2001年11月前半の日記
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11月14日(水)〜16日(金)
今週はずっと、H.Saitouさんのサイト「雑草文庫」の開設1周年記念に寄贈するCGの制作に取り組んできました。週末を前にしてようやく完成したので、H.Saitouさんにお贈りするとともに、16日付の更新で当サイトでも公開します。
今回の作品は、アニメ塗りの手法で制作する第二作となります。前作に対してお知り合いの方から、今後はアニメ塗りで制作するのか、アニメ塗りで制作したCGを見てみたいというような感想をいただいたので、アニメ塗り、あるいはそうでなくてもペイントソフトを使っての彩色をもう一度やってみようと思っていました。その一方で、私のCGに特徴と言えるほどのものがあるとすればこれだけ、という色鉛筆塗りを放棄する気もないので、考えついた方法は「画中画」です。
今回は前回よりはアニメ塗りに慣れていたつもりでしたが、制作には合計4晩かかりました。しかも色鉛筆塗りで描いたほうの絵の実制作時間は3時間ぐらいで、背景がないせいもありますが2キャラ描くための所要時間としては過去最短に近いです。
何でアニメ塗りはこんなに時間がかかるかと思うに、下書き線の消し忘れや、後から塗り込んだハイライトの不満足なところが、「いくらでも直せる」からではないでしょうか。
色鉛筆塗りだと、どんなに均一になるように塗っても1ピクセル単位で見れば色はばらついています。それを徹底的に直していたら永久に仕上がりませんから、ある程度のところで「これで出来上がり」と終止符を打つことになります。
それに対してアニメ塗りをやると、同じ色で塗ると決めて塗りつぶしツールや太いブラシツールで塗った部分は、1ピクセル単位まで拡大して見ても同じ色になる──はずです。ところが下書き線を消し忘れていたり、線画をスキャンした時にゴミが入っていたりすると、そこだけ違う色になって、それが非常に目立つのです。
そうなると目立つアラは可能な限り直していかないと気が済まなくなって、制作時間がどんどん長くなるのではないかと思います。
というのは私の単なる思い込みで、アニメ塗りでCGを制作している、私より上手な方はいくらでもいますから、そういう方たちは我流でやっている私が考えつかないような、もっと効率よく制作する方法を心得ているのかもしれません。
(11月16日アップ)

11月13日(火)
今月1日に公開した「屋上にて」は、私が意気込んだほどには反響を呼んでいないようなのは残念ですが、数少ない感想を下さった方は、私が今後アニメ塗りのCGに移行していくのか、それとも今まで通りの色鉛筆塗りを守っていくのかに興味を示しているようです。
私としてはアニメ塗りの良さを認識しつつも、アニメ塗りで私より上手なCGを制作している方はいくらでもいますから、やっている人のあまり多くない色鉛筆塗りを放棄するつもりはないのですが、次回作はH.Saitouさんのサイトの開設1周年記念にすると決めたあたりから、私なりの弁証法的解決すなわち両方を併用したCGを制作しよう、という構想がまとまってきました。
出来上がりをご期待あれ──と言いたいところですが、今週に入って仕事が急に押してきたので、平日の夜はCGを制作している余裕がなくなりそうです。開設満1周年は昨日11月12日だったのですから、あまり遅くなってしまうと申し訳ないので、次の週末には何とか制作したいところです。

11月12日(月)
内容的には昨日の項に書くべきなのですが、昨日のパーティで「従兄弟」ということが話題になりました。
私は3人兄弟ですが、父親が妹1人弟2人の4人兄弟、母親が姉3人妹1人弟1人の6人兄弟なので、父方母方合わせると従兄弟は22人います。私の両親くらいの世代だと兄弟が5人6人いるのは珍しくないでしょうから、このページをご覧になっている方の中にも、従兄弟が合わせて20人いるとか30人いるという方はいると思います。
そして一般的には兄弟の人数が多いと兄弟内の年齢差も大きくなりますから、父親が長子で母親が末子だったりすると、従兄弟の年齢分布はさらに広がる場合があります。私の場合、父親が長子で母親が兄弟の4番目、母方の一番上の伯母は母より10歳以上年長なので、従兄弟のうち最年長の人は40代後半ですし、最年少の人はやっと20歳です。
それくらい年齢層が広がっていると、一堂に会しても親と子ほども世代が違うのですから、なかなか面識が深まらないと思うのですが、昨日の席で叔母に言われたことには、「××(私)は本家だからまだ従兄弟に会う機会があるが○○(従兄)は分家だから従兄弟に会う機会が全くない」ということです。
つまり私は就職するまで父方の祖父母と同居していましたから、叔父や叔母が子供たちを連れて祖父母を訪ねてくると、そこで従兄弟に会う機会があったわけですが、例えば叔父の子供たちが叔母の子供たちと会う機会は、叔父と叔母が同時に祖父母を訪ねて来ない限りほとんどありません。そして私の父方の従兄弟はみな3人兄弟ですから、一家族が祖父母の許に来て子供が6人になるならまだしも、二家族が同時に来て子供9人がひしめき合うと寝る場所もなくなるので、正月であれ盆であれ祖父母の許を訪れるのを、叔父叔母たち同士で日程をずらすようにしていたようです。ですから従兄弟たちの中には、昭和62年の祖父母の金婚式で初めて会ったとか、最後に会ったのは平成10年の祖母の葬式の時だ、という人がいるわけです。葬式や法事でもないと顔を合わせることもない従兄弟同士を引き合わせるのも、亡くなった祖父母の遺徳だ、というようなことを、いつだったか法事の時に僧侶が話していたような気がします。
分家同士で、祖父母の葬式で初めて顔を合わせたという従兄弟同士だとそうでもないかもしれませんが、私の小さい頃を思い出してみると、年に一度くらい祖父母を訪ねてくる従兄弟というのは、毎日顔をつき合わせている兄弟と違うのはもちろん、血縁関係の全くない他人とも違う、すこぶる独特な存在だったような気がします。兄弟と他人の中間的な位置、あるいは日本の民法では親族は6親等までと定めていますが、その中でも特に近い親族、すなわち近親結婚が禁止される親族は3親等までと定めていますから、4親等に当たる従兄弟はある意味で「最も近い他人」とも言えるわけで、ギャルゲーによく従兄弟(より正確には従姉妹)が出てくるというのも、そのあたりの「おいしいポジション」を狙ってのものでしょうか。
親族は6親等までとなっていますが、5親等に当たる親族つまり「祖父母の兄弟の子供」や「従兄弟の子供」を一言で言い表す親族呼称って何でしょうか? 私も最近まで知らなくて、広辞苑を見て「従兄弟違(いとこちがい:「祖父母の兄弟の子供」と「従兄弟の子供」を同じ言葉で表現していることに注意)」というのだと知った次第です。
しかしそういう言葉があるとわかっても、祖父母の兄弟の子供や従兄弟の子供を、親族として認識するかどうかとなると話は別です。私の場合、父方の祖父は長男でしたから、その葬式や法事には大叔父大叔母たちの子供が来ましたが(大叔父大叔母の何人かは亡くなっていましたし)、その人たちは父や叔父叔母とは従兄弟同士ですが、私にとっては全くの他人という意識しか持てませんでした。従兄弟の子供の方がまだ、私から見ると甥や姪に似た感覚があるのですが、相手がもっと大きくなった時、私を親族と思うかはわかりません。
「祖父母の兄弟の子供」と「従兄弟の子供」を区別する親族呼称がないということが、そういう間柄にある親族を親族と認識する意識が現代ではほとんどないことを表しているのではないかと思います。
(11月13日アップ)

11月11日(日)
生活リズムを乱した影響が出たのか、出かける予定時刻ぎりぎりまで寝たにもかかわらず気力が充実しません。でもそうも言っていられないので、予定通りの時間にアパートを出て、パーティの会場である従兄の実家つまり叔父夫婦の家へ行きます。
独り暮らしで自炊していると、なるべく食費を倹約するために、出来合いの惣菜は買わず、自分で材料から料理できる献立を作るようになります。そうなると、作るのに手間がかかるのとカロリーが高いという2つの理由で、揚げ物は自ずと食べなくなります。炒め物は揚げ物ほどは手間がかかりませんが、やはりカロリーの高さが気になるので近頃はあまり食べなくなりました。そうするとどういう物を作って食べているかとなると、もっぱら鍋物です。白菜を主体に、ネギ・にんじん・シュンギク・ニラ・エノキダケ・しらたき・豆腐・豚肉・タラ・アサリ、台所にある食材を何でも入れて鍋を作り、たいていは朝飯と晩飯に4回ぐらいかけて腹に収めますが、時には作りすぎることがあって、8日の夜に作った鍋を食べ終えたのは11日の朝昼兼用でした。
さてそういう、質より値段を追求した食生活をしている私が、たまに結婚披露宴に出席したりパーティに呼ばれたりすると、それは値段が高くて自分で買う気にならなかったり手間がかかりすぎて自分で作る気にならなかったりする料理を食べる数少ない機会です。(日頃、八百屋で白菜1球を88円で買って鍋3回かけて消費するような生活をしていると、1匹150円のエビフライを買って食べようとは思わなくなるのですよ。)
しかも今日のパーティには寿司が出たので、私としては先月の結婚披露宴以来1ヶ月ぶりに食べる「銀シャリ」です。私がいつも麦飯を食べているのはただ単に「貧乏人だから」ではなくて、食費節約よりもむしろ食生活改善のために食物繊維を摂るためですが、1ヶ月ぶりの銀シャリだといいながら食べていると、私から麦飯の効能を吹き込まれている両親以外は、やはり奇異の目を向けます。
食品について世間一般に流布している非常に素朴な考え方として、「色の着いている物のほうが白い物より栄養がある」というのがあると思います。私に言わせるとこれは正否ありで、ブロッコリーとカリフラワー、グリーンアスパラとホワイトアスパラの場合などでは正解ですが、殻が茶色の卵と白い卵の場合は根拠はありません。黒砂糖と白砂糖の場合は、栄養価を云々すること自体ナンセンスです。
それでは茶色の麦飯と銀シャリの場合はどうか。確かに麦飯のほうが栄養がありますが、これは麦と米という別の食品を比較しているのですから、比較自体があまり意味がありません。ソバとうどんを比較するようなものです。
意味のある比較となると、そうですね、玄米飯と銀シャリの比較なら、玄米飯のほうが栄養があるでしょう。食物繊維とビタミンB群は、玄米飯でも麦飯にはまだ及びませんが。
そうすると、食生活改善の次なる方策は、麦飯に入れる米を、白米を止めて玄米にするということでしょうか。そうなるとスーパーではなくて、米屋から買ってくることになりそうです。

さて今日のパーティは夜にずれ込むことがわかっていたので、大河ドラマを録画しようとビデオをセットして出かけましたが、放送が終わった時間に帰宅すると、予約録画のセットが間違っていました。
何だかんだと文句を言いながらも毎回欠かさず観ているので、土曜日の再放送を観る、念には念を入れて再放送を予約録画しておくことにします。
(11月12日アップ)

11月10日(土)
昨夜と言うのか今朝と言うのか、それくらいの時間までかかって、ゲームの引っ越し作業は終わりました。移動したゲームのタイトル数は、1つ、2つ、……


・ ・ ・ しばらくそのままお待ち下さい ・ ・ ・


ふぅ、お待たせしました。というくらいの数になりました。
ええと断っておきますけど、それが全部手つかずで積んだまま、なんてわけじゃないですよ。コンプリートしたのは、1つ、2つ、……あれ? たったこれだけ? ……うぐぅ
真面目にやります。最後に移動したのはアイルの「真・瑠璃色の雪」だったのですが、これも買ってきてDドライブにインストールして以来、全く手つかずのゲームだったので、いったいどんなゲームなのかと、ゲーム中の時間で1日が経過するぐらいまでプレイしてみることにしました。
ネットでお知り合いの方が話題にしていたゲームで、男主人公が「科学信奉者で科学部部長」という、ギャルゲーには珍しい設定、そして学校内外の女性キャラには科学部副部長を始め眼鏡をかけたキャラが多い(←そういうところしか見ていないらしい)です。
ところが「愛しの言霊」の時と同じで、ちょっとで終わらせるつもりがすっかり没入してしまって、空腹と眠気に負けてプレイを中断したのは正午直前でした。それだけプレイしても、感触としてはまだ中盤にさしかかったばかりなので、シナリオに対する感想は述べません。
しかし、眼鏡をかけたキャラの顔のアップを見れば見るほど、揃いも揃って「度の入っていない眼鏡をかけている」ようにしか見えないな、という軽い不満が拭えません。具体的にどういうことかは、前に日記に書いた通りです。(注意:このリンク先には、ご覧になる方に不快感を与える恐れのある画像があります)

昼過ぎから夜まで寝てしまったので、起きてからの作業は日記と「展示替え」の更新だけです。
「展示替え」のページは、毎月10日をめどに前月分の更新履歴を「過去の展示替え」に移すことにしていて、それまでの間は「展示替え」のページから更新箇所にリンクさせてあるのですが、いったいこれを利用している方って、どのくらいいるのでしょう?
でもそれを考えると、「夜も寝られなくなる」ことはない代わりにサイトを運営する意欲が減退しそうな気がするので、考えないことにしましょう。

この週末に「雑草文庫」開設1周年記念CGを制作するつもりでしたが、今日はこの体たらく、明日は従兄の披露宴に参加できなかった親類への披露のためのパーティに招かれたので、午後から夜まで外出です。CGの制作は次の週末になりそうです。

11月9日(金)
今夜は引き続き、Dドライブにインストールしてある新旧大小取り混ぜてさまざまなゲームをEドライブに移す作業です。
手順としては、セーブしたデータがある(プレイしてみた)ゲームの場合はデータをゲームの下の階層でないフォルダに待避することが最初の作業となります。次に正規の手順でアンインストールしてからEドライブに再インストールします。
普通のゲームのインストーラは、エルフの「同級生2」を例に取るとインストール先が「C:\Program Files\NANPA2\」、Windowsのスタートメニューにアプリケーションとして登録される位置が「プログラム/同級生2/同級生2 for Windows95」となりますが、インストール先のドライブを変える必要があるのはもちろん、ルートディレクトリや「プログラム」のすぐ下の階層に項目がたくさん並ぶのは自分的な美意識に反するので、メーカー・タイトル毎にフォルダを作って、インストール先は「E:\Game\Elf\NANPA2\」、スタートメニューへの登録は「プログラム/ゲーム/Elf/同級生2/同級生2 for Windows95」となるようにします。また、Keyのゲームは手順通りにインストールしてもスタートメニューに登録されないので、メインプログラムを「プログラム/ゲーム/Key/Kanon/Kanon」とカスタム登録します。メインプログラム1つしかなくてもプログラムグループを作るのは、他のメーカーのゲームはタイトル毎にプログラムグループを作ってメインプログラムとアンインストーラ(オンラインマニュアルがあるタイトルもある)をまとめているのと、様式を合わせるためです。
インストールが済むと各メーカーのサイトへ行って、修正差分ファイルがないかを調べます。私の場合、発売後かなり月日が経ってから買ったタイトルが多いので、修正差分ファイルをダウンロードする必要はあまりありませんでしたが。
それから、データを待避したゲームの場合はデータの復帰が正常にできるかどうか、データのない(まだプレイしていない)ゲームの場合は今後バックアップすべきデータを確認するためと、一部のタイトルではDirectXが正常に動作していそうか確認するために、少しだけプレイしてみます。
すると、うまくいかなかったのは「With You」です。以前にシナリオとCGを全部見たデータをDドライブから移動したはずなのにデータの日付表示(ゲーム中での)が正常でないだけでなく、CG回収率が0%になっていました。
つまりWith Youをアンインストールしてから再インストールする際には、セーブデータの待避と復帰には今回私が考え至らなかったような手順が必要であるのに違いありません。
まあ、With Youはもう一度(シナリオが2本ありますから「もう二度」と言うほうが適切ですか)最初から最後まで通してプレイするとしてもそんなに時間がかからないし、私としてはそれをする価値のあるゲームだと思っているから、別に苦にならないんですけどね。
これがもし「WordsWorth」のマップを全部埋めてアイテムを全部拾ったラスボス戦直前のデータや、「こみっくパーティー」で全ヒロインとのエンディングを迎えて作れる同人誌のジャンルに「Leaf」が加わったデータの喪失だったとしたら、たとえレベル99にできるデータ改造ツールがあったとしても、最初から再プレイする気力を奮い起こすことはできなかったに違いありません。
(11月10日アップ)

11月8日(木)
昨日の項に感想を書いた「愛しの言霊」のプレイは、一時棚上げにしておきます。DドライブにインストールしてあるゲームをEドライブに移す作業がまだ終わっていないのと、それに正直言って、他の作業を全て後回しにしてまでコンプリートに向けて邁進するほどのゲームとは感じられなかったからです。
それより優先したい作業を思い立ちました。5日の項H.Saitouさんのサイトのことを、ちょっとふざけた表現をしてしまったので、実際のところどのゲームの誰を描いたCGが公開されているのか確かめようと思って見に行くと、11月12日で開設1周年を迎えることがわかりました。
そしてやはり、一番のお気に入りは桜木舞と見受けましたが、結城瑞穂のCGもかなりの枚数があります。そこまで見たところで、たちまち次のCGの案が浮かびました。腰を据えての制作はこの週末になるでしょうが、早手回しに着手しておいて損はありません。

それからまた、コンテンツの本質的な拡充ではないので更新には書きませんが、日記を中心にちょっとした修正を行いました。
ゲームの感想を日記に書く際には、未プレイの方に対してネタバレにならないような小細工を施してあったのですが、それが何画面もスクロールするほど続くと、読みたくない方にはとても見苦しいページになる恐れがありますし、読みたい方にも何画面にもわたってマウスで範囲選択したままスクロールして読んでもらうのは負担を強いることになります。
そこで、何パラグラフにもわたってネタバレ隠しが続く部分は、昨日の項にあるように日記本文から切り離して別ページにすることにしました。この手のネタバレ隠しは、他のサイトでも見かけることがありますが、何を書いてもすぐ冗長になる私の場合、2行や3行で終わらないことが多々あるからです。

11月7日(水)
トップページのメニューの3列目、最終更新日の欄には、基本的にそのコーナー内で最後に更新を行った日付を書き、それがサイト全体で最も新しい更新であれば赤い太字で表記しているのですが、日記に限っては、本文を打鍵しただけの更新はサイト全体としての更新とは見なさず、それがサイト全体で最も新しい更新であっても赤文字での表記はしないことにしています。ですからメニューのすぐ上の「最新の展示」と事務所内の更新履歴にも、日記本文を打鍵しただけの更新は記載していません。
これはサイト開設当初、「日記は毎日更新して当然だからいちいち更新の扱いにしていたら大変だ」と考えていたからです。
(管理者はこのサイトが、日記がメインコンテンツのサイトと見られることを嫌っているくせに、ずいぶん傲慢な発言と受け取られることでしょうね)
ウェブ日記を毎日更新するなんてことは、やはりいつまでも続くものではないということを、私自身、開設から1ヶ月に満たずに露呈してしまいましたが。
それで日記については、トップページに赤文字で表記するのは、半月分の日記をこのページから切り離して「過去の日記」に収録した時、と決めているのですが、そうするとその他の時、黒文字で表記してある更新日──これはその日打鍵した日記の日付、わかりにくい言い方をしていますが、要するに11月7日の記事を8日に打鍵して更新した場合は、11月8日ではなくて11月7日と表記するということです──と日付が一致しないことがままあります。現に10月後半の日記を「過去の日記」に移したのは11月7日の更新ででしたが、7日当日の日記は8日になってから打鍵して公開していますし、その前の10月前半の日記の時も同じように、「過去の日記」に移したのは10月26日付の更新ででしたが、その10月26日当日の日記は、注記してあるように27日になってから打鍵して公開しています。
こういう、当サイトの日記を読みに来た方を混乱させかねない二重基準を設けることは、本来あまり好ましいことではないと思います。
それを避けるには、要は短くてもいいから毎日日記の本文を打鍵し、「過去の日記」に移す更新というのはそれなりにまとまった時間パソコンの前に腰を据えて行っている作業のはずなのですから、そのついでにその日当日の日記を少しでも打鍵するようにすればいい、と頭では理解しているはずです。
たとえ日記に書くようなことが何もなかった日だとしても、少なくとも「先月の日記を『過去の日記』に移した」ということが、日記に書く内容になるはずですから──サイトの更新履歴を繰り返しただけの日記を読みたい方がいるかどうかは別として。
それで今日は、10月後半の日記を「過去の日記」に移しました。まる。
と、これではあまりに内容がなさ過ぎるので、昨夜プレイした「愛しの言霊」の感想を書きます。例によってネタバレがあるので、未プレイの方はご注意下さい。
最初に総評を言ってしまうと……やや期待外れでしたね、シルキーズのゲームとしては。
ゲームシステムとしては、割とありふれたアドベンチャーゲームです。主人公たる古賀重麿は、寺の住職である祖父無道と一緒に暮らしている平凡な学生(年齢・学年の記載がありませんが、進路決定の話が出てくるところからすると、エルフ・シルキーズのゲームに多い、高校3年生でしょう)ですが、霊的な物を惹きつける力が強いようで、ある夜3ヶ所で幽霊の存在を感じます。
3体の幽霊──約40年前に海岸で溺死した佐々木蓉子、8月26日に(このことから、ゲームの季節は9月頃であろうと推定されます)高速道路で事故死した榊薫、もう1体は梶原清美といいますが私の初回のプレイでは最初に一言声が聞こえただけでした──は、幽霊となって現世に出てくるくらいですから、それぞれ現世に執着を残しています。重麿は彼女たちの執着を解くために、その願いを叶える、もう少し具体的に言うと現世に残した人とのよすがとなるアイテムを手に入れるために行動します。時間制限は30日。その間に、いろいろな場所へ行って行動することになりますが、行ける場所が自宅の他に7ヶ所とごく少ないので、その点では「同級生」シリーズよりは単純です。その他に現世の登場人物は、藤島理恵と義平の姉弟、橘亜樹の3人です。 ネタバレにならない範囲で、気に入った点を一つ。女性キャラの名前の付け方なのですが、見た目はほぼ同年齢に見える5人のうち、今生きている理恵と亜樹、つい最近まで生きていた薫、清美だけは生前のことを聞けなかったので判断できませんがさほど遠い時代の人物ではないでしょう、その4人に対して蓉子が世を去ったのは約40年前(つまり昭和30年代)ですから、生まれた年代となると前の4人は昭和40〜50年代になるのに対し、蓉子だけは昭和20年頃になります。その時代に生まれた女性だけが「○子」という名前になっていることに、制作元の配慮を感じます。
折に触れて感じることですが、日本人女性の名前の付け方の移り変わりは、世界に例を見ないものがあると思います。
女性名としての「○子」という名前は平安時代まで遡りますが、長い間公家に限定された名前で、庶民の女性の名前として一般的になるのは、昭和に入ってからでしょう。私の祖母とその姉妹(明治末年から大正の生まれ)の名前は、ギャルゲーやコミックなどでは「古臭い名前」として揶揄的にしか使われないであろう、片仮名二文字の名前です。差し支えない範囲で実名を挙げると「ヨキ」「シズ」「ミツ」など。
私の母や伯叔母の世代(昭和一桁から20年代生まれ)になると、都会では「○子」という名前が一般的になります。「郁子」「玲子」「洋子」「万里子」「公子」など。ですが、前にいた職場にパートで勤めていた農村出身の人たちは、その世代でも片仮名二文字の名前のほうが多かったです。「子」が付かない漢字二文字の名前は、その母親が相当のモガ(意味わかります?)でなければ付けていなかったでしょう。
そして私の職場にいる同世代の人、あるいは少し上の世代に属するパートの人たちの名前は、昭和20年代から40年代生まれになりますが、ほとんど全部「○子」です。小学校の卒業アルバムを見ると、1クラス20人余りの女子のうち、「子」が付かない名前は片手で数えるほどしかいません。ですからそういう名前が、とても珍しく感じられたのを覚えています。
私より少し下の世代で、日本人女性の名前の付け方が一変します。昭和50年代生まれになると、「子」が付かない漢字の名前が急に増えてきて、「子」が付く名前と完全に逆転します。これは昭和初期に「○子」という名前が広がった時と違って、都会と農村の別なく一斉に進行した現象のようで、前にいた職場の近くの小学校の女子の名前は、世代的にはもう平成生まれになるわけですが、1クラス十数人のうち「子」が付く名前は一人か二人でした。最近増えた「子」が付かない名前が、明治大正の頃の名前と違うのは、漢字を当ててあることだけでなく、読みが3文字であることが多いことでしょうか。
たかだか半世紀の間に、名前の付け方が二度にわたって大きく変わった民族は、他には珍しいのではないでしょうか。キリスト教文化圏の場合、聖書に出てくる名前と中世以前に確立した守護聖人の名前、それからキリスト教伝播以前にそれぞれの民族にあった名前、この3つのグループから名前を付けることが、何世紀にもわたって続いていると思います。
話がいささか矮小化しますが、ギャルゲーの女性キャラの名前の付け方で、世代による移り変わりをうまく表現してあるなぁ、と思うのはエルフの「同級生」です。
DOS版の発売が1992年12月でしたから、リアルタイムだとすればゲーム中で18歳のキャラは昭和49年(1974年)生まれになることをまず念頭に置いてください。原画集に基づいて年齢順に配列すると、
・真行司麗子、芹沢よしこ(25)斎藤真子(23)正樹夏子(21)斎藤亜子(20)
・草薙やよい、田町ひろみ、成瀬かおり(20)佐久間ちはる(19)黒川さとみ、桜木舞、鈴木美穂、田中美沙、仁科くるみ(18)
20歳を境に「子」の付く名前と付かない名前とが、はっきりと分かれています。SegaSaturn版になると、高野みどり(18)の他に堀真澄(21)と桜木京子(16)が加わってきて、やや不明確になりますが。
最近のゲームになると、「子」のつく女性キャラは全く登場しなかったり、登場しても母親役(「Kanon」の水瀬秋子、「AIR」の神尾晴子)だったりするようになります。Kanonの場合、ゲーム中の叙述から割り出した生年月日は、川澄舞が昭和56年1月29日、美坂栞が昭和58年2月1日となりますから、同世代に「子」の付く名前の女性はほとんどいなくなっているでしょう。
……また長々と書いてしまいましたな。
(11月8日アップ)

11月6日(火)
今日はまた一仕事、端から見れば「なんでまたそんなことを思い立ったの」と言わずにはいられないような作業を思い立って、宵の口から深夜までそれにかかり切りでした。
事の次第は、お暇な方はご覧下さい。
それでシルキーズのゲーム2タイトルすなわち「Flutter of Birds」と「愛しの言霊」を再インストールした後、これらのゲームはelfのゲームと同様DirectXを使っているのですが、開発時期によって対応しているDirectXのバージョンが異なるようなので、私のマシンにインストールされているDirectXできちんと作動するかどうか、あとセーブデータのファイル名がどうなっているかを調べるために、ゲーム中で最初にセーブできるあたりまでプレイしてみます。
(細かい話ですが、ゲームのセーブデータには、プレイヤーが意識してセーブする「今のプレイはここまで進んだ。ゲーム中の日付で何月何日」というようなファイルとは別に、ゲーム全体の進行として「どのイベントCGを見たか」「誰のエンディングを見たか」といった類の情報が、プレイヤーが意識しないうちに記録されているファイルがあるゲームが多いです。
「ToHeart」を例に取ると、プレイヤーが意識してセーブするファイルは Lvns3_0?.sav(?は0から4まで) というファイルですが、その他に Lvns3_99.sav と Lvns3.alb という2つのファイルがあり、前者は「どのイベントCGを見たか」「誰のエンディングを見たか」を記録していると考えられ、後者はゲーム中に見たビジュアルCGを記録しておく「思い出のアルバム」のデータです)
で、Flutter of Birdsで最初にキャラボイスが聞こえるキャラが水野友美南田白風(この打ち消し線の意味は、おわかりになる方だけで充分です)であることに頬が緩んだりしているのですが、次に愛しの言霊をプレイし始めたら、つい熱中してしまって、一人のヒロインのエンディングまでプレイしてしまいました。
となれば感想を述べたいところですが、そろそろテレホタイムになるので後日アップします。
(11月7日アップ)

11月5日(月)
先日の日記にも書きましたが、サイト開設当初は「当サイトは『同級生2』キャラのCGを公開しているサイトです」と公言していたのに対して、近頃は同級生2以外のキャラを描くことが多くなってきました。
とは言っても今のところまだ、ゲームタイトルで分類すれば同級生2が最も多いことには変わりありませんが、サイト開設当初、いくつかの検索サイトに当サイトを登録した時、どういう風に登録していたかを振り返ってみると、「『同級生2』を中心に、『同級生』『下級生』『ToHeart』のキャラのCGを公開しています」という具合に紹介文を書いていたわけです。
ところが今になってみると、「Kanon」キャラのCGが3枚延べ5キャラ(「持田あゆ」とジャンクは除くことにします)あるのに対して、同級生1(正式名称ではありませんが便宜上こう呼ぶことにします)キャラのCGと見なしているのはサイト開設前に1枚1キャラ描いただけ、それも描いたキャラは同級生2にも登場する田中美沙ですから、純粋に「同級生1キャラのCG」と呼べるかどうか疑問です。
(だいたい「同級生2に登場する美沙のつもりで描いた美沙」だって、最初期に1枚描いたきりですし)
少し前までWindows版同級生1をプレイしていたこともあって、同級生1キャラのCGを描くことを将来にわたって完全に否定するつもりはないのですが、例えば桜木舞に萌え萌えのH.Saitouさんのサイトと同列に「同級生1キャラのCGを公開しているサイト」を称することは、現状では不適切でありましょう。
と考えるに至ったので、当サイトを登録している検索サイトに行って、登録事項の修正をしました。
まあ、たいていの検索サイトは「同級生」と「同級生2」を区別するほど厳密な区分けを行っているわけではありませんから、「同級生」をキーワードにして検索すれば今まで通り当サイトがヒットするのですが、今まで「Kanon」をキーワードに含めて登録していなかった検索サイトでは、Kanonをキーワードに含めるようにしました。
……「Kanonをキーワードに含めさえすればアクセス数が増えるとでも思っているんじゃないのか」ですって?
そのような発言には、答える義務はないものと判断します。
(11月7日アップ)

11月4日(日)
2日の日記に書いたように、当サイトの中でもほとんど更新されることがなく、見に来る方だけでなく管理者にまで忘れられたコーナーと化しているのではないかという印象のある5号館に、新しいコンテンツを公開することに決めました。
その第一弾は、5年前の6月に組合の行事で沖縄へ見学旅行に行った時の見聞録で、今年の6月に日記で触れていたものです。
旅行中も日記帳を手放さず、暇さえあれば見たこと聞いたこと細大漏らさず書き付けてあったのが手許にあるとはいえ、さすがに5年前の記憶をたどって新しく文章を起こすのは時間的にも大変なので、旅行の直後に実家に宛てて出したワープロ打ちの手紙を中心に、写真と若干の脚注を加えて公開することにします。
ですから新たに打鍵する文章は大した量でもないはずなのですが、脚注を書くためのネット検索や写真のデジタル化に予想以上に時間がかかって、公開できる状態に仕上がったのは深夜になりました。
(11月5日アップ)

11月3日(土)
今日は上越市へ、チェンバロのコンサートを聴きに行きます。
このコンサートは上越市文化会館が地元の音楽家(プロ・アマチュア)を招いて、高田公園内に今年復元された昔の邸宅の一室で行っているもので、コンサートそのものは無料、邸宅の入館料200円だけで聴けます。とは言っても広い新潟県のこと、私が今住んでいる町から上越市まで高速バスで往復するバス代だけで、新潟市内で開かれる普通のコンサートを聴きに行くより高くついてしまうくらいですが。
チェンバロという楽器は、バロック時代にはオルガン・クラヴィコードと並んで広く愛好された楽器でありながら、18世紀初頭にクラヴィコードを発展させる形でピアノが発明されると、ピアノの改良と軌を一にして使用されなくなり、19世紀には完全に廃れていた楽器でした。グランドピアノと大規模なモダンオーケストラによる音楽に行き詰まりが感じられるようになった20世紀前半に、モダンオーケストラと共演できる音量を出せる「モダンチェンバロ(フレームが鋼で作られていたそうです)」が作られた時期がありましたが、バロック時代の音楽をその当時使われていたのと同じ楽器で演奏することが考えられ、そのためにバロック時代のチェンバロが修復されたり、バロック時代と同じ材質・構造のチェンバロが製作されたりするようになったのは、ここ30年ほどのことだといいます。
ヨーロッパでチェンバロがそのように急速に廃れたのは、産業革命に向かいつつある当時のヨーロッパでは進歩史観が支配的で、「改良された新しい物は善である」という風潮が強かったからであろう、ということです。それでも音楽の分野では、例えばドイツのオーケストラではバルブのないホルン(つまり普通に吹いたのでは半音階が吹けない)のほうがバルブのあるホルンより音が良いといって、19世紀の後半になっても使っていたというように、見せかけの「改良」を嫌って古い楽器を愛用する傾向が、他の分野に比べれば強かったらしいのですが。
ご存じの方もいるかもしれませんが、ヴァイオリンの銘器として珍重されるストラディヴァリウスは、17世紀から18世紀にかけて製作されたものですが、大部分が19世紀に、音量が大きくなるように改造されていて、製作当時の形を保っている楽器はほとんどないそうです。
そういう話を聞いていると、発想が飛躍して、「煙草は本当に百害あって一利なしなのか」とか、これから新しく作られるチェンバロがみなバロック時代のチェンバロに倣って作られるようになったら、将来、20世紀の前半に書かれた「モダンチェンバロのための曲」を演奏しようとした時に「曲にふさわしいモダンチェンバロがない」ということにならないだろうか、などと埒もないことを考え始めます。
(11月5日アップ)

11月2日(金)
まだ年末には早すぎる季節ですが、今年になってからの私のCG制作状況を振り返ってみると、かなりはっきりした波があるのが自分でもよくわかります。
1月と2月は低調、3月から4月にかけて高調、5月は低調、6月から7月まで高調、8月と9月が低調、10月から高調になっています。
この繰り返しからすると、2000年もそうであったように12月に低調に陥ってしまいそうな気がするので、クリスマスと年賀用のCGは、今のうちから制作に取りかかっておく方がよいかもしれません。そう思っても、実際のところ、季節物のCGというのは1年で題材が一巡してしまうもので、もう一度水野友美主演でクリスマス物あるいは正月物を描こうと思っても題材が浮かびません。
それとまた別の方角を見ると、5号館が永らく放置されたままです。ここもサイト開設当初は小説と並ぶメインコンテンツにしようと企てていたくらいなので、何ヶ月も新規コンテンツがないまま放置されているのは、はなはだ不本意です。
ここに入れたい題材はいくつもあるので、近いうちにコンテンツを拡大する計画を立てておきます。とこうやって公開の場で発言しておけば、自分自身に対するプレッシャーにもなるでしょう。

11月1日(木)
「えるふりんくくらぶ」への寄贈作品「屋上にて」が完成したので、管理者の工藤龍哉さんにお贈りするとともに、今日の更新で公開します。
今回の作品は、私にとっては初めての、「アニメ塗り」の手法で制作した作品になります。パソコン上でペイントソフトを使って彩色してみてはどうかということは、色鉛筆塗りのCGを「同級生FanPage」に寄贈し始めた頃からいろいろな人に勧められていたことでしたが、そのやり方で制作している、私より上手な人はいくらでもいますから、私程度の腕では誰にも顧みてもらえなくなると思って、今まで後込みしてきました。
今回、新しい手法をものにするきっかけにしようと、思い切って試みましたが、コツをつかむまでは色鉛筆塗りよりも時間がかかりそうです。
それでも、色鉛筆塗りでは難しい、均一な面の質感が容易に表現できるので、今後はケント紙上での色鉛筆塗りと、ペイントソフト上での各種の塗り(「塗りつぶし」を主に使用するアニメ塗り、ブラシ塗り、エアブラシ、グラデーション、それらで塗った後から各種のフィルターをかける)とを使い分けていくことができそうです。

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