2000年7月前半の日記
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7月15日(土)
たかだか午前3時までチャットをやったくらいで、翌日正午まで寝ているようでは、サイトの更新も「積んどく」ゲームのプレイも進まないわけです。
昨日の項に書いたように、AコースとBコースを早く開設しようという意向はあるので、今日はまず、両コースの出発地点に使う、アシスタントの立ちポーズのCGを制作しました。
実はこれも、運行日誌のページなどの上部にあるCGと同じで、冬服バージョンはサイト開設前にできあがっていたのですが、もたもたしているうちに春を過ぎて夏になってしまったので、そのCGと同じようにレイヤーを重ねるやり方で、春秋服バージョンと夏服バージョンを作ったのです。
夏服は9月30日までの着用ということにする予定なので、それまでにはAコースとBコースの開設に踏み切るつもりです。
いや、踏み切らなかったら、見放されてしまうでしょう。

それから、ダイヤ改正に書いたように、フレーム非対応のブラウザへの対応を行いました。
5月14日の日誌に書いたように、既にフレーム非対応のブラウザのためのトップページを設けてありますが、フレーム非対応のブラウザでご覧になるお客様が、もしフレーム仕様の案内所から各ページへのリンクをクリックしてしまうと、現在の各ページの仕様では、画面に何も表示されません。
そこで、もしフレーム非対応のブラウザでご覧になるお客様が、間違ってフレーム仕様の案内所から運行日誌などのページへ来てしまった場合でも、すぐに目的地にたどり着けるようにしました。
運行日誌を例に取れば、<frameset>を定義している diary.htm ファイルの後半は、こうなっています。

<noframes>
<body>
<div class=size3b align=center>フレーム非対応のブラウザでご覧のお客様は、行き先を選んで下さい。
<br>
<a href="index2.htm">・案内所</a>
<br>
<a href="diary2.htm">・運行日誌</a>
<br>
</noframes>
こうしておけば、間違ってフレーム仕様の案内所からこのページへ来てしまった場合も、非フレーム仕様の案内所(index2.htm)へ行くか、目的のコンテンツ(ここではdiary2.htm)へ行くことができるはずです。
と、HTMLのガイドブックを見ながらコードを組んでみたのですが、これが本当に私の意図した通りの動作をするか、実のところそれを確かめる術がありません。
自宅にも職場にも、フレーム非対応のブラウザをインストールしてあるマシンがないからです。
……というオチがついてしまいましたが、これが、Internet Explorer と Netscape Navigator が de facto スタンダードになっているネットワーク社会の現状ではないでしょうか。どちらもよほど古いバージョンでない限り、フレームに対応しているはずだからです。
この両ブラウザの、実際的に使われている最も古いバージョンは、どちらも3(Internet Explorer3.01がWindows95に標準添付)だと思いますが、私の知る限りどちらもフレームには対応しています。

7月14日(金)
連日、いやになるほどの暑さが続いている新潟県ですが、今日は夜になってから夕立があって、少しだけ涼しくなりました。
その一方で、時折稲光が見えるので、パソコンを使っている最中に落雷しなければいいが、と多少の不安を覚えましたが。

先日「こみっくパーティー」が埃を被っているのを良しとしなかった事を書きましたが、実は他にも、かなりの数のゲームが「積んで」あります。
積んであるゲーム類──
総計19本(苦笑) タイトルの五十音順で、「猪名川でいこう!!」「下級生」「加奈」「Kanon」「痕」「恋姫」「こみっくパーティー」「さおりんといっしょ!!」「雫」「ToHeart」「同級生」「同級生2」「初音のないしょ!!」「PALETTE」「WHITE ALBUM」「夢幻泡影」「リフレインブルー」「ONE」、
ゲームとは違いますが「下級生SCREEN SAVER COLLECTION」、
さらにこの写真を撮った後で「ELF ALL STARS 脱衣雀」「瑠璃色の雪」が増えているのですから、見ているだけで笑いが漏れます。
私が「Kanon」を買っていることを知っている、お知り合いの方と、チャットルームで会うたびに「『Kanon』進みましたか」と尋ねられ、そのたびに「うぐぅ」(おわかりの方はおわかりですね)と答えている始末です。
この状態はさすがに芳しくない、せっかく買ったゲームなんだから楽しまなくては、と思うこの頃です。
で、この中で目下唯一自力でコンプリートしたのがリーフの「雫」なのですが、たまたま他のゲームの攻略本(- -;;;;;)に載っていた「雫」の攻略法が、私がコンプリートしたのとわずかに違っていたので、そこを確認しようと、ざっと流してみました。
結論を言えば、私の攻略記録の方が正しかったのですが、そのプレイの途中、ふと「イメージイラスト」のようなのが浮かんできました。
将来このサイトのどこかに、「雫」のページを作ることがあるとして、テキストだけではつまらないし、さりとてパッケージやゲーム画面を取り込んで使うといった、明白な著作権侵害を行ってはいけません。
そうすると残る手段はオリジナルイラストというわけですが、浮かんできたイラストというのが、
・長瀬祐介:プレートメイルをまとった戦士 ・新城沙織:レザーアーマーをまとったシーフ
・藍原瑞穂:尼僧服を着た治癒魔法師 ・月島瑠璃子:長いローブを着た魔術師 ・長瀬源一郎:王様
・太田香奈子:洗脳された王女 ・生徒会役員:露出度の高い(笑)ザコキャラ ・月島拓也:魔王
……B級ファンタジーRPGの見過ぎだってば。結局このイラストは、紙に描かれることなくボツになりました。
冗談はさておき、Aコースを(株)エルフのゲーム、Bコースをその他のメーカーのゲーム、という構成にする方針は固まりつつあります。
といってもゲームレビューや攻略法なんて、今さら私が蛇足に6本目の指を描き加えるようなことをするまでもないほど、そこら中にサイトがあるのですが……。

7月13日(木)
何か特別なニュースを耳にしたからというわけではありませんが、仕事中にふと思い出したことがありました。
帰ってきてからさっそくキーボードに向かいましたが、一週間後には過去ログ入りする運行日誌に書くには内容が重く、しかも分量も多いので、3番倉庫に入れることにしました。
私という人間がどういうことを考えているのか、もしお知りになりたい方は、事務所内、3番倉庫を覗いてみてください。
今回は題材が題材なので、もしかするとかなり物議を醸すかもしれません。少しでも情緒的になると、すぐ挑発的な暴言を乱発しかねないのも自分の短所だとわかっているので、極力抑えて書いたつもりです。というか、議論が最も鋭く対立しそうな点を、故意に避けて書いたのですが。

そうやって文章を打鍵している間にも、次回作のCGの題材がどんどん浮かんできます。7月7日は七夕だったので、それに絡めた夏向きの題材も、1つ2つ浮かんできました。
七夕となると、背景は夜空でしょう。中学高校と天文部員だった過去を持つ私としては、星空の絵には凝ってみたいところですが、白い紙に色鉛筆で星空を描くのは至難の業のようです。その辺、どうやって制作するか、いろいろ試してみようと思っています。
事務所の中身を増やすのもいいですが、サイト立ち上げ以来3ヶ月以上も「開設準備中」の札をぶら下げたままになっているAコースからFコースまでを、早いとこ開設しなければ、という気もするのですが……。

7月12日(水)
昼休みに職場から(ぉぃ)巡回してみると、昨夜12時にふりんとぶらっくさんにお贈りしたCG「アジサイの咲く頃」が、もう公開されています。
これはこちらでも早く公開しなければと、今夜の更新で公開するために、帰ってからすぐコメントの作成にかかりました。
それからもう一つ気づいたのは、7月8日に公開したつもりでいた「私本落窪物語」の第5章と第6章が、サーバにアップロードされていなかったことです。
どうしてこんなミスをしたのか全くわからないのですが、それ以上に凹んだのは、問題の2章がアップロードされていなかったことを、メールなり伝言板なりで私に知らせて下さった方が一人もいなかったことです。
「私本落窪物語」を読んで下さった方は一人もいない、とまで悲観的な見方をする必要はないと思いたいですが。
このページを見て下さった方にお願いします。サイト構成上のミス(リンク切れ、未更新など)という、誰の目にもミスであることが明らかであり、指摘を頂けばすぐに修正できるミスを発見された場合は、躊躇なさらずに指摘してください。
本来、そんな初歩的なミスをしないのが、サイト管理者の最低限の義務なのですから。

7月11日(火)
新潟県は今日も快晴です。いったい、梅雨前線はどこへ行ってしまったのでしょう?
この頃は仕事が終わってからCGの制作を進めていますが、例えば雨が降らないのに雨の日の場面を想像してCGを描こうとすると、参考資料は揃っていても、何となく気分が充分移入できないことがままあります。
なんて言っているうちはまだ初心者なのでしょう。真夏に雪景色を描き、日本にいて砂漠や極地を描き、変な言い方をしますが「見てきたような嘘を描く」のが、ある意味では本当の絵描きなのかもしれません。
今日7月11日は、先日オフ会でお会いしたふりんとぶらっくさんのサイトの開設1周年記念日です。かねてよりネット上で親しくさせていただいている方なので、1周年記念には、この前差し上げた「まほろ」とは別に何かCGを差し上げる、とオフ会の前から約束していました。
このところいろいろあってCGの制作が滞っていたのですが、これだけは記念日に間に合わせなければと、帰宅するなり修羅場モード(笑)に突入します。
その甲斐あって、深夜に至ってようやく完成したので、すぐにメールでお贈りしました。こちらでの公開は、例によってコメントを付けるのに時間がかかりそうなので、早くとも明日の更新になります。

7月10日(月)
週明けの仕事のつらさは、インターネットを趣味にする人の多くが共感するところではないかと思います。
現役の社会人たる者、そんなことを言っていてはいけないのでしょうが。
一昨日、昨日と、新作の文章についていろいろと考えるところがあったので、それから派生するような形でとりとめのない考えを打鍵して、3番倉庫に「浦島太郎とリップ・ヴァン・ウィンクル」を公開しました。
十数年前、高校の現国の授業で聞いた話を思い出して文章にするのは、やはり難しいです。

どうでもいいことですが、運行日誌の更新日を7月10日とトップページに書きましたが、実際の更新は11日です。
10日の夜、3番倉庫に雑文をアップした後、日誌を打鍵する前に何の気なしに巡回を始め、リーフのサイトで「こみっくパ〜ティ〜」の修正ファイルを見つけてダウンロードしました。このゲームも永らく「積んどく」状態にあったので、「ちょっとだけ」のつもりでゲームを始めたら、気がつくと明け方になっていたのでした。
(7月11日アップ)

7月9日(日)
昨夜「正直な与兵衛」を公開してから、行きつけのチャットルームで宣伝したところ、何人かの方が読んで下さいましたが、文章全体の核となる最後の台詞が「悲しい」という、作者としては全く意図していなかった感想を頂いてしまいました。
読んでいない方にはネタバレになってしまいますが、ご了承下さい。
感想を頂いてから、改めて読み直してみると、初めの方でつうが「私が機(はた)を織っているところを、決して見ないと約束してください」と言っていながら、最後に「どうして、私が機を織っているところを見なかったのですか」と言うのでは、明らかに矛盾というか不条理です。
それに続く台詞「お前さんが馬鹿正直に私との約束を守って〜一生を終えることになってしまったのです」をそのまま読むと、つうは与兵衛の「頭に『馬鹿』がつくほどの正直」さのために一族のもとに帰れなかった不幸を恨んでいると取れるでしょう。
作者としてはそういう意図はない、つうは我が身の不幸を恨んではいないのだということを表そうとしたのが、最後の台詞の冒頭、「私はお前さんと暮らして、幸せな一生でした」で、これは最初の構想にはなかったのです。
しかしそれでも、作者の意を尽くすことができなかったとすると、これはやはり私の菲才さです。
この際、底抜けのギャグにしてしまう方がよいのでしょうか。
そう思って、最後の台詞を全面的に書き直し、他にもわずかな手直しをした第2稿を書いてみました。

実は今日も午後まで爆睡してしまったので、「正直な与兵衛」の書き直し以外は、何もしないうちに夜になってしまいました。
どうも気が弛みすぎてしまっているようです。何とか気を奮い立たせて、やりたいことを少しでも進めるとしましょう。

7月8日(土)
昨夜、行きつけにしていたチャットルームに久しぶりにログインし、3時頃までチャットしたところ、正午まで寝てしまいました。
まあ、久しぶりに自宅で大爆睡したので、体の方は疲れを完全に落としたと言えるのですが、これでまた新規コンテンツの制作が遅れると思うと、気分的には今一つです。
と愚痴っていても始まらないので、5日の昼に思いついた創作文章を打鍵しました。それが今夜公開する、民話風短編「正直な与兵衛」です。
自分で言うのも何ですが、発想3秒、構想5分、打鍵1時間という代物です。
作者自身、本当に書きたかったのが最後の台詞で、あまり深く考えずに打鍵した作品ですから、お読みになる方も、あまり考え込まない方が正解かもしれません。

当サイトも開設から3ヶ月が過ぎましたが、アクセスカウンタの回転速度が次第に下がっている、つまりリピーターを獲得できていないような気がするのが、思い過ごしであれば幸いです。
昨夜のチャットでそのことを言うと、「初めて来た人には、大部分のコンテンツが工事中で、ほとんど何もないサイトに見えてしまうのではないか」という指摘を頂きました。
言われてみれば、案内所にあるメニュー項目13項目のうち、「ダイヤ改正」と「お客様の声」を除くと、半分以上が運行準備中です。
事務所の中に、それなりの量のコンテンツがあると自分では思っていても、初めて来た人にはそれがわからないのかもしれません。
となると、サイトの第一印象を取り繕うため、と言ってしまうと身も蓋もありませんが、それぞれのコースのトップぐらいは制作しておかなければならないでしょう。
あまり大風呂敷を広げるべきではなかったのか、という気もします。

7月7日(金)
梅雨はどこへ行ったのだろう、と不思議に思うほど新潟県内は雨が降らない日が続いていましたが、今日の夜になって雨が降り始めました。
仕事が終わってから近所の商店街を通ると、店の軒先に七夕飾りが出ています。
あいにく雨が降ってしまいましたが今夜は七夕、牽牛星と織女星の伝承に思いを馳せると、またもや、好きなゲームキャラクターを織女になぞらえたCGのアイデアが浮かんできます。
アイデアが浮かんでくれば、それをすぐにも具体化したいところですが、そこはそれ、もっと優先しなければならない事情があるので……。

昨日の日誌に書いたように、他のサイトに寄贈した作品をごみ捨て場に置いたりローカルマシンのハードディスクに埋めておいたりするのは好ましくないと思うので、昨日開設したばかりの1番倉庫別棟を改築して、作り直したCGの旧版を公開する「0号室」を設けました。
ここに公開するのは「献血パニック」から「秋の夜長によせて」までの6枚を予定していますが、差し当たっては「ごみ捨て場」にHTMLファイルが作ってある「高原の夏・友美」をごみ捨て場から移しました。
有り体に言えば、サムネイルが「Now Printing」となっている他の5枚は、HTMLファイルの作成が間に合わなかったのです。

7月6日(木)
先日上京した際にオフ会の席上で描いた、ふりんとぶらっくさん制作の「まほろ」ドールのラフ画「お帰りなさい」を、ようやくコメントを付けて公開することができました。
画像ファイルそのものは3日の夜にできあがっていたのですが(ラフ画なので修整しないことにしたため)、コメントを付けて公開するのがこんなに遅れた理由は(削除)です。
この作品をサイトに収録するに際しては、何日もかけて仕上げた他のCGと一緒に1番倉庫に並べるのはいささか不適当であり、といってお知り合いの方に差し上げた作品を「ごみ捨て場」に置くのは礼を失すること甚だしいので、1番倉庫の「別棟」という区画を新たに設け、そこに収録することにしました。
そうすると、実は問題が生じてきます。というのは現在1番倉庫に収録されている私の作品のうち、1999年に制作した作品の大半は、最近になってスキャンし直しています。その中でも特に旧版と新版の差が著しいのが「高原の夏・友美」で、ほとんど別の作品になってしまったので、旧版をごみ捨て場に置いています。
ところが「同級生FanPage」に寄贈したのは、旧版の方です。
つまり他の方に差し上げた物をごみ捨て場に置いているわけで、これはこのままにしてはおけません。
本当なら、新版を制作した時点で新版を旧版の寄贈先にお贈りして、新版に差し替えていただくか、でなければ寄贈作品の作り直しは行わないか、それが正しいやり方なのかもしれません。
「同級生FanPage」は目下移転中で寄贈作品ギャラリーは閉鎖していますが、私の取るべき処置としては少なくとも、寄贈作品はごみ捨て場からは引き上げるべきでしょう。
ということで、この次の更新はその作業です。ああ、これでまた新規制作が遅れる……。

7月5日(水)
先週からずっと、新潟県は晴天続きでした。梅雨入り宣言が出されたのはいつだったか失念しましたが、その後まとまった雨が降った様子はありません(私が上京していた間も)。
こんな天気だと、いくら北陸地方では冬の間に山に積もった雪が自然のダムとして機能すると言われていても、真夏8月に水不足にならないだろうかと心配です。
今日は、ずいぶん久しぶりに雨雲が空を覆いましたが、それでも雨は降りません。

相変わらず夜は(中略)、その状態も今日、ウェブ日誌の打鍵がやっと追いついたことで少しは緩和される希望が持てるという状態なのですが、今日の昼間、ふと文章のアイデアを思いつきました。
もちろんウェブ日誌ではなくて、ちゃんとした創作文章系のコンテンツです。
ただ、ゲームの二次創作小説ではないのですが。
変に気を持たせていないで、今度の週末にでもさっさと打鍵して、公開することにしましょう。

7月4日(火)
紙日記とウェブ日誌に時間を取られて、サイトの更新が思うに任せない、という愚痴はもう聞き飽きたと思うので、今後は書かないことにします。

昼間、職場の敷地内に蛇が出たといって、女性ばかりか大の男まで騒ぎ始めました。
私は普通の人と感覚が違っているのか、爬虫類や両生類は少しも苦手ではありません。むしろ犬の方が苦手です。それはごく小さい頃のトラウマがあるのではないかと思うのですが、とにかく私が何もしなくても私に必ず咬みつこうとする、世の中の全ての犬より、絶対に咬みつかないカエルや、こちらから手出ししない限り咬みつかない蛇の方が、外見がどうであれはるかに親しみやすい相手です。
とにかく私は、今まで何回か蛇を素手で捕まえたことがあり、どうやって捕まえれば安全かはわかっているし、職場の人たちもその事をよく知っているので、今度も蛇を処置してくれるよう私に声がかかり、声援を背にその蛇、1メートル弱のシマヘビでしたが、それを捕まえようとしたところが、久しぶりのことで腕が鈍っていたのか、ちょっともたついた間に手を咬まれてしまいました。
もちろんシマヘビは毒を持っていないと知っていますから、何の不安もなく、少しも怯まずに蛇を掴み直します。蛇は、首根っこさえ掴んでしまえば、咬まれる恐れはなくなります(もちろん、もう片手で胴体か尾を掴んでおく必要はあります)。
捕まえて無力化したところで、やはり要らざる殺生はしたくなかったので、敷地の外に逃がしてやりました。その際、「お前(蛇)が人間を嫌いでなくても、大多数の人間はお前を嫌いなんだから、命が惜しかったら人間の前に出ないようにしろよ」と言い聞かせてやりました。この蛇がもう一度人間に捕まった時、捕まえた人間が、私のように殺生をためらう心を持った人間である保証はありませんから。
(7月5日アップ)

7月3日(月)
やっと帰ってきて、やっとサイトの更新ができる状態になりましたが、ウェブ日誌の打鍵はなかなか追いつきません。
しかも今回の上京中は、紙日記の記帳まで最大4日遅れ(6月30日分を7月4日に記入)という有様だったので、夜帰宅してから寝るまでの時間はもっぱらその2つに費やされてしまって、CGの制作や新しい文章作品の打鍵といった、本当にやりたいことは全然できません。
ウェブ日誌の打鍵が、こんなに負担になるものなら……とまで思い始めた時、それを後押しするようなメールが届いているのに気づきました。
私がCGを寄贈したこともある「R's Castles」が、更新がままならなくなったため閉鎖する、というメールです。
不思議なもので、お知り合いの人がサイトを閉鎖すると聞くと、「自分のサイトは閉鎖しないぞ」という気がにわかに湧き起こってきます。
サイトの維持をどのように行うか、それはそれぞれのサイト管理者の考え方次第ですから、Rさんがサイトの閉鎖に踏み切ったことに対して私が文句を付ける資格はありません。
でも、新しいコンテンツを作れなくなったからといって、それまでに作ったコンテンツまで私たちの手の届くところから消し去ってしまうのは、思い留まってもらえなかったものだろうか、という気がしてなりません。
もっとも私自身、AコースからFコースまでの、完成の暁には相当の分量になりそうなコンテンツの計画がありながら、その制作が実現するめどは全く立たず、そんな「開設予定コンテンツ」の山を抱えていながら、それを断念するつもりはありません。その一方で、開設の見込みが立たないと言って「危険物取扱所」を予告なしに廃止してしまったのですから、行動が首尾一貫していない、というそしりを免れることはできないでしょう。
ともあれ、R's Castlesへのリンクの解除を行い、その他、6月に実施したダイヤ改正の分離、6月分の伝言板ログの編集といったルーチンワーク的な更新を行ってから、先日のオフ会の席上で描いた「まほろドール」のラフ画をスキャンして、ふりんとぶらっくさんにメールでお贈りしました。
(7月5日アップ)

7月2日(日)
昼過ぎまで実家で何となく過ごし、帰途に就きましたが、もちろん一直線に帰るわけでもありません。
まず、今日皇居で行われている、皇太后陛下の殯宮一般拝礼に参列しようと思って、東京駅から皇居へ向かいます。
実はちょうど半年前の1月2日にも、新年一般参賀に参列したことがあって、その時は立錐の余地もない混雑と喧騒だったのですが、今度は閉門時刻間際だったために人もまばらで、それに事が事ですから、宮殿東庭は静まり返っていました。
皇居から退出しようとした時、何とも折悪しく傘を持っていなかったその時、雨が降り出しました。
雨宿りすることは全く考えず、東京駅へ通じる地下街の入り口まで急いで、地下街で折り畳み傘を買って、予定外の支出を強いられたので電車賃を節約するために神田まで歩こうと地上へ出ると、雨が止んでいます。
私は時々、もし自然という物に意志があるとしたらそれは人間を愚弄し嘲笑する意志に違いないと感じることがありますが、今日という今日この時こそ、30年の生涯のうちでも五指に入るほど強烈に、それを感じました。
といってそこで天に唾しても始まりませんから、傘を買ったのは雨よけのお守りを買ったのだと思うことにして、神田まで歩きます。
神田で、私のお知り合いの人たちの間で秘かなブームになっている、コミック「まほろまてぃっく」の新刊を買い、引き続き秋葉原まで歩いてボークス秋葉原ショールームを覗いたり、石丸電気でクラシックのCDを物色したりします。しかし今回は、クレジットカードを取り出すほどの大散財をやらかした前回の秋葉原めぐりから1ヶ月しか経っていませんから、それほど買い込む物はありませんでした。
秋葉原は新宿や渋谷と違って、夜8時になると開いている店はほとんどありません。それで秋葉原めぐりを終えてから、夜行高速バスで帰るまでの間には、山手線での時間調整が必要になってくるのです。
上越新幹線で夜8時に東京を後にすれば、その日のうちに帰ってくることもできるのですが、それをしないでいつも夜行高速バスで朝帰りしているのは、一にかかって高速バスが新幹線より安いからです。
その結果、月曜日の朝、寝不足状態で出勤することになるのがわかりきっているのですから、やはりこれは確信犯です。
(7月5日アップ)

7月1日(土)
それにしても運行日誌の更新が、こんなに遅れてしまうとは。
朝7時過ぎに起きてチェックアウトし、渋谷駅でガンさんとお別れして、一直線に実家へ向かい、実家に着いたのは9時でした。法事が11時からで、10時に実家を出て斎場に向かうので、この日の朝私の住居を出たのでは間に合わないから前泊することにしてあったのに、時間ぎりぎりに二日酔いで朝帰りするに等しい体たらくですから、両親はあきれていたようです。
祖父が亡くなったのが平成6年の6月20日、祖母が亡くなったのが平成10年の7月20日でした。そのため葬式も法事も、満中陰以外は梅雨時に当たっているのですが、本当に不思議なほど、どの時も晴れます。今日も快晴で暑い一日でした。
法事が終わり、精進落としも済んで、遠くから来た親戚は三々五々帰途に就き、私たち一家が実家に戻ってきてしばらくした頃、地震がありました。
神奈川県に住んでいた者には、小さな地震は珍しくないのですが、この地震の震源地は伊豆諸島神津島の近くで、神津島では震度6弱という大揺れだったようです。
すぐ近くの三宅島で火山が噴火している最中でしたから、震源の深さからして火山性地震ではなく、神津島では過去1000年以上火山の噴火が起こっていないとしても、やはり伊豆諸島全域で、地殻変動が盛んになっているのでしょうか。

サイトを立ち上げて以来、月が変わる時には前月の伝言板ログやダイヤ改正の記録を編集することにしているのですが、今回ばかりはFTPの使えない場所にいるのでそうもいきません。
そればかりか一人暮らししている今の住居と違って、親兄弟のいる実家では、テレホタイムにネットに接続するのも気が引けて、伝言板のカキコへのレス付けもしないままになってしまいました。
サイト管理者として、あまり芳しくない状態だとは承知しているつもりですが。
(7月4日アップ)

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