2004年2月後半の日記
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2月29日(日)
私が当サイトを開設する前からのインターネットでのお知り合いで、2000年12月にユニークな3DCGサイト「kunta's room」を開設されたkuntaさんと、昨夜久しぶりにチャットルームでお会いしましたが、聞けば残念なことに、3月20日限りでサイトを閉鎖されるとのことでした。
始まりがある物には全て終わりがありますし、まして社会人がわずかな余暇に趣味で開設しているウェブサイトなんて物は、興味の対象が変わったから閉鎖するとか、運営する意欲がなくなったから閉鎖するとか、運営する意欲はあっても時間的・精神的余裕がなくなったから閉鎖するといったことは、私の周りでも枚挙にいとまがありません。閉鎖されなくても、更新する余裕がなくなったせいか(管理者が学生から社会人になった場合、そうなることがままあります)永らく更新されていないサイトも、いくつも知っています。
サイトの更新が思うに任せなくなった場合、廃墟と化してゆくまま時の狭間に放置しておくくらいなら、きっぱりとけじめをつけるために閉鎖する、というのは管理者としての一つの考え方であると思います。まして、広告バナーのない“きれいな”ウェブサイトは、更新しなくても存在を維持するだけで金がかかりますから、金を払って廃墟を放置しておくくらいなら閉鎖する、と考えるのが管理者としてはごく自然で、部外者がそれに口出しすることはできません。
そうは言うものの、2年前に「お昼寝宮」が閉鎖された時もそうでしたが、自前のサイトを持っていない人がそのサイトに寄贈した作品が、サイトの閉鎖に伴ってインターネットから消失してしまうという事態だけは、できる限り避けたいというのも人情です。kuntaさんもそれが気懸りだったのか、チャットルームに居合わせた夕凪さんと私との3人で、kuntaさんのサイトに夕凪さんが寄贈された作品の今後について、話し合いが持たれました。

時間的には上の話よりも前になりますが、昨夜のチャットでは、目下の懸案事項である「誕生日連作」香里編の「表」のプレゼントについてのアイデアを頂く(「出させる」と言った方が実態に近いという説もあり)ことができました。由来を聞いてみれば、なるほどそれならぴったりだ、と膝を打つようなアイテムです。
そこで今日は、昨日の日記でまで宣言したとおり、誕生日連作香里編の制作に専念するつもりでしたが、昨日から打鍵を進めているKanonSSをもっと進めたいという欲求がそれを上回ってしまうのを、どうしても制することができません。打鍵を進めていくうちには、SSを書くのでなかったらまず気にも留めないであろう、ほんのちょっとした不明点を確認したくなったり、けっこう重要な事柄でありながら「Kanonをプレイした人で、これがすぐにわかる人はあまりいないだろうなあ」という事柄について裏付けを取りたくなったりして、そのつど調査して確認しているので、大河ドラマの時間になっても誕生日連作には着手せずじまいでした。
3月1日という日は、Kanon内の設定で美坂香里の誕生日であると同時に、私にとっては当サイトを全面改装してサイト名も改めた記念日でもありますから、もしそれに合わせてKanonSSの新作を公開することができたなら、それはそれで祝着であろうと思います。
しかも、久しぶりにSSと名の付く文章の打鍵を始めたことが、私の頭のどこかに好ましい刺激を与えたのか、今のところ私の唯一の「同級生2」SSである「優しさ」を公開してから2年半余りを経て、突如として、全く新たな同級生2SSの着想を得ました。CG制作計画が目白押しになっている今、もう嬉しい悲鳴としか言いようのない状態です。
(3月2日アップ)

2月28日(土)
昨夜は帰宅が多少遅かったのと、毎週金曜夜の雑事つまり食材の買い出し・洗濯・風呂掃除に時間がかかったのとで、雑事を終えてパソコンに向かうのが遅くなり、日記を打鍵し終わらないうちに深夜になってしまいました。そこで日記の更新は明日に延期することにし、生活リズムをあまり崩さないように、適当な時間に寝ました。それが幸いして、今日は土曜日には珍しく、午前中に起床しました。
この週末の予定としては、もし今夜のチャットで「Kanon誕生日連作」香里編の、「表」のプレゼントについてのアイデアを提案してもらえたなら、明日は香里編2枚組の制作が最優先です。そうはいっても、仮にもCGサイト管理者を名乗る以上そこまで他力本願な姿勢でいていいはずはないと思うので、今夜のチャットで「表」のプレゼントについてのアイデアを頂けなかったなら、明日は「裏」だけでも制作することを言明しておきます。
もちろん今夜までの時間は、日記の更新だけで費やすつもりはありません。日記の更新をなるべく手早く済ませてから、次の作業を始めます。
最初に思いついたのは何年前のことか思い出せず、文章化してサイトに公開しようと思ったのが優に半年ほども前「『Kanon』SSにする目処が立った」とこの日記に書いてからまた3ヶ月以上も棚上げしていた小ネタを、今日こそKanonSSとしての打鍵に踏み切ることにします。前にも書きましたが、完成して100ラインに達するかどうかの小ネタ、質的にも勢いが勝負のような一発ネタで、何ヶ月かに一度思い出すだけという状態でいつまでも棚上げしておくようなものではありませんから。

2月27日(金)
今週は日曜日から昨日までずっと、わりと暖かい日が続いていたのですが、今日は一転して寒くなりました。朝出勤する時には、粉雪が舞っていたくらいです。もうすぐ2月が終わり、ゲームの中の季節で言えば冬の寒さを漂わせた「ONE」の季節が終わって春爛漫の「ToHeart」の季節が始まる、というところなのですが、新潟県の春の訪れはまだ先のようです。

週末を前にした金曜日の夜はいつもそうですが、2月最後の週末を前にして今日は、日暮れて帰ってくる時の風の冷たさも気にならないほど、いつになく気分が高揚しています。やはり、「ONE連作」第3作の制作が週末にずれ込まずに済んだくらい、CGの制作が予想以上の好調を維持していることが、良い方向に作用しているのでしょうか。この気分を日曜日まで維持するためにも、この週末は例の愚にもつかぬHTMLいじりを思い立ってしまわないように気をつけましょう。
差し当たって当面の目標は、3月1日の夜までに(できれば2月29日のうちに)「Kanon誕生日連作」香里編を制作し公開することです。ですがこればかりは、「表」のプレゼントにふさわしいアイテムを思いつかないことには……。
(2月28日アップ)

2月25日(水)〜26日(木)
23日の夜に制作を始めた新作CGは、24日の夜には人物2人の原画を描き上げ、スキャンしてパソコン上の作業に移りました。そして25日夜の作業で人物を仕上げ、いつものようにゲーム本編の背景を真似て荒く描いた背景と組み合わせて、夜半過ぎに完成としました。HTMLファイルを作り、コメントを書いて公開するのは、26日に持ち越しました。
昨年の6月に新しいパソコンを手に入れて以来、どうしてこんなにCG制作意欲が持続しているのか、そして今年の1月からはどうしてこんなにCGを手早く制作できるようになったのか、我ながら不思議なくらいですが、この状態が今後も続くならば、3月から5月にかけて制作したいと思っている、1年前の私だったら「絶対無理」と首を横に振ったに違いないおびただしい数の題材を、CGとして実現することも、あながち不可能ではないかもしれない、という気がしてきます。
(2月28日アップ)

2月24日(火)
昨夜は、黙止し難い思いに突き動かされるままに日記を更新し、余勢を駆って20ヶ月ぶりに5号館1号室に雑文を公開までした後で、夜も更けているというのに新たなCGの制作に着手しました。今度のCGは、2月に入ってから制作を続けている、「ONE」にもとづく連作の第3作になります。
自分の中で公開予定時期を決めているCGの中で、その時期が最も近くに確定しているのは、ゲーム本編での日付が3月1日となっている美坂香里の誕生日に合わせたラフ画、すなわち「Kanonキャラ誕生日連作」の最終作たる香里編なのですが、実はこれも名雪編の時と同じような状態、つまり誕生日のプレゼントにふさわしいアイテムがどうにも思いつかない(香里の場合は「裏」よりも「表」のアイテムが)ため、制作を開始したくても開始できないのです。
しかし、アイテムについてのアイデアを頂ける可能性があるのが週末のチャットだからといって、それまでの平日の夜を何もしないで過ごすほど愚かなことはありません。もう2月最後の週になり、何もしなくても「ONE」の季節は足早に過ぎ去っていきます。そして3月に入るが早いか今度は「ToHeart」の季節が始まり、5月の頭まで続きますから、それに合わせて久しぶりに──でもないですか、年賀CGに描いていますから──ToHeartキャラによるCGを描く計画があり、固まっている題材は3つ、いずれも主役・シチュエーション・題名、そして公開予定時期までほぼ確定しています。それに加えて4月1日で当サイトは開設4周年を迎えますから、それに合わせたCGを制作する計画も具体化していて、これはサイト開設時に立ち返る意味で「同級生2」キャラを主役にするつもりですが、これまた描きたい題材が3つ。──これから年度末だというのに(と言うほど年度末が特別忙しい職種でもありませんが、私は)、こんなにCGを制作している時間があるのでしょうか?
そういうわけで、特に何月何日に公開という具体的な日付が決まっているわけではありませんが、できることなら2月中に制作してしまいたい「ONE連作」に、2月最後の週の平日は、その余暇時間を傾注することにしました。
今度の第3作は、昨年の夏にONEのキャラで「夏服シリーズ」を制作していた間に思いついた題材にもとづくものですが、その頃からシチュエーションが相当具体的なところまで固まっていて、できれば「誕生日連作」と同じように、ごく一部を変えるだけで絵全体が「表」と「裏」に分かれる2枚組にすることまで考えていた題材でした。
第2作「災難と対策」の背景ですから、第2作でやらかしたように、背景に7人もの人物(しかもそのうち2人は、完成したCGでは、完全に前景の人物の陰に隠れている始末です)を描き込むなんていう暴挙を企てない限り、順調に仕上がるものと思います。
右が第2作の最終的な背景です。どのシーンの背景を真似て描いたかは、あのゲームをプレイした人ならすぐおわかりのことと思います。私としては、中央右の青いお下げ髪の子が妙に気に入ってしまって、完成したCGではこの子が完全に隠れてしまうのが残念でならない──というのはおいときましょう。
(2月28日アップ)

2月23日(月)
今日職場で、どういう団体が音頭を取って実施するのかは失念しましたが、「職場における男女差別について」というアンケートが実施されました。
こういう問題について、たとえウェブ日記ででもあまりうかつなことを書くと、どこから身に災厄が降りかからないとも限らないのですが、日頃から思っていることについて、多少は本音を出すような回答をしました。それは例えば、男女平等とは「機会の平等」であるべきであって「結果の平等」であるべきではないというように。設問にもあったのですが
「深夜残業は男性がするべきだと思う── はい・いいえ」
もしこの設問に「はい」と回答するのならば、成績評価が男女平等に行われた際に女性の方が成績が低く(深夜残業をしない分だけ総労働時間が少ないのですから)、その結果として女性の方が昇進が遅れたとしても、それに文句を言う筋合いはないはずです。もしそれに文句を言うのなら、深夜残業禁止規定に代表される「母性保護」という錦の御旗を捨ててから言うべきです。
男女差別とは話がずれますが、ちょっと感情的な発言を許してもらいます。
職場で、独身の女性に男性が「いい人はいないの?」「結婚しないの?」と言う行為が、いわゆるセクハラだとよく言われていますが、34歳の独身男性である私は、職場の年配の女性からは「いい人はいないの?」「結婚しないの?」と、耳にタコができるほど言われています。こういう言葉を、女性に向かって言うのがセクハラで男性に向かって言うのがセクハラでないとでも言うのなら、私は声を大にして言いましょう、それは二重基準であり、それこそ紛う方なき性差別だと。
そんなことがあったものですから、今日はウェブ日記の更新はしないつもりだったにもかかわらず、こうしてCGの制作に充てるはずだった時間を費やしてまで日記を打鍵しているのです。それだけでなく、ずいぶん前になりますが「差別と区別」ということについて考えるきっかけになったことがあったのを思い出したので、久しぶりに5号館1号室に雑文を公開することにしました。
そのついでに、今日公開する雑文の直前に公開した(といっても1年8ヶ月前ですが)雑文「双子の姉妹」に、多少の補足をすることにしました。
(2月26日補足)

2月22日(日)
「誕生日連作」名雪編は、今日22日の更新で公開することにしました。これで「Kanon」キャラ誕生日連作は、3月1日が誕生日に設定されている美坂香里編を今週中に制作して、28日か29日に公開すればひとまず終了となります。
昨夜はチャットが散会になった後、日記を打鍵しているうちに朝になってしまいました。このまま夜まで起きていたのでは、きっとCGの制作には乗り出せないような状態になってしまい、前にも書いた「密度の薄い一日」になるだけなのはわかりきっていますから、近所のスーパーが開くのを見計らって、この冬はもう着ないと思う冬物衣類の一部をクリーニングに出し、それから適当に少し寝て、大河ドラマの時間までには起きることにします。
大河ドラマを視た後は日記の更新に充てることにします。うまい具合に午後12時で、今日の分までの日記の更新が終わりました。明日からはまた、心おきなくCGの制作に取りかかれます。

2月21日(土)
今日は新潟市の りゅーとぴあへチェンバロのコンサートを聴きに行きます。という書き出しで始まる日記が今までに何回あったか覚えていないくらい、チェンバロコンサートを聴きに行くのも度々になりましたが、今回は初めての「レクチャーコンサート」でした。主にピアニストを対象にしている音楽雑誌に「バロック音楽の魅力を探る」というような特集記事が組まれ、演奏者がその記事の1つを担当したことから、その記事に沿った内容のレクチャーコンサートをすることになったと聞きました。もう少し具体的な内容は「ドイツのJ.S.バッハ以外の、バロックのチェンバロ音楽のレパートリーを紹介する」になります。
音楽史で言うところのバロック時代というのは、おおむね1600年から1750年頃までになります。ですからバッハ(1685〜1750)が活躍した時代よりもっと長い時代にわたるのはもちろんですが、それだけでなく当時のヨーロッパは、音楽に関してはフランスとイタリアが2大中心地(経済・文化全体としてみればイギリスもヨーロッパのもう1つの極ですが、作曲に限ってはバロック後期から19世紀のイギリスは不思議なほどの空白時代で、この時代イギリス生まれの作曲家はほとんどいません)で、ドイツは田舎の後進地帯でしたから、生涯南ドイツの片田舎に留まったバッハの音楽だけをバロック音楽だと思うことは、大きな思い違いにつながります。
そういうわけでプログラムは、バッハと同じ年にドイツで生まれながら若い時代にイタリアで学び、後にはイギリスで活躍したヘンデル(1685〜1759)の作品に始まり、フランスのクープラン(1668〜1733)やラモー(1683〜1764)、イタリアのフレスコバルディ(1583〜1643)やスカルラッティ(1685〜1757)、イギリスのパーセル(1658〜1695)、そしてドイツに戻っては、生前はバッハよりずっと国際的な名声を博していたテレマン(1681〜1767)といった作曲家のチェンバロ作品がいろいろ紹介されました。
音楽史で言うバロック時代は1750年までと上に書きましたが、文化というのはある日突然変わるものではなくて、徐々に変わっていくものです。バロックから古典派への移り変わりも、1750年よりもっと早くから始まっていて、J.S.バッハの息子たちが新進の作曲家として活躍を始めた1730年代には、バッハと同世代のヘンデルやテレマンたちも、新しい時代の流行に合わせた音楽を書くようになっていました。その時代になってもまだ、いわゆるバロック的な、古風な対位法音楽を書いていたバッハは、生前はオルガン演奏の権威として評価されていましたが、作曲家としてはすっかり「田舎の時代遅れ」と見なされていたそうです。
といってもバッハが、若い頃から時代遅れな作曲家だったわけではもちろんなく、若い頃は勤めていた教会から「礼拝の時に奇抜な演奏をしすぎる」と叱られたほど、斬新な試みを続けた好奇心旺盛な作曲家でした。いわゆる「トッカータとフーガ」を初めて聴いた当時の聴衆がどのくらい当惑したか、想像してみるといいと思います。
今の私たちは、斬新な試みが行き着くところまで行ってしまった観のある前衛的な現代音楽を知っていますから、いわゆるクラシック音楽を聴いてもそれが斬新な音楽に感じられないことが多いのですが、その曲が書かれたよりもっと古い音楽をたくさん聴いた後でその曲を聴くと、今まで特に新しいと感じられなかったことが、とても斬新に感じられることがあります。その具体例を挙げてもいいのですが、バロックのチェンバロ音楽から離れすぎるので割愛します。
新潟市まで行く用事があったついでには、いつものように成分献血をしていきます。

「誕生日連作」名雪編は、ラフ画といいながら制作に2晩かかってしまいましたが、とりあえず公開できる状態になったので、次の香里編に取りかかる前に、今夜はまずウェブ日記の更新を進めます。CGの制作に週末全部を充てない限り、今後は週末2日のうちどちらか1日の何時間かを前週の日記の更新に充てるというペースになりそうです。
──あくまで「CGの制作に週末全部を充てない限り」ですから。ウェブ日記がきちんと定期的に更新されるなんてことは、当てにしない方がいいですよ。
(2月22日アップ)

2月20日(金)
雪国越後も私の住んでいる辺りは、2月20日頃にもなると道路の雪は解け、次第に暖かくなってきます。こたつ以外に暖房器具のない私のアパート住まいでも、そろそろ帰宅してから布団に入るまでダッフルコートを着ていなくても済むようになってきますが、そうして暖かくなってくると、後先考えずに冷蔵庫に入りきらないほど買い込んだ食材を室内に放置しておくわけにはいかないという、けっこう深刻な問題が生じてきます。
今日も夕飯の後片付けをしていて、台所の床に何やら液体が流れているのに気がついて、その源を探ってみると、8日に新潟市へ行った時に買ってきた韓国直輸入キムチの大袋が、それ以来10日以上も台所の隅に放置されている間に発酵が進んで、ガス圧が増してパンクしたらしいことがわかりました。
しかし最初、その液体が何であるか推測しようとして舐めてみた時には、キムチの漬け汁であるとは思わなかったほど、その液体は全然辛くなく、むしろジュースの紙パックが破れたのではないかと思ったほど甘かったのは意外でした。床に流れている間に辛味成分が揮発したのだと思いますが、塩と唐辛子だけではない種々の材料で漬ける、キムチの味の複雑さを改めて感じました。

夜は昨夜に引き続いて「誕生日連作」名雪編の制作を進め、夜半をだいぶ過ぎて完成しました。2月23日に合わせて公開する予定と書きましたが、公開は22日の夜になりそうです。
(2月22日アップ)

2月19日(木)
「Kanon」キャラによる「誕生日連作」は、3月1日が誕生日に設定されている美坂香里で一区切りつけるつもり(4月18日の北川潤の誕生日に描くつもりは【苦笑】ですし、その次は5月5日の倉田佐祐理ですが、そんな先までの予定は立てられません)ですが、香里で描く前に、先日アイデアを頂いた名雪で描き、2月23日に合わせて公開することにしました。名雪の誕生日は12月23日ですから、月が違っていても日が同じなら、そういう関連が全くない日に公開するよりは日付に意味を持たせられるでしょうし、今から制作を始めておけば23日までの間に週末がありますから、かなり余裕を持って制作できると思うからです。
そうと決めて、比較的早く帰れた今夜から制作を開始しました。今回の名雪の場合は題材(プレゼントする物)の関係上、今までやってきたようにレイヤーを共通化して2枚組にするといっても、沢渡真琴月宮あゆ川澄舞の3人ほどには共通化できない見通しですから、真琴や あゆの時のように2時間や3時間で制作できるわけがありません。さすがに21日(土曜日)あるいは22日(日曜日)を丸一日費やすことはないと思いますが、早手回しに制作しておくに越したことはありません。
(2月22日アップ)

2月18日(水)
新作CGの題材は、目下進めている「ONE」キャラによる連作だけでなく、気の早いことに4月1日の当サイト開設4周年に向けたCGの題材が複数、さらにまた別の連作になりそうな題材も浮かんでいます。それらを全部、納得ゆくまで時間を掛けて制作しようとしたら、今の自分が自由にできる余暇時間全てを傾注しても足りず、それこそ当分の間休職でもしない限り無理でしょう。
今日は残業が長引いて帰宅が遅くなり、パソコンの前に座ったのが午後10時を回ったので、次のCGの制作には着手せず、細切れの時間でもそれなりに進められる作業をする、つまり日記の更新を少しでも進めておくことにします。いくら日記の更新が止まっているからといっても、サイトの更新が停止しているわけではなく、私自身が最も重きを置いている趣味の創作活動の成果である新作CGが公開されているのですから、私が病気で寝込んでいるのかと心配される懸念はないと思いますが、日記という代物は1日更新しなければ1日分負担が増えますから、あまり溜め込まずに更新していく方が私にとってもいいでしょう。
(2月22日アップ)

2月17日(火)
昨夜完成したCGは、今夜の更新でコメントを付けて公開します。
「ONE」キャラによる連作の第2作は、実働一晩で完成した第1作と違って、制作にまるまる一週間かかってしまいました。それだけの時間を掛けたのに値する作品になっているかどうかは、私が判断することではないかもしれませんが、題材だけはまだいくつもあるので、それらを全て制作するつもりなら、この次からはもう少し手早く制作するように心がけた方がいいでしょう。
(2月22日アップ)

2月16日(月)
今朝は、アパートを出る数分前、朝飯を食べている時には日が射していたのに、アパートを出ようとすると雪が降りしきっており、自転車の雪を払って漕ぎ出すと職場に着く前に雪が降り止むという、冬の雪国の天気の変わりやすさを改めて実感させられる一時でした。
こたつで寝る悪習慣のせいで土曜日に悪化させた体調は、幸いなことに今日には回復したので、仕事から帰るとCGの制作に邁進します。最後に残った背景は、Photoshopに取り込んでから修整に次ぐ修整が必要になりましたが──言い換えればいかにいい加減な原画しか描いてなかったかの証ですが、午前0時過ぎにどうにか完成しました。
しかし私の場合ここからがまた一仕事で、今から公開するためにコメントを打鍵していると今日付の更新とするには遅すぎるだけでなく、明日の仕事に差し支えますから、コメントを付けて公開するのは明日の作業にします。
(2月22日アップ)

2月15日(日)
昨夜は土曜日の夜がたいていそうであるように、時を忘れてチャットルームで話し込んでいたのですが、夜が更けるにつれて次第に熱が出てきました。そうなった原因はもちろん分かり切っていて、土曜日の未明から昼にかけて、布団に入らずに こたつで寝ていたことです。
今日は正午を過ぎてから起きました。天気と体調が良かったら、午後から行ってみようかなと思っていた用向きがあって、その用向きには今すぐに出かければまだ間に合う時刻だったのですが、まだ熱が下がりきっていないような今の状態で出かけて冬の外気に当たったら、間違いなく体調を悪化させるだろうと思ったので、今日はどこへも出かけないことにします。
だからといっておとなしく寝ている私でないのはもちろんで、今日も昨日と同じように、昼飯を済ませるが早いかCGの制作を再開し、大河ドラマの時間までに前景の3キャラ(七瀬、椎名、長森)をほぼ仕上げました。
大河ドラマを視終わってからは背景ですが、今回の背景は場所が場所だけに──つまり前回描いたような屋上ではなくて、始業前あるいは休み時間の教室が舞台だけに、その他大勢の人物を描かないわけにはいかないという深刻な問題があります。午後12時に作業を中断した時点では、まだコピー&ペーストした机を並べている段階で、人物のレイヤーを切り抜いて配置するには程遠く、完成はいつになるのか見当もつかない状態ですが、これも経験のうちです。
(2月21日アップ)

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