番外日記
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2003年10月25日(土)
まず1点目は、今月11日に公開したばかりの「思い出の響き」の修正と修正版の公開です。
CGに限らず、自分のウェブサイトに公開した作品を、それも公開後何年も経ってからならともかく公開した直後に修正して差し替えるというのは、公開までの制作の段階で、作者として充分に納得がいくまで推敲を加えていなかった証拠だ、と言われてしまっても仕方がないと思います。その上、もしそれが他のサイト管理者に贈った作品で、贈り先のサイトでも公開してもらっている作品である場合には、修正版を自分のサイトで公開したことを贈り先に何も知らせないのは失礼に当たると思いますし、さりとて修正版を贈って差し替えてもらうのは(CGを自分のサイトから直リンクする形にしていない場合)贈り先に対して負担を強いることになるので、どちらにしてもサイト管理者としては、あまり褒められたやり方ではないと、私は以前から思っていました。ですから私自身は極力そのようなことはしないように努めてきたつもりですし、他の人から差し替えの依頼が来た時には、その都度、疑問を呈するようなことを日記に書いてきました(この行為自体、公明正大な行為ではない、という批判に値すると自覚していますが)。
しかし今回の場合は、公開したその夜のチャットで、私のCGに対して最も好意的な批評をくれる人から、絵的に不自然な箇所があるという指摘をされてしまったのです。白状すれば私自身、制作の最終段階で「どうも変だな、どうすればいいかなー……、いいや、このままで」という感じで作業を切り上げてしまった箇所について、私が懸念していた通りの指摘を受けてしまったものですから、これをいつまでも今のままにしておくのは、大げさに言えば絵描きの良心に反すると思ったのです。

2点目は、先月28日に公開した時にはコメントを時間切れで中断したような形で公開していた「ある日の生徒会室」の、コメントの後半を打鍵することです。
ウェブサイトを開いて自作のCGを公開している人のサイトは、有名無名あわせて2桁に達するくらいは知っていますが、寄贈作品に対してはともかく、自分の作品に対して私ほど長々とコメントをつけている人は、私の知っている範囲には一人もいません。
多くのCG画家が描いている有名キャラを描いて、屋下に架した屋に雨樋をつけるようなことをするよりは、ほとんど絵に描かれることのない無名キャラを描くのが私のCG制作の一つのやり方であって、それで清水なつき(清水なつきは無視されていると言うよりもむしろ、あからさまに敵視されていると言うべきでしょう)とか神岸あかりの友達とか森本(姫川琴音の同級生)とか(あかりの友達には鈴木寛子、森本には森本美紀というフルネームが設定されていると、描いた後ずいぶん経ってから知りましたが、ご存じでしたか?)、そして「ある日の生徒会室」では吉田由紀と桂木美和子という、コメントをつけて説明しないと大半の人がわからないのではないかという懸念のあるキャラを描いてきたので、そういう場合にはある程度の説明的なコメントは必要でしょうが、そうでなくて水野友美のような有名キャラ(反論は却下)を描いた時に、それを打鍵したために公開が一晩遅れるほどの、あまりに長いコメントが本当に必要なのか、と改めて自問してみると、何の疑問もなく首を縦に振ることはできないのですが、サイト開設以来ずっと続けてきたことでもあり、作者の自己満足の場として、ウェブ日記よりも高い優先順位を与えて、今後も続けていくだろうと思います。
(10月29日アップ)

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