2000年5月後半の日記
←6月前半の日記へ   ↑2000年の日記へ   5月前半の日記へ→

5月31日(水)
やはり午前3時起床というのは無理があったようです。昨夜は帰宅後、日誌のアップだけはやりましたが、伝言板のチェックはテレホタイムが始まってから、と思っていたら、その前に寝てしまいました。
それで今朝は早出だったので、起きると出勤時刻ぎりぎり、朝飯を食べる時間もありません。
出勤しても、サイトの更新のことをあれこれと考えていると気もそぞろです。
制作したいCG、アップしたい文章、あるいは今月分の日誌・ダイヤ改正・伝言板ログの整理−−これは大して時間を要する作業ではありませんが、いろいろなことが念頭に浮かんできます。
整理と言えば居室の整理。秋葉原で衝動買いしてきたあまたの品物が、部屋の中に広げられたままになっているのを思い出します。それを全部収納するためには、CDラックと本棚がもう1つずつ必要になりそうです。

5月は晴れて暑い日が続きましたが、新潟県地方では昨日までの晴天から一転して、今日は雨が降って気温も下がっています。
明日からは6月ですが、衣替えをするにはまだ少し肌寒いようです。
私の居室では、まだコタツに布団を掛けたままになっているのは内緒です(どこが?)

5月30日(火)
昨夜早めに寝たところ(正確な時間帯は失念)、今朝は何と3時に目が覚めました。
そこで即座に布団を蹴り、パソコンの電源を入れて、行きつけの掲示板に東京帰りの挨拶カキコをし、もちろん当サイトの伝言板にもレスを付けます。
それが一段落してからやおら始めることは、CGの原画制作……ではなく、27日の項に書いた「800秋葉原へ行く」の続編の打鍵でもなくて、突然「ToHeart」のプレイです。
別に血迷ったのでも現実逃避でもなく、これもCG制作のための布石のつもりです。「いいんちょ普及委員会」が6月2日で開設2周年、「Flintblack's Homepage」が7月11日で開設1周年なので、それぞれにCGを制作して寄贈しようと思い立ったのですが、実はまだ保科智子のエンディングに到達していない(瀑汗)のです。
こんな状態のままでCGを制作するのは保科智子に対して礼を失すると思ったので、差し当たっての目標として、6月2日までにはエンディングに到達することを目指します。
5月は残すところ2日。よほど強力な天啓がない限り、今月は運行日誌以外の新着コンテンツはないでしょう。

5月29日(月)
さて自宅の最寄り停留所でバスを降りて、26日の夜から駐輪しておいた自転車を探すと、これが見つかりません。
自業自得としか言いようがないのですが、4月頃に近所の図書館へ自転車に乗っていった時、館内のどこかで鍵をなくしたので、馬蹄型の錠を掛けたまま自転車を自宅まで引きずっていって、近所の町工場でカッターを借りて錠を壊し、それ以来錠を掛けずに自転車を乗り回していたのです。
近くの交番へ行って、自転車を盗られたと言うと、調書を書いた警官は、人通りの多い所に無施錠で3晩も置いておいたら盗られても自業自得だ、と言いたそうな顔をしていました。
自宅の近くを通るバスの始発まで1時間もあるので、礼服用の履き慣れない靴で歩けば、平らな歩道で突然足首を捻るという具合です。
帰宅するなり、ほとんど休む時間もなく、足首に湿布だけ当てて出勤。実はバスの車中ではほとんど寝ていないのですが、デスクに向かうと寝そうなので何かと口実を作って部屋を出入りし、暇さえあればコーヒーを飲んで、どうにか勤務時間終了まで持たせました。
今夜は日記だけアップして、とりあえずなるべく早く寝ます。

5月28日(日)
昨夜の会食では、それほど痛飲した実感もないのに、実家に到着した頃にはなぜか酔いが回っていて、到着するなり爆睡してしまいました。
父が退職後に買ったパソコンで、母も電子メールを使い始めたというのですが、老眼のせいで画面がよく見えないので設定を変更してくれるよう昼のうちに父に頼まれていたので、夜になったらそれをやり、あわよくばついでに800Toursの伝言板をチェックしようともくろんでいたのですが、何もできませんでした。
それでこの日、朝になってから、画面の文字を大きくするための設定変更をやりました。CRTが15インチなので解像度を1024×768から800×600にし、私が自分のマシンでやっているように「大きいフォント」にし、さらにアクティブウィンドウやメニューバーのフォントを大きくし、メールソフトのフォント設定を変えるなどして、ブラウザやメールソフトを使っている時の文字サイズを設定変更前の2倍くらいにしたので、「虫眼鏡なしで画面が読める」ようになりました。
これからは、高齢者こそインターネットを、またインターネット端末としてのパソコンを使う時代になると私は思っていますが、そうなると文字サイズを大きくする設定変更をもっと容易にできるようにするとか、あるいはマウスより扱いやすいポインティングデバイスをつけるとか、そういった高齢者対応が、これからのパソコンには求められるようになると思います。
ちなみに私は、800Toursのことを親兄弟の誰にも知らせていません。理由は……まあ……積極的な理由はないですね、両親に見てもらう理由も、極秘のままにしておく理由も。

昼過ぎに実家を出て、一路秋葉原へ向かいました。
この頃、結婚資金を貯めるという概念が頭の中から失われたせいでしょうか、就職したばかりの頃より金遣いが荒くなってきたような気がするのは、いささか由々しきことです。
さすがにゲームソフトは、これ以上新しいのを買ってもプレイする暇がないのがわかりきっているので、ほとんど買わなくなってきましたが、サイトを更新したりチャットしたりする時のBGMとして、あるいはゲームをプレイする時のBGM代わりに流しているクラシックのCDは、上京する度に増えていきます。
そこへ持ってきて今回は、中古屋でOAVの「同級生2」12巻揃いと「下級生ディレクターズカット」7巻揃いを見つけて、財布の中身も見ずに衝動買いしてしまい、本当の非常事態に直面するまでは取り出すまいと心に決めていたはずのクレジットカードで支払いをするという形で、とうとう一線を越えてしまいました。
こうして買って帰る荷物が増えることを想定して、結婚式に参列するのにハイキング用のリュックサックを背負って上京し、式服のズボンのウエストがきつくなった(苦笑)ので上着ともども購入元の洋品店で直してもらうことになったのを、リュックに詰める荷物が減り、買って帰れる量の限界が上がったまたとない好機と(来る時は式服をリュックに入れてきました。普通やりませんね)思っているのですから、私の秋葉原散財症候群は、かなり重症のようです。
秋葉原の各店が閉まってから、山手線を回って時間調整し、池袋発の夜行高速バスで帰路に就きました。
(5月29日アップ)

5月27日(土)
今回の上京は仕事上の出張ではないので、交通費を倹約するために、今回も夜行高速バスに乗りました。
午前4時過ぎに池袋駅前でバスを降り、前回4月の上京時にも行った、上野公園の近くのインターネット喫茶に入ったのが午前5時です。私が行きつけにしているチャットルームの一つは、休前日の夜にはテレホタイムが終わる午前8時までチャットが続いていることも稀ではないので、今夜は私はネットに接続しないものと思っている人たちが屯しているところへ、私が午前5時にいきなり顔を出したら、どんな反応が返ってくるか、を期待していた節もあったのですが、ログインしてみると午前3時で散会になっていたようでした。
皆さん遠慮しているのでしょうか、金曜の夜というのに伝言板への書き込みが1件もなかったので、レス付けは止めて他の方々のサイトを巡回し、午前7時過ぎに店を出ました。それから山手線を2周余り回って、午前10時に秋葉原で降り、今回の上京の目的の一つであるボークス秋葉原ショールームへ、ふりんとぶらっくさんの3人の娘さん達に会いに行きました。
(この文章の意味するところは、4月9日の日誌に書いてあります)
私は残念ながら先約があって行けなかったのですが、去る4月30日に池袋で、ボークスが主催して第3回ドールズパーティーが開かれ、その際に行われたカスタマイズドールのコンテストで、ふりんとぶらっくさんの3人の娘さん達が揃って入賞したそうです。コンテストで入賞した令嬢令息たちは、しばし親元を離れて一堂に会することになったようで、栄誉を証す銀色のトロフィーと共にショーケースの中で妍を競っていました。
しかしこの後すぐ、今回の上京の主たる目的が控えているので、いつまでも秋葉原に屯しているわけにもいかず、近県にある実家へ向かい、午後1時に実家に着きました。ここで両親と落ち合い、母はすぐに先発し、父と私は式服に着替えて、午後2時に近くの町にあるホテルへ向かいました。
……主たる目的の種明かしをしましょう。妹の結婚式です。
当事者双方の意向で、ホテルでは挙式だけ、披露宴は行わず、式に参列した双方の親族合計10人ほどだけで、近くの料理屋で会食して終わりにする、ということでした。
私も今まで、ウェディングドレスを着たゲームキャラのCGを描いたこともありますが、結婚衣装の実物のフルセットを見、あるいはキリスト教式結婚式の式次第を実際に体験できたことは、後学のために益するところ大であったと思います。
目下、この日の出来事を多少脚色して「800秋葉原へ行く」の続編とするため、電波の受信を待っているところです。
私自身の結婚の当て?……
実にいい質問ですね。それでは質疑を打ち切らせていただきます。
(5月29日アップ)

5月26日(金)
新潟地方は初夏の陽気で、遠くの山に見えていた雪形も、すっかり形が変わりました。
昔の人は雪形を見て、田起こし・代掻き・苗代作り・田植えといった春仕事を進めていったものですが、物の本を読むと、昔の田植えは旧暦の5月だったようです。
ホトトギスが鳴く頃が田植え時とは、「枕草子」にも書いてありますし、田植えに従事する女性を指して「さおとめ」といいますが、漢字では「五月女」と書きます。新潟県では「のめしもん(怠け者)の節句働き」といって、みんなが田植え終了を祝っている時に働いているのを笑いますが、この節句とは旧暦5月5日の端午の節句を指したはずです。
今日5月26日は、旧暦では4月23日、昔の新潟県ならまだ田植えの時期ではなかったのかもしれませんが、今は稲を作付けしている田圃は、どこも田植えが終わっています。
暦が変わってから1世紀以上経ち、旧暦で行っていた行事を新暦で行うと季節が合わないとか、俳句の季語が現在の感覚と違う(朝顔が秋の季語というのは有名な話です)と言われていますが、稲作だけは農事暦が前倒しになってきた結果、偶然ですが旧暦の日付とうまく合っているようです。

業務連絡:26日夜から29日未明まで所用のため上京します。そのためサイトの更新を一時停止します。

5月25日(木)
相変わらず、次のCGの制作に着手する気力が湧いてきません。修羅場モードを実施することによる体力と気力の消耗は、某ゲーム(笑)と違って、修羅場モードが終わってから徐々に現れてくるのでしょうか。
あるいは、某ゲームの主人公と自分との年齢の違いが原因かもしれません。二十歳ぐらいの頃には、力仕事やスポーツをすると、筋肉痛はその日のうちに出てきて3日くらいで引いていましたが、この頃は翌日から出てきて翌々日にピークを迎え、何日もかけて徐々に引いていくようなのです。
ここ数日の夜更かしで、わかってきたことが1つあります。
私は普段朝8時に起床している(フレックスタイム制ではない職場にフルタイムで勤務していて、こんな優雅な生活ができるのも、田舎の特権かもしれません。首都圏の私立高校に遠距離通学していた頃は、朝8時始業だったので、起床は6時でした)のですが、インターネットを始める前は12時に寝ると、8時には自然に目が覚めました。
インターネットを始めてから、夜更かしするようになってきたのですが、2時に寝て8時に起きると、その日一日特に仕事の能率が落ちるようなことはありません。
ところが1時に寝て8時に起きると、2時に寝た場合よりかえって寝起きが悪く、午前中いっぱい仕事の能率が上がらない、というようなことがよくあります。
サイトを開設してから夜更かしに拍車がかかってきましたが、もっと夜更かしして3時に寝て8時に起きると、午前中ほとんど仕事にならない時もあり、むしろ4時に寝た場合の方が寝起きがすっきりします。
要するに、偶数時間寝て起きるのが体質に合っているらしいのです。
健康を第一に考えるなら、目覚まし時計を使わなくても8時に自然に目が覚めるように、12時に寝ればいいのでしょうが、フルタイムの仕事をしている身で、いろいろな趣味を持って、あれもやりたいこれもやりたいとなると、つい睡眠時間を削る方向に進むのが人情です。
私の上司は、「自分は5時間寝れば充分だ」と豪語しています。毎日3時間、普通の人より多くの時間を持てる人は、ある意味では人生を普通の人より長く生きられるのですから、羨ましい限りです。
(5月26日アップ)

5月24日(水)
今までにない大作CG(画像サイズとファイルサイズの点で。質的にどうかは問わないことにしましょう)「八十八学園の『春』」を仕上げるために、数日間全力を傾注し、後先考えずに徹夜で作業したせいでしょうか、CGが完成したとたんに脱力感に襲われてしまいました。
これ1枚を仕上げたからといって安心していられる状態ではなく、寄贈を約束してから2〜3ヶ月にもなるCGの制作に、すぐにも取りかかるべきなのですが、勤務時間中、デスクに向かっている間に意識が途切れるような状態では、帰宅しても次の作業に取りかかる気力が湧いてきません。
何だかんだ言いつつ、5月の1ヶ月間に制作したCGが5枚というのは、自分としてもかなり旺盛な創作活動だったという実感はあります。しかし、先月末に「5月はリンクの充実を進める」という意味のことを書いたのに、オプショナルコースの拡充は全く手つかずのまま、5月が終わりそうです。
他にも拡充したいコンテンツはあるのですが……。
いや、ここは、自分の中で今一番「のって」いる作業を、気分の赴くままに進めていくことにしましょう。それこそが趣味の特権なのですから。

5月23日(火)
昨夜12時に寝たところ5時に目が覚めたので、朝飯も食べず作業を続けてから出勤です。
ここまでCGの制作に入れ込んでいると、仕事中にもふと「あのキャラのこの辺りはこう直そう」と思い立つことが度々です。思い立っても、そこは勤務時間中、いくらコンピュータに向かってデスクワークしていても、いきなりペイントソフトを起動するわけにはいきません。そこで、思い立ったことの要点を手元の紙にメモしておいて、帰宅してから実行に移します。
帰宅後もひたすらCGの制作に打ち込み、午前0時に完成しました。引き続き公開用のHTMLファイルの作成にかかり、コメントを書き終えたのが午前3時でした。これでやっと、肩の荷が一つ下りた気分です。

5月22日(月)
次回作として17日に資料収集を行い、18日から制作を始めたCGは、20日の夜半過ぎに人物の原画が完成しました。21日にはスキャンした画像を背景と合成して仕上げるつもりでしたが、なぜか作業が捗りませんでした。
26日夜から28日までの週末は、よんどころない用事で実家に行かなければならないので、CGの制作はできません。となると5月中に公開するためには、平日の夜も制作に専念しなければならないと思い定めて、21日の夜半頃から修羅場モード(笑)突入です。
修羅場モード初日のこの日は、飲まず食わずで午前7時まで作業して、そのまま出勤しました。この日も早出で、8時から勤務です。
こんな事をすれば、この初夏の陽気の下では居眠りするのは時間の問題、と思ったのですが、意外にも頭は冴え渡ったまま、残業を終えました。中途半端に寝るよりも、完全徹夜で押し切ってしまう方が、少なくともその場に限っては好結果をもたらすようです。
(5月23日アップ)

5月21日(日)
出張や帰省でネットに接続できない状況に置かれていたわけではないにもかかわらず、運行日誌の更新が3日も滞り、しかもその間「今日の日誌は○○日にアップします」の告示も出さなかったばかりか、伝言板のレス付けまで等閑にしていたというのは、よほど精神的に煮詰まっていたのに違いありません。
この日は昼頃に起きたのですが、明日の朝一番で取りかかるべき仕事の準備をするために休日出勤したので、この週末最優先の作業として位置づけていたはずのCG制作は、日が昇っている間には捗りませんでした。まあ、給料をもらって従事している仕事であれば、趣味より優先になるのは当然のことです。
近所の小学校では、この日が運動会だったようです。長崎県で、小学校の運動会の最中に突風でテントが飛ばされて怪我人が出た、というニュースも目にしました。
小さい頃から運動が苦手だった私は、小学生の頃には背が高い割に足が遅かったので、徒競走では万年最下位でした。5年の時だったか、身長順ではなくて足の速い順に組分けすることになって、私は各クラスの男子で一番足の遅い児童からなる組で走り、この時初めて最下位でない順位になりました。
そういうことがあったものですから、徒競走の組分けを足の速い順にすることには心情的に賛成です。ただ、各クラスで一番足の遅い組の最下位というのは、学年一足が遅いということが言い逃れする術なく公表されてしまうことになりますが。それがいやだというのなら、もう「競う」ことを止めるしかないでしょう。生身の人間、それもクローンでない様々な違いを持った人間同士が何かを競うなら、必ず順位が付き、勝者と敗者に分かれるのですから。
(5月23日アップ)

5月20日(土)
昨夜は5時頃目を覚まし、チャットしながら日誌を打鍵して、チャット終了とほぼ同時にアップ。それからちゃんと寝直して(笑)、起きたのは正午です。
一日中、食事と排泄以外はデスクから離れず、テレビも見ずゲームもせずにCGの原画制作に没頭して、それでもまだ仕上がりません。題材の選定ミスで、収拾がつかなくなった、というべきでしょうか。
結局午前2時過ぎに中断し、昨夜頂いたメールの返事を書き、日誌をアップして作業終了です。
・・・うん、分量といい内容といい、「一般的なウェブ日記」らしくなってきたぞ。

5月19日(金)
昨日の深夜、正確には19日の午前1時頃でしょうか、当サイトは2000人目のお客様をお迎えしたようです。一昼夜経った今も、申告して下さる方がいないので、誰が2000人目だったのかはわかりませんが。

昨日の日誌に書いたことは、CGの制作が捗らなくて精神的に少し煮詰まっていたせいで、あらぬ方向へ思考が深入りしたのかもしれません。
実際、制作を約束したCGを後回しにしてまで、時期限定のCGの制作にかかっていて、それが捗らないとなると、焦りが出てきます。
具体的には「春」を題材にしたCGなのですが、暦の上では立夏を過ぎて、5月も残すところあと10日という今になって、まだ下書きができあがっていない状態です。
帰宅後ずっと制作に専念していたのを中断して、行きつけのチャットルームに行けば、午前4時過ぎに沈没。「心は熱すれども肉体弱きなり」を地で行く形になってしまいました。
その原因は一にかかって、昨夜3時半までサイトの更新をやり、さらに4時まで起きていたから。体力を温存しつつ気力充実を図る、の反対を行っています。
この週末にはCGの制作だけでなく、いろいろとやりたい事があるのですが、身体がついていけるかどうか、それが切実な問題です。

5月18日(木)
昨夜から今朝にかけては、ネットにも入らずに8時間寝ましたが、それでも一日中眠くてたまらないばかりか、朝から鼻づまりがする、夕方には頭痛がする、という体たらくです。そんな状態でも、制作したいCGや雑文の題材は次々に浮かんできます。明日一日、なるべく体力を温存しつつ気力充実を図って、週末の徹夜チャットやCG制作に備えるとしましょう。
(どう考えても、社会人の本分を取り違えていますね、この文章を打鍵した人は)

その創作活動のことで、最近ちょっと考え込んでいることがあります。
私が、パソコンゲーム「同級生2」の登場人物の一人である水野友美を非常に気に入っている(この趣味の世界の用語では「萌えている」といいます)のは、私のネット上の交友範囲ではもう周知の事実と化しています。そういう、特定のキャラクターへの好感(「愛情」とまで言うのはちょっと照れるものがありますが)が創作活動の原動力になるのは、大いに結構だと思います。
しかし、好感だけが創作活動の原動力になるわけではないのは、私にもわかります。CGのように相対的に短時間で制作される作品の場合、特定のキャラクターに対する愚弄、嘲笑の念が創作の動機になる場合がありますし(私のCG作品でいくと「みのりの秋」と「こいのぼり」。ただしどちらも、主役を愚弄、嘲笑する意図を持ってはいないつもりです)、小説のように長時間で制作される作品の場合、特定のキャラクターに対する憎悪が創作の動機になる場合だってあるでしょう。
ある意味では、憎悪という感情は人間の持つ感情の中で、持続力と爆発力の点で最大最強の感情と言っても過言ではないと思います。ですから、それが創作の動機になることは決してあり得ないことではないと思うのです。
しかし、愚弄嘲笑はまだしも、憎悪というのは、いわば負のベクトルを持ったエネルギーです。人間の持つ最も陰性の感情を、あからさまに露呈した物を、インターネットのような場に公表することを、他人の賛否はともかく、自分自身の理性が良しとするか、かなり懐疑的です。

5月17日(水)
今日も少しだけ早出です。とわかっていながら、夜半過ぎに目を覚ましたところでパソコンの電源を入れ、日が昇ってくる午前5時までネットサーフして、たった2時間の仮眠で出勤しようというのですから、いかに確信犯で不健康な生活をしているかがおわかりいただけると思います。
その報いはさっそくやってきました。今日も定時に仕事が終わったので、次回作のCGのための資料収集と、13日にアップした「エイプリルフール」に一部裏付け調査なしで打鍵した部分があったのでそれの文献調査のために、近くの図書館へ行ってきましたが、帰宅後、CGや雑文の制作、あるいはサイトの更新にかかろうとする意欲が湧いてこないまま、早々と寝てしまいました。
出張や帰省のため、ネットにアップロードできない状態になるのはやむを得ませんが、そうでないのに日記の更新が遅れるような事態は、やはりあまり気分のいいものではありません。
(5月18日アップ)

5月16日(火)
今日から18日までは早出(といっても9時出勤が8時出勤になるだけで、職住接近の恩恵で7時に起きれば充分間に合いますから、首都圏で遠距離通勤している方々よりはまだまだ遅くまで寝ていられるでしょう)のため、昨夜は日記もアップせずに早く寝ました。
早出で仕事をしたせいだけでもないのかもしれませんが、定時に仕事を終えて帰ってきたとたんに気力が萎えて、いつもならまだ残業しているような時間から布団と仲良しになり、夜半を過ぎてから目を覚ますという具合です。日頃から生活リズムが夜型になっているのか、たまに少し早く起きただけでこの体たらくです。
2日分の日記を打鍵しながら巡回してみると、1900カウントの申告がありました。1900人目のお客様は、常連の一人、ふりんとぶらっくさん(「Flintblack's Homepage」管理者)でした。
有名な検索サイト「Surfersparadise」に、連休直前に登録申請してから、アクセスカウンタの回転がさらに速くなったような気がしますが、不思議なことにしばらくキリ番の申告はありませんでした。やはり、一見のお客様がキリ番を踏んだとしても、いきなり伝言板に書き込みはしにくいのが普通なのでしょうか。
そうすると、「お昼寝宮」を初めて巡回した時に3333番を踏んで、それをいきなり掲示板に書き込んだ私は、その当時もう一般人ならぬ逸般人化しつつあったのかもしれません。

ページのトップへ戻る

←6月前半の日記へ   ↑2000年の日記へ   5月前半の日記へ→