2004年7月前半の日記
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7月13日(火)〜14日(水)
13日は一日中雨が降っていました。先日の猛暑が嘘のような涼しさ、まして今日は室内で仕事をすることになった席が、またしても冷房の吹き出し口の真下の席になり、冷風がまともに当たって肌寒かったくらいなので、夕飯には、先日新潟へ行った時に輸入食料品店で買ってきたエスニックカレー(日本人向けに手加減していないので、「中辛」と箱に書いてあるのをレシピ通りに作ると「中辛」どころか「猛辛」になります)を作ったほどでした。
広い新潟県内では、私の住んでいる辺りは大した雨ではなかったのですが、兄夫婦が住んでいる辺りは集中豪雨になり、三条市・見附市・中之島町では川の堤防が決壊して大変な洪水になったようです。洪水は午前中から速報されていたらしく、昼休みに相当する時間帯に妹が会社から兄夫婦の安否を気遣って出したメールが、私にも届いていました。その後兄から実家の両親に連絡があって、兄夫婦の新居は無事でしたが、義姉の実家が床上浸水したとのことでした。
14日になって父からメールが来て、13日の日中は電話が輻輳していて被災地域周辺の親戚に電話がつながらず、電話がつながるようになったのは夜になってからだったと書いてありました。それに続いて書いてあったのが、
今回の災害で始めて(ママ)親戚に直接被害が出ましたが、このように災害が発生すると普段のご無沙汰をこの機会に「私は何時もあなたのことを気にかけているのですよ」のゼスチュアーを附加した野次馬電話が蔓延することが良くわかりました。
たしかに、水害で通信設備に被害が出ている可能性もある被災地に不要不急の電話をかけるのは、本当に必要な通信を妨げて公共の利益を害する迷惑行為だと、頭では理解しているのですが、それを「野次馬電話」とまで切って捨てることに一抹の抵抗を感じる私は、父とは違って、根本的に「ウェットな人間」なのだと思います。
ですがやはり日本人の中には、私と同程度、いや私よりもウェットな人間が多いのか、三条市を始めとする被災地には他地域からの電話が殺到して、自治体や防災機関同士の連絡のような本当に必要な通信に支障を来したようです。災害に際して通信の輻輳を軽減するためにNTTが設置した「災害用伝言ダイヤル」の受付を終了したというニュースをカーラジオで聞いたのは、ずっと後、8月になってからでした。
ところで昨年、宮城県から岩手県にかけて強い地震が発生した際には、家庭の電話・公衆電話・携帯電話のどれもつながらなかった間、最初につながったのが「インターネット」だった、ということがありました。被災地にお住まいの方に電話がつながらなかった間にも、その人が開設しているウェブサイトの掲示板には書き込みができたので、電話で安否を尋ねる前に掲示板に書き込みをし、すぐに返事の書き込みがあって無事を知ることができた、ということです。
思うにインターネットも多くは電話回線を利用していますが(アナログ回線へのダイヤルアップ接続は過去の物になりつつあるとしても、ISDNとADSLは電話回線を利用しています)、ADSLは普通の電話とは全く違う方式で電話回線を使っていますから、災害に際して普通の電話が輻輳のために発着信を規制されても、ADSLは規制の影響を受けずにアクセスできるのかもしれません。もっとも、阪神大震災のような大地震が発生して、有線通信が全て寸断されるような事態になったら、ADSLもつながらなくなって、携帯電話が唯一最後の通信手段になるでしょう。
(8月12日アップ)

7月11日(日)
昨日下した決断は、今日またソフマップ新潟店へ行くまでの間に、もろくも崩れ去っていました。つまり、2号機を引退させるとすれば、今まで2号機を介してMOドライブに行なっていた3号機のバックアップは、3号機から直接行う必要がありますから、今日買うべき物は3号機のPCIスロットに差し込むための、Low profileのSCSIカードだけだと思い定めていたはずなのに、SCSIカードが4千円台、バルク品のフロッピードライブが約1700円なのを見ると、2号機の故障はフロッピードライブの故障なのだと自分自身に思い込ませたい気持ちが起こってきたらしく、フロッピードライブも買っていたのです。
帰ってから2号機のフロッピードライブを新品に交換してみましたが、そんなことをしたくらいで2号機が正常に起動するはずもありません。優柔不断な私も、この事実を突きつけられれば、さすがに2号機の引退を正式に決定した──はずでした。
2号機の引退を決定したので、こたつの脇に置いてあった2号機を撤去するついでに、ちょっとした模様替えをしました。7月になってまだこたつに掛けたままになっていたこたつ布団を剥がし、数年前に買ったその年の冬に背もたれの角度調節部分が壊れたのをそのまま使っていた座椅子をパソコンデスク(こたつ)の前から撤去します。そして従来2号機があった場所には、前にホームセンターで部品を買ってきて組み立てた小さなスチール棚を置くことにしました──2号機の筐体の上は、ADSLモデム・ルータ・CDプレイヤーといった物の指定席だったので、それらを置く場所として代わりの台が必要になったからです。
模様替えを終えてから、3号機に新しく買ってきたSCSIカードを装着し、今まで2号機に接続されていたMOドライブをつなぎ替えます。これが2号機と3号機で同じ規格だったなら、今日新潟まで買い物に行く必要はなく、従って2号機のために悪あがきをすること(フロッピードライブを買ってくること)もなかったかもしれません。実際のところは、3号機は2号機のようなタワー型でなくて薄型ケースであるため(そのようなケースのマシンを選んだのは、2号機の他にもう1台タワー型マシンを置くスペースがなかったからで、自分としては充分納得していたつもりです)、PCIスロットとAGPスロットに装着できるカードはLow profileのカードに限られます。この規格は最近出てきた規格のようですが、マザーボードやケーブルと接続する部分が違う規格になっているわけではなく、今日買ってきたSCSIカードはケースにネジ止めする金具を付け替えるだけで両方の規格に対応できますが、そこまで対応しているカードがあまり多くないようなのが、後になって多少問題になってきました。
MOドライブをつなぎ替えると次の作業は、今までに2号機のハードディスクからMOディスクにバックアップしてあったファイルを、3号機のハードディスクに移し替える作業になります。
それから改めて、3号機のハードディスクに入っているファイルをMOディスクにバックアップし直しました。これは従来、LANを介して2号機経由で行なっていた作業ですが、LANを介さず3号機に直結しているMOドライブで行うようになったのを機に、MOディスク1枚分のファイルをバックアップするのに要する時間を計ってみることにしました。つまりLAN経由に比べて直結の方が所要時間が明らかに短ければ、従来はLANがネックになっていた可能性があると考えられます。そう考えたのは、従来3号機から2号機の共有フォルダにあるファイルを開くには、3号機にあるファイルを開くよりもかなり時間がかかる感じがあったからですが、MOディスク1枚分のファイルをバックアップするのに要する時間には、直結とLAN経由とで大差はありませんでした。
(8月11日アップ)

7月10日(土)
2号機はCPUファンが故障したらしいと判断したので、今日はさっそくソフマップ新潟店へ行って、新しいCPUクーラーを買ってきました。CPUクーラーというのはパソコンの部品の中では安い物で、普通の物は千数百円で買えます。千数百円のCPUクーラーを、2号機を買ってから5年近い期間で減価償却したと考えると、減価償却費は1日当たり約1円です。これだけの費用で2号機が健全に動くようになるのなら安いもの、と気楽に考えていました。
帰宅するとすぐ作業に取りかかりましたが、物は試しと、2号機のCPUクーラーを交換する前にサイドパネルを外して、CPUファンが見える状態で電源を入れてみると、意外なことにCPUファンは回っています。それなのになぜBIOSセットアップメニューではCPUファンの回転数が0rpmと表示されていたのかわからないのですが、ファンが回っているとしてもCPUの温度が上がりすぎて警報が出るくらいだから、5年近く使っている間にファンの性能が落ちてきた可能性は多分にあり、それなら今の事態は、この炎暑の夏を2号機が安全に乗り切るための恰好の機会かもしれないと楽観的に考えました。
そして電源を切り、電源ユニットとCPUが冷めるのを待って、CPUクーラーを交換しました。新しいクーラーを取り付ける時、部品が堅くて取り付けに手こずり、クーラーの辺りにドライバーを押し込んでかなり力を入れたのが、今にして思うと「ジョーカーを引いた」のだったのかもしれません。
さてCPUクーラーを交換してから、2号機のサイドパネルを取り付けて電源を入れ、BIOSセットアップメニューに入ると、CPUの温度は室温と同じくらいで、CPUファンの回転数も数千rpmと、至って正常に見えました。
ところが、Windowsが起動しません。
Windowsロゴの画面(Windows98だと背景が「青空に雲」なので、後でソフマップの店員に症状を説明する時にそう繰り返したのですが、WindowsXPの「黒字にWindowsロゴ」しか知らなかったらしい研修中の店員には通じませんでした)で、フロッピードライブのアクセスランプが点灯したまま、先へ進みません。
フロッピードライブを読もうとしているのなら、Windowsが起動しなくなった場合に備えて作ってあった救済ディスクセット(これはNorton SystemWorksのツールの1つであるRescue Diskで作ります)で起動できるかもしれないと、救済ディスクセットをフロッピードライブに入れてみますが、Windowsは起動せず、DOSプロンプトも出ないままアクセスが停まってしまいます。
そこでまたBIOSセットアップメニューに入って、起動の際に最も優先するドライブをAドライブ(フロッピードライブ)からCドライブ(ハードディスク)に変えてみましたが、Aドライブに何も入れないで再起動すると、やはりWindowsロゴの画面で停まってしまいます。
フロッピードライブもハードディスクのCドライブも5年近く使っていますから、いつ故障してもおかしくないかもしれませんが、両方が全く同時に故障するというのは考えにくいです。とすると最も安い投資で済む可能性があるのは、フロッピードライブを新品に買い換えることでしょうか。今日ソフマップで見てきたところでは、バルク品のフロッピードライブは、最も安い物は千数百円で買えます。
しかし、ここで一つ、頭を冷やしてよくよく考えてみましょう。
脳が1つしかなく、目は1つの視野しか見ることができず、腕が2本、指が10本しかない私という人間が、全く同時に2台のパソコンのモニタを見、キーボードを叩き、マウスやタブレットのペンを握り、要するに2台のパソコンを同時に「操作」して作業することは不可能です。さりとて、3号機を導入したばかりの頃、2号機と3号機を用途に応じて使い分ける(3号機はオンライン作業と、Photoshopを使ったCG制作のようなマシンパワーを要する作業に使い、音が静かな2号機はもっと軽い作業に使う)などと考えたものですが、それから1年以上を経た今、現実に私が、2号機と3号機を使い分けているかと言えば、それもほぼ確実に「否」です。パソコンデスクが狭くて、キーボードを2つ並べるスペースがないくらいですから、2号機のキーボードは奥へ押し込んだままで、わざわざ引き出してきてキーを打つことはほとんどありません。だいたい、ウェブ日記の更新は2号機でやるなんて、その時の日記に書きましたが、ローカルディスク上のウェブサイトの最新の分は、安全にネット接続してアップロードできる3号機に集約しているのですから、ローカルディスク上のウェブサイトの更新作業を2号機と3号機で分散して行うなど、いたずらにバックアップ作業を煩雑にするだけです。ですから3号機が修理から戻ってきて以来、サイトの維持管理はそのほぼ全部を3号機だけで行なっています。
バックアップ作業といえばこれだけは、3号機の共有フォルダで更新されたファイルは、一日の作業の締めくくりに、2号機に接続してあるMOドライブにLAN経由でバックアップすることにしていますが、これだってMOドライブを3号機に直結してしまった方がバックアップに要する時間は短縮されると思いますし、そのために必要なのは3号機の薄型ケースに対応したLow profileの、PCIスロット用のSCSIカードだけなのはわかりきっています。その値段が何万円もするとは思えません。
そしてバックアップ作業を除けば、2号機を「使っている」と言えるのは、スタイルシートを変更した時に、2号機にインストールしてあるInternetExplorer5.5とNetscape Navigator4.75で(実質的には後者だけ)、ウェブページの見え方をチェックする時ぐらいです。
そうだとしたら、Celeron2.0GHzの3号機が何の支障もなく稼働しているのに、これ以上、いろいろな部品を買う金と、部品を買いに行く時間、それだけでなくもしフロッピードライブの交換だけで済まなかった場合、ハードディスクを入れ替えてWindowsを再インストールしたり何したりする時間をも(今の私には時間の方が金よりも貴重です)逐次投入する事態に陥る危険を冒してまで、5年も前に買った、CPUがCeleron0.4GHzでしかない2号機を、復活させる価値があるでしょうか。
──普通に考えれば、答えは明白、確実に「否」です。
そうでありながら、私というこの諦めの悪い優柔不断なゲームヲタクが、骨董品あるいはジャンクの域にまで堕ちつつある2号機、Microsoftが遠からずサポートを終わらせようとしているWindows98がOSである2号機を諦めきれずにいる、唯一最大の理由というのは、もうお察しがつくと思いますが、
「Windows98専用(WindowsXP非対応)のゲームをプレイし続けたいから」
に決まっています。
しかし、ここでもう一度、さらに頭を冷やしてよくよく考えてみましょう。
2号機を買ってから3号機を買うまでの4年足らずの間に買い込んで、2号機にインストールし、コンプリートしたと言い切れるまでプレイしたゲームは、「ToHeart(旧版)」とか「Kanon」とか「月姫」とか、けっこうな数に上ります。同時にそれらのゲームは、3号機を買ってからの1年余りの間には、2号機を起動して、純粋にゲームとして楽しむためにプレイしたことはほとんどありません。そのようなゲームを、今更もう一度2号機でプレイする可能性が、どのくらいあるでしょうか?
逆に、同じ4年足らずの間に買い込んで、2号機にインストールしたものの、ほとんどプレイしないまま積んであるゲーム、どころか買ったものの2号機にインストールすらしていないゲームも、タイトルは挙げませんが決して少なくはありません。そのようなゲームを、今更2号機を復活させてまで、コンプリートするまでプレイする気になる可能性が、どのくらいあるでしょうか?
──およそゲーマーの風上にも置けない回答かもしれませんが、起動しなくなった2号機を前にして私が出した回答は、どちらも「限りなくゼロに近い」だったのです。
だったら、5年近くもの間、私の友として存分に働いてくれた2号機には、もうその役目を終えてもらってもいいのではないか。2号機にインストールされているWindowsXP非対応のゲームについては、コンプリートしたゲーム、充分堪能したゲームは「素敵な思い出をありがとう」、そうでなかったゲームは「さようなら、縁のなかったゲームよ」でいいのではないか。
そういうわけで、この故障を機に2号機は引退させよう。
という決断が、私自身でも意外に思うほど、あっさりと下せてしまったのです。形ある「モノ」に執着しなくなるというのは、こんな事なのではないだろうか、と思いました。
──これで終わっていたならば、私の思い切りの良さ、潔さは、見ず知らずの人たちにも賞讃されていたでしょう。
(8月11日アップ)

7月8日(木)
梅雨はどこへ行ったのかと思う晴天続き、しかも猛暑続きです。私のアパートの部屋は、真南向きではなくてやや南東向きなのですが、そのために一年中、朝早くから日が射し込んできます。冬は暖かくていいのですが、たまらないのは夏で、7月に入った頃から毎日、窓には普通のカーテンを引いて障子を閉めているのに、それでも午前4時とか5時という時間に目が覚めてしまいます。といって、部屋が真っ暗になるほどの遮光カーテンを引いたのでは、出勤時刻になっても目が覚めない惧れがあるので、どうしたらよいか思案中です。
この日は、朝からずっと外の日向で仕事をしていたのですが、もうすぐ昼休みという頃、急に動悸がして息が荒くなってきたと思うと目眩がして、さらにこれは生まれて初めての経験なのですが、肘から先が痺れてきました。この夏の連日の炎暑の下でも、昨日まではこんな症状が出たことはなかったので、これはただならぬ事態になりつつあると判断して、作業を中断して日蔭へ避難しました。一緒に仕事をしていた、私より少し年配の人も、私が避難した日蔭に避難していましたが、その人も視界がモノクロになるほどの目眩に襲われたそうです。
昼休みに、午前中にこんな事態があったと上司に報告すると、熱中症かもしれないから病院へ行かなくていいかと上司は心配していましたが、昼飯を食べた後で冷房に当たりながら冷たい飲み物を飲んでいると、手の痺れは治りました。それでも念のため午後は外仕事は止めて、終業時刻まで室内の仕事をしました。
後日、百科事典やインターネットで調べたのですが、熱中症の症状の一つとして、熱痙攣というのがあるそうです。炎天下で大量に汗をかくことによって、体の水分が失われるよりも、むしろナトリウムやカリウムといった塩分が失われると起こりやすい症状のようです。
そういえば……という感じで思い当たったのは、この日は暑くなりそうだからと出勤前から冷たい物を飲んでいたのですが、飲んだのはアイスコーヒーや麦茶ばかりで、朝飯も含めて塩分をほとんど摂っていなかったことでした。それで夕飯には、熱い物を食べる意欲が湧かないのを強いて、焼肉にタレをたっぷりつけて食べました。

さて6日以来毎晩、2号機の電源を入れると程なく警報音が鳴り出すという状態が続いているので、いったいパソコン内部の温度はどうなっているのか、一つ調べてみようと思いました。パソコンの熱暴走という現象は、発生すれば深刻な事態をもたらしますし、夏になるとチャットルームでもよく話題に出ますから、比較的簡単に監視できるツールがあるに違いないと思ったのですが、意外なことにNorton SystemWorksの中にはそれらしいツールが見つかりません。
そのうちに、マザーボードのマニュアルを読んでいて、BIOSセットアップメニューの中に、CPUの温度が何度まで上がったら警告を発するか、という設定項目があるのに気付きました。そこで2号機をいったん再起動して、BIOSセットアップメニューに入ってCPUの温度を見ると、70℃で警告を発する設定になっているのに対して、その時のCPUの温度は67℃になっていました。しかもすぐ下の欄に表示されているCPUファンの回転数は0rpmです。
これはもう確実に、現在発生している事態はCPUファンの故障によるCPUの過熱に違いない、と判断しました。CPUそのものは機械的に動く部分のない電気回路だとしても、ファンは常時回転する機械的装置ですから、5年も使っていれば(それも私のように毎日長時間使っていれば)、そのあたりが故障しても不思議ではないでしょう。
とりあえず今夜はこれ以上2号機を運転しないことにし、次の週末にでも早急に新しいCPUファンを買ってくることに決めました。
──これがこの後1ヶ月にわたる、金と時間と気力の逐次投入の発端になると、この時誰が気付いたでしょうか。
(8月8日アップ)

7月6日(火)
「日記とは『毎日その日の分をつけるもの』」だと信じている人、なかんずくそれを実践している人がどのくらいいるかは知りませんが、私のこの日記に関して言えば「毎日更新」はサイト開設から1ヶ月続きませんでしたし、1日ごとに独立した項目にして打鍵するのも、開設から満1年を前にしてサイトの縮小に踏み切った際に、それにこだわるのを止めることにしました。
2001年3月前半のこのページで、「3月10日(土)〜11日(日)」としたのが最初になります)
それ以来、「○月○○日〜○○日」の形式にする時も、形の上だけでも日記の日付を途切れさせずに表記するようにしてきましたが、日々仕事に忙殺される一方で私生活の変化も少ない貰わず寡夫独身貴族の身では、貴重な自由時間を費やしてまでウェブ日記で公開したいほどの出来事が何一つない日というのもよくあります。
ですから今後は、日記の日付を途切れさせずに表記するのにも、こだわるのを止めることにします。 実はこのことを初めて日記に書いたのは昨年の2月でしたが、それから1年半も実行に踏み切れなかったという事実が、私の性格を如実に表していると思います。
7月11日の参議院選挙は、当選と同時に忘れ去られるものと相場が決まっている選挙公約以外のことももう記憶の彼方になりつつありますが、7月6日の仕事帰りに、不在者投票改め「期日前投票」に行ってきました。7月11日に朝から外出する予定があったわけではなく、むしろその逆で、この頃の猛暑のために投票に行く気力も失せて一日中寝ている懸念があったからです。
その日の夜更け、ちょっとした目的があって、3号機と2号機の両方のパソコンを立ち上げてしばらく経った頃、またもや2号機の筐体背面から警報音が聞こえてきました。6月に初めてこの事態に気付いた時と同じく、電源ユニットのファンは回っているのですが、どこがどうなってこんな音が出ているのかわからないので、とりあえず当面の処置として、2号機の電源を切りました。
(8月5日アップ)

7月3日(土)
巻町の「カーブドッチワイナリー」は、昨年12月に「ディナー抜きのディナーコンサート」を聴きに行きましたし、それよりも今年5月に兄が挙式した場所ですが、今日はそこへ、またもディナー抜きのディナーコンサートを聴きに行きます。
予約の電話をかける時に、今度もディナー抜きでコンサートだけの席にすると言うと、電話を受けている人は、さして声の調子が変わるわけでもありません。ディナー付きの席とディナー抜きの席ではワイナリーの取り分はかなり違うと思うのですが、前回の印象からすると、ディナー抜きでコンサートだけの席を求める、純粋に音楽を聴くことを目的にしている客(あるいは生活費を倹約するために外食を極力避けている客)は、決して少なくないようです。
今回も前回と同様、越後線の巻駅を午後5時過ぎに出る、ワイナリーの近くを通る最終バスに乗っていくことにしましたが、ローカル線や路線バスのダイヤなどそう変わっていないと思って、手許にある2002年10月の時刻表を見て、前回と同じくらいの時間に自宅を出て行くと、越後線のダイヤが変わって、巻駅でのバスへの乗り継ぎ時間が前回よりも少ないダイヤになっていました。会津へ日帰り旅行して以来時刻表を買い換えることに思い至らなかったのですから、私の「鉄分濃度」は相当下がったようです。
それで越後線の電車が巻駅に着くなり、脱兎の如く電車を降りて駅を飛び出し、数十メートル離れたバス乗り場へ走って、そこに停まっているバスの行き先も確かめずに飛び乗ると、すぐにバスは私1人だけの客を乗せて走り出しました。
ところがバスが1つ2つ停留所を過ぎた辺りで、前回と違う方向へ走っている(前回は夜でしたから周りの景色は覚えていませんが、今日はまだ日が高いですから、太陽の見える方角からバスが走っている方角が推測でき、カーブドッチのホームページにあった交通案内図を思い出して比べてみれば、バスがカーブドッチへ向かって走っているか逆へ向かって走っているかくらいはわかります)のに気付きました。慌てて運転手に、このバスは角田(カーブドッチの最寄りのバス停)を通るかと尋ねると、全然違う「白根行き」と答えます。角田を通るバスが巻を出る時刻が迫る中、もう一刻の猶予もならず、バス停でない所でバスを停めて下ろしてもらい、今バスで走ってきた道を駅へと激走します。バス乗り場へ戻ると、これこそ私が乗るはずだった角田を通るバスが、今しも発車しようとしているところでした。
ワイナリーへ着くまでにすっかり息切れしてしまいましたが、今日も午後7時開演の1時間以上前に到着しました。午後6時から7時までのディナーの間はコンサートホールに入れないのは前回と同じですが、今日は前回と違って天気が良く、しかもまだ日が出ているので、開演まではブドウ畑やワイナリー内のいろいろな施設を見て回り、適当な所で腹ごしらえをすることにしました。
カーブドッチは第一にワイナリーを名乗っていますが、他にもいろいろな食品の自家製造を手がけていて、レストランと売店では自家醸造の地ビールも出しています。やはりレストランに入って千数百円の料理を食べる気にはなりませんが、ここまで来たのだから地ビールを買っていく(ワインは兄の結婚式の後で、引き出物として送られてきました)ことにしました。しかしどの売店を回ってみても、前回売っていた自家製パンはなぜか売っていず、コンサートの前に軽く腹ごしらえをする目論見は外れてしまいました。
開演時刻が近づくと、私のような「ディナー抜きのディナーコンサート」を申し込んだ客が三々五々、コンサートホールの前のベンチの辺りに集まってきます。何人かは、オルガンやチェンバロのコンサートで私と顔見知りになっていますが、そういう人たちは私とは違って、食費を切り詰めるのではなくて純粋に音楽を鑑賞することを目的にしているのだと思うことにしています。
今日のコンサートは、コンサートホールに設置されているパイプオルガンと演奏者が所有するチェンバロだけでなく、昨年秋にミニコンサートを聴きに行ったヴィオラ・ダ・ガンバが登場します。曲目はJ.S.バッハの作品を中心に、チェンバロ曲では「平均律クラヴィーア曲集第1巻」のハ長調のプレリュードとフーガ、オルガン曲では「目覚めよと呼ぶ声あり」といった有名な曲が演奏されましたが、プログラムの最後にはヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの二重奏曲が演奏されました。
ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器は、現代のチェロと同じくらいの大きさの弦楽器ですが、バロック時代の楽器の常として、現代のチェロに比べると音量が少ないようです。「目覚めよと呼ぶ声あり」は本来オルガン独奏曲であるのを、オルガンとヴィオラ・ダ・ガンバの二重奏曲に編曲したのが演奏されたのですが、主旋律を演奏するヴィオラ・ダ・ガンバが、伴奏であるべきオルガンに押され気味でした。それに対してチェンバロとの二重奏曲では、チェンバロは現代のピアノに比べると音量がずっと少ないですから、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの音量のバランスがちょうど良かったようです。
あまりしたり顔で蘊蓄を語らなくても、難しいことを考えなくても素直に感じられたことは、ピアノ・オルガン・チェンバロといった、それ1台で音楽世界を完結することができる独奏曲がいくらでもある楽器でも、独奏曲だけのコンサートよりは、他の楽器とのアンサンブルの方が聴いていて楽しい、ということです。何と言っても音そのものに変化がありますし、それに生演奏ならではの醍醐味ですが、演奏者同士が協力し合ったり、個性を押し出して競い合ったりしながら音楽を作り出そうとしている雰囲気が、聴衆にも伝わってきます。これがオーケストラや合唱団になると、指揮者の号令一下、演奏者はみな個性を押し殺して一糸乱れずに(アマチュアではそうもいかない場合もありますが)整然と共同作業に従事しているようなもので、演奏者同士が個性をぶつけ合いながら音楽を作っているのを聴衆が感じられるのは、アンサンブルならではと言えるでしょう。私自身は楽器を演奏する嗜みは全くなく、学校の音楽の授業でもアンサンブルをしたことは全くないので、他の人と協力したり競い合ったりしながら音楽を作り出す楽しみを、本当に実感したことはないのですが。
午後9時にコンサートが終わると、今回も帰りの足がありません。そこでまた顔見知りの人に頼んで回り、越後線の沿線に住んでいる人の車で、寺尾駅まで送ってもらいました。
その人の車にはカーナビがついていたのですが、後部座席に座っていると、「何百メートル先で右折」という声が聞こえてきます。音声案内式カーナビというのでしょうか、カーナビもオートマ限定免許もなかった時代に免許を取って以来、道路を運転したことのないペーパードライバーが知らないでいる間に、技術がどんどん進歩しているのに、舌を巻く思いでした。
(8月5日アップ)

7月1日(木)〜2日(金)
この頃は暑い日が続いているので、一日外で仕事をしていた日は、帰宅してから呑む、よく冷えた1缶のローアルコールビールが何よりです。
ところが1日はそれを出勤前に冷蔵庫に入れておくのを忘れたので、帰宅してから、その夜のうちに呑むつもりで冷凍庫に1缶入れて──そのまま忘れて寝ました。
そして2日の朝になって、ふと思い出して冷凍庫を開けると、庫内が異常な様相を呈しています。要するに、アルコール度数の低いローアルコールビール(しかもアルミ缶入り)は凍りやすいので、夜中に凍って缶が破裂し、噴出したローアルコールビールが霜になって庫内を覆っていたのでした。
大学の理系学部を卒業したのに、30代になってこんな単純ミスをしでかしているようでは、これが実現すれば結婚できなくても大丈夫といつも嘯いている「独り暮らし免許皆伝」など夢のまた夢としか言いようがありませんが、冷凍庫内を掃除しなければならなくなったのを機に、今夜はまず庫内の霜取りをし、同時に冷凍庫の中身を整理し、年単位で入れっ放しになっている冷凍食品などは早急な消費に向けることにしました。
日頃から職場では、古い書類をロッカーや戸棚に入れたままにしておくのは、それによって占有される空間と時間の積は決して無料ではない、それを実感したかったらトランクルームを借りれば誰の目にも一目瞭然だ、と思っていながら(表立って口には出しませんが)、自分自身がそれに優る「空間と時間の積」の無駄遣いをしているのでは、何にもなりません。
(7月16日アップ)

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