2003年3月後半の日記
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3月31日(月)
今日は帰宅するとすぐ、昨日から取りかかっているCGの制作に専念したので、夜あまり遅くならないうちに完成させることができました。もっとも背景に「生活感のある部屋」を使いたいと思い、私が住んでいるアパートの部屋をちょっとだけ片づけてデジカメで撮ろうとしたところが、デジカメが故障したらしくて何も写らず、結局いつものように色鉛筆でざっと描くことになる、という一件がありましたが。
それからメールチェックすると、夕凪さんからメールが届いていました。29日の夜に行きつけのチャットルームで夕凪さんとチャットしていた折、夕凪さんが「あゆSSがあるんですけど……」と発言されたので、よかったら見せてもらえませんか、と駄目もとでお願いしたら、送ってくださったのでした。
チャットで話題になった時には、夕凪さんはいつになく謙遜していたのですが、今までに頂いた作品と比べても決して遜色なく書かれていましたし、しかも「時期ネタ」つまりエイプリルフールを題材にしてありました。
これはもし当サイトの開設3周年記念寄贈SSとして公開させていただけるなら、こんなにありがたい話はないと思って、すぐさま夕凪さんにメールを出して、当サイトでの公開許可をお願いしました。
それからいよいよ突貫作業に入ります。まず3周年の当日までには必ずやると決めていた掲示板の移転ですが、どうしてか私という人間は、こういう土壇場に限って、BBSの名前を「ゲストブック」から「掲示板」に変えよう、なんてことを思いついてしまうものです。
ゲストブックと掲示板がどう違うかなんて、普通はBBSを設置しているサイト管理者でもあまり気に留めないだろうと思うのですが、ゲストブックというのはニュアンス的に「芳名帳」というのでしょうか、初めてそこへ来た人が書き込んでいくために設置してあるBBS、なんかそんなイメージがあって、常連の人が何でも気軽に書き込んでいくBBSとは違う、それで当サイトのBBSはこのところ、アクセス数のわりには書き込みが少ないのではないだろうか、などと考えていたわけです。当サイトが800Toursとして開設してからGallery800にサイト名を改めるまでは、BBSの名前を駅の待合室などにあるような「伝言板」としていたのですから、こんな事一つをとっても、腰が定まらないというか、迷走している気がします。
掲示板の移転が済んでから、新作CGを公開する準備にかかります。いつものコメント打鍵と、それから期間限定でトップページに出す画像(今年も4月1日は平日なので、この画像をトップページに置いておくのは、昨年と同様1週間くらいを予定しています)を作り、それらの更新を終えたのは午前1時を過ぎていました。
(4月1日アップ)

3月30日(日)
掲示板の設置作業にほぼ目処がついたので、かねてより考えていた次の作業、すなわち新しいCGの制作に取りかかることにします。
最近の作品「日常と非日常」を公開してから1ヶ月半という間隔は、制作活動の好不調の波が激しい私としては決して長すぎる方ではないのですが、いかんせん前作の題材は「豪雪」でしたから、3月の末にもなって、新潟県でも里では雪がすっかり消えたというのに、いつまでもサイトのトップにそれを展示したままにしておくのもどうかと思うわけです。
それに4月1日で当サイトは開設から満3年を迎えます。それに合わせて贈り物を頂くのは本当にありがたいことですが、頂くばかりでなくて管理者としても何か制作したいですし、そして開設の日がエイプリルフールと重なっている当サイトとしては、今年も昨年と同じように、訪れる方々をエイプリルフールで担いでみたい、という下心があります。
それで実際にCGの制作を始めるよりずっと前から、最初に思い立ったのはそれこそ昨年でしたが、題名と、どういう風にミスディレクションするかを考えていたわけです。昨年のエイプリルフールは、悪ふざけしたわりにはミスディレクション不足だったと、その直後に感じたものでしたが、今年はもう少しうまくやりたいものです。何といっても今や当サイトは「18禁アリ」になったわけですから。
──とはいうものの肝心のネタ自体が、相当のオールドゲーマーでないとわからない可能性が大きいのですが。
(4月1日アップ)

3月29日(土)
先日から取りかかっていた掲示板の設置作業は29日の夜までにほぼ終わり、Netscape Navigator4.7で見てもレイアウトが崩れないようになりました。そして29日の深夜から30日の未明にかけて、チャットルームに居合わせたお知り合いの人に協力を頂いて、私が意図した通りに動作するかのチェックを行ないました。
新しく設置することにした掲示板は、フリーのCGI配布サイトとしてつとに有名な「KENT WEB」で配布している「LIGHT BOARD」を改造して、「FTN−フリートークネットワーク」で配布している「Light-x」です。
KENT WEBで配布されている掲示板CGIで有名なのは、私の巡回先サイトでもよく見かける YY-BOARD(アイコン付きレス式掲示板)と プチ☆ボード(アイコンなし1行レス式掲示板)かと思います。
1行レス式は、巡回先で書き込んだ時にちょっと使いにくいと感じたことがあったので採用しませんでした。アイコン付き掲示板は、配布元で「1番人気」と誇るだけあって広く利用されているようですが、いざ自分のサイトで使うことを考えると──
──アイコンのラインナップによっては、凄絶に「寒い」掲示板になってしまう恐れがありました。
よほど血迷わない限りこんな事はしないと思いますが、もし当サイトの掲示板のアイコンが、水野友美10種類、その他「同級生2」の各キャラ1〜2種類ずつ、というラインナップだったとしたら、どうですか? 「Kanon」や「ToHeart」のCGを検索して当サイトに来た一見の人が、掲示板に何か感想でも書こうと思ったとしても、アイコン一覧を見て逃げ出すかもしれません。
そういうわけで、あまり奇を衒ったことはせず、必要最低限の機能が備わっていればあとは Simple is Best ということで、まずLIGHT BOARDを第一候補にしましたが、仮設置を終えてテストに移ると、これはちょっとどうかなぁという仕様が見つかったので、Light-xをダウンロードしてきて設置し、比較した結果Light-xを採用することにしました。このCGIは(元のLIGHT BOARDもそうですが)掲示板に保存できる所定の件数を超えた過去ログを、自動的にHTML化して保存する機能を持っているので、今私が毎月の初めにやっている、掲示板の過去ログをHTML化して保存する作業が不要になる見込みです。
(3月30日アップ)

3月28日(金)
掲示板の設置作業──これは何としても3周年の当日までには完了しなければ、と思い込んで躍起になっているのですが、レイアウトにあれこれと手を加えたCGIをサーバにアップロードしてから、InternetExplorer5.5で見ると意図した通りに見えるのに、Netscape Navigator4.7で見るとレイアウトがガタガタに崩れていて目も当てられない、などということがあって、なかなか思い通りにはいきません。
CGIの制作元の名誉のために言っておきますが、ダウンロードしたCGIをそのまま使っている分にはNetscape Navigatorで見てもレイアウトには何の問題も生じません。つまり私が無理やり使おうとしているスタイルシートに、Netscape Navigatorそのものが対応し切れていないのかもしれません。
それよりも、もっと優先しなければならない作業ができたので、週末を迎える前に今日はそれを済ませておきます。
桂芳恵さんから頂いたCGの公開です。桂さんとは、ネットを始めたばかりの頃からオンラインでお付き合いさせていただいていますが、当サイトの18禁化に踏み切り、移転後最初の18禁CGを公開してから、事ある毎に「扉を開いた」と吹聴していたら、思いがけずCGを頂いてしまいました。当サイト初の、閲覧に制限のかかる頂き物となります。
頂き物を当サイトで公開する際の収蔵場所の区分は、CG・ムービー・写真といった画像系の頂き物を1号館、文章系の頂き物を2号館としてきましたが、それぞれの中に6号館入口のような入室注意のページを設けるのは煩雑ですし、隔離を要するコンテンツは一箇所にまとめる方がよいと思うので、6号館を1号室と2号室に区分し、1号室を頂き物、2号室を私の作品とすることにしました。
(3月29日アップ)

3月27日(木)
もうすぐ当サイトは開設から満3年になりますが、それを前にして思い立ったことがあります。
開設に際して、ウェブサイトに付き物の掲示板を当サイトにも設けるにあたり、最初はAAA! CAFEの掲示板レンタルサービスを利用することにしましたが、この掲示板のCGIの仕様だと、フレームの中に掲示板を設置した場合に深刻な問題が発生する、という指摘を受けました。
具体的には、掲示板に書き込みする時に「URL」の欄にURLを記入して書き込みすると、そのURLへのリンクが掲示板に表示されますが、後から見に来た人がそのリンクをクリックしてジャンプした時に、リンク先のページをフレームの右ウィンドウの中に取り込んでしまう、ということです。これは「他人のサイトを自分のサイトの一部と見せかける」ということになるので著作権の侵害にあたる、という解釈があるらしく、最近は官公庁や企業のウェブサイトの注意書きに「フレームに取り込む形でのリンクはしないで下さい」と書かれているのを目にすることが増えてきました。
著作権の侵害云々は目くじらの立てすぎだと言われるとしても、もっと実際的な問題点があります。先に書き込みした人がご自分のサイトのURLを書いていき、後から来た人がそのURLをクリックしてサイトを見に行き、ブックマークに登録しようとしても、そのサイトを取り込んでいるフレームのURLつまり当サイトのURLがブックマークに登録されてしまう、というのです。
その当時のAAA! CAFE無料掲示板の仕様では、フレーム内のリンクからジャンプする際のウィンドウを利用者が設定することができなかったので、開設早々にTea Cup Communicationの掲示板レンタルサービスに切り換えました。この掲示板は上の設定を利用者が変更することができるので、フレーム内に掲示板を設置する際に、特に難しい問題はないからです。そしてAAA! CAFEでは無料掲示板を利用していましたが、無料というと広告バナーがうざいので、TeaCupでは有料掲示板を利用することにしました。
ここからが本題で、TeaCupの有料レンタルの期限がもうすぐ切れます。レンタル料自体は大した金額ではないので、レンタルを更新して引き続きTeaCupの掲示板を利用してもいいのですが、これを機にTeaCupのレンタル掲示板を止めて、さくらのサーバに自前の掲示板を作ってみよう、と考えました。
そもそもNiftyにサイトを開設した当初、Niftyが用意している掲示板を使わないで他のレンタル掲示板を利用することにしたのは、Niftyが用意している掲示板はツリー式なのですがどうも使いにくいと聞いたことがあり、さりとて自分で掲示板CGIをネットで見つけてきて設置するとしたら、Niftyのサーバはユーザ独自のCGIの設置に際して作業がいろいろと面倒で、自分で見つけてきたCGIをカスタマイズして設置する自信がなかったからです。
それに対して、Niftyから移転した さくらのサーバはユーザ独自のCGIの設置に際しての制約が少なく、ネットで見つけたCGIをカスタマイズして設置するのがそれほど困難ではなさそうだ、と思えました。移転にあたってはカウンタやアクセス解析を設置するために、CGIを多少勉強する必要がありましたが、そのあたりの作業を滞りなく完了することができたので、少しはCGIのカスタマイズに自信が持てるようになった、というのもあります。
掲示板のCGIを思い通りにカスタマイズできるとしたら、真っ先にやりたいのは、スタイルシートを使って行間を広げることです。よく言われることですが、日本語のウェブページ、それも文章が長々と続いているページをスタイルシートを使わずにInternetExplorerやNetscape Navigatorで表示させると、行間が詰まって読みにくくなります。インターネットを始めてからサイトを開設するまで、文章系のサイトをあちこち巡回していた頃から、それが気になっていて、自分でサイトを開設して文章を公開するとしたらその時は必ずスタイルシートを使おう、と考えていました。今では行間を広げるだけでなく、ほとんど無定見と言われかねないほど、いろいろな所にHTMLタグの代わりにスタイルシートを使っていますが。
↑すぐ上の段落は、前後の段落と比べて、どこか変だと感じませんでしたか? 行間を広げないと、こうなります。私の文章は一つのセンテンスが長い上に改行が少ないので、行間を少しくらい広げたとしても相変わらず読みにくいと思いますが、まして行間を広げなかったらどうなるか、一度くらい試してみたのは正解でした。
その他にも、フレームの中に設置した掲示板に表示されているリンクから他のサイトへジャンプした時に、そのサイトをフレームに取り込んでしまわないようにするための設定とか、掲示板のレイアウトをサイト内の他のページにもっと似せる、別の言い方をすれば題名や本文が右ウィンドウ左端の色帯
←これに重ならないようにする、こういったカスタマイズができるかどうか、いろいろと試してみることにします。
(3月29日アップ)

3月26日(水)
追いついたと思うと引き離される物、それはウェブ日記の日付と実際の更新日。右肩上がりのインフレが続いていた頃には、「消費者物価と公務員の給料(公務員のベースアップは、前年の民間企業のベースアップに合わせて決められるそうです)」という答えもあったかもしれませんが、デフレで民間の給料が下がることはあっても、日付が停まったり逆戻りしたりすることはありません。
だからといってウェブ日記の更新を進めすぎて、日付が現実の日付を追い抜いてしまったら、それは“日記”とは呼べなくなるでしょう。小学生の頃には、夏休みの宿題の定番だった絵日記を、先の日付の分まで書いてしまいたい、なんて思ったこともありましたけれど。

1年前の今頃、ソルトレイクシティ冬季オリンピックが始まっていたことも終わっていたことも知らなかったほど世事に疎かった私でも、イラク戦争については図書館へ新聞を読みに行くのを週末まで待つことはせず、毎晩のように新聞社のウェブサイトを見に行っています。
アメリカが主体になって起こした今度の戦争の目的は第一にイラクが保有している(と信じられている)大量破壊兵器を一掃すること、そのためにそれを拒むフセイン政権を打倒することであって、大東亜戦争末期の日本に対する戦略爆撃のように、イラクがアメリカに抵抗する意志と能力を失うまで国民生活とインフラを破壊し尽くすのが目的ではないはずです。それで湾岸戦争の時よりももっとハイテク兵器を駆使しているといわれているのですが、それでも友軍(イギリス軍)の戦闘機を撃ち落としたり、軍用ヘリが衝突して墜落したり、シリアへ避難する民間人が乗ったバスを誤爆したりといった、起こしてはならない事故が起きているようです。どんなにハイテクが発達しても、それを使うのが上は総司令官から下は兵卒に至るまで最後は生身の人間である限り、こうした事故は避けきれないのでしょうか。
それよりもっと気になるのが、クウェートの前線キャンプで手榴弾が投げられて死者が出た事件、犯人は事もあろうにアメリカ兵で、上官を狙って手榴弾を投げたというニュースです。普通なら敗色濃い軍隊の末期的症状とされるような事件が、出撃したばかりの精鋭部隊の中で起こるというのでは、アメリカ軍の士気に疑問を持たざるを得ません。
(3月27日アップ)

3月17日(月)〜25日(火)
「AIR」をコンプリートしてからというもの、なぜか次のゲームに取りかかろうという気が全く起こりません。年度末のこととてゲームにうつつを抜かしていられるほど暇でないというのもそうなのですが、それよりはむしろ、先週の後半、余暇時間をことごとく「MOON.」とAIRのプレイに傾注してゲーム三昧の時を過ごした、その反動が出てきたのかと思います。
趣味に熱中しすぎてその反動が来た経験は、私には一つあります。今ほどパソコンに溺れる前の一時期、スキーに非常に熱中していたことがあったのですが、1998年から99年のシーズンにかけて毎週末、吹雪だろうが雨だろうがスキーに行っていたら、99年の2月28日を限りに突然スキーに行く意欲が消え失せました。それでもその後いくらかの間はスキーに関心があって、ウェブサイトを開設したらスキーに関するコンテンツを設けようと思っていた(その名残がこれです)のでしたが、その後スキーに対する興味はどんどん薄れていって、今の当サイトにはスキーに関するコンテンツは片鱗もありませんし、今後も設けられることはおそらくないでしょう。

なんて言っている間に、イラクで戦争が始まりました。イラクのフセイン政権の打倒を直接の目標としてアメリカ・イギリス軍がイラク領内に攻め込んだこの戦争は、大体の新聞が「イラク戦争」と呼んでいるようです。
湾岸戦争に敗れたイラクが、敗戦後に承諾した大量破壊兵器の廃棄(廃棄したことを国連の査察によって証明させること)の履行を拒み続け、国連決議を無視しているので、業を煮やしたアメリカが自らの手でイラクの無力化に乗り出した、という形になるのでしょうか。イラクに対して強硬手段に出ることにフランスとロシアが同意せず、国連安全保障理事会として統一行動を取ることができなかったためもあって、アメリカの突出ぶりが目立っていますが、フランスも含むヨーロッパ各国は、宥和政策は独裁者の暴走を防ぐことができないということを歴史から学んでいるはずだと思うのです。
ところで、米英軍がイラクに対する武力行使に踏み切るというこの時期に、日本人も含む一部の外国人が敢えてイラク領内に留まり、「人間の盾」と称して重要施設に居座っているそうです。そうすることによって米英軍がそれらの施設を攻撃しにくくなるというのですが、イラク政府が在留外国人を抑留して人質に取り、軍事施設に張り付けているのならまだわかりますが(もちろんイラク政府がそんな事をやったなら、戦争犯罪として裁かれてしかるべきです)、イラク政府の関知しないところで外国人が自らの意志で重要施設に居残り、本国政府の説得に応じないとなると、正式な宣戦布告の手続きを踏んだ昔風の戦争であれば、間違いなく「利敵行為」に当たるのではないか、と思います。居残っている日本人に対しては外務省が躍起になって説得しているようですが、日本政府がアメリカ政府を支持すると明言した今、現行刑法に利敵行為罪の規定はありませんが、刑法第94条(局外中立命令違反罪:3年以下の禁錮または50万円以下の罰金)よりもっと重い罪が適用される、という可能性はないものでしょうか。アメリカとイラクの戦争に際して日本人がイラクに加担したとしても、刑法第82条(外患援助罪:最高刑は死刑)は適用できないでしょうし。
日本政府がそうやって在留日本人の説得に躍起になっているのに対して、欧米各国は「危険を承知で自己責任で居残っているのだから政府は関知しない」と放置しているらしいです。自国民保護を任務とする大使館職員が退去した後も居残っているのなら、本国政府としては保護する義務はない、ということなのでしょうか。欧米各国に言わせれば、それこそ「イラク軍に加わるのも個人の勝手、その代わりイラクが降伏したら……」となるのでしょう。
(3月25日アップ)

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