2000年6月後半の日記
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6月30日(金)
午前4時過ぎに池袋に着き、この前の上京の時にも行った、上野公園の近くにあるインターネット喫茶に行って、さっそくネットに入ってみましたが、さすがに平日の朝5時にチャットをしている人はいませんでしたし、当サイトの伝言板にもカキコがありません。
それでもすぐ店を出るのも癪なので、1時間ほど行きつけのサイトを巡回してから店を出て、山手線で時間調整を始めます。
10時過ぎに上野で電車を降りて、まず東京都美術館へ「ルーベンスとその時代展」を見に行きます。
17世紀フランドルの画家ルーベンスについては、3番倉庫の「ルーベンスの絵」に多少の知ったかぶりを書きましたが、やはり日本で言えば国宝級の文化財に相当する本物の油絵は、印刷された事典の図版とは違います。油絵具の表現力のすばらしさに、誇張でなくて息を呑んだのは、「バッカスの饗宴」という絵に描かれた金属の器類の、現代のカラー写真もここまで表現できるだろうかと疑ったほどのメタリックな質感でした。私の色鉛筆絵は、色彩の表現については自分なりの工夫をしているつもりですが、金属や布や木や人の肌の質感を、どこまで表現できているか、となると、これはもう言うだけ無駄です。
それから、宗教画ばかりでなく風俗画や静物画でも、キリスト教の教養を身につけた当時の人なら理解できるような寓意が込められているのも、この時代の絵画の特徴と言われています。私はクラシック音楽に多少の興味があるので、楽器や楽器を演奏している場面が描かれている絵には注意が行きますが、楽器の音はその場限りで消えてしまうことから、この時代の絵画では、それらは人生の快楽のはかなさを象徴するために描かれることが多いそうです。「豪華な食卓とオウムの静物」という絵では、完熟した果物や魚介類──これらはあっという間に腐っていきますから、これらも現世の快楽のはかなさの象徴ですね──を中心に、片側に楽器が描かれ、その反対側の高い所にはパンと葡萄酒が描かれています。はかない物として描かれた現世の快楽、それらと対比して描かれているパンと葡萄酒こそイエス・キリストによる人類の救済の象徴、というわけです。
さらに思いを巡らせば、静物画に描いてある葡萄酒はほとんどが白ワインです。もともとキリストの血を象徴する葡萄酒は赤ワインだったはずなのですが、気候寒冷なフランドルでは赤ワインの原料になる品種のブドウは作れなかったのだろうか、なんて事まで考えます。
次に国立博物館へ「国宝平等院展」を見に行きます。
平等院では今、開創950年を前に、境内の発掘調査が行われているということですが、この展覧会には梵鐘を始め、雲中供養菩薩像全52体などが出展されていました。
鳳凰堂内部の、創建当時の塗装を復元したコンピュータグラフィックスを見ると、これが極彩色なのです。この事についても、前々から考えていることがあります。
今の私たちは、飛鳥奈良の古刹に行くと、建物のくすんだ色とか仏像の古さびた色を愛でますが、これらは造られた当時は、建物は極彩色であり仏像(金銅仏)は金ピカだったのです。現在の美意識でそれを見たとしたら、きっと高く評価しないでしょう。実際、今も極彩色を残している日光東照宮は、誤解を恐れずに言えば俗悪趣味にすら見えます。
しかし、当時の庶民は、身の回りにある物全て、人工的に色を着けることはほとんどできなかったことを考えなければいけません。建物は白木、衣服は生成りかせいぜい泥染め、漆塗りの什器も持てなかったということを。また、金色の物も身近にはなかったはずです。
そうだとすれば、朱色・群青色・緑色に塗られた建物の中に安置された金ピカの仏像を庶民が見た時、どんな感情を呼び起こしたか。その豪華絢爛さは、まさしく極楽浄土に見えたでしょう。もしそれを造った為政者の側に、庶民を畏怖させ慴伏させようという下心があったとしても。

午後6時に上野を後にして、ふりんとぶらっくさんとの待ち合わせ場所である、ボークス秋葉原ショールームへ行きました。
約束した時刻ちょうど定刻に、メールで教えていただいた通りの風体の人が来て、店員にカスタマイズドールのショーケースを開けてもらうのを見て、間違いないと思って声を掛けると、ふりんとぶらっくさんでした。ふりんとぶらっくさんの方は、私の名札を見て、私だとわかったようです。
さらに、新宿で合流する予定と聞いていたガンさんともそこで落ち合って、さっそく神田駅近くの居酒屋へ場所を移してオフ会です。
ふりんとぶらっくさん制作のまほろドール ふりんとぶらっくさんは今回の上京で、それまでボークスで展示してもらっていた「まほろ」を引き取り、代わりに第3回ドールズパーティーに出品した「月影蘭とミャオ」を展示してもらうということでした。オフ会の席上、そのまほろドールを見せていただくうちに、突然思い立って、葉書サイズのケント紙と色鉛筆を取り出してその場で描いたのが、右のラフ画です。
そもそも今回の上京に、原画制作道具一式(色鉛筆・黒鉛筆・消しゴム・ボールペン・シャープペン・筆ペン・ホワイト・面相筆・ナイフ・水入れ)とケント紙大小、それに今まで描いた原画のファイルを持っていったのは、オフ会の席でラフ画を描こうと思ったからというよりは、実家に逗留中に原画の1枚も描こうと思ったからなのですが、ふりんとぶらっくさんはいたく感激されたようで、私の方が多少きまり悪くなってしまいました。
いろいろな話題で盛り上がるうちに11時半にもなり、居酒屋を出てラーメン屋に入り、ここでふりんとぶらっくさんとお別れしました。
もう実家へ行ける電車がなくなったとガンさんに言うと、ガンさんは仮眠所のあるサウナを知っているとのことで、渋谷へ出てサウナに泊まることになりました。
実は私も学生時代には、通学途上に渋谷で降りることも多かったのですが、こういう施設には全く縁がありませんでした。夜遊びの一つもしない、世間知らずの学生だったのです。
(7月4日アップ)

6月29日(木)
事務連絡:
29日夜から7月3日朝まで、所用のため上京します。
掲示板のカキコへのレス付けは、極力遅らせないようにしますが、日誌の更新は停止します。

と29日のテレホタイム前に書いてアップロードしたつもりだったのに、サーバにはアップロードされていなかったらしいです。
今回の上京の主たる用件は、7月1日に行われる祖父母の法事(祖父の7回忌と祖母の3回忌)で、時間が少し早いので当日の朝あるいは前夜の夜行で上京しても間に合わないため、30日に有休を取って上京することにしたのです。
もちろん私のことですから(笑)、どんな用件であれただ上京するだけではなく、そのついでに、地方にいてはなかなか買えない物を買い集めてくるのを当て込んでいるわけですが、今回はそういう物を買うために秋葉原へ行くだけではなく、7月2日までの開催となっている、3番倉庫の雑文に書いた「ルーベンスとその時代展」を見に行こうと思ったり、同じく7月2日に行われる、皇太后陛下の殯宮一般拝礼に参列してみようと思ったり、上京するたびに目的はいろいろです。
さらに今回は、チャットでお知り合いになったふりんとぶらっくさんが30日から7月1日まで東京へ出張すると、サイトの掲示板で目にしていましたから、先週末にICQで「東京でオフ会をしませんか」と提案し、快諾を得ていました。
オンラインではすっかりおなじみになっている方でも、オフでお会いするのは初めてですし、まして私は30歳の社会人でありながら携帯電話を持っていないような未開人ですから、待ち合わせの場所と時間をICQで入念に打ち合わせておき、さらに「いいんちょ普及委員会特製名札」(会員ナンバーとハンドルネーム入り)も委員会に注文して作ってもらい、見る人が見れば一目でわかる目印にして、オフ会に備えます。
そうしておいて、もちろん本来の目的である法事に必要なアイテムも持って、いつものごとく29日の夜行高速バスの客となりました。
(7月4日アップ)

6月28日(水)
北海道で有珠山が噴火し、火山活動がいっこうに終熄する様子を見せないのに、今度は伊豆諸島の三宅島で火山が噴火する恐れがある、ということで、島民が避難する事態になっています。
三宅島は昭和15年・37年・58年と約20年周期で噴火しているそうですが、昭和58年の噴火では溶岩流が流出して集落が埋没したのは記憶に新しいところです。
私としては昭和58年の三宅島の噴火よりも、昭和62年の伊豆大島の噴火の方が印象に残っています。それは、その当時私は高校3年生でしたが、高校の同級生が、避難勧告の出ている島に乗り込んでいって火山の噴火を撮影してくるという暴挙をやらかしたからです。
私はその頃、神奈川県に住んでいましたが、住んでいた間、すぐ近くの伊豆諸島で火山は噴火する、震度3や4の地震は年中行事という、プレートテクトニクスを体で実感できる(笑)地域でした。
今住んでいる新潟県は、神奈川県ほど地震は多くありませんが、すぐ近くにフォッサマグナが走り、日本列島が折れ曲がっている地域ですから、いつ地震が起こっても火山が噴火しても全然驚くに値しません。現に新潟県西部には、噴火が続いていて登山禁止になっている山があるくらいです。
だからといってそこから逃げ出そうと思わない、それが人間というものなのでしょう。雨が降るのと同じくらい当たり前に火山灰が降ってくる鹿児島市に住んでいる人が、そこから逃げ出そうとしないように。
(7月4日アップ)

6月27日(火)
毎日こうして、運行日誌という題名でウェブ日誌を打鍵しているわけですが、日によってはウェブ日誌として公開したいような出来事が何もない日もあります。今日は、そんな日でした。
絶対安静で寝ているか、独房で禁錮刑に服してでもいない限り、本当に何もなかったわけではないのですが、ここに仕事の愚痴など書いても、誰も楽しくないでしょう。ですからそんな事は書きません。
サイトの更新は日誌だけですが、そろそろ次のCG、21日の項に題材が浮かんできたと書いたCGの制作に取りかかることにします。

6月26日(月)
昨日も早々と寝てしまったので、衆院選の結果を知ったのは出勤してからです。
選挙の結果は、与党3党は安定多数を維持したものの選挙前よりは大幅な減少、自民党は過半数を割り、公明党と保守党もかなり痛手を蒙りました。対する野党は民主党が躍進し、自由党と社民党も議席を増やした反面、共産党は議席を減らしました。
ちょっと気になったのは、与党3党の勢力について、「安定多数を堅持」という表現をした新聞が多かった中で、ある新聞だけが「大幅な議席減」を強調するような表現をしていたことです。どちらも事実には違いありませんが、そのニュアンスの違いは、新聞社のスタンスをそれとなく匂わせてはいないでしょうか。
たとえとして適切であるかどうかはわかりませんが、昨夜のプロ野球ナイター、横浜スタジアムでの巨人−横浜戦の結果は、横浜2−1巨人でした。これを「横浜が勝った」と表現するか、「巨人が負けた」と表現するか。どちらの表現も、事実を正しく伝えていますが、ニュアンスは相当異なります。

24,25と2日続けてテレホタイム前に寝てしまったので、実に3日ぶりにメールをチェックしてみると、KUNTAさんからメールが届いていました。
当サイトの3000カウント達成記念CGというありがたい贈り物でしたが、メールの着信時刻は25日の午前0時過ぎでした。
つまり頂き物を2昼夜近くも放置してしまっていたわけで、大変申し訳ないことです。
今夜、真っ先にアップします。
作品については……まあ、口で言うよりも実物をご覧になって下さい。

6月25日(日)
昨夜かなり早く寝たにもかかわらず、起きたのは11時です。よほど体力が落ちているのでしょうか。
まず衆院選の投票に行きます。昨日出かけた時も、立候補者それぞれの街宣車が大通りを走り回り、駅前や商店街で演説していましたが、その喧噪も昨日で終わって、今日の日を迎えたわけです。
今日の天気は、ほぼ一日中曇りでした。過去の例だと、曇りだと投票率が上がり、快晴または雨雪だと投票率が下がると言われています。そして、投票率が高いと有利になる政党、低いと有利になる政党がある、という説があります。
今度の選挙では、世論調査でどの政党の支持者よりも多かったという「支持政党なし」の有権者がどれだけ投票するか、どの党に投票するか、それが帰趨を決するとマスコミは言っています。こうした無党派層の行動について、首相が何やら物議を醸す発言をしたそうですが、それを聞いた無党派層が奮起して投票所へ向かい、投票率を引き上げれば、議会制民主主義にとっては災いを転じて福となす結果になるでしょう。それが、自民党にとっての福になるかどうかはわかりませんが。
投票を済ませてから警察署へ行き、自転車を引き取って、その自転車を買った自転車屋へ持っていき、全面的に整備し直してもらうことにしました。
それからまた歩いて図書館へ行き、いろいろな調べ物をしました。
普段あまりテレビを見ず、特に民放のバラエティー番組などは絶えて見たことのない私ですが、NHKの大河ドラマだけは欠かさず見ています。
先週の放送は、徳川幕府が朝廷の綱紀粛正を断行し、公家と密通した女官を島流しにしたことで、後陽成天皇が幕府の専横に憤って譲位の意を漏らされた、というような筋でしたが、歴史の本を見ると、むしろ天皇の方が、公家と女官の乱脈ぶりに深く憤って断乎たる処分を求められたように書いてありました。結果的に譲位の意を漏らされたのは、公家の処罰を幕府の力に頼らざるを得なかったことへの屈辱感からだった、というような書き方でしたが。
事実は果たしてどちらなのか、今となっては知る術もありませんが、今回の大河ドラマの原作家は、春頃には石田三成に同情的に見えたこともあって、徳川家康に対してやや批判的な立場から書いているんじゃないかな、と思いました。

話は変わりますが、私の住んでいる地区の投票所は近くの小学校でした。昇降口から校舎に上がろうとして、そこに並んでいる児童の靴箱を見ているうちに、ふと気づいたことがあります。
それは、女子の名前に「子」で終わる名前がほとんどないことです。
私が小学生だったのは、もう20年も前のことになりますが、私と同世代、昭和40年代生まれの女子で「子」で終わらない名前の子は、1クラス(女子20人強)に片手で数えるほどだったと思います。
それが今は逆転して、今の小学生、平成1桁生まれの女子には、「子」で終わる名前の子が1クラスに1〜2人しかいません。
いつ頃から、「子」で終わらない名前が増えてきたのでしょうか。
これは、私が関心の深いゲームキャラの名前のこととも絡めて、3番倉庫の雑文にでもしてみたいところです。
(6月26日アップ)

6月24日(土)
私は子供の頃から自転車に乗り慣れていたので、今のように自転車がないと、どこへ行くのも億劫です。
さすがに仕事だけは、通勤用の自転車がないからと言って休むわけにはいきませんが、週末に図書館へ行くのに、自転車がなくて歩いていかなければならないと思うと、それだけで出かける意欲が失せます。
なのですが、私が最近急に太ってきたのが気になったらしい上司が、減量と体力増進のために努めて歩くようにしたらどうか、と勧めるので、今日は図書館まで歩いてみました。
自宅から図書館までは普通に歩いて往復1時間強、早足で歩けば適当な運動になる距離です。
ところが、「適当な運動」の筈なのに、帰ってくると妙に疲れてしまって、テレホタイムにもならないうちに寝てしまいました。
スキーシーズンが終わってから、全く運動らしい運動をしていなかったことの証拠です。
(6月26日アップ)

6月23日(金)
昨夜、正確には今朝6時30分頃、本サイトは3000人目のお客様をお迎えしました。
3000人目のお客様は、この日誌でも度々その名が出てきた(笑)なりぽしさんでした。
なりぽしさんのサイト「麗子となりぽしの部屋」は、開設から半年でアクセス数1万を超え、新藤麗子ファンサイトとしてつとに有名です。
新興サイトとしては珍しいほどカウンタの回転が速いだけでなく、そのサイトの掲示板から新藤麗子萌えが次々にカミングアウトして、他の「下級生」サイトでも一大勢力を形成しているという点では、まさに驚くべきサイトです。
私のサイトも、水野友美萌えの集う一大根拠地になれば、という野望がなかったわけではないのですが、どうやらそれは虚しく潰えそうです。
いや、そう考えるのは早すぎるかもしれません。
それに、キャラクターの真価がファンの多寡によって左右されるものではないですから。
もし、天と地の間に友美萌えが私1人しかいなくても、私は大勢に迎合することなく、この孤塁を守り続けるつもりですから。
……って、何を力み返っているんでしょうね?

今日の夜になって、地元の警察署から電話があり、5月の末に盗難に遭った私の自転車が見つかった、と知らせてきました。
前輪がパンクした状態で見つかったということで、どうやら私が無施錠で自転車を駐めている間に誰かが、ちょっと無断借用、くらいの気持で乗っていって、パンクしたので乗り捨てていったようです。
この次の日曜日に、引き取りに行くことになりました。引き取ってきたらその足で自転車屋へ持っていって、しっかりした錠を付け直してもらうとしましょう。
何はともあれ私の日常の足である自転車が見つかって幸いでしたが、盗まれた自転車がちゃんと戻ってくるというのは、この頃何かと信用を失墜する事の多い日本の警察も、現場はなかなかよくやっている、ということでしょうか。

6月22日(木)
昨日のことになりますが、図書館から帰ってきて、何気なくサイトにアクセスしてみると、伝言板にアクセスできません。
tcupのホームページに行ってみると、当サイトの伝言板のあるサーバにトラブルが発生しているということでした。
そこで、テレホタイムが始まる前に緊急処置を執りました。
tcupの伝言板へのリンクを切断し、4月5日から予備伝言板として存置しておいたaaacafeの伝言板へのリンクを復活させます。
さらに、万一tcupのサーバが復活しなかった場合に備えて、パソコンのテンポラリフォルダから、自分がレスを付けた時のキャッシュを発掘し、過去ログとして保存しました。
当サイトを開設する前、今年の2月から3月にかけて、ネット上のお知り合いの方でサイトを持っている複数の方が掲示板を設置していたサーバが、クラッキングによって損傷し、しばらく掲示板での交流ができなかったばかりか過去ログがすっかり失われるという事故がありました。
その教訓を基に、通常使う掲示板だけでなく、別のプロバイダに予備掲示板を確保しておくことを、サイト開設当初から考え、実行に移していたわけですが、それが役に立った、いや立ってしまったわけです。

サーバのトラブルは、今日の夜までには復旧していました。
それを確認したので、tcupの伝言板を復帰させ、aaacafeの伝言板は予備伝言板に戻しました。
1昼夜余りのリリーフの間に、aaacafeの伝言板には、カキコ1件とレス1件がありました。
これについては、tcupの伝言板に書き写すことはせず、6月分のログを7月に4番倉庫に収める際に、ログの中に組み入れることにしようと思います。

6月21日(水)
仕事中に、CGの題材が2つ浮かんできました。どのゲームの何というキャラのどんな場面かは、今はまだ伏せておきますが、キーワードは1枚が「アジサイ」、もう1枚が「熊」とだけ言っておきましょう。
1枚目の題材が浮かんだきっかけは、出勤中に、近所の家の庭にアジサイが咲いているのを目にしたことです。アジサイと言えば梅雨時の花、しとしとと降る雨。これでピンときた方はかなり鋭いです。
さいわい今日は仕事が早く終わって、近所の図書館の閉館時刻より前に帰ることができたので、「熊」の方の資料を探そうと思って図書館へ行きました。
すると、図書館の近くの道端に生えている巨木の下を通りかかった時、風で木の葉がざわめくにしては激しすぎる物音が聞こえてきました。
何だろうと思って見上げると、遠目に木の葉に見えた物のかなりの部分が、木の枝に群がっている雀の大群でした。
このあたりでは一番の巨木であるこの木は、その辺一帯の雀のねぐらになっていたのです。
何百羽とも知れない雀の大群がさえずるのを聞いているうちに、麻雀牌をかき混ぜる音が雀のさえずりに似ている、というのに一人で納得している私は、やはり変わり者なのでしょうか?
夜、ふと思い立って「ToHeart」を流し気味にプレイしていたら、思いがけず宮内レミィとゴールインしました。
昨年の12月、初めてプレイした時は、特に目標を絞らずに八方美人でプレイしていたら誰ともゴールインできなかった(哀)のでしたが、今日のプレイは、あくまで「いいんちょ」こと保科智子を主目標にして、レミィには特に目を向けていなかったプレイのセーブデータから分岐したので、正直に言って予想外でした。
本当の目的は、誰ともゴールインしないエンディングの再現にあった、というと、もうピンとくる方がいるかもしれません。
それから、久しぶりに小説を打鍵して、わずか30ラインですが進めました。600ラインを超えたところで、そろそろ後半に入るつもりです。

6月20日(火)
新潟県地方は今日も晴れ。梅雨はどこへ行ったのでしょうか?
こんな陽気で、しかも今日の仕事はデスクワークではなくて外仕事なので、仕事に差し支えるほど夜更かししているつもりはないのに、仕事の能率がさっぱり上がりません。
夜、帰宅する頃にやっと涼しくなってくるので、帰宅してから本調子になっていろいろなことを始めます。するとつい夜更かしする。翌朝は寝不足と暑さのせいでまた仕事の能率が上がらない。悪循環です。
週末、徹夜でチャットした後の朝の涼しさを思うと、本当に近所の農家のように、夏は日の出とともに仕事を始めて、暑くなる前に一通り済ませてしまう、というのが合理的な気がします。

新作CG「ある家族の肖像」を、ようやく完成してアップしました。なりぽしさんへの贈り物です。
4月22日に、なりぽしさんが当サイトの800番をゲットされたので、その記念に何か描いて差し上げると約束したまま、2ヶ月近くも制作しないままだったので、これでまた一つ、肩の荷が下りた気分です。

6月19日(月)
梅雨入り宣言が出されているのに、今日は一日中晴れています。
気温はそれほど高くはないのですが、湿度が高いのと、先日まで寝冷えするほど涼しい日が続いていたのが急に暑くなったせいか、感じ方としては気温よりずっと蒸し暑く感じます。
里はもう、夏になったような天気ですが、山の方には思わぬ冬の名残があります。
昨日の朝、新潟県北魚沼郡入広瀬村の浅草岳で、山菜採りに行って下山してこない人を捜索していた救助隊が、遭難者を収容した直後に雪崩に襲われ、二重遭難となって合計5人が亡くなるという事故がありました。
雪崩による遭難は、吹雪、春の洪水と並ぶ雪国の災厄として『北越雪譜』にも書かれているほどで、昔から多くの人命を呑み込んできた自然の脅威ですが、新潟県でも指折りの豪雪地帯とはいえ、6月にもなって雪崩が起こることは珍しいようです。
捜索隊の案内に当たっていた地元の山小屋の主人(この人も亡くなりました)は、浅草岳で40年以上も山小屋を営んでいて、浅草岳のどこにどういう危険箇所があるかを知り尽くしていたベテランだといいますが、事故現場は雪崩の危険箇所だと知っていて、何度も捜索隊に注意していたそうです。
そんな危険な場所だと知らされた上で、職務として捜索に赴き、そして殉職した警察官や消防隊員のことを思うと胸が詰まります。

6月18日(日)
週末、夜毎に行きつけのチャットルームに行って、顔なじみ(というのも変ですね、オフでお会いしたことのある方は一人もいませんから)になった常連さん達とチャットするのは、私の楽しみの一つです。他愛のないやりとりの中でも、思いつきで飛ばしたギャグに当意即妙に切り返してくる人がいますし、「同級生2」または「下級生」というゲームへの興味を共通の基盤として持っている人たちの集まりですから、その人が「萌えて」いるキャラクターになりきって発言したり、中には特定のキャラクターの夫君になりきって発言する人もいます。
もっと真面目な時には、投稿作品への感想を述べ合ったり、ゲームそのものへの評価をめぐって時間を忘れるほど議論したりします。そうした中から、「鳴沢友美」のページに書いたように、新しい創作への提案を受けて、創作意欲をかき立てられることも時にはあります。
しかしこの頃は、作品を制作して寄贈することを約束している人と同室すると、約束した作品がいつまでも寄贈できないでいることが気になって、多少居心地が悪くなることもないではありません。
などと言っている暇があったら、四の五の言わずに制作にかかればいいのですがね。

昨夜は1時半にチャットを切り上げて寝ましたが、またもや11時頃まで寝てしまいました。
今日は雨が止んだので、敷布団を干したり、窓を開けて部屋の掃除をしたりします。独身寮で一人暮らししていると、部屋の掃除などというのは際限なく間隔が開いてしまいがちなのですが、一応これでも社会人なのですから、社会通念に反しない程度には身の回りのことを自分で行うべきです。
……もしかして私が、三津野知美と同居していて、身の回りのことは彼女にしてもらっていると思った方は……まあ、いないでしょうね。

さて、総選挙まであと1週間となり、選挙運動が喧しさを増してきました。
夕飯の材料を買いに出かけた時、自民党から立候補している候補者の選挙事務所の前を通りかかると、国旗が揚がっていましたが、旗が竿の中程までしか揚がっていず、しかも竿頭の金色球が、黒い布で包んでありました。
つまり弔旗です。弔旗が揚がっている理由は言うまでもありません。
候補者個人の考えで行っているのか、党本部からの指示で行っているのかわかりませんが、さすがは自民党だなあ、と思いました。

夜になってから、CGの制作に邁進しました。
今度の題材は、恰好の参考資料がある部分と資料の全くない部分があるため、少し制作に手間取りそうです。

6月17日(土)
チャットは早め(といっても午前2時半)に切り上げて寝たのに、正午近くまで寝てしまいました。
しかも窓を開けて寝ていたので、朝方涼しくなったせいか、時ならぬ風邪にやられたようです。

皇太后陛下には、昨日夕方、崩御されました。
午後、雨の降る中を図書館へ行って今日の朝刊を見ると、どの新聞もこの記事で持ちきりです。
旧憲法のもと、伏見宮家から皇室に嫁がれ、日本史上かつてない激動と苦難と繁栄の時代を、昭和天皇と共に歩まれ、7方の宮を儲けられ、97歳という長寿を全うされた皇太后陛下のことで、私ごときが迂闊な事を申し上げるのは不遜を極めるでしょう。
ただ、ふと思い出したことがあります。
戦前、皇室に江戸時代以前のしきたりが色濃く残されていた頃は、宮の御養育は御生母たる皇后陛下ご自身では行われなかったということです。戦後、こういった古いしきたりは次々に改められていって、今上天皇陛下と皇后陛下が、皇太子殿下・秋篠宮殿下・紀宮殿下を御養育された頃には、御両親自らが御養育に当たられるという、最も自然なあり方になっていたと思います。
こういった皇室の内向きのしきたりの変化を、皇太后陛下は目の当たりにしてこられたと思いますが、皇室の内向きのしきたりということに関しては、もっと昔に、最も画期的なことがあったのでした。
それは大正天皇が、側室を置かれなかったことだと思うのです。
大正天皇は貞明皇后との間に昭和天皇を始め4方の宮を儲けられたわけですが、戦前、皇統の継承が至上命題だった時代には、側室を置かないというのは大変な決断だったのに違いありません。
実際、昭和天皇と皇太后陛下の間に4方続けて内親王がお生まれになった頃には、側室を置かれては、という声が強かったそうですから。

午後ずっと図書館にいたので、せっかくの休日なのにサイトの更新はほとんど捗りません。
今夜と明日一日で、どのくらい作業を進められるでしょうか。
それにしても昼間、図書館に行く前にNHKの大河ドラマの再放送を観ていて、豊臣秀頼の台詞「こずえが、姫を産みました」「ユイ姫と名付けとうございます」に「ビクッ」と反応した私って……。

6月16日(金)
昨夜、新作CG「鳴沢友美」を公開してから行きつけのサイトを巡回していて、「麗子となりぽしの部屋」の10000番を踏みました。
今回は特に記念すべきキリ番ということで、CGのリクエスト権を下さるそうです。
なりぽしさんは、当サイトの開設記念に、あれだけの名画を描いて下さった方ですから、リクエスト権を頂いたからには、今度も当然リクエスト権を行使させていただくつもりですが。
・・・が。
当サイトの800番をなりぽしさんがゲットされた後、その記念に何かを差し上げると約束したまま、2ヶ月近くも等閑にしていました。
本当はこれを、まず真っ先に描き上げて、お贈りしなければいけないのです。

仕事はそれなりに多忙なのですが、CGの制作が大いに「のって」います。
その代わり新しい文章の制作が全く進んでいませんが。
11日の更新で「容れ物を作っただけ」の旧作「私本落窪物語」を、いつまでもこのままにしておくのも何なので、少しずつHTML化して公開を進めていきます。

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