが届いていました。
ずっと前になりぽしさんのサイト「麗子となりぽしの部屋」で5000番を踏んだので、その時にリクエストしていたCGです。
今夜の更新では、とりあえず案内所に公開することにして、コメントを付けて絵画展示室に公開するのは明日以降にします。
こういう形で贈り物を頂けることは非常に有難いことであり、ネット活動をやっていて良かったと心から思うのですが、しかし、1ヶ月以上も新作CGが制作されず、自分のサイトのトップに頂き物のCGを掲出してお茶を濁しているというのは、CGサイトとして知られているサイトの管理者としては、かなり面目を失うところがある気がします。
次回作の構想がないわけではなく、制作したいCGは何点もあるのですが。

12月2日(土)
昨夜は、午前0時頃まで仮眠しようと思って午後9時に布団に入ったのに、起きたのが午前10時半でした。
これがもし、夜中に起きてネット活動をすることを身体が拒否しているのだとしたら、かなり由々しき事態です。
まあ、そこまで思い屈しなくてもいいでしょう。一時的なものだと思うことにすれば。

昼間は晴れたので多少の野暮用のために外出し、夜になってからまず、更新が大いに滞っている運行日誌を打鍵します。
こういう時の一次資料になるのが、中学の頃からつけている紙日記で、ウェブ日誌の更新が止まっていても紙日記はほぼ毎日書いています。
これもけっこう時間を費やしているものなのですが、大袈裟に言えば私が「生きてきた証」として、これからもずっと続いていくでしょう。
12月1日の分まで打鍵したところで午前0時になったので、そこまでの分をサーバにアップして打鍵を中断し、久しぶりにチャットルームへ行きました。
(12月3日アップ)

12月1日(金)
昨夜遅く、何となく巡回していて、お知り合いのさんのサイト「R'sCastle」が移転しているのを見つけたので、オプショナルコースの修正を行いました。
ただしアップした時刻がかなり遅くなったので、ダイヤ改正の日付としては12月1日付の改正にします。
インターネットのドメイン名(当サイトの場合は "homepage1.nifty.com" がそれに相当します)は最近規制緩和が進んできたようで、そこつやさんのサイトが "sokotuya.server.ne.jp" という具合に独自ドメインが取得できるようになってきましたが、その規則が変わって日本語のドメイン名も可能になると、しばらく前から話題になっていました。
そこでRさんのサイトは "www.メイドさん.com" という風になるだろうかと、知り合いの方々の間では噂されていたようですが、どうも日本語のドメイン名の実施は一時先送りになったようです。
日本語のドメイン名が話題になった時から、日本語を表示できない環境からではどうやってURLを入力したり表示したりするのか、という疑問が拭えなかったのですが、そこがまだ解決できていなかったのでしょうか。
(12月2日アップ)

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