2002年10月前半の日記
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10月15日(火)
数年前に、酒税法の規制緩和をきっかけに町おこし村おこしの一つとして全国各地で地ビール醸造ブームが起こったのはよく知られていると思います。私も日頃は発泡酒や輸入品の格安ビールばかり飲んでいますが、旅行先で地ビールを見つけると、地ビールを出しているレストランで飲んだり、自分への土産に買って帰って、写真をアルバムに貼ったりウェブ日記を打鍵したりしながら飲んでいます。
それで今日も、先日会津若松で買ってきた「会津麦酒」を飲んでいるのですが、5種類1本ずつ買ってきたのの賞味期限を見ると、4種類は14年10月ないし11月なのに、ピルスナーだけが15年4月となっています。
地ビールの中には、大手4+1社のビールと違って酵母を濾過していないことを売り物にしていて、そのために賞味期間が短い物が少なくないのですが、会津麦酒のピルスナーは賞味期間が少なくとも6ヶ月あることになります。
しかし、もし他の4種類も賞味期間が6ヶ月あるとしたら、他の4種類が醸造されたのは今年の4月から5月ということになります。夏を越して賞味期限間際の商品が今頃店頭に出てくるなんて、何かの間違いじゃないでしょうか?
そんなのではなくて、こうだろうと推測する、いやむしろこうであってほしいと願うのは、賞味期間がピルスナーだけは6ヶ月、他の4種類は1〜2ヶ月で、5種類とも醸造されたのは今年の9月から10月だった、ということです。そうなると今度は、同じメーカーがたぶん同じ製造ラインで製造しているのに、どうしてピルスナーだけが賞味期間が飛び抜けて長いのか、という疑問が起こってきますが。
こんな時、つくづく「どうして製造年月日と賞味期限の両方を表示するのを止めたんだろう」と思わずにはいられません。昔、と言っても10年くらい前には、製造年月日の表示が必須だったような気がします。

10月14日(月)
昨夜はサイトの更新を終えてから久しぶりにチャットに行きましたが、午前3時過ぎに沈没してしまいました。
今日の更新も昨日と同じく、リンクページの拡充で、今度はゲームメーカーのオフィシャルサイトを4番窓口に登録します。今までは「自分が二次創作(CG、SS)を作ったゲーム」の制作元にリンクを張ることにしていましたが、対象をもっと広げて「自分が相当程度までプレイしたゲーム」の制作元にリンクを張ることにします。その基準で「加奈」の制作元であるD.O.、「青空」の制作元であるTOPCAT、そして企業ではありませんが「月姫」の制作元であるTYPE-MOONといったところにリンクを張ります。
リンクサイトを増やせば、当然そのページが重くなるのはわかっているので、4番窓口にも軽量版を作りました。

10月13日(日)
アクセス解析ログを見ると、昨夜から今朝にかけて次々に登録した検索サイトのうち、私が登録フォームから送信すればその場で登録される検索サイトからは、早くも「新規登録サイト」といったページで当サイトを見つけたらしい人がアクセスしてきているのがわかります。
相互リンク、つまり当サイトを登録させてもらった検索サイトを当サイトのリンクページに登録すると、登録情報を頻繁に更新できるとか検索キーワードをたくさん使えるといった優待措置を設けている検索サイトがいくつもあり、優待措置のない検索サイトも優待措置の有無で差別するのはどうかと思うので、全部まとめて当サイトのリンクページ(他館のご案内3番窓口)に登録しましたが、
……リンクページが猛烈に重くなりました。
なんせ今まで、ページを開くたびに全然別のサーバまで読みに行かなければならないリンクバナーが5つしか置かれていなかったページに、新たに14個ものバナーを置いたのですから、バナーが全部表示されるまでが長いこと、ADSL1.5Mbpsの私の環境でも「まだか〜まだか〜」です。
新たに置いたバナーのうち、3つほどは持ち帰り(私のローカルハードディスクとサイトスペースに置いてある)ですが、他のサーバから見に来る人にとっては さくらのサーバから読み込まなければならないのですから、ページを軽くする役に立っているとは到底言えません。
そこですぐに思いついたことは、重さの原因になっているバナーを表示しなければいい、要するにバナーを置かないテキストだけの「軽量版」ページを作ることです。思い立ったが吉日で、今日の更新でさっそくそれを実行することにしました。
軽量版を置いたのは今のところ3番窓口だけですが、今後リンクページの登録サイトが増えたら、他のページでも実施するかもしれません。バナーの重さよりもスクロールが長くなるという理由で あ〜か行と さ〜ら行に分けている1番窓口も、テキストだけの軽量版なら再び一本化できるかもしれませんし。

10月12日(土)
この連休にやろうと考えていたことの一つは、ちょうどサイトが移転したことでもありますし、これを機に、より多くの人に当サイトを見てもらえるように、もっといろいろな検索サイトに当サイトを登録することです。
それで夜もすがら、ブックマークしてあるサイトの中から、リンクページに検索サイトがたくさん載っているサイトを探し(主に「画廊喫茶カトレア」「恋姫達の社」「なちゅらりすと」「泰鈴堂」(五十音順)のリンクページを参考にさせていただきました)、ゲーム系サイト総合検索サイトと、CG・イラスト系サイトに特化した検索サイトに登録していきました。
総合検索サイトに登録する際には、CG・イラスト系検索サイトに登録する時よりも、キーワードの設定に気をつける必要があるでしょう。私自身はサイトのメインコンテンツを「『同級生2』を中心にゲームキャラのCG(18禁を含む)と、オリジナル小説」と思っているのに、Surfersparadiseに当サイトを登録し直した際のキーワードが「同級生2、男性向(これはSurfersparadiseでは18禁と似たような意味)、イラスト、小説、…」だったために、Surfersparadiseから来た人の大多数が「18禁な小説」を求めて、しかもそのうちのいくらかは「CGは見なくていい」と条件検索した上で当サイトへ来ていた、ということがわかった後ですから。
そうしたこともあって、CG・イラスト系検索サイトにもいくつか登録したのですが、ここは、と見込んだ「Digital Painters」で、登録ジャンルに「CG」と「イラスト」が明確に区分されていて、「CGとイラストはどう違うんだろう(少なくともDigital Paintersの管理者さんの頭の中では)?」という、先日頭を悩ませた問題にまたもや直面してしまいました。
(10月13日アップ)

10月8日(火)〜11日(金)
サイトの移転と改装が一段落したので、心機一転、次のことに取りかかる──前に、5日の会津若松日帰り旅行の写真をアルバムに貼って、ウェブ日記を打鍵する作業が待っています。どちらも、後回しにすればするほど指数関数的に精神的重荷になる作業だということが経験的にわかっているので、できるだけ溜め込まずに片づけていきます。
それが終わる頃、週末が来ます。11日の午前中、「今頃は会津若松駅構内でSL3両が並んでいるんだろうなぁ」などと思ったのですが、この3連休はさらなる鉄分補給のために会津若松まで出かけることはせず、別の作業を計画しています。
(10月13日アップ)

10月7日(月)
2日続けてウェブ日記が電波に富んでいる様子なので、今日はもう少し穏健なネタでいきましょう。
5日に会津若松から帰ってくる時の列車は、土曜日の午後6時に会津若松を出る列車でしたが、けっこうな数の高校生が乗っていました。それも制服の形がさまざまで、女生徒の制服を少し注意して見たところ、ブレザーの色やスカートの縞で、少なくとも6種類の制服が認められました。
学校によっては靴下も制服の一部をなしているのか、揃って同じ色の靴下を履いている一群を見かけることもあるので、足回りにも注意して見ましたが、それで気づいたことは、「ルーズソックスを履いている子が一人もいない」。
ギャルゲーのビジュアルでもたまに見かけることがあるあのルーズソックスが流行し始めたのは、いつ頃だったでしょうか。新潟県では3〜4年前には、全県の高校が申し合わせてルーズソックスを制服の一部として採用した(んなわきゃない)のかと思ったほど流行していました。その頃は、あれは防寒性に優れているから雪国で流行しているのだろうと解釈していたのですが、長野オリンピックの頃に長野県内のスキー場まで遠征した時、冬は新潟県よりもっと寒いはずの長野県でルーズソックスをほとんど見かけなかったのを不思議に思っていました。
最近は新潟県でも、ルーズソックスの流行が少し下火になってきたような気がしますが、それを念頭に置く時、長野県と同じように冬は新潟県より寒いはずの福島県会津地方でルーズソックスを全く見かけなかったとすると、あれは防寒性という純然たる実用性だけで流行している物ではない、と判断すべきなのかもしれません。
前の職場にいた時のある日、近隣の高校の女生徒が全員ルーズソックスを履いているのが休憩時間に話題になった時、上司が提唱した仮説は、ルーズソックスの圧倒的な流行は、それが欠点を隠すファッションだからではないか、というものでした。いくら秀逸なファッションでも、それがごく一部の人の美点をさらに引き立てるようなものであるなら、それをまともに着こなせる人はごく一部に限られるから決して大流行はしない。それに対して大多数の人の欠点を隠すようなものであれば、大多数の人がそれなりに着こなせるから、大多数の支持を得て圧倒的な、しかも安定した流行になりうる。そういう論旨だったと覚えています。
欠点というのが具体的に何を指すのか、それはまあ、そういうことです。天ぷらの衣を見ただけでは、中のエビの大きさはわからない、ということで。
(10月10日アップ)

10月6日(日)
この頃は図書館へ新聞を読みに行くたびに、朝鮮半島北部を実効支配する武装勢力が過去に日本国民に対して行なった蛮行の記事ばかりを目にします。朝鮮半島北部を実効支配する武装勢力の、浜の真砂よりも数多く、十重二十重に上塗りを重ねた嘘の数々は、それに対する日本人の怒りを「もし一つ一つ録さば、我おもふに世界もその録すところの書を載するに耐へざらん」ほどです。その武装勢力と関係を保ちながら、党の機関誌とホームページに、武装勢力による日本人拉致を否定する論文を載せていた、かつての第二政党には、次の総選挙後の冥福を祈りましょう。
朝鮮半島北部を実効支配する武装勢力の回答によればこれがその後の一連の犯行の契機になったとされる、1977年11月に新潟市内から拉致された女子中学生(当時13歳)は、93年に精神病のため平壌の精神病院で自殺したとされていますが、もし私がこれが真相だと信じているように「いくら洗脳しても使い物にならなかったから処分した」というのでなくて、それ(自殺)が事実であったとしたら。
……もしかしたら精神病ではなくて、はっきりと正気を保ったまま、
「われ朝鮮半島北部の大魔縁となり、
金一族を取りて民となし、
民を取りて主席となさん」
と、瞋恚と痛憤を身に激らせて呪詛しながら、飲食を絶ち、自ら命を絶ったのではなかろうかと。そしてそれ以後朝鮮半島北部では、まず94年に“偉大なる領袖”が死去、95年には拉致された日本人被害者の墓がことごとく流失するほどの洪水が起こり、以後連年の凶作と飢饉に襲われて餓死者続出、経済の低迷で民衆の生活は壊滅寸前。そして日本には知られていないだけで、支配者の一族や党・軍上層部は次々に発狂したり怪死を遂げたりしているのでは……?
──21世紀に語り継がれる、現代の怨霊伝説。
朝鮮半島北部を実効支配する武装勢力は、先代の領袖を神格化する前に
日本人少女の霊を神として祀って、荒ぶる御霊を鎮めた方がいいのでは?
(10月10日アップ)

10月5日(土)
今日は会津若松へ日帰り旅行です。先週の土曜日に新津の車両製作所を見に行った時、私の中で長らく眠っていた「鉄」の血がにわかに騒ぎ出したので、思い立ったが吉日とばかり、往きはSL列車「SLばんえつ物語号」(新潟発9時26分→会津若松着13時22分)に乗り、定期観光バスの半日コースで会津若松市内を回って、快速で帰る(会津若松発18時10分→新潟着20時20分)という計画を立てました。
SLばんえつ物語号を牽引するのは、新津鉄道まつりの時に「SLえちご街道号」を牽引していたC57-180です。退役してから新津市の小学校で静態保存されていたのが、99年に現役復帰して、以来毎年4月から12月まで磐越西線でSL列車を牽引するようになりました。SL列車の運転区間は昨年までは新津−会津若松間だったのが、今年は新潟まで延長されたので、始発の新潟から乗ることにしました。
新潟では、9時30分発の羽越本線酒田行き快速「きらきらうえつ」と同じホームに並びます。こちらもJR新潟支社が今年から運転を始めた行楽列車で、いったん鶴岡まで来てから村上まで回送し、村上−鶴岡間の停車駅で途中下車して駅の周りで観光した客をまた乗せて酒田まで行くという珍妙な運転をします。車輌もこの列車用に改装した特別車輌を使っているようです。でもこの日、羽越線の快速に乗った客はどのくらいいたのでしょうか、カメラを持ってホームにいたのはほとんどがSL列車の乗客だったようです。
私が乗った客車は7両編成の前から6両目でしたが、SL独特のあの汽笛は、難聴の私でもはっきりと聞こえました。走る列車の窓から外を見ていると、線路沿いの道を歩いている親子連れが立ち止まって手を振っているのが見えます。新潟駅に発着する列車は一日に100本以上ですが、母親に抱かれている小さな子供にも、やはりSL列車は特別な列車に見えているのでしょうか。
新潟を出た時点ではまだ空席があった車内も、新津で満席になりました。中越方面から来てこの列車に乗る客は、やはり新津から乗るのでしょう。だいたい予想できることですが、客は熟年の団体客が多かったようです。
新津を過ぎて磐越西線に入ると、沿線のあちこちで、大きなカメラを載せた三脚を立てて、SLの写真を撮ろうとする人たちが目につくようになります。特に、新津と五泉の間だったでしょうか、阿賀野川を渡る鉄橋では、すぐ近くの堤防を撮影者が埋め尽くしていました。
五泉から咲花、三川、津川と阿賀野川の谷が狭くなるにつれて、列車は阿賀野川を渡り返しながら遡っていきます。関東地方から東北地方を縦断した台風21号の影響でか、川は濁っていました。谷が狭くなってくるとトンネルが現れ、SL列車で客車の窓を開けたままトンネルに入ると厄介なことになりますが、客も心得ているのか、特に車内放送をしていないのに、開いたままだった窓はあまりなかったようです。それでもいくつかトンネルを抜ける頃には、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンとは違う臭いが車内に漂い始めました。
14分停車の津川でSLは水を補給します。この駅はホームの会津若松寄りの端がスロープになっていて、SLの足回りを撮影する恰好の場所です。カメラを持ってスロープに集まってくる乗客を見て、停車中のSLは時折煙を噴き上げます。
醒めた見方をすれば、明治前半に古い城下町や宿場町が「陸蒸気」を忌避した時代から国鉄が無煙化を推し進めた昭和40年代まで、SLの煙は歓迎される物ではなかったはずです。時移ってSLが観光客にもてはやされる時代になったからといって、自動車の排気ガス規制がSL現役時代より格段に厳しくなっている今、昔のように盛大に煙を噴いて走るわけにもいかないでしょう。SL現役時代に今よりも煙を上げていたのは、石炭の質が悪かったからでもありますし、そんな中でいかに煙を出さずにSLを走らせるかが機関士の腕前だったとも、物の本で読んだような気がします。それが今は客へのサービスのためにわざと煙を噴いてみせるというのも、何だか変な気がします。
会津若松に着くと、来週の11日から14日まで「第5回全国SLサミットIN会津」なるイベントが開催されるそうで、至る所にポスターや看板が出ています。なんでも今日乗ってきたSLばんえつ物語号を牽引しているC57-180の他、D51-498とC11-325の3両が一堂に会し、初日の11日には会津若松駅構内でSL撮影会とD51の記念運転(SLサミットIN会津号・会津若松→郡山)、12〜14日に只見線でC11の記念運転(SL会津只見号・会津若松−只見)、その他にもイベントが行われるとのこと。今からサミット期間中のSL列車の座席指定が取れるとは思えませんから、私としてはSL撮影会が本命イベントになるのですが……
──10月11日って平日じゃないですか。社会人、それも仕事が忙しい時期の身にどうしろと?

定期観光バスは、SLばんえつ物語号から接続するように、午後2時に会津若松駅を出ます。今日の客は三十数人でしたが、そのほとんどは熟年夫婦で、30代の男一人という客は私だけでした。
観光地ならどこでもそうでしょうが、会津若松を初めて訪れる客を対象にしている定期観光バスの半日コースは、代表的な観光ポイントを軽く流すという感じで、飯盛山(白虎隊自刃の地)・会津酒造歴史館・鶴ヶ城・会津武家屋敷を4時間で回ります。最初の下車地 飯盛山の白虎隊記念館では、会津戊辰戦争に際しての展示の中に、長岡藩家老 河井継之助と山本帯刀の名前があって、長岡藩士の末裔としてはもっとじっくり見たかったところですが、観光バスでは駆け足になってしまうのは仕方のないことで、これはまたの機会にしましょう。
飯盛山の麓から白虎隊の墓所までの参道は二百段余の石段で、隣に有料の「動く坂道」が設置されています。熟年の観光客が楽に登れるようにということなのでしょうが、このくらいの石段なら歩いて登った方が霊域の有難味が増すと思います。
(ここまで10月9日アップ)
会津戊辰戦争の史跡の中でも特に有名なここ飯盛山は、戸ノ口原の前線から鶴ヶ城へ派遣された白虎隊の一部(士中二番隊の20名)がここまで来た時、鶴ヶ城城下の街並みから上がる煙を見て、鶴ヶ城が落城したと錯覚して自刃した(19名が果て、未遂に終わった1人が翌日救出されたので状況が知られました)ことで有名になっています。19名の墓の隣に、会津戊辰戦争のその他の戦場で陣没した31名の白虎隊員の墓もありますが、こちらに手を合わせる観光客はあまりいません。死ぬべきでなかったのに判断を誤って死に急いだ少年戦士たちの悲劇性が、真っ当に戦って散華した彼らの同輩達よりも、日本人の琴線に触れるのでしょう。すぐ近くに、戦前にドイツとイタリアから贈られた碑が立っていましたが、自殺を罪とするキリスト教の思想からすると、飯盛山の出来事はヨーロッパ人にはどのように受け止められたのでしょうか。
この出来事を人々に知らしめた、たった1人の生存者は、戊辰戦争後は名前を変えて仙台に移り住み、白虎隊員の生き残りであることを終生明かそうとしなかったということです。
飯盛山を後にして次は会津酒造歴史館。ここは今も操業している蔵元の設備の一部を博物館にしていますが、ここも見学は駆け足、地酒の試飲と土産物屋へ誘導していました。自家用車で観光に来たら建前上は絶対にできないのが酒の試飲です。
それから鶴ヶ城。ここも鶴ヶ城会館というレストラン兼土産物屋の前でバスを降りて、会館の中を通り抜けて城へ向かうようになっています。城の前にある案内看板の英語表記を見ると、"Tsuruga Castle"では「つるが」が城のある地名のようだし(実在しませんが「敦賀城」みたいです)、"Tsurugajo Castle"では「鶴ヶ城・城」だし、さりとて"Tsuru Castle"では「鶴城」(これも実在しませんが「都留城」と錯覚しそうです)だし、日本語の「鶴ヶ城=鶴の城」のニュアンスを英語で表現するにはどう訳したらいいのだろうと、さっそく考えが飛び始めます。
天守閣は郷土博物館になっていて、葦名氏によって築城されて以来の歴史を展示していますが、会津戊辰戦争の際の白虎隊の出来事について、なぜ少年戦士たちが集団自決したのか、地元の博物館にしては意外と思えるほど冷静に解説していました。
もともと後方支援部隊として組織された白虎隊は、戸ノ口原の戦闘が初陣であり、実戦経験が全くなかったこと。
戊辰戦争直前に行われた会津藩の軍制改革で、藩の軍隊は次のように年齢別に組織されました。
・玄武隊…50歳以上 ・青龍隊…36〜49歳 ・朱雀隊…18〜35歳 ・白虎隊…16,7歳
軍隊の主力は朱雀隊、それに次ぐ青龍隊が国境警備隊であり、玄武隊と白虎隊は後方支援部隊の位置付けでした。
そのために心身とも疲弊して判断力が低下していたであろうこと。的確な判断を下すべき歴戦の指揮官は本陣との連絡のために隊を離れていて、飯盛山へ来たのは未熟練兵ばかりだったこと。戸ノ口原から飯盛山まで灌漑用水路(トンネル)を通ってきた間に暗闇に慣れた目が、かえって陽光に眩まされたであろうこと。そして、武士道のもとに主君に殉じることを潔しとするように教育されてきた少年たちには、主君亡き後 落城の後に、降伏して生き延びるとか山野に潜んで徹底的なゲリラ戦を続けるといった発想はなかったであろうこと。──ゲリラ戦をしようともしなかったのは、少年たちがあまりにも純粋すぎたからでしょうか。
会津戊辰戦争に関する展示を見ていて気がついたのは、新政府軍を指すのに「官軍」という呼び方を決してしないことです。会津藩士の末裔たちにとっては、藩主松平容保が京都守護職となって京都の治安維持と御所の警護に当たっていたことから、「会津軍こそが本来の官軍」という強い自負があるのに違いありません。たいていは新政府軍とも書かず、西軍──あたかも関ヶ原の合戦で徳川方に敗れた石田方のように──とだけ書いています。
もしこの先の文章に、適切さを欠く表現があるとしたら、私の中に流れる長岡藩士の血のなせるところです。
そもそも薩摩・長州連合軍と幕府軍の戦争としての戊辰戦争は、将軍徳川慶喜が江戸城を明け渡して降伏した時点で終わっていてしかるべきでした。北越戊辰戦争で長岡が多大な戦禍を蒙ることになったのは、長岡藩の武装中立策を理解できなかった薩長軍の参謀が小千谷での交渉を決裂させたからであり、会津戊辰戦争とそれに続く会津藩への処遇──23万石の会津から名目2万石の斗南(下北半島)への、移封に名を借りた「藩を挙げての流刑」が最も端的に示すところのそれは、かつて会津藩によって賊軍として京を逐われた長州藩の露骨な復讐でしかないのではないでしょうか。やがて薩摩藩の士族が反乱を起こした時、警察官となって新政府の禄を食んでいた会津藩や長岡藩の士族(近衛師団にはこれらの藩士は入れなかったでしょう)は、今こそ積年の恨みを晴らす時とばかり、馳せ参じて抜刀隊に加わったといいます。先月訪れた蒼柴神社には、北越戊辰戦争戦歿者の墓の近くに、西南戦争戦歿者の墓があったのを思い出しました。
会津戊辰戦争の戦禍を物語っていると思う展示がありました。1ヶ月間の籠城戦に耐えた鶴ヶ城は、戦後も取り壊さないことになっていたそうですが、町方が城を維持する経済的負担に耐えられず、城の取り壊しを申し出た、と書いてあったことです。それで明治7年に天守閣が取り壊されたということですが、これは取りも直さず、会津戊辰戦争で城下町がいかに疲弊させられたかの証拠ではないでしょうか。
鶴ヶ城を出て、最後は会津武家屋敷。会津藩家老西郷頼母の屋敷を復元したのを中心に、代官陣屋や歴史資料館があります。日が暮れて暗くなってくるし、時間もないのであまりじっくりと見ていられませんでしたが、抜刀隊に関する展示はここで見たものです。

日が暮れてから会津若松駅へ戻り、自分への土産に「会津麦酒」を買って、新潟行きの快速に乗りましたが、この頃に考えていたことをここに書いて良いものかどうか……。
飯盛山で白虎隊員19人が西軍に降伏するよりはと自害したこと、この思想が昭和に入っても軍隊に引き継がれて、戦陣訓(昭和16年)の有名な一節「生きて虜囚の辱を受けず」となったのだと思います。これが大東亜戦争中には数多の兵士に、しなくてもいい自決を強いることになったとされます。確かに日本軍の「捕虜になるくらいなら自決せよ」よりは、アメリカの戦争映画で見たのだったと思いますが「捕虜の任務は脱走することだ」の方が積極的だとは思います。
しかし戦陣訓の反動で「捕虜になってでもどうなってでも、生き延びることは決して恥じることではない」からといって、国連PKOに派遣された自国の軍隊が他国の軍隊と一緒に行動中に武装ゲリラに攻撃されたら、「自分たちの身の安全が第一、他国の軍隊を見捨ててさっさと逃げろ」が政府の公式見解になっていたことがある国って何ですか? もしこれが本気だったとしたら、あまりにも恥というものを知らなさすぎます。自国の軍隊に交戦法規も持たせず、武力攻撃に遭遇した際の唯一の選択肢には「部隊ごと敵前逃亡」しか与えずに国連PKOに参加させて、もしその選択肢を選択する羽目になったら、それこそ天壌無窮の国の恥だと、どうして思わないのでしょうか。
(10月10日アップ)

10月4日(金)
サイトの移転と改装が終わって最初の週末、心機一転して新作CGの制作に取りかかりたいところです。その前に今夜はリンクページのメンテナンスを兼ねて、久しぶりにあちらこちらへ、ブックマークしてあるサイトを巡回してみることにしました。
すると、巡回先サイトの掲示板に書いてあったURLからさらにリンクしている先というくらいのURLで、かつて2ちゃんねるで開催された葉鍵板最萌トーナメントを総括しているサイトを見つけました。
日本のインターネットにあって、2ちゃんねるほど毀誉褒貶の甚だしい、いや、毀と貶ばかりを一身に浴びている存在は他にないでしょう。私も実際に見てみようともせずに、インターネットの伏魔殿とか人外魔境とか、インターネットの暗黒面の象徴というような先入観を持っていたものですが、今だけは極力先入観を持たないようにと言い聞かせながら、総括しているサイトを見てみました。
その結果は…………
ウェブ日記の更新が2日遅れになるまで読み耽ってしまいました。以上です。
(10月6日アップ)

10月3日(木)
昨夜、当サイトの常連の夕凪さんから、「Gallery800も衣替え」という書き込みがありました。
前から何度も日記で触れているように、6月1日と10月1日は衣替えの日とされていて、サマータイムを実施していない日本では、衣替えは季節の移り変わりを社会的に確認する一種の年中行事と言えるかもしれません。
もっとも欧米諸国では、サマータイムが始まるのが3月下旬から4月、終わるのが10月下旬から11月というのが一般的なので、言葉とは違ってサマータイムの始まりは「夏の始まり」よりも「春の始まり」、終わりは「夏の終わり」よりも「秋の終わり」というのが実感かもしれませんが。
当サイトの移転はたまたま10月1日の衣替えと重なりましたが、実は夕凪さんの書き込みを見るまで、サイトの移転が衣替えと重なっていたことに全然気がつきませんでした。それは私が制服のない職場に勤務していることと無関係ではないと思います。
だとしたって、出勤中に女子中高生を見ていれば気がつくはずなんですけどね。そういうものに注意が行かなくなるほど老け込むにはまだ早い齢でしょうに、私は……。
その代わりに今日、冬が近づいてきたのを実感したのは、仕事が早く終わったので帰りに八百屋とスーパーへ寄った時で、八百屋では白菜が1球110円になっていました。9月中旬くらいには200円以上していたものがです。スーパーでも魚介類売場には新巻鮭や「鍋セット」が並び始めました。その一方で青果売場にはまだスイカが出ていたりして、何だか変な気分です。
そうなると私の食卓も早晩鍋尽くしになるのですが、鮭のアラやブリのアラといった鍋向きの食材を買うのはまだです。というのも春先に特売の時に買ってきた鮭が、まだ冷凍庫に大量に残っているから。常温で置いておける鍋つゆを次のシーズンまで持ち越すのはまだしも、食材をずっと冷凍保存しておくのは決してタダではないのですから、今度の冬はもう少し賢明な消費者にならなければなりません。

移転した当サイトが、登録している検索サイトに「新着サイト」として表示された効果が出てきたようで、1日の深夜からカウンタの回転速度が上がっています。新たに設置したアクセス解析ツールを使うと、「どの検索サイトで何というキーワードで検索した検索結果から、当サイトのトップページへ来たか」がわかるのですが、それをざっと眺めると、やはり有名な検索サイト「Surfersparadise」で検索して当サイトへ来た人が多いようです。
ですがもっとよく見ると、キーワードに「男性向」と「小説」を含むという条件で検索した人が多いようです。6号館で18禁CGの公開を新たに始めたので、18禁のコンテンツを含む場合には「男性向」か「女性向」どちらかのキーワードを設定しなければいけない、というSurfersparadiseの規則に従って「男性向」というキーワードを加えたのですが、Surfersparadiseから当サイトを見に来た人の多くが、エッチな小説を期待して来たのだとすると、そうした人たちが当サイトのリピーターになってくれる可能性は、まず期待できませんね。
……それともこれは、「エッチな小説を書いてみろ」という天の声でしょうか? さあ、どうしましょ?
それどころか、キーワードに「男性向」と「小説」を含み、「CG」を含まないという条件で検索して、当サイトへ来た人も少なからずいるようです。(実は当サイトをSurfersparadiseに登録した際のキーワードに「イラスト」は入れてあるのですが「CG」は入れてないのです)まさかそんな条件で検索する人がいるとは思いませんでしたが、その条件で検索して当サイトへ来た人は、トップページを見てディスプレイの前でどんな顔をしたでしょうか。一応サイトの紹介文には「『同級生2』を中心に〜のイラストと、二次創作小説・オリジナル小説を展示しています」と書いたのですが、Surfersparadiseの管理者と利用者の大多数が念頭に置いている「CG」の概念が、私のそれと違っているのかもしれません。つまりCGというと3Dポリゴンの、まさにコンピュータグラフィックスという画像を指し、手描きの原画をスキャンして加工した画像は、画像合成などにコンピュータを使っていてもCGとは言わない、というような。
誤解のないように言っておきますが、前者のようなCGと、私が自分ではCGの範疇に含まれると思っている後者のような画像とで、どっちがいいとか悪いとか言うつもりではありません。ただ、CGサイトを標榜するサイトの管理者としては、「CGは見なくていい、むしろ見たくない」と思っている人が、ある意味では意に添わぬ検索結果に導かれて当サイトを訪れているらしいことに、複雑な気分を禁じ得ないのです。

10月2日(水)
昨夜のサイト移転(実際の作業はトップページの切り換え)は、いわゆるテレホタイムが始まって来訪者が増え始めるだろうと思った午後11時に実施するつもりでした。それまでは日記を打鍵したり、午後9時頃に仮のページから正式なページに切り換えた さくら側のトップページで、新たに設置したカウンタやアクセス解析CGIが思った通りに動作するか試したりしていたのでしたが、午後10時過ぎに(その時点ではまだカウンタの引き継ぎをしていなかった)さくら側のトップページから常連の方、それも当サイトに相互リンクして下さっている藤咲はじのさんが来たことに気がついたので、急遽、Niftyのトップページを差し替え、カウンタを設定し直す作業を行いました。
当サイトの移転に先立って、はじのさんに宛てて、10月1日付で当サイトを移転することをお知らせするメールを出してあったのですが、どうもその「10月1日付で」が「10月1日午前0時0分をもって」と受け取られてしまったようです。他人に自分の意志を伝える際には曖昧でなく明瞭に、特に何か指示を出すような場合には幾通りもの解釈ができるような曖昧な表現をしてはいけないということは、社会人ならわきまえていて当然だったのですが。
それから掲示板の設定(下の方にある「ホームページへ」ボタンを押した時に戻る先のURLの設定)を変更し、当サイトを登録しているいくつかの検索サイトへ行って、登録変更をします。たいていの検索サイトは、登録変更をしたサイトは「新着サイト」として、検索サイトを利用する人の目に触れやすくなるようにしていますから、一時的には当サイトを訪れる人が増えるでしょう。もっとも、そうして検索サイトを利用して当サイトを初めて訪れた人のうち、どれくらいがリピーターになってくれるか、それは管理者次第ですが。
(10月3日アップ)

10月1日(火)
かねてから計画していた通り、今日10月1日付で当サイトはNiftyから さくらへ移転します。
移転といっても作業の実際は、既に さくらのサーバにサイトの全コンテンツをアップロードしてあるので、さくらの仮のトップページを正式なトップページに差し替え、Niftyのトップページ(index2.htmをブックマークしている方がいるかもしれないので、念のためにindex2.htmも)を、自動で さくらのトップページへジャンプするページに差し替えるのと、別のサーバに置いてある掲示板の設定を変更するくらいです。あと気をつける必要があるとしたら、アクセスカウンタの引き継ぎくらいでしょうか。

またゲームのサントラCDの話になりますが、10日ほど前に通販で注文してあったelfの「elf Music World vol.1 "School Days"」「flutter of birds 〜鳥達の羽ばたき〜パーフェクトアレンジアルバム」が今日届いたので、さっそく聴いています。
Music Worldは、elfの歴代ゲームのBGMをピアノやフルートで演奏するというもので、クラシック偏重の私は、チャットルームで話を聞くが早いか食指を動かしたものです。3枚シリーズで、1枚目に収録されているゲームは「同級生2」「リフレインブルー」「あしたの雪之丞」「下級生」「同級生」(CDの曲目順)、あしたの雪之丞以外はプレイしているゲームです。
ちなみに2枚目は"Fantasy Days"、収録されているゲームは「WordsWorth」「el」「BE-YOND」「恋姫」
──いちおうWordsWorthと恋姫は持っていますが、WordsWorthは攻略本と改造ツールを頼りにコンプリートしてしまったせいかBGMが全く印象に残っていませんし、恋姫は積んだきりです。
そして3枚目は"Chaos Days"、収録されているのは「鬼作」「百鬼」「遺作」「臭作」「愛姉妹」
──食わず嫌いと言われようが食わず嫌いしている鬼畜タイトルばかり。遺作だけはDOS時代にコンプリートしていますが、BGMは全然印象に残っていません。
という具合なので、思い入れのあるゲームタイトルはなく、1枚目が今年買った最高のCDだったと思えるほど気に入ったなら、ゲームタイトルとは無関係に純然たる音楽CDとして買うかもしれません。
flutter of birdsのアルバムは1年ほど前に発売されたCDで、その頃から気になっていたのですが、上京するたびに秋葉原で探しても見つからなかったので、通販で買うことにしたのでした。
flutter of birdsのアルバムを聴く前にライナーノートに目を通していて、私の日本語聞き取り能力に疑問符が付いてしまったことがあります。ゲームのクライマックスで流れる挿入歌「Desire」の歌詞ですが、私はプレイ中には
♪どうか私の さびしげなくつざみでは  いたみ むやみに すむし・・・  おお たとえ・・・
と聞き取っていて、ここぞという場面で流れる印象的な曲であるだけになおさら、歌詞の意味が理解できなくて頭をひねっていたのです。もちろんライナーノートに載っていた歌詞は、全然違いました。
(正しい歌詞は、もしこの曲がJASRAC管理曲だったりすると厄介なのでここには載せません)

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