2000年12月後半の日記
←2001年1月前半の日記へ   ↑2000年の日記へ   12月前半の日記へ→

12月31日(日)
今日の関東地方は、この季節には珍しい雨です。冬コミの間は晴れていたので、「コミケは晴れる」という伝承はまだ絶えてはいなかったようです。
実家の大掃除をしていたら、昔コミケに参加した時のカタログが出てきました。第43回(1992年冬)と第44回(1993年夏)です。初めて参加した第43回コミケで買った物が「卒業」のデータ書き換えツールだったというのが業の深さを物語っている気がしますが、この頃のカタログを見ると、コンピュータ・ゲーム系サークルの様変わりに今昔の感を新たにします。
まず「ゲーム」といって真っ先に出てくるのがコンピュータゲームではなくて、「モンスターメーカー」「蓬莱学園」といったテーブルトークRPGです。1992年というと「同級生」が発売された年で、エルフの「ドラゴンナイト」やアリスソフトの「ランス」といった18禁ギャルゲーの古典がゲーム市場に地歩を築き始めていた頃だと思いますが、その頃これらのゲームの二次創作を出そうとする人はまだ少なかったのでしょうか。
ですから今のコミケでは「同人ソフト」に分類されている「コンピュータ」には、オリジナルCG集や自作ゲームが多く、二次創作は少なかったようです。
コンピュータのハードウェアにしてからが、PC9801・X68000・MSX2といった、今では時の彼方に消え去ったようなマシンばかりです。この頃はまだMS-DOS5.0が出たばかりで、Windows3.0すら普及していなかった時代だったと思います。
それにしても一昨日昨日と2日間開催された59回冬コミのカタログの厚さが、3日間開催された44回夏コミのそれの5割増しというのが、巨大化を続けるコミケの姿を映し出していると思います。19日の項に書いたように、これだけ大規模化してもまだ、参加を希望する全てのサークルが参加できるわけではないということが、日本の同人誌文化の広がりを示していると思うのですが、そこで考え込むことがあります。
あらゆるジャンルの同人誌を扱う即売会を、コミケという一極集中の形で開催することは、この辺りがもう物理的限界なのではないでしょうか。
参加を申し込んだサークルの半分以上が参加できないという現状は、決して是認されるべきではないと思います。しかし仮に東京ビッグサイトの2倍以上の床面積を持つ施設があって、参加を申し込んだ全サークルを収容して2日ないし3日間コミケを開催できたとしても、今の会場の2倍以上の広さに配置された2万以上のサークルというのは、一人の人間が一日で、自分の身体で見て買って回れる限界を完全に超えています。今の広さでも、今回の私の場合、会場の半分以上には足を向けることもありませんでした。
あるいは今の会場で一週間にわたって開催する方が、もう少し現実的かもしれません。お盆休みと年末年始の首都圏になら、そのくらいの宿泊者収容力はあるでしょう。しかし今の規模で一週間連続開催となったら、交代要員を充分すぎるほど確保しておかない限り、準備会のスタッフは死にます。
遠方から上京してきた参加者には、東京の高い宿泊代を浮かそうとして会場周辺や都内各地で野宿する不心得者が激増するでしょう。今でも準備会・東京ビッグサイト・地元警察署が徹夜行列者に頭を痛めているのに、会場周辺に一週間連泊者が屯すスラム街が出現したら、治安・風紀・衛生の悪化は想像したくないものがあります。
インターネットの普及によって、やがて同人誌もインターネット通販が普通になるという見方もあります。そうなってほしいと私も思いますが、ここ数年の状況はインターネットの普及によって同人誌即売会が寂れるどころか、インターネットの普及によって同人誌世界の裾野が広がった分、同人誌即売会への参加がむしろ増えているような気がします。
インターネットがもっと普及し、単なる物品の売買だけならオンラインで全て済ませられるようになったとしても、オフラインで生身の人間同士が顔を合わせることを格別のこととして尊重する人がいる限り、対面販売を基本とする即売会はなくならないでしょう。人間が物々交換を始めてから幾千年幾万年の間に形作られた人間の本性は、そう簡単には変わらないと思います。

西暦2000年、20世紀最後の年のそのまた最後の日ということで、新聞では「100年前の人が予想した『100年後の世界』」というような記事が目立ちます。
その一つに未来の衣服を「婦人の服に袴が多く用いられ、さらには和、洋、中国、韓国の粋を集めたものになる」と予想したものがある、という記事がありました。この予想自体は、それほど外れてはいないと思いますが、それに続く記事が問題です。

「明治の世の人が現代人の姿を見たら、同じような感覚に襲われるのだろうか。一種、異国の人を見るような、無国籍感覚だ。
 東京都江東区有明三丁目の東京ビッグサイトでは三十日、マンガ同人誌の祭典『コミックマーケット』が開かれた。屋上には、テレビ画面から飛び出したような姿の若者たち。仮装行列ではなく『コスプレ』という。実用性皆無の服装をした『コスプレイヤー』の数は、この日だけで約七千人という。
 マンガの登場人物の姿を再現する。光沢のある布地に、派手な色使い。少女漫画のヒロインにふんした(一部省略)は『カワイイ。着たいけれど、普段は誤解されそうで着られないものが、ここでは着られる』。」
(2000年12月31日付朝日新聞30面。太字は筆者)

日常生活で着用される衣類がどう変わったか、という記事のはずなのに、非日常のイベントであるコミケのコスプレを取り上げているかと思えば、しかもそれが公序良俗に反する奇怪な行為であるかのように書いている。これが進歩的知識人が読むとされている新聞の記事です。
朝日新聞の政治的姿勢についてはここでは触れませんが、コスプレに対する誤解を煽っているのはこうしたマスコミではないのか、と思います。

日付が変わって最初にすることは、年賀メールの送信です。当サイトを開設してからオンラインでのお知り合いの方が増えて、年賀メールの宛先は20人ほどにもなりました。それだけの年賀メールと一緒に差し上げるCGを、贈り先に合わせて1枚ずつ制作するなどということは、12月いっぱい休職でもしない限り無理なのでしませんが、メールの本文も1通だけ書いてBccでお贈りしたのは、出先で他人のパソコン(しかも多分テレホーダイを契約していない)を借りて送信したからとは言え、暑中見舞を出した時の自分はどこへ行ったのかと思います。
メールすらそうなので、長時間パソコンを占拠して巡回カキコをするのは止めておきました。
(2001年1月5日アップ)

12月30日(土)
「有明冬の陣」こと冬コミ2連戦は、女性向きジャンルが中心の昨日は会場の下見、ギャルゲー系を初めとする男性向けジャンルが中心の今日を本番と位置づけていました。
そうは言っても私の場合、実家から始発で有明へ行って日の出前から入場待ち行列に並ぶ必要があるほどの人気サークル、別の言い方をすれば入場後にサークルのブースに行列する必要がある、いわゆる壁サークルや出入口サークルの同人誌を買う予定はなかったので、実家を8時前に出て、東京駅から臨時バスに乗ってコミケ会場に着いたのは9時40分でした。
あまり早くから行って何時間も行列したくなかったし、それに親兄弟にはギャルゲーマーであることをカミングアウトせず堅気の衆を装っている私としては、10時開場のイベントに入場するために始発で出発することを説明する煩わしさを避けたかったのも、遅く出発した理由のうちです。
それで昨日と同じくらいの列に並んで、入場も昨日と同じ11時でした。入場待ち行列の長さは昨日と同じくらいでしたが、列に並んでいる参加者の男女比は男:女=6:4くらいだったと思います。
夏コミの時は、「S-FACTORY」以外はエルフ系サークルだけを回っていたと言っても良かったのですが、今回はエルフ系の他、アリスソフト系のうちアトラク=ナクア系、ToHeart系のうち保科智子系、F&C系のうちWith You系といったサークルも回ってみました。
今どのメーカーのどのゲーム、さらにはどのキャラにどれだけ人気があるか、それを最も如実に表すのがコミケに参加するサークルの数である、というのはあながち過言ではないでしょう。ギャルゲー系でサークル数の多いゲームタイトルは、Kanon・ONE・ToHeart・痕・こみっくパーティーです。冬コミでは、AIRも増えました。
ToHeart系をもっとよく見ると、マルチが最も多いのは予想通りですが、意外なのはセリオと来栖川綾香の多さです。
パソコン版ではセリオは「感情のないロボット」としてマルチの引き立て役にしか見えず、綾香は松原葵シナリオのサブキャラに過ぎなかったのですが、PlayStation版ではファンの勢力分布を大きく塗り替えるほどの追加シナリオがあったのでしょうか。
リフレインブルー以来純粋な新作のないエルフと違って、アリスソフトは毎年新作を出していますが、それにもかかわらずアリスソフト系ではデアボリカとアトラク=ナクアが勢力を二分していました。どちらもやや古いゲームですし、アトラク=ナクアは今回の冬コミ参加申し込みの時点では、もしかするとリニューアル版が出ていなくて入手至難だったかもしれないと思うのですが、それでも同人誌を出すサークルがこれだけあるということで、根強いファンがいるゲームであることを再確認しました。
それに対してF&C系はPiaキャロットが多く、ロマンスは剣の輝き・Naturalもありましたが、With Youはごくわずかでした。
夏コミに続いて今回も「いいんちょ普及委員会」の顔見せオフ会があると、委員会のサイトで情報を仕込んであったので、まず入場早々に委員会のブースへ行って(正確に言うと委員会は抽選に漏れたので、委員会の古参会員の方が加わっている別のサークルに委託販売の形を取っていました)オフ会の集合場所を聞きます。そして一通りサークルを見て回ってから、指定された集合場所へ行ってみましたが、それらしい目印もなければ委員会名札を着けた人もいません。後でもう一度行ってみましたが、やはり誰もいませんでした。
この日もコスプレ広場に行ってみました。コスプレになるとプレイヤーも撮影者も男性の比率が高くなるようで、昨日よりさらに混雑していました。
中でもToHeartのコスプレイヤーが9人集まったのは壮観で、しかも神岸あかり・長岡志保・保科智子・来栖川芹香・松原葵・雛山理緒まで同定できましたが、宮内レミィ・姫川琴音・マルチは同定できませんでした。その一方で、別の場所でマルチに扮した男性コスプレイヤーを見て、かなり引いたのも事実です。後で知ったことですが、初日に保科智子に扮した男性がいたことが委員会のオフ会で話題になっていたようでした。
コスプレの場でも、男性の女装は見苦しいとか公序良俗に反するとか悪評のほうが多いようですが、個人の主観にかかわる領域での規制は極力行わないのが主催者側の基本方針のようですし、それにもし男性の女装を禁止するなら、女性の男装も禁止しなければ不公平の謗りを免れないでしょう。
この日は午後4時の閉会まで会場にいて、臨時バスで浜松町へ出ました。
2日間のコミケ参加で買った物の総額が約14000円。これは2日連続のコミケ参加者としては多い方なのか少ない方なのか、どちらでしょうか。リュックサック一杯の同人誌を、どうやって親兄弟の目から隠しおおせるかを考えながら、実家に向かいました。
(2001年1月5日アップ)

12月29日(金)
午後11時(28日の)に目が覚めたので、すぐに起きてCGの制作を再開します。
この文章をお読みになる方はもうそのCGをご覧になっているはずですが、今回は時間の余裕がないので絵は人物だけ、背景は無地にしました。
そしてCGを完成させたのは午前3時。1月1日に帰省先から年賀メールに乗せて送信できるように、完成したCGとメールアドレスのリストをフロッピーディスクに落としておきます。
そしてすぐに出発の支度を始め、20世紀最後の「有明冬の陣」に参戦すべく、一番列車に乗るために自宅を出たのは、午前4時50分でした。
上野で上越新幹線を降り、夏コミの時と同じく新橋からゆりかもめに乗って、会場の東京ビッグサイトに着いたのは午前10時でした。夏コミ3日目と同じく、この時間帯は入場待ち行列が最も長くなる頃です。駐車場を埋め尽くす入場待ち行列に並んだ頃、先頭は入場を始めていたはずですが、私が並んだ列が動き出したのは11時でした。
新潟県と違って雪が積もってはいず、この日の東京は晴れていたとは云え、12月の寒空の下、吹きさらしの駐車場にじっと座り込んで入場を待つのは、コミケ初心者には耐え難いかもしれません。今回から行列開始時刻が早くなって午前4時半になったようですが、夜明け前のそんな時間から何時間も座り込む参加者たちは、堅気の衆の目にはどのように映っているのでしょうか。
所在なさに周りを見回すと、行列に並んでいる参加者の男女比は、男:女=1:9でした。冬コミは2日間にわたって開催されますが、初日はゲーム・漫画ファンクラブ・アニメなど主に女性向きの同人誌を作っているサークルが出ています。ゲーム・漫画・アニメといった趣味を持つ人は、圧倒的に男性が多いと思われているかもしれませんが──当サイトをご覧になっている方にも、おそらく男性のほうが多いと思いますが──コミケに参加しているサークルや一般参加の人は、総体として見れば女性のほうが多いということが、今回の2連戦でよくわかりました。
そういうわけで冬コミ初日の今日は、私が目当てにしているギャルゲー系のサークルは出ていないのですが、ビッグサイト西地区4階に委託販売コーナーというのが設けられていて、委託販売は2日間入れ替えなしで同人誌を売っているとカタログに書いてあったので(つまり男性向き同人誌も今日から置いているし、場合によっては今日で売り切れてしまう)、入場するとすぐ委託販売コーナーのカタログを買って、西地区4階へ向かいます。
するとその手前にコスプレ広場が設けられています。そこで物は試しと入ってみると、これがコスプレイヤーと撮影目的の参加者でごった返していました。
コスプレで取り上げられるキャラクターは流行を敏感に反映しているようで、緑のセーラー服(ときメモ2)典型的なメイド服(ゲームタイトルまでは判別不能でした)金色の鈴がついた帽子(たくさん見かけたのですがゲームタイトルを知りません。ご教示下さい)サイコロのついた帽子(同)といったコスチュームが目につきましたが、黄色と赤のチェックのスカート(他ならぬ「同級生2」)は、1時間くらい歩き回っていてたった2人しか見つけられませんでした。
しかしコミケカタログや、コスプレ広場入場者に渡されるパンフレットを読むと、どうもコミケではコスプレイヤーと撮影者の間でトラブルが絶えないようです。主催者側としては、コスプレという形を取った参加者の表現活動に対してはなるべく規制を加えたくないものの、本来「コミケは同人誌即売会であってコスプレ撮影会ではない」という大義名分があることでもあり、あまりにトラブルが絶えないようだと「コスプレの禁止」あるいは「撮影の禁止」を検討せざるを得ないと、心底弱り切っているようでした。
あまり詳しくは知らないのですが、コスプレは目立つせいか、マスコミがコミケを取り上げる際にはコスプレばかりを興味本位に取り上げているようで、コスプレのせいでコミケの本質が歪められて一般社会に伝えられているとすると、コスプレはコミケの華と言うよりは「あだ花」となりつつあるのかもしれません。
それからこれはカタログの受け売りになりますが、現在のコミケではいわゆるナチスのコスプレを禁止してはいません。しかし多くの国では、ナチスの制服・勲章・徽章の着用、あるいはナチス式敬礼は公の場では禁止されているそうです。あるいは旧日本軍の軍服は、東アジア諸国の人にはどのような感情を惹き起こすでしょうか。もしコミケの映像が海外で放送された時、何が起こるか、そこまで考えてほしい、という趣旨のことがカタログに書いてありました。
コスプレ広場を抜けて委託販売コーナーに入ると、ここは2日間にわたる全てのジャンルがそれほど広くないスペースに集められているので、いろいろなジャンルの同人誌を一望に見渡すことができます。コミケ全体としてみるとギャルゲー系同人誌というのは決して多数派ではないというのは、ここでもギャルゲー系同人誌はテーブル1つ程度しかなかったことが示していました。私がこの日ここで買ったのも、王朝物の創作小説と、ヒットソングのコミケ風替え歌集(笑)でした。
その近くの一角に、海外の同人誌を展示していたのは驚きでした。コミケで売っている日本の同人誌そっくりの作りで、ページを開くと吹き出しが簡体字やハングルで書いてあるという。日本の同人誌の影響を強く受けた同人誌を作っているのは、海外といっても中国・台湾・韓国といったあたりが多いようです。
コミケは午後4時で終了ですが、4時を過ぎてからだと有明からJRの駅へ行くまでが大変なのは夏コミの時にわかったので、3時過ぎに会場を後にしてゆりかもめの駅に向かいます。ところがこの頃からもう会場脱出ラッシュが始まっていて、駅では乗車規制していました。
新橋からJRに乗って、実家に着いたのは6時でした。
(2001年1月4日アップ)

12月28日(木)
昨日から新潟県では雪が降っています。雪国といわれる新潟県でも、平場で12月中から雪が積もることは、ここ数年では珍しくなっています。これもやはり、地球温暖化の影響なのでしょうか。

民間のサービス業に限らず、官庁でも郵便局のように、31日まで仕事、これからがラストスパートという職種もあることと思いますが、私の職場は今日が仕事納めで、一足先に年末休暇に入ります。
といって、明朝一番の新幹線で上京して冬コミ2連戦を打つのでは、「休暇」とは程遠い年末になるかもしれません。
しかも年賀メール用のCGは、まだ原画も完成していないのに、5時から飲んで帰ってきて11時まで寝ていたので、場合によると朝まで寝ないまま東京冬の陣に出撃することになりそうです。

お知らせ:
29日から年末休暇に入り、自宅を離れるため、サイトの更新は年明けまで停止します。
伝言板へのレス付け、メールの送受信は、なるべく通常通り行うことを目指します。

12月27日(水)
「2000年のクリスマス」を制作して、お知り合いの方々にお贈りし、当サイトでも公開しましたが、息つく間もなく次のCG制作が待っています。
それは言うまでもなく、年賀メール用のCGです。
今年の1月には、帰省先から戻ってきた1月3日になって制作を始めましたが、今度はもっと早手回しに制作して、1月1日に送信するつもりです。
ところがこの年末は、冬コミに参加するために29日早朝から上京し、そのまま帰省先に1月2日頃まで滞在することになっています。帰省先にはネットに接続可能なパソコンはありますが、スキャナもタブレットもなくグラフィックソフトもインストールされていないので、1月1日に送信するためには28日のうちに完成させておかなければなりません。
そうなると、今年の1月のように贈り先に合わせて一点物を制作するなど夢のまた夢、1枚だけ制作するにも、あまり凝ったCGを制作している余裕はありません。
題材は既に決まっているので、帰宅するとすぐ制作に取りかかります。
時間に追われながら制作している今、もうはっきりと見えてきたことは。
やがて私が公開するCGは、良く言えば王道、悪く言えば陳腐、さらにオリジナリティが決定的に欠如している、というそしりを免れないということです。

12月26日(火)
1時間か2時間の仮眠のつもりだったのに、目が覚めたのは午前3時でした。
それからサイトの更新に取りかかって、どうにか出勤時刻ぎりぎりに更新を完了しました。
そうしている間に「2000年のクリスマス」が、お贈りした先で公開されています。

ところでこの「2000年のクリスマス」のように、同じ作品を多数の方にお贈りする場合、「サイトでの公開は管理者のご判断にお任せします」という一筆を添えるのが一般的なようです。
当サイトのように頂き物が少ないサイトでは、多数の方に贈られた作品でも有難く公開させていただいていますが、多数の方に贈られた作品は自分のサイトでは公開しない、という考え方のサイト管理者の方もいるということでしょうか。

12月25日(月)
今日はクリスマスですが、「昭和の日」でもあるそうです。
1926年12月25日、大正天皇の崩御によって昭和天皇が践祚されたことにちなんで設けられたのだと思います。
史上最も長く続いた元号であった昭和の時代、私も20年間その時代に生きていましたが、その昭和時代が終わってから、早くも十余の星霜を閲しました。
20世紀ももうすぐ終わります。

新潟県地方は、夜になって風が強まり、雨にアラレが混じり始めました。
首都圏ではホワイトクリスマスは現実には存在しない、ギャルゲーのような仮想現実の中だけの物だと思っていますが、ホワイトクリスマスが現実にあり得る地方、豪雪が冬場の生活苦をもたらしている地方では、そんな呑気なことは言っていられないでしょう。
体調は悪くありませんが、あまりに寒くてテレホタイムまで起きているのが辛かったので、少し仮眠しようと思いました。
(12月26日アップ)

12月24日(日)
7時半に目が覚めたので、テレホタイム終了直前にネットに接続してみました。
すると21日のふりんとぶらっくさんに続いて、なりぽしさんと桂芳恵さんからもクリスマスメールが届いています。
こうなったからには私も、年賀メールで返事に代えるわけにはいかないと腹をくくって、クリスマスを題材にしたCGの制作を始めます。
まずお知り合いの方々にお贈りするCGの制作に朝8時から取りかかって、午後2時に完成。それから最近サイトを開設されたkuntaさんにお贈りするCGの制作を開始して、中断を挟んで午後10時に完成しました。
中断したのは、夜7時半から市内のカトリック教会で行われたクリスマスイブのミサに参列したからです。私は洗礼を受けた信者ではありませんが、前から興味があった西洋音楽や美術との関連でキリスト教に関心を持つようになったので、信者でなくてもミサに参列できると聞いて、この機会に参列してみようと思いました。
しかし行ってみると、信者でない参列者には讃美歌の楽譜は配られますが、司祭の言葉と参列者の言葉(答誦)が交互に発せられる部分で、読むべき答誦が私の手元にありません。信者なら答誦が載っている祈祷書を持っているか、敬虔な信者なら答誦ぐらい暗記しているのでしょうが、やはり私は場違いな感を拭えませんでした。

さてそういう人間、また別の面から見れば「世間一般と違うことをしたがる人間」である私が、クリスマスにちなんだCGを描くとどうなるかというのは、サイトのトップに掲げた通りです。
普通の人は、クリスマスというとサンタクロースからプレゼントをもらう日としか連想しないのかもしれませんが、本来クリスマスとはどういう日なのか、それを少しでも思い出してほしかったから、いろいろな方にお贈りするCGにはサンタクロースを描かなかったのです。
ただ、「眼鏡をかけた聖母マリアと嬰児イエス」というのはあまりにも涜神的だと思ったので、西洋の古い聖母子像には必ず描かれている光輪は描きませんでした。
2枚目の完成が遅くなったためコメントの作成が間に合わないので、今夜は1枚目「2000年のクリスマス」をトップに公開し、事務所内1番倉庫での公開は明日にします。

12月23日(土)
晴れているので昼間は図書館へ、CGの題材や参考資料になりそうな物を探しに行きます。今日は天皇誕生日で祝日ですが、私の住んでいる市の図書館は、祝日も開いています。
それにしてもつくづく思うのは、週休二日制の職場に勤めていると、祝日が土曜日に重なった場合、休日を完全に1日損した気分になることです。4月29日にも、同じことを日誌に書いたのを思い出しました。
帰ってからはまた「WORDSWORTH」に没頭し、ゲーム全体のほぼ半分に達したところで中断します。するともうネット活動をする気力がなくなって、この日もテレホタイム前に寝ました。
(12月24日アップ)

12月22日(金)
CGの制作を始めると昨日の日誌に書いたのに、何となく制作に取りかかる気にならないままです。週末前夜というのに、テレホタイム前から寝てしまいました。
(12月24日アップ)

12月21日(木)
昨夜、正確には今日未明、何かと懇意にしていただいているふりんとぶらっくさんからクリスマス写真を頂きました。
もうそんな季節になったのかと、月日の流れる速さに驚きを新たにする……なんて常套句は偽りです。クリスマスの5日後にやってくる冬コミのことを、はっきりと認識しているのですから。
頂き物のCGと写真が増えてきたので、絵画展示室を2つに分け、サイト開設前に頂いた作品を1号室、開設後に頂いた作品を2号室に収蔵することにしました。
頂いてばかりでは心苦しいことおびただしいので、私からもお知り合いの方々に差し上げられるようなCGの制作を始めることにしました。
クリスマスにはもう、間に合うかどうかわかりませんが。
そもそもCGの制作自体、最新作から2ヶ月のブランクができてしまいましたから、リハビリから始めなければいけないかもしれません。

絵画展示室を分けてみると、オプショナルコースのAコースも、登録させていただいたサイトが17になり、上から下まで見るにはかなりスクロールを要すると感じたので、新規登録・あ行からか行、さ行からら行の3つに分けることにしました。
この区切り方は、現在の登録サイト数からみて、ほぼ半々になるように決めたので、今後登録させていただくサイトの数によっては、区切り方が変わってくる可能性があります。
その他、多少の修正を行いました。

12月20日(水)
このところ晴れて温かい日と雨が降って寒い日とが頻繁に入れ替わり、どうも体調が崩れがちです。
それでも仕事は年末進行で容赦なく押し寄せてきますし、年が明けたら明けたで、年度末を控えて本格的な会議シーズンが始まるので、おちおち風邪を引いている暇もありません。
それにしても日本屈指の豪雪地帯であるはずの私の地元で、12月20日になって雨ばかり降っていて雪が積もる様子が全然ないというのは、これも地球温暖化の影響でしょうか。
こんな様子を見ていると、クリスマスに雪が降るというのは、日本国内では限られた地域での現象で、少なくとも首都圏ではほとんど起こり得ないと思います。それに太平洋側ではどんなに寒くても12月に雪が降ること自体ほとんどありません。これは小学校に入る前から20年以上神奈川県に住んでいた私自身の経験から確かです。
ある人がどこかで、「なぜギャルゲーではクリスマスに雪が降るのか?」という疑問を呈示していたことがありましたが、先日「ToHeart」ビデオの最終巻を観ていて、やはりクリスマスに雪が降るシーンがあったので、その事を思い出した次第です。
「クリスマスの雪」というのは、現実に存在するかどうかを度外視した、一種のシンボルなのでしょうか、「女子高校生のセーラー服」と同じように。──私が住んでいる市にある高校は全部、女子の制服はブレザーです。
(12月21日アップ)

12月19日(火)
冬コミまであと10日です。参加する同人サークル関係者の方は今頃、夜を日に継いで準備に邁進しているでしょうか。
サークルとしての参加予定はない私も、10日に上京した折に買ってきたカタログを広げて、サークルのチェックを始めます。
今回のカタログは前回夏コミの時と違って冊子体ですが、9年ぐらい前の冬に初めてコミケ(晴海で開かれていた頃の)へ行った時の冊子体カタログに比べて、倍くらいの厚さになっています。よく分厚い冊子を形容するのに「電話帳」と言いますが、このカタログの厚さは私が住んでいる地域の電話帳の厚さを遙かに超えています(笑)──田舎の電話帳は薄いのです。
それだけ参加サークルが増えて、規模が大きくなっているということでしょう。それには会場が晴海から有明に移って、より広くなったということも貢献しているはずですが、それでも参加を申し込むサークルを全て参加させることはできず、かなりの数のサークルが抽選に漏れているということです。
カタログによれば、参加申込総数が51287に対して当選数は2日間合わせて約23200とあるので、競争率は2.2倍の計算です。
参加を希望するサークルの全てに参加してもらうことができないことは、コミケを運営する準備会にとって、最も不本意なことであるのは間違いないと思います。しかし今の日本に、東京ビッグサイトの2倍以上のスペースを確保できる会場はないでしょうし、開催日数を増やすのも、冬コミが夏コミより1日短い2日間の開催であることからしても、事実上不可能なのでしょう。
さて今回のカタログは、昔ながらの冊子体です。ここに掲載されている万単位のサークル、しかも1つのサークルが載せている情報はサークル名と配置場所の他は「サークルカット」という記念切手1枚程度の絵だけしかない中から、サークル名を手がかりにできない探索をする、つまり例えば「『アトラク=ナクア』を扱っているサークルを捜す」というようなことになると、大変な作業になります。
前回買ったような、検索機能付きのCD−ROMカタログが制作され、冊子体カタログより安く販売されているのもうなずけます。
しかしCD−ROMカタログは、ノートパソコンでも持ち込まない限り、現地で開いて見ることができません。ノートパソコンと予備のバッテリーを持っていくくらいなら、冊子体の方が軽いでしょう。
それにざっと目を通しただけですが、後ろの方には、参加者から送られてくるマンガレポート(これもサークルカットと同じ、記念切手くらいの大きさです。よくこんなに細かい絵や文字を書けるものだと感心します)が大量に載っていて、これはCD−ROMカタログには入っていなかったと記憶しています。その代わりCD−ROMカタログには、短いムービーが収録されていたと思いましたが。
で、サークルのチェックを後回しにしてマンガレポートを読み始めたら、つい読み耽ってしまい、日誌のアップまで延期になってしまった者がここにいます。

冬の夜、こたつに当たりながらコミケのカタログを眺めていると、埒もないことばかり脳裡に浮かびます。
例えば、表紙に「来て!! 見て!! 遊んで!!」と書いてあるのを見て思いつくのは、カエサルの有名な言葉「来た、見た、勝った(veni, vidi, vici)」だったりするのですが、長蛇の列を作ってコミケ会場に赴く一般参加者の心情は「来た、見た、買った」ではないだろうかとか。
という発想自体、コミケは「販売者と客からなる単なる売買の場」ではないという、コミケカタログの冒頭に「コミケットの理念と目的」として掲げられている文章を読んでいない証なのでしょうが。
(12月21日アップ)

12月18日(月)
土曜日の夜から、またゲーム三昧です。今やっているのは、13日に買ってきた「WORDS WORTH」です。
インストールするとすぐ、ニフティのデータライブラリにアクセスして、セーブデータ書き換えツールをダウンロードしてきました。
これはもちろん、レベルアップのための果てしない雑魚キャラ狩りをしなくて済むようにするためです。
試みにデータ書き換えをせず、ゲーム開始直後のパラメータのままで始めたところ、プレイヤーキャラが危険地帯に足を踏み入れてから、最弱の雑魚キャラに襲われてゲームオーバーになるまで1分もかかりませんでした(爆)。
プレイヤーキャラの造形が、父親に溺愛された柔弱極まりない少年で、婚約者に愛想を尽かされる寸前という、およそファンタジーRPG(殺戮を旨とするゲーム)の主人公らしからぬ造形だと言っても、これではゲームをする気が萎えます。
そこで書き換えツールの入力範囲から適当にパラメータを決めて、いきなり最強で出撃させてみると、序盤の敵キャラは鎧袖一触です。
しかも面白いことに、例えばHPを1000に設定したとして(ちなみに本来の初期値は20)レベルが0のままだと雑魚キャラが寄ってくるのに、レベルを50にしてやると序盤の雑魚キャラが全く出てきません。
このゲームのシステムでは、たぶんレベルとHPは連動していて、レベルが上がるに従ってHPも上がってくるはずですから、HPだけ1000でレベルが0ということはゲームシステム上あり得ないわけですが、これを利用すればレベルを非常に高く設定しておくことで、雑魚キャラに煩わされずにアイテムの収集やマップの塗りつぶしに専念できる、という効能が期待できます。
しかし攻略本片手にイベントCGを網羅していこうとすると、やはりレイプシーンや強制猥褻罪に該当するシーンが多いのが気になります。
今さら、何を偽善者じみたことを言っているのでしょうか?

12月17日(日)
ずいぶん久しぶりに書いた3番倉庫の雑文は、8日の項で触れた「クローンについて」ですが、その後15日の夜にNHK教育テレビで、まさに人間のクローンを扱ったドキュメンタリー「人間がコピーされる日」が放送されたので、録画しておいて見ました。
結論から言うと、クローン推進派も反対派も、狂信と反科学主義と大企業性悪説をごた混ぜにしたレベルで言い争っているようにしか思えませんでしたが、その中でふと思ったことがあります。
クローンとは直接関係ありませんが、クローン反対派などが槍玉に挙げているものには、体外受精のような不妊医療も含まれています。
初めは卵管閉塞や乏精子症のような原因で自然に妊娠できない配偶者の間で、妻の卵巣から未受精卵を採取して、夫の精子と受精させ、妻の子宮に戻すというような方法だったのですが、次第に広がってきて、子宮に障害があって妊娠できない場合は他の女性の子宮に入れて妊娠させるとか、子宮が正常でも卵子が全くできない場合には他の人から卵子の提供を受けて妊娠するとか、そういう例が欧米では増えているそうです。
そこにビジネスが絡んでくると、卵子や精子の売買が行われるようになり、やがて「ブロンドで身長180cmで○○大卒の男性の精子」なんていうのが高値で売買されるようになってくるでしょう。遺伝子診断が可能になってきた今では「××病の遺伝子を持っていないことを検査済みの卵子」なんていうのが売られていてもおかしくありません。
そうやって親が子供の遺伝的形質を選ぶことは神の御業に反するというのが反対派の言い分なのですが、ちょっと考えてみてください。
ちゃんと愛し合っているのに子供ができない夫婦が子供を持つための手段として、洋の東西を問わず大昔から行われていて、たぶん法王庁もこれを禁止してはいないであろう手段があります。そう、養子縁組です。
養子は、完全に他人の遺伝子だけからなる子供です。養子縁組をする時、卵子や精子よりも遙かにはっきりと現れている遺伝的形質、つまり養子の性別・人種・性格・体質・その他いろいろ、それを見て養子を選ぶことが神の御業に反する、とでも言うのでしょうか?
例えばの話、養子に出された子供を集めて預っている施設が、養子を望む夫婦に、申し込み順に抽選で養子をあてがったとしたら、この方がよほど非人道的ではないでしょうか。
そう思ったのは、以前アメリカに旅行した時、妊娠中絶が社会的に強く批判されているアメリカでは、生まれてきた「望まれざる子」に対する里子斡旋業が、かなり大きなビジネスになっているということを知ったのを思い出したからです。
そこまで思い出した時、また不思議に思ったのは、里子斡旋業がそれだけ繁盛しているのに、高い手術費用と長い時間(約9ヶ月)がかかり、1回で受胎が成功するとは限らないし、非常に運が悪ければ自分が産褥で死亡する可能性だってあるのに、他人の卵子と精子を買ってまで自分で妊娠・出産をしようという女性が大勢いるということです。
自分の卵子、あるいは夫の精子を使って体外受精するのなら、まだわかります。しかし自分の卵子でない卵子と夫の精子でない精子を使うとすれば、それは不謹慎な言い方をすれば「養子の素」です。完成品が手に入るのに、「素」から作ろうとしているわけです。
世の女性にとって、「自分の腹から子供を出産する」ということは、どんな苦痛と危険を伴おうともそれを決行するに値する、他の何物にも代え難い「女子一生の本懐」なのでしょうか。こればかりは、男性である私には測り知れません。

12月16日(土)
私は生まれつき軽度の難聴なので、就職してからは補聴器を着けています。
といってもパソコンでゲームをしたり、サイトを更新しながらBGMにCDを聴いたりする時にはヘッドホンを使っているので、補聴器(本体を胸のポケットに入れて、イヤホーンを片側の耳に入れる形式の)は外していますし、そうでなくても補聴器を着けていると、街へ出た時など雑音がうるさくてたまらないので、勤務中以外はほとんど使っていません。
ところが昨日の夜に洗濯をしていて、シャツの胸ポケットに補聴器を入れたまま洗濯してしまったことに気がつきました。
年明けから会議シーズンなのにこれではさすがにまずいので、今日は点検のために補聴器を店へ持っていくのが最初にすることになります。

夜はサイトの更新。昨夜相互リンクしていただいたH.SaitouさんからCGを頂いたので、これを絵画展示室に納めるのが第一の更新です。
ただ、サイトのトップは従来通りなりぽしさんの作品です。
サイトのトップを頂き物でお茶を濁していること自体、いやしくもCGサイトと名乗って検索サイトに登録しているサイトのあるべき姿とは思えませんし、まして新しく頂いたCGがあるのに前のCGをトップに掲げておくことは、H.Saitouさんに対しても礼を失するのではないか、という気もします。
私自身、あるサイトにCGを寄贈したのに、寄贈したCGがそのサイトのトップに展示されず、他の方(CG画家としては私より遙かに有名な方です)のCGがサイトのトップに展示されたままになっていたのを見て、分不相応にも不快感を覚えたことがあったので、今の私がそれと同じ行為をしていることには、甚だ忸怩たるものがあります。
そう思うなら、その状態を根本的に解決する手段、要するに自分で新作のCGを制作すればいいのだと、それももちろん頭ではわかりきっているつもりなのですが。
何だか愚痴そのものの文章になってきたようなので、ここまでにします。

ページのトップへ戻る

←2001年1月前半の日記へ   ↑2000年の日記へ   12月前半の日記へ→