2002年12月前半の日記
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12月14日(土)〜15日(日)
週末は、数年前から制作したいと思っていたCGの制作に専念したいところですが、年末が近づいているのでもう一つの用件を先に済ませておくことにしました。他でもない、冬コミのカタログ購入と交通手段の手配です。
今回の冬コミは12月28日から30日までの3日間にわたって開催されるようです。しかしカタログを買って、大まかなジャンルの配置を見ると、ギャルゲーと同人ソフト(CDが含まれる)は3日目にまとまって配置されているので、委託販売は事実上断念する形になりますが3日目だけ参加することにして、29日の夜行高速バスを確保しました。
これで28日と29日は年賀CGの制作に専念できそうですが(と言いつつ実はネタが全然浮かばないんですよぅ)、13日夜のチャットで冬コミの話をしたら「30日は仕事だぁ」と言っていた人がいました。3日間の冬コミを、誰もが仕事の心配をせずに参加できる日程で実施するとなると、究極の日程はやはり1月1〜3日でしょうか(無理に決まってるっての)。
(12月19日アップ)

12月13日(金)
小泉内閣の支持率が下がるに従って、人々の口の端に上ることが少なくなってきたような気がする小泉内閣メールマガジンですが、私は昨年の7月から購読しています。
政府の発行するメールマガジンなんていうと、所詮は「大本営発表」だろ、という醒めた声が聞こえる気がします。確かに、毎週目を通していると、嘘で塗り固めたと即座に見破れる記事はさすがにありませんが、いかにも「公式発表」というような記事、私のような多少ひねくれたところのある庶民には「なるほど、政府当局としてはこうとしか言えないだろうねぇ」と思わずにはいられないような記事が目につくことがあるのは否定できません。
今週号(12月12日発行)では、いわゆる携帯電話の「ワン切り」を防ぐための法律が成立したという記事が載っていましたが、法律一本でワン切りがなくなると思うほど楽天的ではありません、私は。民間企業というものは、金儲けのためなら、政府の役人には考えも及ばないほど真剣に、法の抜け穴を探すものだからです。良きにつけ悪しきにつけ、それも企業努力の一部です。
法を制定した役人の想像の域を超えて、法の抜け穴を探す企業努力が結実した、最も身近な、そして社会全体に大きな影響をもたらした例ということなら、私は発泡酒を挙げます。発泡酒にかかる税額を原料中の麦芽使用率に基づいて決めた時、麦芽使用率25%以上67%未満ならまだしも、25%未満でビールに似た酒を作れるとは、政府の役人は誰も思っていなかったのではないでしょうか。ところが初めて麦芽使用率67%未満の発泡酒が世に出て以来、大手ビールメーカー各社の多大な企業努力によって、税金がビールより安い分小売価格も安くなっている(ビールの税額は350ml缶1缶あたり77円70銭、麦芽使用率25%未満の発泡酒は同36円75銭)発泡酒、それも麦芽使用率25%未満のが急速に市場を拡大していることは、誰もが認めるところであろうと思います。味が同じで税金が違うだけなら安い方を買うのは消費者として当然の心理ですし、1本売れた時のメーカーの収益が変わらないなら、よく売れる方の生産に力を注ぐのはメーカーとして当然の行動です。結果として損をするのは税収が減る政府だけ。それで今年も財源を確保するとて、またぞろ発泡酒とタバコの増税が企てられているらしいですが、ここまで企業努力を重ねてきたビールメーカーは当然のごとく反対しているそうですし、政府の中にも「発泡酒を増税するならビールを減税しないと消費者が納得しない」という意見があるらしいです。
発泡酒の増税に対しては政府の中にもこういう自重意見があるのに、タバコの増税に対しては政府は少しも躊躇する様子がないように見えます。政府はタバコを「金のなる木」、最も安直な財源と思い込んでいるのでしょうか。それだけでなく、どのマスコミも政府に再考を促すような論調がないのは少し不思議です。マスコミが「タバコ増税は仕方がない」、いやむしろもっと穿った見方をすれば「大衆はタバコ増税を是認している」という論調を誘導していることが、政府をして安直なタバコ増税に走らせている、そんな気もします。
私自身は喫煙者ではありませんが。タバコを吸わず自家用車に乗らず発泡酒ばかり飲んでいる私は、どう間違っても高額納税者として表彰されることはないでしょう……。
話を戻して内閣メールマガジンでは、政府当局以外の人から寄稿されることがある「特別寄稿」が、“公式発表”色の薄いコンテンツとして人気があるようです。先週号(12月5日発行)の特別寄稿では曾野綾子氏の「首相官邸は一般の人には見えない」という文章に多くの反響が集まったようでした。私としては、こういう批判的な意見を載せ、次の号では首相直々に「国民の目から厳しいご指摘をいただき、感謝しています」という返答を載せるようであってこそ、“大本営発表”ではない、政府広報のあるべき姿だと思ったのでしたが、今週号をよく読むと、首相官邸が通行人から見えないのは「新しい官邸は現在工事途中で、工事用の囲いにかこまれて外から見えなくなってい」るからだと。これを知って、一気に冷めましたね、私は。
曾野氏の著作を読んだこともないのにこんな事を日記に書くと、まるっきり誹謗中傷になってしまいますが、皮肉と前置きしてあるとはいえ首相官邸を「見たことがない以上その存在を信じないことにしようと思っている」というのが氏の持論であるなら、私も皮肉には皮肉で返すとて、
「あなたは『御自分が目を閉じている顔』の存在を信じないことにしているのですか?」
と尋ねてみたい、と思ってしまったほどです。だって誰も、写真やビデオを使わず自分の目で直接に、自分が目を閉じている顔を見ることはできないじゃないですか。
(12月19日アップ)

12月12日(木)
昼休みに私用で近くの郵便局へ行った時、「郵政公社発足まであと110日」という張り紙を見かけました。省庁再編で郵政省が自治省・総務庁と合併して総務省になり、郵便業務は郵政事業庁が行うことになったのは、ついこの前のことだったような気がするのに、それからもう2年が経とうとしているのですから、月日が過ぎるのは早いものです。
郵便事業を行うのが郵政省→郵政事業庁(政府の外局)→郵政公社(特殊法人)そしておそらく最終目標は完全な民営企業へと変わることになった理由というのが、私には今もってわかりません。国家公務員の数を減らすという“錦の御旗”(それがなぜ“錦の御旗”なのか、そもそも私には理解できないのですが)にしたところで、郵政公社の職員の身分は国家公務員とされているようですし。
ここからは臆測ですが、どういう理由にせよ国家公務員の数を減らすことになった際に、減らす際の抵抗と減らすことによる効果(減らせる人数)を天秤に掛けた結果、国家公務員の中でも大所帯である郵政現業14万人から将来的に国家公務員の身分を剥奪することが最も効果的だ、ということになったのでしょうか。
そんなことを考えていくうちに、なくてもいい部署だと思われていそうな部署の中で、郵政事業とは反対に、廃止する際の抵抗が非常に大きい割には廃止することによる人数的な効果は小さい、しかし、もしこれを廃止することになれば、身を削って行革に取り組んでいる日本政府の意気込みを内外に知らしめる宣伝効果は絶大であろうことは間違いなしの部署に考え至りました。
──だいたい想像はつくでしょう。参議院です。
参議院を廃止しても減らせる国家公務員はたったの247人──というわけではなくて、公設秘書・参議院事務局・参議院法制局がありますから参議院に所属する国家公務員の人数はもっと多いはずですが、それでも省庁1つ、あるいは陸上自衛隊1個師団よりはずっと少ないでしょう。
もう少し真面目な話、議員の選出方法が衆議院とほとんど同じで(そうなったのは衆議院の選挙制度が変わった結果ですが)、議会としての権限は衆議院より弱い、いわば衆議院の下位互換に過ぎない参議院なら、なくてもいい、という世論が起こってこないのは不思議です。議会がちゃんと機能している国で、一院制の国はありますし。前に何かの本か新聞で読んだのだったと思いますが、革命後のフランスで(今のフランスは二院制ですが)唱えられていた上院無用論は、こうだったそうです。
(ここでは、民意を最も正確に反映する議院、衆議院に相当する議院を下院、それと別の議院を上院としています)
「上院が下院と同じ議決をするなら、上院は無駄である。
 上院が下院と違う議決をするなら、上院は有害である。(民意に反するから)」
日本国憲法のもとでは、基本的に法律等は衆参両院の議決が一致して初めて成立するので、「上院が下院と同じ議決をする」ことが求められていることになり、予算・条約・首相指名については、両院協議会を開いても両院の議決が一致しない場合は衆議院の議決が優先されるので、「上院が下院と違う議決をするなら」上院は退けられることになります。
さすがに参議院廃止論を正面切って主張しているマスコミは見かけませんが、今のままでは良くないとして、衆議院と参議院の役割分担をはっきりさせるべきとか、議員の選出方法を変えるべきと提唱するマスコミがあってもいいと思います。
外国の選挙制度についてはあまり詳しくは知りませんが、二院制を採る国ではたいてい、上院と下院の議員の選出方法を変えていると思います。例えばアメリカでは、下院はいわゆる「1票の格差」をできる限り少なくする一方で、上院は各州の人口に関わりなく2人ずつ選出。つまり下院は国全体としての民意をできるだけ正確に反映する場、上院は各州代表の意見を集約する場と位置づけている、と思います。日本の国会をそれに近づけるなら、衆議院は単純小選挙区制で1票の格差を極力少なくし、参議院は全都道府県から人口に関わりなく2人ずつ選出する、というのが一つの案になるでしょう。
──と、ここまで打鍵してから参議院のホームページを見に行ってみると、参議院独自の制度として「調査会」という制度があることを初めて知りました。全くもって不明の至りでしたが、参議院自身が「予備衆議院(衆議院解散中に緊急集会を開くための)」に甘んじることなく、独自の機能を発揮しようとしている現れと見ることができるでしょう。調査会がどのくらい機能しているか次第ですが。

12月10日(火)〜11日(水)
9日頃から新潟県地方は、この冬初めての本格的な雪になりました。平日の通勤に、週末の図書館通いに自転車が使えなくなって憂鬱になる季節の到来ですが、雪が積もるのを見ているうちに、次のCGを制作する意欲が澎湃として湧き起こってきました。
題材としては、数年前から冬が来るたびに制作しようと思っていながら、毎年制作しそびれて春になってしまっていた題材なので、この冬こそ実現したいものです。
(12月11日アップ)

12月2日(月)〜9日(月)
またずいぶんと日記の更新の間が空いてしまいました。週に一度しか本文が打鍵されない日記を「日記」と称していいのかどうか、自分でも気にならないと言えば嘘になりますが、小一時間問い詰めることだけは勘弁してください。
ここ数日は、11月30日にチャットしていて提案された題材による新作CGの制作に没頭し、8日に完成しました。完成したのならすぐ公開すればいいのですが、いい題名を思いつかなかっただけでなく、今回はどうもコメントの打鍵が捗らず、公開は9日になりました。
父よ、彼らを赦し給へ。その為す所を知らざればなり。
(12月9日アップ)

12月1日(日)
冬コミのカタログが書店で販売されるにはまだ早いようなのですが、9月からチェックしていた「Kanon」のアレンジCD"recollections"が11月29日に発売されているはずなので、アニメイト新潟店へ買いに行きました。
予定通りに recollections と、10月25日に発売された「Kanonオリジナルサウンドトラック」を入手しましたが、このついでにと新潟駅周辺を歩き回ってみると、新幹線改札口あたりで違和感を感じます。
違和感の正体は、上越新幹線の列車名が「あさひ」から「とき」に変わっていたことでした。
今日12月1日は、東北新幹線の盛岡−八戸間が延長開業する日で、それにともなって東北新幹線の東京−八戸間直通列車「はやて」が運転を開始するということは、先頃、東北在住の人とチャットしていて知ったことでしたが、上越新幹線の列車名も変わるということは、全然知りませんでした。
とき の由来はもちろん、佐渡で増殖が進められている特別天然記念物の鳥「朱鷺」です。列車名としては、上越新幹線の開業よりずっと前の昭和37年から、上越線経由で上野−新潟間を走っていた特急列車に付けられていた名前で、私が小学生の頃、新潟へ帰省するというと決まって とき に乗っていたものでした。
昭和57年の上越新幹線の開業で在来線の特急・急行が廃止になり、とき の列車名は新幹線の、東海道新幹線でいえば「こだま」のように各駅に停車する列車に受け継がれ、「ひかり」のように通過駅のある列車には「あさひ」の名が付けられました。さらに降って平成9年に、東京・上野−新潟間の列車は通過駅の有無に関わらず あさひ、東京・上野から越後湯沢または高崎までの区間運転列車は「たにがわ」に改められて、とき の名を冠する列車はなくなっていました。
新聞記事・インターネットで検索した情報などによると、今回、区間運転の たにがわ はそのままで 東京・上野−新潟間の列車名が あさひ から とき に変わった第一の理由というのが、どうも「長野新幹線の『あさま』と紛らわしい」ということのようです。直接の理由はそれだとしても、上越新幹線開業前に列車名を公募した際、1位は とき で あさひ は遙かに低い順位だったらしいこと、日本海側に位置する新潟県では私の実感としても山から昇る朝日より海に沈む夕日の方がなじみがあること、あさひ の由来は新潟・山形県境の朝日連峰で、上越新幹線の開業前には新潟−山形−仙台間の急行列車に付けられていた名前であるとはいえ、その当時、列車名としての知名度は特急とき よりはずっと低かっただろうこと、などを考えてくると、あさひ が とき に取って代わられることになったのは、一種の必然だったのかもしれません。
だいたい、公募の結果を考慮したとも思えないような列車名を付けるなら、公募なんかしないで密室で決めてしまえばいい、と言ってしまうと、さすがにこれは暴論かもしれませんが。公募の結果を全く無視して名前を付けた結果、利用者から完璧に忘れ去られて、私の独断によるJR東日本の「死語」第1号となった言葉はご存じですか?
──「E電」。国鉄がJRグループに変わった際、それまで「国電」の呼び名が定着していた首都圏の電車の名称を公募した際、今調べてみたところでは20位(1位は「民電」2位は「首都電」だったそうな)だったのを選んで名づけたものの、全く定着しなかった言葉です。東京都内の大学に通っていた頃にも一度も目にした覚えがなく、2000年の2月に仕事で上京した際、上野駅の構内で案内にこの言葉が使われているのを発見し、あまりの物珍しさに思わず写真に撮ってしまったほどでしたが、今ではどうなったことでしょうか。
(12月5日アップ)

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