2000年4月前半の日記
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4月15日(土)
私の職場は、出張や休日出勤が入らない限り基本的に完全週休二日制です。それでこの週末は、昨日から制作を始めた「春の女神」を完成させるつもりでした。
ところが昨夜4時過ぎまでチャットして、今朝10時に起きると、喉がやられていました。一度も風邪を引かずに冬を乗り切ったつもりだったのに、風邪に代わって花粉症が猛威を振るい出す今頃になって風邪というのもおかしなものです。それとも、喉の粘膜を冒す花粉症なのでしょうか(そんなはずあるか、と自分にツッコミ)。
制作の合間に、気分転換に巡回して、3月下旬にふりんとぶらっくさんに紹介していただいた「いいんちょ普及委員会」への入会を決めました。
初めて巡回した時には、何となく入会に二の足を踏んでいたのですが、ちゃんと自分のサイトが立ち上がって、自分の作品を他の会員の方々に見ていただける場を持ったことが、入会に踏み切った理由と思って下さい。
それにもう一つ、今入会すると会員番号が「380番」になるらしいと判断したことも。まあ、自分のハンドルネームへの、稚気に満ちたこだわりの一つですが、さすがに会員番号「800番」を取得するまで待っていたら、あと何年かかるかわかりませんから。
夕方から、市内のレストランで開かれた、同僚の結婚披露パーティーに出席しました。3年前、職場の後輩が交際していた看護婦さんの友達と、私の職場の独身男性連が合コンを開き、その席上で意気投合して交際を続けること3年、最近入籍したので、職場の同僚と少数の上司だけを呼んで、あまり形式張らない披露パーティーを開いたのです。
合コンを企画した後輩は、合コン後いくらも経たずに結婚し、私も含めて一緒に参加した同僚4人のうち2人は既に結婚(ただし相手は合コン相手の看護婦さんではなかった(笑))しています。そして私は、その時の合コン相手の誰とも、全く何の進展もないまま3年の星霜を閲しました(苦笑)。
というわけで、何かある物事に巡り会う機会に恵まれた時、その機会を逃さずに掴み獲れるか、機会を空しく逃すかは、本人の心がけ次第ということを痛感した日でした。
パーティーの途中で、飛び入りで祝辞を述べるといってしゃしゃり出て、言った言葉は
「チッ、先を越されたぜ。以上です」
礼服に白ネクタイ着用で出るような披露宴なら、大ひんしゅくだったでしょう。
カラオケボックスで二次会をやるという話でしたが、喉が痛かったのとサイトの更新をしたかった(見よこの管理者魂を!)のとで辞退して帰りましたが、帰ってくる間に酔いが回ってきて、10時頃、帰宅と同時に布団と仲良しになりました。
というわけで、義理を欠いた甲斐もなく、CGは完成せずサイトの更新もできませんでした。
(4月17日アップ)

4月14日(金)
昨夜は帰宅してから、そこつやさんへの寄贈CG「指切り神社の春」を完成させました。
サイト立ち上げ以来、サイトの更新に予想以上に時間を取られるのと、まとまった制作時間になるはずだった前の週末が上京で丸ごと潰れたのとで、制作したいCGも雑文もたくさんあるのに、なかなか思うに任せなかったのでしたが、運行日誌の日付がとりあえず実際の日付に追いついたので、サイトの更新を一休みして、寄贈CGの制作を徐々に進めていくことにしました。
2000年になってから、これで17枚目(「ニューヨークのいいんちょ」と「FROM DAUGHTER」はそれぞれ1枚と数えます)のCGですが、しばしば頭を悩ますのは題名です。
原作があるもの(「献血パニック」「風の中に消えた」「FROM DAUGHTER」)は何も問題はありません。
そうでない場合は、2つに分かれます。まず、最初に題材が浮かんで、それからすぐ、原画を描き始めるより前に題名が浮かんでくるような時。こういう時に浮かんできた題名は、後になってみてもしっくりくるのが多いです。最近の作品では「なれそめ」がその例。もっとも、こうやって題名を付けた作品が全て真面目なわけではなくて、いささか物議を醸した「みのりの秋」のような作品もありますが。
問題は、描くキャラは決まったのに題材がなかなか決まらないとか、同じような題材で何枚も描かなければならない場合で、そういう時は原画を描き始めても題名が決まっていないなどということがままあります。
それでも、画力の乏しさを他の点で補わなければならない私の場合、上手な方以上に「題名も作品のうち」というのが当てはまりますから、「無題」とか、描いたキャラクターの名前をそのまま題名にするわけにはいきません。
そこで、ああでもないこうでもないと考えて題名をひねり出すのですが、そうして付けた題名は、後になってみるとどうも稚拙さが目立ちます。年賀CG7枚連作(事務所内1番倉庫2号室、「新春のいずみ」から「謹賀新年・鳴沢家」まで)のうち、自分的に納得のいく水準に達した題名は「3ヶ月後の桜子」くらいです。
今は春ですが、いずみの結婚式のCGに「結婚式」という題名は付けられないので(すでに新藤麗子を描いたCGに「結婚式」という題名を付けてあるので)、比喩的な意味で「いずみの春」。するとその1ヶ月後に今回の作品「指切り神社の春」。さらに現在構想中の作品に、すでにタイトルが「八十八学園の『春』」と決定しているのがある、という具合です。
(「八十八学園の『春』」に『』が付いているのには、それなりの意味があります。今はまだ明かせませんが)
この手のゲームのSSで「無題」とか、登場人物の名前を列挙した作品は、インターネットでは見たことがありません。欧米の古典文学ですと、「ドン・キホーテ」とか「ジェーン・エア」のように、主人公の名前をそのまま題名にした作品は少なくないですが、同級生2のSSを書いて「鳴沢唯」という題名でインターネットに公開する勇気のある(笑)SS作家の方はたぶんいないと思います。
普通、CG作家の方は、題名を付けることを意図して、あるいは具体的な題名を念頭に置いて、CGを制作しているものなのでしょうか?
自分の作品に付ける題名なら、どんな稚拙な題名を付けても、自分一人が恥をかくだけで済みます。ところが、他の方から頂いた作品に自分で題名を付けなければならないとなると、あまり下手な題名を付けては作品を下さった方に失礼になります。
先日ふりんとぶらっくさんから頂いたドール写真の題名なんて、「サイト開設祝い」は犬を撮った写真に「犬」という題名を付けるようなもので題名とは呼べませんし、「水野瑞穂から」は語呂が悪い上に意味不明です。もう少し何とかできなかったものかと思います。

4月13日(木)
今週から来週にかけて、職場のいろいろな部署が花見をやります。昨日は部の花見でしたが、今度は課の花見をしよう、という話になりました。
私の職場は課の下にいくつかのチームがあって、部全体、あるいは課の中で宴会をする時の幹事は、チームが回り持ちで当たっています。幹事を務める順番に当たっていたチームが、昨年も花見の幹事に当たったので、今年は順番を交代してほしい、と私の属するチームに申し入れてきました。
ところが、3月までそのチームにいて4月の人事異動で他の部に転出した人の送別会を、チームとして行っていないことがわかり、課としての送別会を花見と併せて行うのであればそのチームが幹事を務めるのが道理ではないか、という意見が課内から続出して、転出した人が属していたチームが、花見の幹事を務めることになりました。
ここまでの顛末はそれでいいのですが、私がどうも気に入らないのは、転出する人の送別会を行っていなかったチームの人は非常識だ、というような事を、私の属するチームの人たちが、当人たちに面と向かって言わず、陰口を叩いていることです。
当人たちに面と向かって言えば、その場では少し角が立つかもしれません。しかし、同じ職場に勤める者同士、日頃から顔をつき合わせているのに、当人たちのいない場所では陰口の言いたい放題というのは、私たち自身も他のチームの人たちにはどんな陰口を言われているかわからないと思うと、はなはだ気分の良くないものです。

話題は突然変わりますが、ネットワーク上にはICQという物があります。個々の利用者に割り当てられるナンバーを、利用者ごとに持っているコンタクトリストに登録してある利用者同士が、短いメッセージを送り合うことができるソフトウェアで、同種のソフトの中では最も普及していると思われます。
ICQは極めてレスポンスが早いので、リアルタイムチャットと同じ感覚で使うことができます。ただしチャットとの決定的な違いは、3人以上でチャットしている時には、全ての発言が全参加者に対して画面上で公開されているのに対して、ICQで交換されるメッセージは1対1の秘密通信であり、例えばAさん、Bさん、私の3人がICQを立ち上げている時に、私がAさんに送ったメッセージの内容を、Bさんが知ることはできません。
するとここで、さっきの「陰口」が問題になってくるわけです。
今、あるチャットに、Aさん、Bさん、私、その他に何人かが参加しているとします。私がAさんに何かを尋ねようとして発言すれば(チャットでは何人も参加者がいる時には、特定の誰かに向けた発言であることを示すために、「>Aさん」という発言の仕方をするのが一般的です)、それは他の全員にも聞こえます(「見えます」という方が正確ですか)。
ところがもし、Aさん、Bさん、私の3人だけが、チャットしながらICQも立ち上げていたとすると、私がAさんに何かを尋ねるのに、チャットで発言しないでICQでメッセージを送ったとすれば、他の人たちには私がAさんに尋ねた内容はわかりません。
この状況は、何人かの人がテーブルを囲んで談話している時、隣同士で耳打ちし合ったり、席を立って部屋の隅で2人だけで話し合ったりしているのと似ています。オフ会でそんな事が始まったら、場の雰囲気は一気に悪くなるでしょう。
オフ会では全員の挙動が見えますから、敢えてこんな事をする人はいないと思います。ところがチャットでは、見えるのは発言だけです。参加者がチャットルーム内で発言する以外にどんな挙動をしているのか、それを知る術はありません。
だから、さっきまで多弁だったAさんが突然寡黙になったとすると、席を立って用足しに行ったか、夜食を食べ始めたか、居眠りを始めたか(私も時々やります、これ)、それともBさんと内緒話を始めたかは、オフ会でならば一目瞭然です。
ところがチャットでは全くわかりません。もしAさんとBさんが、ICQで私の悪口を言い合っていたとしても。
その時私がICQを立ち上げていて、私のコンタクトリストにAさんとBさんが登録されていれば、AさんとBさんがICQを立ち上げているということだけはわかりますが、そこまでです。その時のチャットの参加者に、ICQを使っていないCさんという人がいて、もし仮にAさんとBさんがICQでCさんの悪口を言い合っていたとしても、Cさんはその気配すら知ることができません。
こんな事が横行するようになったら、インターネット利用者同士の信頼関係は確実に損なわれるでしょう。

私は疑心暗鬼、被害妄想なのかもしれません。私が行きつけにしているチャットルームに毎週顔を出す人たちは、健全な良識を持った善良な人たちだと思いたいです。しかし、日頃職場で顔をつき合わせている人たちの実態を目の当たりにしていると、楽天的な人間性善説を信じ切る気には、どうもなれないのです。

4月12日(水)
3月下旬まで里に雪が残るほど冬が長かったため、新潟県内の桜の開花は平年より遅れていましたが、ここ数日のフェーンの影響で、ようやく近くの公園の桜が見頃になってきました。
それで今日は、勤務時間終了後に職場の花見です。近くの公園は、県内でも割と有名な桜の名所で、今の季節になると私の職場でも、部ごと課ごとに花見に繰り出します。
しかし花見と言っても、昼間ならともかく勤務時間終了後では、始まっていくらも経たないうちに日が暮れてしまうので、肝心の桜は見えなくなってしまいます。そんな事は社会人なら誰もが百も承知の事で、要は屋外で宴会をする口実に桜を使っているだけなのでしょう。
かく申す私も、花より団子、団子より酒を地で行っている手合いなのですが……。
花見に名を借りた宴会を、4月上旬または中旬という今の時期に行うことの意味合いは、4月1日付の人事異動で同じ部署に加わってきた新顔を、部署の共同体の一員として認知するための通過儀礼、というのもあるのではないでしょうか。
辞令交付後の挨拶回りで、公式な顔見せは済んでいても、より「共同体」的な面では、宴会という形式の通過儀礼を要すること。その善し悪しは別にして、いかにも日本的だと思います。

やっと運行日誌の更新日が日誌の日付に追いつきました。こうしている間にも、3番倉庫に入れる雑文の題材は次々に浮かんでくるのですが、今夜は花見にはお構いなしに持ち帰り仕事があるので、3番倉庫に入れる雑文は書けそうにありません。
題材のいくつかは4月限定なので、寄贈CGと併せて、できるだけ早く制作したいところですが。

4月11日(火)
昨日までは暖かい南風が強く吹いて、桜のつぼみを日ごとにほころばせていたのが、今日は一転して冷たい北風です。三寒四温とは、こうした天気のことを指すのでしょう。
私の住む北陸地方では、春から夏にかけて、乾燥した南風が吹くことがよくあります。気象学的に言うとフェーン現象で、日本海を低気圧が通過する時、低気圧に向かって太平洋側から吹き込む湿った風が、山脈の太平洋側で雨を降らせ、乾いた風になって日本海側に吹き下ろしてくるものです。その時、気温も急激に上がります。
風速10メートル以上のフェーンが吹く時は、湿度は30%まで下がることがあります。そのような時、3月でも気温は20℃を超え、里の雪を見る見るうちに溶かしていきます。真夏にフェーンが吹くと気温はさらに上がり、99年の夏には地元の測候所で38.3℃を記録したことがあります。日本で観測された気温の最高記録、1933年に山形市で40.8℃を記録した時も、フェーン現象だったそうです。
帰宅後は昨日までの日記の打鍵とアップロード。15年来つけている紙日記も、毎日その日のうちにその日の分を書き上げるとはいかず、翌日になってから前日の分を書くことがままあるのですが、日記帳とボールペン1本あればどこででも書ける紙日記と違って、パソコンをFTP接続できる環境にないと打鍵・更新ができないウェブ日記は、なおさら滞りやすい宿命を免れにくいようです。
10日の分までの打鍵が終わったのが12日の午前3時、その時点で11日の分の打鍵は諦めました。
(4月12日アップ)

4月10日(月)
朝6時に帰宅してから、仮眠も取らずに出勤です。出勤までにしていた事が、出納帳と物品目録の整理、それから「脱衣雀」のインストール……何やってるんだか。
夜帰宅してから、久しぶりの更新です。真っ先に取りかかったのは、出張中に伝言板のカキコで指摘された、オプショナルコースの誤り。
ホームページ制作ソフトを使わずにエディタ一本槍で制作していて、表の行をコピーして新しい欄を作ったものの、<a href="……">の中身を修正し忘れたという、論外なほど初歩的なミスでした。
その他にオプショナルコースの追加を行ってからいったんアップロードし、それからニフティのメールをチェックすると、ふりんとぶらっくさんからの贈り物が届いていました。
さっそく「Flintblack's Homepage」の掲示板でお礼を述べ、絵画展示室に公開するためのコメントを書いてアップロードしてから、ICQとチャットで少しお話ししました。
贈り物を頂いたら、できる限り早く公開するのが礼儀と心得ています。
1番倉庫の内容物の場合は、本体の出来を補う目的と、あるいはコメントを書くこと自体が楽しみなのとがあって、よそのサイトの管理者の方は誰もこんなに書いていないような長大なコメントを付けていますが、頂いた贈り物にそんな長大なコメントを付けようとすると、公開が遅れてしまって本末転倒になる惧れがあるのが、頭の痛いところです。
だいたい日記も長すぎて、書くのに時間がかかりすぎ、当日分をその日のうちにアップできていない体たらくですから……。
(4月11日アップ)

4月9日(日)
東京で一日自由行動。
……と言うと、朝から晩まで秋葉原に入り浸り、と思われるかもしれませんが、そこまで趣味が狭くはありません。
この日の立ち回り先は、「日本国宝展」開催中の東京国立博物館、上野動物園、秋葉原、その合間に新宿の献血ルームです。
それぞれ、第3倉庫にシリーズで連載するくらいの文章は書けますが、今は止めておきます。
秋葉原で買ったのは「One」と「Kanon」のノベライズ2冊、クラシック音楽のCD15枚(うち19世紀のオルガン曲が13枚)、ゲームソフト「脱衣雀」、ビデオ3本「ライジング・サン」「フリー・ウィリー3」「卒業生(第1楽章)」。
我ながら、趣味の対象が分散しつつ偏っているのを感じます。
もちろん、自分的に今回の上京の最重要目的であるボークスへも行って、ふりんとぶらっくさんの2人の娘さん達にも会ってきました。
(……ご存じでない方には非常に誤解を与える文章ですね。ふりんとぶらっくさんが制作されたカスタムドール2体が、ドールショップの展示スペースに委託展示されているのを見に行った、というのが、堅気の衆に通じる説明です)
ボークスに足を運ぶたびに(と言っても今日が2回目ですが)、ゲームキャラのドールを作りたいという気運が高まっていくのを覚えます。
しかし、どんな物であれ物を作る趣味は時間を割かれるもの、サイト運営という趣味が新たに加わった直後に、さらにドール作りという趣味を持ったならば、限りある自由時間をその2つに振り向けるために、何か他の趣味が犠牲になるかもしれません。その危険を思うと、新しい趣味に手を伸ばすことには、どうしても慎重にならざるを得ないのです。
両国の地ビールレストランで一杯飲んでから、一昨日と同じ上野のインターネット喫茶へ行って伝言板のカキコにレスを付け、夜行バスの客となりました。
(4月11日アップ)

4月8日(土)
引き続き東京にて用務。
宿と立ち回り先が上野の近くなので、昨日もそうでしたが上野公園の横を通ることがあります。すると上野公園は、血飛沫の舞う阿鼻叫喚の巷……もとい、桜吹雪の舞う喧噪の巷です。
横浜に住んでいた頃を思い出してみると、年によって多少の遅速はありましたが、4月第2半旬、6日から10日までの間に桜が開花していた記憶があります。
チャットで常連の方々と話していると、一方には3月のうちからトップページの装いを春仕様に変えたサイトがあって、そのサイト管理者の方は九州にお住まいで3月に桜が咲くとか。沖縄では、本土の桜と違う種類の桜が、1月に花を咲かせると聞いています。一方、北海道にお住まいの別の方は、5月にならないと桜は咲かないと。日本の国土の広さ、それも南北方向の広がりの大きさを感じます。
私の地元新潟県では、今年は近年では珍しく遅くまで雪が降り続きましたが、3月20日を過ぎると急に雪が消えました。それでも、桜の開花は平年よりいくらか遅れそうで、4月15日頃と予報されています。
上野公園の中を通ると、古歌が浮かびます。
「世の中に 絶えて桜の なかりせば 民の心は のどけからまし」
平安時代から、桜の花にかこつけてどんちゃん騒ぎをする民衆の姿は、少しも変わっていないのでしょう。
古文の授業で習ったところでは、この歌は「桜なんかなければ静かでいいのに」という否定的なニュアンスではなくて、「もし桜がなかったら世の中はつまらないものになっていただろう」という、間接的に桜を愛でるニュアンスで詠まれているのだ、ということです。
東京での用務が終わったので、近県にある実家に泊まることにしました。
行ってみると突然待ち受けていたのは、パソコンのセットアップでした。
3月に定年退職した父が、インターネットを始めようと通信販売でパソコンを買い、それが昨日納品されたので、パソコンに詳しい私に、セットアップしてくれと頼んだのです。
テレビが若者の占有する道具でなくなって久しいのと同様、インターネット端末としてのパソコンは、もはや若者だけが使いこなせる道具ではなく、老若を問わず利用される道具になっていくでしょう。むしろ、居ながらにして情報の収集や発信ができるインターネットは、年配者にこそ適したメディアかもしれません。
ただ、このサイトをご覧になっている方に、60歳以上の方はあまりいらっしゃらないと思いますが……。
実家のパソコンは、この夜にはまだインターネットに接続していなかったので、メールと伝言板カキコへのレス書きはできませんでした。
(4月11日アップ)

4月7日(金)
東京での用務は午前9時半からなので、当日朝の出発では、上越新幹線の上り一番列車に乗っても間に合いません。
といって前日の夜まで資料作成に追われているような状態では、東京で前泊するのも無理。
そこで最後の手段は、夜行列車あるいは夜行高速バスです。
夜行列車と夜行高速バスについては、いずれFコースででも語ろうと思いますが、JRの普通運賃と大差ない運賃で乗ることができ、新幹線特急料金や寝台料金をまるまる浮かすことのできる夜行高速バスは、なかなか重宝な交通手段だと思います。
ただ、新潟から東京までくらいの距離だと、到着が午前4時台と早すぎるのが欠点の一つ。そこで、東京で用務があって夜行高速バスで上京する時は、たいていいつも山手線を適当に周回して時間調整します。どこまでも安上がりな自分(笑)。
この日の用務は夕方で終わりましたが、その後で野暮用が入ってきて、宿に落ち着いたのは8時。前回2月末に上京した時から自分的な用務先として設定していた、秋葉原のボークスへは行けませんでした。
これも前回の上京時から目を付けていた、上野公園の近くにあるインターネット喫茶から、伝言板カキコへのレス付けとメールの返事書きをして一日が終わりです。
それにしても、@ニフティのINTERWAYからメールボックスにログインするためのパスワード(ニフティ会員の方はご存じでしょう。向こうが割り当ててくる8桁の、暗号そのもののパスワードです)、私は正規パスワードが発効した翌日にはブラウザに覚えさせていたはずなのに、5ヶ月経った今、自分の頭が覚えていたのが不思議です。
(4月11日アップ)

4月6日(木)
明日からの東京出張に備えて、プレゼンテーションのためのOHPシート制作。
それにしても、映写によるプレゼンを行うための方法は、昔(と言っても私が学生だった、たかだか10年ほど前)に比べてずいぶんと変わったものです。
その頃は、カラースライドは学生が使わせてもらえる物ではなく、青地に白文字あるいは白地に黒文字の、モノクロスライド作成機が学科に1台くらいあって、卒論発表会の前などにはフル回転していたものです。
スライドの原版を作るのに使っていたのが、某有名ワープロソフトのバージョン4.3、それを5インチフロッピードライブ2基ハードディスクなしのマシンでディスクを入れ替えながら文書ファイルを作り、ドットプリンターで打ち出していた時代です。
在学中にページプリンターが普及し始め、アウトラインフォントの美麗さに目を見張る一方、「これで外字が使えなくなる(私の父の名前には、第2水準にない文字が入っています)」と思い始めるあたり、やはり普通の人とどこか思考回路がずれているのでしょうか。
就職する頃には、技術系・事務系どちらの部署でもページプリンターがごく当たり前に使われるようになり、プレゼンもカラースライドが当然の時代になっていました。
さらに最近では、スライドに代えてOHPが広く使われるようになり、カラーのインクジェットプリンターがどの部署にも置かれるようになってきました。それどころか、フィルムもOHPシートも全く使わず、プレゼンソフトを使ってモニター上に図表や写真を表示し、それをビデオプロジェクターでスクリーンに映写する、というようなプレゼンも珍しくなくなってきました。そうなってくると、今もってプレゼン用の原稿を紙に印刷し、コピー(乾式複写)・カット(ハサミで切り取る)&ペースト(原版に糊付け)を駆使して原版を作っている私など、すっかり時代遅れ人種です。
しかし、機材がどれほど進歩しようとも、結局それを使うのは人間なわけで、OHPシートのデザインには作成者のセンスがはっきりと反映されます。私の同僚たちが製作しているスライドやOHPシートを見ると、上手な人とそうでない人の差がはっきり現れています。
初心者がよく陥りがちなのは、色を使いすぎること。箇条書きだけのシートなら、文字に使う色は強調1色と通常1色の2色だけ、グラフを含むシートならシンボルに使う色は1枚に3色が上限、と上司には言われました。
それから文字は大きく字数は少なく。OHPシートに印刷する文字は24ポイントより小さい字は使わないくらいがよい。
そして表は極力使わない。横10行縦20列もの表を、小さい字で印刷したスライドを作る人は、見る人に理解してほしくないと自ら宣言するに等しい。
こういったことは、ウェブサイトの各ページをレイアウトする際にも言えるのではないでしょうか。

でも、いくらサイトのレイアウトのセンスを云々しても、
「レイアウトは枝葉末節、コンテンツの質が根本」という正論の前には無力なのですが……。
(4月11日アップ)

4月5日(水)
昨日、伝言板の形式について、お客様のご意見を求めましたところ、今朝までに伝言板への書き込みが2件、メールが1通ありました。
伝言板の書き込みは2件とも、別に気にならないという内容でしたが、メールは(メールを下さったのは、伝言板の形式について最初に指摘して下さったお客様です)、昨夜の時点では私が気づいていなかった、もっと重大な問題点を指摘する内容でした。
それは、ご自身のサイトをお持ちのお客様がサイトへのリンクを書いて行かれ、後から来たお客様がそのリンクをクリックして、リンクを書いて行かれたお客様のサイトをご覧になり、「お気に入り」あるいは「ブックマーク」に登録しようとしますと、そのお客様のサイトのURLではなく、 "http://homepage1.nifty. com/800tours/ board.htm"、すなわち当サイトの伝言板のURLが登録されてしまう、ということです。
これでは、当サイトの伝言板にリンクを記して下さったお客様のサイトを訪問された方を、次の訪問時にはその意に反して当サイトへお連れするようなことになりかねません。

いろいろと試行錯誤しましたが、現在伝言板を設置しているAAA!CAFEの無料掲示板サービスの仕様では、フレームを廃止しない限り解決できないようです。
さらに調べたところ、AAA!CAFEと並ぶ掲示板レンタルサービス、Tea Cup Communicationの掲示板の仕様ですと、フレーム内のウィンドウにロードされた掲示板から張られたリンクをクリックするとフレームが解除され、リンク先のサイトを「お気に入り」あるいは「ブックマーク」しても、全く問題は生じないことがわかりました。

以上を検討した結果、フレームの利点を残したまま、指摘された問題点を解消するには、Tea Cupへの移転が最善であるとの結論に達しました。
従いまして、本日22時をもちまして旧伝言板のフレーム設定を解除し、新伝言板を開設します。
営業開始早々、しかも予告なしの改造で恐縮ですが、諸事情をお酌みいただき、ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。
なお旧伝言板は、新伝言板が天変地異、ハッキング等によって使用不能になった場合の予備伝言板として存置します。また、伝言板のフレームを設定したファイルのURLは、 "http://homepage1.nifty. com/800tours/ board.htm"のまま変更はありません。
旧掲示板のログは、しばらくの間事務所内仮設倉庫に保存します。

2日続けて、運行日誌が「ダイヤ改正の言い訳」と化してしまいました。もっと他のことも書かないと、と思っているはしから
事務連絡:出張のため、6日夜から10日朝まで更新を停止します。

4月4日(火)
ダイヤ改正にも書きましたが、伝言板の形式について、お客様のご意見を求めます。
現在の伝言板の形式では、左側のウィンドウにある「案内所」から「お客様の声」までのメニューをクリックすると、案内所を通らずに当サイト内を移動できます。
ところが、右側のウィンドウに書き込みをなさったお客様が、ご自身のサイトへのリンクを書いて行かれた場合、後から来たお客様がそのリンクをクリックすると、リンクを書いて行かれたお客様のサイトが右側のウィンドウに表示され、左側のウィンドウには当サイトのメニューが残ったままになってしまいます。
これは問題があるという指摘を、HTMLに詳しいお客様から頂きました。
伝言板が自分で組んだCGIでなく、無料掲示板サービスを利用していますので、カスタマイズに限界があり、フレームを廃止する以外には問題を解決する方法が考えつきません。
私としては、伝言板から案内所を通らずに事務所やオプショナルコースへ行ける現在の方式は、そのためにフレームを組んだこともあってなかなか捨てがたい方式だと思うのですが、ご自分のサイトへのリンクを書いて行かれるお客様が大勢いらっしゃることを考えますと、現在の方式が持っている上述の欠点は、サイト管理者として決して見過ごせない気がします。
お客様のご意見を伺ってから、判断しようと思います。

4月3日(月)
今日は新年度最初の平日です。週休二日制の企業では、今日、辞令交付や入社式が行われたところが多いでしょう。
辞令交付と言えば人事異動、人事異動と言えば転勤、転勤と言えば……単身赴任、と続くのが日本の現実でしょう。私は幸いにして就職以来転勤していませんし、もし転勤するとしても幸か不幸か独身ですから、どこへ行くにも身一つの気軽なものですが、学齢期の子供を持つ親御さんにとっては、頭の痛い問題なのではないでしょうか。
目下いちばん整備を急ぐのは、オプショナルコース(リンク集)です。今日も帰宅後せっせと更新しましたが、アップロードが午前0時を過ぎてしまいました。しかも回線の接続不良でトップページを見に行けなかったので伝言板に寄せられたお祝いカキコへのレスを先にしたり……。
テレホタイム終了までは、4月3日なのだ、と開き直ります。
お祝いカキコを見ていると、CコースとDコースの開設を待ち望む声があります。
さあ、弱った……(汗)。
各コースのトップページ用の、知美の絵もまだ全部は描いていないのに……。

4月2日(日)
昨夜は午後10時半頃サーバにアップロードし、それから日頃行きつけにしているサイト、「お昼寝宮」「桂芳恵精神病棟」「画廊喫茶カトレア」「恋姫達の社」「そこつやの館」「同級生FanPage」「麗子となりぽしの部屋」(五十音順)の掲示板にカキコをしました。
そして《憩》(「同級生FanPage」内)と「けんたろうチャット」(「そこつやの館」内)で待つことしばし、知り合いの方々が何人も訪れては、お祝いの言葉を下さいました。「麗子となりぽしの部屋」開設当夜、けんたろうチャットに最多で15人集まったという伝説的盛況には及びませんでしたが、皆さんが私のサイト開設を暖かく迎えて下さったことに、改めて感謝いたします。
とりあえず一区切り付いたことで気が弛んだのか、午前4時頃、けんたろうチャットでチャット中に沈没してしまいました(苦笑)。
伝言板へのお祝いカキコは、今日の午前8時までに15件に達しました。今夜はサーバにアップロードしてから、カキコへのレス書きです。
昼間は3番倉庫の雑文を書くための資料集めに図書館へ。その後はオプショナルコース開設の準備。昨夜のチャット中に、相互リンクを快諾して下さったサイト管理者の方々に感謝します。
ちょっと気懸りなこと。現在まだ開設していませんが、事務所内、危険物取扱所が妙に皆さんの関心を集めているらしいです。
今から宣言しておきますが、ここには、エッチなCGや文章を置くつもりはありません。そのような期待をしないように(笑)。

2000年4月1日(土)
昨夜のチャットでエイプリルフールという言葉が出たので、朝起きてから、定期巡回先のサイトを巡回してみました。
すると「夏コミにサークル参加を決定/夏コミ本の表紙ラフ画はこちら」とやっているサイトがありました。
夏コミのサークル参加締め切りは2月だそうですから、その筋の人ならすぐにわかるウソですが、それに見事に引っかかった(笑)私は、ある意味では「堅気の衆」なんでしょうか?
(ギャルゲーのファンサイトを設立した時点で既に堅気の衆ではない、というツッコミを入れないように)
しかし、「このホームページは閉鎖しました」というウソは、「同級生2」のブームが去って、いくつものサイトが閉鎖していく昨今の状況の中では、ちょっとシャレになっていませんね……。

午後はひたすらサイト開設準備。夕方ちょっと、3番倉庫の雑文を書くための取材に図書館へ行きました。
時間は押してきましたが、何とか、4月1日23時59分(日本標準時)までには公開に踏み切れそうです。

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