『最後の晩餐』
最後の晩餐(左〜中央):
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『同級生2』より「川尻あきら」「南川洋子」「水野友美」「長 岡芳樹」「篠原いずみ」「杉本桜子」
「竜之介(主人公)」「加藤みのり」「舞島可憐」「永島久美子」「都築こずえ」「西御寺有友」

同PlayStation版より「西御寺静乃」です。
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最後の晩餐(中央〜右):
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マタイによる福音書 第26章第14〜16,20〜25節(新共同訳聖書)
14そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、15「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。16そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。(17〜19節省略)
20夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。21一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」22弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。23イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。24人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」25イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」
当サイトの開設4周年記念CGとして制作していたCGです。
私のCG制作活動は、3号機を導入した2003年夏からずっと高調を維持しているのは我ながら祝着ですが、2003年11月から2004年1月にかけての「下級生」キャラの誕生日に合わせた連作を除くと、取り上げるゲームはすっかりLeaf・Tactics・Keyに偏っています。
それは、今はそれらのメーカーのゲームに基づいた題材が次々に浮かんでくる状態だからですし、それに1月から3月にかけては「Kanon」キャラの誕生日に合わせ、3月から5月にかけては「ToHeart」のゲーム中の日付に合わせるという具合に、特定の日付に合わせてCGを制作することにも、何らかの意義を見いだそうとしているつもりです。
そうは言っても、私が堅気の道を踏み外すこの世界に足を踏み入れるきっかけになった「同級生2」のキャラを描くのが、年賀・暑中見舞・クリスマスに水野友美を描くだけ、というのもいかがなものかと思わないでもなかったので、この春、サイトの開設4周年という節目の季節には、サイトの初心に立ち返る意味も込めて、同級生2キャラ総出演を目標にしたCGを制作することにしました。
2000年の5月、サイト開設から一区切りついた頃に、同級生2キャラのうち八十八学園関係者が総出演する「八十八学園の『春』」を制作したのと、同じ考えに基づいています。

次に題材は、4年前にはボッティチェリの『春』、ギリシャ・ローマ神話に基づいた神々の絵のパロディとして制作しましたが、キリスト教的には、春はイエス・キリストの受難と復活の季節であり、この一連の出来事を取り上げた絵は、ヨーロッパでは中世初期以来無数に描かれてきました。
その中で、イエスが十字架に架けられる前夜、パンと葡萄酒で自らの肉と血をかたどって儀式を行うことを弟子たちに説いた「最後の晩餐」の場面は、キリスト教の全ての宗派が洗礼と並ぶ最も重要な儀式として位置づけている儀式(カトリックでは「聖体拝領」と呼びます)を定めた場面であるだけでなく、弟子たちの一人イスカリオテのユダがイエスを裏切ることをイエス自身が予言する劇的な場面であることから、古来多くの画家によって描かれています。
中でも、レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノのサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ修道院の食堂の壁に描いた絵は、その当時壁に絵を描くのに一般的に使われていたのとは違う、すぐに剥がれ落ちてしまう方法で描かれたうえに、後世の無神経な補修・加筆も災いして、残念ながら今では見る影もないそうですが、考え抜かれた構図、人物配置の斬新さ、劇的でありながら乱雑には陥らずに、しかも弟子たちの性格までポーズや表情で描き分けた巧みさなどによって、「最後の晩餐」を描いた絵の最高傑作に数えられています。その完成度の高さは、ダ・ヴィンチのこの絵より後に描かれた「最後の晩餐」を、私の狭い見聞ではどうしても思い出せないほどです。
私が「同級生2」キャラ総出演で「最後の晩餐」を描こうと初めて思い立ったのはいつのことだったか、今ではもう思い出せませんが、この春本格的に制作を始めるにあたって、改めて「最後の晩餐」に関する本を読みあさるうちに、ダ・ヴィンチの絵のパロディとして制作することに決めました。
それは上に書いた「人物配置の斬新さ」が大きな理由で、つまりダ・ヴィンチの絵より前に描かれた「最後の晩餐」は、そのほぼ全部が「イエスとユダとその他11人」となってしまっているからです。
そもそも私がこの題材のパロディとして絵を描くことを思い立った最大の動機は、主人公たる竜之介をイエスに充てることよりもむしろ、「ゲーム史上最大・最凶・最低の悪役である長 岡芳樹を、イスカリオテのユダに充てる」ことだったのですが、水野友美を初めとするヒロインたちが「その他大勢」ではあまりにも面白くない、と思っていました。
それに対してダ・ヴィンチの絵では、ユダを特に目立たせずに他の11人の弟子たちと同列に描いているだけでなく、ユダ以外の11人の弟子たちを、持ち物や配置といったキリスト教美術の約束事によらずに表情やポーズによって描き分けていますから、それをうまく同級生2の登場人物たちに当てはめることができれば、と思ったわけです。顔の位置の左から順に、
・聖バルトロマイ(川尻あきら)……聖書には詳しい記述はありませんが、ダ・ヴィンチの絵では逞しい壮年の男性として描かれています。群像の端に位置するのは、巨漢あきらがふさわしいでしょう。
・聖ヤコブ(南川洋子)……資料によって、ゼベダイの子ヤコブとするかアルファイの子ヤコブとするかが分かれていますが、前者ならば、気性が激しく「雷の子」と呼ばれた弟子に当たります。バルトロマイ(あきら)のすぐ隣に位置し、イエスの言葉にいきり立つペトロ(いずみ)を引き留めようとするのは、ゲーム本編で あきらと結ばれる可能性があり(ゲーム本編で竜之介の行動の結果として成立しうるカップルのうち、竜之介から見て最も祝福に値するカップルと言えると思います)、いずみの親友でもある洋子が最もふさわしいと思います。
・聖アンデレ(水野友美)……聖書には詳しい記述は多くなく、私の絵でも どちらかというと「残り者」です──友美萌えとしては極めて不本意ですが。ペトロを引き留めるヤコブには、どちらも いずみの親友である洋子と友美の、どちらを充てるかずいぶん悩みましたが、身長を考えると あきら>洋子>友美>いずみ となると思いましたから、あきらとの位置関係も考慮して、その順に配置することにしました。
後になって気付いたことですが、アンデレはペトロよりも一足早くイエスの弟子になった、イエスの最初の弟子とされています。つまりイエスと最も長い間、行動を共にした弟子であるわけで、同級生2のヒロインたちの中で、竜之介と知り合ってから最も長い年月を経ているヒロインである友美をアンデレに充てたのは、決して間違っていなかったと思います。
・イスカリオテのユダ(長 岡芳樹)……師であるイエス・キリストを銀貨30枚と引き換えにユダヤ人たちに売り渡した裏切り者、新約聖書最大の悪人には、芳 樹以上のキャスティングは思いつきません。伝統的にユダは黄色い衣を着て描かれることが多い(ダ・ヴィンチの絵でも上着の下には黄色い衣を着ている)のですが、それが“裏切りを表す色”だという記述を百科事典で見つけた時、ガッツポーズを取りそうになったものでした。ゲーム本編で芳 樹が着ている黄色いトレーナーとはちょっと変えてみましたが、どう変えたかは考えてみて下さい。ヒントは要らないでしょう。
・聖ペトロ(篠原いずみ)……12人の弟子たちの筆頭に数えられ、イエスが最も信頼した弟子。気性が激しく、「最後の晩餐」の数時間後にユダヤ人たちがイエスを捕らえに来た時には、剣を抜いてユダヤ人の下役に斬りつけたとされ、ダ・ヴィンチの絵でも大型のナイフを握りしめています。ダ・ヴィンチ以前の「最後の晩餐」の絵はほぼ全部が「イエスとユダとその他11人」になっていると書きましたが、聖書にはその時ペトロがヨハネ(桜子)に「(イエスが)誰について言っておられるのかと尋ねるように合図した」という記述もあり(ヨハネによる福音書 第13章24節)、ダ・ヴィンチもそれに基づいて、ヨハネに話しかけるペトロを描いたものと思われます。
・聖ヨハネ(杉本桜子)……イエスが最も愛した弟子。ダ・ヴィンチ以前の絵では、ヨハネによる福音書の記述に基づいて、イエスの胸に寄りかかっているポーズで描かれることが多かったそうですが、ダ・ヴィンチはそうしていません。だとしても、イエスの言葉に驚き騒ぐ弟子たちの中で一人だけ静かに落ち着いた態度を見せている弟子、しかもイエスに最も愛された弟子には、桜子がふさわしいと思いました。
・イエス(竜之介)……誰の絵のパロディとして描くにしても「最後の晩餐」を描くと決めた時点で、主役たるイエスはゲームの主人公たる竜之介を充てることに決まりました。ただそうした結果、ダ・ヴィンチの絵には、見るからにイエスよりも年嵩である弟子もいますが、私の絵には、ゲーム本編に登場するキャラのうち、竜之介より年長のキャラ、つまり『春』には登場した片桐美鈴と天道、『春』には登場しなかった田中美沙・永島佐知子・鳴沢美佐子・野々村美里・安田愛美は、イエスの弟子として登場させるにはそぐわないと思われたので、今回登場させることはできませんでした。
・聖トマス(加藤みのり)……イエスが復活した後、復活したイエスを見たと言う他の弟子たちに対して、イエスの掌の傷と脇腹の傷に自分の指で触れるまでは信じないと言い張ったことから、「不信のトマス」とも呼ばれ、ダ・ヴィンチの絵ではイエスに対して、「もう一度言ってください」と乞うているように描かれています。同級生2のヒロインたちの中で、人間不信のヒロインといえば、みのりしかいませんね。
・聖ヤコブ(舞島可憐)……聖書の人物には同名の人物が多くて紛らわしく、ダ・ヴィンチの絵についての資料でも、ゼベダイの子ヤコブなのかアルファイの子ヤコブなのか、どちらも弟子たちの中では重要な人物であるにもかかわらず混乱しています。私の絵では、友美・可憐・久美子(フィリポ)が「残り者」になってしまいましたが、腰掛けているヤコブと立ち上がっているフィリポに可憐と久美子を充てるなら、立ち上がっている人物に背の低い久美子を充てる方がいいだろうというくらいの考えで、ヤコブには可憐を充てることにしました。それに、両手を広げて大きくのけぞり、弟子たちの中で最も大仰な驚きの表情をしている人物には、可憐がふさわしいかもしれません。
・聖フィリポ(永島久美子)……可憐と久美子は消去法で決めた配役でしたが、そうやって決めて原画を描き始めてから、ゲーム本編での久美子の立ち絵の手つきが、ダ・ヴィンチの絵のフィリポのそれとそっくりであることに気付きました。
・聖マタイ(都築こずえ)……ダ・ヴィンチの絵では右側の3人、マタイ・タダイ・シモンはイエスを見つめていず、少し離れたグループをなしているように描かれています。私が今度の絵に描くことにした同級生2の登場人物たちの中では、八十八学園に通っていない桜子、遠い冬至村の住民である久美子、下級生である こずえ、PlayStation版の追加キャラである西御寺静乃の4人は、竜之介との関係以外には、彼女たち相互の関係もなければ八十八学園3年B組の男女生徒たちとの関係も皆無に近い、いわば孤立したヒロインたちですが、こずえと静乃に限っては、西御寺有友との関係が存在しますから、有友を竜之介と別のもう一つの焦点に据えれば、その周りに配置することができると考えました。それで こずえですが、不安のあまり胸に手を当てているタダイよりは、驚いて腕を振り回しているようなマタイの方が、こずえにふさわしいのではないでしょうか。
・聖タダイ(西御寺静乃)……伝承によればシモン(有友)とともに各地を布教して回り、一緒に殉教した弟子。それで右端のシモンに有友を充てることを決めると同時に、シモンの最も近くに描かれているタダイには静乃を充てることに決めました。
・聖シモン(西御寺有友)……コメントの順序が前後しますが、桜子・久美子・こずえ・静乃の孤立ヒロイン4人の割り当てをめぐって考え込んでいた時、ふと右端のシモンに有友を充てることを思いついたら、一挙に見通しが開けました。
初めのうちは有友をヤコブ(イエスの右の)に充てようか、などとも考えていたのですが、登場する13人全員が男性である本来の「最後の晩餐」の絵と違って、私の絵には男性は4人しか登場しません。その男性の配置を見ると、中央の竜之介(イエス)と左寄りの芳 樹(ユダ)は絶対に動かせませんし、左端には巨漢あきらがいます。これに対して右側の3人グループが孤立ヒロインだけではいかにもバランスが悪い(桜子と静乃は線が細く、久美子と こずえは背が低い)ので、左端の あきらとバランスを取るために、右端に長躯の有友を配置してみようと思ったのです。左右のバランスの点でうまくいったかどうかはわかりませんが、有友を中心にして右側の3人グループをうまく構成することができた点で、この思いつきは正解だったと思います。
どうかこの絵が、「イエス・キリストとキリスト教美術に対する冒涜」という非難を受けないことを。
そして、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に基づいて過去500年間に描かれたパロディのうち、「一番拙劣なパロディ」という評価は受けないことを──せめて「下から3番目のパロディ」くらいの評価は受けることを。
(2004.4.18 2004.4.27、2005.7.6コメント補足)

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