2001年5月後半の日記
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5月31日(木)
梅雨入りにはまだ早い時期ですが、雨が降っています。
相変わらず仕事は忙しく、帰宅すれば物品台帳の打ち込みが、永遠に続くがごとく立ちはだかっています。自分という人間が、物品台帳の整理が終わるまでは他のことが何も手に付かない人間であるとわかったなら、心おきなく他のことを始めるためには、とにかくそれを終わらせなければなりません。
これ以上は愚痴になるので打鍵しません。
(6月1日アップ)

5月27日(日)〜30日(水)
HTMLファイルの微修正が27日で一応終わったので、物品台帳の打ち込みと日記の打鍵を交互に進めていきます。
自分の身の回りにある物を、細大漏らさずリストにしてみると、改めて物の多さを実感します。これでも引っ越しに際して、読む当てのない古雑誌は処分し、冬物の衣類は実家に送って、部屋の中にある物を減らすように努めたつもりだったのですが。
前の職場にいた頃、引っ越しの度に荷物の多さに頭を抱える周りの人たちに向かって、「人はその背中に負える以上の物を持たずに生きるのが理想ではないか」と言ったことがありましたが──遊牧民は今でも、それに近い生活をしていますが──、私自身がそれから程遠い生活をしているようでは、説得力はなかったようです。
コンピュータ関係にしても、CRTディスプレイ付きのタワー型マシンをノートパソコンにし、B5サイズの箱に入っているゲームソフトはマニュアルを縮小コピーしてCD-Rケース(CD-ROM2枚組以上のゲームなら薄型のCDケース)に入れる、といった方法で、占有する空間を大幅に減らせるのではないかと思いますが、なかなか実行に移せないものです。
私が持っているWindowsゲームソフトで、箱が最大なのは「サクラ大戦(CD-ROM3枚組)」で、箱の大きさは190x266x59mmです。これをクラシック音楽によくあるCDが4枚入るケースに入れると142x125x23mmで、体積は(142x125x23)/(190x266x59)x100=13.7%。CD-ROM1枚のゲーム、例えばKanon(18禁版)の箱は変型で184x184x39mmの正方形ですが、これをCD-Rケースに入れると142x125x5mmで、体積は(142x125x5)/(184x184x39)x100=6.7%に減らせます。DOS時代に比べるとWindowsゲームの箱は小さくなってきましたが、それでも142x125x10mm(1枚)または143x130x17mm(2枚組)の音楽CDサイズが標準であるPlayStationゲームに比べるとまだ場所を取ります。
(5月30日アップ)

5月26日(土)
今日は長岡へ、チェンバロのコンサートを聴きに行きます。今回は「イギリスの巨匠たち」という題で、前回と同じく、鍵盤が2段あるグランドピアノ型のチェンバロと小型のヴァージナルを使って、16世紀末から18世紀中頃までのイギリスのチェンバロ音楽が演奏されました。
先日の項でちょっと触れましたが、チェンバロ音楽に限らずイギリスの音楽は、盛んな時代と不毛の時代が際立っています。
第一の隆盛期は女王エリザベス1世(在位1558〜1603年)の時代で、政治経済的にも1588年にスペインの無敵艦隊を破って制海権を奪取し、東は日本から西は北アメリカまで全世界へ交易に乗り出して、旭日登天の勢いにあった時代です。ちょうどその頃、経済力を蓄えた市民階級に小型のチェンバロが流行し、その楽器のための音楽も、有名無名の作曲家によっておびただしい数作られました。このタイプの楽器をヴァージナルと呼ぶのも、生涯非婚で「処女王(Virgin Queen)」と呼ばれたエリザベス1世にちなみ、女王自らもこのタイプの楽器を愛奏されたと伝えられています。
17世紀にはピューリタン革命や革命後の反動もありましたが、世俗音楽の隆盛時代は続きます。しかしバロック時代、イギリス人の作曲家というと17世紀後半のパーセル(1659〜1695)が最後で、「メサイア」の作者として日本で最も知られているイギリスの作曲家ヘンデル(1685〜1759)はドイツからの帰化人です。音楽史上のバロック時代が終わり、チェンバロがピアノに取って代わられるのと時を同じくして、イギリス音楽は不思議なほどの不毛時代に入ります。今日の演奏会で取り上げられた曲も、ヘンデルの作品が時代的に最後でした。

さて今日のコンサートは、3月まで私がいた職場の同僚数人を誘って会場で待ち合わせたのですが、久しぶりに会った同僚たちが私のアパートを見たいとせがむので、コンサートの後でアパートまで連れてきました。
前の職場ではギャルゲー趣味のことをカミングアウトしていなかったのですが、同年代の同僚ならある意味では親より気が置けない相手なので、特にゲーム機とゲームソフトを隠すようなことをせずに部屋に入れると、両親が来た時より相当散らかっているのに、同僚たちは「自分の部屋より片づいている」と口を揃えます。実家にいた頃から私の部屋を見て両親が眉をひそめていた、私のアパートが片づいているというのでは、同僚たちの部屋は伏魔殿です。私より少し年上の女性が台所を見て、食器が洗いかごに伏せてあるのを見て感歎しているようでは、21世紀の日本の家庭はどうなってしまうのでしょう?
(5月30日アップ)

5月22日(火)〜25日(金)
このところの日記更新の停滞は、完全に上京の反動です。22日の朝夜行バスで帰ってきてそのまま出勤したために体調を崩した、というようなことはないのですが、精神的にはどうも低迷していて、せっかく買ってきたゲームを始めようという気にもなりません。
それではいったい毎晩何をしているのかというと、サイト全体にわたるHTMLファイルの微修正と、所有物品台帳の電子化です。
HTMLファイルの修正は、ページのソースを表示しない限りわからないようなことなので、ここでは詳しくは述べません。
ですが、サイト全体でHTMLファイルが400以上もあるので、始めてしまうとなかなか終わりません。しかも私という人間の不思議な性分で、そういう作業に着手してしまうと、それが全て終わるまでは他のこと──ゲームのプレイさえも──を始めようという気になりません。それでこうして、日記の打鍵が一週間も遅れるという事態を招来しているのです。
所有物品台帳は、最初は5年ほど前、自分の身の回りにある物を把握しておこうと思い立ってノートに書き込み始めたのですが、その後新しい物品が増える一方で(その典型がゲームソフト)、古い物品なかんずく衣類は次第に廃棄したり実家に送ったりするので、ノートの記載が錯綜してきたため、引っ越しを機に全面的に作成し直すことにしました。その際、なぜかわからないのですが大きめの単語カードを二孔ファイルに綴じてそれに記入するという、仕事と趣味の両方でパソコンを駆使している人間とは思えないほどアナログな方法で始めたので、いつまで経っても終わりません。ある日そのことを同僚に言ったら
「なんで表計算ソフトを使わないの?」
と言われたので、その夜から単語カードは止めて、それまでに作った分もExcelのファイルに打ち込み直すことにしました。そんなこんなでけっこう時間がかかり、4月から断続的に進めてきた作業ですが5月になっても続いています。
そのうちに上京中に撮ってきた写真のDPEができてきたので、24日には久しぶりに日記を更新しました。これも本来は、今月上旬の分が18日に公開されてから5日経過したために過去区分に移す更新を23日に行うべきだったのを、他の作業を優先していて24日に延期し、それと一緒に打鍵して公開したのです。
(5月29日アップ)

5月21日(月)
東京滞在3日目にして、やっと表向きの用件である出張先での用務になります。私が内心、どの用件に一番重きを置いていたかは秘密です。
昨日の夕方の秋葉原探索で手持ちの資金がかなり少なくなっていたので、昼休みに用務先の近くの郵便局で軍資金を引き出しておき、用務が終わると秋葉原へ繰り出します。
秋葉原の大半のゲームショップが店じまいする午後8時までに、2日間で買い込んだのは
(新品と書いてない物は中古です)
・ゲーム機本体…スーパーファミコン(新品)、SegaSaturn、DreamCast(サクラ大戦特別仕様、新品)
・PlayStation用ゲームソフト…絆という名のペンダント、久遠の絆、シスター・プリンセス(通常版)、センチメンタルグラフティ、センチメンタルジャーニー、同級生2(通常版)、トゥルー・ラブストーリー、トゥルー・ラブストーリー〜Remember My Heart〜、ときめきメモリアル、ときめきメモリアル2
・スーパーファミコン用ゲームソフト…同級生2(ローソンでやっているゲーム書き換え)
・SegaSaturn用ゲームソフト…同級生if
・DreamCast用ゲームソフト…Kanon
・Windows用ゲームソフト…Flutter of Birds、大人の缶詰(エルフ会員限定品)
・その他…PlayStation用メモリーカード(新品)30ブロックと15ブロック各3個
購入品総額…………9万円余
 ………忌み月の逢魔が時、何かが私に憑いていたのでしょうか!?
この中で、上京前にいちばん入手したかったのはPlayStation版同級生2です。
もう2年も前になりますか、1999年の春、私が「桂芳恵精神病棟」を知ったばかりの頃、PlayStation版同級生2にだけ登場するオリジナルキャラである西御寺静乃の存在を知りました。それから少し経った8月には、桂芳恵精神病棟と、私が知る限りウェブ上唯一の静乃メインサイトである「嵐山通信」に公開されていたCGだけを資料にして「避暑地にて」を描き、その後「秋の夜長によせて」「三年後」「二人の入学式」「神々の黄昏」と、気がつけば静乃を5回も描いています。99年の12月には、静乃を描くための資料として、PlayStationを買う当てもないうちからPlayStation版同級生2のガイドブックを買いもしました。
PlayStation版同級生2ではゲームシステム上、静乃は鳴沢唯と絶対的排反関係にあり、プレイヤーが静乃とゴールインすると唯と西御寺有友が結ばれることになっているらしく、そのためか唯を偏愛する一部のサイトでは不当に敵視されている静乃ですが、西御寺有友に対しては好意的中立を保っている私にとっては何の問題もありません。(その一方で長 岡芳樹に対してはそれを徹底的に貶め、愚弄し、嘲笑することを創作活動の推進力にすると公言して憚らないのでは、少し人格を問題視されても仕方がないのかもしれませんが。)思えばその頃から、PlayStationを買いたいという欲求が心の深奥に生まれていたのかもしれません。
そうしているうちに、この日記でも繰り返し書いていますが「ToHeart」、Windows版のシナリオに不満を覚える一方でPlayStation版の噂を聞くほどに購入意欲が高まってきて、とうとう「ゲーム機に手を出さない」という禁を破ってPlayStationを買ってしまったわけです。
4月にPlayStationを買った時には、PlayStation用ゲームソフトとして、ToHeartだけでなく同級生2も買いたいと思っていました。ですがToHeartよりさらに古い、しかも発売後なぜかあまり好評を博しなかったらしい同級生2は、新潟市の複数のゲームショップを探しても売っていませんでした。ですから今回の上京でも、PlayStation版同級生を最重点目標として中古ゲームショップを重点的に探すと決めたものの、あまり期待していなかったのが正直なところです。
知っている限りの中古ゲームショップをさんざん探した末に、通常版をやっと見つけた時には、これで今回の秋葉原探索の目的は果たした、とまで思ったほどです。
(PlayStation版同級生2にはEXTRABOXという限定版があると聞き及んでいました。何でも女性キャラのフィギュア12体がついているということですが、大きすぎて売れ行きが芳しくなかったのか、一時期は通常版よりも値崩れしていたらしいです。私は人目を気にせずに済む独り暮らしですし、もし入手可能ならばEXTRABOXをとも思っていましたが、いつか中古市場からも消えていたようで、今回の秋葉原探索ではとうとう発見できませんでした)
今にして思えば、禁を破ってPlayStationを買った瞬間から、心のたがが外れていたのでしょう。もはや過去のゲーム機になり果てたスーパーファミコンとSegaSaturn、生産中止と報道されて通常仕様の本体が見つからなかったDreamCast、一度に3つのゲーム機を買ったのですから。
もちろんそれらの本体だけでなく、それ用のゲームソフトも一緒に買っています。スーパーファミコン版同級生2、オリジナルキャラの南雲麻耶が登場するというこのゲームは、今では普通のカセットでは販売されてなくて、ローソンでやっているゲーム書き換えでしか入手できず、それも今年末限りらしいです。一番高かったのがローソンで定価(3980円)で買った書き換え用メモリカセット、新品ながら叩き売り同然の値段(2000円)で買ったスーパーファミコン本体はゲーム書き換え(2000円)と同じ値段だったというのには、ゲームショップとコンビニの商品価格の違い、あるいはスーパーファミコンというゲーム機の末路を見る思いがしました。
中古しかなかったSegaSaturnも、同級生にオリジナルキャラ(桜木京子・高野みどり・堀真澄)を追加したSegaSaturn版同級生ifのために買ったものです。SegaSaturnの後継機だと思うDreamCastすら生産中止になる時勢、SegaSaturn用の新品ソフトは多くありませんが、かつてはPlayStationと覇を競ったゲーム機らしく、中古ショップへ行くと、同じゲームがPlayStationとSegaSaturnで出ているのを見かけます(センチメンタルグラフティ、同級生2、ときめきメモリアルなど。PlayStationの「絆という名のペンダント」は明らかに、SegaSaturnそしてWindowsのWith Youと同じゲームです)。
「PlayStation版を買わずSegaSaturn版を買う」何か特別な理由があるユーザーは別として、新品のPlayStationと中古のSegaSaturnを手に入れた私が両方のゲーム機で出ているゲームをどちらか一方だけ買うとすると、その時はやはり、本体が壊れたら保証も効かないSegaSaturn版ではなくてPlayStation版を買うことになります。ハードウェア(PlayStation)がいつまでも生産されていれば新品のハードを買う新規ユーザーは増え続け、前からのユーザーもそのハードに対応するソフトを買い続ける。ソフトを買い続けるユーザーが多ければ、そのハードに対応した新作ソフトの制作が続く。全く別の新しいハード(DreamCast)が参入したとしても、そのハードに対応していない従来のソフトをたくさん持っているユーザーはもちろん、新規ユーザーもソフト資産の蓄積がある従来のハード(PlayStation)、あるいはそのソフト資産を継承できる上位互換のハード(PlayStation2)を志向する。こういうわけで、家庭用テレビに接続するゲーム機の市場に一度覇を唱えたPlayStationの優位性は、容易には揺らがないでしょう。
SegaSaturn用とDreamCast用の新作ソフトが今どれくらい発売されているのか知りませんが、PlayStation2とそれ専用の新作ソフトが盛んに売られているとはいえ、まだまだPlayStation用の新作ソフトも多数発売されています。その筆頭がシスター・プリンセスでしょう、きっと。
これは発売後しばらく、大変な品薄状態が続いたと言われているゲームで、新潟では全く見つかりませんでした。聞くところではいわゆる「妹ゲー」の中でも最右翼に位置するゲームで、私が知っている方が何人も、人格が変わったかと思うほど萌えたようです。そんなゲームですから、私がこれを買ったということで、私に対する皆さんの見方が変わる可能性なしとしないのですが、逆に言うとこのゲームはそのあまりの個性ゆえに、妹萌え属性のないプレイヤーには全く面白くない、極端にプレイヤーを選ぶゲームであるとも聞いています。
現実に既婚の妹がいる私、同級生2では鳴沢唯にほとんど惹かれなかった(この一文がどれだけ多くの敵を作ろうとも私は節を曲げることはないでしょう)私、この手のゲームに登場する妹キャラの年齢層(このゲームの場合、キャラによっては10歳前後に見えます)は現実で言えば妹よりも姪または 従兄弟の娘 に相当する私が、このゲームにどういう感想を持つか、ちょっと予想できません。
このゲームがどれくらい品薄か、あるいはどれくらい、属性の強いプレイヤーに対する吸引力があるかを示す一つの事実をここに書きます。このゲームの通常版は、新品の定価が6800円、中古屋で私が買った値段が5600円でした。キャラボイスの目覚まし時計がついている初回限定版の定価は9800円と書いてありますが、通常版を私が買った中古屋で初回限定版についていた値札は17800円でした(価格はいずれも税別)。この値段でも買う客は買うのです──私は買いませんでしたが。
それからDreamCastですが、PlayStationとそれ用のソフトを山のように買ったのになぜDreamCastも買ったのかとなると、──逢魔が時の闇に理性の目を曇らされたのかもしれませんね。しかも買ったソフトがDreamCast用新作として宣伝盛んな「サクラ大戦3」ではなくて、Windows版を持っているKanonなんですから。
4月に新潟市のゲームショップで通常仕様のDreamCastを見かけた時(この時は買おうとは思いませんでした)、実売価格は約1万円でした。それがサクラ大戦特別仕様になると、ビジュアルメモリ・メールソフト・サクラ大戦3のデモムービーディスクがついて約16000円になります。サクラ大戦にはそれほど思い入れはないはずなのでしたが、もうすぐ手に入らなくなるかもしれないと言われると、多少無理をしてでも、あるいはすぐにゲームをする当てがなくても買ってしまう、これはまるっきりメーカーの思う壺にはまっていると言われてしまいそうです。
一緒に買ったソフト、Kanonに至っては、Windows版を18禁版と全年齢版の両方を持っています。そして聞くところでは、DreamCast版KanonはWindowsの全年齢版をそのまま移植したものだといいます。
いったい何のために買ったのか、と今になって自問してみると、どうやらボイス付きに惹かれたのではないかと思います。白状しますが、ボイスなしのWindows版ToHeartとボイス付きのPlayStation版ToHeartとでは、プレイ中ののめり込み方が桁違いでした。それでしたから、Windows版Kanonは割と最近のゲームなのにボイスなしだったので、ボイス付きのDreamCast版に心を惹かれたのでしょう。帰ってパッケージを開けてみると、沢渡真琴が松原葵と同じ飯塚雅弓さん、月宮あゆがマルチと同じ堀江由衣さん、美坂香里が神岸あかりと同じ川澄綾子さんという配役なので、今から頭の中に声が聞こえてきます。あのマルチの声で喋っているあゆが現実にいたら、誰もが年齢の判断を誤るでしょう(ぉ)。
最後にWindowsソフト、エルフの「大人の缶詰」ですが、エルフファンクラブ会員限定品のはずなのに未開封品が中古ショップに売られているというのは──プレミアがつく(確か通販価格が8800円なのに対して、未開封品には12800円の値が付いていました)のを当て込んで最初から転売目的で買う会員がいるということでしょう。同じような現象はどこにでもあるようで、有名な同人作家の新刊が、コミケで発売されたその日のうちに秋葉原の同人誌ショップに転売されていることを憤る発言を、どこかで目にしたことがあります。「何でもあり」というのが中古市場の偽らざる姿ですが、市場経済の歪みの一端を目の当たりにする気分です。
辛うじてクレジットカードを取り出すことなく、秋葉原を後にしましたが、最後の店を出た時点で手許の現金が1000円余り。夕飯代もなくなって池袋へ向かいました。これで右手の拳を突き上げて
「我が生どう涯(衝動買い)に一片の悔い無し!!」
と叫ぶことになるかどうかは、これからです。
……だいたいここまで打鍵するのに、何日かかっているんだか……。
(5月28日アップ)

5月20日(日)
今日は大田区産業プラザPio(京急蒲田駅のすぐ近く)で開かれる「めがねっこフェスティバル」に行きます。一般入場は午前11時からなので、あまり早く行っても入場待ち行列(あるとすれば)に並ぶだけですから、蒲田に11時頃に着くように上野公園で時間を潰してから京浜東北線に乗りました。
この日は朝から晴れて、外を歩いていても汗ばむほどでした。屋内で開かれるイベントの会場の熱気は昨年12月のドルパで身をもって感じていますから、この天気のもと会場に乗り込むには冷たい飲み物が欠かせないと、新潟を出る時から考えていました。
それでどうしたかというと、まず2リットルのペットボトルのなるべく口の大きいのを、先週のうちに近所のスーパーのペットボトル回収箱から拾ってきて、リュックサックに入れて東京まで持っていきます。そしてこの日はJR蒲田駅から会場への途中にあるコンビニで、粉末のスポーツドリンクと氷を買い、会場の近くにある神社の境内で(神社の境内には水場がありますね)ペットボトルに詰めていく計画でした。
ところが、口の大きいペットボトルを選んでいったつもりなのに、氷の方が少しだけ大きくて、氷の袋に水を入れて振ったくらいではペットボトルに入りません。袋に何度も水を入れたり袋を石で叩いて氷を割ったりしているうちに、開場時刻を過ぎてしまいました。
会場に着くと、これが大展示ホールを3つに仕切って「コスプレワールドinPio」「CLAMP CARNIVAL2」と「めがねっこフェスティバル」を同時開催しており、それぞれ入口が別になっているというのに、「めがねっこフェスティバルの入口はこちら」というような案内がありません。私が最初に入ろうとしたのはコスプレワールドで、「めがねっこフェスティバルはあっち」というのでその方角にある入口から入ろうとすれば、そこはCLAMP CARNIVALでした。どうも会場設営の手際に難があるようです。
とりあえず入場料代わりのカタログを買って入場して、真っ先に「いいんちょ普及委員会」のブースへ行き、「ともこ2000β2」とコピー本を買います。委員会が出品している物を買うとラミネートカードをもらえるのですが、私は既に「作者」としてラミネートカードを一揃い送ってもらっているので、今ここでもらうには及びません。委員会のブースには何人かの会員の方がいて、委員会名物、ひさぽんさん手作りの保科智子人形も鎮座ましましていました。
さて私にとって「眼鏡っ娘」というと、もちろん「同級生2」の水野友美が第一に思い浮かぶわけですが、同級生2というゲームそのものが時の流れの淵に沈んだような今、友美を扱った同人誌や友美に扮したコスプレイヤーが存在していることは、有り体に言えばほとんど期待していませんでした。カタログに載っているサークルカットを見ても、保科智子(ToHeart)猪名川由宇(こみっくパーティー)リアン(まじかる☆アンティーク)のLeaf3人組、あるいは最近チャットルームでも話題になることが多くなった「あずまんが大王」の「よみ」こと水原暦が多いようです。
ところがカタログをつぶさに見ると、参加している70サークル中にたった1つだけ、「友美」という言葉が載っているサークルがありました。しかもそのサークルのブースへ行ってみれば、売り子をしている人が、友美のコスプレをしているではありませんか。
はるばる東京まで遠征してきたのが報われた……と感涙にむせぶ、と言うと大袈裟ですが。さっそく、こんな事もあろうかと思って用意してきた、メールアドレスと当サイトのURLを印刷した名刺を取り出して、当サイトの宣伝をしておきます。
そのうちにコスプレコンクールが始まり、友美コスプレの人は出場しませんでしたが、眼鏡キャラとしては友美よりさらにマイナーであることを認めないわけにはいかない、同級生2の加藤みのりに扮したコスプレイヤーが出場しました。
このコンクールは特定のキャラに扮しなくてもよく、条件は「眼鏡を着用すること」だけだったので、明らかに特定のゲームキャラを意識した出場者は、加藤みのりの他は保坂美由紀(センチメンタルグラフティ)李紅蘭(サクラ大戦)だけでした。他はメイド服や看護服など、まあいかにも狙った風な服装が主でした。それにしても保科智子と猪名川由宇がいなかったのは解せません。
コンクールというのですから当然観客による投票が行われます。私なら、もし水野友美に扮したコスプレイヤーがいたら、他の誰もそのコスプレイヤーに投票しなかったとしても(万一男が女装していたとしても)投票したと思いますが、程度の差こそあれ思い入れのあるキャラが加藤みのりだけとなると、キャラへの思い入れよりもコスプレの出来栄えを重視する思考が働きます。その観点から見て一番良かったと思った、メイド服のコスプレイヤーに投票しました。後で結果が発表され、私が投票したコスプレイヤーは2位でした。
イベントの終了時刻は3時でしたが、2時半にコスプレコンクールの結果が発表され、その頃には全サークルを一通り見終わっていましたし、完売御礼のサークルも増えてきたので、少し早めに会場を後にしました。
巨大化の極限に達したコミケとは違う、小規模なイベントに参加したのは、同人誌即売会としてはこれが初めてでしたが(昨年12月のドルパも、コミケに比べれば小規模なイベントに属するでしょう)、こういうイベントを単なる売買の場としてでなく、いろいろな人とオフラインでの交友の輪を広げる場とも位置づけるのであれば、全サークルのブースをじっくり見て回ってそこにいる人と話すことのできる規模の上限は自ずと決まってきます。昨年冬コミに行った後で日記に書きましたが、2日間で2万以上のサークルが参加するコミケの規模は、一人の人間が見て回ることのできる物理的限界を完全に超えてしまっています。
あらゆるジャンルの同人サークルが一堂に会する場であるコミケが巨大化しすぎて、逆に同人イベントが本来オフラインの場として持つべき機能(これだけインターネットが発達しているのですから、単なる売買ならインターネット通販なりネットオークションなりで事足りるはずです)を充分に果たせなくなりつつあるように見えることが、今回のようなジャンルを限定した小規模なイベントが、首都圏ではそれこそ毎週どこかで開かれている理由なのではないかと思います。

蒲田から都心へ戻っても宿を取るには時間がまだ早すぎるので、さっそく秋葉原探索を開始します。まず、お知り合いの方の間で最近話題になった、ウェイトレスが正統派メイド服を着ている喫茶店へ行ってみました。
実はここ、「いい所だから東京へ行く機会があったらぜひ行ってみて」と勧められたというわけではなく、反対にメイド(19世紀ヴィクトリア時代のイギリスに実在したそれよりも、むしろギャルゲーキャラの一群としての)やメイド服に一家言持つ人たちの間では、あまり評判が良くないらしいのです。そんな所ですが、まあ物は試し、日頃は喫茶店という物に極めて縁が薄い私としては、後学のために入ってみようと思ったのでした。
……その筋の方々からツッコミが多いと聞いているメイド服については……いろいろなタイプのメイド服を見せたいという経営上の考えもあるのかもしれませんが、「作りおろし」というのなら全員同じ服に揃えた方が、制服としての統一性が高いのではないでしょうか?
店のコンセプトに「癒し」を掲げ、ウェイトレスの衣裳にとどまらず、店全体でヴィクトリア時代、そういう衣裳を着たメイドが実在した時代の雰囲気作りをしようというのなら、店の内装やBGMにも改善の余地があると感じました。そうは言ってもイギリスのヴィクトリア時代というのは、世界経済の中心としてあれだけ栄え、芸術面でも文学・絵画・演劇などが隆盛を極めた時代でありながら、こと音楽に関する限り信じ難いほど不毛の時代で、誰でも知っているイギリスのクラシック音楽というと「メサイア(1741年)」の次が「威風堂々(1901年)」まで空いてしまうのですが。
喫茶店が入っているビルの下の階には、コスプレ衣裳を扱っている店が入っています。その店と喫茶店は同じ経営なのか、コスプレショップに喫茶店のチラシが置いてあって、喫茶店にチラシを持参すると飲み物が半額になります。その辺の情報収集は抜かりなくやってあって、喫茶店に入る前にちょっとだけショップに寄って、チラシだけ持っていった次第です。
喫茶店を出てから改めてショップに入ってみると、ここは秋葉原ならではのディープな世界です。ついさっき参加してきたばかりのイベント、それと昨年の冬コミを思い出します。
しかし思うのですが、コスプレ衣裳がプレイヤー手作りの一点物でなくて既製品が売られるようになったというのは、コスプレ衣裳の市場が成立するほどコスプレの裾野が広がった結果には違いないのですが、その結果として既製服を着て満足しているコスプレイヤーが増えているとすると、裾野が広がるにつれて全体の平均が浅くなるという、趣味道楽の世界に普遍的な現象を、コスプレも免れていないのではないでしょうか。
ショップで売っていた既製のコスプレ衣裳は、発売時期の新しいゲームが多かったようです。昨年の冬コミでは、同級生2のコスプレ衣裳は皆少しずつ違っていて、プレイヤーの手作りであろうかと思いましたが、それに対してたぶんAIRとときめきメモリアル2だと思いますがおそらく既製の、寸分違わぬ衣裳を着たコスプレイヤーを何人も見かけたのを思い出しました。
既製のコスプレ衣裳は一着数万円もする、ゲーム関連グッズとしては最も高価な部類に属する物です。それだけの金を投じて、イベントに行けば同じ服を着ているコスプレイヤーが何人もいることがわかりきっている物を買う。金に余裕のある独身貴族から見ても、財力と情熱のバランスが崩れているような気がしてしまいます。
その後は、上京前に目標を定めたいくつかのゲームを探してゲームショップを跋渉します。PlayStationを買うまでは、パソコンゲームだけでも夥しい数のゲームを積んだままにしているのですから、コンシューマのゲームには手を出すまいと思っていたのですが、ひとたびPlayStationとPlayStation版「ToHeart」を買ってしまうと、ToHeartだけで終わらせるのはあまりにももったいないと思うこともあって、他にもいろいろなゲームが欲しくなってしまいます。それでも明日もう一日仕事のために東京に滞在するとなると、あまり大量にゲームを買い込むのも何ですし、この日は郵便貯金をキャッシュカードで引き出せない日曜日でしたから、手持ちの資金という制約もあって(クレジットカードは本当の最終手段と決めています)、この日はそれほどたくさんは買い込みませんでした。
この日の宿は昨夜と同じサウナで、今朝チェックアウトの時にもらった割引券をさっそく使いました。
(5月27日アップ)

5月19日(土)
相変わらず日記の更新が滞っています。もう、あまり更新を期待しない方が精神衛生上好ましいかもしれませんよ。
私は上京する時には、基本的に安くて早い夜行高速バスを使っています。今度の上京にも夜行高速バスを使うことにして、18日の夜に出発しました。
明け方4時台に池袋に着くと、すぐに山手線に乗って秋葉原へ向かいます。といって午前5時に秋葉原電気街が営業を始めているわけがなく、ゲームソフトの初回限定版を買うための徹夜行列に並ぶわけでもなくて、目的地はもっとずっと先です。
秋葉原で総武線各駅停車に乗り換え、千葉から外房線の普通列車に乗って、終点安房鴨川まで行きます。今回の上京、最初の目的地は鴨川市の「鴨川シーワールド」です。
5月21日に仕事で東京へ出張することになった際、せっかく週末につながっている日程なのに当日の朝新幹線で上京して戻ってくるだけではつまらないので、18日の夜行バスで上京して東京周辺のいろいろな場所へ行こうと決めていました。
まず──本当はこれは、出張よりずっと前から決まっていたことなのですが──19日の夕方に東京で、大学の恩師の定年退官記念パーティが開かれます。私は就職に際して、恩師に大変厄介になったので、これに出席するのが第一。
次に20日には、「いいんちょ普及委員会」が参加するイベント、「めがねっこフェスティバル」(大田区産業プラザPio・大展示ホール)があります。作品集CD「ともこ2000β2」と、私もその制作に参加したラミネートカードが頒布されるイベントは、4月30日の「まじかるパーティ2」と5月5日の「それ行け!はっぱ行進曲♪」でしたが、どちらにも行けませんでした。そして「めがねっこフェスティバル」には、当初委員会は参加しないと委員会のサイトで見ていました。
それで私としては(21日の出張が決まる前には)、記念パーティだけだったら後泊してまで「めがねっこフェスティバル」に参加することにはやや消極的でしたが、5月も上旬になって事態が急転、「めがねっこフェスティバル」への委員会の参加が決まりました。そこで、その頃には21日の出張が決まっていたので、2つの用事に挟まれる20日には「めがねっこフェスティバル」に参加することにしました。
そして19日ですが、パーティは夕方からとはいえ、朝から何時間も高速バスに揺られていくのも面白くありません。夕方からの用事のために上京するなら、夜行バスで行って一日有意義に過ごしてから用事に行くのが私のやり方です。
それでは、東京近辺の美術館や博物館、あるいは動物園や水族館ではどんな催し物があるだろうかと巡回してみると、鴨川シーワールドで今年の2月、日本で2度目の仔シャチの誕生(1度目も鴨川シーワールドだったので、水族館としては日本で唯一になります)があったというニュースを見つけました。
私はここ数年来シャチに興味を持っていて、日本でシャチを飼育している全部の水族館(といっても4ヶ所、頭数はこの2月に鴨川シーワールドで生まれたのを含めて13頭ですが)へ行って全てのシャチに会ったことがあり、特に鴨川シーワールドは98年の1月に初めて仔シャチの誕生があってから何度も行っているので、当サイトの開設当初には「日本全国シャチ訪問記」をサイトのコンテンツの一つにしようと企てていたくらいです。その企ては潰えましたが、これほどの朗報を得たからには、久しぶりに鴨川シーワールドへ行ってみようと即決しました。
ルーピングキック(ラビー)
鴨川シーワールドには現在5頭のシャチがいて、昨年までは2頭の成牡(名前はビンゴとオスカー)と1頭の成牝(ステラ)がショーに出演していましたが、今回はビンゴとオスカーはショーに出演せず、ステラと、3年前に生まれた仔のラビー(牝・父親はビンゴ、母親はステラ)がショーに出演します。ラビーは生後3ヶ月頃から芸の真似をしていて、99年7月に1歳半でショーに出演するようになり、満3歳になる前に大技「ルーピングキック(右の写真)」を演じるようになったということで、早期英才教育の賜物です。
また、2月に生まれた仔(牝・父親はビンゴ、母親はステラ)の名前を一般公募していましたが、それが「ララ」に決まったとのことで、その披露も行われていました。
しかし朝一番のショータイムが始まってみると、ララは生後3ヶ月の乳呑み児ですから、母ステラはララのことで頭がいっぱいで人間など相手にせず、ステラの気分が伝染するのかラビーも気分が乗らなくて、ショーになりません。私は今まで何度も、朝一番に入場して夕方まで何度もショーを見ていますが、どうも朝一番のショータイムはシャチたちの気分が乗らないことが多いようです。
午後のショータイムになると、ステラは相変わらずですがラビーはやる気が出てきて、そつなく演目をこなしていきます。ですが演じ始めてまだ半年にならないルーピングキックは、やはりまだ充分慣れていないのか、空振りが目立ちました。同じようにボールを使う大技でも、ショー出演歴10余年を数えるカマイルカの方が、慣れているだけあって安心して見ていられます。ただし、シャチと違ってカマイルカの方はなかなか後継者が育っていないようで、鴨川シーワールドではカマイルカの繁殖実績がないことも考えると、5年後10年後のイルカショーが案じられますが。
鴨川シーワールドのショーのスケジュールは、ベルーガ(シロイルカ)・イルカ・シャチ・アシカ・トドの順に見ていくと2時間半で一巡します。一巡して、海獣たちのフィーディングタイム(給餌)を見ると、ほぼ人間のフィーディングタイム(昼飯時間)になり、ここでシャチプールの下にあるレストランに入って地ビールを飲むのが、私のお決まりのコースです。
もちろん今日もそのコースです。ただこのレストランは私の感覚でいくとかなり高いので、たいていは地ビール1本とフライドポテトだけです。今回は新しい地ビールが2種類出ていたので、つまみ一切なしで地ビール2本だけという暴挙に打って出ました。するとたちまち酔いが回ってきて、安房鴨川駅から東京湾横断道経由東京行きの高速バスに乗っている間はずっと寝ていました。
一通り見て回って、午後3時前に鴨川シーワールドを出ます。水族館には必ずある土産物屋を見てみると、水族館グッズだけでなく房総地域の名物も売っていますが、いくら当地の名物だからといって、鯨を飼っている水族館で鯨肉の加工品(江戸時代から捕鯨が行われていた房総地域では、今でも和田町で水産庁公認の沿岸捕鯨が行われていて、ツチクジラという鯨の一種を年間数十頭獲っています)を売っているのは、いかがなものかと思わないでもありません。誤解のないように言い添えておきますが、私は食文化を継承していくために鯨を食べることを擁護する者ですから、鯨の加工品を売っていることを捉えて捕鯨反対を唱えるような意図は決してありません。今回も駅前の土産物屋で、鯨の佃煮を買って帰りました。

夕方東京に着いて、恩師の定年退官記念パーティに出席します。大学を出てから丸6年経っていますから、恩師に挨拶するのはもちろん、久しぶりに同期生や近い先輩後輩たちと旧交を温めましたが、歳の近い者たちで二次会に繰り出すという話にはならず、一次会でお開きになりました。
さて実はこの日、宿の算段をしていませんでした。1泊分の旅費しか出ないのに東京に2泊する予定でしたから、まともなシティホテルに泊まるつもりは最初からありません。でも初めてのオフ会の時に、東京にはシティホテルよりずっと安く一夜を過ごせる場所が、上野公園で野宿する(してはいけません)以外にもいくらでもあるということがわかったので、仮眠所付きのサウナに泊まるか、カラオケボックスかインターネット喫茶で夜を明かすかするつもりでした。──ちなみに首都圏で最も安く泊まれる実家は、今夜は両親が留守のため利用できません。
それで宿を求めて上野付近に赴きましたが、土曜夜の書き入れ時のため、カラオケボックスは一人客を入れてくれません。ネット喫茶も、この頃は行きつけのチャットルームが人少なで(主な常連の方々がネットゲームにはまっているという説が有力)徹夜チャットは期待できないので、早々とサウナを宿にしました。
(5月24日アップ)

5月14日(月)〜18日(金)
ようやくPlayStation版「ToHeart」をコンプリートしましたが、ではその勢いで他の積んでいるゲームの消化に突き進んでいるか、というとそうでもありません。初夏の陽気と仕事が忙しくて疲れ気味のせいもあって、趣味の方はかなり低調です。

毎度おなじみの「下級生リレーSS」のことで、13日の朝、主催者のそこつやさんから問題提起がありました。
リレーSSでは、私がこの前担当した第70話で行ったように、盛り上がってきた場面で話を切って次の担当者に投げるようなやり方が、往々にして行われます。腕に自身のあるSS作家なら、そこでどう受けてどう返すかが腕の見せ所、というわけで、それもリレーSSならではの面白味と言えましょうが、あまりSS慣れしていない人も加わっている今のリレーでは、執筆者が前任者の投げにとらわれて自由に書けなくなっているようだ、というのがそこつやさんの提起された問題でした。
「そこつやの館」のリレーSS感想掲示板は、あまりこういう議論の場にしたくないというご意向のようなので、当サイトの掲示板で、実力派SS作家にしてリレーSSで大きな仕掛けを打った天巡 暦さんとさんにも呼びかけて議論を持つことになりました。
結論としては現状追認──つまり仕掛けは自由、真っ向から返してもいいし逆仕掛けを打ってもいい、ということになりました。最初から一つの終着点を定めて、それに向かって全員が粛々と作業を進める、というのでは合作であってリレーの面白味がありませんし、といって前の人から話を受け継ぐことが全くなくなったら、それはアンソロジーであってリレーではありません。ある程度の制約の中で、どのように自由な創作を行うか、それを楽しむためにリレーという形態をとったのですから、それを今後も続けていこう、ということのようです。
ですが天巡さんから、じっくりと文章を練るには現行の締切3日間は短すぎるのではないか、という提案が出ました。
もうリレーSSも終盤にさしかかってきましたし、それに参加者も1人減り2人減りして当初の14人が8人になりましたから、もう少し締切を長くしてもいいのではないか、ということで、そこつやさんと私も締切の延長に賛成しました。
実際私としても、いいプロットが浮かびさえすれば1日で100ラインの文章を制作することだってできますが、自分一人での創作活動では、何日待っても文章が浮かばなくて全く筆が進まないことがよくありました。
職業作家なら、プロットが浮かばなくても何とかする訓練を積んでいるかもしれませんが、私たちはアマチュアです。他に職業を持っている身で、時間に追われて満足のゆく創作ができず後悔ばかりが残る、という状態は決して褒められたものではありません。
だいたいウェブ日記の更新すら、こんなに遅らせているくらいですから。
(5月18日アップ)

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