2001年11月後半の日記
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11月30日(金)
今日もまたゲームの消化にうつつを抜かしていますが、今日は「WHITE ALBUM」ではなくて、しばらく前に棚上げにしていた「絆という名のペンダント」──PlayStation版「With You」と言ったほうが通りがいいでしょうか、それを再開しました。
鳴瀬真奈美シナリオと氷川菜織シナリオを終えたはずなのに、見ていないCGがあちこちに残っていたのが気にかかっていたので、CGを全部見るための攻略情報があるサイトをインターネット検索で探し出して、それを見ながらプレイしていきます。
するとこのゲームは、SegaSaturnに移植された時にもう1本シナリオが追加されていて、それがPlayStation版にも引き継がれているということです。つまり見ていないCGは、そのシナリオに存在していたわけです。
夜までプレイを続けて、3つ目のシナリオを終えました。概要と感想はここです。
しかし、久しぶりにプレイしていて感じましたが、このゲーム、
デ  ィ  ス  ク  の  読  み  込  み  が  遅  い  で  す。
えー、また管理者、ふざけてますね。ゲームのデータをハードディスクに全部書き込んで、それを読み出すだけでいいパソコンに比べると、ディスクから読み出すコンシューマのゲーム機はどうしても読み出しが遅くなるのは仕方がないのですが、それにしてもCGの描き換えが遅すぎます。同じPlayStationのゲームでも、「ToHeart」はもっとCGの描き換えが速かったと思います。

さて、「そこつやの館」で行われている企画「下級生リレーSS」は、主催者そこつやさんによんどころない事情があったためにしばらく停止していましたが、ようやく再開の運びとなりました。そして私の前に担当するさんが29日の夜半前に投稿されたので、私の締切は12月4日の夜になります。
今の話にどう続けるか、あるいは意表をついた展開を持ち込むか、いろいろと考える余地はあります。考えているのは、「恋愛合戦に身を削り続けるのが相応しくない人物はいないだろうか」あるいは「今の状況は第三者の目にはどう見えるだろうか」など……。私自身、恋愛に無縁なまま10代を過ごしてきて、そして今ではもう色恋沙汰に身を焦がす情熱も持てない齢になりましたから、小説世界の登場人物たちに対して、そんな醒めた目を向けているのかもしれません。

11月29日(木)
今日もまた「WHITE ALBUM」を続けます。森川由綺を目標にしていたプレイでは、初めのうち河島はるか も目指していたので、分岐点直前まで戻って再開することになります。そして夜更けには、はるかシナリオのエンディングまで到達しました。感想はここです。

どうもここ数日、日記の文章が私らしくなくなっているというか、おかしな気分に包まれているような気がしてならないのですが、今日は仕事中に、こんな事を考えていました。
「芸術はある程度、人に属する部分があるのではないか?」ということです。
昨日WHITE ALBUMをプレイしていて、緒方英二と会話する時に「アート」を選ぶと出る話題の一つに、彼が影響を受けた音楽家というのがあって、そこでジョン・ケージの名前が出るのです。ケージとか画家で言えばデュシャンとか、現代芸術家には、「芸術とは何か」という問題提起をした作品を発表した人が何人もいますが、ケージの作品で最も有名なのは「4分33秒」ではないかと思います。
この曲のスコアは図書館で見たことがありますが、本当は題名もなくて「第1楽章 休み 第2楽章 休み 第3楽章 休み」とだけ書いてあるそうです。初演(と言うんですかね?)した際の演奏者が、合計4分33秒間何もしないで黙っていたのが、いつしか題名のようになったとのことで、音楽事典などには「作曲者は『コンサートホールで聴衆が発する音だって音楽なのだ』ということを表現しようとした」とかなんとか書いてあります。
しかしこれを、音大の作曲科の学生が書いたら、誰にも相手にされませんよね?
つまり「4分33秒」という作品は、ケージというその当時すでに有名だった作曲家が書いたから、芸術作品として認められているのではないか。音大の学生が同じ物を書いても、芸術作品として認められないのではないか。なんてことを考えていたわけです。
そんな時にふと思い出したのは、最近何かあるゲームのテキストで、「3歳児レベルの落書きにその人のサインがしてあるだけで芸術作品になるんだから、芸術家とはボロい商売だ」というような意味合いのテキストを見たことでした。それはきっと、現代芸術を誤解し、揶揄的に発言しているのだと思いますが、でも「何も描いてないキャンバスに前衛画家がサインすれば芸術作品になるが一般人がサインしても芸術作品にならない」という指摘は、あながち的外れではないような気がします。
……やっぱり、なんか変ですね、今日の日記。いつもはこんな文章を打鍵しないのに、太陽黒点か何かのせいで、私の思考回路に影響を与える電磁波でも飛んでいるのでしょうか?

11月28日(水)
今日は溜まった日記を片づけてから、「WHITE ALBUM」のプレイ再開です。そして今度こそ狙い通りに森川由綺とゴールインしました。
11月27日(火)
昨夜帰ってきてからメールチェックすると、変なメールが届いていました。
差出人に心当たりがなく、題名が「Re:」だけ、本文がなくて、添付ファイルが付いているだけ。あからさまに怪しいメールです。物は試しと添付ファイルをディスクに保存してからウイルスチェックをかけてみると、W32.Badtrans.B@mm というウイルスが検出されました。
世の中にはコンピュータウイルスが蔓延しているようですが、私のマシンに実物が来たのは初めてです。アンチウイルスソフトの動作もわかったので、珍しがって取っておくようなものでもありませんから、さっさと削除して、ついでにハードディスク全体にウイルススキャンをかけておきます。
(11月28日アップ)

11月26日(月)
実家を離れて6年経ち、生活拠点が自宅に移ってしまうと、実家に行ってもすることがないのですが、今回はCG制作の資料にするために、昔のアルバムを持ち出すことにします。
そして昼前に実家を出ると、いくつかの用件のために東京秋葉原へ向かいますが、その途中で、横浜で開催している「古代エジプト文明展」を観ていきます。9月から10月にかけての頃、長岡市でも開催していた展覧会ですが、つい行きそびれていたものでした。
古代エジプト文明というと、誰でもまずピラミッドを思い浮かべると思います。あれだけの巨大な物を築造するには、それこそ国富の大半を注ぎ込むくらいの費用がかかったと思われ、なんのためにあんなに大きな物を造ったのか測りかねるのですが、いつだったかNHKで見たところでは、ナイル川が増水して農作業ができなくなる時期に農民を雇って行う、失業対策的な公共事業としての性質があったのではないか、という説が提唱されているらしいです。
それから秋葉原へ行きます。まず、最近買った輸入盤のCDが、最初から傷が付いていて聴けないという言語道断なことがあったので、CD研磨サービスに出します。その間に、中古のパソコンゲームソフト・コンシューマゲーム、サウンドトラック、攻略本などを買い回ります。
パソコンゲームというと、お知り合いの方の間でも話題になっている、「君が望む永遠」というゲームがあります。中古市場でも品薄なゲームのようですが、特に初回版は値上がりしていて、定価が8800円のところ店によって10800〜14800円という値段になっていました。
ゲームソフトの初回版というのは、とかく初回特典がついて値上がりする物のようですが(私がこのところ中古買いに走っているのも初回特典狙いの気配がありますが)、このゲームの初回版は一部のCGに修整ミスがあって回収されたために値上がりしているという、中古市場の歪みを目の当たりにするような話があります。私が買ったのは通常版です。
それから、一昔前に有名だったらしいテーブルトークゲームを、お知り合いの人たちがネットでプレイしているようなので、少し前からルールブックを本屋で探していましたが地元ではどうしても見つからなかったのを、秋葉原の本屋で見つけたので買っていきます。
いろいろと買い回ってから、新幹線で新潟へ帰りました。
(11月28日アップ)

11月25日(日)
今日は横浜へ、妹が加わっている合唱団のコンサートを聴きに行きます。会場は横浜市内で、開演は午後2時ですが、9月に上京した時に使った新幹線の割引乗車券を使うことにしたので、会場直行では早すぎるためいったん実家へ行って両親と落ち合うことにしました。
合唱団のレパートリーは、古いほうはバロック時代から新しいほうは現代曲にわたりますが、今回はJ.S.バッハの「ミサ曲ロ短調」でした。
バッハの声楽曲の大作というと「クリスマス・オラトリオ」「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」そしてこの「ミサ曲ロ短調」となるのですが、この曲はバッハの他の3曲だけでなく、合唱団の他の重要なレパートリー例えばヘンデルの「メサイア」やモーツァルトの「レクイエム」、ベートーヴェンの交響曲第9番と比べても、曲の冒頭がいきなり5部合唱で始まるので入りが難しく、非力な合唱団だと最初の音符でずっこけてしまうらしいです。今日の演奏会でも冒頭でしくじったと後で言っていましたが、曲の後半では音程が下がりがちな第1ソプラノをトランペットがなんとかリードしていたということです。合唱団はアマチュアですがオーケストラはプロだということで、特にトランペットは上手だったようです。
バロック時代の曲のトランペットのパートというのは、古典派より後の曲に比べて高い音域を使っているので、今日使われている楽器では演奏が難しく、普通のオーケストラは管が短い楽器を使っています。それでもかなり難しいのですが、バロック時代には逆に今のトランペットより管が長くて音程が低く、しかもピストンのない楽器でそのパートを演奏していました。最近は作曲当時の楽器で演奏するいわゆる古楽器オーケストラが増えてきましたが、バロック時代のトランペットでバッハの作品のトランペットのパートを完璧に吹きこなせる演奏者は、世界でもいくらもいないらしいです。
演奏会の後で妹と落ち合って四人で夕飯にして、妹とはそこで別れますが、私は新潟へ帰るには時間が遅いので、実家に一泊していきます。
(11月28日アップ)

11月24日(土)
起きたのは午前3時。健康的すぎると言いますか、23日付でサイトを更新してネット遊びを始めるには遅すぎる時間です。
(私は深夜から明け方にかけてサイトの更新作業をする場合、今夜を例に取ると24日の午前1時か遅くとも午前2時までに更新を終えた分をもって23日付の更新とすることにしています)
とりあえず巡回に出ようとネットに接続すると、カウンタが17000。サイトを持っている人の間では「自爆」と言われる現象です。
もう何も気にしないことにして23日までの日記を更新し、それからまた「WHITE ALBUM」、今度こそ森川由綺を目指します。

それも時間を見計らって切り上げて、新潟市へオルガンのコンサートを聴きに行きます。9月から聴きに行っている無料の「オルガンプロムナードコンサート」の第3回です。
毎回、大オルガンの演奏よりもこれのほうが私にとっては主眼になっている、ポジティフオルガンによる前座のレクチャーコンサートは、今回もJ.S.バッハの作品から1曲、ただし今回は正真正銘のオルガン曲ではありますが「インヴェンション」や「平均律」ほどには知られていないかもしれない「オルガン小曲集」からでした。しかもレクチャーの題は「調律法」です。
調律法について、私が音楽事典で調べた限りの蘊蓄を並べても、きっと誰も理解できないと思うので、できるだけ簡単に書きましょう。
今のピアノやオルガンの調律は、ドレミファソラシドが全て等間隔になる、平均律という調律法です。ところがこの調律法だと、いちばん基本となるドミソの和音がきれいに響きません。それで平均律が普及する前のバロック時代には、ドミソを始めとして比較的よく使う和音がきれいに響くような調律法が使われていました。そのような調律法の一つに、中全音律という調律法があります。
来年春にこのポジティフオルガンを使ってバロック時代の音楽だけを演奏するコンサートを開くことになったので、オルガンを中全音律に調律したということです。ピアノと違ってオルガンの調律はパイプの長さを変えなければなりませんから、調律法を変えるというのは大変な作業になります。
中全音律はドミソを初めとして比較的よく使う和音がきれいに響くようになっている代わり、あまり使わない和音の響きを犠牲にしています。それは例えばシレ#ファ#(ロ長調の基本の和音)で、レ#がきれいに響く音より5分の1音ぐらいずれているので、誰が聞いても「変だな」と感じるはずです。ですからバロック時代の初めのうちは、ロ長調の曲というのは作曲しないのが暗黙の了解でした。
レクチャーでは中全音律と平均律の違いを、何かに喩えて説明していましたが、あまりにも理解不能な喩えだったので、私なりにもう少しわかりやすそうな喩えをします。
幅6メートルの小川に、11個の飛び石を置くとして、そこを歩くのが「歩幅が51cm±1cmの二足歩行ロボット」だとします。そのロボットが最適に歩けるようにするためには、石を51cm間隔で置くのがいいように見えます。その置き方が中全音律に相当すると考えて下さい。しかしその置き方をすると、最後の石から向こう岸までの間隔は、6メートル−(51cm×11)=39cmしかありません。ロボットは転びます、マルチみたいに。
それに対して一律に50cm間隔で置くのが平均律に相当します。ロボットにとっては最適な間隔ではない代わり、どこを歩いても転ぶ心配はありません。ドミソの和音が最もきれいには響かない代わり、聞くに堪えないほどずれる和音もないのが、中全音律と比較した平均律の特徴になります。
大オルガンの演奏のほうは、またまたスペイン風水平トランペットを聴かせるための、バロック時代のポルトガルの曲と、モーツァルトの作品が1曲ずつ、あとは現代曲でした。そう言って20世紀後半の現代曲を敬遠している私ですが、その私が気に入ってCDを買って繰り返し聴いている20世紀初期のオルガン曲(レーガーやヴィドールの作品)を、バロック時代のオルガン曲を好きな兄は聴こうともしないのですから、案外現代曲も、聴いてみれば気に入るかもしれません。
と思うこともあって、デュプレやもっと現代のオルガン曲も聴いてみたことがあるのですが、どうもあまり気に入りそうにないなと思ったのは(今まで3回のコンサートで演奏された現代曲もそうでしたが)、「ピアノの発想でオルガン曲を作曲しているんじゃないか?」ということです。
ヴァルトシュタインソナタ・第1楽章第1〜2小節 ピアノもオルガンも鍵盤楽器ですが、発音原理からするとピアノは打楽器、オルガンは管楽器です。ですからピアノでは音の出だしがはっきりしているので、同じ音を短く切って繰り返し叩くような音形は効果的なのですが(ベートーヴェンの「ヴァルトシュタインソナタ」の最初の部分など)、反対に何小節も続く長い音符は、途中で音が消えてしまいます。
それに対してオルガンは、前回書いたように何小節も続く長い音符をはっきり聴かせることができる代わり、タンギングしないで吹く管楽器のようなものですから、音の出だしがピアノほどはっきりしませんし、鍵盤を離すまで同じ強さで音が続くので、このような音形はむしろ苦手です。
このようなオルガンに不向きな音形は、バッハの作品にも全くないわけではありませんが、現代曲で特に耳につくような気がします。

11月23日(金)
この3連休はゲーム三昧、といきたいところですが、明日の昼間は出かける用事があり、25〜26日ははるばる横浜まで出かける用事ができたので、そうもいきません。
それでも初日だけは1日自分の過ごしたいように過ごせることになったので、手を着けていないゲームに取りかかることにして、朝一番でプレイを始めたのはLeafの「WHITE ALBUM」です。
実はこのゲームも、買い込んだのは99年の8月つまりWindowsマシンを買ったのとほぼ同じ時に、Leafの他のタイトル(「雫」「痕」「ToHeart」「こみっくパーティー」)と一緒にまとめ買いしたのですが、それ以来2年以上も、全然手を着けていませんでした。
買った動機は「Leafのゲームを一通り買ってみる」、それともう一つ、Leafのゲームの中ではキャラデザイン(ら〜・YOU氏)が私の好みに合いそうな気がした、というところだったでしょうか。
このゲームはLeafの作品としては雫・痕・ToHeartに続くものですが、パッケージに前3作にあった「Leaf ビジュアルノベルシリーズ」という言葉が消えていることが暗示するように、ゲームシステム的にはノベルゲームよりもシミュレーションゲーム的というのでしょうか、こみパの先駆作的な要素があります。
主人公(デフォルト名は藤井冬弥)は大学2年生。Leafのゲームだけでなく他社のゲームと比較しても珍しいことには、ヒロインの一人である森川由綺とは、高校時代からすでに恋人同士であることです。由綺は学生をやりながら芸能界に身を置いていて、スターとして開花しつつあります。その他に、由綺と同じ芸能プロダクションに属する緒方理奈、幼なじみの河島はるか、高校から大学まで続く1学年先輩の澤倉美咲、冬弥が家庭教師をすることになる観月マナ(高校3年生)、由綺のマネージャー篠塚弥生、以上がヒロイン格のキャラです。さらに由綺と理奈が属するプロダクションの主緒方英二、冬弥の友人七瀬彰といったところが登場します。
プレイ期間は11月4日から2月28日までの4ヶ月間。こみパと同じように、毎週の初めに月曜日から日曜日までの行動(大学へ行く、放送局または喫茶店へアルバイトに行く、町へ出る、休息、が基本)を決め、出先で誰かに会ったら話をする、その中には行動の選択を迫られる場面があり、また関係の進展にともなって随時イベントが起こるようになっています。
ToHeartに比べると1週間分の行動予定を先に確定しなければならないこと、出かけるたびに体力を消耗し(特に放送局のアルバイトは消耗が激しい)時々は休息しなければならないことが制約でしょう。また日常の基本行動である会話が「世間話」「芸能」「文学」「恋愛」「アート」「スポーツ」「おしゃれ」「自然」と分かれていて、相手によって選べる話題がその時々で変わるのは、シミュレーション的色彩が強く出されているようです。
もう自力でコンプリートなど最初から目指さないことにして、攻略本を見ながらプレイすること5時間、初プレイは澤倉美咲とエンディングを迎えました。
プレイを終えて、お知り合いのサイト管理者の方でこのゲームを知っていそうな方のサイトの掲示板に書き込みをし、それからゲームの感想を打鍵していると夕方になりましたが、日記を書き終える前に急に眠くなったので寝ることにします。
(11月24日アップ)

11月21日(水)〜22日(木)
北海道では雪が積もっていると聞くこの頃、新潟県も秋の深まりゆくのを感じます。家の周りでは銀杏がすっかり黄葉しました。朝起きて障子を開けると、窓ガラスが結露しています。
実は新潟県の今頃は天気が不安定で、朝晴れているからといって出勤前に洗濯をして洗濯物を干して出勤すると、昼頃青空が見えているのに突然にわか雨が降ってくることがよくあります。
そんな時、外へ飛び出して空に向かって「オラオラオラオラオラオラオラオラオラぁっ!!」なんてやった日には刑事事件の免罪符を交付されてしまいますからやりませんが、もし自然に意志という物があるならそれは人間を愚弄し嘲笑する意志に違いない、と思う時です。

Windows版「同級生」をコンプリートしたので、次のゲームは、というところですが、先日セーブデータの待避と復帰がうまくいかなかった「With You」を、もう一度最初からプレイしてみることにします。それも単に再プレイするだけではなくて、今後また何らかの理由で再インストールする必要が生じた場合に備えて、セーブデータの待避と復帰を行えるための手がかりを探すことが目的になります。
まず最初に立てる仮説は、再インストール後の状況からすると、個別のセーブデータの他に全体フラグとなるファイルが存在しているであろうということ。しかもそれはシステムメニューからセーブするデータである save?.dat(?=0-9) 、クイックセーブコマンドで行う quickSv?.dat(?=0-2)、プレイヤーの意志と無関係にゲーム中で1日が経過すると更新される autoSv.dat のいずれとも異なって存在するはず。という仮説です。
起動すると、前にプレイしていた時には、フルスクリーンモードとは違うのですがゲームウィンドウの外側にデスクトップが見えなかったのに、今回はなぜかゲームウィンドウの外にデスクトップ(私の場合、DOS時代に全てのアプリケーションをFDから起動していた頃の癖で、Windowsを起動している間は常にエクスプローラを開いているので、エクスプローラの画面というほうが正確です)が見えます。そこでエクスプローラのカレントフォルダをゲームのフォルダにして、プレイ中にセーブすると更新される(エクスプローラの画面上で移動したように見える)ファイルがセーブデータ以外にあるかを観察します。
するとシステムメニューからセーブしたりクイックセーブしたりしなくても、シナリオが流れるに従って WithYou.system.dat というファイルのタイムスタンプが変わっていきます。ファイルサイズ(9KB)からしてもこの辺が、全体フラグの可能性が高いです。
そこで今後はこのファイルをバックアップすることにします。仮説の完全な検証のためには、CGの達成率が何段階か変わったところでこのファイルを別のフォルダに名前を変えて保存しておき、ゲームをもう一度アンインストールして再インストールしてから、それぞれの段階のこのファイルを復帰してCGモードで表示される達成率を調べてみることになるのでしょうが、そこまでする気もありません。

21日の夜に真奈美シナリオを完了、22日の夜に菜織シナリオを完了しました。
手つかずのゲームが山をなしているにもかかわらずWith Youの再プレイを優先した理由は実はもう一つあって、前に思い立った「冬服シリーズ」の一環として、ゲームの舞台になっている聖エルシア学園の冬制服のCGを描いてみたいと思ったからです。
久しぶりにプレイしてみて、「このシーンを描いてみたいなあ」というシーンが浮かんできましたが、また考え直してみるとこのシーンは、今冬服シリーズで描いてしまうにはちょっと惜しいかな、という気もしないではありません。
(11月24日アップ)

11月19日(月)〜20日(火)
19日はこの日記を更新してから──なるべく手早く済ませようと思っているはずなのに、気になったことをコメントするためにPhotoshopを起動して図解を作ったりしているから、積んでいるゲームの消化が捗らないのに決まっていますが──Windows版「同級生」をまた最初からプレイします。今回は、昨日までのプレイと全く同じ展開になる場面ではボイスをいちいち聞かず、どんどん飛ばしていきますが。
20日もプレイを続行して、全ヒロインのエンディングに到達し、これをもってコンプリートとします。
(11月21日アップ)

11月18日(日)
寄贈作品の制作が終わり、頼まれ仕事も終わったので、久しぶりに腰を据えてゲームに取りかかります。
まず先日うっかりミスをしたせいでプレイを中断してしまったままになっていたWindows版「同級生」を再開することにしました。第1回通しプレイとしてはゲーム期間全体の8割方(21日間のうち17日)まで経過しているので、もう終盤です。
攻略情報が載っている雑誌を傍らに開いて数時間、エンディングに到達しました。
セーラー服の襟(「舞と瑞穂」より改変)
(「舞と瑞穂」より改変)
どうでもいいようなことですが、先負学園の女子制服の形が、ちょっと気になりました。
いわゆるセーラー服というのは、前襟の間に逆三角形の布(右図の赤で示した部分)がある場合が多いですね。これがないと冬は寒そうですし、それよりも前屈みになるとはなはだ不都合なことになってしまいます。
と言いつつ実は最新作で桜木舞が着ているセーラー服にはこの部分がないのですが、それは原画集に基づいて描いたからです。つまり先負学園の制服にはこの部分がないらしいです。
ところがプレイしていて気がついたのですが、ゲームのメインキャラのうち仁科くるみだけ、この部分がある制服を着ています。どういうことなんでしょうね?
この手の不整合は、いろいろなメーカーのゲームをプレイしていると時々見かけます。襟の合わせが左右逆になっているくらいは珍しくなく、そういう場合は自分がCGを描く時には自分の判断で直せばいいのですが、このようにどちらになっていてもおかしくない場合、どちらに準拠して描いたらいいのか、判断に困ってしまいます。
(11月19日アップ)

11月17日(土)
昨夜は久しぶりに遅く(午前4時)までチャットしていたので、昼頃まで惰眠を貪ってしまいましたが、起きてからはちょっとまとまった作業に取りかかります。
高校の同窓会名簿をExcelで入力する作業を引き受けたのです。データ入力を専門の仕事にしている人には及ばないと思いますが、キーボードに触れたこともない人よりは作業に慣れているつもりだったので、BGMにお気に入りのクラシックのCDなぞ流しながら、鼻歌交じりで取りかかったのですが。
一人ずつ住所を「郵便番号×××−××××、(隣のセルに移動)何々県何々市何々町……」とキーボードを叩くことしばし、突然あることを思い出して、「自分って馬鹿!?」と言いたくなったのは、
なぜ住所の入力に郵便番号辞書を使うことを思いつかなかったんでしょう?
仕事と関係ない作業だからいいですが、時給いくらで給料を貰ってアルバイトで入力していたのだとしたら、わざと能率の悪いやり方でやっていると見られても仕方がないようなことです。
そしてその次に気がついたのは、私のパソコンに郵便番号辞書がインストールされていないということだったのですから、恥の上塗りです、いやはやもう。
郵便番号辞書をインストールして作業を再開し、確かに作業能率が上がったことを実感しながら、名簿の入力を終わらせました。
(11月19日アップ)

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