2003年11月前半の日記 |
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今日は終日CGの制作に専念──というわけにはいかなくて、夕方から新潟市の美術館で開かれるヴィオラ・ダ・ガンバ(バロック時代に使われた、チェロに似た楽器と理解しておいてください)のミニコンサートを聴きに行く先約があります。それでも正午頃に起きてからは、出発時間までCGの制作を続行します。
コンサートといってもアマチュアのコンサートですが、バロック時代を最後に廃れてしまったヴィオラ・ダ・ガンバの生演奏を聴く機会は、チェンバロの生演奏よりもっと稀ですから、それだけでも聴きに行く価値があると思うことにします。しかも「無伴奏の深淵」と題して、チェンバロなどの伴奏が一切ない、ヴィオラ・ダ・ガンバ一人だけのコンサートでした。 ピアノやオルガンを別にすると、弦楽器や管楽器の無伴奏曲というのは古今あまり多くありません。たぶん最もよく知られている曲は、無伴奏ヴァイオリンのための、バッハの「シャコンヌ」かパガニーニのカプリースではないかと思いますが、前者は19世紀にはピアノ伴奏をつけることが試みられましたし、後者はコンサートで演奏する曲というよりは一人で練習するための曲です。
コンサートの曲目などについては、ここに書いても誰も反応してこないでしょうし、日記の更新が遅れているので省略します。もっとも私たちが「クラシック」と聞いてすぐに連想するようなクラシックから視野を広げれば、一人でギターの弾き語りというのはヨーロッパには昔からあったでしょうから、バロック時代やもっと昔には、無伴奏曲はそれほど特別なものではなかったのかもしれません。 帰ってくるともう夜も遅く、パソコンを起動すると「麗子祭り」2日目が始まっています。新たな寄贈作品として藤咲はじのさんのCGが公開されていましたが、──制作中のCGの題材が先に公開されたCGと被っていなくても未完成作品をお蔵入りさせたくなる場合もある、と言っておきます。 明日16日は、今日よりもっと早くから出かける先約があるのですが、早く寝ようともせずチャットに夢中になってしまいます。そのうちに、今から寝たのでは明日の朝起きるべき時刻に起きられないという時間になってしまったので、明日はなるようになれと、徹夜でCGの制作を続けてしまうことにしました。 (11月26日アップ) |
11月13日(木)〜14日(金)
今週末に「麗子となりぽしの部屋」で開催される「麗子祭り」は、刻一刻と迫ってきます。ですからそれに向けたCGの制作には、なるべく早く取りかかるべきでしたが、ウェブ日記の更新に時間を費やしたりして、実際に制作に着手したのは12日でした。それで13日は残業があり、14日は帰宅してから一週間分の洗濯などの雑事をしなければならないので、気ばかりせいても制作はとうてい祭りには間に合いません。14日の夜は、腰を据えてCGの制作を再開するどころか、雑事が片づくめども立たないうちに、「麗子となりぽしの部屋」のチャットルームが賑わう時間になりました。 「麗子祭り」の会場に行ってみると、早くもなりぽしさんのCGと他の人たちの寄贈作品、豚雲海さんのCGと鬼虎さんのSSが公開されています。拙速でいいと割り切って一番乗りを果たす望みは潰えましたが、豚雲海さんのCGの題材はわりとオーソドックスで──いやもっと正直な言い方をすれば私が制作中のCGと被っていず、これなら私の作品をお蔵入りさせる羽目にはならずに済むと自分に言い聞かせることができました。 「麗子祭り」の盛況を見ているうちに思ったことがあります。「下級生」のようにゲーム中の時間が通年にわたるゲームでは、ヒロインキャラの誕生日というのは、恋愛ゲームを彩るイベントとしてはこれに優るものをなかなか考えつかないだけに、多くのゲームがゲーム本編の中で設定していると思います。最近は、例えば「ToHeart」や「Kanon」のようにゲーム中の時間がもっと短いゲームであっても、雰囲気作りあるいはオフィシャルサイトの盛り上げのためにか、ヒロインキャラの誕生日をメーカーが後付けでオフィシャルに設定しているゲームが増えてきたような気がしますが(例えばToHeartの保科智子は9月12日というように)、それを思うとつくづく、「同級生2」のヒロインキャラにその手の設定がないことが残念です(全くないわけではなくて、杉本桜子、篠原いずみ他若干のキャラにはオフィシャル設定あり)。もし水野友美の誕生日のオフィシャル設定があったなら、「麗子祭り」の向こうを張って「友美祭り」を私が主催者になって開催── ……しない方がいいのかもしれません。下級生と同級生2のゲームとしての人気の差、あるいは新藤麗子と水野友美のキャラとしての人気の差、それがどのくらいあるのかは覚悟しなければならないと思いますが(「Memories」で続いているelf女性キャラ人気投票の結果を一つの情報源とするだけでも)、なりぽしさんが開催した麗子祭りと私が主催した友美祭りの盛り上がりに、私の覚悟と異なる差がついたとすれば、それは畢竟なりぽしさんと私のネット上での人徳の差を反映するものに他ならず、もし友美祭りが私の覚悟を遥かに超えるほど閑散としたまま終わった場合、立ち直れなくなる恐れがあります。 (11月26日アップ) |
11月12日(水)
昼間、外回りの仕事先へ行く車に乗っていた時、ラジオで「夫の死後、生前に夫から採って凍結保存してあった精子を使って、人工授精によって出産した女性が、生まれた子供を夫の子供であるとする死後認知を求めて裁判を起こしたが敗訴した」というニュースを聞きました。夜になって新聞社のウェブサイトを検索してみてわかったことは、現行法ではまず、父親と想定される男性の死後300日以上経って生まれた子供は自動的に嫡出子と認められることはなく(通常、排卵から出産までは265日くらいですから、自然な性交によって女性が妊娠してから300日以上経って子供が生まれることはない、ということになるのでしょう)、そのため夫の死後1年8ヶ月経って生まれた子供が嫡出子として認められなかったので、父親と想定される男性の死後3年以内であれば死後認知を求めることができるという条文に基づいて裁判を起こしましたが、死後に人工授精などの手段で子供を儲けることに生前の夫が同意していたかどうかで意見が分かれた上、夫の死後に人工授精をして子供を儲けることを現行法は想定していない(と言いながら、精子提供者の死後に人工授精をすることを禁止するという法律もないらしいです)ということで、認知の請求は認められなかった、ということのようです。 判決では、やはりと言うべきか、こういった生殖補助医療によって、戦後すぐに改定された現行の民法(親族編)が想定していない事態が次々に出現している今、生まれた子供の権利擁護のためにも早急な法整備が必要だと述べていました。法治国家という言葉が泣くほどの、あるいは法治国家とは放置国家の間違いではないかと思うほどの、社会の変化に対する法整備の遅れ方では世界に冠たる日本(その最も極端な例が憲法第9条第2項だとは言わない方がいいのでしょうか。でもハンセン病の薬剤療法が確立してから数十年間、患者は隔離一本槍という「らい予防法」が改定されなかったのは紛れもない事実です)、いつまで事勿れ主義でいるつもりなのでしょう。 先週にも、アメリカで日本人夫婦が夫の精子とアメリカ人女性の卵子によって、アメリカでは認められている代理出産をして儲けた子供を夫婦の子供として届け出たところ、妻が普通は出産できないとされる50代であったために、本当に妻が出産したのかと調査し、代理出産であることがわかったために出生届が受理されなかった(しかもこれは民法にそういう条文があるわけではなく、昭和36年に出された法務省民事局長通達というのを根拠に)、というニュースがありました。 ところで、こういった認知や嫡出あるいは相続をめぐる裁判があって「子供の権利」という言葉が出てくるとすぐ、それはしばしば言われる「遺伝子上の親を知る権利」なんかではなくて、本音は「親の財産」じゃないのか、と勘ぐってしまうのは、私の心が汚れすぎている証拠でしょうか。これとは違いますが財産ということについて、ずっと前から思っていることがあるのですが、ここにそれを書いてもいいものでしょうか……。クリックするんですか? (11月24日アップ) |
11月11日(火)
10日の夜には、ウェブ日記の更新は実際の日付には追いついていませんでしたが、今週末の「麗子祭り」に向けた新作CGの制作意欲が湧いてきたので、ウェブ日記よりもCGの制作を優先することに決定しました。それでさっそくCGの制作に取りかかる(これは同時に、CGが完成するまでは日記の更新を停止することを意味します)ことにしようと思いましたが、何となく夜更かししているうちに妙な違和感を覚えました。11日になってもその違和感は残っていましたが、それについてはこれ以上何も書かないことにします。 (11月24日アップ) |
11月10日(月)
昨日投票が行われた衆議院選挙の結果は、自民党は保守系無所属を全員追加公認すれば過半数を維持できる程度の減少、連立与党の公明党はほぼ現状維持、自由党と合併した民主党が議席を大きく増やし、社民党と共産党が議席を減らしました。かつて野党第一党だった社民党が、党首が小選挙区で落選するほど零落したのは、やはり……というところでしょうか。もし総選挙が去年の今頃行われていたら、社民党にはもっと強い逆風が吹いていたかもしれません。それはともかく、小選挙区で私が投票した候補者が落選したと知ると、前にもそういうことがありましたが、どうも私には勝ち馬を見抜く能力が乏しい気がしてなりません。 (11月24日アップ) |
11月9日(日)
衆議院選挙の投票日である今日、午後8時まで寝倒してしまってもいいようにと不在者投票をしておいたのですが、さすがにそこまで爆睡することはなく、午後1時には目を覚ましました。起きてからはCG制作──ではなくて、図書館へ新聞を読みに行き、秋の叙勲(11月3日)の記事あたりまで読んだので、夜はウェブ日記を更新したり、今年の秋の叙勲から実施されることになった新しい叙勲制度について、内閣府のウェブサイトを見に行ったりして、あまり生産的ではない時間の使い方をしました。 叙勲制度というと、人の一生を誰がどうやって評価するのか、という根源的な問題があります。私事になりますが、私の父方の祖父は公立学校の教師として38年勤め、小学校の校長で退職して、亡くなった直後に従五位勲五等瑞宝章に叙せられました(現行制度では、従五位という叙位は物故者に限られています)。父方の祖母も公立学校の教師として30年勤めましたが、校長にも教頭にもならずに退職したせいか、亡くなって何年経っても叙位叙勲の話はありません。「小中学校の校長を務めると従五位勲五等」というのが叙位叙勲の相場らしいですが、祖父と祖母に人間としてどれだけの功績があったのか、その功績はどちらがどのくらい大きかったのか、それを神ならぬ人間の誰が測り、誰が決めることができるのでしょうか。 昨夜のうちに気付くべきだったのですが、かれこれ1ヶ月以上も書き込みがなかった掲示板に、「私本落窪物語」を読んでくださった方からの書き込みがありました。 サイトを開設した時から、CG・小説・雑文をサイトの三本柱とする構想を持ち、そこそこの量はある旧作の小説を順次公開していたのですが、「私本落窪物語」「近江物語」「岩倉宮物語」の王朝三部作に対する、あまりの反応のなさ(更新ミスの指摘すらなかった)には、反応のなさをウェブ日記で愚痴ることはしたくありませんし、一度公開したコンテンツは原則として撤去しないのをサイトの運営方針としているつもりなので、サーバのスペースにまだ充分余裕もあることですし、撤去を考えたこともありませんが、作者にしてサイト管理者である私自身、半分放置していたコンテンツでした。 それがこうして、執筆当時は親兄弟にも見せなかった(親兄弟が興味を示しそうにない内容だっただけでなく、自他共に認める悪筆の私が自筆原稿を見せたとしても、親兄弟も判読できなかったでしょうが)小説が、見ず知らずの人の目に止まることがあるのですから、インターネットというのは捨てたものではありません。 過分なほどの感想だけでなく、その方が開設しようとしている「落窪物語」リンク集サイトからのリンクの申し出も頂いたので、承諾する旨の(今になって改めて見ると、承諾とは受け取られなかったとしても無理もないような文面ですが)返事をしました。 (11月24日アップ) |
11月8日(土)
6〜7日の項に書いたようなことがあって、7日の夜は自転車で帰宅できなかったので、1時間余り歩いて帰宅しました。この期に及んでも小銭を出し惜しみするのは、もはや膏肓に達した私の業病です。やっと腰を落ち着けてCG制作に専念できる週末が来たので(余談ですが今回の選挙、私は不在者投票しましたが、それは9日に遠出する予定があったからではなく、9日は投票にも行かないほど寝食を忘れてCG制作に没頭するつもりでもなくて、7〜8日にCGの制作その他でうっかり徹夜してしまった場合、9日は一日中寝てしまう可能性があると思ったからです。投票所が締め切られる午後8時まで寝ているつもりだったんでしょうかね、私は)、7日の夜は、CGが完成するまではチャットルームに行かないことにして作業に打ち込み、夜半をだいぶ過ぎた頃に完成しました。 一時は完成が危ぶまれたほど制作が難航したCGがようやく完成したので、8日はまず自転車屋へ自転車を持って行って修理してもらってから、雑用のために外出します。溜めに溜めた新聞を読みに図書館へ行き、午後5時で図書館が閉まってからは、市内のショッピングセンターが閉鎖することになって、そこにテナントとして入っていた靴屋が在庫処分で大安売りしているのを知って、かれこれ6年履いてすっかりボロボロになった通勤用の靴を買い換えに行き、スタンドの蛍光灯が切れかかっているのが気になっていたので、ショッピングセンターの中心を占めるホームセンターで蛍光灯を買い、同じくホームセンターでは閉鎖前の値引きで100円未満になっていたジョッキなどの雑貨をいくつか買い、ケント紙を売っている店を私はそこしか知らない画材店でケント紙を買い溜めし、といった具合で、そうしているうちに街頭での連呼行為のタイムリミットである午後8時が近づくと、街宣車が最後の雄叫びを挙げて走り回っているのに出会います。 夜になってCGのコメントを打鍵し、HTMLを組んで公開します。サイトの更新が済んだところで、さて今夜は何をして過ごそうかと巡回を始めると、「麗子となりぽしの部屋」で「11月14日15日16日が麗子祭り」(「下級生」のヒロインの一人である新藤麗子の誕生日が、ゲーム本編で11月14日と設定されていることにちなんで)と告示されているのを目にしました。 その告示を見るや否や、ずっと前にチャットルームでちらりと話題になったことがあるような記憶の断片から、にわかに新作CGの題材が浮かんできました。11月14日が実質的な制作期限となると(15日と16日は先約があるので)制作に充てられる時間はかなり少なくなりますが、なりぽしさんとは旧知の間柄ですし、浮かんだ題材は私としても心に期するものがある題材なので、優先順位を入れ替えて、拙速になるかもしれませんが新作CGを制作して寄贈したいところです。 (11月10日アップ) |
職場まで自転車で20分弱という距離の近さを活かして、私は今の職場に転勤してからというもの、職場のすぐ近くまで乗り換えなしで行けるバスがあるにもかかわらず、雨の日も風の日も自転車で通勤していますが、6日にはこんなことがありました。
その日は職場から少し離れた出先で定時まで仕事をして、職場へ帰ってからさらに7時まで残業しましたが、残業が終わって帰ろうとすると自転車の鍵が見当たりません。出先で作業着に着替える時に落とした可能性が大きいです。ただ、アパートへ帰れば予備の鍵があることはわかっていて、翌日も出先へ行く予定があります。 今にして思えば、ここで私が取るべき行動の正解は 「今日はバスで帰宅して、明日、予備の鍵を持ってバスで出勤する」 ですが、7日の朝のバス代をケチろうと思ったのか、鍵が掛かったままの自転車をアパートまで引っ張っていくことにしました。 すると、全行程の半分も行かないあたりで後輪がパンクしました。しかも後輪のタイヤもすり減ってしまって、交換が必要な状態になりました。アパートから職場までのバス代は180円、それに対して後輪のタイヤとチューブを全部交換すると4000円以上かかります。 最低限、後輪のパンクを自転車屋で直してもらうだけでも1200円かかりますが、職場を出た時点で午後7時を過ぎているので、営業している自転車屋がアパートまでの間にあるはずもなく、自分で修理しない限り──雨模様の中を夜になって帰宅して、それから後輪のパンクを修理する、そんな気力は痕跡も残りはしません──7日の朝はバスで出勤しなければならないことには変わりありません。しかも予備の鍵を持って行こうが出先で鍵を見つけることができようが、職場に自転車が置いてないのですから、7日の夜はバスで帰るか1時間以上かけて徒歩で帰るしかありません。 教訓:「自転車に愛着を持つことと自転車に固執することとは違う」
結果的には7日の昼休みに、出先で自転車の鍵を見つけることができましたが、6日の夕方職場の駐輪場にいる時に、これくらいの判断を下すことができなかった私は、比喩的な意味で、近視よりもむしろ視野狭窄のようです。
(11月10日アップ) |
11月4日(火)〜5日(水)
この日記を打鍵している時点ではもう終わったことですが、この週は衆議院選挙の運動期間後半で、連日街宣車が町を走り回っています。それが聞こえてくるたびに、こんな前近代的な騒音公害が合法化(街宣車を使ってする連呼行為は公職選挙法第141条で認められていますから)されている国に住んでいることが恥ずかしくなるばかりです。4年前の今頃、アメリカのソルトレイクシティへ行っていた時、ちょうどソルトレイクシティ市長選挙が行われていたのですが、電信柱などにくくりつけた小さい看板(ある候補者のそれにはwww.vote****.com と選挙事務所のウェブサイトのURLが書いてあったのを、写真に撮ってきました)は至る所で見かけるものの、街宣車での連呼行為は見た覚えも聞いた覚えもありません。 今の日本の法解釈では、ウェブサイトを選挙運動に使うことは公選法違反とされるそうで、それがアメリカに比べて遅れていると言うつもりはありませんが、あまりにも執拗な連呼行為を聞かされ続けていると、次第に心が皮肉に染まってきて、8日の夜に買い物に出ていて出会った街宣車が「これが最後のお願いです」と繰り返すのを聞けば、「当選してしまえば、政治献金してくれない一般の有権者に頭なんか絶対に下げやしないんだろうからなー」と心の中で揶揄してしまいます。しかもその街宣車から聞こえてくる絶叫が、立候補者本人が乗って叫んでいることを強調するに及んでは、語るに落ちるというか、公選法の規定が許す目一杯まで増発した街宣車には、ほとんどの場合立候補者本人が乗っていないことをバラしています。だいたい男性候補の名前を連呼している街宣車から聞こえてくる声が大半の場合、男性の声でなくて、どうひいき目に聞いても「ウグイス嬢」よりは「マザー・グース」の方がふさわしいような女性の声であるとなると、あの臆面もない連呼行為も、せめて立候補者本人がやっているのならまだ少しは堪忍の余地もあるんだが……と思わずにはいられません。 まあ、この鬱陶しい選挙運動も、選挙の結果に従って与党が下野して政権交代が行われる可能性を保証するだけの、成熟した民主主義のコストであると思い、世界的に見れば決して圧倒的多数ではない、民主的な政権交代の可能な国に住んでいて、野党に投票する政治的自由を享受できることに感謝することにしましょう。新潟県から一衣帯水の先にも、21世紀の今、民主主義共和国を標榜しながら、何らかの形で国政選挙は行われているのかもしれませんが、選挙によって与党が下野して政権交代が行われることを可能とする制度が存在するとは思えない、いやそもそも野党の存在が合法化されているとは到底思えない地域がありますから。 (11月10日アップ) |
11月3日(月)
昨夜はついチャットルームに入り浸りすぎてしまい、それでも午前2時台には寝たのですが、今の季節だと晴れていれば午前11時になると窓から射してきた日光が顔を直撃するから嫌でも目を覚ますはずと、目覚まし時計をかけずに寝ていたところ、目が覚めたのは午後4時半でした。「晴れていれば」という前提に反して、平成15年11月3日の新潟県地方は曇あるいは雨だったようです。まあこのところ体調が万全ではなかったので、充分すぎるほど寝ることができたのも幸いのうちと思うことにして、起きてからはCG制作の続行です。実働2日で夜半前に新城沙織は完成しました。月島瑠璃子の実作業時間は正確には把握していませんが、日付だけ見れば10月13日に着手して完成が11月2日、約3週間もかかってしまったのはどうしてだろうと、我ながら不思議なくらいです。 (11月9日アップ) |
11月2日(日)
この3連休は、初日の昼はチェンバロのコンサートで楽しみ、夜は慰安旅行の写真をアルバムに整理するのに時間を使ってから(8字削除)のために時間を奪われましたが、感じ方はどうであれ、あまり後回しにしておきたくない事項が片づいたので、2日目の今日からはCGの制作に専念することにします。朝10時に起きて作業に取りかかり、制作が比較的捗っていた月島瑠璃子は、昼過ぎに完成しました。 瑠璃子と共演させるのにふさわしいシチュエーションを思いつかなかったために全く手つかずのままだった新城沙織ですが、瑠璃子と沙織の接点について、昨夜のチャットで、「雫」をプレイしたことのある人から助言をもらったので、その時に思いついたシチュエーションを忘れないうちにすぐさま原画を描き始めました。このまま夜を日に継いで作業を続ければ、3日の朝には完成するでしょうが、そんな事をすれば4日の勤務に差し支えるのはわかりきっていますから、あまり根を詰めないことにします。そうしているうちにチャットルームが賑わう時間帯になったので、ちょっと顔を出してみました。 (11月9日アップ) |
11月1日(土)
今日は新潟市の りゅーとぴあへ、チェンバロのコンサートを聴きに行きました。曲目や作曲家に関する蘊蓄は、ここに書いても誰も反応しないと思うので書きませんが、コンサート中のレクチャーで、チェンバロの音は聴く位置によって聞こえ方が変わると言って、実際に演奏しながら、数十人の聴衆にスタジオの中を歩いてもらっていました。
りゅーとぴあでのチェンバロのコンサートは、定員130人というスタジオで開かれています。音量があまり大きくないチェンバロは、大ホールでの演奏には適しません。
残念ながら私の聴力では、チェンバロに近づくと音が大きく聞こえる、というくらいしかわからなかったのですが、レクチャーによると、グランドピアノと同じような形をしているチェンバロの音は、開いた蓋に反射されて客席に届くので、チェンバロに向かって斜め右側の位置が最も良く音が聞こえる位置で、演奏者の位置はあまり良く音が聞こえない位置らしいです。そうすると多分ピアノの場合も、グランドピアノだと演奏者の位置はあまり良く聞こえない位置になるのでしょうか。それなら自分一人で演奏して楽しむのであれば、演奏者の位置へ音が真っすぐ出てくるアップライトピアノの方がグランドピアノよりも適しているのかと(現在の日本の住宅事情で、個人の家庭にグランドピアノを置けるかどうかという問題は別にして)思いましたが、ちょっと考えを脇へ逸らせてみると、ほとんどの楽器は演奏者の位置が必ずしも最も良く聞こえる位置ではないような気がします。少なくとも現代のオーケストラで使われている西洋の管楽器で、ベルとか朝顔とか呼ばれている楽器の先端が、演奏者の顔を向いている楽器はないでしょう。 (11月8日アップ) |
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