2001年3月前半の日記 |
---|
←3月後半の日記へ ↑2001年の日記へ 2月後半の日記へ→ |
3月15日(木)
ずいぶん前にも書いたように、最近はメールを介して広がるコンピュータウイルスが後を絶ちませんが、先ほどメールチェックしてみると、「ウイルス警報」と称して「JOIN THE CREW」「PENPAL GREETING!」「Returned or Unable to Deliver」という題名のメールを受信したら見ないで削除するように、というメールが従兄弟から届いていました。察しのいい方はもうお気づきではありませんか? この3つは、かなり前からデマメールで使われていることで有名な「ウイルスとされるメールの題名」です。 どうも私には、コンピュータウイルスの害が報道されるたびに一般の人たちの間でウイルスに対する恐怖心が高まっている割には、ウイルスについての正確な知識を与えるための啓発活動が行われていないような気がします。そのため、本当のウイルスが後を絶たないのと同じように、こうしたデマメールも後を絶たないのではないでしょうか。 ともあれ私は、単純なテキスト形式のメールを受信したり開いたりしただけでコンピュータがウイルスに感染することはないこと、その代わり添付ファイルを伴ったメールには注意する必要があることを、従兄弟への返信として出しました。 |
3月14日(水)
昨夜締切ぎりぎりに投稿した下級生リレーSSについて、今回も制作余話を書くことにしました。制作にあたっての裏話や、心残りに思っていることは、ここに書くと制作余話と重複するだけですから割愛します。 |
目が覚めたのは8時。締切に間に合うはずがありません。
前の担当者そこつやさんの回が、11日の午前0時過ぎに改訂されていたようなので、改訂版の投稿から3日後、つまり14日の午前0時過ぎまで締切を延ばしてもらうことにしました。 そうなると仕事中も、暇さえあればリレーSSのことだけを考えます。 もう時間がないのだから、大がかりな学校行事に基づくプロットは無理。季節は9月頃なので、その頃ゲーム本編で見られるイベントで、何か使えそうなのはないか、とまず考えます。 それと、マイナー指向というとちょっと変ですが、今まであまり登場しなかったキャラに脚光を当ててみたいという考えもあったので、どうやら1つのイベントを探し出すと、ろくにプロットをまとめもしないまま、仕事から帰るが早いか打鍵を始めます。 いよいよ締切間際になりましたが、どうも今まで担当した回のように、1つのエピソードを完結させる形にまとめられません。 こんな形で投稿して次の担当者に押しつけるくらいなら、いっそパスして次に担当する時に挽回した方がいいのではないか、とまで思いましたが、リレーSSでの数少ない自慢は「締切を破ったことがない(一方的に締切を延ばすと宣言したにせよ)」と「パスしたことがない」くらいなので、パスするくらいなら多少見劣りがしても投稿してしまおうと考え直して、かなり強引に端折った形で文章をまとめ、締切時刻の12分前に投稿を完了しました。 自分としても友美を登場させることができなかった今回は、かなり心残りがします。 (3月14日アップ) |
3月12日(月)
目下最大の懸案事項であるリレーSSについては、朝からプロットを考えていましたが、どうもこれというプロットが浮かんできません。元のゲームが、「学園物」であるにもかかわらず、修学旅行・体育祭・学園祭といった、実際の高校ならこの季節に目白押しであろう学校行事を全く設定していないので、そういった行事を題材にしたプロットが作れないのです。 ここらへんが、「下級生」というゲームが陥ってしまった、シミュレーションゲームの陥りがちな欠点すなわち「際限なきルーチンワーク」を露呈しているのではないか、という気がしてなりません。 そうは言っても、それならこういった学校行事を自分で設定してプロットを組み立ててもかまわないという了承が得られたとして、プロットを組んで、締切時刻までに100ラインの文章にできるかとなると、まず無理なのですが。 だいたい1日で終わる体育祭ならともかく、「修学旅行 京都・大阪1週間」を書くことが許されたとして(リレーSS発足時の約束事項で、舞台は卯月町・葉月町・八十八町・先負町に限定されているのですが)、それを100ラインで書けるはずがありません。すぐ冗長になる私の文章だと、1000ラインでも収まらないでしょう。 ほとんど何も考えつかないまま、明朝早く目が覚めることを期待して早寝しました。 (3月14日アップ) |
「神々の黄昏」も「ジークフリート」と同じで、絵に描く場面、登場させるキャラと割り当てる役、構図といったところはかなり早いうちから決まっていましたが、登場する人物が5人ともなると、やはり時間がかかります。
それに、この絵の中で最も重要なアイテムであるところの指環が、あたかもそれ自体が光を放っているがごとく燦然と輝いている様子を、どうやって描き出したものか、グラデーションツールを使っていろいろと工夫してみましたが、どうもグラデーションツールだけではうまく表現できません。指環の光芒を、自分で納得がゆくように作り上げるだけで、数時間費やしたと思います。 そうやってやっと作った光芒も、レイヤーを絵の全体に重ねてみると、空の明るい部分に重なってしまって、苦労したほどには見栄えがしません。 週末を丸ごと費やして、ようやく完成したのは11日の夜でした。それから毎度のように長大なコメントをせっせと打鍵して、深夜に及んでアップします。 連作がやっと完結して、肩の荷が下りたと言いたいところですが、次の創作に急ぎ取りかからねばならない状況になりました。 「そこつやの館」で進行中の下級生リレーSSですが、主催者そこつやさんが担当分を公開されたのが10日の朝8時でした。そこつやさんの次がふりんとぶらっくさん、その次が私という順序になっているはずだと思っていたのです。 ところがふりんとぶらっくさんが、仕事の多忙を理由にリレーSSから降板してしまわれたことを、11日の夜になって知りました。 ですから次の担当は私、期限は13日の朝です。ということは実質、12日の深夜までの1昼夜で打鍵しなければなりません。 季節は巡って秋に入り、そしてまたそこつやさんの回は1つの独立したエピソードが完結する形になっていましたから、気分一新して新しいストーリーを始めることもできるわけですが……。 (3月14日アップ) |
3月9日(金)
「ニーベルングの指環」に基づく連作の第3作「ジークフリート」を昨夜完成させたので、余勢を駆って第4作「神々の黄昏」の制作に取りかかりました。テレホタイム前に原画を描き上げてスキャンすると、週末恒例のチャットの間にもPhotoshopを起動して、せっせと修整します。そのせいでチャット中にPhotoshopの動作が不安定になり、再起動する羽目にもなりましたが。 (3月14日アップ) |
昨日に引き続き、打鍵している私自身あまり楽しくない記事、盗作の話です。
Leafのゲーム「痕」には、シナリオを一通りコンプリートするとプレイすることができるおまけシナリオがあります。そのおまけシナリオの内容については、以前の日記でかなり批判的な書き方をしたことがありますが、それはあくまで私の主観なので、皆さんはどのように受け取られてもけっこうです。 それはさておき、3つあるシナリオの1つが、そこそこに知られた短編小説に酷似していて、盗作と呼ばれても仕方がないという話は、一部では以前から有名だったらしいです。 先行するその小説を、私はまだ読んだことがないのですが、その話を聞いてからおまけシナリオをもう一度プレイしてみると、「言われてみれば、ショートショートに書かれていそうなネタだな」と思うのがありました。 その小説の題名「できすぎ」からも裏付けられるのですが、「『何でも通り抜けられるようになる薬』を飲んだら、地球の中心まで落下して行ってしまった」というシナリオでしょう。
3月1日付でLeafの公式サイトに謝罪広告が出ていました。昨日書いたような一介のアマチュアの所業ではなくて、れっきとした企業が販売している商品でこんな嫌疑がかかってしまうと、場合によっては民事訴訟で、巨額の損害賠償を課せられることになりかねません。 小説の原作者および出版社とLeafとの間で、どのような解決が図られたのかわかりませんが、Leafの企業イメージにもかなりのダメージとなるでしょう。 しかしこの件に関して、前から何となく考えていたことを思い出すことになりました。 それは、例えば私の小説に対して「○○氏の『××××』の盗作だ」という嫌疑が掛かった場合、それが盗作であるかないかをどうやって証明するのか、ということです。 告発者の側から、盗作であることを証明しようとした場合。 元の作品と私の作品を並べてみて、DNA分析と同じ手法で文章の相同性を求めるのでしょうか。しかし同じ時代の日本人が、同じ日本語を使って記述していれば、語句が全く一致しないということはないでしょう。「何文字以上同じ語句が続く箇所が文章全体の何%以上あったら盗作とする」などという数量的な基準が作れるものでしょうか。 逆に私の側から、盗作でないことを証明しようとした場合。 これは技術的というより論理的に、証明はもっと困難、というよりも不可能です。 「執筆当時の私が元の作品を知らなかった」ということを、今になってからどうやって証明しますか? 「元の作品を知っていた」という証明なら、その当時以前の日記帳や、図書館の貸し出し記録、当時の私の蔵書、あるいは当時以前のインターネットのアクセスログやハードディスクの中身、そういった物的証拠を虱潰しに調べ上げれば、何らかの証拠が出てくるかもしれません。「知っていた」ことの証明は、それを肯定する証拠が1つあれば充分だからです。 しかし「知らなかった」ことの証明は、「知っていた」ことを肯定する証拠が全く存在しないことを証明しなければならないのですから、論理的に不可能とされるわけです。 「ニホンオオカミは今も棲息している」ことを証明するには生きているニホンオオカミを捕まえてくればいいのに対し、「ニホンオオカミは絶滅した」ことを証明するにはどうすればいいか、というのと同じです。 (ここから先は3月14日アップ)
日記の打鍵と並行してCG「ジークフリート」の制作を進め、昨夜遅くアップしました。「ニーベルングの指環」に基づく連作は、第2作「ヴァルキューレ」を制作してからしばらく放置していましたが、サイトの改装が終わったので、ここらで気分一新のためにCGの1枚も制作しよう、それには永らく棚上げしたままになっていた「指環」連作を完結させるのが先決だ、と思い定めて、5日あたりから制作に取りかかったのです。 楽劇「ジークフリート」の、どの場面を描くか、どのキャラを誰の役で登場させるか、どういうポーズを取らせてどういう構図にするか、そのあたりは制作に着手するよりずっと前から決まっていましたから、割と短い時間で完成しました。 |
3月7日(水)
今月2日頃だったと思いますが、定期巡回先のサイトの日記ページを見ていたら、何とも由々しき事件について触れられていました。A2なる人物が、あるKanonSSサイトに投稿したSSが、実は他のSS作家の作品を丸ごと盗み取り、あたかも自作品であるがごとく偽って投稿された作品だったというのです。 その事が投稿先サイトの掲示板で指摘されたのが2月27日。翌日には問題の作品は投稿先から削除され、盗用を行ったA2は自身のサイトを閉鎖して雲隠れしています。 しかし、ご自分の作品を盗用されたSS作家の方々の調査が進むにつれて、A2が盗み取り自作品として公開ないし投稿しようと企てていた作品が、大変な数に上ることがわかってきました。 その中には、Leaf系SS作家として有名な飯森等利さんやashさん(私としてはお二方とも、古参の同級生2SS作家として存じていますが)の、代表作と言っても差し支えない作品まで含まれていたようで、両氏のお知り合いの方々のウェブ日記には、 「『その作品を発表して、本当にバレないと思ったんですか?』と聞きたくなった」(宮本信一郎さん) 「これだけのものを本気で全て「自分の作品」として載せるつもりだったのかと、その精神の在処を疑ってしまいます」(小栗秀幸さん) と、怒りを通り越してあきれ果てたようなコメントがありました。 なぜここまで、信義則を踏みにじるような暴挙に出たのか。その心理についてもコメントがあって、 「やっぱり「ちやほやされたかった」っていうのがあるでしょうね」(作 戦名・不可能さん) 「その時は予想以上の反応と、自分を褒め称える感想を受け取り、盗用したことは一切ばれなかった。(中略)あの賞賛の嵐を忘れることは出来ない」(宮本信一郎さん) (どうもA2はこれが初犯ではなく、同じような盗用の前科があるらしいです) ということです。 私自身、多大な時間と労力を費やしても、皆さんに読んでいただくに堪えると思うほどの文章を書くのは、なかなかできることではありませんから、上に名前を挙げさせていただいたような方々、SSの名手として有名な方々には、惜しみない讃辞をお贈りするものです。 ですから、「自分もそれにあやかりたい」と常日頃思っている人が、ほんの一瞬でも悪魔のささやきに心を傾けそうになることが、あるかもしれないとは思います。 しかし彼が本当に自分でも作品を書いている作家であったなら、その報いは大きすぎます。 つまり、彼が他の誰の作品にも影響されず、自分で一から作り出した作品であっても、今後はその全てが盗用と見なされてしまうに違いないからです。 この事件に関して、作品の盗用に遭ったHolmes金谷さんによる調査結果がここにあります。 「このサイトの所在を出来るだけ広めて下さい」とのことですので、微力ながらご協力する次第です。 (3月8日アップ) |
昨夜、日記をアップしてから適当にネットサーフしていくと、「ToHeart」の姫川琴音のファンサイトにたどり着きました。 ToHeartはWindows版のゲームが発売(97年5月)されてから4年近くにもなりますが、今もってファンサイトの活動が衰えない、息の長いゲームです。 私自身はToHeartには、人生を変えられるほど萌えたキャラというのはいませんが、「気に入ったキャラ」の一番手が保科智子であるのは、保科智子ファンサイトの一員であることを見ればおわかりと思います。 このゲームにはメインの女性キャラが8人(マニュアル記載順に神岸あかり・長岡志保・保科智子・松原葵・マルチ・姫川琴音・宮内レミィ・来栖川芹香)、さらにプレイヤーがゴールインすることのできるキャラとして雛山理緒、その他に来栖川綾香・セリオ・坂下好恵・岡田・松本・吉井・宮内シンディといった女性キャラが登場します。 どのキャラにどれくらいファンがいるかとなると、正確な統計などもちろんありませんが、一つの指標として昨年12月の冬コミに参加したサークルについて、それぞれのキャラがカタログのサークルカットに描かれた数を調べてみると |
|
やはり数え上げる前に直感した通り、あかり、マルチ、セリオが3強でしたが、マルチが最も多いと思っていたのに僅差であかりがトップでした。
それはそうとして、琴音というキャラは、同じ1年生でも体育会系ですこぶる陽性なキャラである葵に比べると、設定がかなり特異であるだけでなく、性格付けも極めて陰性、初めてプレイした人には相当取っつきにくいキャラだと思います。それだけに、ファンの絶対数がどちらかというと少なくなるのは否めないでしょう。 しかしファンサイトを眺めてみた感じでは、それぞれのファンサイトの、あるいは個々のファンの濃さは、琴音の方が葵より勝っているような気がしました。 初めて「桂芳恵精神病棟」を訪れた時から、ずっと感じていたのですが、「ファンの多さとファンサイトの濃さには負の相関関係がある」のではないかと思うことがあります。 つまり、そのキャラのファンが少数派であればあるほど、ファンサイトはディープになる傾向があるのではないか、ということです。 もちろんこれは私の思い込みに過ぎませんし、同級生2の中で最もファンの多いキャラは、好むと好まざるとにかかわらず鳴沢唯であることを認めざるを得ませんが、唯萌えサイトに昨日の項に書いた「越後屋」のような驚嘆すべきサイトがあるのも事実です。 それならば、今やウェブ上では限りなき少数派になり果てた友美萌えとして、このサイトをファンサイトの極北と呼ばれるに値する、ウェブに冠たるディープなサイトにすることができるか、私に。 ……それができるくらいなら、サイトの改装という名の縮小なんてやっていませんってば。 (3月8日アップ) |
昨日の午後は日が照って暖かかったのに、夜中には初冬の頃によくあるような雷が鳴り、今日になってみると吹雪いています。昨年は3月に入ってから最深積雪(約1メートル)を記録しましたし、雪国の春の訪れはまだまだのようです。 当サイトからリンクさせていただいている有名な同級生2SSサイト「88らいぶらりぃ」の掲示板で、CG画家として広く知られたやまさきさんの作品が話題になっていました。 やまさきさんは「唯描き」のCG画家として、つとに高名な方ですが、全作品の登場人物に占める唯の比率が、ご自身の集計によると79%(延べ91人中71人)だったそうです。 普通の人ならこの数値を見て、途方もない高率だと思うでしょうが、掲示板では逆に「90%を超えているんじゃないかと思った」という感想が述べられていました。いかにやまさきさんが、唯 一筋のCG画家として知られているかの証ではないかと思います。 それでは今やウェブ上にただ一人の「友美描き」となったかもしれない私はどうだろうと、自作品に描いたキャラクターを集計してみたところ、こんな結果が出ました。 (集計範囲は3号館1〜5号室、別館2号室((「アルベーリヒ原画」を除く))、下級生リレーSSの挿絵まで。2枚組は1枚ずつ数え、「献血パニック」は竜之介・鳴沢唯・看護婦各1と数える) |
|
つまり友美の比率は13%です。一番多く描いているキャラの比率が10%台前半というのは、「描きたいキャラだけ描く」のが普通なアマチュアCG画家としては、極めて分散している方ではないでしょうか。
そうなったのは私の場合、「献血パニック」でデビューして以来のネット歴の約半分を、自前のサイトを持たない投稿画家として送り、サイト開設後も寄贈作品の方が多くて、今までに描いて公開したCGとラフ画の合計56枚(集計範囲は上と同じ)のうち実に51枚が、寄贈作品、配布作品(年賀、クリスマス、暑中見舞)、投稿作品(リレーSSの挿絵)で占められているのが最大の原因だと思います。 寄贈作品は基本的に、贈り先の萌えを念頭に置いて制作しますから、「私が描きたいキャラ」よりも「先方がもらって喜ぶキャラ」を描くことになるわけです。 そうでなかったら、西御寺有友を6回も描きはしないでしょう、きっと。 もう一つの原因は、私の画力のなさにあります。 やまさきさんの作品を「越後屋」でご覧になればおわかりだと思いますが、やまさきさんの作品はほとんどが1枚1キャラです。 ところが私の画力では、1枚のCGにキャラ1人ぽつんと描いても、とても見られた作品にはなりません。 それで画力のなさをごまかすためにシチュエーションに凝る、するとたいてい、1枚に2キャラ以上描くことになります。56枚中、本当に1キャラだけ描いたのは24枚しかありません。 竜之介を描いた回数が、堂々2位の9回にもなっているのは、メインとなる同級生2の女性キャラに対して脇役で出るケースが多いからです(友美メインの「FROM DAUGHTER」2枚と「鳴沢友美」、桜子メインの「風の中に消えた」と「八十八市民病院の聖夜」、いずみメインの「いずみの春」、西御寺有友・静乃メインの「二人の入学式」)。 「シチュエーションに凝る」の極致が、1枚に13人描き込んだ「八十八学園の『春』」でしょう。こんな群像は、もう二度と描かないと思います。 と言いつつ、1枚に5人登場するCGの制作予定を立てているのですから、どうも学習能力に問題があるようです。 何にしても1枚のCGに2キャラ以上描くとすると、まさか1枚に友美を2人も3人も描くことはありませんから、必然的に友美の比率が下がります。その結果、友美萌えサイトを標榜しているはずなのに、友美の比率が脇役としての出演まで含めても10%台前半ということになるのです。 |
3月4日(日)
昨夜は新潟からの帰りが遅かったのと、久しぶりに大都会の風に当たってきたせいか、日記の打鍵もせずネット活動もせずテレホタイム前から寝てしまいました。しかしそのために今朝は、平日と同じくらいの時間に起きられたので、掃除や洗濯を済ませてから図書館へ行きました。 昨日新潟へ行った時に感じましたが、雪解けの速さには同じ新潟県内でもかなり差があります。後ろに広い平野を従え、山から遠い海辺にある新潟市は、私の住んでいる辺りに比べて元から雪が少ないのか、駐車場の隅などに積み上げてある以外には、街中では雪を見ませんでした。 私の住んでいる辺りだと、道路にはもう雪はありませんが、駐車場や図書館の敷地にはまだ30センチくらい雪が残っています。新潟県では冬の雪のなれの果てのようなこんな雪でも、関東以南の太平洋側では降ることすらないでしょう。私が昔住んでいた神奈川県では、10センチ積もれば大雪でしたから。 そしてもっと雪深い、魚沼や頸城の山里では、今でも1メートル以上雪が積もっているのは当たり前に違いありません。魚沼や頸城の山間にあるスキー場は、3月いっぱいまでの営業が普通です。 しかし新潟県というのは、世界屈指の豪雪地帯といわれますが、気温の点から見ると一冬中雪が降り続ける地帯の南限に当たっているらしいです。 つまり最近話題になっている地球温暖化によって、少しでも冬の気温が上がれば、今降っている大量の雪は全て雨に変わる可能性があるということです。 あるシミュレーションによると、今のペースで地球温暖化が進むと、2100年には新潟県の平野部には全く雪が積もらなくなるそうです。 そうなれば里に近い山の雪も減るでしょう。事実、明治時代にオーストリアのレルヒ少佐が近代スキーを日本に伝えた上越市の金谷山スキー場や、私の両親が子供の頃スキー授業を受けたという長岡市の悠久山スキー場は、ここ数年一冬に一日も営業できない年が珍しくありませんでした。雪が充分に積もらなかったからです。 (3月5日アップ) |
3月3日(土)
サイトの改装も終わって迎えた週末、心機一転CGの制作──という運びになればいいのですが、身辺多事多端の影響が早くも表れてきて、今日は一日、用事のため新潟市へ出かけていました。新潟市は日本海側の都市の中では、札幌・福岡・北九州を除けば(普通「日本海側の都市」と言う時、この3市は含まないのではないかと思います)最大の都市です。私が新潟市へ行くのはほぼ2年ぶりですが(1999年の3月、新潟交通の通称「電鉄線」廃止直前に行って以来)、今住んでいる市から高速バスに乗って新潟市へ行き、駅前に降り立つ度に「大都会に来たなぁ(笑)」と感じます。 首都圏の大学を出て、就職して首都圏を後にし今の土地に住むようになってから、もうすぐ丸6年になりますが、新潟市をすら「大都会」と感じるほど田舎じみてしまった人間が東京へ行くと、あまりの人の多さが息苦しく、6年前まで自分がそこで生活していたということが信じられなくなるほどです。 東京の町を歩いていると、人と車の多さにめまいと息切れがするという現象は、私の場合首都圏を離れて3年を経た頃から顕著になってきました。聞くところでは、キャリア組の国家公務員は地方勤務する場合があっても満3年以内に本省へ戻るような人事異動が行われているそうですが、それはもしかすると、3年を超えて地方勤務させると「東京免疫」が切れてしまい、本省へ戻ってからの仕事全般に支障を来すということが、長い間の経験でわかっていたからなのではないか、と思うことがあります。 (3月5日アップ) |
3月2日(金)
昨夜はテレホタイム前にサイトの改装を一通り終え、日本標準時でどうにか3月1日のうちにサーバにアップしました。それから当サイトにリンクして下さっているサイトの管理者の方々にメールを出して、サイトの改装をお知らせします。 ただ今回の改装は、よくあるプロバイダの変更に伴うサイトの移転と違って、サイト名が変わるのにトップページのURLは変わらないという、ちょっと変なパターンです。 それは別にどうでもいいのですが、サイトの改装作業はそのほとんどをテレホタイム前にオフラインで行っていたので、アップが終わってオンラインにしてみるまでわからなかった点がありました。 つまりゲストブック(掲示板)の背景画像です。今までは掲示板が表示されるウィンドウの左端に赤い縦帯が入っていたのですが、元の「事務所」から独立させた際に縦帯の色を藍色にしたわけです。 ところがオンラインにして掲示板を見てみると、掲示板の文字色は黒なので、藍色の縦帯と重なった部分の文字が非常に読みにくくなることがわかりました。 文字の見やすさだけなら、縦帯の色は明るい色すなわち黄色か黄緑色がいいのでしょうが、そのへんの色は自作品のコーナーに使っているので、コンテンツの順序をなるべく入れ替えず、掲示板の文字が読みやすい色にすることにして、掲示板の縦帯はえんじ色、掲示板の過去ログを含む「事務所」は紫色にし、藍色は縦帯と文字が重ならないようにレイアウトしてあるリンク集に使うことにしました。 それからもう一つの再改装についてです。 従来は「案内所」より下にあるコンテンツから案内所への戻りが昨年5月に書いたようにフレーム仕様と非フレーム仕様に分かれているとか、7月に書いたようにフレーム仕様の「ダイヤ改正」から更新箇所へのリンクをクリックすると左ウィンドウのメニューが入れ替わるような仕掛けをするとかしてあったのですが、こういう仕掛けを活用している人がどれほどいるか、むしろトップページへ戻るリンクが2つあるなんていうのは混乱を招いてはいないかと思いました。 それで新しい「事務所」の中の「展示替え」が、従来のようにするためにはフレーム仕様と非フレーム仕様の2つ作らざるを得なかったのを機に、上に書いた2つの仕掛けを廃止する(左ウィンドウのメニューが切り替わらないのは「展示替え」から更新箇所へのリンクをたどった場合だけで、案内所から例えば1号館に入った後で左ウィンドウのメニューをクリックして2号館へ移動すれば、左ウィンドウのメニューは2号館のメニューに切り替わります)ことにしました。 ウェブサイトというものは、なまじっか便利そうな仕掛けよりも、訪れる人にとっては見た目の簡潔さ、管理者にとっては維持の容易さの方が大切だと思います。今さらではありますが、従来フレーム仕様の「ダイヤ改正」から更新箇所へのリンクは、直接リンクするのではなくて<frameset>を定義する小さなファイルへのリンクになっていました。これを更新の度に更新箇所別に作るのは、けっこう手間だったのです。 |
3月1日(木)
かねてから計画していた通り、本日をもって当サイトはサイト名を「Gallery800」と改め、全面的な改装に踏み切りました。
と言ってもその実情は、サイト開設以来1年近くの間「運行準備中」の札を下げたまま、実質的なコンテンツを何も作ることができなかったAコースからFコースまでの6コースを廃止し、従来の事務所を中心にしたサイトにする、つまり身の丈に合わせて仕立て直すことです。それらのコンテンツを廃止した結果、今までサイトの体裁としてイメージしていた「事務所から各方面に出発するバスツアー」に全く合わなくなったので、それよりはもう少しサイトの実態に近い、美術館あるいは図書館という体裁を取ることにしました。 それを踏まえて、サイト名も「800Tours」から美術館をイメージする「Gallery800」に変えたのです。 カビの生えた旧作とはいえ、そこそこの分量の小説を公開しているのですが、図書館をイメージする「800Library」というようなサイト名は、今も活動を続ける同級生2SSサイトとして天下に知られた「88らいぶらりぃ」の一常連客としては、あまりに僭越であろうと思いました。 ただし、サイトを全面改装したとはいえ、改装までに作った古いコンテンツの実質的な部分には、手を着けないことにします。 例えばこの日記は、改装までは「運行日誌」という題で作成してきたので、日記本文の中に「運行日誌」という言葉が頻繁に出てきます。今日からは「館長の日記」という題で作成することになりますが、そのために以前の日記に出てくる「運行日誌」という言葉を「日記」に置き換えることはしない、ということです。 今後も当サイトをご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。 |
ページのトップへ戻る |
---|
←3月後半の日記へ ↑2001年の日記へ 2月後半の日記へ→ |