2001年9月後半の日記
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9月30日(日)
昨夜は久しぶりにチャットルームに行って、午前4時過ぎまで話し込んだ挙句、今朝と言った方がいいような時間まで起きていましたが、今日は午後から出かける用事があるので、正午前に無理矢理起きます。
今日の行き先は、7月にオルガンの演奏会を聴きに行った新潟市の教会です。もちろん、今日もオルガンの演奏会を聴くのが目的です。
今日の演奏会も2部構成で、第1部は幅広い時代のオルガン曲、第2部はオルガンとチェンバロの聴き比べでした。第1部で演奏された曲の年代は、フレスコバルディ(イタリア・1583〜1643)からパッヘルベル(1653〜1706)、J.S.バッハ(1685〜1750)を経てメンデルスゾーン(1809〜1847)にわたります。前回はM.デュプレ(1886〜1971)まで演奏していましたから、それよりは古い時代にとどまりましたが。
パッヘルベルというと、3つのヴァイオリンと低音のためのあの「カノン」が有名ですが──カノンというのは本来音楽の形式の名前の一つで、一昨年以来巷を席捲している某ゲームとは直接の関係はないと思いますが──最も多くの作品を残したのはオルガン曲で、海外ではCD十数枚になるオルガン曲全集がリリースされているのを秋葉原の輸入CDショップで見ました。それに対してパッヘルベルのオルガン曲の日本語版のCDは、知っている限りでは、バッハ以前の作曲家の作品集の中に2曲ほど収録されているに過ぎません。日本ではバッハ以前の音楽のCDそのものが、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲のうちわずか4曲を除いてはほとんど発売されていませんが、その中でもオルガン曲のCDは少ないのを感じます。
バッハの作品は第1部では2曲演奏されましたが、1曲は私の気に入っている曲の一つでありながら、最近の研究でどうもバッハの真作ではなくて弟子の作品であるらしいとされて、「バッハ オルガン作品全集」といったCDに収録されることが少なくなった曲です。バッハほどの作曲家でも、近現代の作曲家と違ってほとんどの作品の自筆譜が残っていず、まして生前に出版された作品はごくわずかしかないので、研究が進むにつれて「バッハの作品らしい」という曲が次々に見つかってくる一方、今までバッハの作品とされていた曲でもバッハの真作ではないとされる曲が相次いでいるので、「バッハは生涯に何曲作曲したのか」という素朴な質問には、「今となっては知る由もない」としか答えられないのが現実です。 実はこれと同じようなことが、もっと後のモーツァルトについても言えるのです。モーツァルトも自筆譜の残っていない作品が多く、19世紀の研究者によってK番号がつけられた曲は600曲以上ありますが、その中に、後世の研究の結果明らかに他人の作品とされた曲や、番号はあるのに曲そのものが残っていなくて真作かどうか確かめようがない曲がけっこうあるらしいです。
真偽の定かでない作品がこうたくさん存在するのは、作曲者が自分の名前を入れて出版することが、モーツァルトくらいまではあまり盛んでなかったこともありますし、著作権という意識がなかった時代ですから、作曲者があずかり知らぬ所で楽譜商が「誰々の作品」として出版してしまうとか(ヘンデルの作品にその例がある)、中には作曲家が他人の作品を自分の作品と偽って出版するといったことが横行していたからでもあります。
さて、最近の研究で「バッハの真作でない」とされたためにバッハの全集に収録されなくなった曲があるという話に戻りますが、バッハのオルガン曲のみならず全作品の中で、あるいはバロック時代のオルガン曲の中で、最も有名な曲であると言っても過言ではない、あの「トッカータとフーガ ニ短調」が、バッハの真作ではないかもしれない、という説が提唱されているそうです。バッハの作品のうち、「トッカータとフーガ」という題名を持つ他の作品と比べてみると、あまりにもバッハの作品らしくなさすぎる、というのがその論拠らしいのですが、私には何とも言えません。しかし、もしあの曲がバッハの真作でないことが証明されてしまったとしたら、この曲は世の中の大勢のオルガニストの重要な十八番ですから、きっと大変なことになるでしょう。それでいつの頃からか私は、「レパートリーの乏しい二流のオルガニストが最も恐れる事態は、『トッカータとフーガ ニ短調』がバッハの真作でないと証明されること」という皮肉を心に描くようになりました。
メンデルスゾーンのオルガン曲というのは、作品番号がついているのは作品37の3曲の「プレリュードとフーガ」と作品65の6曲の「ソナタ」だけですが、作品番号のない曲を集めると30曲以上あり、CD3枚組の全集を私も持っていて、買ったばかりの頃は毎日のように聴いていました──ですがこれも輸入盤で、メンデルスゾーンのオルガン曲の日本語版のCDは、秋葉原で目にしたことはありません。
今日演奏されたのはプレリュードとフーガの1曲で、様式的には同じ題名を持つバッハの作品の影響を受けているのを感じます。メンデルスゾーンというと、たぶん誰もが真っ先に思い浮かべると思うのが有名なヴァイオリン協奏曲ホ短調で、情緒豊かなロマン派の作曲家だと思われているでしょうが、オルガン曲に限っては、かなり古風な曲も書いています。それはメンデルスゾーンの才能の限界というよりは、オルガンという楽器そのものが、ピアノの急速な発達とは対照的に、バッハの時代からほとんど変化しないままだったからかもしれません。19世紀後半のフランスでオルガンの飛躍的な革新が行われ、フランクやサン=サーンス、ヴィドールといった作曲家が全く新しいオルガン曲を書き始めるには、もうしばらく時間を必要としたのです。
第2部ではバロック盛期のフランスとドイツの、鍵盤楽器の曲を聴き比べるということで、フランスからF.クープラン(1668〜1733)、ドイツからバッハを取り上げ、それぞれのオルガン曲とチェンバロ曲を演奏しました。
クープランのオルガン曲というのは2曲のミサ曲しか伝わっていませんが、当時のフランスのオルガン曲の趣向として、リードストップのソロによる特徴的な音色を愛好する傾向があって、「××による○○」という具合にストップの名前が曲名に含まれているほどです。それに対してバッハのオルガン曲は、似たような曲を選ぶことにしたのか「ルター派のオルガンミサ」とも呼ばれる曲集から選んでいましたが、音色にはほとんど重点を置いていません。
ずっと前にチェンバロの演奏会でクープランの特集を聴いたことがありますが、フランスとドイツの音楽の違いは、チェンバロ曲になるともっとはっきりしてきます。同じ「組曲」というジャンルでもバッハの作品だと、アルマンド・クーラント・サラバンド・ジーグという4曲の舞曲(ワルツとかタンゴというのと同じだと思ってください)を中心に、メヌエットやガヴォットといった舞曲を1つか2つ加えた形をとるのですが、クープランの作品だと舞曲はあまり多くなくて「愛のウグイス」のような標題音楽が多く、1つの組曲が十数曲からなっているのもあります。
標題音楽的な曲をたくさん並べるというフランス音楽の趣向はバロック時代だけではなくて、19世紀後半のオルガン曲にも見られます。この時代のフランスには「オルガン交響曲」というジャンルの音楽があって、オルガンの表現力を駆使してオーケストラ的な表現を目指した大規模な作品ですが、一般にオーケストラのための「交響曲」という言葉から想像するような、例えばベートーヴェンの交響曲とはかなり異なります。
ベートーヴェンの交響曲というと、例えば第5番ハ短調「運命」は4楽章からなり、第1,3楽章がハ短調、第2楽章が変イ長調、第4楽章がハ長調となっていますが、オルガン交響曲の中で私が気に入っているヴィドール(1844〜1937)のオルガン交響曲第8番という曲は7楽章まであり、それぞれの楽章の調はロ長調−ホ長調−ロ短調−イ短調−ニ短調−嬰ヘ長調−ロ短調となっています。こういった遠い調の楽章が一つの曲に含まれることは、古典派の交響曲にはあまりありません。
交響曲の各楽章の調
またこの曲は初版では7楽章でしたが、作曲者によるその後の改訂で第4楽章が取り除かれ、普通は6楽章の曲として演奏されています。あるいは、ヴィドールのオルガン交響曲の中で比較的有名なのは第5番ですが、その曲は最後の第5楽章“トッカータ”だけが独立した作品のように演奏されることがほとんどだそうです。こういったことからすると、交響曲というよりもそれぞれの楽章が比較的独立した自由な組曲に近い性格を持っているようです。
(10月3日アップ)

9月27日(木)〜29日(土)
近頃はNimdaやら何やら、極めて兇悪なコンピュータウイルスが蔓延しているようなので、職場でも自宅でもパソコンのウイルスチェックは欠かせません。27日の夜、ウイルスチェックのついでにNorton Disk Doctorを起動してハードディスクの完全チェックをやらせてみましたが、これが非常に時間がかかります。
そこでパソコンが使えない数時間の間、何か他のことをしようと思って、やったのがDreamCast版「Kanon」のプレイ再開です。
前に突然、プレイを続ける意欲が消え失せてしまったゲームなのですが、DreamCast版にはトゥルーエンドを迎えた後で見ることのできるおまけCGが追加されていることに、水瀬名雪・美坂栞・沢渡真琴のシナリオをプレイしてきて気づいたので、川澄舞と月宮あゆのそれも見てみようと思ったという、何だかもう自分という人間の行動基準は「せっかくだから」以外にないのか?と自分自身にツッコミを入れたくなるような話です。
その舞シナリオの最後の方に、「そうやって(舞が)眼鏡かけて読書してると、頭良さそうに見えるんだけどさ…」というテキストを見つけた時、「あっ、もしかしたらこれは…」と一瞬心が揺らいだのは、連作CG「彼女が眼鏡をかけたら」シリーズです。
前から思っていましたが、Kanonで有卦に入っているKeyのゲームは、KanonとAIRだけでなく、前身に当たるTacticsの「ONE」も含めてみても、眼鏡キャラ率が非常に低い、というよりゼロです。眼鏡が似合いそうな女性キャラとなると、AIRの霧島聖くらいでしょうか、ONEは未プレイなので何とも言えませんが、Kanonには、眼鏡をかけた場面を想像することのできるキャラすらいない、と感じていました。
そこに、制作元からこんなテキストが示されたのです。これは発想力欠乏症候群を患う二流CG画家としては、またとない機会と言うべきでしょう。
と言いつつ、この日記を打鍵している10月2日になってもまだ、具体的なCGの制作に取りかかってもいないのですが……。

29日には、DreamCast版Kanonのプレイを終えました。舞シナリオとその外伝的な佐祐理シナリオ、そして最後のあゆシナリオですが、この3つのシナリオには、最後の方に長いナレーションがあるという特徴があります。
このゲームの本編は基本的に主人公相沢祐一の視点から語られるので、ナレーションはないのですが、3人が昔を思い出すような場面(このように突然語り手が変わるという手法は、導入を上手にやらないとプレイヤーを困惑させる恐れがあります。佐祐理の場合はうまくいっていましたが)でそれぞれのキャラによるナレーションが入っているのです。
それを聞いていてふと思ったのですが、このナレーションはそれぞれのキャラと同じ人が声を当てているのでしょうか?
舞のナレーションは比較的、舞本人(田村ゆかりさん)と声が似ていると感じたのですが、佐祐理(川上とも子さん)とあゆ(堀江由衣さん)は、ナレーション中に差し挟まれる本人の台詞とは、まるで別人の声に聞こえるのです。
漫然と聞いていると別人の声にしか聞こえないような声を一人で演じ分けるのが、プロの声優のプロたる所以なのかもしれませんが。
(10月2日アップ)

9月25日(火)〜26日(水)
気がついたら、日記の更新がまるまる1週間、止まっていましたね……って他人事みたいに。
この1週間は、まあそれなりにいろいろなこともあったので、忘れてしまわないうちに、ただしあまり時間を注ぎ込まない程度に打鍵してアップしておきましょう。
この1週間は、CGの制作意欲が湧いてくるまではゲームの消化に当てることにすると決めたので、25日からWindows版「同級生」をプレイしていきます。26日には、ゲーム中の日付で8月26日まで進みました。ところが……
(10月1日アップ)

9月24日(月)
せっかくの休日、それも見事に晴れた外出日和の日に、図書館が休みだからといってどこへも出かけず、日がな一日ウェブ日記を打ってばかりいるというのも、有意義な時間の過ごし方ではないような気がします。と言っても相変わらず創作活動の意欲が湧いてこないのですが、日記がやっと一区切りついたので、久しぶりにゲーム、Windows版「同級生」を再開することにします。
明日からは平常通りの仕事なので、日記に書くほどの目新しいこともないでしょう。今後しばらく日記が更新されなかったら、その間はずっとゲームをしていたものと思ってください。

9月23日(日)
昨日の今日ですが、また新潟市の市民芸術文化会館へ、今度は新潟メモリアルオーケストラのコンサートを聴きに行きます。メモリアル──というと何やら荘厳な感じがするのですが、新潟大学管弦楽団のOB・OGによるオーケストラです。しかも今日のコンサートも無料です。
曲目は、前半がボロディンの歌劇「イーゴリ公」より「だったん人の踊り」とプロコフィエフのバレー音楽「ロメオとジュリエット(抜粋)」、後半がチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」、アンコールはチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」と、ロシア尽くしでした。
ボロディンとチャイコフスキーはオーケストラのレパートリーとしてはおなじみの曲、それどころか「悲愴」に至っては、アマチュアオーケストラに加わっている知人が「オーケストラの地方公演が、どれもこれも『運命』『未完成』『新世界より』『悲愴』ばっかりなのは全く不幸なこと」と言っていたことがあるくらいで、チャイコフスキーの交響曲6曲の中でもこの曲だけが特別に有名なのは、やはり題名がついたというのが大きいのではないだろうかと思います。
実はチャイコフスキーの交響曲6曲のうち、第1番には「冬の日の幻想」、第2番には「小ロシア」、第3番には「ポーランド」という題名がついていて、第1番には第1,第2楽章にも個別の題名がついているのですが、これらの3曲は第6番は勿論のこと、題名のついていない第4,5番に比べても演奏される機会はずっと少ないです。また私自身は、陰々滅々たる終わり方をする第6番よりも、高々と凱歌を上げるような終わり方をする第5番の方が気に入っています。
それに比べるとプロコフィエフはあまりなじみのない曲目で、私も初めて聴く曲でした。シェイクスピアの戯曲「ロメオとジュリエット」は、チャイコフスキーにも幻想序曲「ロメオとジュリエット」という作品があって、私はそっちの方のCDを持っているくらいで、悲恋物としては人口に膾炙した名作ですが、どこで読んだことだったかうろ覚えですが……ジュリエットは14歳(*)だったとか。なんてろくでもないことを書くのは止めておきましょう。
今度のオーケストラの演奏も、ジュニアオーケストラの演奏会の時と同じで、聴き慣れたCDの演奏に比べて弦楽器が弱く、木管楽器が目立っていました。チャイコフスキーの第1楽章冒頭では、6人のコントラバスをファゴット1人で覆い隠していたくらいです。生演奏とCDで、弦と管のバランスがこんなに違うとすると、CDを作る時には、弦が管より優勢になるようにマイクを配置するとかしているのだろうか、という疑問が起こってきます。

テレビ番組はニュースすらほとんど見ない私が、欠かさず見ることにしているテレビ番組というとNHKの大河ドラマぐらいですが、ここ数回の放送は、いよいよ北条時宗を綺麗に描きすぎている印象が強くなってきました。その最たる物が、異母兄時輔を討った悔恨と罪悪感からでしょうか、時輔の遺児それも男子を、実子(後の北条貞時)と分け隔てなく養育している、という話です。
この時代における最大の実力者である北条得宗(北条本家の家督相続者つまり現在の時宗)から見ると、得宗に対する謀叛に連座して討伐された時輔の遺児しかも男子なんていう人物は、どんなに年端の行かない子供であろうが、いや年端の行かない子供であればこそ、最も危険な存在です。なぜなら反得宗勢力(北条一門の分家、あるいは足利氏など)がその存在を知ったら、大喜びで謀叛の旗印に担ぎ出すに決まっているから。そしてその旗印には、自分の意見を持っている大人ではなくて、黒幕が旗印の名の下に思いのままにできる幼児が適しているのは、この頃の将軍が代々ほんの幼児が就任し、大人になると廃されていることが教える通りです。
ですから時宗が、権力闘争の常識を知っている人間であるなら、将来の禍根を断つために、どんな個人的感情があろうが異母兄の息子など真っ先に処刑すべきであって、それができないようなら執権など務まるはずがありません。実際正史では、時輔の遺児はもう少し後に見つけ出されて追捕され、斬首されていたはずです(国史大辞典による)。近い将来、自分と自分の実子の生命を狙い地位を危うくする勢力が出てきた時、その勢力が大喜びで利用するに決まっている人物を、自分の実子と分け隔てなく養育するなど、あの時代の常識からすれば正気の沙汰ではありません。極めて不穏当な喩えをすれば、今のアメリカ政府がタリバンに武器の援助をするようなものです。
いくらドラマ、稗史だからといって、政治の中枢にある人物をこんな人物に造形されては、見ている方が白けます。しかもなぜか生き延びていた時輔がモンゴル軍の手引きはするは、モンゴルから日本に再び寝返って博多に残っていることが時宗に知られるは、次回予告では佐志房の養女が足利泰氏だか頼氏だかの落胤ということになる様子。何なんでしょうねぇ……。 
(*)後で図書館へ行って調べてみたところ、シェイクスピアの作品ではジュリエットの年齢は13歳に設定されているそうです。(この注記のみ10月3日アップ)
(9月24日アップ)

9月22日(土)
今日は、先月ジュニアオーケストラの演奏会を聴きに行った、新潟市の市民芸術文化会館へ、オルガンのコンサートを聴きに行きます。このところオルガンが「マイブーム」なのですが、オルガン曲に凝り始めた頃に新潟市の近くに引っ越してきて、本物のオルガンの生演奏を聴きに行く機会が増えたことは、実に有難いことです。
しかも今日のコンサートは、今月から来年2月まで月に一度土曜日の昼間に開く「オルガンプロムナードコンサート」の第1回に当たるのですが、市民に、最新かつ国内有数の大型のパイプオルガンになじんでもらおうということなのか、この企画は太っ腹なことに入場無料です。そうは言っても普通のコンサートのように休憩込みでたっぷり2時間というのではなくて、大オルガンのコンサートは1時間弱、それに前座のような感じで、ホールの外で小型のオルガン(ポジティフオルガン)を10分ほど弾くと案内していました。
実は私が期待していたのはポジティフオルガンの方です。見た目は小学校の教室にあるリードオルガンと大差ない大きさで、手鍵盤は1段、足鍵盤はありませんが、れっきとしたパイプオルガンで、ストップが5つあります。前座のコンサートでは最初にJ.S.バッハのインヴェンションから1曲弾いてから、ストップの説明をしましたが、「楽譜に書いてある通りの音が出るストップと、1オクターブ高い音が出るストップと、2オクターブ高い音が出るストップ」という説明をしながら、それぞれのストップを単独で鳴らしていたのは、私に言わせれば見当違いな説明でした。
バロック時代から今に至るまで、オルガン曲に使う最低音(楽譜上の)は、中央のドから2オクターブ下の音で、この音を出すパイプの長さが、端が開いているパイプ(開管)だと8フィート(2.4メートル)になることから、楽譜に書いてある通りの音を出すストップを8フィートと呼びます。1オクターブ高い音が出るストップは4フィート、2オクターブ高い音が出るストップは2フィートと呼びます。
長さ8フィートのパイプを備えたオルガンの高さは3メートル以上になるので、ちょっと移動できる大きさではありませんが、端が閉じているパイプ(閉管)を使うと、開管のほぼ半分の長さのパイプで同じ高さの音が出ます。それで一般にポジティフオルガンでは、最も基本となるストップには閉管の8フィートを使います。こうすることで移動できるくらいの大きさに作ることができる代わり、閉管は構造上、開管に比べて倍音が少なくなります。
(オルガンに限らず楽器の音はどれも、楽譜に書いてある通りの高さの音((基音))と、その2倍・3倍・4倍…の周波数の音((倍音))からなっていて、倍音の鳴り方の違いによって音色が変わります。電子オルガンがいろいろな音色を出せるのは、倍音の鳴らし方をさまざまに変えているからです。人間が同じ高さの声で「あ」と言った時と「い」と言った時の声の違いも、非常に複雑な倍音の違いだと考えて下さい。
オルガンのパイプの場合、開管は2倍・3倍・4倍…の倍音がどれも鳴りますが、閉管は奇数倍の倍音が鳴るのに対して、偶数倍の倍音はほとんど鳴りません。2倍の倍音が鳴らないことに注目して下さい)
倍音の多い開管と少ない閉管の音色を形容するのは難しいのですが、楽器の構造上の類似点も考えて、開管がリコーダー、閉管がオカリナに似ていると思って下さい。パイプオルガンと聞いてすぐに想像するような、張りのある鋭い音色ではなくて、丸い穏やかな音色です。
このような閉管特有の丸い音色がポジティフオルガンの特徴だと言えないこともないのですが、曲によってはもっと張りのある音色で演奏したくなることもあるでしょう。その時に8フィートと一緒に閉管の4フィートのストップを使うと、4フィートのパイプは基音の周波数が8フィートの2倍ですから、8フィートの基音から見ると2倍・6倍・10倍…の倍音が鳴ることになります。さらに閉管の2フィートも一緒に使うと、4倍・12倍・20倍…の倍音も鳴ります。これを8フィートの閉管で鳴る倍音(3倍・5倍・7倍…)と合わせると、2倍・3倍・4倍・5倍・6倍・7倍…の倍音が鳴ることになり、閉管の8フィート単独よりは開管に近い音色が出せるのです。もちろん使うストップを増やせば、同時に音を出すパイプの数も増えますから、音量も増しますが、それは必ずしも本来の目的ではありません。
要するに、オルガンのストップの本来の目的は音色を変えることであって、音域を変えることではないのです。だから4フィートを単独で鳴らして「1オクターブ高い音が出ます」ではなくて、8フィート単独と、8フィートと4フィート一緒に鳴らすのとを比べて「音色が違うでしょう」という説明をしてほしかったのです。
バッハのインヴェンションを弾いたことは、あの曲を「ピアノのための曲」と思っているに違いない一般の人には多少奇異に感じられたかもしれませんが、そもそも現代のようなピアノがなかった時代に書かれた曲ですし、バロック時代にはチェンバロとオルガンのレパートリーは後世のピアノ曲とオルガン曲ほどには分かれていませんでしたから、1段鍵盤のチェンバロのための曲をポジティフオルガンで弾くことは、あの当時の演奏習慣としては決しておかしなことではありません。すぐ後で、それをもう一度知らされることになります。
大オルガンのコンサートの方ですが、楽器がスペイン製で、スペインの古いオルガンに特徴的なストップを備えているということで、まずバロック時代のスペインのオルガン曲を3曲演奏しました。
スペインのオルガンに特徴的なストップというのは、パイプが観客席に向かって水平に突き出している「水平トランペット」というストップ(普通のオルガンのパイプは垂直に立っています)で、トランペットという名前どおり非常によく通る、リードストップの中でも特徴的な音色を持っています。
オーケストラの管楽器には、音を出す仕組みで分けると3種類、つまり楽器に開けた穴の縁に息を当てて音を出すフルート、唇に挟んだリードを吹いて鳴らすオーボエ・クラリネット・ファゴット、マウスピースに当てた唇で音を出すホルン・トランペット・トロンボーン・チューバがありますが、パイプオルガンのストップも、フルートと同じ理屈でパイプの縁に風を当てて音を出すフルーストップと、原理的にはハーモニカと同じようにリードに風を当てて音を出すストップがあって、後者をリードストップと呼びます。もちろん音色は大きく違います。フルーストップのパイプは第一に音の高さを決めるものですが、リードストップのパイプは共鳴によって音色を決めるもので、一般的に「トランペット」「トロンボーン」という名前の付いているストップのパイプは、その名前の楽器に似た、先が広がった長いパイプです。水平トランペットはそれが水平に突き出しているので、オルガンの外見も非常に特徴的なものになります。
スペインのオルガン曲に続いてバッハの曲を2曲、ペダル付きの大オルガンのための変奏曲と、トッカータを演奏しました。
──というと誰でも知っている、あの「トッカータとフーガ ニ短調」を連想するところですが、それではなくて、チェンバロのために書かれた曲として演奏会でたまに取り上げられる曲です。曲の冒頭はこういう具合(上段)ですが、これをペダルのソロでやったのには仰天しました。
楽譜
しかし実はこの音形は、ペダルのソロにはうってつけの音形なのです。有名な「トッカータとフーガ」にも、下段のようなペダルのパートがあります。
そう考えてみると、バッハ自身もこのチェンバロのためのトッカータを、もしかすると教会で聴衆の求めに応じてオルガンで演奏してみせた時には、この部分をペダルのソロで演奏したかもしれないな、という気がしてきます。
(9月24日アップ)

9月21日(金)
献血記念品 7月に献血して献血回数が通算100回になりましたが、その記念品が郵送されてきました。
右の写真のようなガラスの杯ですが、写真下の物差しの、緑の部分に入っている縦線の間隔が5cmですから、どのくらいの大きさか見当がつくと思います。通算50回の時の金色有功章は名前入りの盾でしたから、それに比べてもあまり有難味がありません。
というのは筋違いな話で、献血をするのは表彰されるのが目的ではないはずです。私の身内を見回しても、糖尿病だから、高血圧だから、逆に低血圧だから、あるいはイギリスに住んでいたから、という具合で献血したくてもできない人が何人もいるので、献血できるだけの健康に恵まれていることに感謝すべきです。それも最近、少し怪しくなってきましたが。
夜になって巡回していると、Nimdaウイルスの感染が急激に拡大しているという情報が入ってきました。私はInternetExplorer5とOutlookExpressを使っていますから、WindowsUpdateを使ってブラウザとメーラーを更新し予防策を講じるとともに、アンチウイルスソフトのウイルス定義ファイルを最新の物に更新してからウイルスチェックをします。今のところ感染してはいませんでしたが、ウェブサイトを見るだけで感染するとなると、しばらくは警戒が必要です。
(9月22日アップ)

9月17日(月)〜20日(木)
オフ会とそれに続くサンクリで疲れたのか、ウェブ日記を更新する意欲もあまり湧いてこないまま、何となく日が過ぎていきます。
もちろん社会人ですから、昼間は後ろ指差されないように仕事に精を出します。そうすると帰宅後には創作活動やウェブ日記の打鍵をする気力がなくなって、東京で買ってきたCDを聴きながら、「ToHeart」のコミックアンソロジーや同人誌を何となく眺めています。
それでも一応毎晩、メールと掲示板のチェックはしていますが、18日の夜には常用掲示板を置いているteacupのサーバにアクセスできないことがわかりました。
こんな時のための予備掲示板ですから、サーバの復旧が確認できるまでの間、当座の措置として予備掲示板に切り替えます。
19日の夜になるとteacupのサーバにアクセスできるようになりましたが、アナウンスによると、当サイトの常用掲示板がある www60.tcup.com サーバは今後も数日の間、混雑する時間帯にはアクセス過多によりダウンする見込みとのことなので、状況改善の告知が出るまでは予備掲示板を使うことにします。
(9月22日アップ)

9月16日(日)
解散後、池袋駅へ向かう他の人たちと別れて、私は一人サンシャインシティを目指します。もちろん「サンシャインクリエイション13」に参加するためです。
しかし時刻は午前6時前。周りに民家が全くなく開催中は東京ビッグサイト全館を借り切ってしまうコミケと違って、サンクリの会場はサンシャインシティの一部で、サンシャインシティには他に多くの店舗やホテルがありますし、サンシャインシティの周りには民家もあります。そういった関係で、堅気の衆との共存を図るために、最近サンクリ事務局は早朝来場者の取り締まりを厳しくし(徹夜は言うに及ばず)、近隣の迷惑になると見なした早朝来場者には入場を後回しにするというペナルティを課しています。
それで私はサンシャインシティ周辺のある場所でしばらく待機してから、コンビニで食糧とスポーツドリンクの1.5リットルペットボトルを仕入れ、10時前にプリンスホテルの横に相当する地上4階の露天広場へ行き、入場待ち行列に並びました。
今回のサンクリは、ワールドインポートマート4階のA1ホールとA23ホール、文化会館4階(ただしワールドインポートマート4階よりも高い)のB1ホールの3ホールで開催され、ホールごとに行列を作っていました。A1ホールは同人ソフトとKey系同人誌、A23ホールはコンシューマと男性向け同人誌、Bホールはギャルゲー系(Key系を除く)同人誌という配置なので、並ぶ行列はBホールの列です。それにしても夏コミといい今度のサンクリといい、Key系サークルの多さにはため息が出ます。
列ができはじめているにもかかわらず列に並ばずにそこここに屯している人たちは、やがて三々五々腰を上げて中へ入っていきます。サークル入場の人たちがそうして入場を終えて、やがて11時近くなると、Bホールの入場待ち行列は動き出して、Bホールへ通じる階段の下に移ります。そして11時に開会が宣されると、入場待ち行列だけでなくホール入口横の企業ブースからも拍手が湧き起こります。ホールに入場が始まると、入場証を兼ねているカタログを右手に掲げて入っていく入場者に、スタッフから「おはようございまーす」と声がかかります。
この時卒然と思い当たったことは。コミケで入場者を迎える会場スタッフの第一声は、ほぼ例外なく「走らないでください!」ではなかったかと。サンクリの入場時に走る人を見ないのは、コミケに比べれば参加者が少ない分だけ、誘導がうまくいっているのでしょうか。あるいはカタログの後ろの方に載っていましたが「サンクリのいい所〜あまり殺伐としていない(参加者)/のどかな雰囲気がサンクリの売りであります(スタッフ)」という記事があるように、サンクリくらいの規模が、イベントを良好な雰囲気で開催することのできる上限なのかもしれません。
今日の第一目標は、夏コミで買いそびれた「泰鈴堂」のToHeart本「私を球場に連れてって!」。Bホールに入場するなり泰鈴堂のブースへ直行します。その後はBコースの入口寄りに並んでいるLeaf系サークルを一通り見ていきます。夏コミの後、買ってきた同人誌を物品台帳と出納帳に記載するのに手間取ったことに鑑みて、今回は1つのサークルで何かを買ったらすぐに人通りの邪魔にならない場所へ行って、サークル名・買った物の名前・値段を手帳に書き留めておきます。帰宅後は手帳に書いてある項目をExcelファイルに打ち込めば済みます。
そうやって一通り見て回っていると、Leaf系サークルがKeyの本を置いていたり、オリジナル創作系のサークルが「痕」の小説本を置いていたりします。そういう中に思わぬ掘り出し物が見つかることもあって、With Youの小説本をメインにしているサークルでToHeartの小説本10冊(続刊あり)を買いました。とこうやって本を買うのはいいのですが、ウェブにもLeaf系の二次創作小説サイトはあまたあり、そこに公開されている作品は星の数ほどあると思うと、Leaf・Key系二次創作の世界というのは、ある意味では「禁断の世界」かもしれません。
夏コミに続いて今回のサンクリでも「猪名川由宇FC好きやねん」が参加していて、スペースを通りかかると声を掛けられました。私が加わっている「いいんちょ普及委員会」は今回は不参加ですが、好きやねん関係者の方々にも顔を覚えてもらっているようです。
全体的に見ると、最近至る所で有名になっている漫画「あずまんが大王」のパロディが目に付きました。この流行は昨日今日始まったものではなく、6月のドルパ5でも、5月のめがねっこフェスティバルでもはっきりと感じられたものです。かく言う私も単行本第3巻の発売をネットで知って、発売当日に買っていたりするのですが、スペースに置いてある見本誌を読むと「あ、これの元ネタはアレだな」と思い当たるのが多々あります。私ももっと画力がついてきたら、描いた本人にしかわからない自己満足的なパクリではなくて、見た人が誰でもわかるようなパロディ──いやオマージュと呼ばれるに値する作品を制作したいものです。

午後3時半に閉会が宣せられると、開会の時、あるいはコミケの閉会の時と同じように、拍手が湧き起こります。完売したサークルの中には閉会前に撤収を済ませているサークルも少なくありませんが、多くのサークルはスタッフに協力して会場の撤収に当たります。私は屋外の喫煙スペースに出て、無慮80点買い込んだ品物をリュックサックに詰め直しますが、午後4時過ぎにそれを済ませて屋内に戻った頃には、Bホールの撤収はほぼ終わっていました。
サンシャインシティを後にする頃には、もう帰心矢の如しですが、すぐ近くに「K-Books」と「とらのあな」があるので、夏コミの後に秋葉原で買えなかった同人誌を、場所を変えてもう一度探してみようと思い立ち、地面にめり込みそうな足を引きずって両店を当たってみました。
しかし今日発売の新刊や夏コミ新刊はサークル毎に分けて棚に並べてありますが、それ以前に発売された旧刊になると、表紙の見えない棚に雑然と突っ込んであって、探し出すのが大変です。かなり時間をかけて探したつもりでしたが、夏コミの時から探していた本は見つかりませんでした。それでもめぼしい本を何冊か見つけたので買い込み、さらに重くなったリュックサックを背負って池袋駅へ向かったのは、午後6時半でした。もう秋葉原へ行く気力も失せて、上野から上越新幹線に乗って新潟へ帰りました。
(9月22日アップ)

9月15日(土)
今日は夕方から池袋で、「麗子となりぽしの部屋」チャットルーム常連の方々のオフ会があります。私にお誘いがかかったのは7月の末で、もちろんすぐに参加表明しました。その後で夏コミの初日に、オフ会の翌日9月16日に池袋のサンシャインシティで「サンシャインクリエイション13」が開かれると知ったので、オフ会から引き続きこれに参加することにします。
上京が決まったら、交通手段はなるべく早く手配しておくに越したことはありません。新潟県から東京へ往復する最も安い交通手段であるところの高速バスを予約する時間的余裕は充分にありましたが、今回は16日の帰りが昼行の最終便に間に合わない可能性が大きく、といって夜行便で早朝に帰ってきてすぐに出勤するのでは、仕事に差し支えるのが目に見えています。それで今回は高速バスは使わないことにします。
その代わり、6月に両親が来た時に使ったという上越新幹線の特別割引切符を使うことにしました。これは往きが早朝の特定の列車の指定席に限定される代わり、通常の片道料金に少し上乗せしたくらいの金額で往復できるものです。
新潟←→東京都区内 この切符の発売額 12,000円
新潟─→東京 上越新幹線、通常の片道料金(9月の土曜日、普通車指定席) 10,270円
新潟←→新宿 夜行快速、往復料金(9月の金曜日〜日曜日、指定席) 11,940円
新潟←→池袋 高速バス(往復割引) 9,450円
帰りの列車には一切の制約がないので、最終あさひ(東京発21:40)まで滞在できます。早く帰りたくなったらもっと早い列車で帰ってくることもできるので、今後上京にはこの手の格安乗車券を使うことが増えるでしょう。
ただし難点は、往きが早朝の特定の列車に限定されることで、利用できるいちばん遅い列車でも新潟発6:51(東京着9:00)です。オフ会の集合時刻が午後6時なのに、いくら何でも早すぎますが、上野の美術館・博物館、秋葉原のゲームショップなど、時間調整できる場所はいくらでもあります。

往きの新幹線の車内では、同時多発テロに対してアメリカの上院が武力行使容認決議をしたとか、大統領が予備役の召集を決定したという類のニュースが流れていました。五体満足な30代の男性がオフ会だの同人誌即売会だのにうつつを抜かしていられる日本は、つくづく平和な(少なくとも危機感を感じられない)国です。
東京駅で新幹線を降りてから、まず上野へ戻ってみましたが、上野の美術館・博物館ではこれといった展覧会をやっていません。そこで次は本郷にある輸入楽譜の専門店へ行ってみましたが、土曜日営業のはずなのに、今日は祝日のため休業でした。ここまで来てやっと、今日は「敬老の日」だったことを思い出した次第です。
それから神田の三省堂や秋葉原の石丸電気などを歩き回って、クラシックのCDやスコア、いくつかのゲームのノベライズや「ToHeart」のコミックアンソロジーなどを買い込みます。ゲームの攻略本は、1冊に自分が持っているゲームが1タイトルしか収録されていないのに1冊買うのは割に合わないので買わないことにし、インターネットで情報を収集することにします。

午後5時半に秋葉原を後にし、オフ会の待ち合わせ場所である池袋へ向かいます。待ち合わせ場所は、昨年のオフ会で待ち合わせ場所に指定した場所と同じでした。
ここで待ち合わせることになっていたのは、幹事のなりぽしさんの他、なりぽしさんの車に相乗りしてきた鬼虎さん、工藤龍哉さん、ルカさんでした。なりぽしさんと東京で落ち合うはずと聞いていたひろゆきさんは、秋葉原集合組に変更になったとのことです。
バナー入り名刺 と、名前だけ聞いていても、私はなりぽしさん以外の方とは初対面です。そこで今回も目印になるように、サイトのバナーを入れた名刺を作り、それを名札として胸に着けて待ち合わせ場所へ行きました。待ち合わせ場所でも、すぐ近くに来ているのにお互いに気がつかなかったということがあったようで、やはり初対面の人が多い場合には何らかの目印があった方がいいと思います。
6時15分頃には池袋集合組が全員揃ったので、秋葉原集合組の一部に連絡が取れないらしいという声が聞こえてくるにもかかわらず、一次会の会場なるtomiさんの店へ移動を開始しました。
6時50分頃に会場に到着。ここでぶらぢるさんばさんとめぎゅさんが合流するはずでしたが、開会予定時刻の午後7時になっても来ないので、またも見切り発進して乾杯を始めてしまいます。少し遅れてぶらぢるさんばさんが来たので、幹事の心配を他人事のように(自分たちが心配したって始まらないから)飲み食いを進めていると、7時半を過ぎてようやく秋葉原集合組が到着しました。
秋葉原集合組は、まとめ役のさんの他、tryさん、菊姫さん、ケロヨンさん、ゼロさん、ゆきさん、ひろゆきさんの7人で、一次会に集合したのは総勢13人でした。改めて自己紹介して、私はバナー入りの名刺を配ります。前のオフ会で名刺をお渡しした人にも、バナーが変わったので改めて名刺をお渡しします。
宴席のあちこちでプレゼント交換(同人誌、イベントCD、その他)が行われていて、私はかつてなりぽしさんからリクエストをいただいて描いた「困惑するセリオ」の原版のプリントアウトを差し上げました。当サイトで公開しているサイズの、縦横とも3倍のサイズで描いたものです。
高性能のカラープリンタで写真プリント用の光沢紙に印刷した原版は、縮小したCGをモニターで見るよりずっと見栄えがする──はずなのですが、そうではなくてどうも細かなアラが目立ってしまうのは、プリンタではなくて私の腕の問題でした。

午後10時頃に一次会が終わり、店の仕事が終わったtomiさんが加わります。二次会の場を求めて池袋へ移動したところで、工藤さんとゼロさんが帰途に就きました。入れ替わりにめぎゅさんが合流して、繁華街の居酒屋で二次会となります。
さらに午前1時頃には居酒屋を後にして、カラオケボックスで三次会。たまたまなのかそういう店を選んだのか、ゲームソングがたくさん入っている機械のある店だったので、さっそくかかった曲は「鳥の詩(「AIR」の主題歌)」でした。私も負けずに「Feeling Heart(PlayStation版ToHeartのオープニング)」「Brand New Heart(Windows版ToHeartのオープニング)」と入れていきます。職場の同僚とカラオケボックスに行くと、私の持ち歌が唱歌と古いアニメソングであることは周知の事実ですが、職場関係のカラオケでは、さすがにちょっと入れにくい曲目です、ギャルゲーの主題歌は。
しかし徹夜のオフ会となると、持久力の勝負になります。早起きしすぎた私は、午前2時頃から次第に記憶が途切れ始めました。私が寝ている間に、tomiさんとめぎゅさんは帰っていたようです。
終わり近くに「仰げば尊し」を入れたところ、一部の人が妙に驚いていたようなのですが、私としては予定通りです。「仰げば尊し」は唱歌すなわち私のレパートリーの主流であるとともに、PlayStation版ToHeartの挿入歌でもありますから。
空が明るみ始める午前5時、三次会はお開きになり、カラオケボックスを出たところで解散となりました。
(9月20日アップ)

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