2003年2月前半の日記
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2月15日(土)
昨夜から引き続いて冬物CGの制作に専念し、ようやく完成したので今夜の更新で公開します。
題材その他についてはCGのコメントで、いつになく力んで述べたので、ここではあまり詳しくは述べませんが、4年越しの懸案だった題材の実現、それに負けず劣らず長期計画になった、パソコン版「同級生2」のメインキャラ全員を描く計画が、これで一応完結したことになり、自分としては一区切りついた思いです。
特定のゲームに登場するメインキャラ全員のCGを描いたのは、同級生2よりずっと遅れて作品を知った「Kanon」が、実は最初にそれを達成したゲームになります。そう思って見回してみると、同級生2と並んでサイト開設のきっかけとなったゲームであると思っている「下級生」には、描いていないキャラが何人もいますし、サイト開設後はそこそこの枚数CGを描いてきたつもりの「ToHeart」も、ラフスケッチ扱いで3号館別館に収蔵しているのを除くと、描いていないキャラの方が多いくらいです。
メインキャラという言葉を、「主人公および主人公と結ばれる独立したシナリオが設定されているキャラ」と定義すると、実はKanonの次にそれを達成したのは「With You」(主人公と結ばれるシナリオが設定されているキャラは鳴瀬真奈美と氷川菜織だけだから)、いやKanonよりも「アトラク=ナクア」(私的には比良坂初音と「結ばれる」のは深山奏子だけなので)が先になるのかな〜、という気もしますが、このあたりは定義を変えた方がいいでしょう。
さてそうすると、次にメインキャラ全員のCGを描くことを目標にするゲームはToHeartか下級生かな、と思うのですが、まあ絵を描くことを職業にしているわけではなく、あくまでディレッタントなのですから、「描きたいキャラのCGを描く」という姿勢でいいのであって、無理に「全員のCGを描く」ことにこだわる必要はないでしょう。それに、同級生2のメインキャラ全員をこれで達成したからといって、同級生2をこれで打ち止めにするつもりもありませんし。

2月14日(金)
2月14日は「2月13日の次の日」、同時に「2月15日の前の日」。私にとっては、それ以上の物ではありません。
──と、一昨年も同じ事を日記に書いていました。

1999年の冬頃から制作の構想だけはあった冬物のCG──昨年12月にいよいよ制作に着手したものの、その後すぐに相次いでクリスマスCG年賀CGの制作を優先する都合が生じ、年が明けてからは間が空きすぎたせいで何となく制作意欲が低下して棚上げしていたものですが、今度の週末までには何とかして完成させようと、11日から本格的に制作を再開しました。
しかし描くことにした人数が多く、資料収集に手間取ったせいもあって、14日のうちには完成せず、そうしている間に藤咲はじのさんからバレンタインデーのCGを頂いたので、14日の更新はそれの公開を優先することにしました。
(2月15日アップ)

2月10日(月)〜13日(木)
以前にもこの日記で取り上げましたが、内閣メールマガジンの話題です。
いつ頃からか(創刊当初はなかったようです)オンラインで読者の感想を募るようになり、毎号、前号の記事に対する読者の評価(「満足」から「不満」まで5段階)の集計と、具体的な感想の一部を載せるようになっています。
2月6日号の集計では、昨年ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の特別寄稿が、「満足」が8割に迫るという驚異的な支持を集めました。これは氏の研究業績を一般の人が理解し評価しているというよりも、一民間企業の技術者が40代の若さでノーベル賞を受賞したということが醸し出した、今までのノーベル賞受賞者とは段違いの「庶民性」が、好感をもって受け止められていることが大きく与っているのでしょう。昨年ノーベル賞を受賞したもう一人の日本人小柴昌俊氏が、70代で東大名誉教授という「功成り名遂げた」人であるのとは対照的に。
これに対して最近の記事で評価が大きく割れたのは、1月30日号の坂口・厚生労働相の、フリーターの増加に対する文章だったようです。フリーターを容認するというか、自らの意志で積極的にフリーターの道を選んでいる労働者を肯定的に評価するような趣旨の文章に対し、「オレはなりたくてフリーターになったんじゃねぇよ」というような反対意見が噴出したらしいです。実際、明確な目的を持って(例えば国際的なNGOに参加していて、1年のうち数ヶ月間も海外に滞在する、その資金を稼ぐために集中的にアルバイトをするというような)フリーターの道を選んでいる人ばかりではなく、というよりそういうフリーターは少数派で、大半は「なんとなくフリーター」と「しょうがないフリーター」だそうですから。
でもそうして読者から非難が殺到しても、少しも取り繕わずに読者の感想として掲載していることが、「坂口厚相に対する読者感想が読み応え充分でした。多くの読者が本音で語っており(中略)これが本来のメルマガのあるべき姿だと思う(2月6日号の感想の1つ)」という評価につながっていると思います。とかく政府公報というと都合の悪い事は隠したがる“大本営発表”という定評があるのに対して。
フリーターに関するこういう記事を新聞で読むたびに思うのは、私の頭に抜きがたく染み付いているマスコミ性悪説の弊害かもしれませんが、フリーターに対する誤解や偏見がなかなかなくならないのは、その少なからぬ部分がマスコミの責めに帰するのではないかということです。粗暴犯や破廉恥犯の容疑者の経歴を報道する際に使われる常套句が、決まって「職を転々とし」と「定職に就かず」であるような気がするのです、新聞を読む時はいつも。
だいたいマスコミは、フリーターが国民年金の掛金を払っていないと二言目には言い立てるくせに、その国民年金制度が、国民が強制的に参加させられる「国営ネズミ講」だと、一度だって指摘したことがあったでしょうか。
「物価スライド制」と称して、払った掛金より多くの年金を受け取れるようにするために、掛金を払う人数が年金を受け取る人数より、未来永劫にわたって何倍もの多数であり続けることを前提にした制度、これが、罰則付きの法律(無限連鎖講の防止に関する法律)をもって禁止しているネズミ講でなくて何だというのでしょう。
個人がやれば罰せられる行為を公権力がやっている例は、私に言わせれば戦争と死刑の他にもいくつもあると思うので、公営ギャンブルはその最たる物です(刑法第186条の賭博開帳図利罪:収益を目的としているのですから、第185条の単純賭博罪よりもっと重い罪なのは明白です)。でも公営ギャンブルは、それに参加するしないは自由意志に任せられており、参加したくなければ参加しないことができます。私は大学卒業後も33歳の今まで、宝くじも馬券も買ったことがありません。しかし国民年金制度は自由参加ではありません。どう考えて、どう自分を納得させればいいのでしょうか。
(2月15日アップ)

2月8日(土)〜9日(日)
週末に巡回先のサイトの掲示板で、D.O.のゲーム「加奈〜いもうと〜」がXboxに移植されることになった、というニュースを見ました。私自身がプレイした時のことを思い出してみても、あのゲームは精緻なリアリズムの中で重いテーマに力一杯取り組んだ問題作(誰にでもお勧めできるという意味での「名作」とはちょっと言いかねますが)として、エロゲー史に名を刻むに値する作品だったと思いますから、コンシューマに移植されることになったのは歓迎ですが、シナリオ的に近親相姦を避けて通ることがほとんど不可能な気がしますから、Xboxでの性的表現に対する規制がどうなっているのか、それ次第ではシナリオが台無しにされてしまうようなことはないのか、少なからぬ懸念はあります。
実際、性的表現に対する規制が不可解なほど厳格なPlayStationに、あの「青空」が移植されているのですが、パソコン版をプレイした私には、あのシナリオをPlayStationに移植するのはほとんど不可能としか思えません。もしかすると移植に際して相当強引な換骨奪胎が行われ、その結果としてパソコン版をプレイしたユーザーからは、PlayStation版「ONE」に匹敵する非難の十字砲火を浴びているようなことになっているかもしれません。
ゲームをプレイした時から感じていた、加奈のシナリオについての私の印象は、「濃いけれど痩せている」というのが当てはまるでしょうか。テーマの重さ、藤堂隆道・加奈兄妹の心理描写の深さ、こういったあたりは絶品なのですが、脇役陣──鹿島夕美、近藤美樹(看護婦)、兄妹の父親、伊藤勇太(加奈の同級生)といったあたりはまだしも、隆道の小学校以来の親友だったあの3人組が中盤で退場し、それ以後全く姿を現さない、こういった脇役陣の存在感の薄さが少し残念です。
インターネットで見つけた加奈の二次創作サイトには、夕美・美樹・3人組といった脇役陣を主役にしたSSを公開しているサイトがあったのを覚えています。「雫」のようにシナリオが量的に少なくてもコンパクトにまとまっていて、プレイヤーが補完する余地があまりないのとは少し違った、ある意味で「物足りなさ」を感じさせると同時に「補完したい」という意欲をそそる、そんなシナリオだと思います。
兄妹の親、特に母親の存在感がかなり薄いのですが、逆に父親には序盤と終盤ではけっこう存在感があるにもかかわらず、両親の名前がゲーム本編に全く出てこないのも、最初はちょっと意外に感じたものですが(最近プレイした「青空」では、ゲーム全般にわたって大きな存在感のある主人公の父親にはちゃんと名前が設定されていましたから)、これは「主人公の視点」を突き詰めた結果だったかもしれません。一人称の小説では、名前をつけて識別する必要のない主人公の両親には名前が言及されない例は多いと思います。
エロゲーに於ける主人公の両親の存在感について、もう少しいろいろなことを考えたのですが、日記に書いて公開するに値する内容でもなかったので書かないことにします。
(2月14日アップ)

2月4日(火)〜7日(金)
先日のスペースシャトル事故の時のように、海外のウェブサイトに情報が出ている場合には、なるべく一次ソースに当たってみること、これが可能なのもインターネットならではですが、外国語で書かれたウェブページは誰もが読めるわけではないので(かく言う私も、英語で書かれたページなら、辞書を引きながらなら読めないでもありませんが、ドイツ語・フランス語・中国語・韓国語などで書かれたページはお手上げです)、ウェブページのURLを入力すると翻訳してくれる(英語→日本語あるいは日本語→英語)サイトというのがあるようです。先ごろアクセス解析を見ていた折、日本語→中国語(簡体字・繁体字)および日本語→韓国語翻訳サイトに当サイトのURLを入力した形跡があるのを見つけて、なるほどと思ったものでした。
英語のページは特別なフォントセットを必要としませんから、世界中のWindowsマシンが搭載しているブラウザでそのまま見ることができるはずですが、日本語版のWindowsについているブラウザで中国語や韓国語のページを見ようとすると簡体字やハングルのフォントをインストールする必要があるのと同じように、外国語版のWindowsについているブラウザで日本語のページを見るには日本語のフォントをインストールしなければならないはずです。そこまで手間をかけずに日本のウェブサイトを見てみたい、いやそれ以前に日本語は読めないけれど日本のウェブサイトを見てみたいというユーザーは、東アジア各国には決して少なくないのではないでしょうか。
それで、ものは試しと、最近見つけた和英・英和翻訳サイトで当サイトのコンテンツを英訳させてみました。その翻訳結果は──翻訳サイトの利用規約「現段階における種々の制約のために、本サービスによるいかなる翻訳結果についても、それが完全かつ正確であること(中略)を保証致しません。」に合意せざるを得なくなりました。
まあ、それをもって翻訳サイトを責めたり嘲笑したりするのが目的ではないつもりですし、それに私の文章は、1つのセンテンスが異常に長くて主語と述語がいくつもあり、順接逆接で文意が変わりながらどんどん続いていくような悪文が多いので、現在の自動翻訳エンジンの手に余る文章だったのだろうと思います。逆に言うと、今の自動翻訳エンジンが正しく英訳できるくらい平易かつ簡明な日本語を書かないと他人には読んでもらえない、ということなのかもしれません。
日記を始めいくつかのページを訳させてみて、ちょっと気がついたのは、たまたまこの翻訳エンジンがそうだっただけかもしれませんが、ウェブページでよく使われる一種のスラングのような単語を、取り分けて認識しているらしいことです。具体例を挙げれば
 ネタバレを含む感想はここです。
 キャラ別に述べてみます。
 その手のツッコミはしないでおきましょう。
 → The comment containing NETABARE are here.
 → State according to KYARA.
 → let's set TSUKKOMI of the hand without carrying out.
(いずれも日本語の原文では太字にはしてありません)
3つ目の訳文は適切な訳なのかどうかちょっとわからないのですが、2つ目、「キャラクター」は character というれっきとした英語なのに、「キャラ」は半ば和製英語として扱われているようです。
(2月9日アップ)

2月3日(月)
節分の風習といえば、豆まきは昔から全国的に行われていますが、その他にも「恵方(えほう:今年は南南東)」を向いて長いままの海苔巻きを食べるという風習があるようです。2日の日曜日には、行きつけのスーパーで恵方巻を売っていただけでなく、コンビニでも恵方巻の予約を受け付けていました。
この風習は、私が関東地方に住んでいた学生時代には全くなじみがなく、新潟県内に就職して初めて知った風習なので、もしかすると新潟県独自の風習なのか、それにしては全国チェーンのコンビニでそこまで地域限定の行事を取り入れるとは考えにくいし、両親とも新潟県出身なのに私が親元にいた頃は全くなじみがなかったが、と思ってGoogleで調べてみました。
その結果ですが、もともとは大阪で始まった風習で、それもあまり古い風習ではないようです。全国展開が始まったのは昭和52年に大阪の海苔業者がキャンペーンを始めてからということで、バレンタインデーのチョコレート同様、消費の冷え込む季節にささやかながら消費拡大を狙ったのでしょう。
私は基本的に三食自炊、もしスーパーで弁当や惣菜を買うことがあるとしてもよほどのことがない限り定価では買わないのを信条としていますが、これは縁起物ですし、3日の閉店間際にスーパーに行くことができるかどうかわかりませんでしたから、2日のうちにスーパーで定価で買っておきました。
参考ページ:「ENAK 流行+芸能 2月号」(産経新聞社)
http://www.sankei.co.jp/edit/bunka/2003/feb/kiji/0202ehoumaki.html
(2月7日アップ)

2月1日(土)〜2日(日)
週末の一日を「青空」の感想の打鍵、それも長々と打鍵しては「これじゃ感想じゃなくてシナリオの粗筋紹介だ」(小学生の頃、「読書感想文」を書くという課題に対して「粗筋紹介」を書いてしまった経験がある人は少なくないと思います)と思って削除を繰り返す、そんな事に費やしていましたが、そうしている間に大事故が発生しました。
スペースシャトルの打ち上げが通算100回を超え、いやらしい言い方をすれば、日本人が搭乗していないスペースシャトルの打ち上げは日本のマスコミの関心事でなくなるほど、すっかり日常的な出来事になりましたが、やはり宇宙開発にはリスクが伴うものであることを思い出させたといえるでしょう。 そればかりでなく、就役から20年以上を経たコロンビア号の機体の老朽化が改めて取り沙汰されたり、離陸直後に左の主翼にアクシデントがあったことが今になって追求されてきたり、どうも全く予想していなかった不可抗力による偶発事故というよりも、いろいろな要因──その全てが人的要因でないとは断言しきれないような──の積み重ねの上に発生した事故であったようです。アメリカの宇宙開発史上初めて、イスラエル人の飛行士が搭乗したスペースシャトルであったことから、イスラム勢力によるテロでは、という説が囁かれたようですが、その可能性は否定されているようです。(でもきっと、まことしやかに囁かれ続けるんでしょうねえ、嫌アメリカ((イスラムとは関係なく))的なイエロージャーナリズムや「トンデモ本」嗜好者などの間では……)
こうしたニュースに際しては、自分が読める範囲で一次ソースに当たってみることを心がけているので、今回もチャット中からNASAやホワイトハウスのホームページに当たってみました。同時多発テロの時もそうでしたが、「アメリカだなぁ」と感じたくだりがあります。
In the skies today we saw destruction and tragedy. Yet farther than we can see there is comfort and hope. In the words of the prophet Isaiah, "Lift your eyes and look to the heavens. Who created all these? He who brings out the starry hosts one by one and calls them each by name. Because of His great power and mighty strength, not one of them is missing."

The same Creator who names the stars also knows the names of the seven souls we mourn today. The crew of the shuttle Columbia did not return safely to Earth; yet we can pray that all are safely home.

May God bless the grieving families, and may God continue to bless America.
"May God bless America" は大統領のスピーチを締めくくる決まり文句ですが、今回は同時多発テロの時と違ってキリスト教とイスラム教の別はないものの、こういう言葉が指導者の口から何のためらいもなく発せられて、それを国民が何の違和感もなく受け容れる国は、やはり日本とは違う文化のもとに成り立っているのだと思います。日本で何か災害や事故があった際に首相が「神の御加護を」と言ったら、真っ先に連立与党が(何を支持母体とする何党が、とは敢えて言いませんがね)難癖を付けるでしょう。
(2月3日アップ)

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