2004年4月後半の日記
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4月30日(金)
連休の谷間に当たる今日は、私の職場にも「もし仕事がそれほど忙しくなかったら有休を取って7連休にしてしまおう」と前から言っていた人が何人もいたのですが、やはり時節柄(あるいは5連休の前日ということもあって)仕事が忙しくなってきたようで、実際に有休を取った人はあまりいなかったようです。

コミケに行くたびに買い込んでくる「Kanon」や「ONE」の二次創作小説本を、この頃職場へ持って行って、昼休みや休憩時間に読んでいます(荷物にならないように文庫・新書サイズのを選び、そして手製のカバーを掛けています)。個々の作品の感想というのとは別に、ちょっと考えたことがあります。
二次創作小説(SS)と言っても様々ですが、ゲーム本編とは全く異なる世界を背景にして、ゲームのシナリオとは全く無関係なストーリーにゲームキャラを出演させる、「かのんSS-Links」の分類で言うと「アナザーワールド」物のSSは、ファンタジーなら背景世界の構築とか、時代小説なら時代考証とか、けっこう面倒な準備を要するので、SS作家にとっては敷居の高いジャンルだと思いますが、それだけに書き甲斐のあるジャンルとも言えると思います。
今、戦国時代を舞台にしてKanonキャラが登場する時代小説を読んでいるのですが、やっぱりこれは仕方がないのかなと思ったのは、まず登場人物の喋り方が現代語そのままであることです。
時代小説の登場人物の喋り方というと、時代劇と聞いて私たちがすぐに想像するような、昭和の御代に放送された時代劇のような喋り方をさせるのがまだ多いと思うのですが、時代小説仕立てにしたゲームのSSでそれをやると、やはり違和感が出てしまうでしょうし、特定の言葉遣いが象徴として確立しているキャラは困ってしまうからでしょうか。しかもそれが孤立した言葉でない場合に。
例えば、時代劇風の喋り方をしながら「うぐぅ」や「あははーっ」を多発するキャラが描かれていたとすれば、それはそれで一興かもしれませんが、語尾が「〜だよ」「〜もん」であることが、あるいは一人称が「ボク」や「わたし」(「僕」や「私」ではなく)であることが、元のゲームでそのキャラの特徴となっているキャラはどう喋らせたらいいのか、ということです。
近現代の日本語の一つの特徴は、人称代名詞が多様であることではないかと思います。ですから、あるキャラが一人称にどんな言葉を使うかが、そのキャラの性格の少なからぬ部分を形作り、もう1人のキャラに対する二人称にどんな言葉を使うかで、そのキャラ同士の人間関係が相当の部分までわかる、といった効果があるのですが、それを時代小説に移し替えるところまでやろうとするSS作家は多くないのでしょう。
もう一つ、これは時代小説というよりも戦国時代が背景になっているということに起因するので、ですから近現代や近未来の仮想戦記小説だったとしても同じ事が言えるのですが、「メインキャラは途中では死なない」こと。
私は最初、そのキャラをメインにしてSSを書くくらい作者の思い入れがあると、どんな形にせよ中途退場させるに忍びなくなるからか、なんて考えていたのですが、もっと実際的な理由は、メインキャラを死亡の形で中途退場させてしまうと補充も交代も利かないから、でしょう。
一度死んだキャラが、後になって何事もなかったかのように再登場するというのは、安直に悪用されがちな deus ex machina の中でも最も拙劣だと思うもので、私が子供の頃、それを乱発されたことにうんざりして読むのを止めた、週刊誌の連載漫画があったと言えば、「ああ、あれのことか」と思い当たる人もいるかと思います。
しかし戦争物、多数の生身の人間が互いの殺傷を当然のこととして行動するのを描写した小説で、登場人物が全く死なないものがあったら、それこそ不自然です。あるいは敵ばかりが一方的に死ぬのも。
──何が言いたいのか自分でもわからなくなってきたので止めます。
(5月9日アップ)

4月29日(木)
この春のうち(3〜5月)に制作する計画を立てていたCGのうち、差し当たって4月中の完結を目標としていた「受難三部作」が、予定より多少遅れたとはいえ昨夜完結したので、今日はまず日記を少し更新しておくことにします。
パソコン関係以外の日常生活では、晴れたのを見て洗濯物や布団を干したり部屋の掃除をしたりします。それから、行きつけのクリーニング屋が冬物の割引キャンペーンをやっていて、その受付期限が明日なので、部屋の中を片づけるついでに冬物衣料をクリーニングに出すことにしました。私の部屋には暖房がないので、昨年は5月まで夜の室内ではダッフルコートを着ていましたが、今年は4月中にコートをしまうことになりました。
──しかし冬物を、ダッフルコートだけでなくセーターまで全部クリーニングに出してしまうと、ちょっと困ったことになります。今頃はまだ、晴れた日の朝にセーターを着て自転車を漕いで出勤すると汗をかきますが雨の日の朝にセーターを着ないで自転車を漕いで出勤すると肌寒いという微妙な季節ですし、夜、風呂から上がってパソコンに向かう時、冬物の寝巻だけではどうも薄ら寒く、もう一枚何かが欲しくなります。
しかし昨夜まで着ていたセーターはクリーニングに出してしまいましたし、春先にクリーニングに出したセーターはクリーニング屋から戻ってきていますが、それをまた着てしまうとまたクリーニングに出さなければならなくなるので、今夜は掛け布団を腰に巻いてパソコンに向かいます。若いとも言えない男の独り暮らしって、こんなものです。
(5月6日アップ)

4月28日(水)
「受難三部作」を締めくくる第3作「ユダの最期」の制作に際しては、この日記に具体的な内容はとても書けないような事柄に根拠を与えるために、着手が遅れていたのですが、昨日ようやく、大学の理系学部を卒業した私の頭で一応納得がいくような説明がつく見通しが立ったので、昨夜からさっそく制作を開始しました。
いざ制作に踏み切ると、第2作の時以上に制作が捗って、今夜のあまり遅くない時間に完成しました。実働2晩という短時間で完成したのは、前作と同じように背景を思い切って手抜きしたのも大きな理由と言えますが、私としてはそれ以上に、絵の登場人物に対して私が抱いている感情それも非常に強い感情が、創作活動の強い推進力になったからだろうと思います。
──そこのあなた。まさか、この私が、第2作の主役を演じた水野友美よりも、第3作の主役を演じた(4字省略)のほうに、いわゆる「萌え」を感じている、などと思ってはいないでしょうね?
正反対です。私が第3作の主役に対して抱いている感情は、人間の持つあらゆる感情の中で、爆発力・持続力とも、強さにおいて「萌え」を遥かに凌ぐ感情です。そのような感情を創作活動の原動力にして創作活動をすること、そのような感情に衝き動かされるままに創作した作品を一般に公開することについて、サイトを開設したばかりの頃には多少の逡巡もあったのですが、いつしか吹っ切りました。どんな感情であれ、私を創作活動に「駆り立て、衝き動かす」という形容がふさわしいほどの感情を持ちながら作業するのは、特に何も思わず何も感じず、まるで家事をしている時のような精神状態で作業するのに比べて、きっと作品の出来栄えにも何らかの影響(願わくはプラスの影響であることを)があると思うからです。そしてそのような情念を込めて制作した作品を世に問うこと、それから発生するであろうどんな事態にも自分で全ての責任を負うこと、それができてこそ一人前の創作者でありサイト管理者であると言えるはずだからです。
ですから、ここではっきりと忠告むしろ警告を発しておきます。もし、この日記をご覧になった方が、「同級生2」に登場する長 岡芳樹というキャラに対して、ごく僅かでも好意や同情といった感情を抱くなら、そのような方は、私が6号館3号室に公開した新作「ユダの最期」を見ないことを、強く強く勧めます。
いいえ、見てはいけません。見ないでください。作者の、心からのお願いです。
(5月4日アップ)

4月27日(火)
「受難三部作」第2作を公開したので、27日からは引き続き第3作「ユダの最期」の制作を始めました。
今度の作品も、ずいぶん前から構想はあったと思う作品で(この題材で制作することを思い立ったのは、おそらく「最後の晩餐」を制作することを初めて思い立ったのと同時だったと思います)、その時から誰を主役とするかは決まっていましたが、具体的にどういう(どうなっている)場面を描くかということについて、受難三部作の制作のために資料収集を始めてから急に浮上してきた問題があり、そのため第1作が完成してからも、第3作の制作を先延ばしにしていました。
ある一つの、やや特殊な現象が起こっている場面を絵に描くのに、どうすればその現象に科学的な根拠を与えることができるか、なんてことを考えずにいられないのは、私の性癖の一つであろうと思いますが、とにかくそれが解決しないうちは、第3作の制作に踏み切れなかったのです。
それが27日の昼間、こう考えれば一応科学的な説明がつくのではないか、と考えついたので、ようやく制作を始めたのです。
今まで書いてきたことが、具体的にはどういう事柄なのかは、ここには書かないでおきましょう。どうしても読みたい人はクリックしてください。
(5月2日アップ)

4月25日(日)〜26日(月)
24日に新聞社のサイトを読み耽っていて夜更かししすぎたせいか、昼頃起きると体調が悪く、特に喉が痛みます。それに日記の更新もまだ実際の日付に追いついていませんが、週末にCGの制作を全くしなかったという悪しき前例を増やさないために、25日からは「ペトロの悔恨」の制作に専念することにしました。
25日から本格的に制作を進めた「ペトロの悔恨」は、26日の夜あまり遅くない時間に完成しました。それですぐ引き続いて公開のための作業に移り、前もって考えておいたコメントを手早く打鍵して、今夜の更新で公開しました。今度の作品は前作とは打って変わって短時間で完成しましたが、それは「仕上げた」と言うよりも「切り上げた」と言う方が適切かもしれません。
(5月2日アップ)

4月22日(木)〜24日(土)
22日に、受難三部作の第2作「ペトロの悔恨」の制作に取りかかりましたが、「最後の晩餐」と違って今度は登場人物が1人なので、集中すればすぐに完成できるという過信がまたもや頭を抬げてきたのか、あるいはもっと別の理由があるのか、CGの制作に専念するという状態には程遠く、むしろ日記の更新に時間を割いています。日記の更新となると、できるだけ手早く済ませてしまいたいと思っているはずなのに、イラクの事件について書こうとすれば新聞社のサイトを読みあさったり、過越の3日間について書こうとすればカトリック教会のサイトを読み耽ったりしています。
そうやって傍目には時間の浪費のような過ごし方をしていますが、例えば生まれたばかりの子供に洗礼を授けることについて、否定的な宗派(例えばバプテスト派)と否定はしていない宗派(例えばカトリック)両方のサイトを読んでみると、どちらも一理あると思えます。どちらの宗派でもない私がそこでいろいろ考えたとしても、休むに似ているに決まっていますが、たとえつまみ食いにすぎない知識にしても、そういう知識を得ようともせずに精神的引き籠もりと化してCGを制作しているよりは、いくらかは有意義だと思うことにします。
それと、どの宗派の教会のサイトだったか、エホバの証人・モルモン教・統一教会がキリスト教の他の宗派から異端視されているらしいことについて、キリスト教の教理に基づいて論証しているページがありました。それだけを鵜呑みにするのは危険だと思いますが、考えてみるきっかけを得たことは有意義だったと思います。
(5月2日アップ)

4月19日(月)〜21日(水)
この春のCG制作計画は、1ヶ月以上かかってやっと完成した「最後の晩餐」から始まる受難三部作、それと「思い出の小径」に始まる「ToHeart」に基づくCG(これも三部作になる計画)があり、当初の予定では受難三部作を4月11日までに完結させ、続いてToHeartに基づくCG2点を連休中に制作するつもりでした。
「最後の晩餐」に時間がかかりすぎたせいで、既に予定より大幅に遅れていますが、受難三部作の2枚目に取りかかる前に、日記の更新を少しは進めることにしました。
それと「最後の晩餐」のコメントについて、人名の表記を、手元にある文語訳聖書の表記から、今の日本の教会で広く使われている新共同訳聖書の表記に改めることにしました。些細なことのようですが、受難三部作の2枚目の主役、英語だと Peter と表記される人名は、従来「ペテロ」と表記されることが多かったようで、美術書でもそうなっているのが普通ですが、新共同訳聖書では「ペトロ」と表記されています。どちらを採用するかで2枚目の題名が変わってくるので、一つの方針として、今後は聖書に題材を取った作品を制作する際には、人名の表記は新共同訳聖書の表記に準拠することにしました。
(5月2日アップ)

4月18日(日)
昨夜はまた、今朝と言った方がいいような時間までチャットルームに長居していました。昼頃に起きてからは「最後の晩餐」の公開に向けて、ひたすらコメントの打鍵を続けます。
CGのコメントという物、自分が管理するウェブサイトにCGを公開する人で、全くそれを付けない人はあまりいないと思いますが、逆に私のように何画面もスクロールを要するほど長いコメントを付けている人もあまり見かけませんし、まして私が時々やるように、制作者とCGの登場人物による「座談会形式」のコメントを付けている人は非常に少ないような気がします。
今回のCGは登場人物が13人もいますから、私と三津野知美を交えて総勢15人で座談会をやっていたのでは、いくら何でもコメントが長くなりすぎると思って、座談会形式は止めましたが、それでもこれだけはコメントしておきたいと思った、制作の動機、題材と元の絵についての説明、元の絵の登場人物と「同級生2」キャラの割り当てについての説明を一通り書いていると、けっこう長いコメントになったと思います。
それが終わってから、公開した当初はコメントらしいコメントを付けていなかった「Yui.Nの肖像」にもコメントを付けることにしました。「最後の晩餐」が完成したからといって、これでこの春のCG制作は打ち止めというわけではなく、明日からはまた次のCGの制作に着手するつもりですから、その前に付帯的な作業は片づけておこうと思ったからです。
(4月29日アップ)

4月17日(土)
先月中旬からずっと続いていた「最後の晩餐」の制作は、昨夜からラストスパートに入り、徹夜で作業を続けて、今日の昼過ぎにとうとう完成しました。
完成したからには一刻も早く公開したいところですが、これがまた一仕事になりそうなコメントを打鍵する前に、もう一つ考えなければならないことがありました。
今回の作品は、制作段階での画像サイズが前代未聞なほど大きいだけでなく、縦横比が8:21と異例なほど横長でもあるので(元絵にしたレオナルド・ダ・ヴィンチの絵の、上から4分の1くらいを描かずに済ませてしまうことにしたからです)、画像全体が800×600ピクセルのディスプレイに収まるまで縮小したのでは(例えば630×240ピクセルくらいに)、人物が小さくなりすぎて見栄えがしなくなると、制作中から感じていました。作者としてはなるべく大きなサイズの画像を見てもらいたいのですが、といって延々と横スクロールを要するような画像サイズで公開するのも、HTMLの解説書には「見る人に嫌われる」例として挙げられていますし、当サイトを見に来る人の全てがブロードバンドの恩恵に浴しているわけではないのですから、ファイルサイズとの兼ね合いもあります。
そういったことは制作中から考えていて、公開する時には画像を左右に2つか3つに分割して上下に並べる形にし、分割しない1枚の画像は、800×600ピクセルのディスプレイに収まらないサイズの画像を頂いた時のように、公開したページの画像をクリックすると新しいウィンドウに表示されるようにすることに決めていたのでしたが、いざ絵が完成してみると、どのように分割するか決めかねて、2つに分割するか3つに分割するか、分割するとしたらどの位置で分割するか(2つに分割するとして、単純に真ん中で分割したら、絵の中心にいるイエス・キリストが真ん中で分割されてしまいますから)試行錯誤しているうちに、パソコンに向かったまま寝てしまいました。
夜になる頃にやっと起きて作業を再開しましたが、チャットルームへ行く時間までにはコメントの打鍵が終わらなかったので、公開は明日に延期することにしました。
(4月29日アップ)

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