2002年3月前半の日記 |
---|
←3月後半の日記へ ↑2002年の日記へ 2月後半の日記へ→ |
3月15日(金)
今夜の更新は、昨夜予定した通り、リンクページ以外のページから「お昼寝宮」へ張られているリンクを削除することです。もっとも、ただリンクを削除するだけではなくて、お昼寝宮の閉鎖に伴うものであることを一筆添えておきます。お昼寝宮へリンクのあったページを数えてみると、いただいたSS(2号館)が1本、お贈りしたイラスト(3号館)が5枚、さらに天巡 暦さんがお昼寝宮に寄贈されたSS「春雨相似夜話『紅環』」の関連で2ヶ所、なりぽしさんにお贈りしたイラストのページにも1ヶ所ありました。改めて、すさんに長く深くお付き合いさせていただいたことを感謝したい気持ちでいっぱいです。 なお、2号館と3号館の修正は修正箇所が多いのと、作品そのものの本質的な更新ではないので、該当ページにはその旨を記載しますが「展示替え」には記載しないことにします。 また、2号館と3号館だけでなく、この日記からも お昼寝宮にリンクが張ってある箇所が若干ありますが、それは修正しないままにしておきます。 (3月18日アップ) |
「お昼寝宮」の閉鎖は14日の夜、正確には15日の午前0時を期して行われると、13日のうちにすさんから、お昼寝宮の掲示板上で告知がなされていました。
そこで私は14日の午後11時になると、日記の更新は13日の分までで中断して、かつて幾度となくここで すさんたちと時の過ぎるのを忘れて語り合った、「そこつやの館」内の「けんたろうチャット」へ行きました。すると、すさんとは特に縁浅からぬ関係だったなりぽしさんが一足先に入室しています。 けんたろうチャットは なりぽしさんが初めてチャットをしたチャットルームであったこと、私もここへ出入りするようになってからネット上の交友範囲が格段に広がったことなど話しているうちに、すさんが来ました。それから午前0時までの間に、けんたろうチャットの常連だった方々、H.Saitouさん、はわいこなさん、ゼロさん、天巡 暦さん、鬼虎さん、ガンさん(入室順)が続々と集まって、けんたろうチャットには久しくなかったほどの賑わいとなりました。 そして午前0時をもって「お昼寝宮」は閉鎖されました。
閉鎖作業が終わった後も、tomiさん、じんとにっくさん、ふりんとぶらっくさんが来ました。今夜ここに集まった方の中には、私がチャットルームでお話しするのは数ヶ月ぶりという方もいて、旧交を温めながらのチャットは大いに盛り上がり、散会になったのは午前2時を過ぎていました。翌日は平日なのに、これだけの人たちが集まって、サイト閉鎖の瞬間に立ち会い、サイト運営の労をねぎらっては、今後も変わらぬ友誼を約束していく。予告なしの閉鎖ではなく、前々から告知していたということもありますが、こういった友人をたくさん持てたことは、すさんの人徳の現れと言ってもよいでしょう。 それに、サイトの運営は止めてしまっても、ネット活動から撤退してしまわれるわけではなく、今後は投稿SS作家として活動を続けていく──そもそも すさんは、お昼寝宮開設以前には「ひかりのつるぎ」(昔は「Love is All」「みゃあのお家」といったサイト名でしたが、変転を繰り返してこのサイト名に落ち着いたようです)の常連の投稿者でしたから、ある意味では「昔に戻る」のかもしれません──ということですから、私たちとしても「さようなら」ではなくて「これからもよろしく」という言葉を贈りたいです。さすがに「これからはサイト運営がないんだから、未完の連載SSを早く完結させてくださいね」とは言わないでおきますが。 チャットをしながら、差し当たってはリンクページを修正し、午前2時前にサーバへ送信しておきました。2号館と3号館にある、すさんからいただいたSSと すさんにお贈りしたイラストのページも修正するつもりですが、それは明晩の作業にします。 (3月18日アップ) |
3月12日(火)〜13日(水)
冬季オリンピックに合わせて公開することを狙っていながら、その内容は観光案内よりもスーパーマーケットのレポートみたいになっていて、ですからどれくらいの方が興味深く読んで下さったか皆目見当がつかない「ソルトレイクシティ訪問記」ですが、アメリカでの値段を調べてくるのを忘れた生鮮食料品のことは今となってはどうしようもないとしても、日本での野菜の値段についてはもっと詳細な調査ができる(アメリカでは野菜の値段はたいてい1ポンド何ドルという表し方をしていますが、日本では1個何円という表し方をしているので、特にリンゴのようにアメリカと日本で売っている物の1個の重さが相当違う物は、日本で売っているのを実際に買って1個の重さを量ってみないと正確な比較ができない)はずなので、12日の夕方、八百屋とスーパーへ食材を買い出しに行くついでに、リンゴといくつかの野菜を買ってみました。実は昨年の秋から今までの間に、リンゴを買ったのはこれが初めてだったりします。いったいふだん、何を食べているのかと思われるでしょうが、食後のデザートに2回食べればなくなってしまうリンゴ1個と、鍋にすれば10回分になり漬物にすれば食べ切るのに1ヶ月要する白菜大1個、あるいはお好み焼き10枚分になるキャベツ大1個とが同じ値段だとなると、どうしてもリンゴよりは白菜やキャベツを買ってしまうのですよ。ミカンはもっと安いですが、これはこれで皮というゴミが出るので、芯まで食べることができて捨てる物のない野菜に比べると、あまり買う気になれません。 それはさておき、日本で売っているリンゴといくつかの野菜の、1個の重さがわかったので、それに基づいてソルトレイクシティ訪問記、もっと正確には「アメリカのスーパーマーケット〜食料品売場」の脚注を補足します。 それから日記を更新したり、TOPページに設けた、サーバのメンテナンスについてのお知らせを更新したりします。 目の前に迫ったあのことについては、もう間に合いそうにないので諦めました。 (3月14日アップ) |
3月11日(月)
「お昼寝宮」の閉鎖は刻一刻と近づいてきますが、それまでに何か、「長い間お疲れ様でした。でもこれからもお付き合いしてくださいね」の意味を込めて制作したいと思っても、すでに優れたCGとSSが寄贈され、それに加えて10日付でなりぽしさんのSSが寄贈されているのを見ると
だーーっ、ダメだダメだっ、愚痴と自虐と卑下を日記に書いてはいかんっ!!
古いお付き合いの方のサイトが幕を引くのと時を同じくして、新しいお付き合いの方からサイトの絆を深める物をいただきました。「なちゅらりすと」管理者の藤咲はじのさんから、相互リンク記念CGです。今日の更新では、それを公開することにします。 当サイトの20000アクセス記念にCGをいただいた後、これを機会にと相互リンクを申し出たら、相互リンク記念CGまで描いて下さるというので、「ドラゴンナイト4」で私がいちばん気に入ったネレイドをリクエストしたのです。 はじのさんはドラゴンナイト4はコンプリートされていますが、お気に入りのキャラはナターシャ・ジーナ(やっぱり…)・マルレーネとホームページに書いてあったのが、ちょっと気になっていましたが、先月24日に なちゅらりすとのチャットルームで、駄目もとでネレイドをリクエストしたら、なんと「(ネレイドを)描きたかった」というのです。 それで、まさかこんなに早くいただけるとは思ってもいなかったほど早く、完成されたのでしょう。 さてそうなると私も、先月からソルトレイクシティ訪問記にかかりきりだったこともあって、もう2ヶ月も絵を描いていませんし、ここらで一つ……ということを考え始めます。 もうそろそろ、サイト開設2周年が迫ってきましたし。 (3月13日アップ) |
当サイトからリンクさせていただいている、すさんが管理される「お昼寝宮」は、最近では数少なくなった「同級生2」SSサイトですが、開設3周年にあたる今年の3月14日をもって閉鎖されると、年明けと同時に告知されていました。 お知り合いの方々が慰留に努められたことと思いますが、すさんの決心は変わらず、今はバナーも「3月15日をもって閉鎖させていただきます。永らくのご愛顧、ありがとうございました。」の告知文に差し替えられています。 すさんの決意が固いとわかってから、なりぽしさんが制作を急いで寄贈されたCGが今、お昼寝宮のトップを飾っています。1日の夜のチャットでは、こんなやり取りがありました。(ログから抜粋) |
そうして なりぽしさんが お昼寝宮に寄贈され、3日に公開されたCGは、まさに お昼寝宮の幕引きにふさわしい力作でした。
チャット中には冗談半分のような発言をされていたはわいこなさん(この方も、すさん・なりぽしさんとはご縁の浅からざる方です)も、いくらも間を置かずSSを寄贈。天巡 暦さんの寄贈SSとともに、7日に公開されました。 そんな中で、何となく肩身の狭い思いをしながら9日の夜、「麗子となりぽしの部屋」のチャットルームに行くと、なりぽしさんがSSを書いている様子。もしや……と思ったのが、やがて現実になりました。 愚痴めいた文章、自虐的な文章は、読む方にとっては決して楽しいものではありませんから、これ以上は書きません。 (3月13日アップ) |
今日は長岡市へ行きます。長岡市にある県立近代美術館で午後からサロンコンサート(入場無料)があるので、それを聴きに行くのが第一の用件になりますが、長岡市には土曜日に成分献血できる献血ルームがあるので、午前中に献血を済ませておこうと、朝から出かけました。
献血している間、ベッドの横にある小さいテレビをつけて視ていると、パラリンピックの特集番組をやっていました。 先頃閉幕したソルトレイクシティオリンピック、日本選手団はあまり成績が振るわなかったようで、パラリンピックのほうがメダル獲得が有望だというのも変な話ですが、長野オリンピックの頃からパラリンピックに対する国民的関心が高まってきていること自体は、決して悪いことではないと思います。 番組ではパラリンピック用の道具の紹介をしていて、両足機能障碍の選手がアルペンスキーで使うチェアスキー、下肢機能障碍の選手がクロスカントリースキーで使うシットスキー、アイススレッジホッケーの道具といったところを紹介していました。 チェアスキーの実物は、一昨年の2月に新潟県内のスキー場でそれを使っている人を見かけましたが、1枚のスキー板と両手にストックの代わりに持つアウトリガーで、初心者向けとは言えない傾斜のゲレンデを滑っていたのを覚えています。さすがにリフトに乗る際には、介助者の手を借りていましたが。 テレビを視ていて「え゛っ」と声が出そうになったのは、片足機能障碍の選手がアルペンスキーに出る時で、健康な足に普通のスキー板を1枚だけつけて、滑降や回転をやるのです。健常者がそのへんのスキー場で真似をしたら、大喝采を浴びるか袋叩きに遭うかしそうですが、我流自称中級者の私には、できる自信はありません。 番組にゲスト出演していた、シドニーパラリンピックに参加した選手の人が「頑張ってとは言わない、楽しんできて」とコメントしていました。 何となく、わかる気がします。障碍者がパラリンピックに選手として出場するためには、健常者がオリンピックに出場する以上に「頑張って」トレーニングをする必要があると思いますが(もちろん、健常者がオリンピックに出場するために大変なトレーニングをしていることを軽んじるつもりはありませんが)、パラリンピックに出場するくらいの重度障碍者の方たちは、生きていることそのものが、健常者の称賛に値する「頑張り」だと思うのです。 サロンコンサートの会場で偶然、前の職場にいた時の同僚に会いました。私は自家用車を持っていないので高速バスで長岡へ来ましたが、車で来た彼は、またもや私のアパートを見たいような様子なので、帰りのバス代を浮かす好機と、彼を口車に乗せて彼の車に乗って帰ってきました。 その途中で今日のコンサートのことが話題になったので、こんなことを話してきました。 今日のコンサートは近代美術館の催しの一部というような形で無料でしたが、普通のコンサートは、クラシックであれポピュラーであれ有料です。その料金はクラシックの場合、アマチュア合奏団でも1000円くらい、海外のオペラの来日公演ともなれば万単位です。ポピュラーの相場はよく知りませんが、一例として「WHITE ALBUM」の森川由綺のソロライブ(どういう例だ)なら数千円でしょうか。 ところで最近、レンタルショップで音楽CDを借りて、パソコンでCD-Rに焼く、あるいはMP3にしてハードディスクに落とすことがあまりにも横行していて、そのせいでCDの売れ行きが落ちているといわれています。そしてそれに対抗して、普通のCDプレイヤーでは再生できるがパソコンのCD-ROMドライブでは再生できないようにしたCDが発売されると聞いています。 音楽CD1枚の値段は、国産の新譜だと3000円くらいです。それをレンタルで借りてきてCD-Rに焼けば、CD-Rメディアは1枚100円くらいですから、レンタル代にドライブの減価償却費まで計算に入れても数百円で済むわけです。それならレンタルCDをCD-Rに焼ける環境にある人がCDを買わなくなるのはうなずけないでもないのですが、その差額が惜しくてCDを買わずにレンタルして焼いている人が皆、「少しでも安い費用で音楽を聴きたい」とだけ思っているのか、となると、そうでもないでしょう。 何十回でも聴けるCDを、3000円出して買う代わりにレンタルして焼いて数百円で済ませようとしている人の中には、CDを買うのと同じくらいの、あるいはもっと高い金を出してライブコンサートを聴きに行っている人がいるのは事実です。私を車に乗せた元同僚がそうでしたから。 そういう人たちがライブコンサートには行くけれどCDを買おうとはしないのは、つまり、ライブコンサートには数千円を払うに値する付加価値があると認めるのに、CD-Rではない真正のCDには3000円を払うに値する付加価値を認められない、ということになるのでしょう。 考えてみれば私だって、どんなに話題になった映画でも映画館へ観に行こうとは思いません。映画の場合は音楽CDと違って、映画館へ観に行くほうがビデオやLD──がまず出てくるのは私の頭が古い証拠ですな。最近はDVDですね──を買うより安いのですが、それでも「そのうちテレビで放送したらビデオに録ろう」とは思いますが、映画館へ観に行こうとは思いません。 テレビ・ラジオ・インターネット・CD・DVD、いや そもそもは実写映画、もっと古くは写真、さらに遡れば印刷術の発明に至るまで、科学技術文明の発達が「芸術をライブでなしに鑑賞可能にすること」に果たしてきた役割は はなはだ大きなものがありますが、その中にあって、音楽・演劇ならライブ、映画なら映画館、造形芸術なら美術館、そういった「生で・本物を鑑賞すること」にどれだけ付加価値を持たせられるか、アーティストの真価が問われるのではないかと思います。 パソコンのCD-ROMドライブで再生できないCDについて、初めて知ったのは「ちゆ」(バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳)の、「昔のちゆニュース」平成14年1月5日の記事でした。その記事の終わり近くに、こういうくだりがあります。
決して、著作権というものを軽く見ているわけではありません。
言い回しにちょっと癖がありますが、「むかしの音楽家さんが著作権以外の方法でご飯を食べていた」というのは事実です。どうも私が音楽の話をするとクラシックに偏ってしまうのですが、レコードの市場が成立する前、19世紀末までのヨーロッパでは、音楽家が生計を立てていく手段はライブ演奏しかなかったのです。19世紀、ベートーヴェンの頃になると、楽譜の印税でそれなりの収入が得られるようになりましたが、それより前、著作権という意識がなかった時代には、楽譜の印税で生計を立てることはできなかったと思います。裕福な市民を対象にコンサートをやるか(モーツァルトあたりがその先駆け)、宮廷楽師として仕えるか教会のオルガニストになるか、あるいはそれこそ広場で大道芸をやるか、いずれにしてもライブ演奏をしなければ生活できなかったのです。
しかし、音楽に関しては、著作権は「レコードなどの複製メディアが登場してから、パソコンとインターネットが普及するまでの間に有効だった手段」なのではないかと思います。 しょせん音楽著作権というビジネスモデルが成立していたのは、ここ数十年に過ぎません。 むかしの音楽家さんが著作権以外の方法でご飯を食べていたように、現在の音楽家さんがご飯を食べていけるための新しいビジネスモデルが、そろそろ出てくる時期だと思います。 (太字の部分は元の記事通り) (3月13日アップ) |
3月8日(金)
また日記の更新が遅れていますが、サイトを運営する意欲が衰えたわけではなくて、頂き物の公開やサーバのメンテナンスのお知らせなど、自分内で優先順位の高い更新は やっています。
先日申し込んだフレッツADSLについてNTTから連絡があり、局内設備に必要な部品が払底していて、今申し込みを受けつけても開通は4月になるということでした。 申し込む際にホームページで調べてみたところ、新潟県内では、8MbpsのADSLは新潟市のみ4月25日から提供開始予定、1.5Mbpsは県内全市で提供中ということだったので、県内全体としては申し込み殺到の山は越えたかと思っていたのですが、そうでもなかったようです。 そうしているところへNTTからまた別のDMが来て、市内と県内市外をNTTにマイラインプラスで登録するとフレッツ(ADSLとISDN)の料金が1割引になると知らせてきました。 昨年マイラインを登録した時には、特に何も考えずに市内から国際まで日本テレコムにマイラインプラスで登録してあったのですが、自分の電話使用の実態を念頭に置いて、以下のようにシミュレートしてみます。 ・まず市内と県内市外をNTTのマイラインプラスに替える。
今のところ国際電話をかける相手はいないので、県外の割引サービスの内容について、日本テレコムの局番割引SuperとNTTコミュニケーションズのシャベリッチをホームページで比較してみると、日本テレコムが躍起になって宣伝しているように、日本テレコムのほうが少し有利なように見えましたが、私の電話使用実態ではまず差が出そうにないことがわかりました。・次に日本テレコムの市外通話料金割引サービス「局番割引Super」を解約する。 局番割引Superは、県内市外・県外・国際の3区分ともマイラインプラスで登録した場合に限り月額基本料金200円が無料になるので、マイラインプラスを登録したのと一緒に契約していましたが、県内市外をNTTに替えると基本料金を取られます。
・局番割引Superに代わる、県外と国際の割引サービス(マイラインプラスとセットにすると基本料金無料の)がほしいので、県外と国際をNTTコミュニケーションズのマイラインプラスに替える。そうだとすればフレッツISDNの料金月額2800円が1割引になるほうが、マイライン変更料金の800円も3ヶ月で元が取れるから、長期的には明らかに有利だと判断して、上にシミュレートしたように切り替えることにしました。 そもそも私の電話使用実態というのが、家族・親戚・友人との連絡にはもっぱらメールを使っているので、マイラインを登録して以来「日本テレコムから請求書の来ない月のほうが多い」くらいです。32歳の社会人でありながら携帯電話も持っていませんし。 (3月12日アップ) |
3月4日(月)〜7日(木)
週明けからは毎晩、5号館3号室の「ソルトレイクシティ訪問記」を公開するための作業に没頭してきました。その甲斐あって3月6日の夜に一応公開することができ、これでオリンピックが始まる前からの懸案事項が一つ片づきました。そうはいっても、やっぱりオリンピックの閉幕に間に合わなかったのは心残りです。本文は「沖縄訪問記」の時と同じで、ソルトレイクシティを訪れた後で実家宛に出した手紙をほぼそのままHTML化しただけなのですが、銀塩カメラで撮ってアルバムに貼ってある写真をスキャンする作業は、スキャナがけっこうな音を立てるので午前0時を回ってからやるのは何となく気が引けましたし、当時は充分な裏付け調査をせずに書いていた文章に、インターネットで検索して裏付け調査をしながら脚注をつけていくと、これもけっこう時間がかかりました。 そうやって公開した文章は、私自身がいちばん力を入れて書いたのがソルトレイクシティ観光案内よりも「アメリカのスーパーマーケット」だったのですから、たいていの方にはあまり興味のない文章が大部分を占めているかもしれません。 脚注で少し触れていますが、実は本文のもとになった手紙は「ソルトレイクシティ訪問記 第1信」でした。この後に続けて、州直営の酒類販売所の話、スーパーマーケットの食料品売場以外の売場の話、ゲームソフトの話、鉄道の話、帰りの飛行機で起こった出来事、後日談といったところを「第2信」として書き送るつもりだったのですが、第1信を書くのに日数がかかりすぎただけでなく、年末(ソルトレイクシティへ行ったのは1999年の10月末から11月初め)に帰省した時にアルバムを持っていって一通りの話をしてしまったので、その後で今さら第2信でもなくなって、書かずじまいになってしまったのでした。 でも実家の家族に見せた写真、聞かせた話は、当サイトの5号館ではまだ公開していません(逆に当サイトで公開しているコンテンツは実家の家族には見せていませんし、サイトを持っていることすら知らせていません)。ですから今後は暇をみて、それらを5号館3号室に追加していくことにします。 それから5号館全体の構成は、今まで1号室が雑文一般、2号室が沖縄訪問記、3号室が準備中でしたが、ソルトレイクシティ訪問記を3号室に納めたことにより、次に公開したいコンテンツを納める予定の場所として4号室を設けることにしました。 公開したいコンテンツは、いろいろあります。サイトの大幅縮小に踏み切ってから1年を経た今でも、当サイトのメインコンテンツは、頂き物を別にすれば「イラスト(3号館)・小説(4号館)・雑文(5号館)」の3本柱とする方針は変わっていませんから。 (ここの管理者は、どうあっても日記がメインコンテンツであることを認めたくないらしい)
(3月7日アップ) |
この前の週末は2日続けて新潟市へ出かけていたので、洗濯や部屋の掃除、あるいは図書館へ新聞を読みに行くといった用事が、今週末には2週間分溜まっています。昼間はそれを片づけながら、夜は夜とて夜半前は「ドラゴンナイト4」をプレイして、夜半後は午前3時4時までチャットして、これでは日記の更新が遅れるわけですが、それはもう気にしないことにしました。
それよりもソルトレイクシティオリンピック──開幕していたことを連休明けに出勤するまで知らなかったあの後も、何だかんだで新聞局やテレビ局のサイトへろくにアクセスしなかったので、2日までの分の新聞を3日に読み終わるまで、いつ閉幕していたのかも知らないままだったという、3週間前と同じことを繰り返してしまいました。 長野オリンピックに比べて日本選手団の成績が精彩を欠いただけでなく、フィギュアスケートの審判に際して不正が行われたと言われたり、ショートトラックで有力選手の失格が相次いで騒ぎになったり、しまいにドーピング検査でメダル剥奪が何人も出たりと、ずいぶん味噌のついてしまったオリンピックでしたが、オリンピックが閉幕して世間の関心がソルトレイクシティから遠ざかってしまう前に公開したかったコンテンツがあるので、当面はそれの公開を急ぐことにします。 (3月4日アップ) |
ページのトップへ戻る |
---|
←3月後半の日記へ ↑2002年の日記へ 2月後半の日記へ→ |