2003年6月前半の日記
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6月15日(日)
昨夜は「Kanon」に詳しい人と同室したチャットルームで、Kanonの高校の女子の制服のリボンの色は学年を表す色なのか、それとも入学年次を表す色なのか、というような事を、夜更けを通り越して明け方近くになって議論していたのですが──そんな事をしているから夏風邪がいっこうに治らないのですが、今日になってから、ゲーム本編あるいはエンディングに、参考になるグラフィックはないかと探していたら、あっさり解決しました。3年になった名雪の制服の、ケープの縁が赤だとはっきりわかるグラフィックがあったからです。あのゲームに詳しい人には、具体的に書くまでもない場面でしょう。

今日は夜になってから新潟へ、チェンバロとヴァイオリンのコンサートを聴きに行きます。会場は昨年4月にヴァージナルのコンサートを聴きに行った、街外れにあるコーヒー専門店ですが、ヴァイオリンと協演するためか、今回の楽器はヴァージナルではなくて大型のチェンバロでした。そのため定員が20名と前に聴きに行った時よりさらに少なくなっていて、コンサートがあると知った時には昼の部のチケットは完売してしまっていました。幸いにしてその後すぐ、同じプログラムで夜の部が催されることになり、チケットを予約することができました。
今日のコンサートで演奏されたヴァイオリンは、バロックヴァイオリンといい、チェンバロが盛んに演奏されていたバロック時代の様式で制作されたものだということです。といっても、ピアノとは見た目だけでなく発音原理も全く違う楽器であるチェンバロに比べると、バロックヴァイオリンと現代のモダンヴァイオリンの違いは、素人目にはあまりはっきりしません。ぱっと見てわかる違いは、顎当てがついていないことくらいでしょうか。ですから楽器を演奏する時には、モダンヴァイオリンのように顎と鎖骨で挟むのではなくて、肩に載せるようにして演奏します。
そもそも今、ヴァイオリンの銘器として珍重されているストラディヴァリウスが制作されたのは、17世紀から18世紀にかけての、まさにバロック時代です。ですからストラディヴァリウスが制作当時のまま残っていれば、それがそのままバロックヴァイオリンのオリジナル楽器ということになるはずなのですが、今残っているストラディヴァリウスはほとんどが、コンサートホールで大勢の聴衆に向けて演奏できるよう、音量を増すための改造が施されていて、バロックヴァイオリンとしての原形を保っている物はほとんどないと言われています。
ですからバロックヴァイオリンはモダンヴァイオリンに比べて、出せる音量の上限が低く、大きなコンサートホールでの演奏には適しないのですが、今日のコンサートのように少数の聴衆に向けてのサロンコンサートであれば、弱音ではモダンヴァイオリンよりも細かなニュアンスに富んだ表現ができるということでした。
ヴァイオリンはこのように、時代とともに音量を増す改造がされてきた楽器ですが、それでもチェンバロの時代に原型が完成していた楽器ですから、アンプにつないでエレキギターならぬエレキヴァイオリンとでもしない限り、出せる音量には限界があります。それに対してピアノはチェンバロに取って代わるようにして発明された楽器なので、チェンバロに制約されることなく、音量を増す工夫ができます。ですから、100人のオーケストラと渡り合える音が出せるほどになった現代のピアノは、ヴァイオリンとの二重奏をするには音量が増しすぎたのではないかと感じることが、手許にある、モダン楽器による室内楽曲のCDを聴いているとよくあります。フォルテの部分でヴァイオリンは頑張っているのですが、伴奏であるはずのピアノの音量にすっかり負けてしまっていることが。
それに比べるとバロックヴァイオリンの音量は控えめのようですが、一緒に演奏するチェンバロが、ピアノに比べると遙かに音量の小さい楽器ですから、だいたいどんな場面でもヴァイオリンとチェンバロのバランスが取れていて、ヴァイオリンが独奏でチェンバロが伴奏(バロック時代のアンサンブルはこんな単純な図式ではありませんが)というアンサンブルにはぴったりです。と言いましょうか、ずっと前にチェンバロとリコーダーのコンサートを聴きに行った時に比べると、バロックヴァイオリンの音量はリコーダーよりは大きいですから、チェンバロが少し押され気味に聞こえた部分もありました。
ヴァイオリンと鍵盤楽器(バロック時代ならチェンバロまたはオルガン、古典派より後ならピアノ)のための室内楽曲というのは、ルネサンス時代から20世紀まで連綿と作られていますが、バロックと古典派の間、つまり鍵盤楽器がチェンバロからピアノに変わったあたりに一つの断層があるそうです。
「ソナタ(これは音楽用語の中でも意味の定義が難しい言葉で、まともに論述していると専門書1冊では足りないくらいですが、器楽曲の形式の一つと捉えておいてください)」と言う時には独奏楽器の名前を付けて、ヴァイオリンとピアノのためのソナタなら「ヴァイオリンソナタ」、ピアノ1台だけのためのソナタなら「ピアノソナタ」と言いますが、バロック時代のヴァイオリンソナタは確かに「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」と言えるのに対して、古典派の初期、ハイドンやモーツァルトが書いた、今ヴァイオリンソナタと呼ばれている曲のごく初期のものは、当時は「ヴァイオリン伴奏付きのピアノソナタ」と呼ばれていたそうです。つまりピアノ単独で演奏しても音楽として成立するピアノソナタの、ピアノの右手の旋律にヴァイオリンが絡む、というような書き方が多かったようで、バロック時代の室内楽とはかなり様相が違っていたらしいです。そうなった背景はいろいろとあるらしいのですが、ピアノとチェンバロの音量の違い、というのもあるかと思います。ハイドンやモーツァルトの頃のピアノは、今のピアノより音量が小さかったのですが、それでも前代のバロックヴァイオリンやチェンバロよりは音量が大きかったらしいです。
バロックと古典派の室内楽の違いについて、もっと蘊蓄を語ってもいいのですが、クラシック音楽に詳しい人でないとついてこられないでしょうから、止めておきます。
(6月18日アップ)

6月14日(土)
昨日の夕方雨に降られた時には、雨が降って肌寒いくらいの天気の方が鍋がおいしくなる、なんて感じていたのですが、パソコンに向かったまま朝まで寝ていたら、一気に体調を崩してしまいました。
そんな体たらくですが、新しいパソコンが本格稼働し始めたことが良い作用をしているのか、新しいCGの制作意欲が高まってきて、題材もいくつか浮かんできました。その題材に関連してですが、とりとめもなく考えたことがあります。
パソコンゲームのかなりの部分を占める、主人公が高等学校の生徒であるゲームでは、主人公の学年は高校2年に設定されることが多いように見えること、その理由は主人公の周りに「先輩」と「後輩」を配置することがごく自然にできるからではないかと考えたことを、以前の日記に書いたことがありますが、そうやって主人公の周りに先輩と同輩と後輩が登場した場合、学年が異なる生徒たちを、どうやって主人公に見分けがつくようにするのか、という点が気になりました。
私の出身高校は男子校で、制服は詰襟のいわゆる学ランでしたが、右襟に校章、左襟にローマ数字の学年章(つまり1年はI、2年はII、3年はIII)を着けることになっていたので、制服を前から見れば学年がわかるようになっていました。しかし就職してギャルゲーに親しむようになってから、こういった事どもにも関心を持つようになってきて、前の職場や今の職場での毎日の通勤だけでなく、機会があれば目にした男女高校生の制服やその他いろいろを観察していますが、私の出身校で採用していたような、一目でわかる学年章を制服に着けている高校生を見た記憶はほとんどありません。男子の制服に関しては、私が高校生だった時代に比べて詰襟が減ってブレザーが増えたことと無関係ではなさそうですし、女子の制服については、私の時代には今より多かったかもしれないセーラー服を思い出してみても、学年章を着けるように定めていた学校は決して多くはなかったと思います。
そんな事を思いながら手許にあるゲームのビジュアルを見ると、男女を問わず、はっきりと学年を識別できる大きさの学年章を襟や袖に着けているゲームは、手許にある範囲では皆無です。シナリオの中での主人公のモノローグで触れられるというのではなく、プレイヤーがゲーム画面を見てはっきりとわかるような、学年識別アイテムを使っていると断定できるのは、「With You」の舞台になる聖エルシア学園と、「Kanon」の舞台になる高校くらいでしょうか、それもどちらも女子の制服だけです。
聖エルシア学園の制服は典型的なセーラー服で、スカーフの色が1年は緑色、2年は黄色、3年は赤紫色となっています(私の作品の例、ただし2年だけですが)。Kanonの高校の制服は簡潔な形容が難しいユニークな形式ですが、ケープの縁とリボンの色が1年は緑色、2年は赤、3年は青となっています(私の作品の例。天野美汐(右側、1年)と、川澄舞および倉田佐祐理(3年))。これらは確かに遠目にも識別ができますが、逆にこれに相当するくらい目立つ学年識別アイテムを男子の制服に着けることができないのか、男子の制服には学年識別アイテムがあるようには見えません。
この夜のチャットで、普通の高校では学年の識別には何を使っているだろうかと話題提供してみると、ブレザーが制服の高校では、あるいは男女共通の識別手段としては、上履きの色で区別することが多いようだ、という返答がありました。それを聞いて思い出した手許のゲームは「アトラク=ナクア」で、制服は男女ともブレザーで学年識別アイテムはありませんが、2年の比良坂初音が初対面の3年の八神燐を「先輩」と呼ぶ場面で、上履きの色で燐の学年が初音にわかったという叙述がありました。
ところでアトラク=ナクアのテキストでは「学年色」と書いていますが、実際に女子の制服のスカーフやリボンの色で学年識別をしている学校があるとしたら、その色は学年を表す色なのだろうか、それよりもむしろ入学年次を表す色になっているのではないか、という気がします。というのは、消耗品と言っていい上履きはともかく、スカーフやリボンが普通に着用していて1年で着用不能になる物ではないと思うのですが、それが「1年生は緑」だったら、卒業まで毎年買い換えなければなりません。それに対して「平成10年度入学生は緑」なら、入学時に買った物が卒業まで3年間買い換えずに使えるわけで、学校当局が生徒の経済的負担に配慮するなら、3年間買い換えずに済むようにするのが良心的だと思うわけです。
長々と書いてきましたが、そもそものきっかけはKanonのエンディングのもう少し後、主人公たちが3年生になった頃のヒロインたちを描いてみたい、それも衣替えが済んだ季節ですから、一昨年の今頃描き始めた「夏服シリーズ」を再開するような形で描いてみたい、と思ったことです。そうすると、舞と佐祐理は高校を卒業していますから残念ながらお引き取り願うとして、水瀬名雪と美坂香里は3年、美汐は2年、沢渡真琴and/or月宮あゆは1年(これは勝手に設定)、そして美坂栞が……となりますが、さてリボンの色は学年色なのか入学年次による色なのか、と考え込んだのでした。
(6月17日アップ)

6月13日(金)
6月に入っても私の住んでいるあたりは晴天が続いていましたが、今日になってやっと雨が降りました。明日からも雨が続く予報で、北陸地方は今日が梅雨入りとなるでしょう。
でもその降り方は、朝出勤する頃には自転車で強行突破できないことはないくらいの小雨で、それでバスに乗らずに自転車を漕いで出勤すると、帰りには大雨になっている、そして大雨を強行突破して帰ってくると、アパートに着いて1時間も経たないうちに止む、という、どうも気まぐれな降り方です。しかし私が帰ってくる間だけ大雨が降っていたからといって、それで電波が入ったような物の考え方をすることは、たとえ有害ではなくても少なくとも有益ではないので止めることにします。
それよりも、前の週末にスーパーで見切り品1/4球30円で買った白菜が、早く食べないと時節柄腐ってしまいますが、白菜の食べ方というと鍋と漬物しか思いつかない私としては、晴れて暑いよりも雨に濡れて帰ってきて肌寒いくらいの方が、夕飯に鍋を作って食べるにはちょうどいいくらいです。といっても鍋の材料が白菜しかないので、他に何かないかと顔なじみの八百屋へ行くと、少し古くなったニラが普通の束の5束分くらいの超大束1束50円(普通の束は今の季節だと1束28円くらい)で売っているのを見て、後先考えずに買ってしまい、冷蔵庫に入らなくなって、台所中にニラの匂いが漂っています。
八百屋のいいところは、同じ程度の野菜を買えば全体的にスーパーより安いだけでなく、スーパーには出てこないような規格外品が格安で買えることで、今日はニラだけでなく、規格外の小粒なジャガイモを1かご(約3kg)200円で買ってきました。毎日肉じゃがを作っても、今月いっぱい持つでしょう。その一方スーパーは、全体的に高いですが少し古くなった「見切り品」なら八百屋より安いこともよくあり、5月上旬には出始めたばかりのソラマメを超格安で買ったこともありましたし、今日はキュウリを10本80円で買いました。これで今月はジャガイモとキュウリづくしです。

この夜も週末前夜の例に漏れず、チャットルームに人が来始める時間になると行きつけのチャットルームに行きましたが、3号機でチャットルームに入室して程なく、居合わせた人の1人と、ちょっと内輪の相談をする必要が生じてきました。その人とはICQで話せるのですが、ここしばらくICQを使っていなかったこともあって、3号機にはICQをインストールしてありませんでした。
それで2号機の電源を入れ、Windowsが起動するのを待ってブラウザとICQを起動し、3号機は他の人たちに断ってチャットルームから退室し、2号機から再入室しましたが、退室してから再入室するまで1分余りしかなかったので、居合わせた他の人に「復活が早すぎる」と言われてしまいました。
別に変なトリックがあるわけではありません。3号機を導入する前から、私のパソコン環境は1台のモニタを2号機と1号機(PC9801)で共有し、切替器で切り替えて使っていました。3号機を導入したため1号機はいよいよ引退の予定ですが、今まで1号機からつながっていた切替器を3号機につなぎ替えて、2号機と3号機でモニタを共有しています。
チャットルームでは「二台のPCを自由自在に操る・・・その方が羨ましいかも」と言われましたが、3号機の導入から10日ほどで、早くも2号機と3号機の役割分担が決まってきました。もちろんスペックの高い3号機はCG制作やマシンパワーを要するゲームに使いますが、それほどマシンパワーを要求しない作業、例えばウェブ日記の更新などは、今後も2号機を主に使うことになりそうです。
というのもパソコンに向かっている時は、ゲームをしている時以外はほぼ常に、BGMにCDやMP3を流しているのですが、3号機は2号機に比べて運転音がかなりうるさいからです。3号機を起動して、ダイナミックレンジが広いクラシック音楽を流していると、音量が小さい曲の時には、両耳にヘッドホンをはめていても、3号機の運転音が音楽の邪魔になると感じられます。
(6月16日アップ)

6月12日(木)
12日の夜に「こみパDCE」を3号機にインストールしてからは毎晩、帰宅して身の回りの事(夕飯、弁当作り、風呂など)を済ますとパソコンを起動して、こみパDCEをプレイしています。もっともDCEだけではなく、2年ほど前に2号機でプレイして、1人のヒロイン(猪名川由宇)とゴールインしただけで、プレイ時間のあまりの長さに中断したきりになっていた、最初にパソコンで出た版(「18禁版」と呼ぶのは生々しいので「旧版」と呼ぶことにしましょう)も、交互にプレイしてみるつもりです。
それでDCEと旧版それぞれの攻略情報を集めて、まずはDCEを由宇狙いでプレイ開始しました。DreamCast版を放り出しDCEで捲土重来を図るきっかけになった、原稿描きパートに関しては、やはりタイピングの方がアナログ方向キーを回すよりは私に合っていたようで、アナログコントローラでは1日3枚それも画面に赤信号が灯るほどの低いクオリティでしか描けなかったものが、ミスタッチしないように慎重に打鍵して1日5枚くらいは描けます。旧版の終盤、練習を重ねた結果として創造力・画力・仕上げ技術・カラー技術の全てが上限に達した状態のように、最高のクオリティで1日10枚描けるようになるかは、私のタッチタイピングは我流ですし、職場でも決してタイピングが速い方ではないくらいなので、ちょっと望み薄ですが。
(6月16日アップ)

6月11日(水)
もうそろそろ、関東地方より南は梅雨入りした頃でしょうか。例によって新聞を読まないために世事に疎いので、どの地域がいつ頃梅雨入りしたと発表されたかは知らないのですが、新潟県はまだ梅雨入りしていないようで、今日も、これで何日連続になるのか覚えていないほどの晴天でした。
今の日本では、平野部の水田はたいてい用水路が整備されていますから、山から雪解け水が供給されている北陸地方では、よほどのことがない限り水田が干上がることはありませんが、畑はそうはいきません。職場の周りの、減反した田圃を畑に換えて枝豆を作っている区画が、土が真っ白に見えるほど乾き上がって、生えてきた枝豆も乾いて息も絶え絶えなのを見て、ここは一つ雨を降らせるおまじないでもしてみようか、と言ってみました。
それは「朝早く起きて洗濯をし、洗濯物を窓の外に干してから、傘を持たずに出勤する」、つまり雨に降られては困る状況を作り出すという、いわば「マーフィーの法則」を逆手に取ることです。
ところが、前の職場で私がこんなことを言うと決まって一笑に付されていたのですが、今度の職場ではなぜか笑い飛ばされず、中には「なるほどなるほど」と聞き入っている人もいます。パートの女性が「○○さんがそう言うんだから」なんて言い出したので、「いくら大卒の言うことだからって、こんなのを真に受けないでくださいよ」と釈明して回る羽目になりました。

3号機のセットアップがだいたい終わり、その作業のために滞っていたウェブ日記の打鍵もほぼ日付に追いついたので、そろそろ夜はサイト更新以外の作業、それも新しいパソコンのパワーを実感できるような、例えば縦横3000ピクセルのCGを制作するとか、「こみパDCE」(実は5月31日に、パソコンを買ったソフマップ新潟店で、パソコン本体が手元にないうちから買ってしまいました)のプレイを始めるとかしたいところですが、3号機について書いた事務所内の「館長の仕事場」が未完だったので、それを先に済ませておくことにしました。

6月9日(月)〜10日(火)
今日の午前中、仕事の関係で新潟市へ行きましたが、中心部の大通りを右翼の街宣車が大音声を上げてひっきりなしに行き来するは、街外れには新潟県警以外の機動隊のバスが停まっているは、何やら変な雰囲気が充満しています。
この土日は、近所の図書館が蔵書整理期間で休館中だったために新聞を読まず、パソコンのセットアップに熱中していて新聞社のサイトを巡回しなかったので、何が起こっているのか皆目見当がつきませんでしたが、一緒に行った上司は事情を知っていて、朝鮮半島北部と日本を行き来している貨客船万景峰'92号が今朝新潟西港に入港するはずだったこと、それが突然キャンセルされたことを、私が世事に疎すぎることに半ばあきれ顔で教えてくれました。
10日の夜になってから、溜まりに溜まったウェブ日記の更新がてら新聞社のウェブサイトを見に行ってみると、まぁ何やらいろいろな事があって現在進行形のようです。サイトを眺めていてもあまり面白い記事ではないですし、新潟県在住である事を公開している私がこの日記にうかつな事を書いて、このページを朝鮮半島北部の関係者が見ていたりすると(以前にアクセス解析を見ていて、日本語→韓国語翻訳サイトに当サイトのURLを入力した形跡があるのを見つけたことがあるので)どんな災いがあるともわからないので、この件についてはこれ以上は書かないことにします。
少し思いを巡らせば、最近はあまり言わなくなったようですが、本州の日本海側を指すのに使われたことがある「裏日本」という表現があります。しかし、あの佐渡島のもっと向こうにある、韓国やロシア沿海州そして朝鮮半島北部から見れば、日本海側こそ「表日本」であり、中でも私が住んでいる新潟県は、国際空港もあれば国際港もある、ある意味では日本の玄関口とも言える地域であることを、改めて認識します。
(6月11日アップ)

6月8日(日)
3号機のバックアップにはMOでなくてCD-RWを使うことにしたのは、MOだとドライブ本体がけっこうな値段になる上、メディアもCD-RWディスクに比べるとかなり高価で、従って現在の2号機のハードウェアであるCD-ROM/DVD-ROMドライブ+MOドライブ(+SCSIインタフェース)はコンボドライブ(CD-ROM・CD-R/RW・DVD-ROM兼用ドライブ)に比べて相当割高になると判断したからで、このこと自体はずっと前から考えていました。最近ではCD-RWよりさらに大容量のメディアであるDVDディスクをバックアップに使うことも広まってきたようですが、聞きかじりですがDVDディスクの書き込みの規格はCD-RWと違って統一されていず、今後どれが主流になるか見極めがつかないので(マルチドライブというのですか、CD-ROM・CD-R/RW・DVD-ROMに対応し、さらにDVDディスクの全ての書き込みの規格に対応しているドライブをソフマップ新潟店で見かけましたが、ドライブだけで4万円以上もしました)、当面は書き込み式のDVDディスクをバックアップに使うつもりはありません。
それで今日は近場でCD-RWディスクを買ってきて、3号機のバックアップを取ることにしました。CD-RWディスクには4倍速まで対応の物と12倍速まで対応の物があって、後者の値段は前者の2倍もしますが、せっかくCD-RWの書き換え12倍速(CD-Rを焼くのは40倍速)のドライブがついているのですから、こんなところで安物買いはしません。
1枚の容量も650MBと700MBがあり、どうせなら少しでも容量が多い方がいいと思って700MBのディスクを買ってきましたが、インストールされているソフトでフォーマットしてみると、フォーマット後の容量は572MBしかありません。アンフォーマットで640MBと書いてあるMOディスクをFAT32でフォーマットするとフォーマット後の容量は602MBあるので、何だか損したような気分です。
さらに不可解なのは、3号機のドライブでフォーマットしてハードディスクのデータをバックアップしたCD-RWディスクを2号機のドライブに入れると、書き込みができないのはもちろんですが、書き込まれているはずのファイルの読み出しもできないことです。WindowsXPでデータの書き込みに使えるCD-RWディスクと、Windows98のCD-ROMドライブで読み込めるCD-ROMディスクとは、ファイルシステムが違うのでしょうか。
こうなってくると、3号機の共有フォルダは2号機からはネットワークコンピュータとして認識できますから、3号機の上で自分で作ったデータ(CGとか)は共有フォルダに入れておいて、2号機を経由して従来通りMOディスクにバックアップすることを考える──CD-ROMの違法コピーに荷担する気がないとしたら、何のためのコンボドライブかわからなくなりそうです。
(6月10日アップ)

6月7日(土)
今日は職場のレクリエーションで、職場から車で1時間ほどのところにある大きな公園でバーベキュー大会を開くことになりました。職員の家族も参加OKということで、子供連れで参加した人もいたようですが、やはりこういう場に来る子供というのは就学前か、せいぜい小学校低学年止まりのようです。
バーベキューの後で、こういうレクではお決まりのビンゴ大会になり、景品として、大人にはまあそれなりの物、子供にはスナック菓子の詰め合わせが出ました。早い方の景品には、これからの季節自室にクーラーのない私には喉から手が出るほど欲しい卓上扇風機なども出ていましたが、人並み外れてクジ運の悪い私が当たるはずもありませんでした。
ビンゴ大会がそんな具合で終わると思っていると、バーベキュー大会に用意した食材が大量に残っているので、残った食材をもう1回ビンゴ大会をやって分配するという話になり、私は今度はなぜか早々とビンゴになって、いつも食べているのより遙かに高級な牛肉1パックが当たりました。ところがアパートの自室の冷蔵庫は、冷蔵庫も冷凍庫も買い出しのたびに衝動買いしてくる食材で満杯になっているので、せっかくの牛肉を今日貰って帰っても冷蔵庫に入れる余裕がなく、季節柄きっと腐らせてしまうでしょう。それで、分配が終わってから他の人と交渉して、冷蔵庫に入れなくても腐る心配のない、缶ビールの6缶パックと交換してもらいました。
今日用意された牛肉は、後で聞いたところでは100g500円だったそうです。いつもスーパーで牛肉を買う時は、100g98円(当然国産のわけがなく、アメリカ産またはオーストラリア産です)でもなかなか買おうとせず、加工日が他のパックより古くて半額の100g49円になっているのを見つけて「よしこれを買おう」と決断するくらい貧乏性が身に付いた私には、店頭で見ても網膜でフィルタリングされて大脳に届かないくらいの値段です。
いったい何人分用意するとこんなに残るのかと思うほど余った食材の山を見ていて、考えたことがあります。
私の職場では職業柄、職場全体での懇親会とか、遠くから来た客を迎えて一席設けることがよくあるのですが、中堅職員として、そんな時に幹事を仰せつかることがよくあります。そこで、懇親会にいわゆるオードブルや寿司桶を出すとして、参加者の人数分の食べ物を注文したとしたら、来客が相撲部屋の一行でもない限り、食べ物は必ず残ります。経験的には、来客の年齢層にもよりますが、人数の7掛けでちょうどいいくらいです。ところが私の部署が幹事に当たった時に、責任者になる上司や、実務的なところを担当するパートの女性に、人数の7掛けで注文すれば残らずに済むし会費も安くできると進言して、聞き容れられたためしがありません。そして宴会の後片付けの時にはいつもいつも、残って捨てられる食べ物を見て心を痛めることになるのです。
考えたのですが、日本では(あるいは洋の東西を問わないのかもしれませんが)宴会の時には、もてなす側は「客が食べきれずに残すだけの食べ物を出す」というのが、最初はそうすることがもてなす側の裕福さを誇示する手段だったのだろうと思いますが、いつしかそうすることが客に対する礼儀とされるようになったのではないでしょうか。そして客の側も、もしも出された食べ物が少なめで、全部食べることが可能だったとしても、パセリや生姜だけではなく、オードブルや寿司そのものもいくらかは残すのが、もてなす側に対する礼儀とされているのではないかと。出された食べ物を残すことは、もてなす側に対して「食べきれないほどのごちそうを頂きました」という敬意の表現であり、そうしないで全部食べてしまうことは(私が今までやっていたように、オードブルのパセリや寿司桶の生姜まで食べ尽くすことはもはや論外ですが)「まだ食べ足りないぞ、もっと出せ〜」という催促、あるいは「ここはこれしか食べ物を出さないのか?」という侮蔑の表現に当たるのかもしれません。
「出された食べ物は残さずに食べなさい」と、子供の頃に親から言われたことのない人は、たぶんいないと思います。その躾が今も抜きがたく残っている私には、宴会の後片付けは大いなる精神的苦痛を伴う、ほとんど拷問ですらあります。ですから宴会の最中には、少しでも宴会の後に捨てられる食べ物・飲み物を減らすために、例えばビールを手酌で飲む時には極力、注ぎかけで中身が残っている瓶、それも自分のグラスに注ぐと空になるくらいの量だけ残っている瓶を探すようにしていますが、それでも宴会が終わると、栓を開けていない瓶と中身が完全に空になった瓶のどちらよりも、注ぎかけの瓶の方が多いのがいつものことです。そうなる理由は私に言わせればもうはっきりしていて、客がグラスを差し出した時、栓を抜いた注ぎかけの瓶が手の届く範囲に何本あろうとも、その客の目の前でビール瓶の栓を抜くことが、その客に対して「あなたにお酌してあげるためにこの瓶を開けたのですよ」という、日本の宴席では決して軽くはない、しかもビール瓶ならではの(日本酒のお銚子は最初から口が開いていますから)敬意を表現する手段だからです。しかもその敬意をなるべく大ならしめるためにか、職場の宴会に出される瓶は大瓶と決まっています。宴会に出すビールの容器を、グラスに注いでも注ぎ残しが出にくい容量、135ml缶は小さすぎますがせめて250ml缶か330mlの小瓶にしてほしいと思い、あるいはビールメーカーに、グラスに注いでも注ぎ残しが出ない180ないし200mlの瓶を開発してほしいと思うのは、日常の食卓とは違う場である宴会の常識を受け容れようとしない私の了見違いなのでしょうか。
それ以前に、昨今の諸事情に鑑みて宴会の経費節減にはビールに代えて発泡酒を出したらどうかと上司に提案して、職場の面子を潰すつもりかと言われたことがある私という人間、日本式の宴会には根本的に体質が適合しないのかもしれません。

今夜もチャットルームに入り浸って、新しいパソコンの話をします。3号機を買った日のウェブ日記を更新しないうちから、掲示板に「新しいPCおめでとう〜♪」なんて題名で書き込みされてしまったのは、昨夜チャットルームで3号機のことを吹聴したからですが、2台のWindowsパソコンをつないでデータを受け渡しする方法としてLANを使うことにすると日記に書いたことに対して、「USBケーブルでつなぐ方が簡単」と複数の人が言います。ソフマップの店員がブロードバンドルータを勧めたのは、USBケーブルで直結するよりも高い周辺機器を買わせるためだったのか、というのは邪推に当たると思いますが、2台のパソコンをルータにつなぐ方法は、それぞれのパソコンからインターネットに接続できるのが、ADSLモデムにつないだ3号機にUSBケーブルで2号機をつなぐ方法(多分この方法では2号機からインターネットには接続できないと思うので)に比べてのメリットだと思うことにします。しかし私がそう言えば言ったで、「できれば1台はスタンドアロンにしておいた方が、ウイルスに感染した時にLANだと全滅する惧れがある」と言う人がいます。2号機にインストールしているWindows98のサポートが終わるから、セキュリティのために2号機はインターネットから切り離し、インターネットへの接続はWindowsXPをインストールした3号機に限定する、という私の当初の方針は、どうなってしまったのか、私という人間の、一事が万事腰の定まらなさ加減が、こんなところに露呈しています。昨日の項の最後に書いたキーボードの使い勝手については、最後の行を打鍵するが早いかキーボードをつなぎ替えましたが。
(6月10日アップ)

6月6日(金)
昨夜までで3号機のセットアップはほぼ終わった(まだブックマークの移動やNetscape Navigatorのインストールは終わっていませんが)ので、今夜はさっそく3号機を使ってネット遊びを始めます。その前にウェブ日記の更新でもと思ったのですが、明日晴れるかどうかわからないので今日のうちに一週間分の洗濯をしてしまおうと思ったところ、暑くなってきた季節のこととて洗濯物の量が尋常でなく、4回にも分けて洗濯しているうちにテレホタイムになってしまって、日記の更新はできませんでした。
前の週末に新しいパソコンのハードウェアについて相談したチャットルームへ行って、新しいパソコンを買ったことをそれとなく吹聴すると、たちまち他の人たちが飛びついてきましたが、新しいパソコンのCPUが、みんなが期待していたらしいHT対応のPentium4ではなくてCeleronだったと知るや、チャットルーム中で一斉にため息がわき起こったようでした。今回の私の場合、わざわざロースペックのCPUを選んだわけではなく、「初めにデスクトップありき」で機種を選んだ結果そうなってしまったのですし、3Dバリバリのゲーム(パソコンを買いに行ったソフマップ新潟店で、タイトルは忘れましたが「推奨環境がPentium4の1.4GHz以上」というゲームを見ました)をプレイする当てはないので、本体価格6万円台で3号機を買ったことを後悔してはいません。
チャットを始めてから気がついたのですが、3号機の新しいキーボードは、今まで使い慣れていた2号機のキーボードと使い勝手が違います。もちろんWindows対応の日本語キーボードというのは同じなのですが、スペースキーの右側に並んでいるキー(左から順に「前候補/変換(次候補)」「カタカナ/ひらがな」「Alt」「(Windowsロゴ)」「(ポップアップメニューを出すキー)」の幅が少し広く、その分だけスペースキーの幅が狭いので、今までのキーボードで「前候補」キーのあったあたりに「カタカナ」キーがあります。そうなると、例えば「Pentium」と半角で打つつもりが、「前候補」キー(ATOKでは半角入力に切り替えるキー)を押すつもりで「カタカナ」キーを押していて「せいみかになも」と打っている、ということがままあります。まぁこれくらいは、以前、出先のネット喫茶からチャットルームに入ろうとして、日本語入力がATOKでなくてMS-IMEだったために四苦八苦したのに比べれば大した事ではありませんが、慣れるまで少し時間がかかりそうです。
あるいは2号機も従来通りインターネット接続が可能ですから、タイピング速度を少しでも上げたいチャットと「こみっくパーティー DCE」には2号機を使う、なんていう本末転倒を極めることを考え始めるかもしれません(3号機を買った理由は、2号機のOSであるWindows98のサポートがもうすぐ終わり、インターネット接続のセキュリティに将来的な不安が生じるからというのと、CPUが こみっくパーティーDCEの推奨環境に達していなかったから、だったはずです)。
──キーボードをつなぎ替えればいいだけの話でしたね。
(6月9日アップ)

6月3日(火)〜5日(木)
引き続き3号機のセットアップです。CG制作に使うUSB接続の周辺機器3種すなわちスキャナ・タブレット・プリンタを接続し、ドライバをインストールし、どれも2,3年前の機種なのでこの機会にドライバが更新されていないか探してみます。
それからアプリケーションのインストールにかかります。スキャナ・タブレット・プリンタが正常に動作するかを確かめるためにも、まずPhotoshopElements2.0をインストールしてみました。Photoshopを起動し、何か適当な画像をスキャナで取り込み、タブレットで加筆し、プリンタで印刷してみるというやり方で、一応どの周辺機器も正常に動作しているらしいのを確認します。
日本語入力は使い慣れたATOKをインストールします。2号機のハードディスクにある辞書は、とうていフロッピーディスクに収まらない大きさになっているので、そこは当然昨夜設定したLANを使って、2号機のハードディスクから辞書をインポートします。2号機にダウンロードしてあるフリーウェア・シェアウェアも、共有フォルダを使って3号機にコピーしてから、一つずつインストールしていきます。
ところでこういったいろいろなアプリケーションをインストールしていくとなると、PhotoshopElementsやOfficeXP、Norton SystemWorks2003といった最新のアプリケーション、あるいはシェアウェアでもNextFTPのように頻繁に更新されていて制作元がWindowsXP対応を保証しているものはいいのですが、もう何年も更新されていないフリーウェアの場合、WindowsXP上できちんと動作するだろうか、という不安があります。ちょっとしたフリーウェアなら、もし動作しなかったとしても諦めがつくのですが、前にプレイして気に入っていたゲームソフトがWindowsXPでは動作しないというようなことになるとはなはだ面白くないので、それがWindowsXPの導入を今まで躊っていた理由でもあったわけです。
(6月8日アップ)

6月2日(月)
夕方帰宅すると程なく、一昨日買ったパソコンその他の物が配達されました。配達された箱は、いったい何を買ったのだろうと思ったほど巨大な箱でしたが、それはパソコンとスキャナ(と大量の緩衝材)を一つの箱に詰めてきたからで、梱包を解いてみるとパソコン本体は幅33cm高さ10cm奥行き40cm、1号機より一回り小さいくらいです。
それで3号機の設置場所は予定通り1号機の上とし、こたつの上は、17インチディスプレイの横に1号機・3号機・スキャナ・タブレットの順に積み重ねることになります。こたつの横に置いてある2号機の上にADSLモデムを置いているので、ADSLモデムに直接つなぐブロードバンドルータも2号機の上に置くことにしました。パソコンのケースを開けてメモリを増設し、使いやすい配置を考えながらパソコンや新しい周辺機器を設置し、ケーブルを接続していく──心躍る一時です。
もっともその心躍る一時というのも、3号機のWindowsXPの起動が完了したところで、3号機をルータにつないでみる前にまずは2号機をルータにつないで、インターネットへの接続がうまくいくかを試してみる段階で、IPアドレスを手作業で設定しているとルータへの接続がうまくいかなかったり、2号機とルータは接続できているのに2号機から「フレッツ接続ツール」を起動してもインターネットに接続している様子がない、といったことが重なってくると、たちまち“心焦る一時”になってしまうものですが。
インターネットへの接続についてはどうも勘違いしていたようで、ルータそのものがパソコンとは別のIPアドレスを持っていて、職場内のLANを統括し職場内のパソコンからインターネットへの接続を制御しているサーバと同様、一種のサーバとして働いている、と理解するもののようです。ルータの電源が入って正常に動作していて、ルータとパソコンが正常に接続されていれば、パソコン上でフレッツ接続ツールやダイヤルアップの操作をしなくても、InternetExplorerのアイコンをクリックすればインターネットに接続します。
2号機がルータを介してインターネットに接続できるようになったところで、3号機をルータに接続し、インターネットへの接続を確認するのはもちろん、LANを介してデータのやりとりができるように、2号機と3号機双方に共有フォルダを設定します。
(6月8日アップ)

6月1日(日)
今日もまた新潟市へ出かけます。新潟市に、定期的にオルガンの演奏会を開いているサークルがあって、その演奏会を聴きに行くのが目的です。
今日こうやって新潟市へ行く用事、それも前からわかっている用事があったのに、わざわざ交通費と時間を費やして昨日、しかも天気が良くなさそうなのに(31日の夜、太平洋側は大雨だったようでした)新潟市へパソコンを買いに行ったのは、一刻も早く新しいパソコンを手に入れたいという思いが先走ったからで、もし可能なら昨日買ったその場で持ち帰って、休みの間にセッティングを済ませたいと思ったからです。実際にはパソコンの外箱が、ケースの大きさから想像したよりも遙かに大きく、しかも中古のスキャナも買ったせいで持ち帰ることができず配達にし、それも日曜日の夕方には届くと思っていたのに買った時間が遅かったせいで月曜日の配達になるという具合で、どうも思うようにはいきません。
このサークルの演奏会は、前から何度も聴きに行っていますが、会場は市内のいくつかの教会を転々としていて、今回の会場はパイプオルガンのある教会ではありませんでした。
このサークルは単にオルガン音楽を市民に聴かせるだけでなく、オルガンとその音楽に関する啓発を目的にしているサークルのようで、今日の演奏会は「パイプオルガンの豊かな響きの秘密」と題するレクチャーコンサートでした。
レクチャーは、まず人間の耳が音を聞く仕組みとて、内耳の構造から始まりましたが、これはあまりにも専門的しかも「音楽」とは無関係すぎて、いったい聴衆のうちのどれくらいが理解できていたのか疑問でした。
続いて音色を表現する方法の説明に入って、1本のパイプを鳴らして出る音は倍音に分解でき、倍音の強さと鳴り方によって音色が変わるので、何倍の倍音がどのくらいの強さで鳴っているかをグラフにすると、音色をある程度は視覚的に表現できる、という話になります。そしてパイプオルガンでは、1本のパイプだけでもストップによっては相当複雑な倍音が鳴っていてストップごとに特徴的な音色が出るのを、さらにいくつものストップを組み合わせ、一度にたくさんのパイプを鳴らすことができるので、実に多種多様な音色を出すことができる、という話になります。レクチャーをする講師はパイプオルガンを「人類最古のシンセサイザー」と呼んでいるくらいです。
今日の会場になった教会のオルガンは、本物のパイプオルガンではなくて電子オルガンなので、まさにシンセサイザーそのもの、パイプに風が通っているのではなく発振回路に電流が通って音が鳴っているのですが、本物のパイプオルガンを備え付けている町の教会なんて日本にはほとんどありませんから、そういうツッコミは止めておきます。それに電子オルガンも、1つのキーにいくつもの発振回路がついていて、ストップの組み合わせによって複雑な電気信号を出しているという点では、パイプオルガンと共通します。

オルガンコンサートの会場に教会が使われるのは、このくらいの音楽サークルにとっては、演奏するのに手頃なオルガンがあって借りるのにちょうどいい広さの会場が教会くらいしかないからだと思いますが、場所が場所ですから、演奏会のパンフレット以外にもいろいろなパンフレットが置いてあります。教会でのオルガン演奏会あるいはクリスマスイブのミサの時には、そういったパンフレットを持ち帰って、帰ってから目を通していますが、いつだったか、どこかの教会から持ってきたパンフレットに「私たちの教会はエホバの証人・モルモン教・統一教会ではありません」と書いてありました。
私は、時々郵便受けに入っているエホバの証人のパンフレットを見ることがあるのと、モルモン教の総本山へ一度行ったことがあるくらいで、これらの宗派のことはあまり詳しく知らないのですが、現在のキリスト教の中では、この3つの宗派が異端視されているのでしょうか。歴史を遡れば、宗教改革の時代に発生して今では世界中に広がっているイギリス国教会・ルター派・カルヴァン派といったところも、発生当時ローマカトリックからは異端とされていましたし、さらに古くは11世紀に、ローマカトリックとギリシャ正教会が互いに異端として破門を宣告したのを、20世紀後半になって900年ぶりに撤回したと、百科事典で読んだことがあります。
(6月8日アップ)

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