2001年2月前半の日記
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2月15日(木)
下級生リレーSSの期限は、明日の正午過ぎです。
ところが昨夜は「釧路戦記」のあとがきを打鍵するのに時間を費やしてしまい、肝心のリレーSSに着手できませんでした。
そこで今日は職場にいるうちからプロットを練り始め、帰ってくるなり打鍵を始めます。
私が文章を打鍵する時というのは、この日誌もそうですが、打鍵を始めた時点では分量の見通しを立てることができません。
「何ライン程度に収めよう」と思って打鍵を始めても、途中で思いついたエピソードを取捨選択せずに注ぎ込んでいくなどしていると、どんどん長くなっていきます。
前回、目安の100ラインに対して240ライン打鍵するという事をしでかしたので、今度は控え目にしようと思っていたのですが、選んだプロットが大きすぎたようで、100ラインを超えても全然終わりません。
これでもかとエピソードを叩き込んだ原稿は、午前4時に一応完成しましたが、最終的な分量は360ラインにまで達していました。
こうなったら行き着くところまで行ってやれと、CG制作のリハビリを兼ねて久しぶりに挿絵まで描きました。
明け方に書いた文章などというものは、特に他のサイトに投稿する文章の場合には、本当は一晩寝かせてから読み直すくらいのことをした方がよいのですが、締め切りが迫っているのでそうもしていられません。
(2月16日アップ)

2月14日(水)
今日は2月14日、何の日でしょう?
──2月13日の次の日、それと、2月15日の前の日です。
ええ、そうです。製菓業界の業績回復より、自分の体重抑制の方が大事です、私は。

と、拗ねてばかりもいられません。「そこつやの館」で進行中の下級生リレーSSの、順番が回ってきました。
下級生二次創作(SS、漫画)というとあちこちで見かける、男主人公と飯島美雪と南里愛の三角関係というのは、正直言って私が最も苦手とするタイプの文章です。
他の人の二次創作を読んですらゲップが出るのに、自分でそれを書くことができるはずもありません。
そういう話を書かねばならないような時に順番が回ってこなければよいが、といつも思っていました。運悪くそんな時に順番が回ってきたら、「さてその頃、○○は〜」という緊急脱出装置を作動させ、思い切りひんしゅくを買う覚悟を固めていました。
ですが今回は、前の担当者ふりんとぶらっくさんが目の覚めるような天稟のきらめきを披露し、同時にストーリー的に何も制約のない状態で私に引き継いでくださったので、少しは安心してプロット作りに取り組めます。
考えつくプロットはいくつかあるのですが、いかんせん目安は100ライン。前回調子に乗って240ライン打鍵するという大幅な分量超過をやった身としては、たとえ文章を練り上げ膨らませ推敲する時間が充分とれたとしても、何百ラインも書くわけにはいきません。
といってあまり中途半端な所で切って、次の担当者さんに収拾をつけていただくわけにもいきませんから、乏しい文才を絞ってなんとかしましょう。
それともう一つ、「釧路戦記」の公開の仕上げにかかります。
要するに「あとがき」を打鍵するということです。

2月13日(火)
3連休の間は晴れた日もあったらしいですが、今日は朝から雪が降っています。
3連休の間、モスクワ標準時で寝てグリニッジ標準時で起きるような生活をしていたので、昨夜も寝たのが午前5時くらいになってしまい、職場では午前中は起きているのがやっとです。
それでいて帰ってからはKanonのプレイを再開するのですから、おかしなものです。
川澄舞、沢渡真琴に続いて、今夜は美坂栞のシナリオを目指してプレイします。といってももう攻略本の封印を解いていますから、どこでどういう選択をすればトゥルーエンドへ行き着くかはわかっているのですが、トゥルーエンドに至るまでの選択のそれぞれが、選択肢を誤るとバッドエンドに直行するのか、それともテキストが若干異なるだけでシナリオ的にはすぐに合流するのか、それを調査しながらのプレイになります。
5人中3人目のシナリオに取りかかるくらいになると、ゲームの構造が何となく見えてきます。
簡単に言うとこのゲームは前半と後半の2部分からなり、前半は選択の仕方によって誰のシナリオに分岐するかが徐々に決まってくる時期です。この時期には、例えば舞寄りにプレイしているつもりでも、1つの選択によって舞のシナリオから離脱し、他のキャラへの転進が可能です。
それが「引き返し不能点」を過ぎて後半に入ると、シナリオの構成員以外のキャラがほとんど出現しなくなります。そうなると、選択肢を誤るとその途端にバッドエンドに転落する選択や、その選択肢を選んだが為にずっと後になってバッドエンドに遭遇する選択が次々に現れてきます。
5人全員のプレイが終わったら、具体的にどの選択がどう作用するのかをフローチャートにまとめて、どこかにアップしましょうか……。
(2月14日アップ)

2月12日(月)
昨夜もまた、チャットを終えてから5時くらいまで巡回し、どこへ出かけるつもりもないまま遮光カーテンを閉めて寝ていると、午後6時まで寝てしまいました。昨日の昼間も遮光カーテンを閉めたままでしたから、結局3連休の間、太陽を見なかったことになります。
昼間勤務する職場に勤めているというのに……我ながら、不健全にも程があると思わずにはいられません。
今夜の更新で、「釧路戦記」第2部の公開を完了しました。
第3部は第2部よりずっと短いので、本当なら今夜一挙に公開して全編公開完了としたかったのですが、また例の如く、「あとがき」を書いていません。
「私本落窪物語」と「近江物語」の公開完了が遅れたのと、全く同じ状況です。
(2月14日アップ)

2月11日(日)
昨夜も明け方近くまでチャットしたので、下手すれば夜まで寝てしまうところでしたが、昼過ぎにNTTから電話があったので起床できました。
電話に出てみると、きっと皆さんのお宅にも近頃その電話がかかってきたことがあると思う、「マイラインはNTTへ」の勧誘でした。
国内の電話事業が電電公社の独占だった時代が終わり、日本テレコムなどの新しい電話会社が発足してからずっと、NTT以外の会社を利用して電話をかけるには会社識別番号(日本テレコムだと0088)を押す必要があったのが、それだとNTT以外の電話会社が不利になるといわれて、各契約者が通話区分(市内・県内・県外・国際)ごとに使う電話会社を契約することができるようになった、それがマイラインだと聞いています。
しかし私がインターネット接続に使っている電話機は、6年前の製品ですが、市外通話の際にNTTと日本テレコムの料金を比べて安い方に自動で接続するスーパーACR機能が付いていて、当然のようにそれを使っていたので、意識して0088を押したことはありません。
ACR付きの電話機を使っている人なら、「0088を押すのが面倒だから料金が高くてもNTTで電話をかける」ということはないはずなので、今日本の家庭で使われている電話機のほとんどはACR付きだとすれば、NTT以外の電話会社で電話をかけるには識別番号を押す必要があることが、NTT以外の電話会社が不利になる理由にはならないと思います。
そう思って、「今ACRを使っているがマイラインとの関係は如何に」と尋ねてみましたが、全く要領を得ませんでした。
新聞で見ていると、NTTもその他の電話会社も、マイラインでの契約者獲得を狙って値下げ競争に走っているようです。
そこに、「インターネット技術を使って全国一律3分20円」という奇手で打って出た会社もあるようです。
考えてみればインターネットは、アクセスポイントまでの通話料を払えばそこから先は全国一律どころか全世界一律の料金で接続できるわけですから、「距離が遠いほど通話料金が上がる」という従来の電話料金の概念を覆す可能性は充分あるわけです。
そもそも、「長距離通話料金が高いのは電気信号を送る距離が長いほど費用がかかるから」という理屈は、実体のあるモノすなわち封書や葉書こそ、送る距離が長いほど費用がかかる度合いが大きいはずなのに、封書も葉書も全国一律料金、国際郵便葉書は全世界一律料金となっているのを見ると(もちろんそのために、郵政事業庁も航空会社も多大な企業努力をしているはずですし、近距離の郵便料金が割高になっているという見方もできるはずですが)、あまり説得力がないような気がします。
(2月12日アップ)
(ここから先は2月14日アップ)
昼から夜までKanonのプレイを進め、沢渡真琴のトゥルーエンドに到達しました。
……昨夜のチャットで、真琴シナリオで堕ちる人が多いと言われた理由がよくわかりました。
このシナリオの終盤、痛すぎます。 夜のチャットで、真琴シナリオについて感想を述べ合った後、私には難解すぎた舞シナリオの解釈について伺いました。
舞シナリオを終えた方からチャット中に送られてきたメールを読んでみても、何となく理解したような気にはなりますが、根本的に理解できたかどうかは疑問です。

2月10日(土)
昨夜、後先考えずに午前5時までチャットしてから、窓に遮光カーテンを引いて寝ると、起きたのは午後5時半でした。
この頃は時節柄仕事は忙しいのですが、休日にここまで爆睡してしまうほど深夜勤務しているわけでもないのに、不思議なことです。
起きてからは「釧路戦記」の公開準備を進め、内容的にほぼ一区切りつくところ(第三十一章から第四十一章まで)を今夜の公開分とします。
15年前の執筆当時、インターネットでの公開を念頭に置いていたわけではないのはもちろんですが、今になってインターネットで公開するためにダウンロード用のテキストファイルを編集してみると、第一部が1600ライン、第二部第一章から第八章までが2000ライン、第九章から第十四章までが1700ライン、……というように、だいたい2000ライン弱で内容がひとまとまりになっているのは、偶然だと思いますが興味深いことです。
文章という言葉が「章」という字を含んでいるように、ある程度より長い文章には「章」という区切りを設けるのが一般的ですが、試みに旧作の小説4作で、1つの章のライン数の最大・最小・平均を出してみました。
(ちなみにここでのライン数の計算は古文書庫と同様、1ライン=全角35字としています)
最大最小平均
・私本落窪物語560100290
・近江物語430170250
・岩倉宮物語1350360760
・釧路戦記
(第一部、第二部)
460100270
インターネットが普及する前、ニフティを初めとする「パソコン通信」上で各種の創作文章が発表されていた時代には、例えばニフティでは1回の書き込みが、全角40字での強制改行で300行までに限定されていたと聞いています。それで、その時代に制作された作品が公開されている同級生SSサイトを巡回してみると、今でもだいたい300ライン前後で区切って公開されているようです。
私はパソコン通信のことを全く知らずに、旧作の小説を原稿用紙に書いていたのですが、その時に「ここらで一区切り」と思ってつけた区切りが、「岩倉宮物語」以外はパソコン通信の300ラインとほぼ一致しているのも、偶然としても面白いものです。
(2月12日アップ)

2月9日(金)
夜の自由時間は、もっぱらKanon(全年齢版)のプレイと「釧路戦記」の公開準備に費やされています。
川澄舞シナリオを終了しCGも全部見たので、次は他の誰かのシナリオに向かうべきところですが、私という人間は、選択肢の選び方によってトゥルーエンドに達するかバッドエンドで終わるかが分かれてくるゲームをプレイすると(そうでない、選択肢の選び方がエンディングに全く影響しないゲームがあったとして、それをゲームと呼べるかどうかは非常に疑問ですが)、「もしここでこっちを選んだらどうなるのか」を試してみたくなるという、ある意味では困った性癖を持っています。
しかも私の手許にあるKanonの攻略本は、「こっちを選べばトゥルーエンド」とは書いてありますが、「もう一方を選んだら即バッドエンド」なのか「もう一方を選んでもシナリオの大筋には影響しない」のかが書いてありません。
実際、Kanonに限らずToHeartでも雫でも痕でも、ゲーム中随所に選択がありますが、すぐに合流してシナリオの大筋には全く影響のない選択が大半なのです。そのような多数の選択の中に、「ここでこっちを選ぶと即座にバッドエンド」とか、もっと曲者の「ここでこっちを選んだ時点で、ずっと先でバッドエンドになることが確定する」という選択が、さりげなく潜んでいるわけです。
まあ逆に、シナリオの流れを大きく決定したりバッドエンドに直結したりする選択だけしかなかったら(そういうゲームもありますが)、目の肥えたプレイヤーなら、選択が出現した瞬間にシナリオを見切ってしまうでしょうけれど。
そこで私は、舞シナリオに配置されているどの選択が、そのようなクリティカルな選択であるのかを、テキストを超高速で飛ばしながら何度も何度も再プレイして検証していったのです。
(2月11日アップ)

2月8日(木)
昨日の日誌はネタバレを恐れる余り、たった1行しか見えない日誌になってしまったので、もう少し制約を緩めることにします。
5日からKanonをプレイしていますが、私がまずプレイしようと思い立ったのは全年齢版です。
ですが全年齢版をプレイして、6日に一番手として川澄舞のシナリオのトゥルーエンドを迎え、攻略本の封印を解くために自分なりに設けた基準を満たしたと判断したので、攻略本を開いてみます。
すると攻略本に載っている選択肢一覧表に、トゥルーエンドを迎えるまでに見た覚えのない選択肢があります。
回りくどい言い方をしなくても、攻略本に載っているのは18禁版の攻略法で、私が今し方までプレイしてきたのは全年齢版ですから、見た覚えのない選択肢というのは「年齢制限のかかるシーンを見るための選択肢」だと判断されるわけです。
そうなると次に思い立つ事というのは、一応インストールだけはしてある18禁版のCD−ROMを取り出して、18禁シーンだけ見てみよう、ということです。幸か不幸か、読んでいないテキストも超高速で飛ばせるキーを見つけてしまいましたから。
我ながら偽善者にすらなりきれない、小悪党止まりの人間だよな、という思いが拭えませんが……。
さてKanon全年齢版というのは、18禁版から18禁シーンを削除しただけではなくて(もしそれだけだったら、ほとんど誰も見向きもしませんね、きっと)、その枚数分の追加CGがあるということになっています。
そこで18禁版の舞シナリオをトゥルーエンドまで見てから、CG鑑賞モードに入って、それぞれのCGを思い出しながら比べてみます。
追加CGと言っても、シナリオそのものが追加されているわけではないので、18禁版では何もなかった場面のCGを起こしてあるだけですが、なかなか劇的な場面があるかと思えば切なさに胸が熱くなる場面もありで、18禁シーンの中にはあらずもがなのCGもあったことを思い出すと、「18禁にあらずはゲームにあらず」という風潮が大手を振ってまかり通っているかに見えるWindowsゲームの中に、敢えて全年齢版を発売したメーカーの見識を高く評価したいと思います。
逆に言うと、このゲームに18禁シーンが本質的に不可欠ではなかったことが、メーカー自らによって証明されたとも言えそうです。
願わくは、綾香とセリオのシナリオが追加されているに違いないPlayStation版のToHeartが、Windowsに逆移植されることを……って無理に決まってますよね、確実に。
(2月11日アップ)

2月7日(水)
今日の日誌も、Kanonのネタバレが中心になります。というより、それだけです。
(2月10日アップ)

2月6日(火)
今日からの日誌は、ゲームの感想を中心に、ネタバレを多く含みます。
それというのも結局、当初予定していたような独立したコンテンツとして「ゲームレビュー」を開設できる見込みがなくなったからです。
遠からず当サイトは、実態に合わせた全面改築──ありていに言えばAコースからFコースまでの廃止──に踏み切ることになるでしょう。
何事にも分相応、身の丈に合わせるというのがあり、ウェブサイトもその例外ではないことに、今頃になってやっと気付いたというところです。
ただ、「ネタバレを含むので未プレイの方は日誌を読まないで下さい」では、当サイトほとんど唯一の「更新され、読まれているコンテンツ」の門戸が閉じてしまいますから、ごくありふれた方法を使うことにします。
(2月8日アップ)

2月5日(月)
「ToHeart」が終わったので、次に手を着けるゲームは、これも一時期非常に有名になった「Kanon」です。
これは同じWindows用に、18禁版と全年齢版が発売されていて、なぜか私は両方持っていますが、プレイを始めたのは全年齢版のほうです。
全年齢版は18禁版から年齢制限の対象になる場面のCGを削除して、代わりに同じ枚数のイベント場面のCGを追加したとされていますが、それが可能であったということ自体、年齢制限のかかる場面がストーリー上どうしても不可欠ではなかったということの証拠のはずです。
ネットでお知り合いの方の間では、名作として絶賛する方がいる反面、同じスタッフで制作されたと言っていい「ONE」ほどには評価しない方もいて、少し評価が分かれているゲームです。
私がどんな評価を下すことになるか、近日中には明らかになるでしょう。

2月4日(日)
2日の夜に「ToHeart」を、最後に残った長岡志保とエンディングを迎える形でコンプリートしました。
しかしエンディングとスタッフロールを見終わった後、ストーリーの余韻に浸りながら感動を噛みしめたかと言えば、事実は逆でした。立腹こそしなかったものの、「この結末にはとうてい納得できない」という不満ないし軽度の不快感が残りました。
昨夜のチャットでToHeartが話題になった時に私の感想を述べると、「志保のエンディングは確かに賛否両論で、人によって好悪が分かれるだろう」と言った人がいました。
今つらつらと考えるに、そのように好悪が分かれる結果になったのは、ゲーム本編の終盤からエンディングにかけての一連の志保の言動が、それまでプレイヤーの目に見えていた志保というキャラクターからは全く想像できないような、深い韜晦と苦悩の末に為された決意を根底に伴っているのだとしても、それがプレイヤーには非常に伝わりにくいからではないかと思うわけですが
──ネタバレしないように書こうとしたら、意味不明な文章になってしまいました……。
えーと、そこからさらに飛躍して考えたことというのは、ゲームや小説でよく使われる文体である一人称の限界、ということです。
作者の視点(それはすなわちプレイヤーないし読者の視点でもあります)が、大勢のキャラクターを鳥瞰する位置にある三人称と違って、特定のキャラクターの目線と同じ高さにあるのが一人称であって、プレイヤーキャラが固定されている一般的なゲームでは、プレイヤーとプレイヤーキャラの視点が一致する一人称が圧倒的に多いと思います。というよりも、ビジュアルノベルゲームで三人称を使っているのは、管見する限り「アトラク=ナクア」だけです。
しかし一人称では、一人称主語を用いるキャラクターの五感で捉えられた物しか表すことができません。つまり誰かが、主人公に気付かれないように何かを思い、実行していたとしても、主人公はそれを知ることができないのです。それがストーリー上、極めて重要な情報であったなら、読者にそれが適切に知らされなかったら、読者は欲求不満になるでしょう。
ならば一人称の文章で読者にその情報を随時与えるとして、主人公がそれを知り得る立場にある人物でなかったら、それもまた不自然な文章になるでしょう。
そう考えると旧作「釧路戦記」で、歩兵師団同士がぶつかり合うのに相当する戦争の全体状況を、一兵卒とまでは言わないものの下士官に過ぎない主人公が、それなりに把握しているというのは、いささか不自然だったかもしれない、と思います。
(2月5日アップ)

2月3日(土)
昨夜は「釧路戦記」の公開を多少進めた後、午前0時頃から久しぶりにチャットルームに行きました。
昨年の11月頃までは、週末あるいは休日前夜にはチャットルームに行かない夜はなかったほどチャットに熱中していたのに、12月頃から急に足が遠のいた理由は、どう考えてもわかりません。CGや文章の制作意欲が非常に高まって、チャットする間も惜しんでそれらの制作に時間を傾注していた、というのではないことは、1番・2番倉庫とこの運行日誌を見れば一目瞭然です。
ともあれ久しぶりにチャットルームに行って、午前5時近くまで話し込みましたが、それから寝て起きると夕方になっています。
もしかすると、チャットルームから足が遠のいたのは、あまりにネット活動に耽溺していると心身を破壊する、と危険を感じ取った身体が、無意識のうちに防禦反応を起こしていたからかもしれません。
それでも、公開した作品の感想をもらったり、その他いろいろな話題について談議したりする場として、チャットルームは恰好の場であり(ログが残る掲示板に書き込むには差し障りがあるような発言も、チャットルームでは稀ではありません)、そこへ足を向けることを完全に止めてしまうことは、当分ないと思います。
(2月5日アップ)

2月2日(金)
先日ネットを巡回していて、お知り合いの方のサイトで「ウェブページをチェック・採点するサイト(URLは http://www.WebSiteGarage.com)」が紹介されていたので、物は試しと当サイトのトップページをチェックしてみました。
その結果は、こんな具合でした。
===================================================
OVERALL PAGE RATING............................FAIR
===================================================
1.  BROWSER COMPATIBILITY CHECK................GOOD
2.  !REGISTER-IT! READINESS CHECK..............FAIR
3.  LOAD TIME CHECK............................POOR
4.  DEAD LINK CHECK.......................EXCELLENT
5.  LINK POPULARITY CHECK.....................ERROR
6.  SPELLING CHECK........................EXCELLENT
7.  HTML DESIGN CHECK.....................EXCELLENT
詳しく見ると、1.は「特定のブラウザが対応していないタグを使っていないか」で、Internet Explorer 4.0 と America Online 4.0 以外のブラウザでは対応し切れていないタグが若干ありました。当サイトは Internet Explorer 4.01 以降を基準にして制作していますから、これは最初から予測していたことです。
2.はページの<head>部分に記載してあるタイトルやキーワードが、自動巡回型検索エンジンに拾われやすいかどうかの評価ですが、「ページのタイトルは5〜15語、組織名または商品名を含めるべき」というのは、アメリカの企業サイトはそうしている、ということでしょうか。「Description がない」というのは、考慮すべき指摘として受け取っておきます。
問題は3.で、ページを表示するのに56Kbpsモデムで32秒かかるのは重すぎて潜在的な客を逃している、トップページは40KB以下に抑えるべきというのですが(ちなみに今のトップページはCG「三乙女の礼拝」で114KBあります)、CGメインのサイトで、トップページを軽くするのとトップページに見栄えのするCGを飾るのは、大いなるジレンマです。
4.はデッドリンクの有無で、もちろん及第です。
5.は「このページへリンクしているサイトの数」らしいですが評価不能、つまりアメリカ国内には当サイトにリンクしているサイトはないようです。
6.は、日本語で書かれているページですから無意味です。
テキストエディタでページを制作している私にとっては、7.のHTML構文チェックが一番気になる項目ですが、ほぼミスなしでした。少なくともテーブルに関しては、Netscape Navigator で動作チェックしていればほぼ間違いないでしょう。

2月1日(木)
新年度にはまだ早い季節ですが、私の職場のネットワークシステムが2月15日から一新されることになりました。メールのアカウントの変更は、今日からオンラインで受け付けることになっています。
ところがシステム更新の広報は昨年から出ていて、年明けから粛々と準備を進めていたはずなのに、今朝になったらいきなりバグが発覚して、「ただいま調整中です」というメールが流れてきました。
大がかりな事業は、どれだけ周到に準備したつもりでも、実施に移すと必ずあちこちでバグが出るものらしいです。

夕方、寮の食堂でテレビニュースを見ていたら、新潟県内で初めてハワイへ修学旅行に行く高校の一行が、今夜新潟を発つと言っていました。
私が首都圏の高校生だった時、修学旅行の行先は京都でしたから、時代は変わったものです。もっとも九州あたりの場合、東京へ行くより韓国へ行く方が交通費も滞在費も安いらしいですから、修学旅行で韓国へ行く高校が増えてきたと聞いていますが。
それはさておき、ハワイへ行く若い人たちには、ここへはぜひ足を向けてほしいと思う場所があります。
真珠湾にあるUSSアリゾナメモリアルがそれです。
1941年12月7日朝(現地時間)、日本海軍航空隊の奇襲攻撃によって、真珠湾に在泊中のアメリカ太平洋艦隊の戦艦群は壊滅的打撃を蒙りました。中でも戦艦アリゾナの損害は甚大で、他の戦艦は沈没した艦も引き上げられて修理され戦列に復帰しましたが、アリゾナだけは湾内に着底したまま放棄されました。
戦後、アリゾナの艦体を跨ぐように記念館が建設され、以来ここは太平洋戦史の現場として、日本で言えば原爆ドームのような場所になっているそうです。
以前私の両親が、母の知り合いであるアメリカ海軍将校夫人に招かれてハワイを訪れた時、メモリアルに行きましたが、そこにははるばるアメリカ本土から来たようなアメリカ人、それも夫や父がアリゾナの中に眠っているというような年輩の人が多く、両親以外に日本人はいなかったそうです。
日本人としては足を向けるには気が重くなる場所かもしれません。しかし若い人たちには、そういう場所に進んで赴いて歴史を直視する、勇気と見識を持ってほしいのです。実は私もハワイへ行ったことはまだ一度もありませんが、もし行く機会があったなら、たとえ土産物屋へ行かなくても、アリゾナメモリアルへは行くつもりです。
1945年9月2日に連合国に対する日本の降伏条約が艦上で調印された、アメリカ海軍最後の戦艦ミズーリが最近退役して、アリゾナメモリアルの近くに係留されたと聞いています。対日戦争開始時の惨禍を今に伝えるアリゾナメモリアルの近くに、対日戦争終結の舞台となったミズーリが。単なる偶然ではない何かを感じますが、将来ミズーリは対日戦争記念艦となるのでしょうか。そうなった後でハワイを訪れる機会があったなら、ミズーリにも足を向けてみたいです。

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