2001年6月後半の日記
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6月30日(土)
昨日は帰宅するとすぐ、リレーSSの打鍵にかかりました。中心となるプロットは昨日の項に書いたように前回の担当を終えた直後に思いついたプロット、そのプロットへの導入部は16日の朝にチャットしていて閃いたやり方でいくことにします。
それくらい具体的なところまで頭の中でまとまっていれば、打鍵という手先の仕事はどんどん捗るわけで、1ライン全角35字換算で400ラインを超過するという、私がリレーSSで投稿した文章としては最大の分量になりましたが、午後12時前にほぼ完成しました。締切まで3時間以上あるので、このところリレーSSに挿絵を投稿する人がすっかり後を絶っていたことでもあり、余勢を駆って挿絵を軽く仕上げ、午前0時半に投稿しました。
ところがその後で見直しているうちに、わずかながら誤字を発見したので、誤字を訂正した稿を打ち直して、午前1時に再投稿しました。
リレーSSを投稿したのが金曜深夜となれば、することは一つ、リレーSS執筆陣の方々が行きつけにしている「そこつやの館」内のチャットルームへ行って、投稿したばかりのリレーの感想を聞くことです。
チャットルームには午前2時頃から人が集まってきて、さっそくリレーの話題になります。プロットの質よりも、以前の回でなされた設定を大幅に変更するという、リレーSSという形式で制作を進める上での重大なルール違反を犯したことが、私としては気にかかっていたのですが、そのことはこの夜のチャットの限りでは問題視されませんでした。
そのうちに、先日思いついた「同級生2に登場する、眼鏡を掛けていないキャラクターに眼鏡を掛けさせた絵を描く」ことについて、また新しい示唆をいただきました。
私が最初にいただいた示唆に基づいて「When She Wears Glasses」を描いた時には、他のキャラで描いても同工異曲になりそうだったので、シリーズ化はしないつもりでしたが、今度の示唆によれば、同工異曲ではなく全く違うシチュエーションでもう1枚描けそうです。それで、私自身の発想の貧弱さを恨みつつ、いただいた示唆に基づいて次回作の構想を始めます。

30日の朝、チャットを終えた後も寝ずに部屋の掃除をしてから、両親が通告してきた時間に合わせて最寄り駅へ行きます。
両親は夕方に親戚を訪れる予定なのでしたが、午前中の予定を立てていないと言っていました。それで私は、万一また私のアパートを査察に来る場合に備えて、ゲーム機の箱と酒の空き缶を目に付かない場所に隠してから迎えに行ったのですが、幸いにして両親は私のアパートを再査察する気は起こしませんでした。
両親と別れてアパートに帰ってから、午後まで仮眠して、起きてから新しいCGの制作を進めます。これは「彼女が眼鏡を掛けたら」シリーズではなくて、「When She Wears Glasses」を公開した直後から制作に取り掛かっていた「夏服シリーズ」の第2弾、このページをお読みになる方はもうご覧になっているはずですが、「午前8時」です。まあこれも、主役は加藤みのりですから、前作とは眼鏡つながりと言えないことはないでしょうが。
眼鏡シリーズといい夏服シリーズといい、その他にも浮かんでくるネタはいくつもあって、創作意欲が高まっているのはありがたいものです。あとは構想を実現する時間だけが問題です。
(7月3日アップ)

6月29日(金)
久しぶりに、下級生リレーSSの順番が回ってきました。前回私が担当してから少し経って、主催者のそこつやさんからリレーSSの今後の進め方に関する問題提起があり、参加者の間で議論を持つ間一時的にリレーの進行が止まっていたこともありましたが、6月に入った頃に議論がほぼまとまって、リレーSSは無事再開されました。
議論の結果、リレーSSが終盤にさしかかっていることでもあり、熟考して打鍵できるようにということで、締切が5日間に延長されました。私の前に担当した雅丸さんが投稿したのが25日の未明だったので、私の締切は30日の未明になります。
ですが私は明日の朝、またもや新潟へ来る両親を接遇しなければならないので、明日の朝、両親が通告してきた時刻に起きていて待機するためには、今夜半くらいには投稿を済ませておかなければなりません。
それともう一つ頭が痛いのは、雅丸さんの回が、前回の時と違ってエピソードを完結させていず、エピソードの結末を私に委ねるような形で終わっていたことです。前回担当した時、初めて自分の回でエピソードを完結させず、結末を次のゼロさんに委ねる終わらせ方をした私が、次に自分が担当する時に結末を委ねられて頭を抱えているのですから、自分の行為の報いはいつか自分に跳ね返って来るものです。
ですが5月から6月にかけての議論で、前の担当者から「仕掛け」を受けたらそれに応じなくてもよい、ということが明文化されたので、一抹の不安はありますが、敢えて雅丸さんの回の終わりを受けず、前回の担当を終えた直後に思いついたプロットで打鍵することにします。
一抹の不安というのは、前回私が担当して結末を次に委ねた第70話からゼロさんの第71話へはリレーらしくつながり、次のぶらぢるさんばさんの第72話は私の回から派生した一編の外伝風にまとまりましたが、そこから先はそこつやさんの第73話、なりぽしさんの第74話、天巡 暦さんの第75話、さんの第76話、そして雅丸さんの第77話と、それぞれが直前の回とほとんどつながりのない、一話完結のエピソードになっていることです。
もちろんどの担当者の方も、わざとストーリーを発散させリレーを停滞させる意図を持って、前の担当者の話とつながらない話を打鍵しているのではないと信じています。締め切りが延びた分、じっくりと構想を練った結果、こういう形になったのだと思います。
しかしここ数回の状況は、リレーSSの終盤へ向けてのストーリーの収束、つまり主人公と彼を取り巻く女性たちとの恋愛模様を誰か一人のヒロインに収斂させていくことに踏み出すのを、みんなが他の担当者の顔色を横目で伺いながら躊躇しているように見えないこともありません。
その結果、リレーは締切を守りながら進んでいるのに肝心のストーリーがなかなか進行しない足踏み状態に陥っているのだとしたら、それはあまり好ましい状態とは思えません。
ですから、誰かがその状態を打開するために行動を起こすことを期待したいわけです。その、膠着状態を打開する役を自ら買って出る、とここで言明するのは、あまりにも僭越かもしれませんが。
だいたい締切が5日間に延びたのに、28日の夜寝る時点で本文を1文字も打鍵していないような手合いに、そんなことを言う資格があるとも思えませんし。

6月28日(木)
昨日、早く目が覚めたので出勤前に巡回していると、ある掲示板で「夜勤病棟」という病院もの──もっと的確に言えば制服ものの一ジャンルとしての看護婦ものということになるのでしょうが、そのようなゲームが話題になっていました。
このゲームは私も以前から秋葉原でよく見かけたゲームだったのですが、この日記を打鍵するためにインターネット検索をかけて、制作元であるミンクのホームページ(注意:このサイトのメインページは18禁です)へアクセスしてみたところ、どうも私の好みに合いそうなゲームではなさそうでした。
それだけでなく、店頭でパッケージを見るたびに、どうしても違和感を拭えない点があります。
パッケージに大きく描かれているヒロイン格の看護婦が、腰を超えるほどの長髪を根本1箇所で結んだだけで垂らしている、という髪型で勤務に就いていることです。
言うまでもなく医療機関は、食品加工業と並んで衛生保持が強く求められる職場です。で、看護婦が書いた医療関係の本などを読むと、衛生保持の面から見ると髪というのは汚染源、雑菌の温床なのだとか。終戦直後、日本中の人がアタマジラミに寄生されていた時代ならいざ知らず、と思いますが事実です。
それに看護婦の仕事は、患者の介護などで全身を大きく動かしますから、衛生面以外から見ても、垂らしたままの長髪は何をするにも邪魔になるはずです。小児科の患者に引っ張られるくらいならまだしも、機械に巻き込まれたら大事故になるでしょう。
ですから、医療機関では看護婦の服務規程の中に、衛生保持と危険防止のために、髪は短髪にするか、結んでナースキャップに納めること、という規程があるはずです。これは前の職場で、奥さんが総合病院の看護婦をしているという同僚に尋ねて、教えてもらったことです。
先日骨髄バンクにドナー登録するために献血ルームへ行った時や、それより前に幾度となく献血するたびに、看護婦が働いているところを見ていますが、たしかに長髪を垂らしている看護婦はいません。
そう思うと、どうもこのギャルゲーというメディアでは、現実を正しく考証しないでイメージだけで絵を描くことが横行しているのではないか、という気がしてなりません。
ギャルゲーに限ったことではなく、私が読んだことのある看護婦が書いた本の中には、現役看護婦の声として「テレビの医療ドラマは考証がいい加減すぎて観るに堪えない」という意見が後を絶ちません。
そうしてみると看護婦という職業は、「白衣の天使」と言われたり「9K職業」と言われたり、偏ったイメージが先行して現実が正しく認識されていないのではないか、と思います。
実は私自身、看護婦の髪ということでは、2年余り前に描いた処女作「献血パニック」で、はっきりと意識しながら考証ミスを犯しているので、あまり偉そうなことも言えないのですが。

というような書き込みを27日の朝に行って、一日経ってから反応を見ると、「気にしすぎだ」というのが大方の反応でした。
先日書いたように、ギャルゲー世界での「普通」ないし「標準」は、現実世界でのそれとは異なるものであって、それに対して現実世界に基づいて「考証」という言葉で異議を申し立てるのは無意味なのでしょうか。
その類で思いつく事柄は、「長髪の看護婦」以外にもいくつもあります。
「クリスマスの雪」・「女子学生のセーラー服」・「ファンタジーまたは20世紀前半以前の女性の、現代的な下着」
……止めましょう、こういう話は。
(6月29日アップ)

6月27日(水)
ここ数日は創作意欲が乗っているので、25日に完成して26日の更新で公開した「When She Wears Glasses」に続く「夏服シリーズ」の制作に乗り出します。
その一方で、20日に前編を公開した雑文「量子力学から考えること」の後編の打鍵も完了させて、今夜はこれを公開します。
前編は量子力学と西洋文明における自然観の関係、後編は錬金術と量子力学という、何ともよくわからない文章になりましたが、後編の最後、技術開発が頓挫してしまっている高速増殖炉が「現代の錬金術」という見方は、私が前から持っていたものです。
本文には書きませんでしたが、国富を増やすという意味での現代の錬金術を探すなら、それは第一が「金本位制の廃止」、第二が「預金準備率の引き下げ」ではないかな、と思うことがあります。
ここから先の記述は、概念的に単純化していますが、私は経済学を専門に勉強してはいませんし、金融業に勤めてもいませんから、現実にはこうではない、という場合があるかもしれません。
金貨を法定通貨とする金本位制の下では、中央銀行が発行できる銀行券の総額は、政府の金保有量に制限されます。
そもそも銀行券(金本位制の下での兌換銀行券)とは、金貨は分割できないし摩滅しやすくて現実の経済取引に使うには不便なため、利用者が金貨を中央銀行に預け、その預り証として中央銀行から発行される物でした。
兌換銀行券は金貨の預り証ですから、その所有者がそれを中央銀行へ持っていけば、いつでも額面通りの金貨を返してもらえる(金に兌換する)ことが保証されていなければなりません。とすると単純に考えれば、兌換銀行券の発行総額は、政府の金保有量を超えることはできない、ということになります。実際はそうでもないのですが(預金準備率の考え方)、それでも現実にモノとして存在する金貨または金地金の量が決まっているのですから、際限なく兌換紙幣を発行することはできません。
金本位制を廃止した今では、中央銀行は政府の金保有量にかかわらず、いくらでも銀行券(不換紙幣)を発行できます。ですから不況の時には、紙幣の発行量を増やして景気を刺激することが行われているわけです。もっとも、「いつでも金貨に交換できる」という政府による保証がない不換紙幣が通貨としての価値を持って流通するのは、発行元である政府に対する信用があってのことですから、政府が信用を失ってしまうと、不換紙幣は破綻した企業の株券のようなもので、たちまち価値を失います。第一次大戦後のドイツ政府が英仏に対して賠償金を払えなくなり、1923年にはドイツ政府発行の不換紙幣1マルクが1兆分の1ドルの価値しかなくなったのがその例です。
次に預金準備率。中央銀行以外の、私たちが給料を口座振込にしたりボーナスを預けたりする銀行は、預金者から預かった金を企業や個人に貸し付けて利息を取り、取り立てた利息と預金者に払う利息の差で食っているわけです。
ですが預金者から預かった金を全部貸し付けて金庫が空になってしまった時に、預金者が預金を引き出しに来たら、銀行は預金を返せなくなります。といって、常に、預かった預金の全額を預金者に返せるように金庫に準備しておかなければならないとしたら、預かった金を貸し付けることができなくなりますから、銀行は成り立ちません。
そこで預かった金のうち、全ての預金者が一斉に全額解約に来ることはないものとして、引き出しに応じるために銀行の金庫に残しておく金の率を決めておきます。これが預金準備率で、この文章を書くために日本銀行のホームページを見に行っても、具体的な数値はなかなかわからなかったのですが、仮に1%としておきます。
すると、例えば日本中の銀行に預金されている現金の総額が1兆円だとして、銀行はその1%すなわち100億円を金庫に残して、9900億円を企業に貸し付けることができます。借りた企業はその金で取引を決済したり従業員の給料を払ったりします。その金は別の取引の決済に使われたり、従業員が他の銀行に預金したりして、また銀行へ戻ってきます。すると銀行はその金額の1%を預金準備として残し、99%をまた貸し付けることができます。これを繰り返していくと、日本には最初の1兆円の現金から派生した1÷0.01=100兆円の金が動いていることになる…らしいです。
現金1兆円はそのままで、預金準備率を0.5%に引き下げたとすると、最初に銀行が金庫に残しておく現金は1兆円の0.5%すなわち50億円になりますから、企業に貸し付けることのできる金額が9950億円になります。これが銀行預金になって戻ってくるとそのまた99.5%が貸し付けになって出回っていき、その繰り返しで日本国内に流通する金の総額は1÷0.005=200兆円になる、ということで、預金準備率を引き下げると、紙幣の発行額を増やさなくても国富の総額を増やすことができる。というのが、高校の政治経済で習う、中央銀行による金融調節を通じた経済調節の概論です。

……しかしウェブ日記で経済学の講義をしているギャルゲーマーって、日本に何人いるんでしょう?
(6月29日アップ)

6月26日(火)
昨日の項に書いた、CGの「もう一つのシリーズ」というのは、その示唆を受けた時の記事をお読みいただけば想像がつくと思いますが「夏服シリーズ」です。
制服がある高校を舞台にしたゲームで、プレイ期間が1年ないしそれ以上にわたるゲームでは、季節の移ろいに従って制服が変わるものがあります。私が今までにプレイした中では「下級生」だけですが、「センチメンタルグラフティ」や「ときめきメモリアル」などもそうかもしれません。ただ、このようなゲームはタイトルとしてはあまり多くありません。
それに対して大多数を占める、プレイ期間が1つの季節を超えないゲームでは、普通は夏服か冬服(春・秋・冬のスリーシーズン服)のどちらかしかプレイ中には見ないと思います。
そこで夏向きのネタがひねり出せなくて苦しむ二流以下のCG画家としては、プレイ期間が冬に設定されていてゲームでは冬服しか見られない学校について、「この学校の夏服はどんなデザインになるだろう」と想像してみるわけです。
まあ、職場の近くにある高校の制服や、十数年前に自分が高校・大学へ電車通学していた頃に通学途上に目にしていた高校の制服を思い出して想像してみるのですが、女子の制服だと、冬服がブレザー・ベストまたはジャンパースカート・長袖ブラウスであれば、夏服は半袖ブラウスが基本でベストまたはジャンパースカートの上半分はある場合もあればない場合もあり、冬服が濃色の長袖セーラー服であれば夏服は淡色の半袖セーラー服になるでしょう。
そういう方針で想像するとなると、ブレザーの有無とブラウスの袖丈くらいしか変わらないブレザータイプの制服(「同級生2」など)より、セーラー服(「With You」など)の方が描いていて面白そうな気がします。
特にこのゲームのこのキャラに夏服を着せてみたいと思っているのが、セーラー服の冬服が何となくもっさりしているPlayStation版同級生2の西御寺静乃と、ゲーム中の季節が晩夏(屋外プールで水泳部が練習をしている)なのに黒ずくめのセーラー服を着ている「アトラク=ナクア」の比良坂初音です。特に初音は転校生という触れ込みのために、舞台となる八重坂学園の制服と学内で一人だけ違う制服を着ていますから、深山奏子に八重坂学園の夏服を着せて、2人を組み合わせてみたいものです。
実はこのようにゲーム中で見られる冬服から夏服を想像する、あるいはその逆をやって絵を描いたのは、今回が初めてではありません。
サイト開設前に描いた「先負学園冬服の美沙」(題名がそのまんますぎました)は「同級生」の夏服から冬服を、去年の今頃描いた「アジサイの咲く頃」は「ToHeart」の冬服から夏服を想像して描いたものです。

6月25日(月)
新潟県は梅雨たけなわ、今日も朝から夕方まで、時には大降り時には小降りの雨が降り続きます。
梅雨が明けて夏本番になると、私の職場は本格的に忙しい時期を迎えるので、今の時期は一年の中では比較的に仕事が暇な時期に当たります。
そういう時期が、CGの制作、あるいは雑文の打鍵といった作業をやる意欲が上向いている時に当たったのは実に有難いことで、夏本番になる前にいろいろな作業に乗り出すことにしましょう。
ただ、創作活動の意欲が盛んになりすぎて、「積んでいるゲームを片づける時間がもったいない」という状態になりつつあるのは、若干痛し痒しという気がしないでもありませんが。

24日の朝、またいつものように徹夜でチャットした後で巡回していると、「お昼寝宮」の掲示板に、チャットで親しくさせていただいているオールド・ハワイコナさんの書き込みがあり、
いずみ(「同級生2」の篠原いずみ、「お昼寝宮」管理者さんのお気に入り)が眼鏡を掛けていたら。みのり(同じゲームの加藤みのり)みたいな眼鏡が、意外と似合いそう」
という意味のことを述べられていました。
ゲーム「同級生2」に登場する、眼鏡を掛けた女性キャラというと、ヒロインである水野友美と、女性キャラの中ではやや影の薄い加藤みのりの2人なのですが、その書き込みを見た時、他の女性キャラが眼鏡を掛けたところを想像して描いてみたらどうだろう、というアイデアが閃きました。
それを思いついたのは、ここ数日、時間を見つけてプレイを進めているDreamCast版「Kanon」に、眼鏡を掛けた女性キャラが全く登場しないことも理由の一つでしょう。
どういうわけか、「MOON」「ONE」「Kanon」「AIR」と続く一連のゲーム(レーベル名はMOONとONEがTactics、KanonとAIRがKeyと変わりましたが、実質的に同じスタッフが制作したゲームです)には、眼鏡を掛けた女性キャラが全然登場しないのです。それなら自分で眼鏡を掛けさせたCGを描いてしまうか、といっても、少なくともKanonに限っては眼鏡が似合いそうなキャラもいません。
ONEの川名みさき(全盲)が黒い眼鏡を掛けたら……というのは、文字通りブラックなので自粛します。
それはそうとして同級生2の、本来眼鏡を掛けていないキャラに眼鏡を掛けさせるのは、シリーズ化するのはさすがにくどいでしょうから、いずみ1枚だけで止めておきますが、先日チャットルームで示唆をいただいたことから思いついた、もう一つのシリーズの出発点として位置づける意図も持って、CGを制作することにしました。
といっても24日には着手せず、今日25日になってから本格的に構想し始め、帰宅してから制作に取りかかったのですが、思った以上に作業が捗って夜半頃に完成したので、さっそくすさんにお贈りしました。
(6月26日アップ)

6月24日(日)
かねてから考えていたことを一つ、実行に移すことにしました。
健康に恵まれていることに感謝しつつ、それを社会に還元する手段の一つとして、私は16歳になったばかりの頃からずっと献血をしています。そのことは前にこの日記にも書きましたし、もう一つ、臓器提供意思表示カードも持っています。
それに加えて今度は、骨髄バンクにドナー登録することにしました。
臓器提供意思表示カード(表) 臓器提供意思表示カード(裏) 骨髄バンクドナーカード(表)
臓器提供意思表示カード(表)臓器提供意思表示カード(裏)骨髄バンクドナーカード(表)
骨髄バンクでもらった資料によると、1991年に骨髄移植推進財団が発足して以来、啓発活動の甲斐あって、骨髄バンクにドナー登録している人は全国で十数万人になったそうですが、それにもかかわらず再生不良性貧血や骨髄性白血病といった、骨髄移植以外に有効な治療法のない難病によって骨髄移植を待っている患者は全国に数千人いるのに、骨髄バンクが仲介して実施される非血縁者間骨髄移植は年間数百例しかなく、適合するドナーを得られずに亡くなる患者は少なくないそうです。
そういう現状があるのであれば、今、献血や骨髄提供ができるだけの健康に恵まれている一人の人間として、提供者に名乗りを上げることは、一種の社会的責務であると思っています。
さらに広く思いを致す必要があることは。日本で難病に罹った人は、骨髄移植のような高度医療を受ける機会を得られるのに対し、貧困に苦しむ発展途上国には、骨髄移植どころか1本の予防接種が受けられないために、今の日本ではそれが命取りになるとは考えられないような病気に罹って命を落とす人が無数にいるということです。
ご存じですか。WHO(世界保健機構)が天然痘に続く根絶対象にしている病気であるポリオが、まだ発展途上国では猛威を振るっていることを。世界の大半が(アメリカ合衆国も含まれます)狂犬病の流行地であり、発展途上国では毎年万単位の死者が出ていることを。最近話題になっているハンセン氏病が、発展途上国では今も新規発病者が後を絶たないことを。
治療法のない難病のため、治療法はあってもそれを受けられない貧困のため、生きたくても生きられなかった無数の命が消えていくことを思うと、こんな言葉が口をついて出ることを抑えられなくなる時があります。
「それでも殺人犯の命が尊重されなければならないのか?」
という言葉が。

6月23日(土)
今日6月23日は、沖縄慰霊の日です。太平洋戦争末期、昭和20年3月下旬に連合軍が沖縄諸島に侵攻して始まった沖縄の戦闘は、6月23日に日本軍基幹(陸軍第32軍)の組織的戦闘が終結したことによって終わりました(散発的な戦闘、あるいは沖縄本島以外の島での軍事行動はもっと後まで続き、沖縄諸島を占領した連合軍が戦闘状態終結を宣言したのは同年9月8日になります)。
本土では毎年8月になるとマスコミが特集を組んだりして太平洋戦争を思い出させる風習がありますが、沖縄では沖縄戦末期に当たる今の季節が太平洋戦争を振り返る季節になっているようで、地方紙「琉球新報」「沖縄タイムス」のどちらも今日行われる戦没者追悼式を1面に載せています。
私は今から5年前の1996年6月に、組合の行事で沖縄へ行ったことがあります。その時の見聞録は、今となっては内容が古い部分もあるかもしれませんが、いつか新しいコンテンツとして皆さんにお見せできれば、と思っています。
ただ私は、その頃から「素直でない」組合員だったせいで、組合行事での沖縄戦の取り上げ方にかなり批判的な考えを抱いていましたから、その時に感じたことをそのまま公開すると、読む人によっては不快感を覚えるかもしれません。

6月22日(金)
ゲームショップへ行った折、少し前にお知り合いの方がプレイして気に入ったという、「みずいろ」というゲームソフトを手に取ってみることができました。
「『普通』の学園モノ」というのがキャッチフレーズになっていますが、パッケージをよく見ると「現実世界の普通では無く、あくまでも『ギャルゲー世界』においての普通です」と書いてあります。
現実世界と言ったって、この地球上の「世界」には、陪審制とブロードバンドと生活習慣病が「普通」に行き渡っている国があるかと思えば、軍部独裁と焼き畑農業と飢饉が「普通」である国があるくらいですから、ギャルゲー世界だって多種多様でしょう。その中の、どの世界に立脚してゲームを制作しているかによって、「普通」の定義はいくらでも変わってくるはずです。
まあ、学園モノというジャンルが立脚している世界は、現在の日本において主に高校生(*)が体験する現実世界からの乖離が、比較的少ない場合が多いと思います。
それに対して現実世界との乖離が激しいのは、いわゆるファンタジー世界でしょうか。「ファンタジー世界の『普通』」という題で私が真っ先に感じるのは、ファンタジー世界において「魔法」の存在が「普通」であることより前に、「暴力の無制限な行使の正当化」が「普通」であることです。
これに疑問を呈し始めたらファンタジー世界が成立しなくなってしまう、という理由でこの疑問への回答を回避する人がいるとしたら、もう少し穏当な疑問を呈することにしましょう。
なぜ「普通のファンタジーゲーム」では、人外の雑魚キャラが人間世界で広範囲に通用するコインを持っているのですか?
中世のヨーロッパでは貨幣制度が非常に乱れると同時に衰退していて、隣の国へ行ったら持っているコインが通用する保障は全然ありませんでした。そしてまた、同時代の東アジアに比べても遙かに、庶民は貨幣経済とは縁が薄かったのです。
人間ですらそうなのですから、プレイヤーキャラが通行人を襲ったとしても、コインが手に入る可能性はあまりないはずです。
それなのに野獣や巨大化した昆虫を襲うと、どこへ行っても通用するコイン(それもなぜか決まって金貨)が手に入る。これがファンタジー世界での「普通」であることの、私なりに納得のいく説明には、お目にかかったことがありません。
(*)年齢層はタイトルによって異なり、プレイヤーキャラについては下は「トゥルー・ラブストーリー3」の中学生、上は「WHITE ALBUM」や「こみっくパーティー」の大学生。ゲーム中に登場する主なキャラクターについては、下は「シスター・プリンセス」には小学生にしか見えないのがいますし、上は20代の教師が登場するゲームは枚挙に暇がありません。

6月21日(木)
突然ですが皆さんの中に、毎日三度のご飯に麦飯を食べている方はいるでしょうか?
私は4月から三食自炊することになったのを機に、飯を炊く時は全て麦飯にしています。
国民が米を食べる量が減って米が余ってしまい、食糧庁が「もっと米を食べましょう」と言う時代に、わざわざ米を減らして麦飯を食べるというのは、もしかすると国策に反する行為と見なされてしまうかもしれません。
しかし私が麦飯を始めたのは、単なる珍し物好きではなく、まして国策に反するのが目的ではありません。一番の目的は、食生活改善の一環として食物繊維の摂取量を増やすことです。
ここ10年くらいでしょうか、整腸作用を始めとする食物繊維の効能が盛んに宣伝されるようになったのは。スーパーで売っている麦の袋に書いてある宣伝文句によれば、麦飯に入れる大麦は100gあたりの食物繊維含有量が野菜や芋類よりもずっと多く、食物繊維の供給源としては非常に優れているそうです。
しかも有難いことに、麦は米よりも安く、食費の節約にもなります。近所のスーパーでは押麦(精白した大麦を圧扁した、一番昔からある麦)を1kg298円で売っていますが、米は5kgで、一番安い備蓄米が1490円、指定標準米が1680円。新潟県産の銘柄米だと2000〜5000円もします。
ですから白米だけの飯を食べて、食物繊維の補給と称して何とかドリンクを飲むのに比べたら、麦飯を食べる方がずっと合理的です。
私がかねてから実家の両親(新潟県生まれ62歳)に麦飯の効用を宣伝していたのが効いて、麦飯を食べ始めたという手紙が来ましたが、やはり予想通り、「色はさすがに薄黒く、白米に慣れた目にはまずそうに見える」「まっ白な粘り気のあるご飯が、麦を加えると、黄色っぽい、ぽそぽそのご飯になるのが勿体ないような気がする」といった感想を持ったようでした。
それに対して私はどうかと言えば、先日うっかり麦を切らしてしまったので仕方なく白米だけの飯を炊いて食べましたが、まず
「見た目が真っ白で、いかにも栄養が乏しそう」ですし
「柔らかくて歯ごたえがなく、口の中で粘つく」のがたまりません。よほど、一晩ジャーに入れておいて、乾いて茶色くなってから食べようかと思ったくらいです。
私だって、生まれてからずっと麦飯だけを食べてきたわけではなく、引っ越す前に賄い付きの独身寮にいた頃は三食とも白米だけの飯を食べていたのです。それが麦飯に変えて3ヶ月経たないうちに、こういう感じ方をするようになったのですから、人間の習慣の中でも保守的とされる食習慣だって、けっこう簡単に変えることができ、新しい習慣に慣れることができる、という証拠になると思います。
夜、思い立ってインターネットで「麦飯」を検索してみると、ずいぶんたくさんのページがヒットしました。しかしよく見るとその大半は「麦飯石」という、粉にして風呂に入れると美肌に効くとか水道水に入れておくとミネラルウォーターができるとかいう石を宣伝しているページです。これは今は本題ではありません。
目的とする「大麦を入れて炊いた飯」のページも、それなりの数見つかりました。最近は和食料理店などで、麦飯を出しているところが増えてきたようです。
年輩の人が書いていると推察されるページでは、「子供の頃、麦飯の弁当を学校に持っていくのが恥ずかしかった(他の子供は白米だけの飯を弁当に持っていったから)」といった文章が目立ちました。
どうも両親くらいより上の世代には、銀シャリ(白米だけで炊いた飯のこと──あるページでは「もしかすると30歳代以下の人は言葉そのものを知らないかもしれませんね」と注釈してありました。齢31歳にして「銀シャリ」「代用食」「貧乏人は麦を食え」といった言葉を駆使する私の精神年齢は何歳なのでしょう?)に特別な思い入れがあるようです。というより、白米が贅沢品で、それだけを食べることができるというのが、一種のステータスシンボルだった時代があったので、豊かさへの憧憬が銀シャリへの羨望と重なっていたのでしょうか。本当に終戦直後を知る人が新聞に投稿した文章には、
「終戦後、私が子供だったころの食事は、雑炊やふかし芋などが主でした。お米より麦が多くても「ご飯」が食べられるようになったのは、世の中が少し落ち着いてからのことです。(中略)
時は移り、あの当時の食糧難を体験した人より、知らない人たちの方がずっと多くなりました。「飽食の時代」と言われて久しいですが、世界には今なお、私たちの子供のころのように、飢えている人たちが大勢いると報じられています。」
とありました。黙さずにはいられません。
反対に若い人が書いたらしいページでは、
「生まれたときから白米食べてる私にとっては、白米よりも色がついていて、しかも具まで入っている炊き込みご飯の方とか混ぜご飯の方が高級感があったりする。(中略)
炊き込みご飯よりもさらに高級さを感じるのが、玄米とか胚芽米とか七部付き米(ママ)とか麦ご飯。(中略)なにせ元から色付きなんだもん。天然の色付きご飯だよ。物心ついた時から白い米しか見ていなかった私には、なんだかとっても珍しいもののように思えてしまったのでした。口当たりも違うし。(中略)
特に好きなのが麦飯。あの平べったい実の真中に茶色い線がスーっと入っているのが芸術的で。何年か前からどこぞの企業が気をきかせて、普通の米と同じ形に削った物が売られているらしいが、あんなのは麦飯だなんて認めないぞ私は!(中略)
でも、いくら好きだからと言っても毎日食べていたらさすがに飽きるけど。たま〜に食べるから非日常的で特別な感じがするんだよね。」
と、このような文章がありました。きっとこの人は、砂糖や醤油で味付けしていない、米よりサツマイモやカボチャの方が多い、終戦直後の炊き込みご飯は知らないのでしょうな。それから最後のパラグラフも、3ヶ月近く毎日麦飯を食べている私から見れば、サッカリンを許容量の10倍入れた砂糖漬みたいに甘いですが。
でも「普通の米と同じ形に削った物」すなわち「米粒麦」は、スーパーで見かけますが、なぜそんな物を作るのか私もどうしても理解できず、もちろん買ったことはありません。押麦に比べて、胚芽を捨ててしまっている分だけきっと栄養的に劣るはずだし、それに1kg318円で押麦より高いので(あんたの判断基準はそれかいっ!>自分)
いろいろ見ていくうちに、学校給食の献立を紹介するページがいくつかありました。ある学校では1月の給食16回のうち、米飯4回・麦飯3回・ロールパン8回・サンドイッチ1回・うどん1回、また別の学校では4月の給食13回のうち、米飯6回・麦飯2回・パン2回・中華麺2回・うどん1回でした。後者の学校で、粘りの少ない麦飯で手巻き寿司をするというのは難しそうな気がしますが、こうやって子供の頃から麦飯に慣れ親しんでいけば、麦飯が、戦後永らく引きずってきたような偏見をもって見られることもなくなるでしょう。もっとも写真を見た感じでは、麦飯と米飯がほとんど同じ色をしていましたから、麦の配合比は私が食べている麦飯より低いと思われますが。
(私は1日分の主食として、米1合半と麦5勺、つまり麦25%配合の麦飯を食べています。麦の袋には、「初めての方は1割配合の麦飯から始めて下さい」と書いてありましたが、最初から25%配合の麦飯を食べても特に何ともありませんでした)
最後に深く考え込んだのは、明治時代の軍隊で起こった出来事を取り上げたページでした。明治前半の軍隊では白米を兵士の食糧に給与していたために脚気が多発していましたが、海軍では現場の経験をもとに麦飯に切り替えた結果脚気の発生が後を絶ったのに対し、白米飯に固執した陸軍では、日清戦争に際して直接の戦死者より脚気による病死者の方が遙かに多く、日露戦争でも病死者の大半は脚気が原因だったということです。玄米飯や麦飯がビタミンB1に富み、脚気の予防に卓効があることがわかったのはもっと後ですが、もし陸軍が麦飯を採用しなかった根底に陸軍と海軍の対抗意識があったのだとしたら、陸軍で戦争遂行に支障をきたすほど脚気が流行したのは、人災であったと言わねばならないでしょう。
今、日本人が最も多量に摂っている大麦由来の食品は、たぶんビールではないでしょうか。これにどんな効能が(アルコール以外に)あるかちょっとわかりませんが、食物繊維(セルロース)は醗酵の過程で分解されるか澱として除かれてしまうでしょうから、ビールを飲んでも食物繊維は摂れないと思います。
私自身について言えば、ビールという形で口に入れている大麦は少ない方だと思います。それというのも、麦芽使用率が低くてビールより税率の低い発泡酒ばかり飲んでいますから(笑)
(6月22日アップ)

6月19日(火)〜20日(水)
リクエストを受けた2枚のCGの制作が終わると、今度は5号館に収める雑文の打鍵にかかります。
今度の雑文は、「麗子となりぽしの部屋」のコンテンツの一つ、「なりぽし物理学研究所」に昨年公開された、量子力学についての文章から思いついたものです。
今の私が量子力学の根本的なところを充分理解しているか、と尋ねられると、高校1年で物理をほぼ捨てて、センター試験と二次試験を化学・生物で受けられる大学を探し始めたくらいの私ですから、大学の一般教養で量子力学の講義を聴いた時も「不可」を免れるのが精一杯、とても理解していたとは言えないのですが、その量子力学と古典力学についての生半可な知識を近代ヨーロッパの自然観に牽強付会し、さらにこれは好奇心で百科事典を眺めてみた程度に過ぎない錬金術(もう一つの資料はファンタジーゲームの本に数ページだけ載っていた「錬金術師」の記述)にまで話を広げていこうとしているのですから、要するにディレッタントです。
量子力学と自然観については、先週末に「麗子となりぽしの部屋」のチャットルームで「なりぽし物理学研究所」の文章が話題になった時に発言しようと思ったことですが、居合わせた人たちに理解してもらえる説明ができる自信がなかったので、その時は発言しませんでした。それから数日間、頭の中で文章化しキーボードで打って、なんとか理解してもらえる文章にしようとしてきましたが、どこまで理解可能な文章になったかはわかりません。
「また800のペダンチズムが始まった」と思われているでしょうか。
(6月20日アップ)

6月18日(月)
週末ずっと制作に取り組んでいた、じんとにっくさんからリクエストを受けたCGは、あまりごちゃごちゃと背景を描き込まないことにして完成としました。
「ToHeartのキャラ」を描くと言いつつ、昨日の項でイルカに言及した段階で、勘のいい方はもう題材に気づいていたかもしれないと思います。
姫川琴音というキャラ、あるいは今回制作したCGの題材については、CGのコメントに書いたのでここでは繰り返しません。
K・I・S・S(オスカー) ですが制作の参考にした写真というのは、どういう写真かというと、右の写真がその1枚です。
5月に上京した時に行った鴨川シーワールドへ、もっと前に行った時に撮ってもらったもので、相手は当時11歳のオスカー(牡)、この時の体長が5メートル、体重は2トンです。まあ、人間と大きさを比べてみてください。
さすがにこれをこのまま使ったのでは、普通に言う「イルカ」の絵になりませんし、威圧感がありすぎて琴音のキャラクターだと怯えてしまいそうなので、どこの水族館にもいるバンドウイルカ(成長すると体長3メートル、体重300kgくらい)にして描きました。
6月17日(日)
午後2時に起きて、近所の図書館へ資料収集に行きましたが、どうも使えそうな資料が見つかりません。
それというのは、「イルカの眼のアップ」です。この前行った鴨川シーワールドに限らず、水族館へ行ってイルカの顔を間近に見る機会は多かったはずなのですが、眼の構造──鞏膜と角膜の色、瞬膜はどれくらい発達しているか、虹彩の色、水晶体の色と見え具合──を詳細に再現できるほどの写真は撮っていませんし、手許にある鯨類の本に載っている写真は残念ながら白黒印刷です。
まあ動物の眼などというようなものは、あまりリアルに描くと、CGのメインである人間の眼とのギャップが際立ってしまいますから、少しくらい漫画チックに描いた方がいいのかもしれません。

私にとって日曜の夜8時というとNHKの大河ドラマを観る時間なのですが、今年の「北条時宗」を観ていて感じることは、和泉元彌さん演じる主役の北条時宗が、歴史上実在した時宗に比べて綺麗すぎるのではないか、ということです。
鎌倉幕府という政治体制が確立して約70年、政治機構が安定から弛緩と形骸化に向かい始める頃(それを象徴するのが、江戸幕府では曲がりなりにも最後までそれなりに実権を持っていた征夷大将軍が、鎌倉幕府ではこの頃もう実権のない飾り物になり果て、一御家人の家督相続者に過ぎない北条家得宗が、幕府の公的な役職である執権を凌ぐ実権を持つようになっていることです)に政治の中枢にいる第7代執権であれば、朝廷や幕府内や分家や他の御家人に対して、相当ダーティーな権謀術数を弄しているはずで、そのために時宗の手は相当血に汚れていて然るべき、それくらいの人物でなければこの時代に政治なんかできるはずがありません。実際このドラマでも、第6代(*)執権時頼は、最明寺1つでチャラにされては浮かばれない人が大勢いそうなくらい、手を血に染めた人物として描かれていました。
どうも歴史ドラマでは、主役にダーティーな役回りを演じさせまいとする配慮が働いているような気がします。なかんずく今回の場合、主役の和泉さんは狂言界の御曹司、テレビドラマの業界から見れば「イメージを大切にしなければいけないお客様」だからかもしれません。
正史ではもうすぐ、時宗が名越教時(評定の席ですぐ時宗に絡むあの人)を陰謀の疑いで討滅し、それに関わった嫌疑を掛けて、六波羅探題になっている兄時輔を討つという事件が起こります。モンゴル襲来前の、ドラマ前半最大の山場ですが、それをどう描くか。今までの経験からすると、安達泰盛が言い出して北条実時がゴーサインを出し、渋る時宗を北条政村が半分恫喝して、討伐を命じさせるのではないか。時宗の発案とはしないでしょう、きっと。

今夜の更新は、じんとにっくさんからリクエストを受けたCGの公開です──とは、残念ながらなりません。
もう8割方仕上がっているのですが、背景が未完成なので……。
それで今夜の更新は、「同級生FanPage」の移転にともなうリンクページの修正です。
私が初めて掲示板に書き込みし、初めてCGを寄贈し、初めてチャットをしたゲーム系サイトである同級生FanPageは、私にとってはネット上の故郷と呼んでもいいサイトですが、昨年4月に移転してリニューアルされるはずでした。
ところがその後、管理者の永井勇さんの都合でしょうか、移転はしたのにリニューアルが遅々として進まないまま1年以上も経ちました。
老舗の同級生2ファンサイトとして有名であった同級生FanPage、永井勇さんも社会人ですからきっと多忙のことと思いますが、それでもやはり、一日も早いリニューアルを心待ちにしてしまいます。
(*)これは私の勘違いで、時宗の父である最明寺入道時頼は幕府第4代執権でした。時頼が執権を辞した時、嫡男時宗が幼少だったため、第5代長時、第6代政村と傍流から短期間の執権が出て、時宗は成人を待って第7代執権に就任しました。
(註のみ10月19日アップ)

6月16日(土)
午後3時に起きて、リクエストCGの制作に取りかかります。
今度のCGも、ゼロから描き始めるとなると私の能力の範囲を超えているので、ゲーム(Windows版「ToHeart」)の画面を第一の参考資料、それから私が各地に旅行した時に撮ってきた写真の山を第二の参考資料にして描くことにします。もう少し正直に言うと、アルバムに貼ってある写真の中から、リクエストを受けたキャラクターのイメージにふさわしいシチュエーションを探し出して、写真の画面にキャラクターを当てはめて描く、というようなやり方です。
午前0時前には原画が仕上がったので、スキャナで取り込んでPhotoshopを起動し、色鉛筆をタブレットのペンに持ち替えて作業を続行する番です。
ところがネットに接続してチャットルームを覗いてみると、3ヶ所でお知り合いの人たちがチャット中です。
CG制作の作業をしながら3ヶ所同時チャットというのは、パソコンのリソースの制約で無理ですし、私の頭もそこまでのマルチタスクはできません。
そこでCGの作業は一時中断とし、チャットに専念します。
午前1時半頃、3ヶ所のチャットルームのうち1ヶ所は散会、もう1ヶ所も私が加われない話題になったので抜けることにします。そして残る1ヶ所のチャットルームにログインしながら、Photoshopを起動してCGの作業を再開します。
午前2時過ぎにはそこも散会になりましたが、チャットルームに一人残ったまま作業を続けていると、午前3時を過ぎてからお知り合いの方が来ました。
この方はCG画家で、じんとにっくさんともお知り合いの方なので、今制作しているCGの話などをしながら作業を進め、午前5時までチャットしました。
ネットから切断した後もなお作業を続けますが、さすがに眠くなってきたのと、たまたま手許に使えそうな資料がない物を描く必要に迫られてきたので、昼になったら図書館へ資料収集に行くことにして、午前7時に寝ます。
(6月17日アップ)

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