2003年12月後半の日記
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12月31日(水)
年末年始の帰省には、私はいつも高速バスを使っていますが、同じ新潟県内に住んでいる兄は自動車を使っています。その方が新幹線よりも安いと兄は言い、今回の帰省の費用は片道2000円(ガソリン代だけ)で済んだというのですが、それはつまり全行程下道を走ってきたということで、都心を通ってきたら11時間かかったそうです。
これだけでも私にはほとんど正気の沙汰とは思えませんが、兄はガソリン代も極力節約するために、経済速度で走れば燃費が良いマニュアルの軽自動車で、赤信号で停まった時には手動でアイドリングストップをしているそうです。ですから新潟県内から実家まで下道を11時間運転してくる間には、何百回エンジンを切ってかけ直したか数えきれないと言います。
私は自分では自動車を持っていませんから、アイドリングストップで節約できるガソリン代と、エンジンをかけ直すためにセルモーターやバッテリーの消耗が早くなる(早くなりそうな気がする)ことによる費用はどっちが安いのか、よくわからないのですが、兄は「エンジンを再始動するのに必要なエネルギーは5秒間のアイドリングと同等だから、アイドリングストップする方が確実に有益だと、公的機関がウェブサイトに発表している」と主張します。
年末には妹夫婦も、義弟の乗用車で実家に来ますが、その車は3ナンバーです。もし妹夫婦が兄に感化されて、環境問題などに対する問題意識を持つようになったとしても、アイドリングストップを励行するよりも車を軽に買い換えるのが先だ、と兄は言うでしょう。
今年は年賀CGが年内に完成しなかったので、年が変わっても年賀メールは出しません。それが親兄妹に伝染したとは思えませんが、例年は年が変わるとすぐ、近くの神社へ初詣に行くのに、今年は初詣に行かずに皆寝てしまいました。
(2004年1月19日アップ)

12月30日(火)
コミケ会場として知られる有明の東京ビッグサイトへは、年々交通機関が整備されていて、昨年の冬コミの前に りんかい線が大崎まで延長されて山手線・埼京線と直通運転を始めてからは、午後になって会場入りする参加者は新宿・池袋から国際展示場駅まで乗り換えなしで座って行けるという状態になったようです。それで私も、今までの最速ルート(池袋→山手線外回り→東京→京葉線→新木場→りんかい線→国際展示場)に代わる新ルートとして池袋→山手線内回り→大崎→りんかい線→国際展示場というルートが使えるか、高速バスの切符を買いに行った時に時刻表を調べたのですが、JRからの直通列車は午前5時台には走っていませんし、大崎始発の一番電車は新木場始発より遅いため、会場到着が数十分ですが遅くなるとわかったので、今回は従来通りの新木場経由で行くことにしました。
しかし池袋駅の自動券売機を見ると、国際展示場までの直通切符は大崎経由の切符しか発券していません(池袋から国際展示場まで510円と表示されていることから。今までは、新木場で買い直して合計が550円)。日中なら誰もが安くて早い大崎経由で行くに決まっていますから、コミケ参加者のそのまた一部でしかない、一番電車で行く一握りの客のためだけに、新木場経由の切符を発券することをJRに求めるのは傲慢だと思いますが、これではマンガレポートで悪評高い、早朝の新木場駅りんかい線切符売り場の混雑は解消されないでしょう。それとも、「お上りさんもSuica(R)を使いましょう」ということでしょうか?
今回のジャンルの配置は、Leaf・Key系とギャルゲーPC、それに今回どういうわけでか神無月あやめさんの「秋の味覚」がこのジャンルで参加することにしたと聞いている「男性向」のいずれも東地区です。それで国際展示場駅を出ると、昨年の夏コミ以来3回ぶりに、北1駐車場と呼ばれる東地区への入場待機場所へ行きました。
ビルの谷間にある西地区の入場待機場所と違って、北1駐車場は周りの建物から離れていて、冬の夜明け前には寒風が吹き抜ける、荒涼とした感じのする場所です。街の灯りも遠くにしか見えない中、何基もの大きな照明灯が辺りを照らしているのが、不思議な感じがします。しかし東京ビッグサイトができた頃には一面の広野だったかもしれないこの辺りも、近年次第に建物が増えてきて、今も1棟大きなビルが建設中です。この様子だと遠からず、コミケの入場待機場所は海上に求めるしかなくなるかもしれません。
西地区の入場待機行列は9時半頃に移動を開始するというのは、前々回から導入されて前回も踏襲された誘導方法ですが、東地区はどうなのかと待っていると、スタッフが何度も来て、8時半から移動を開始するのでそれまでに列に戻るように、もしその時に列を離れていたら列には戻れない、と繰り返していきます。実際に私が並んでいた列が移動を開始したのは9時35分頃で、東地区の建物に入ったのが9時45分頃、東1〜3地区と東4〜6地区の間の広い通路(ガレリア1階)で列を解いたのは10時10分頃でした。
毎回コミケに来ると、真っ先にelf系サークルのスペースを見て回りますが、回を追うごとにサークル数が減っていくのを感じます。とりたてて買うほどの物もないと思って、あまり注意深く見ていなかったのですが、そのせいで豚雲海さんの「雅工房」が委託参加していたのを見落としたらしいのに、年が明けてから気付いたのは、痛恨の失敗でした。
秋の味覚では新刊と「Keyキャラクタータロットカード」を買いました。このサークルでは以前に「同級生2オールキャラタロットカード」も買っています。同級生2のカードは神無月さん1人で22枚を描かれていましたが、今回は神無月さんのお知り合いの方たち4人と共同で制作されたとのことでした。純然たる「買い専」の立場でも、いろいろな人が描いた絵を一組のカードの中で見ることができるのは楽しいものですが、少しでも売り手あるいは作り手の立場に近づこうという夢を持っている身としては、何か共同制作しようというような話をした時に、それに応じてくれる知り合いが何人もいるということは、本当に有難いこと、羨望に値することだと思います。
ギャルゲーPCを一通り買い回ってからLeaf・Key系に移ります。今回も小説本を主に買っていたのですが、どこのサークルだったか覚えていませんが、なぜか販売物としてスペースに置いてあった、噂にだけは聞いたことのある、ある物を1つ、話のタネに買ってみました。
──メッコールを。
午後2時頃にはLeaf・Key系の買い回りも終わったと思ったので、西地区の同人ソフトを見てみることにしました。同人ソフトといっても、今も一世を風靡し続けている「月姫」のような同人ゲームは、買ってもプレイする暇がありませんから、サイトの運営を止めてでもプレイしたいと思うほどのゲームでもない限り買いはしませんが、一時期けっこう関心を持って買い集めていた、ゲームのBGMのアレンジCDにはどんなものが出ているのか、見てみるためです。
すると、アレンジではなくてオリジナル曲のCDを出しているサークルが、かなりの数に上ります。音楽のオリジナル、それも私が好んで聴くヨーロッパのクラシック音楽に倣った音楽となると、例えばピアノソロの場合、ハイドンやモーツァルトからドビュッシーやサティを経て現代にまで至る、綺羅星のごとく居並ぶクラシックの作曲家たちの作品と比べられてしまう可能性があるわけですから(比べるのは酷ですが)、文章やマンガ以上に、アレンジに比べると敷居の高いジャンルと言えるのではないでしょうか。
そう思いながら試聴してみると、けっこう「いいな」と思うCDを出しているサークルがありました。オリジナル音楽という、私にとっては未知の大洋に等しかったこのジャンル、もしかすると漕ぎ出した者は無限の深淵に引きずり込まれるかもしれませんが、何枚か買ってみました。
4時の閉会宣言の後は、会場の撤収ですが、今年は横着して早めに抜け出してしまいました。すると当然予想されるべきことですが、最も安い交通手段である臨時バスの乗り場はまだ長蛇の列です。辺りを見回すと、日の出桟橋行きの水上バスの乗船場が目の前にあります。まだ景色が見える明るさでしたから、数十円の差ならたまには違う交通手段を使ってみるのも一興と、水上バスに乗ることにしました。やがて日が暮れて街の灯りが点り始める頃、水上バスの甲板から見上げた、いつもバスでその中を通っているレインボーブリッジは格別でした。
(2004年1月19日アップ)

12月29日(月)
私の職場は、今日が仕事納めです。もし仕事が忙しくなかったなら、今日は休みを取って、12月27日から1月4日まで官庁もビックリの9連休にしたかったところですが、そうもいきませんでした。まあ、この就職難の時代、休みを取れないくらい仕事がある方がまだマシだと思うことにしましょう。それに27日から年末年始休みにしたからといって、28日から30日まで3日連続で冬コミに参加するつもりもありませんし。
帰宅すると、まず冬コミ上京の支度をします。30日の東京の降水確率は0時から18時まで0%なので、雨具は夏コミの時に持って行った、100円ショップで売っていたポンチョ1枚だけにします。それから、夜行バスから最速の乗り継ぎで有明入りすると、入場開始まで4時間以上待つことになるため、朝飯と昼飯に充てる握り飯を作ります。
それから、本当はインターネットを併用したカタログチェックと、既に持っている同人誌のリスト作りをするべきなのですが──前者は言うに及ばず、後者は既に持っている同人誌を重複して買ってしまうことを防ぐため──今からインターネットを併用してカタログチェックをしているとバスの時間に間に合わなくなると、正しいのか誤っていたのか定かでない判断をして、出発間際までやっていた作業は、年賀CGの原画描きでした。もう、どう足掻いても1月1日になった直後に年賀メールを出すことはできないとわかりきっているのですが。
(2004年1月19日アップ)

12月28日(日)
予想通り、昨夜は日記を更新している途中でチャットルームに人が集まり始め、日記の更新を中断してチャットルームに顔を出すと、かなり遅い時間まで話し込んで、散会になると布団に直行というお決まりのコースをたどってしまい、結局昨夜のうちには年賀CGの制作には取りかかれませんでした。
今日も午後になってからようやく起き出して、年賀CGの制作に取りかかりました。
今回のCGに描くことにしたのは、水野友美はもちろんですが、相方は「ToHeart」の松原葵と雛山理緒です。こういう風に複数のキャラを1枚の絵に描く場合、キャラの背の高さというのは絵を一目見て受ける印象につながりますから、それぞれのキャラの具体的な身長がどれくらいであるかというのは、あまり恣意的な設定は避けて、なるべくオフィシャル設定(ファンの多くが受け入れているであろう設定)に沿って描くことにするのが、多くのCG画家の人のやり方であろうと思います。
もっともオフィシャル設定だからといって全てが無条件に受け入れられるとも限らないのが難点ですが(例を挙げれば「Kanon」の沢渡真琴と天野美汐は、オフィシャル設定によれば身長が同じ159cmだそうです。全年齢版で追加された、真琴シナリオ終盤のイベントCGを思い出してもらえますか?)、今回はToHeartキャラ2人については、ファンサイトに公開されていたオフィシャル設定に準拠して描くことにしました。その設定によると葵の身長は153cm、理緒は155cm(おそらく前髪を除く)だそうです。
どういうわけかToHeartのキャラに関するオフィシャル設定は、旧パソコン版の制作元であるLeafのサイトにも、PlayStation版およびPSEの制作元であるアクアプラスのサイトにも、一部しか載っていません。人気が高まるに従って、後付けで設定された要素もあるのかもしれません。アクアプラスのサイトに載っている設定の一つである誕生日にしたって、「WHITE ALBUM」と違って、ゲーム本編のそこそこに重要なイベントとして位置づけられているものではありませんし。
で。実は、友美に関するこの手のオフィシャル設定は、私が知る限りどこにもありません。elfというメーカーが、この手のオフィシャル設定といったようなものを公表したがらないメーカーなのかもしれませんが、そこはゲームをプレイしていた時に受けた自分の印象に基づいて、あまり不自然でない設定を考えることにします。誕生日はどうにもならないのですが(だから私が祝ってやりたい時はいつでも友美の誕生日、というのは負け惜しみが過ぎましょうか)、絵を描く時には友美の身長は165cmという設定で描いています。
(2004年1月19日アップ)

12月27日(土)
このところ毎日、時間を捻出して制作を進めてきたクリスマスCGは、今日未明に及んでやっと完成しました。CGが完成して一区切りついたので、まず寝ます。
午後になってから起き出して、まず完成したCGをサーバにアップしてから、お知り合いの人たちにメールを出し、それからサイトで公開する作業に取りかかります。こういう順序になったのは、私のCGにはよくあることですが、今回もCGが完成したのに題名がすぐには決まらなかったからです。

クリスマスCGが完成したからといって、あまりのんびりしてもいられません。
この土日は年内最後の週末です。この年末も例年通り、明後日の夜には仕事納めを待って有明冬の陣に出陣し、そのまま正月まで実家に逗留する予定を立てているので、昨年までと同じように、年が変わった直後に年賀メールを出すつもりなら、今日と明日で年賀CGを完成させるくらいのつもりでいなければなりません。晴着の参考資料は手元にありますし、先日以来懸案事項だった問題、つまり年賀CGに水野友美の相方として誰を描くかも、クリスマスCGを制作しながらいろいろと考えてようやく決まったので、すぐにでも制作に取りかかる態勢はできていますが、その前に、クリスマスCGを制作する間ずっと放置していた日記を、ちょっとだけ更新しておきました。
(2004年1月19日アップ)

12月26日(金)
クリスマスCGを早急に制作すると言いながら、20日はクリスマスコンサート、21日は絶対休めないというわけではない用事、23日はコンサート(結局行きませんでしたが)、24日はカトリック信者でもないのにミサ、25日はまたクリスマスコンサートと、毎晩のように出かけてばかりいるのでは、本当にクリスマスCGを早急に制作する気があるのか、ネット上の付き合いを大事にしたいと思っているのかと自分自身を小一(略)というところですが、今日26日はそういった一連の用事のうち、最後にして最大の難関、すなわち職場の忘年会があります。かかる上は、あまり飲み過ぎないように抑え、もし二次会に誘われたら鄭重に辞退することにしましょう。
今年の会場は、どうやってこんな高そうな会場を取ったのだろうと不思議に思った、近くの結婚式場のバンケットルームでした。そこですぐに考えつくことは、この会場の室内調度や雰囲気をよく見て覚えておいて、今夜帰ったら、印象が薄れないうちにクリスマスCGの背景に利用しよう、ということです。昨夜背景を描き始めた時には、こういったパーティーにふさわしい会場の写真が手元になく、どんな風に描いたものか見当がつかなかったのでした。
帰宅後の作業に差し支えるほど飲むこともなく(高そうな会場だったせいか食べる方は量的に今一つでしたが)、二次会にも誘われずに帰宅できたので、いよいよ今夜こそ正念場と腹を括って、チャットルームにも行かず、クリスマスCGの制作に専念しました。
(2004年1月18日アップ)

12月25日(木)
年末進行の中でも、今夜も仕事を極力早めに切り上げますが、それはクリスマスCGの制作に専念するためではなく、クリスマスCGの制作は後回しにして、りゅーとぴあのクリスマス・オルガンコンサートを聴きに行きます。一昨年去年も聴きに行ったコンサートですが、今年も大オルガンのソロ、ア・カペラ合唱曲、オルガン伴奏の合唱曲、ポジティフオルガンと管弦楽と合唱のためのミサ曲と多彩で、演奏される曲も中世のクリスマスキャロルから現代曲にわたります。
音楽についての蘊蓄を、この日記でいくら語っても誰もついてこないので、日記の更新が遅れていることですし、ここには長くは書きません。ですが後半に演奏された曲目に、フランスのノエル(クリスマスの歌)を取り入れた「真夜中のミサ」という曲がありました。
私が昨日ミサに参列したカトリックの教会では、毎週日曜日には午前6時半・午前9時半・午後6時の3回、平日は早朝6時半にミサを行なっていて、これはたぶん全世界共通だと思いますが、一般の信者が参列するのは事実上日曜日の9時半のミサだけだろうと思います。その他に特別な日だけは午前0時からミサが行われることになっているようで、クリスマス当日にあたる12月25日の午前0時にミサが行われる風習は、中世もしかすると古代から続いているらしいです。ところで1月1日の午前0時にも日本各地の教会でミサが行われていて、NHKの「ゆく年くる年」で中継されることがありますが、これは「真夜中のミサ」にあたるのでしょうか。教会のパンフレットに「世界平和祈願のミサ」と書いてあることからしても、20世紀後半になってから教会の年中行事に加えられたもののような気がします。
プログラムの途中に入っている休憩時間に、ホールの外にあるビュッフェで、つい先日行ってきたばかりのカーブドッチワイナリーのワインサービスがありました。あの時は手が出なかった値段のワインを無料で振舞っているのを見て、つい飲み過ぎてしまった、というようなことがあったかどうかは、ご想像にお任せします。
帰ってくるともう遅い時間ですが、既にクリスマス当日になってしまいましたから、これ以上CGの完成が遅れないように、少しでも作業を進めることにします。昨夜立てた計画通り、背景にはパーティー会場の壁を描き、そこに掛ける額縁に入れる「羊飼いたちへのお告げ」の絵を描き始めました。背景はいつも通り、ごく軽く描くことにします。
(2004年1月18日アップ 2004年1月24日補足)

12月24日(水)
クリスマスCGという名目でCGを制作して、お知り合いの人たちに贈るなりサイトで公開するなりするのなら、その納期はクリスマスイブつまり今日12月24日というのが一般的な認識になると思います。それで私も先週から余暇の大半をそれに充ててきたのですが、CGはまだ完成していません。それでも今夜はCGの制作よりも自分内で優先順位の高い用件があるので、CGの制作は後回しです。
その用件とは、今の住所に引っ越してきてから一昨年昨年も行ったクリスマスイブのミサです。年に一度とはいえ、交友関係の義理を欠いてまでミサに参列する者、それも年寄りと子供が多い教会ではけっこう目立っているらしい30代の独り者の男が、実は洗礼を受けた信者ではないというのですから、我ながら奇矯なものです。

ミサの後に教会で開かれた祝賀会にも参加して(祝賀会で飲み食いする方が目的になっている不心得者がいるかどうかはご想像にお任せします)、帰ってくると午後10時、明日も勤務ですからもう腰を据えてCG制作に打ち込むには遅い時間です。それでクリスマスCGについては、明日どんな作業をするかを考えるだけにしておきました。
今年のクリスマスCGは、格式の高いダンスパーティという、「ONE」の七瀬留美シナリオを知っている人なら「ああ、そう来るか」とうなずくような題材で制作しましたが、ダンスパーティ自体はクリスマスとは直接関係ありません。わりと知られていそうなところだと、七瀬の代わりに「Kanon」のキャラを描いて、ゲーム本編で1月下旬に開かれる学園の舞踏会のシーンだと言えば、Kanonをプレイした人なら誰もが納得するシーンになります。(実際、ダンスパーティに出たのにダンスをしないでせっせと料理を食べているヒロインというのは、Kanonのその場面での川澄舞からイメージを得ています)
とすれば、これが特にクリスマスを念頭に置いたCGであることということを、何らかの形で表現したい、と考えるわけです。
しかし人物の衣裳は2人ともローブデコルテの正装で仕上がっていますから、今さらサンタクロースの衣裳を着せるわけにはいきませんし、サンタクロースの衣裳を着た第3の人物を描いていたら、あと何日かかるかわかったものではありません。
それならどうするかと考えて、人物を描かないこと以外は何も決まっていなかった背景に、クリスマスにちなんだ絵の入った額縁でも描いてみよう、と思いつきました。
クリスマスイブのミサで朗読される聖書の箇所は決まっています。
ヨゼフとマリアが住民登録のために、ヨゼフの出身地であるベツレヘムに滞在している時、マリアは月満ちて嬰児すなわちイエスを産み、宿屋には生まれた嬰児を寝かせる場所がなかったので、布でくるんで馬小屋の飼い葉桶に寝かせます。
その夜、羊飼いたちが野宿しながら夜通し羊の群れの番をしていると、天使が彼らの許に現れて、今日ベツレヘムに救世主が生まれたことを告げ知らせます。
(新約聖書 ルカによる福音書 第2章1〜14節を要約。全文はここ
この、天使が羊飼いたちにイエスの降誕を告げる場面は、ヘンデルの「メサイア」やバッハの「クリスマス・オラトリオ」で描写された有名な場面です。ですから最初は、クリスマスCGにはこの『夜の野で羊の群れの番をしている羊飼いたちに、天使が救世主の降誕を告げる場面』を描こうと思っていたくらいでした。
結局はクリスマスCGの題材としては採用されませんでしたが、この場面を描いた絵が、背景に掛かっている額縁に入っている、という形で描いてみようと思って、模写できそうな絵のイメージがどこかのウェブサイトにないか、検索してみました。西洋音楽に何度も取り上げられた場面なら、西洋美術にはもっともっと頻繁に取り上げられているに違いない、と思ったのです。
予想に反して、この「羊飼いたちへのお告げ」を描いた絵は、それに続く「羊飼いたちの礼拝(ベツレヘムを訪れた羊飼いたちがイエスを拝み神を讃える場面:ルカ伝第2章16〜20節)」を描いた絵よりずっと少なかったのですが、それでも見つけることができました。これを描いて背景を仕上げるとなると、また一晩の作業になるでしょう。
(2004年1月14日アップ 2005年2月27日改訂)

12月23日(火)
後先考えずに朝まで起きているとその日はどんなことになるかは、30代半ばにもなればわかりきっていることです。23日の昼間、新潟の りゅーとぴあ で新潟大学管弦楽団の定期演奏会があると、半年前にサマーコンサートを聴きに行った時から知っていて、メインの曲目はブルックナーの交響曲第4番という、私が今まで聴いたことのない曲だというので、都合がついたら聴きに行ってみようと思っていたはずなのですが、演奏会が終わる時刻まで寝てしまいました。
寝過ごしたことは今更どうしようもないので、起きてからはCG制作の作業を続け、明日の勤務に差し支えないくらいの時間に中断しました。この時点での進捗状況は、人物2人がほぼ仕上がったくらいでした。
(2004年1月14日アップ)

12月22日(月)
土日と休んで、月曜日1日だけ出勤して、火曜日は祝日でまた休みというのなら、趣味でやっている作業(クリスマスCGの制作)の日程が押していることでもあり、仕事が忙しくなければ月曜日に休みを取って4連休にしてしまいたいところですが、そうもいきません。それでも何とか早めに仕事を切り上げて、帰宅後はCGの制作に専念します。
本当に全ての時間をCGの制作に傾注していたわけではなくて、夜更けには息抜きのつもりでチャットルームに顔を出しもしました。チャットが散会になってからは、明日のことはほとんど考えず、気力が尽きるまでCGの制作を続けました。
(2004年1月14日アップ)

12月21日(日)
風雪の中を夜更けに帰宅した昨夜も、帰宅後はすぐにクリスマスCGの制作を再開しましたが、そうしているうちに行きつけのチャットルームに人が来たので、CGの制作を中断して、かなり遅い時間まで話し込んでしまいました。
少し前までの私だったら、翌日が休日なら、チャットが散会になったのが何時であろうが、完徹も辞さずにがむしゃらに作業を進めたでしょうが、完徹なんかすれば完徹明けの日は「密度の薄い一日」になるだけですし、生活リズムが乱れて週明けの勤務に差し支えては弊害の方が大きいのもわかりきっています。だいいち今日も外出する用事がありますから、出発する時間まで少しでも仮眠しておく方が大事です。
そういうわけで昼過ぎまで寝て、外出して用事を済ませ、日が暮れてから帰宅して、ようやくクリスマスCGの制作を再開します。
脇役の七瀬留美はほぼ仕上がったので主役の水野友美に取りかかっていますが、ちょっと難航しそうです。この進捗状態だと、24日までに完成させようとすれば相当な修羅場モード発動が必要ですが、仕事が全てに優先する社会人なのですから、趣味でやっていることの期日が押してきたからといってもあまり根を詰めないことにします。
(2004年1月11日アップ)

12月20日(土)
今日は夕方から、西蒲原郡巻町の「カーブドッチワイナリー」に行きます。私が何度もコンサートを聴きに行ったチェンバロ奏者が出演する、クリスマスディナーコンサートを聴くためです。
と言っても私には、席料5500円のうち3000円を占める計算になる(コンサートのみ2500円の席も用意されています)ディナーは眼中にありません。私のように日ごろ食材の値段を10円単位で見比べて「惣菜は半額の物しか買わない、野菜は見切り品しか買わない」というような食費倹約をやっている人には、日頃は倹約しているから特別な時の食事には思いきり金をかけることを惜しまないという人と、日頃から倹約しているせいで特別な時でも食事に金をかけることに意味を見出せなくなっている人がいると思いますが、私は全面的に後者です。しかも気心の知れた人と会食するのならまだしも、たった1人で行くのですから尚更です。
カーブドッチワイナリーは、その名が示す通りワイン醸造所です。しかも原料のブドウはワイナリーの中で栽培した物だけを使っているそうで、そうすると地酒や地ビールの蔵元と違って町の真ん中にあるとは思わない方が賢明です。実際カーブドッチワイナリーは、行政区画でいえば巻町にあるというだけで、JR越後線の巻駅からは遠く離れた海寄りにあり、ウェブサイトを見ても自家用車以外の交通手段が何も書いてありません。ブドウ栽培に適した、それも相当まとまった広さのある土地がそこにしかなかったのだと思いますが、私のように自家用車を持っていない者は、ディナーコンサートに是非一度は行きたいと思っていても、交通手段を考えるだけで文字通り二の足を踏みます。(もし自家用車を持っていたとしても、ディナーの時にワインを飲んだら、しばらくは帰れなくなるという問題がありますが)
今回は、以前にディナーコンサートに行ったことのある知人が、巻駅からワイナリーの近くを通るバス路線があると教えてくれたので、行きはそのバスに乗ることにし、帰りはバスに乗ることは考えず(田舎の終バスがいかに早いか、都会の方には想像がつかないと思います)、巻駅まで夜間行軍することを前提にして、コンサートに行くことにしました。
ディナーが始まるのが午後6時、コンサートは午後7時開演ですが、件の路線バスの最終便が巻駅を出るのが土曜日は午後5時過ぎなので、このバスに乗っていくと、午後6時前にワイナリーに着きました。
しかし私はもちろんディナーを予約していませんから、今はまだコンサートホールに入ることはできません。外はもう夜の帳が下り、しかも雪が降り風が吹き荒れる悪天候なので、ブドウ畑を見ることはできませんが、売店や休憩所などはまだ開いているので、売店でワインを試飲(有料)してから、売店で買った自家製パンをかじりながら休憩所の暖炉にあたっていると、何匹いるともしれない大きな猫が暖炉のそばに寄ってきます。
午後7時にコンサートが開演になります。今日のコンサートは「4種類の鍵盤楽器」というのが売り文句で、演奏者が所有するチェンバロとヴァージナル、コンサートホールに設置されているパイプオルガン、そして演奏者の知人である県内在住の楽器制作者が作ったばかりのクラヴィコードが演奏されます。私はチェンバロとヴァージナルはコンサートで何度も聴いていますし、ここのホールのパイプオルガンを聴くのは初めてですが県内の他のパイプオルガンは何度か聴いていますから、生演奏を聴くのはこれが初めてになるクラヴィコードを一番期待していました。
クラヴィコードはヴァージナルより一回り小さいくらいの大きさで、脚はなくてテーブルの上に置かれています。ホールの人に、クラヴィコードが置いてあるテーブルのすぐ隣のテーブルに案内されて、ディナーを食べないのにこんないい席に座らせてもらえるなんてと感激していると、演奏者が登場してクラヴィコードの前に座り、プログラムの1曲目を弾き始めました。
ク ラ ヴ ィ コ ー ド の 音 が、 か す か に、 か す か に 聞 こ え て き ま す。
ふざけているんじゃありませんよ。クラヴィコードの音があまりにも小さいので、演奏が始まったとたん、聴衆が一斉に息を止めたかと思ったほどでした。難聴とはいえクラヴィコードのすぐ近くの席にいた私がこう感じたのですから、ホールの反対側の席にいた聴衆には、クラヴィコードの音は聞こえていたのでしょうか。チェンバロ・ヴァージナル・オルガンそれぞれの楽器に合わせた曲を演奏し、後半に入ってからまたクラヴィコードを演奏しましたが、その頃になると天気がいよいよ悪くなってきて、風で窓が鳴る音やホールの天井を霰が打つ音で、クラヴィコードの音がかき消されてしまうほどでした。
コンサートが終わったのは午後9時でした。巻駅からここへ来る最終バスが5時過ぎですから、巻駅へ戻るバスがあるはずもありません。それは当然念頭に置いて、巻駅までの夜間行軍を覚悟していたのですが、この天気の中で巻駅まで夜間行軍なんかしたら遭難しかねないと言われ、先ほどの知人のまた知人というような人が、自家用車で新潟市内へ帰るついでに内野駅まで送ってくれることになりました。
そして9時半頃に内野駅に着きましたが、強風のため越後線のダイヤが大幅に乱れています。JR東日本の中でも新潟県の路線は、首都圏と違って積雪には強いはずなのですが、平野の真ん中を走る越後線は強風に弱いというのは盲点でした。しかも越後線は上越新幹線や信越本線と違って単線で、決まった駅でないと列車の行き違いができませんから、下り列車が遅れると上り列車も足止めされる、するとその上り列車と行き違いする次の下り列車は別の駅で足止めされる、これの繰り返しで、いったんダイヤが乱れ始めるとなかなか復旧しません。新潟行きの列車はいつ来るか駅員にも皆目わからない状況、しばらく改札口付近をうろついた後で、駅の近くを路線バスが通っていたのを思い出して(新潟市内の路線バスは、それなりに遅い時間まで走っています)、JRの切符は捨てるつもりで駅を出れば、目の前を新潟行きの最終バスが走り去るという痛恨の逸機。やっと来た新潟行きの列車に乗って、新潟に着いたのは午後11時になっていました。
(2004年1月11日アップ)

12月19日(金)
夜はひたすらクリスマスCGの制作に充てています。水野友美の他にもう1人描くことにしたキャラ──この日記が更新されるよりずっと前にCGそのものがもう公開されていますから、名を伏せる意味はないでしょう、「ONE」の七瀬留美です。七瀬を描くことに決めてからは、ONE本編や他のゲームのビジュアルも参考にして、まず七瀬を描く作業を進めています。
朝までCGの制作を続け、相方の七瀬留美はだいたい完成しました。そこで、午後からの用事のために出かける時間まで仮眠します。
(2004年1月11日アップ)

12月18日(木)
週末の図書館通いを止め、夜もCGの制作に没頭しているために新聞社のウェブサイトを見に行くことをしなくなってしまうと、世間の動静を知るのは毎週木曜日に配信される「小泉内閣メールマガジン」がほぼ唯一の手段となります。
メールマガジンを開くと、最初に前号への読者の感想と投票結果を見ることにしていますが、18日に配信された第121号に載っていた、11日に配信された第120号の感想と投票結果は、特に「らいおんはーと」の題で知られる小泉首相のステートメントに対するそれは、イラクへの自衛隊派遣が正式に発表された直後とあって、今までにないほど賛否がはっきりと分かれていたと思います。
首相のステートメントに対して「満足」ないし「不満」というのは、実質的には「イラクへの自衛隊派遣に賛成」ないし「反対」であると見てよいでしょう。「首相の言いたいことはよくわかった、首相の苦悩が行間から溢れ出る希有な名ステートメントだと思う──でも自衛隊の派遣には反対だ」とか「自衛隊の派遣は現時点で択りうる最善の選択だと自分は信じる──でも首相のこの言い分には納得がいかない」という読者は、個別の感想を読んだ範囲から推測しても、あまりいなかったのではないかと思います。
しかし、イラクへの自衛隊派遣に反対と受け取れる感想を次から次へと読んでいる間に覚えたのは、近頃滅多にないほどの不快感、落胆、失望でした。
・平和主義小児病……如何なる理由があろうとも軍事行動に協力してはいけない
・自衛隊出国禁止令……自衛隊は国内にいればいい、海外へ行くのは別組織を作れ
・アメリカアレルギー症候群……イラク復興はアメリカ主導だから日本は協力してはいけない
・心因性聴覚障害……首相は戦争をしに行くのではないと言っているが自分にはそうは聞き取れない
・生命の重さ不均衡現象……日本人1人の命はアメリカ人100人の命よりも重い
……日本人の民度って、この程度だったのでしょうか。いくら識字率が高くても、新聞の発行部数が多くても、幼児死亡率が低くても、平均寿命が長くても、国民1人あたりGDPが多くても、同じくODAが多くても、私には、この国民は祖国が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占め(日本国憲法前文)」ることを自ら拒否しているようにしか感じられませんでした。
(2004年1月11日アップ)

12月17日(水)
16日に罹った風邪ですが、幸いなことに悪化せず快方に向かってきたので、17日の夜からはクリスマスCGの制作に取りかかりました。
私が自分のサイトで公開し、何人ものお知り合いの人たちにあげるために制作するCGですから、主演が誰になるかはもう決まっていますが、シチュエーションとしては水野友美がたった1人で無人の荒野に立っているような場面ではありませんから、画面の中に対比を描くためにも、友美の他にもう1人くらい描いてみようとも思います。
もっとも、人数が多い方がふさわしいシチュエーションだからといって、もう1人もう1人と登場人物を増やしていくと、制作に充てられる時間は決して潤沢ではありませんから、クリスマスに間に合わなくなってしまいますし、私の腕では画面が錯綜して収拾がつかなくなってしまうのがオチでしょう。
(12月27日アップ)

12月16日(火)
年末まで残すところ2週間、クリスマスまでは1週間ほどとなったので、クリスマスCGの制作を最優先で行うことにします。
と決めたはしから、15日の勤務中に雨に濡れたせいか、16日には風邪気味になってしまいました。小学生の頃には(その頃住んでいたのは、今住んでいる新潟県よりは冬温暖な神奈川県でしたが)一冬半ズボンで通したこともあり、中学高校生の頃にはほぼ毎年、無欠席で皆勤賞をもらうくらい、風邪を引くことがなかったのに、どうしてこんなにたやすく風邪を引く身体になってしまったのでしょうか。
今の私は「やや肥満」体形ですが、小学生から高校生まで、いや大学を出て親元を離れて就職するまで、今ほどの肥満ではなかったはずです(私が子供の頃から私の服を見繕っている母親の証言)。ということは、皮下脂肪の量と風邪の引きやすさには関係はなさそうです。
(12月27日アップ)

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