2002年12月後半の日記
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12月31日(火)
今年も去年と同じように、独身の息子がイベントで遊びほうけている間に両親は実家の大掃除をあらかた終わらせていました。ですが帰省前にメールで連絡を取った際に、31日にはもう大掃除をする場所はない予定だと父が書いてきたのに対して、冬コミの翌日に力仕事をしないで済むのは大助かりではありますが、そこまで本音を出さずに「だんだん『お客様』になっていくような気がする」という意味の返事をしたせいか、1部屋だけ窓ガラスが磨かれずに残っていました。
大掃除は免除(というより逃げている)の代わり、またパソコンについての相談事を持ちかけられます。9月頃、実家のパソコンのハードディスクがクラッシュしたことがあって、修理に出して戻ってきたらデスクトップの壁紙がそれまでのと変わってしまったので元に戻せないか、プロバイダが変わったためにメールアドレスが変わったことを知らせた際に、家族・親戚・父の同窓会・母の友人、そういったところにメールを出すとして、受け取った相手に他の宛先のメールアドレスを知らせないようにするにはどうしたらいいか、Excelのファイルを編集しているとまた特定のセルを含む範囲をコピー&貼り付けすると異常終了するので何とかならないか、といった相談に、私の持っている限りの知識で対応することになります。
こういったトラブルへの対処は、私がその場で「はいできました」と解決してしまうのではなくて、もう一度同じ現象が発生した時には父が自分で対処できるように、対処できるような手段を、手順を教えながら解決していく必要があります。ですからExcelのトラブルに対しては、去年のケースのように特定のセルに変な外部参照がある可能性があるのなら、いったんそのシートをコンマ区切りのテキストファイルにでも書き出して、新しいファイルにテキストファイルウィザードで読み込む、そうすれば古いファイルのどこのセルにどんな数式が設定されていようが全部クリアされるはずなのですが、古いExcelファイルをテキストファイルに書き出して新しいExcelファイルにウィザードで読み込む、なんていう操作の概念を理解させられる自信がありません。それで、問題のセルを含む行全体とか列全体とか、ある程度広い範囲をコピー&貼り付けすると落ちると言っているので、「セル毎にコピー&貼り付けしていけば大丈夫みたいだ」とお茶を濁すことになりました。
もちろん全部そうやってお茶を濁して逃げたわけではなくて、2番目の相談は要するにBccを使えば解決ですから、Bccの使い方をちゃんと教えます。それにしても、仕事関係のメールでも宛先に何十人ものメールアドレスが書いてあるメールが来ることがよくあるくらいで、Bccを使いこなしている人は思ったほど多くないのかもしれません。
やがて妹夫婦が来て、昨日から帰省していた兄と6人揃って大晦日の晩餐になります。今年一年どんな事があったという話題になると、父は四国八十八ヶ所完歩、母はアイルランド旅行、妹は運転免許を取った、そして兄は35歳にして「いい人ができそうだ」という重大発表です。それを聞いて、これで自分が“貰わず寡夫”になっても我が家の血筋は安泰だ、という見当違いの事を考えたのは誰だったでしょう?
そんな事を考えるヤツのことですから、ハンドルネームで運営しているギャルゲーのファンサイトの運営が3年目になったこと、そのサイトで「扉を開いた」ことはこんな場では口にしません。しかし今春どういうわけかアパートの電話番号が変わり、帰省のたびに重たげなリュックサックを背負って実家に現れ、アパートの部屋には女の子の絵(ヌードじゃないにしても)が描いてあるカレンダーや棚1段分のゲームの箱(そのほとんど全部に銀色の丸いシールが貼ってあることに、はたして両親は気づいているのかどうか)がある、33歳独身彼女ナシの次男の趣味について、両親が結婚の見込みの有無は別にしてもどう思っているのか、いっそカミングアウトする賭に出てみるべきなのでしょうか?
今夜も午後12時を過ぎてから年賀メールを出します。
(2003年1月6日アップ)

12月30日(月)
運賃の安さに惹かれて、上京のたびに使っている新潟発池袋行きの夜行高速バスですが、真冬の関越道を走る高速バスとなると、大雪による渋滞に巻き込まれて、それこそ「こみパ」の某キャラのシナリオみたいな目に遭わないとも限らないものですが、今日の夜行バスはすこぶる順調に走って、午前4時過ぎに池袋に着きました。池袋からは前回の夏コミと同様、山手線外回りの始発に乗って東京→京葉線→新木場→りんかい線→国際展示場という最速ルートで有明へ向かいます。
実はこのルート、京葉線一番電車への乗り継ぎのために東京駅で激走しても、新木場駅でりんかい線の始発をかなり待たないといけない(一番電車の前に臨時が出ていますがそれでも)のですが、それでも山手線の電車が東京駅に着くや否や我先にと京葉線ホームへ向かって走り出すのは、もう条件反射のようなものでしょう。
今回は乗り継ぎも順調にいって、5時40分頃、西側の入場待機列に並びました。今回の冬コミでは前回の夏コミとはまた逆に、東地区にLeaf・Key系、西地区にそれ以外のギャルゲー系のサークルが配置されているので、まず西地区でelf・アリスソフト・F&C・月姫といったサークルを見て回り、それから東地区でLeaf・Key系のサークルを見ることにしたのです。
さて入場待機列に並んでも、入場が最も早くても5時間後となると、カタログに載っている「マンガレポート」を読むくらいしかする事もありませんが、冬至直後の東京では、午前5時台は真っ暗です。細い月と金星がビッグサイトの上に光っていますが、カタログが読める明るさではなく、顔を膝に埋めて寝るしかありません。
6時を過ぎると明るくなってくるのでマンガレポートを読み始めます。前回の夏コミは3日とも晴天で、雨にたたられるということはなかったようですが、その反面で日焼けに苦しめられた、というレポートが目につきました。晴海時代の92年夏コミ(コミケ42)は、今回のカタログに載っている 事務局によるレポートに『ジェノサイドコミケ』という表現があったほどの伝説的な炎暑だったらしいですが、前回の夏コミ(コミケ62)は、少なくとも私が参加した最終日は、湿度が低く、風が吹いていたためもあって、それほどの酷暑ではなかった感覚があります。ところが風が吹けば吹いたで「本が飛ばされた」という怨嗟のレポートが1ページ(レポート25枚)を占めていて、とかく世の中はままならぬものです──あるいはどんな自然現象に対しても、文句を言う人間はいなくならないということなのかもしれません。
入場開始にはまだ早いはずの9時20分頃に列が動き出し、階段を昇ったエントランスプラザまで来て停まりました。ここで西地区1階へ入る行列、東地区へ向かう行列、そして企業ブースのある西地区4階へ上る行列に分かれて並び直すことになります。入場開始前にビッグサイト内へ行列を誘導するこの方法は、事務局レポートによるとコミケ62から実施された誘導で、いろいろとメリットがあったので今後はこのやり方でいくことになったようです。午前9時を過ぎれば気温が上がってきているとはいえ、吹きさらしの駐車場よりは建物の中で行列する方が楽だと思います。10時の開会宣言を聞いて拍手したのは、西地区1階のアトリウムででした。
西地区の誘導は、アトリウムから西1ホールと2ホールの間にある通路を抜けて南駐車場へ出て、ここで列を解きます。列が解かれたのは10時20分頃だったでしょうか、私が参加したコミケでは最も早い時刻でした。
真っ先に行ったのは数少ないelf系サークルながら壁サークルの「秋の味覚」「(クマ科)」です。カタログを買って最初に目を通した時、島サークルのページ(elf系は「西さ」あたり)にどちらも載っていなかったので、てっきり両サークルとも冬コミは落選したのかと思い込み、それなら委託についてホームページに何かお知らせが出ていないだろうかと見に行ったら「スペースは『西あ-○○×』です」とあって、驚いてカタログを見直したものでした。なんだか壁サークルというと、本を買うにはサークル入場してブースに行列するのが当たり前の大手サークルで、ウェブサイトを開いているとすればカウンタは100万の桁に乗っていて、主宰者はゲーム雑誌に載ったりするような有名人、私のような零細サイトの管理人がブースで声をかけることなど思いもよらない、そんな印象があったものですから、前回までのコミケで ブースで親しく声をかけていただいた人のサークルが壁サークルになっている、ということがすぐには信じられませんでした。
島のelf系サークルは、いよいよ少なくなってきたのを感じます。2年続けて(2001年のは冬コミ、2002年のは年が明けてから通販)「同級生2」カレンダーを買った「サークルてけりり」は、今回ついにelfから月姫にジャンルが変わっていましたが、来年の同級生2カレンダーは買うことができました。ここも最初に島のページを探して見つけられず、サークル名リストで見つけたものです。
正午頃まで西2ホールでギャルゲー系サークルを見て回ってから、東地区へ移動し、東4ホールのLeaf・Key系サークルをKey系から見ていきます。夏コミと同じく小説本を出しているサークルを見ていきますが、私が夏コミで小説本を買ったサークルには壁サークルはなく、「小栗's Notebook」が壁に次ぐ準大手サークルの島(「東レ」の後半)にあったくらいでした。
Key系からLeaf系へと回っていったので、コミケ以外のイベントでお会いしたことのあるDragoonさんのサークル「竜騎兵小火器工廠」に着いたのは午後2時半でした。隣の「丼の大口亭」はドタキャンだったようですが、竜騎兵小火器工廠のブースには、子供サイズ保科智子人形の生みの親たるひさぽんさんも見えていました。
「ToHeart」がPlayStationで出てからでも もうすぐ4年になる今、Leaf系サークルの中でToHeartメインのサークルが減っていくのは時の必然かもしれませんが、それにしても智子メインのサークルは今回片手で数えるほどしかなく、特に減り方が著しいような気がします。Leaf系サークルは前回以来「うたわれるもの」メインのサークルが増えているので、ToHeartから うたわれるもの へ鞍替えしたサークルも少なくないかもしれませんが、他のキャラのファンはともかく、智子ファンの少なからぬ部分を占めるはず(ホントかい)の“眼鏡っ娘属性”のファンが一挙に うたわれるもの に流れるとは思えないのですが(うたわれるもの はLeafのゲームにもかかわらず眼鏡っ娘が1人も登場しないようなので)、どうしたことなのでしょうか。
今回もいつものように、目を留めてくれる人がどれほどいるかも定かではない名札2種類(当サイトのと、「いいんちょ普及委員会」のと)を付けて会場入りしたのですが、声をかけられたのは葉鍵板最萌トーナメント支援SS集を出していたサークルのブースででした。当サイトのバナーに見覚えがあったとは到底思えず、案の定、いいんちょ普及委員会の名札に見覚えがあったらしいです。
4時少し前に東地区の東端まで回り終えて、改めてDragoonさんと ひさぽんさんに挨拶してから、建物の外へ出てリュックサックの中身を詰め直していると(この時になって、新潟から持ってきた昼飯を食べていなかったことに気がついた次第)、4時の閉会宣言が聞こえて、あたりにいる参加者の間から拍手が湧き起こります。同人誌を一杯に詰め込んだリュックサックは肩に食い込む重さですが、これからが私にとっては最後の一仕事、そして一介の一般参加者としてコミケに対してできるささやかな協力、すなわち会場撤収の手伝いが始まります。今回また、リュックサックを背負ったまま、椅子とテーブルを畳み、運び、積み上げ、トラックに積み込む作業を手伝いました。
コミケ63のカタログをお持ちの方は、36ページ右下の「↑撤収の光景」という写真を見てみて下さい。……ピンと来ましたか?
午後6時に浜松町行きのバスでビッグサイトを後にして、実家へ向かいました。
(2003年1月5日アップ)

12月29日(日)
藤咲はじのさんから頂いたクリスマスCGですが、私はそれを頂いたそのまま、一切余計なことをせずに当サイトで公開したにもかかわらず、はじのさんがインターネットに接続して当サイトのCGをブラウザで見ると、作者の意に反して変に見える、という指摘を頂きました。
それで昨夜のチャットでは、WindowsXpとInternetExplorer6.02をお使いの はじのさん、Windows98とInternetExplorer5をお使いの夕凪さん、さらにWindows2000とInternetExplorer6をお使いの人、そして私の4人で原因究明に当たりましたが、現象の再現性はあるものの各々の環境が異なっていて共通項が乏しい(例えばWindowsXpとInternetExplorer5を使っている人がいない)ため、原因の解明には至りませんでした。
推測の手がかりとして、Windows2000とInternetExplorer6では正常に見えたらしいです。以前にも、WindowsXpとInternetExplorer6.0で私の制作したCGが変に見えるという報告を頂いたことがありましたが、その時はWindowsMeでは正常に見えるということだったので、かなり特殊な状況の下で発生する不具合であり、その要因はInternetExplorer6よりもWindowsXpの方にあるのではないか、と推測するに至りました。

今日は一日、やっと題材が決まった年賀CGの制作に専念しました。今夜から自宅を離れ、帰ってくるのが1月2日の朝になるので、1月1日に年賀CGをお贈りするためには今日中に完成しなければならないからです。
夕刻に完成したCGをサーバにアップすると、次は明日の冬コミの準備。夏コミの時と同じように、朝飯と昼飯は握り飯を作って持って行きます。それから時間を見計らいながら、出発間際までウェブ日記を打鍵し、サイトの更新を済ませてから出発します(まだ出発してはいないのです)。
では、良いお年を。

12月28日(土)
昨夜のチャット中に、「ヴァージニアの手紙」とそれを元ネタにしたパロディが話題になりました。
ヴァージニアの手紙とは、今から100年余り前、アメリカに住む8歳の少女が新聞社に「サンタクロースは本当にいるんですか?」という質問の手紙を書いたのに対して、その新聞社が「サンタクロースは確かにいる」と社説で回答した、という話です。いつだったか新聞のコラムで読んだ覚えがあった話ですが、いかにもアメリカ、科学と信仰を同居させることに何のためらいもない国だなぁと思ったものでした。 パロディについては、現在は公開されていないので、その具体的な内容には言及しませんが、そのパロディと似たベクトルでふと思いついてしまったのが
「ビンラーディンはまだ生きているんですか?」
──アメリカ軍がビンラーディンを拘束するために地上部隊を投入してから1年余り経ち、いまだ拘束には成功していませんが、今年の11月にカタールのテレビ局にビンラーディンの肉声と称するテープが持ち込まれて、アメリカ政府が分析した結果どうやら本物らしい、つまり今年の10月頃にはほぼ確実にビンラーディンは生存し、どこかに潜伏していることをアメリカ政府は認めざるを得なくなった、という一連のニュースから思いついたことです。
ヴァージニアの手紙の「サンタクロース」を「ビンラーディン」に、パロディでは「独裁者」という言葉に置き換えられていた語句を「テロリスト」または「狂信者」に置き換えてみると、あまりの時事ネタ的生々しさとダークさに、笑うこともできませんでした。

12月27日(金)
晴れて日が射し、南向きの窓際にいれば暖かい日と、吹雪が荒れる日とが交互にやってくる、越後の冬はこれからが本番です。
官庁は今日が御用納めになるようですし、民間でも今日で仕事納めにする人が多いでしょう。そうして年末年始休みに入る人たちの中には、明日の冬コミ第1日に向けて、今夜からこぞって東京を目指す人たちもきっと少なくないことと思います。私はそこまで気が早くはないですが、冬コミ3日目に参加するために29日の夜行で上京することにしたので、その前に年賀CGを制作するつもりです。
(12月28日アップ)

12月26日(木)
25日の夜は帰宅したのが遅く、また帰路のあまりの寒さに疲れて、メールチェックもせずに寝てしまいましたが、そういう時に限って季節の贈り物のメールが届いているというのは、これも「マーフィーの法則」というものでしょうか。
「なちゅらりすと」藤咲はじのさんからのクリスマスCGでした。さっそく今夜の更新で公開させていただきます。
(12月27日アップ)

12月25日(水)
今夜はまた新潟市の りゅーとぴあ へ、クリスマス・オルガンコンサートを聴きに行きます。去年も聴きに行ったコンサートですが、今年は大オルガンだけではなく、ポジティフオルガンと弦楽四重奏それにソプラノ独唱のアンサンブルもあるということで、毎年趣向を凝らしているのがわかります。
前半は大オルガンが中心で、16世紀スペインの 聖母マリアを讃える民謡に基づく変奏曲で始まり、イタリアのパストラーレ、コラール(バロック時代以前のドイツの讃美歌)に基づくバッハの作品、イギリスの子守歌、締めくくりは20世紀フランスの メシアンの作品まで、時代も国もさまざまな、クリスマスの音楽が演奏されました。ソプラノ独唱とオルガンのための曲、ソプラノ独唱・ハープ・チェロ・オルガンのための曲というのもありましたが、大オルガンはストップの使い方次第で、フル編成のオーケストラをも圧倒する音から人1人の語りよりも慎ましい音まで出せるとはいえ、アンサンブルに加わるのはどうでしょう、それに他の奏者はオルガンのコンソールの周りにいるのですが、コンソールがステージの後方ずっと高い所にあって客席から遠く離れているので、後ろの方の聴衆にはよく聞こえなかったかもしれません。
休憩を挟んで後半は、ステージに引き出されてきたポジティフオルガンが主役になります。時代的にはヴィヴァルディの頃のイタリアバロックが中心で、オルガンと弦楽四重奏のための曲、それにソプラノ独唱が加わった曲、合わせて4曲が演奏されました。
今日のコンサートではこれらの曲をオルガンで演奏していましたが、ピアノやチェンバロで演奏したとしても違和感はなかっただろうと思います。バロック時代の、鍵盤楽器のための曲は、特にイタリアとイギリスには足鍵盤のある大きなオルガンが少なかったこともあって、足鍵盤のパートのない曲が多く、そのような曲はポジティフオルガンでもチェンバロでも弾けます。それで先日の「メサイア」のように、オーケストラにオルガンとチェンバロの両方が加わっていて、曲によって伴奏を分担しているのも珍しくありません。ただ、オルガン=教会=宗教音楽、チェンバロ=宮廷・劇場・邸宅=世俗音楽という雰囲気は次第にできてきていたようで、それでクリスマスにちなんだ音楽を演奏する今夜のコンサートではオルガンで伴奏することにした、ということはありそうです。
それからまた気がついたのは、弦楽四重奏といってもヴィオラのパートはチェロの1オクターブ上をなぞっていくだけの曲が多くて、実質的にはヴァイオリン2人とチェロの弦楽三重奏だったことです(しかもチェロのパート自体、オルガンの左手と全く同じ場合が多いです)。3曲目に演奏されたハイドンのオルガン協奏曲という曲では、協奏曲というと弦楽合奏を始めとするオーケストラと独奏楽器のための曲と学校の授業では習うのですが、これは本当にヴァイオリン2部とチェロとオルガンのための曲で、この曲を演奏している間ヴィオラ奏者はステージから退っていました。ハイドンといえばバロックではなくて古典派の作曲家とされていますが、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロが対等に活躍する新しい様式(当時としては)の室内楽曲を作る一方で、もう少し古い様式の曲も作っていたということでしょうか。オルガン協奏曲が演奏される場であった教会は、弦楽四重奏曲が演奏される場であった宮廷よりも保守的だった、ということは充分考えられると思います。
ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロと鍵盤楽器のための室内楽曲で私の手元にCDがあるのは、モーツァルトの四重奏、シューベルトの五重奏(コントラバスが加わった、有名な「ます」)と、ブラームスの四重奏・五重奏(ヴァイオリン2人)です。もちろんシューベルトやブラームスの曲の“鍵盤楽器”は、完全にピアノ限定で、オルガンやチェンバロで演奏することは全く考えられません。
アンコールはソプラノ独唱と弦楽四重奏とオルガンで「きよしこの夜」、昨夜の教会でもミサが始まる時に歌っていた、クリスマス音楽の定番中の定番でした。
(12月27日アップ)

12月24日(火)
今年のクリスマスイブは去年と違って平日ですが、去年クリスマスイブのミサに参列した教会では、去年と同じようにクリスマスイブのミサを行なうので、残業は早めに切り上げて教会に行きました。
平日、しかも教会へ向かう間ずっと雨が降り時折雷が鳴る悪天候にもかかわらず、ミサには大勢の人が参列していました。その全てが敬虔な信者だったわけではなく、むしろ、クリスマスイブと聞いて教会に来てみた程度の、信者でない人の方が多かったかもしれません。中には、ミサの後で開かれる祝賀会の飲食を当て込んで来た人もいたかもしれませんが、教会としては、この際動機は問わず、信者でない人にも教会に来てもらって、そのうちの幾らかでもキリスト教に関心と理解を示してくれればそれでいい、という考え方のようです。
そのように信者でない人が大勢来るので、参列者が唱和する言葉や讃美歌の楽譜を載せた式次第が配られていましたが、たぶんこれはクリスマスイブのミサだけでしょう。さらにミサの途中では、その都度「お立ち下さい」「式次第の何ページです」と、信徒会の人が案内放送をしていました。
祝賀会が終わって帰る頃には、雨は止んでいましたが、道路にはうっすらと雪が積もっていました。新潟県でも雪の少ない地域では、ホワイトクリスマスになることはあまりありませんが、もし首都圏に12月24日の夕方から深夜にかけて大雪が降ろうものなら、電車がことごとく止まって帰宅の足が奪われる人が続出するのは間違いなく、現実になったホワイトクリスマスにはロマンのかけらもないでしょう。
(12月27日アップ)

12月23日(月)
今日は新潟市の りゅーとぴあ へ、バッハ・コレギウム・ジャパンによる「メサイア」コンサートに行きました。世界的な評価を受けている楽団のコンサートとなると、チケットがS席6000円と、メサイアのCDが買えるくらいの値段になるものですが、地方に住んでいてオーケストラのコンサートに行く機会があまりない身としては、たまには一流の楽団の生演奏を聴いて、耳を肥やしたいと思います。
メサイアは、たぶんヘンデルの声楽曲の中では最も有名な曲なので、今の時期にはあちこちのオーケストラが演奏していると思いますが、バッハ・コレギウム・ジャパンはバロック時代の音楽、特にバッハの作品を当時の演奏習慣に基づいて演奏することを目的にして設立された古楽器オーケストラで、弦楽器はヴァイオリンが3人ずつ、ヴィオラとチェロが2人ずつ、コントラバスが1人、合唱は各パート4〜5人という少人数です。このくらいが当時のオーケストラの人数だったということなのでしょうが、後で手元にあるCD(古楽器オーケストラ)の解説を見ると、CDを出している古楽器オーケストラはもう少し人数が多いようで、ヘンデルがメサイアを初演したダブリンやその後何度も上演したロンドンと、バッハが作品を上演したライプツィヒの、都市の規模の違いが、そんなところにも現れているのかな、と思います。
ヘンデルがメサイアを作曲したのは1741年の秋、初演したのは翌年の春ダブリンででしたが、初演の際にもう、最初に作曲された版から改訂されており、その後も上演のたびに幾度となく改訂されたので、メサイアの演奏について厳密に言う場合には「何年にどこで上演された時の版に基づく演奏」というのが問題になるそうですが、今回のコンサートではダブリンで初演された版に準拠しているということでした。こうした改訂(一部は初演の前に行われた)は、純粋に音楽的な観点からというよりも、上演する際にアリアを歌うソリストに合わせて改訂したという面が多かったそうで(例えばソプラノより上手なアルトがいれば、ソプラノのためのアリアを5度下げてアルトに歌わせるというように)、今日のコンサートでもパンフレットにアルトと書いてある曲をカウンターテノールが歌ったのがありましたが、これは日本人のアルトよりも外国人のカウンターテノールに花を持たせるためかと思ったのは、臆測が過ぎるかもしれません。
オーケストラの器楽パートは、上に書いた弦楽器の他にオーボエ2人、トランペット2人、ファゴット・ティンパニ・オルガン・チェンバロが1人ずつですが、トランペットとティンパニは初めのうちは出番がなくて、第1部の途中(歌詞の内容としては、救世主の到来の預言が旧約聖書に基づいて述べられる部分が終わって、キリストの降誕が新約聖書に基づいて語られる部分が始まる前)に置かれた小休止の時に、オーケストラのステージから離れた所にトランペット奏者が登場してきます。ティンパニの出番はさらに遅くて第2部の終曲(いわゆる「ハレルヤ」)が最初の出番なので、第1部の間は奏者はステージにいず、休憩の後で始まる第2部のさらに後半になって、小休止の時にトランペット奏者と一緒にステージに入ってきました。
このようにトランペットとティンパニという、いわば派手な楽器の出番を遅くしてあり、出番のある曲でも、ハレルヤと最後の「アーメン」でトランペットとティンパニのパートは曲の最初からは始まらず、曲の途中から加わってくる形になっているのは、メサイアの音楽としての特徴と言えるかもしれないとは、今日のコンサートを聴いて改めて思ったことですが、そうすることによって音楽を、最後に向けて盛り上げていく効果を増すように作曲されているのだと思います。バッハの作品だと、「クリスマス・オラトリオ」がティンパニのソロで始まり、「ロ短調ミサ」のグローリアが冒頭からトランペットとティンパニの合奏で華々しく始まるのに比べると。
上に書いたように少人数の古楽器オーケストラだったのですが、それにしては不思議だったのは、弦楽器の人数がモダン楽器のオーケストラよりずっと少ないにもかかわらず、前にモダン楽器のオーケストラの生演奏を聴いた時と反対に、オーボエとファゴットがほとんど聞こえなかったことでした。
(12月26日アップ)

12月22日(日)
連休とあって、21日と22日は二晩続けて午前0時から5時までチャットしていました。我ながら、よくこんなにチャットが続くものだと思います。
チャット中には、ここしばらくプレイが中断している「ONE」──私がそれについて考えることを停止、あるいは理解しようと努力することを忌避しているところの、このゲームの世界観が話題になったことがありました。私が後回しにした里村茜と長森瑞佳のシナリオをプレイしてみれば、世界観が理解できるようになるだろうという観測を述べる人がいましたが、そこまでモチベーションが続かなかった場合、七瀬留美のシナリオが終わったあたりで、川名みさきのCG1枚を置き土産にしてこのゲームを封印する結末を迎えるかもしれない、というのは当夜の私の発言でしたが、偽らざる実感でもあります。
(12月26日アップ)

12月21日(土)
今日からの3連休は、お知り合いの人たちにクリスマスに贈る作品の制作に充てる人もいるでしょうし、冬コミで販売するグッズやコピー本の制作で修羅場モードを発動する人もいるでしょうし、恋人とクリスマスを前倒しで楽しむ人もいるかもしれません。私はクリスマスCG制作組ですが、その前に近所の図書館へ新聞を読みに行きました。
韓国の大統領選挙の結果は、それ次第で、イラクのフセイン政権を打倒した後のアメリカが朝鮮半島北部を実効支配する武装勢力に対して取る行動が決まるかもしれないと思うと、日本国民それも新潟県民としてはもっと関心を持つべき事項なのだろうと思いますが、新聞記事で目に留まったのは、投票の方法が「投票用紙の候補者名の欄にハンコを押す」となっている、という記事でした。
今度の選挙では立候補者が世代交代しましたが、10年くらい前の「3金」時代のように、同姓の候補者が何人も立候補したら、投票用紙に候補者名を鉛筆で書くやり方だと疑問票や無効票が大量に発生するのではないかと、前に思ったことがありました。姓の種類が日本よりずっと少ない韓国で選挙をやれば、同姓の候補者が立候補することは当然予想できることですから、疑問票や無効票が出にくいように考えてあったのは当然のことでした。
ただ、候補者名の欄に○を書くようなマークシートではなくてハンコを押すというのが気になるところで、本当に印鑑登録したハンコを押すのだったら、「投票の秘密」も何もあったものではありません。そのあたりはどうなのでしょうか。

図書館を早めに切り上げて帰ってからはCGの制作です。インターネット上を見回しても同級生2サイトが少なくなりつつある今、同級生2のヒロインである水野友美萌えサイトの管理者としては、クリスマス・年賀・暑中見舞CGには友美を描くことを、我が身に帯びた使命と思い定めているのですが、遺憾ながらどうしてもいい題材が出ません。
それだけでは友美萌えサイトの旗を巻くにはあまりにも残念ですが、それよりもっと積極的な理由として、昨年のクリスマスシーズンに「1年遅れの約束」に続いて制作した「賢者の贈り物」が、制作後しばらくするとリメイクしたいと感じるようになってきました。それを自分を納得させる理由にして、今年のクリスマスは「賢者の贈り物」をリメイクすることにしました。
クリスマスCGを制作しても、次はすぐ年賀CGです。しかしこっちも友美主演のいい題材が浮かんできません。どうなるでしょうか。

12月17日(火)〜20日(金)
内容的には昨日の項の前半の続きになりますが、項を分けます。
世間の逆風が強いといえば、ゲーム業界もさることながら公務員でしょう。昨今の公務員バッシングは、私にはどうしても「魔女裁判」が連想されてしまいます。
中世ヨーロッパ、近代的な警察による科学的捜査など行われていなかった時代には、告発された容疑者を有罪と認定するのは基本的に自白に頼っていました。それで自白を引き出すために、ずいぶんひどい拷問が行われていたらしいですが、逆に言えばどんなに拷問されても自白しなければ、無罪放免を勝ち取れる可能性があったわけです。
ところが魔女裁判になると、「いくら拷問しても自白しない」というそのこと自体が、魔女である証拠とされたのでした。なぜなら普通の人間なら耐えられないはずの拷問に耐えているのは、悪魔に助けられているからだと。だから告発された時点で有罪決定、無罪を勝ち取る可能性はありません。
それで昨今の公務員いじめですが、マスコミが何かをあげつらって公務員を批判すると、それに対して公務員が黙っていれば「非を認めた」と決めつけられるのはもちろんですが、公務員が反論すると「反論するなんて改悛の情がない」といっそう非難される。近代的な司法制度のもとでなら、「無罪を主張したから有罪」なんていう暴論中の暴論が通用するはずがありませんが、マスコミの論調などを見ていると「反論するとは余計けしからん、もっと痛めつけるべきだ」という暴論がまかり通っているような気がします。そんなマスコミにいったん槍玉に挙げられてしまったが最後、初めから有罪と決められているのですから、魔女裁判にかけられたも同然です。
(12月20日アップ)

12月16日(月)
ふとしたことから目にした記事ですが、最近「ゲーム脳」なる言葉があるそうです。といっても生身の人間と囲碁や将棋をやることが頭脳の活性化やボケの防止に有効である──というような話ではなくて、「テレビゲームばかりやっていると『馬鹿』になる」とかいうような与太話に、どこぞの曲学阿世の徒が一見科学的な糖衣をまぶした、という程度の話らしいです。 当のゲーム業界は、こんなエセ科学的与太話には耐性ができてしまっているのか、相手にしないで無視することを決め込んでいるらしいです。しかしこの記事に続く記事の中で、デマだからといって反論しないで無視していると、流されたデマを大衆が信じ込んでしまうことの危険性を訴えています。いわゆる「トンデモ本」が根拠のないデマを流布したことに対して反論しなかった結果、誤ったイメージが定着してしまった例として、フリーメイソン(Freemason)が挙げられていました。
私自身、フリーメイソンというと「モーツァルトが加入していた団体」というくらいの知識しかないのですが、1985年に、何でもかんでもユダヤとフリーメイソンの陰謀に牽強付会した一連のトンデモ本が流行したことによって、「裏で世界を操っている怪しげな秘密結社」なんぞというはなはだ誤ったイメージが定着してしまったらしいです。
そういえば1985年って、阪神タイガースが日本シリーズで優勝するという世紀の椿事が発生した年ですよね。もしかしてあれも……なんて話がまことしやかに囁かれていたりして、あわわわ
しかし困ったことに、今は社会全体に、ゲーム業界に対する逆風が吹き荒れています。この逆風の中で表立って反論の声をあげるよりは、飽きやすい大衆が忘れてしまうまでじっと身を伏せて、一過性の嵐が去るのを待つ方が風当たりが少なくて賢明だ、と業界が考えていたとしても無理からぬことではないかと思います。
たまたま今日、郵便受けに入っていた「エホバの証人」のパンフレットが、テレビゲーム・コンピュータゲームを取り上げていました。エホバの証人のパンフレットはたいてい、「けっこうまともな事も書いてあるじゃない」と思って読んでいくと最後の段落でいきなり文章が飛躍して「???」となってしまうものなのですが、ゲームに関するその記事で述べていたのはほぼ全部、アクションゲームの暴力的シーンが青少年の育成に与える影響云々という話で、日本のマスコミなら真っ先にあげつらうであろう、パソコンゲームにおける性的表現には一言も触れていませんでした。どうもあのパンフレットは、日本語版といっても原稿はアメリカで編集・発行し、日本で配布されているのはそれの日本語訳のようです。
それでまた思い出したことがあります。かねてから疑問に思っていたのですが、日本で隆盛を極めているようなエロゲーって、アメリカには存在するのでしょうか?
アメリカのゲーム事情ということについては、「ソルトレイクシティ訪問記」で公開しようとしてなかなか果たせないままなのですが、1999年にソルトレイクシティを訪れた折、郊外のホームセンター・中心街のデパート内のゲームショップ・パソコンショップといった所を思いつく限り回ってみたことがあります。ゲームショップにはPlayStation・DreamCast・Nintendo64のハード本体を売っていただけでなく、ちょうどその頃アメリカでは「Pokémon」が大流行していて、ゲームソフト本体だけでなく、ゲームショップでは攻略ビデオ(ただしUnauthorized)まで売っていたものでしたが、しかしコンシューマであれパソコンであれ、売っているゲームというのはアクション物とフライトシミュレータ、あとは昔懐かし「SimCity」を彷彿とさせるような経営シミュレーションやファンタジー(それも美少女物ではなく)をわずかに見かけたくらいで、エロゲーらしき物は全く見つけることができませんでした。そればかりか、書店で立ち読みしたパソコン雑誌(アメリカくんだりまで行って何やってるんだ、というツッコミはご容赦を)のゲームレビューのページにも、アダルト要素を含むゲームのレビューは皆無だったのです。
もちろん、アダルト要素のある物を未成年者の目に触れさせない、という点での社会的規制は日本に比べてはるかに厳格だろうと私が推測しているアメリカのことですから、日本で18禁マークがつくようなエロゲーは、アメリカでなら一般のゲームショップには置かず、エロゲーのレビューが載っている雑誌は(Hシーンのビジュアルが載っていればもちろん、載っていなくても)一般の書店には置かず、それらを売るのは免許制のアダルトグッズショップに限定されていて、アダルトグッズショップの立地は学校から1マイル以上離れていなければならず、そういう店では入店に際して身分証明書の提示を求める、というくらい厳格な規制をしている可能性はあります。あるいは、敬虔なモルモン教徒の多いユタ州ではエロゲーは非合法であるとか……。
しかし日本で18禁になるようなエロゲーはともかく、日本でコンシューマで発売されていて、アメリカでの性的表現の規制にもまず抵触しそうにない、パンチラや水着シーンもないくらい物足りない健全な恋愛ゲームが、ゲームショップでは売っていず、そういうゲームをレビューした雑誌も書店に売っていないとすると、本当に、アメリカの健康な10〜20代の男性諸君には恋愛ゲームへの欲求はないのかと、その年齢層をギャルゲーに親しみながら過ごしてきた日本人男性の一人として、不思議に思わずにはいられません。
(12月20日アップ)

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