2001年8月前半の日記 |
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今日は昼過ぎまで実家で過ごし、午後から帰途に就きます。
まっすぐ上越新幹線で帰ってもいいのですが、せっかく上京したからには、秋葉原に立ち寄っていくことにします。それは今回に限ったことではないのですが、今までは主たる目的がクラシックのCDを探すことだったのに対して、今回は「夏コミで買えなかった同人誌を探す」という目的が加わります。 実際、あちこちのサイトでウェブ日記を見ていると、コミケ最終日の翌日、今回の夏コミで言えば8月13日を「夏コミ4日目」と称して、コミケ会場で買い逃した同人誌を秋葉原の同人ショップで買い回っている人が決して少なくないようです。 夏コミの新刊がその翌日には秋葉原の同人ショップに出回っているというのは、発行元が最初から「これは書店に委託販売する分」と決めて同人ショップに卸しているか、あるいはコミケ会場で予想以上に売れ残ってしまって、急遽同人ショップに持ち込んでいるか、と考えられるのですが、実はそれだけでもないらしいです。 前にも書いたことですが、有名作家の新刊になると、行列して──場合によってはサークル入場の特権を利用して一般入場に先んじて行列して買い占めた挙句、買ったその日のうちに同人ショップに転売する、最初から転売して利ざやを稼ぐのが目的の手合いが後を絶たないらしいです。それが目に余るのか、壁サークルと呼ばれる大手サークルになると一人何冊までという購入制限をしているようですが、友達に頼まれて買いに来たのか転売目的の買い占めかをその場で判別できるものではありませんから、あまり効き目がないようです。 そもそも本来は自分のブースの設営をするためのサークル入場のはずなのに、サークル入場で一般入場に先んじて入場して、大手サークルの本を買うために行列しているということ自体、コミケの病理ではないかと思います。又聞きですが、サークル入場証がネットオークションで売買されているという話を聞くに至っては、何をか言わんやです。 私の場合、転売目的で買い占めた参加者の思惑にはまるのが目的ではなく、サークルのブースで「その本は書店委託です」と聞いた既刊の本を探すのが目的だったのですが、いくつか知っている同人ショップを全部回ってみて、どこにも見つけられませんでした。 クラシックのCDは、日記を打鍵したりCGを描いたりする時のBGMにしているものです。最近は趣味が偏ってきて、オルガン曲のCDを主に探していますが、どうも日本ではオルガンという楽器になじみが薄いせいか、日本語版のオルガン曲のCDはJ.S.バッハ以外ほとんど発売されていません。ですから私が持っているオルガン曲のCDはほとんどが輸入盤で、英語で書いてある解説を苦労して読んでいます(中には解説がフランス語でしか書いてないのもあって、大学で第2外国語にドイツ語を択った私には解説が全く読めません)。 輸入盤に後から日本語の解説を入れたCDもあるにはあるのですが、そういうCDの日本語解説を読んでいて強い不満を感じるのは、使われているオルガンとストップについての解説が非常に不充分なことです。 オルガン以外の楽器でも、例えばヴァイオリンには、ストラディヴァリウスの銘器のように名前が付けられているほどの楽器もありますが、学校の教室にある足踏みオルガンならともかく、ヨーロッパの由緒ある教会堂やコンサートホールに据え付けられている本格的なパイプオルガンは、多くは教会堂やコンサートホールを建設する時に、音響効果や外見に気を配りながら建物と一体の物として製造されていますから、教会堂やコンサートホールも楽器を構成する一部と言うべきで、そうすると完全に同じ楽器は世界に他に一台もないわけです。 そしてまたそういうオルガンは、手鍵盤が最低で2段、足鍵盤もあって、それぞれにさまざまな音色を出すストップが、合計で数十個ついているのが普通です。と言ってそのストップを全部使ってオルガンを鳴らすのは、オルガンの送風機構のテストとして一度くらいはやるかもしれませんが、コンサートやCDの録音の時にそんな事をするオルガン奏者はいません。演奏する曲に応じて、それぞれのストップの音色を考慮してストップの組み合わせを考えるのが、オルガン奏者の重要な仕事になります。しかもこのストップの組み合わせ方は、作曲者が楽譜に細かく書き込んでいる例は少なく、だいたいは大雑把な目安として「強く」「弱く」「第1鍵盤」「リード」「明るい音色で」といった具合です──というのは上に書いたように、オルガンは一台一台みな音色が違うからで、同じ名前(例えば「フルート」)のストップを使っても、完全に同じ音色は出ません。ですからそこで、ストップの組み合わせ方にどんな工夫を凝らすかが、オルガン奏者の腕の見せ所であり、逆に言うとオルガン奏者の能力が現れてくるのです。 そういうわけで、CDの録音に使ったオルガンの鍵盤とストップの配置(disposition)と、曲ごとのストップの組み合わせ方(registration)は、オルガン曲の解説にはぜひつけてほしい物なのですが、輸入盤の解説にそれらが書いてありながら後から入れた日本語解説ではそれらに全く触れていなかったり、日本語版のCDだとオルガンについての解説が全くないのも普通です。 夜更けて帰ってきてメールチェックをすると、夕凪さんから残暑見舞のメールが届いています。しかも自衛隊機の写真ではなくて(ぉ)ToHeartSS、当サイトには実に10ヶ月ぶりの文章作品の寄贈です。 今夜公開するのは時間的に無理ですが、とりあえずSSをいただいた旨のメールを打ちます。 (8月21日アップ) |
8月13日(月)
今日と明日は実家に逗留します。といっても実家にある、父親が六十の手習いで始めたパソコンには、FTPソフトがインストールされていないので、サイトの更新ができるわけではありません。それに夏コミで買った物はあらかた別送してしまいましたし、CGの原画を描くための道具一式も持ってきていません。さらに実家で取っている新聞は私が週末に図書館で読んでいる新聞と違うので、実家にいてもそれこそする事がありません。サウナに前泊してまで3日中2日参加するほどのイベントとはどういうイベントなのか、と両親が聞きたがるので、「大規模な同人誌即売会」と答えておきます。大規模なと言ってもイメージが浮かびにくそうなので、東京ビッグサイト全館借り切り、参加サークルは一日に1万以上、参加者は一日に十数万人、午前10時入場開始だが徹夜で行列する参加者が後を絶たないと言うと、母には理解の域を超えていたようでした。以前は晴海の国際展示場で開催されていて、そこから一時期幕張メッセでの開催を経て、今は東京ビッグサイトで開催されていると言うと、父は「晴海は思ったより狭い」と言います。あの手の施設としては今の日本では東京ビッグサイトが最大なのでしょうが、もっと大きい施設が仮にできたとしても、同人誌を売るサークルのブースが1万を超えたら、一人の人間が見て回れる物理的限界を超えてしまう、というのが意見の一致したところでした。 その即売会で売られているのは同人誌が主体ですが、インターネットがいくら普及しても「自分の絵に自信がある同人作家ほどインターネットで作品を公開したがらないだろう」という説、あるいは最近ではゲームのBGMをアレンジしたCDを売っているサークルが増えてきたが、音楽はインターネットでは公開しにくい(音楽CDのデータは圧縮しないと1分あたり約10MBになりますが、64kbpsのISDN回線で10MBのデータをダウンロードするには20分以上かかります)から、即売会がなくなることは決してないだろうと思う、と言うと父はうなずいていました。 (8月20日アップ) |
夏コミ最終日に当たる今日12日は、10日より少し遅い時間に宿を出て有明に向かいましたが、日曜日だったためか道路が空いていて、東京駅からバスに乗って20分、8時45分に有明に着きました。
昨日に引き続いて今日も天候は芳しくなく、駐車場のあちこちに水溜まりができていて、入場を待っている間にも、思い出したように雨がぱらつきます。後で知ったことですが、私が列に並ぶよりもう少し前、サークル入場の時間帯が、いちばん大降りだったらしいです。去年の夏コミ最終日も天気が荒れましたし、かつては台風の進路をもねじ曲げたという夏コミ晴天伝説はどこへ行ったのでしょう? 私にとってはギャルゲー系サークルが配置される今日こそがコミケ本番なのですが、今回はギャルゲー系のうちLeaf・Key系が東地区の西側、その他のメーカー系が西地区に配置されています。どういう意図があってこのように配置したのかよくわかりませんが、ギャルゲー系同人誌を買い回る参加者の中に、Leaf・Key系だけ、あるいはその逆という参加者はあまり多くないと思いますから、膨大な数の参加者が東地区と西地区を行き来することになるはずで、連絡通路の混雑が懸念されるところです。しかもその連絡通路には何カ所もエスカレーターがありますから、どれほど警備と誘導に力を入れても、いつ将棋倒しが起こるか気が気ではありません。 ギャルゲー系サークルがこのように分離しているので、入場したら(入場口は東地区の東端)どのサークルをどんな順序で回るかを、入場前にカタログを見て検討しておきます。 11時20分に入場すると、まず東地区の東側(男性向け創作)に配置されている「ろしなん亭」へ行ってから、「猪名川由宇FC好きやねん」を初めとするLeaf系サークルを回ります。好きやねんは「いいんちょ普及委員会」の姉妹サイトで、顔見知りの方もいますし、ろしなん亭はこれまた委員会の姉妹サイトである「李紅蘭FCつばさ」から唯一、3サイト合同ラミネートカード企画に参加していたサークルです。 Leaf系サークル「泰鈴堂」では、最近お知り合いの方の間で話題になっている「Flutter of Birds」の新刊を買いましたが、ToHeart本の新刊は売り切れでした。夏コミで販売するのは暫定版で、正規版は9月のサンシャインクリエイション13で発売するということなので、これでサンクリ参加が確定です。 午後から今日もまたコスプレスペースへ向かってみましたが、雨模様のため西地区の屋外展示場は閉鎖されていて、4階の屋外部分だけに限定されていました。当然予想されるとおり、いつもに輪をかけた混雑です。しかも西地区4階の屋外部分というのは、屋内に収容しきれない企業ブースの購入者行列も並んでいますから、さらに混雑していて、もう写真撮影どころではありません。 コスプレスペースから早々に退散して、西地区1階の、Leaf・Key系以外のギャルゲー系サークルを見ていきます。elf系サークルは10余りという寥々たる数なのですが、逆に言うとこのくらいの数なら、全部見て回ることができます。すると、今まで全く知らなかったサークルで下級生本バックナンバー11冊揃という掘り出し物を見つけることがあります。アトラク=ナクア本の新刊やWith Youの小説本も入手しましたが、さらなる掘り出し物がありました。 最近ちょっと気になっている「果てしなく青い、この空の下で…(通称「青空」)」というゲームのサークルを回っている時に、以前に出した同級生2本を置いているサークルがありました。机の上に置いてある1冊の他にも同級生2本があるというので、それを見せてもらうと、私のお知り合いの方がゲストで寄稿している本がありました。その方とネットでお知り合いだと言ったら、同級生2本を全4冊、タダでいただいてしまいました。 コミケカタログのサークルカットは、ご存じの方もいるでしょうが切手1枚分くらいしかないので、既刊本の一覧までは到底書けるものではありません。それにサークルの配置の基準になる、サークルのジャンルは、各サークルの自己申告に基づきますから、現在そのサークルが最も主力にしているジャンルどれか一つに限られます。そうすると「今は○○の本を出しているけれど昔は同級生2の本を出していた」というサークルを、カタログのサークルカットから判断するのは事実上不可能で、当日自分の目と足で見つける以外の術はまずありません。参加サークルが百単位の小規模なイベントならともかく、万単位になるコミケで、そういうサークルにめぐり会うのは、僥倖としか言いようがありません。 西地区をある程度買い回ってから、まだ時間があるので東地区へ戻り、鉄道系サークルを見て回ったり、もう一度Leaf系サークルを回ったりしていると、好きやねんのスペースに委員会関係者の方が集まっていて、ひさぽんさんとDragoonさんが、それぞれ保科智子人形を連れて来ていました。 以前お会いした時に伺ったのですが、身長1メートルくらいの人形だと、衣服や小物には子供用品が使えるので、6分の1ドール用の物をドールショップで買うよりも品揃えも豊富で安く買えるそうです。 今のところ全く夢想の域を出ていませんが、もし水野友美ドールを作るとしたら、眼鏡やヘアバンドといった小物をどうするか、ということを漠然と考えていたところですから、それならいっそ、人目を気にしなくて済む独り暮らしですし、等身大とまでは言わないが幼稚園児くらいのサイズの人形を作るというのはどんなものだろうか、手足の関節が曲がるように作っておけばリュックサックに入れてオフ会に連れて行くこともできそうだし、なんていう妄想が頭をよぎり始めました。 午後4時に閉会宣言が発せられ、それを期して一斉に拍手が湧き起こります(コミケ独特の風習なのか、それとも他のイベントでも一般的に見られる風習なのかはわかりません)が、実はこれからが最後の一仕事です。2日間に買った物が同人誌と同人ソフトを合わせて約90点(総額は約36000円)、さらに同人誌より大判でずっと分厚い展覧会のカタログが何点もあるので、リュックサックに収まる限界を完全に超えています。これを全部実家へ持っていくわけにはいかないので、送れる限り別送してしまおうと宅配便業者の荷物受付所へ行きましたが、ちょうど良さそうなサイズの段ボール箱は品切れでした。そこで手提げ袋を1枚買って、入る限り入れてみましたが、別送しようと思った荷物の3分の1くらいは袋に入りきらずに残りました。 でもリュックの中身をこれくらい減らしておけば、実家からの帰りに秋葉原へ行っても大丈夫だろうと判断して、宅配便業者の荷物受付所の行列に並びます。行列に始まって行列に終わる──これがコミケを言い尽くしているような気がしますが、列に並んでいる人たちを見ると、送る荷物が袋1枚など少ない方で、段ボール箱を何箱も台車に積んでいる人もいます。それが全部購入品だとしたらそれもまた大変な話ですが、もしかすると売れ残った販売物を泣く泣く自宅に送る人もいるのではないでしょうか。荷物受付所からは大型トラックが何台も出ていきますが、コミケ会場に搬入された販売物はあれで全部ではない(もちろん参加者の腹に入るわけではありませんが、一昨日と昨日にトラックに積まれて出ていった分があるはずですし、私だって前回までは買った物を全部リュックに詰め込んでコミケ会場を後にしていたのですから、今日宅配便業者のトラックに積まれて出ていく分はコミケ会場に運び込まれた物の何分の一かでしょう)とすると、コミケ会場に搬入された販売物の総量は、どれほどになるのでしょうか。 今日も10日と同様、レインボーブリッジ経由のバスで浜松町駅へ向かいましたが、よりによってレインボーブリッジの上に事故車があったので、浜松町まで40分かかりました。 (8月20日アップ) |
8月11日(土)
今日は夏コミ2日目ですが、今日配置されているジャンルは女性向け同人誌ということで、朝から入場待ち行列に並んでまで買い回りたいジャンルでもなく、委託販売コーナーは昨日のうちに買い回ってしまったので、天気が良かったら午後から入場して、コスプレスペースにでも顔を出してみるつもりでした。それで午前10時頃まで山手線で時間調整し、まずは「日本におけるイタリア2001」企画の一つとして両国の江戸東京博物館で開かれている「世界遺産ポンペイ展」を見に行きます。紀元79年にヴェスヴィオ火山の噴火によって都市が丸ごと火砕流に埋まり、今も発掘調査が進められているポンペイの、当時のさまざまな出土品が展示されていました。 ちょっとわからないのは、人口1万を超す都市が火砕流に埋没したという情報は、陸続きの近隣の都市にすぐさま伝わったはずなのに、その直後だけでなくそれから千数百年にわたって、なぜポンペイが復興されなかったのか、ということです。当時も今もイタリアは人口に比べて無尽蔵に土地があると言える国ではないのに、ポンペイを埋めた火砕流を掘って町を復興しようとした様子もなければ、埋まっている町の上に新しい町を建設しようとした様子もなく、つまり千数百年にわたってこの一帯に人が寄りつかなくなってしまったようなのです。 ポンペイ展を一通り見終わったところでふと外を見ると、強い雨が降っています。これではコミケ会場へ行ってもコスプレスペースを見るどころではないと判断して、江戸東京博物館の常設展も見ることにしました。東京の大学に通っていた頃にも、ここの常設展を見た記憶はなかったので、この機会に見ておこうと思ったのですが、これがなかなかたくさんあって、見終わったのは午後5時でした。 さらに、東京駅の近くのデパートで香淳皇后の作品展が開催されているのを車内広告で知ったので、夕方からはそれを見に行きます。 展示されている作品は主に日本画でしたが、普通は日本に渡来しないヤツガシラという鳥が皇居に飛来した時のことを、絵と和歌を交えて絵巻物にしてあるのがありました。画才はともかく詩才など皆無な私としては、和歌を見るだけで引いてしまいかねませんが、考えてみれば明治時代の皇族(伏見宮家)の子女なら、日本画・和歌・書道は当然の一般教養だったでしょう。 そうすると……宮中の歌会始では皇族方の歌が披露されますが、そういった教養を身に着ける機会があまりなかったであろうと思われる、戦後の学校教育を受けて最近皇室に加わられた方々は、けっこう苦労されているのではないだろうか、と思うこともあります。 (8月19日アップ) |
JRの駅で言うと御徒町のあたりに、何軒か仮眠所付きのサウナがあるので、今回の夏コミ上京の宿はそこに定めることにします。両親がアパートに査察に来たことがあるので、いい加減ギャルゲーマーであることをカミングアウトしてもよさそうなものですが、実家は有明まで遠いので、今回も夏コミ期間中の宿としては実家は利用しないことにします。
そして宿を出たのが午前7時過ぎ、東京駅からの道路が渋滞していて、会場(有明の東京ビッグサイト)到着は8時45分でした。朝から曇っていて、炎暑になりそうな空模様ではなかったので、はるばる自宅から持っていった広口のポリ容器は今日は出番ナシです。 入場開始が10時、私が入場したのは11時でした。さっそく西地区へ向かい、コスプレスペースを経て委託販売コーナーへ行きます。毎度のようにコスプレイヤーは大勢いますが、私がゲームのタイトルを認識できたコスプレイヤーは、ほとんどがAIRでした。もちろんAIRには、その衣裳(学校の制服)を着た女性キャラクターは何人も登場するらしいのですが、具体的に誰に扮しているのかの判別はできませんでした。こういった既製服的なコスプレ衣裳については、以前やや批判的なことを書いたので、ここでは繰り返しません。 委託販売コーナーでは、ToHeart本を中心に10冊ほど買い込みました。立ち読みしながら買い回っている間にも、何冊かの本が完売していったようで、委託販売の同人誌を狙うなら初日から参加、というのは次回以降に活かすべき教訓です。 それから同人ソフト系サークルが配置されている東地区へ行き、ゲームのBGMのアレンジCDを見ます。CDが出ているゲームのタイトルを見ると、やはり何と言ってもAIRが多いのですが、痕とアトラク=ナクアも少なからず出ています。この両タイトルはゲームとしての人気もいまだ衰えず、特に痕は根強い人気を保っているのですが、ここで見た感じではゲーム総体としての人気よりも、元のBGMが「アレンジCDを作りたい」という意欲をかき立てる度合いが強いかどうかが、アレンジCDの数を分けているのではないかと思います。 わかりにくいことばかり書いていますが、管見するところ痕とアトラク=ナクアは、Leafとアリスソフトのゲームタイトルの中でも、BGMが特に高く評価されているらしいです。両社の他のゲームのBGMがしょぼいというわけでは決してないと思いますが。 この日ここでもう一つ買っていったのは、9月16日に池袋で開かれる同人誌即売会「サンシャインクリエイション13」のカタログ兼入場証です。前日の15日に上京する用事ができたので、そのついでに、ということです。なんだか日一日と、この世界の深みにはまり込んでいくような気もしますが……。 午後4時前に会場を後にしましたが、東京駅・浜松町駅行きのバスは長蛇の列です。ゆりかもめにも乗れそうにないと見たところで、会場の近くのTFTホールで開催中の「目で見る『がん』展」を見に行くことにします。これは本来、それほど買い回りたいジャンルのなさそうな2日目に、午前中にこれを見て午後から夏コミに行くか、あるいは早めに夏コミ会場を抜け出してこれを見に行く腹づもりだったものです。 展示は、癌の早期診断・治療法に関する最新の医療技術が中心でした。癌の病理標本という代物は、写真でなくて本物を見るとけっこう生々しいものがあるのですが、今回の展覧会には少ししか出品されていませんでした。 さてここで、ちょっと変なことを言います。 1.医学の進歩にともなって、癌で死ぬ人が増えている。
逆説的ですが、1.は医学統計が示す明らかな事実です。種明かしは簡単なことで、医学の進歩にともなって、結核や細菌性感染症やインフルエンザで死ぬ人が減った分だけ、癌で死ぬ人が増えているのです。これは楽観的観測ですが、もっと医学が進歩すれば、癌で死ぬ人は本当に減っていくでしょう。2.喫煙者は非喫煙者に比べて、胃癌あるいは肝臓癌で死ぬ率が低い。 2.はそれを積極的に証明する統計を見たことがないのですが、おそらく事実です。これも種明かしは誰でも想像がつくように、喫煙者は非喫煙者に比べて肺癌や喉頭癌で死ぬ率が桁違いに高い分だけ、喫煙が直接的な誘因にならない癌で死ぬ率が低いのです。 しかしここで、以前渋谷の「たばこと塩の博物館」に行った時に見た展示を思い出すのですが、煙草の原産地であり栽培の発祥の地であるメキシコあたりでは、何千年も前から煙草は薬草として使われていたということです。ヨーロッパに伝わった後も、19世紀半ばの文学作品に煙草が喘息の薬として登場しているほどで、ちょっと考え込んでしまいます。 昨今は煙草は、肺癌から就職難や家庭不和まで諸悪の根元のように言われ、アメリカ系の生保会社が非喫煙者の保険料割引を始める(裏返せば喫煙者の保険料値上げ。そのうち喫煙者の呼吸器疾患が免責事項になったり、ヘビースモーカーの新規加入を拒否したりするようになるのでは)など、社会挙げて排斥運動が広まりつつあるようですが、果たして本当にそうなのかと思います。 統計学に基づく近代疫学が始まるよりはるか昔から薬として使われてきた物なら、いわゆる漢方薬と同じで、適切な量を正しく用いれば薬効があることが長年の経験で知られていたと考えるのが正当であって、昔は医学が発達していなかったから煙草の毒性に気がつかなかったのだなどと言うのは、西洋文明を長らく支配してきた悪しき進歩史観に毒されたと言った方がいいのではないか、と思います。 展覧会を見終わってもまだバス乗り場には列が残っていましたが、座れなくてもいいならバスにどんどん乗せていく(逆に言うとバスを見送っても座っていきたい人が大勢いる──わかります、その気持ち)ようにしているので、レインボーブリッジ経由浜松町駅行きのバスに乗りました。6時頃に浜松町に着いても、今から宿に直行ではなくて、金曜日は午後8時まで開館している上野の国立西洋美術館へ「肖像が語るアメリカ史」展と「アメリカン・ヒロイズム」展を見に行きます。 写真がこれだけ普及している今、肖像画なんていうのはもうすっかり過去の遺物になり果てた気がしますが、19世紀までは肖像画は絵画の主要ジャンルでした。単なる写実にとどまらず、ある意味では写真以上に、描かれた人物の性格・個性を描き出すこともできる肖像画は、ギャルゲーキャラのイラストを描く際にも参考になるところがあります。 植民地時代から現代までの肖像画、最後の方になると画家の自己表現の手段としての自画像が増えてきますが、これらを見ていて思い出したことがあります。実家には、両親がアメリカへ行って土産に買ってきた、アメリカの歴代大統領の肖像画を印刷した壁掛けや、イギリスに赴任していた親戚からもらった、イギリスの歴代国王の肖像画と事跡をまとめた本がありましたが、それに相当するような物──歴代天皇や内閣総理大臣の肖像画を集めた壁掛けや本が、日本の、その辺の土産物屋や本屋に売っているでしょうか。入植者たちがみんなで政府を作り、国家を築いていったという自負を持っているアメリカは、国土も国家も神代の昔からあるような感じ方をしている日本とは違うとしても、ヨーロッパ各国に比べても日本は、国家の歴史という物を軽んじすぎているような気がしてなりません。 国土も国家も神代の昔からあり、政府は「お上」というように上から与えられた物のように感じている日本と違って、入植者たちが国土を開拓し、国家を築き上げていったという自負を持っているアメリカでは、著名な功績を残した人物を「英雄」として讃える風潮があるようで、肖像画に描かれている「個人」よりもっと大勢の群像を描いた歴史画が、ヒロイズム展には多数出展されていました。「アメリカの前進」と題した寓意画で、女神が駆る合衆国紋章を着けた馬車に、麦穂・定規・竪琴・蛇が巻き付いた杖──それぞれ農業・科学・芸術・医学の象徴──を携えた女神が付き従う絵を見ましたが、これは19世紀のアメリカで西部開拓が「自明の天命(Manifest Destiny)」とされていたことを象徴しているようです。 ただ、17世紀に東海岸に渡ってきたヨーロッパ人がアメリカ大陸を西へ進んでいくことは、そこに1万年前から住み着いていたネイティブアメリカンの側から見れば「侵略」以外の何物でもないわけで、侵略された側から見るとどうであるか──それをヨーロッパ人が考えるようになるのは、20世紀もかなり遅くなってからだったのではないかと思います。 (8月19日アップ) |
夏コミは例年、首都圏の人口密度が低下する時期の金曜日から日曜日にかけて開催されるようで、今年は8月10日から12日までの3日間の開催です。去年は2日目から参加したのですが、夏コミ初日は同人ソフト(BGMアレンジCDやCG集など)サークルが配置される日で、こういった同人ソフトにはなかなかいい掘り出し物が多いこと、それと昨年の冬コミの時に知ったことですが委託販売コーナーの同人誌は3日間入れ替えなしで陳列される(つまり全てのジャンルの同人誌が初日から陳列されているし、人気のある同人誌は初日で売り切れてしまう可能性もある)ので、委託販売コーナーにも目を付けている私としては、何とか仕事のやりくりをつけて、初日から参加しようと計画していました。
そしてどうにか仕事のやりくりをつけて、10日は休みを取りましたが、交通手段の手配に後れをとりました。第1候補、コミケに限らず私が上京する時に愛用している夜行高速バス(何と言ってもJRの普通運賃より安く、上越新幹線の上り一番列車より早く東京に着く)は満席。第2候補の夜行快速「ムーンライトえちご」も満席です。6月のドルパの時と同じような首尾ですが、実はバスや列車の予約をしようとしたのは昨日や今日ではなく、半月以上も前の7月23日です。帰省ラッシュと逆向き、しかも平日の夜行が、こんなに早いうちから満席になるのですから、新潟県の「をもじ」人口は侮れません。 取れなかったものは仕方がないので、別の交通手段を考えることにします。今度の夏コミは私としても初めての3日連続参加──ただし女性向き同人誌が中心の2日目は朝から参加するかどうかはっきりしませんが──なので、夜行が取れなかったのは「体力の温存を図れ」という天の声と解釈することにして、往きは上越新幹線を使うことにします。そして当日朝出発だと入場待ち行列に後れをとる可能性が大きいので、都内のサウナかカプセルホテルに前泊することにしました。 というわけで9日は仕事をできる限り早く切り上げ、前日のうちに調えてあったコミケ参加用の装備を身にまとって、上越新幹線で東京へと向かいました。 (8月18日アップ) |
8月7日(火)〜8日(水)
昨夜やっと完成させた同級生2SS「優しさ」ですが、HTML化に際して挿絵のレイアウトがなかなか決まらない(というのも変な話で、自分で打鍵して自分のサイトに公開するSSですから、最初からレイアウトを念頭に置いて挿絵を描くのが当然なのですが)といった理由で公開が遅れて、当サイトでの公開は8日付の更新になりました。本当は7日付の更新で公開の予定だったのですが、遅れに遅れている日記の打鍵をなるべく進めようとしていたら7日の深夜になってしまったので、8日の夜半前にまとめて更新することにしたのです。このように日記の更新に振り回されているという事態は、もう何度も言いたくはありませんが決して私が望んでいる状況ではありません。 それよりも、8月19日で開設4周年を迎える「桂芳恵精神病棟」に記念CGを寄贈すると約束していますから、そちらの制作に取りかかりたいところです。今度の題材も「夏服シリーズ」ということで、誰を登場させてどんな構図で絵を描くかも案が固まってきています。 でもその前に、ギャルゲーマーにとって最大級の年中行事、「夏コミ」があります。今年は夏コミに引き続いて14日まで帰省することにしましたから、しばらくCGの制作もサイトの更新も中断することになるでしょう。 (8月18日アップ) |
8月6日(月)
今日も昨日に引き続いて、SSの打鍵を進め、夜半前に完成しました。最初の構想から2年余り、と言ってもその大半は未完のまま筐底に眠り続けていた期間が占めるわけですが、インターネットに足を踏み入れたばかりの頃から構想があった作品、それも私がこの世界に踏み込むきっかけとなった「同級生2」の二次創作小説を、やっと完成させることができて、感慨はひとしおです。この日記がアップされる時には、もうSSの後書きをお読みになっていると思いますが、私がこのSSを思い立ったきっかけはラストシーン、優柔不断な竜之介に友美が「中途半端な優しさは、かえって人を傷つけるのよ」と言って席を立っていく場面です。 本当に腕の確かなSS作家の方なら文章だけで、読者の目の前に場面がありありと浮かぶように描写することができると思うのですが、いかんせん私の筆力ではそこまでできません。そこで、蛇足と言ってしまえばそれまでなのですがラストシーンの挿絵を描くことにし、さらに序盤と中盤にも挿絵を入れて、作品に登場する主要人物であるところの友美・竜之介・いずみ・唯を一通り描くことにしました。 (正直に言うと、打鍵再開を決めて本格的に構想を練り始めた頃から、「このあたりにこういう挿絵を入れよう」と考えていて、5日に一日中キーボードに向かっていながらいっこうに打鍵が捗らない間、気分転換に挿絵を描いていました。そして打鍵が進んできてから、中盤の友美と唯の対話のうち、友美が西御寺に言及するくだりはいささか冗長ではないかな、と思い始めたのですが、2枚目の挿絵が、唯が友美に
本文600ラインと挿絵3枚、完成は当初の予定よりずいぶん遅くなりましたが、何はともあれ完成したのでZekeさんにメールを打ってお贈りしました。
「どうして唯が、西御寺君のことを心配するの?」 と問い返す場面を念頭に置いて描いた挿絵だったので、そのくだりを削除するに忍びなくなったのでした。結果としていささか冗長な文章になりましたが、この台詞は唯が西御寺のことを何とも思っていない──憎んですらいないことの象徴として、残しておいたのは間違いではなかったと思います) (8月17日アップ) |
Windows版「同級生2」のプレイ──これが純粋にゲームをゲームとして楽しむためのプレイではなくて、SS制作のための準備作業でしかないというのがなんとも悲しいところですが──もようやく終了のめどが立ってきました。
終盤のイベント場面で、物は試し、ボイスを聞いてみたらどんなものだろう、と思いながらプレイしていたら、あることに気づきました。 このゲームは主人公の一人称で、プレイヤーの視点が主人公と同じ位置にありますから、主人公(=プレイヤー)には人の声はすれども姿は見えず、という場面がよくあります。その時「主人公にはその声の主がわからない」ことがシナリオの展開上重要な伏線になりうる場合があったとします。そんなとき、ゲーム画面上では話者を【男の声】【女の声】としか書いてありませんが、Windows版でボイスを聞くと、耳の鋭いプレイヤーなら「主人公がわからないはずの声の主がわかってしまう」ことがありうるのです。 SSの打鍵も終盤にさしかかってきましたが、まだ今夜の更新で公開できる状態ではありません。そこで今夜はいつもの通り、7月31日の日記を公開してから5日経ったので、31日までの日記を「過去の日記」に移すだけにしておきます。 (8月8日アップ) |
8月4日(土)
起きてからは引き続きSSの制作のための作業──ではなくて、今日はまず、先週買い換えた古いテレビを家電リサイクル法に基づいてリサイクルしてもらうために、新しいテレビを買った電器屋へ古いテレビを持っていきます。その電器屋では、テレビを処理するメーカーに支払われるリサイクル料が2700円かかる他に、電器屋にリサイクル対象の家電製品(テレビ・冷蔵庫・洗濯機・エアコン)の引取料を払うことになりますが、買い換えと同時に引き取ってもらう場合は引取料が100円となっていました。新しいテレビを買いに来た時にそのことには気づいていたので、テレビを買った時のレシートを持っていって、買い換え同時引き取りの扱いにしてもらえないかと聞いてみると、買った当日なら100円で引き取るが日が変わってしまうと引取料が4000円になると言います。 しかし買い換えと同時に引き取るというのは、大型冷蔵庫や30インチのテレビなど、客が自分で持ち帰れない大型家電を電器屋に頼んで配送してもらい、そのついでに古いのを引き取ってもらうのを念頭に置いているでしょう。14インチのテレビとはいえ、客が商品を自分で持ち帰り、さらに古いのを自分で店に持ち込んだのですから、古いテレビを電器屋に取りに来てもらう配送料をおまけしてもらったっていいくらいなのに、引取料を4000円も取られたのでは割に合いません。 新しいテレビをその店で買ったことはレシートで証明できるのだから、なんとか買い換え同時引き取りの扱いにできないかと交渉しているうちに、テレビを買った時「その日のうちに古いテレビを持ってくれば引取料100円で引き取る」ということを店員が説明しなかった、と店が認めた形になって、古いテレビを100円で引き取ってもらうことができました。 今回はこうして、処理料と引取料の合計2800円(税別)で引き取ってもらえましたが、最も安いテレビなら1万円台で買えるこのご時勢に、テレビの場合処理料と引取料で6700円も取られるのでは、河川敷に古い家電製品を不法投棄する輩が後を絶たないわけです。 テレビの件が片づいて帰宅してからSSの制作のための作業を再開しますが、やはりなかなか捗らないので、今夜の更新では昨夜(もっと正確には今朝方)描いたラフCGを公開することにして、その準備をします。 そうしているうちに藤咲はじのさんからのメールが来て、暑中見舞と残暑見舞のCGをいただきました。そこでこのCGの公開準備も手早く済ませて、午後11時過ぎにサイトを更新します。 そして午前0時頃からチャットを始めて、チャット終了が午前5時──これではSSの制作が捗らないわけです。 (8月8日アップ) |
8月3日(金)
この週末は1日の項に書いた同級生2SSの制作に専念することにしましたが、どうも打鍵が捗りません。それというのもSSの題材になるのがゲーム本編終盤のイベントなのですが、ゲーム本編をDOS版でプレイしたのが今を遡ること6年前、Windows版に至ってはインストールしたまま全然手をつけていないという有様なので、イベントの時に登場人物たちがどんなやりとりをしていたかを全く思い出せなかったからです。 もちろん、ゲーム本編でのイベントをそのまま描写し、登場人物たちのやりとりも丸写ししたのでは、SSと呼べる代物ではなくなってしまいますし、打鍵しようとしている文章でもイベント場面がそのまま出てくるわけではありませんが、例えば文章中に篠原いずみの台詞として「その時、私は竜之介に『〜〜〜』と言ったんだ」と言わせるとします。この「〜〜〜」をうろ覚えで適当に書くのでなく、ゲーム本編での台詞を参考にして、忠実に写す──のは差し障りがあるなら自分なりに要約するというのは、ゲームをプレイしたことのある読者に「ああそうそう、そんな台詞があったな」とうなずいてもらうために使いたいやり方です。 とするとどうなるかと言えば言うまでもなく、Windows版をプロローグからエンディングまで、要所要所で台詞を手許の紙に書き取りながらプレイしてみることになります。キーボードの左右に攻略本とメモ用紙を広げ、右手にはボールペンを持ったままマウスを握り、左手はキーボードのCtrlキー(elfのゲームに共通する、読みたくない台詞を高速で飛ばすためのキー)に当てて、ボイスもBGMも効果音も消してゲーム画面に向かっている。どう見ても、ゲームをゲームとして楽しんでいるとは言えない態勢です。 宵の口からそんな作業をしていると、気分的に煮詰まってきます。週末前夜とて、夜半頃からは作業を中断してチャットルームに行きますが、それが終わった明け方には、「いいんちょ普及委員会」のペイントBBSに落書きなどしてみました。この落書きについては3号館別館2号室にコメントしてありますが、要するに「市民プールの夏」の二番煎じです。 (8月8日アップ) |
8月2日(木)
私の郷里の長岡市では、毎年8月1日から3日まで「長岡まつり」が開かれます。終戦直前の昭和20年8月1日から2日にかけて空襲を受け、新潟県内唯一の罹災都市となった長岡市では、昭和21年からこの時期に復興祭を開き、昭和26年に長岡まつりの名になってから、今年でちょうど半世紀を経ています。私は小学校に入る前に首都圏に引っ越しましたが、母方の実家が長岡市にあったことから、子供の頃は毎年この時期に帰省していました。祭のメインイベントは信濃川の河川敷で行われる花火大会で、長い間日本一と唱えられた「三尺玉」(玉の直径90cm・打上花火の直径で世界最大と認められているのは、小千谷市片貝の花火大会で上げられる四尺玉とされています)を始め、今は10号と呼ぶ尺玉が当たり前のように打ち上げられます。子供の頃はそれが普通だと思っていましたが、新潟県内に就職してから、県内の他の花火大会では5号か6号が普通で、10号を上げることもない(新潟市と上越市の花火大会は市街地の中で打ち上げるため、消防上の規制があるらしいです。有名な隅田川の花火大会も多分そうでしょう)と知って、改めて長岡の花火大会の別格さを知りました。 就職してからは、職業柄今の時期がいちばん忙しいため、同じ県内に住んでいながら長岡の花火大会を見に行くこともあまりありませんでしたが、半年ほど前に下級生リレーSSの順番が回ってきた時、長岡の花火大会を思い出して1つのエピソードをまとめたことがあったので、時間を捻出して久しぶりに花火大会を見に行きました。 長岡市の中心部は交通規制で渋滞しているだろうからと、市の西側を流れる信濃川に架かる、長生橋の西で高速バスを降りて、会場まで歩きます。長生橋とその下流に架かる大手大橋の間の、信濃川右岸の堤防に桟敷が設けられていますが、私を含むほとんどの観客は堤防の斜面に座り込んでいます。花火を打ち上げるのは信濃川の中洲で、市街地からはだいぶ離れているので、消防上の規制に触れずに済んでいるのでしょう。 花火が始まる前に長生橋を渡っている時に気がつきましたが、長生橋の西詰で灯籠流しをやっていました。後になって新聞を読んで知りましたが、昭和46年に信濃川ではいったん中止され、昭和59年に市内の柿川で再開された灯籠流しが、今年復活したということです。長岡まつりの原点は復興祭、戦災殉難者の慰霊の意を込めて開かれたことを、後世に守り伝えていこう、という趣旨のようです。 打上花火は「光と音の芸術」とも言われますが、打上花火を見ていると、空気中を音が伝わる速さが、光のそれよりずっと遅いのがよくわかります。打上花火の中で、上がる途中で光の尾を引く仕掛けがしてある花火の場合、まず打ち上げ地点から光の筋が上がっていくのが見え、それから「バンッ」という打ち上げの音が聞こえてきます。高田の花火は打ち上げ地点のすぐ近くまで行けるので、打ち上げの音がよく聞こえますが、長岡の花火は打ち上げ地点と観客席が離れているので、打ち上げの音はあまりよく聞こえません。光の筋が切れて一瞬間を置いてから、玉が割れて夜空に光の球が広がり、それから玉が割れる音、近くで聞いていると「ダンッ」という感じの音が聞こえてきます。かなり遠くで聞けばどうなのかわかりませんが、観客席くらいの距離から聞くと、玉が割れる音は「ドーン」という感じには聞こえません。そして花火によっては、1個の玉の中に小さい玉が入っていて、玉全体が割れてから広がった小さい玉がさらに割れる仕組みになっている物があり、この時小さい玉は一斉に割れるのですが、その音は「パチパチパチパチ」というように聞こえます。上空で小さい玉は直径100メートル以上の範囲に広がっていますから、一斉に割れてもその音が観客席まで届くには時間差があるわけです。 小さめの花火でしたが、割れて小さい玉が空に広がる時、球形でなくハート型や星形に広がった花火がありました。玉の中心に入れる火薬の配置を工夫して、小さい球を均等に飛ばさないようにしてあるのだと思いますが、具体的にどうなっているのか興味をそそられます。 花火大会が終わる頃には高速バスの便はなくなっていて、JRの増発列車で帰ってきました。 (8月8日アップ) |
8月1日(水)
ずいぶん日記の更新が滞っていましたが、もしや私が猛暑のせいで体調を崩しているのでは、と心配された方はいたでしょうか。私は今のところ健康です。日記の更新が滞っていたのは別の理由です。それが一段落した今、溜まりに溜まった日記の更新を済ませていきたいところです。 が9日の夜から夏コミに参加するために上京して、それから引き続き帰省する予定なので、9日の朝までに日記の更新が追いつかなければ、またしばらく日記の更新は停止することになります。 ちょうど昨年の今頃も、日記の更新が長く停止していたことがありました。あの時はパソコンの部品が故障するという事態に見舞われたからでしたが。 「同級生2」二次創作小説サイトとして、現在では稀有な大手サイトとなった「88らいぶらりぃ」が、今日8月1日で開設3周年を迎えます。私が初めてアクセスしたのがいつだったかは覚えていませんが、初めて掲示板に書き込みをしたのが一昨年の7月31日、つまり開設1周年前夜でしたから、それからもう丸2年が過ぎたわけです。 その間、CalvadosさんのSSの挿絵を描いて寄贈したり、投稿を募って用語集「88でぃくしょなりぃ」を作る企画に参加したりしていましたが、あくまで小説(二次創作に限らず、オリジナル小説も)主体のサイトの中では、今一つ認知度が低かったかもしれない、という気がします。 (もちろん、二次創作の表現手段としてSSの方がCGより高級である、などと考えているわけではありません。誤解なきように) それでここは一つ、同級生2のSSを書いて寄贈してみよう、と思い立ちました。 実はこのSSは、全く新たに稿を起こしたものではなく、最初の着想は99年の夏に遡ります。当時40万カウントに近づいていた「同級生FanPage」に、40万記念として寄贈できないか、と思っていました。 ところが構想段階で充分に練っていなかったため、打鍵を始めてから男主人公の性格造形に重大な疑問が生じてきて、冒頭と途中いくつかのシーンとラストシーンが固まっていたにもかかわらず、打鍵が中断してしまいました。そのうちに、寄贈するつもりだった同級生FanPageが休眠に近い状態になってしまい、私の方もサイトを開設するとその運営に熱中するようになって、SSは未完のまま永らく筐底に眠っていました。 今も、制作したいCGが何枚もある状態ですが、同級生FanPageの活動再開の見通しが全くわからない今、この機会を逃したら本当に日の目を見ないままになってしまいそうな気がしたので、できるだけ早く完成させて寄贈することに決めました。 (8月8日アップ) |
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