近江物語

第十八章 冬から春
 五条御所は、先頃崩じた五条院が、退位後の住居とした所である。内裏からは遠く、公卿の邸宅も少ない地域で、洛中にありながら半ば隔離されているに等しい。初めの二−三日、内裏から先帝や中宮の私物が運び込まれた後は、訪れる人もない。一家族の他は五条院在世中からの管理人が数人いるだけである。
 五日ばかり経った頃、内裏から新任の大納言が来て、先帝に太上天皇の号を奉る宣命を読んだ。深く憤りながら聞いていた先帝は、大納言が宣命を読み終わると、苛立った声で言った。
「太上天皇の号は辞退する。私は退位してはいないのだ。帝位を僣称する者が何を言っても、それを認める気は毛頭ないぞ」
 大納言は慇懃に言う。
「当今の勅諚を、何も認められぬと仰せられますか。それでは、この五条御所にお住まい遊ばす事も叶いませぬ」
 先帝はせせら笑った。
「それがどうした。私は帝だ、帝の住まいは内裏と決まっておるではないか、それともここを内裏となすと、その当今とやらが言ったのか?」
「今一度申し上げますが」
「私は退位していない!」
 大納言、これ以上何を言っても無駄だと思ったか、一礼して退出した。
 先帝は憤懣やる方なく、中宮の部屋へ来た。中宮は先帝を見上げ、諭すように言う。
「貴方、いつまでも我を張って怒ってばかりいても仕方ないわ」
 先帝は苛々した声で言い返す。
「我を張ってる!?」
「そうでしょう。あれから毎日、口を開けば『私は退位していない、帝は私だ、僣称する奴は誰だ』と、そればかりじゃないの。三種の神器が式部卿宮の許へ渡って、式部卿宮が践祚したのは、もう歴とした事実じゃない。貴方一人が、『私が帝だ』と言い張ったところで、貴族の誰一人、貴方を帝と認めていないのに、どう仕様もないわ」
 かっとなった先帝は、中宮を睨み据えて、声を荒らげてまくし立てた。
「貴女までそう言うとは思わなかったよ! 誰かが私を瞞して、退位をでっち上げて私を帝位から降ろそうとしてる、しかし、私は退位などしていない、今後だって、決してするものか! 大体やり方が卑怯だ、空の箱を持たせて近江へ追い払っといて、その留守に東宮でもない奴を、私に断りもなく践祚させるとは、どういう了見だ? 私の施政の、どこかが不満だというのか? 不満があるなら、はっきりと言えばいいものを、私だって他人の諌言を聞く耳くらい持ってる積りだ、それを何だ、こそこそと企んでは、留守のうちに私を追い落として、天下に認められた私の正当な後継ぎに践祚させるならまだしも、私とも貴女とも何の繋がりもない、式部卿宮だか何だか知らないが、十余りの子供じゃないか、そんなのを帝位に即けるとは世も末だ! それだと言うのに、貴女は、それを認めろと言うのか!? いつからそんな、節操なしに成り下がったんだ!?」
 中宮も、頭ごなしに罵られて腹に据えかねたのか、俄に声を張り上げた。
「節操なし、ですってえ!?」
「そうじゃないか!」
「それじゃ貴方は何だというのよ! 私はね、式部卿宮が践祚したのはそれとして」
「それが節操なしだと言うんだよ!」
「他人の話は最後まで聞きなさいよ! 式部卿宮が践祚したのは、今更否定できない事実よ、だからそれはそれとして認めて、その上で、どうすれば良いか、二人で一緒に考えようと思ってるの! それなのに貴方は、事実を事実と認めたがらないで、いつまでもいつまでも繰り言を言い張り続ける気なの? 私は貴方の為にと思ってるのに、貴方は私を、節操なし、だなんて、よくも言ったわね! 子供じゃあるまいし、いい加減に目を覚ましなさい!」
「何い!?」
 先帝は激昂して中宮に掴みかかろうとした時、中宮の前に置いてあった火桶に蹴つまずき、大音響と共に前のめりに転んだ。倒れざまに几帳の垂布を掴んだところが、几帳ごと倒れ、したたか肘を打ち、起き上がりながら、
「何でこんな所に火桶を置いとくんだよ!?」
 喚く先帝に、中宮も甲高い声で、
「私に八つ当たりしないでよ!」
 先帝は床を踏み鳴らして出て行く。中宮は火桶を起こし、炭灰を拾いながら呟く。
「全く、どうしてああわからず屋なんだろ? 喚いてれば新帝が譲位してくれるとでも思ってるのかしら?」
 五条御所の空気は、極めて険悪であった。先帝と東宮は怒ってばかりいるし、中宮までもが先帝と喧嘩して不機嫌になった。二の宮は東宮の険悪さに圧されて、おどおどしながら日を送っているし、先日の雪中行軍のせいか女二宮と女三宮が風邪を引いて、高熱に苦しんで臥しているので、日頃明朗快活な女一宮も憔悴している。中宮は管理人を通じて、宮中の医師を呼んだが、それすらも先帝の癇に触れたようだ。医師が帰った後で先帝は、嫌味ったらしい口調で中宮に、
「式部卿宮の践祚を認める代わりに、医師をよこさせたんだろ」
 母親として、娘達の事しか念頭になかった中宮は、これを聞いて逆上し、桶に入れた湿布の水を先帝に頭から浴びせると、
「馬鹿! 人でなし! 死に損ない! あんたなんか、大っ嫌いよっ!」
と大声で罵りながら先帝に往復びんたを入れ、桶を投げつけると顔を掩い、泣きながら走り去った。先帝は私室へ戻り、頭や顔を拭いた。暫く部屋に坐っているうちに、中宮を本気で怒らせたのは全く自分のせいだったと気付いて、中宮を捜しに出た。中宮の私室にはいない。よく捜してみると、塗籠の中から、微かに泣き声が聞こえる。先帝は塗籠の戸を叩いた。返事はない。先帝はすっかり弱り果てた声で、
「私だ。私が悪かった、謝るよ。だから機嫌を直して、出てきてくれよ。なあ、頼むよ」
 返事はない。塗籠の戸も、中から支ってあるのか、押しても引いても動かない。そのうちに女一宮が先帝を見つけて、
「お母様がいないの」
と不安そうな声で言う。先帝は塗籠を指し、
「母さんはね、父さんと言い争って、そこに籠ってしまったんだ」
 女一宮は恨めし気な顔で先帝を見上げると、塗籠に走り寄って戸を叩き、声を張り上げる。
「お母様、お母様、……」
 娘の懇願が中宮の琴線に触れたのか、やがて中宮は泣き腫らした顔で塗籠から出てきた。先帝は中宮の前に膝を突いて言った。
「私が間違ってた。これからは、もっと前向きに物事を考えるよ」
 中宮はそっと微笑んだ。
「それでこそ貴方よ」
 やがて、先帝に太上天皇の号を、中宮に皇太后の号を奉る旨の宣命が出た。今度は先帝も、中宮もこれを受けた。
「太上天皇が重祚した例が、日本にもない訳ではない。もっとも女帝だが」
 新院と普通には呼ばれることになった太上天皇は、勅使が帰った後で皇太后に言った。新院も皇太后も立ち直り、女宮達の病も治って、やっと平穏になってきたところへ、皇太后の祖父入道が亡くなったという報せが届いた。新院が廃されたと知って、落胆の余り絶望して生きる気力を失ったのであろう。皇太后は悲嘆の余り、数日間立ち直れず、新院の方が皇太后を慰める立場になった。
 年が明けたが、正月の叙位除目では、依然新院派は干されたままである。一人の昇叙も復官もなく、誰一人として五条御所に年賀にも来ない。
「一体皆、どうしたんだろうな」
 閑散とした五条御所で、新院は北方の空を眺めながら呟いた。
「やはり、当今を憚っているのよ。お父様(左大臣)も、あれからずっと便りもよこさないわ」
 皇太后も相槌を打つ。
「でもそのうち、私を支持してくれた者達を免官したことを、後悔するようになるぞ。何しろ、有能と見た若手は門閥によらず登用したんだから、それが全員いなくなれば、残るのは無能な奴等ばかりさ。そうなれば結局、私の人を見る目が正しかったと悟らされるさ」
 新院は自信満々に言い切った。
「大した自信ね。確かに貴方、人を見る目は確かだけど。中宮大夫も亮も、いい人だったわ」
「そう言ってくれると有難いよ」
 国政との接触を一切断たれた新院は、日々の無聊を紛らそうと、五条御所にも田畑を開墾し始めた。時々様子を見に来る皇太后宮職の者に頼んで、農業書や農具、種籾や十一年間の耕作記録等を運ばせた。
「祖父五条院は、私の農耕を決して非難なさらなかったから、ここに田畑を作ると言っても、決して怨みなさる事はあるまい」
 帝は自信を持って、五条院の庭を田畑に変え始めた。遣水と池を適度に埋めて水田とし、そのための土は築山を崩して得た。一の宮や二の宮も、体力を持て余しているので労働力として使い、三人は毎日、朝から夕まで泥だらけになって働いた。毎日働くようになってから、一の宮も苛立ちが消えて穏かになった。元来この一の宮は、体を使って何かをするのが好きであるらしい。よく食べてよく働いてよく眠り、毎日生き生きとしている。
 皇太后はまた懐妊し、八月に男の子を安産した。新院と皇太后には、平和な日々が再び続くように思われた。時として新院は、重祚して再び天下を統治する事を、ふと忘れそうになる事があった。晴耕雨読、政治の煩雑な事どもから切り離されて、子供達の成長を見守りつつ、皇太后と一緒に平和な暮らしが営めるなら、その方が良いかも知れないと、畑に出て茄子や瓜をもぎながら、ふと思うことがあった。新院が皇太后にそれを話すと、
「あれ程私に八つ当たりまでして、『私は退位してない』と怒ってた人の台詞とは思えないわ」
と言って皇太后は大笑いする。新院も笑いながら、
「あの時はね。でも本当に、晴耕雨読の生活っていいなと思うよ、生活が保障されていさえすればね。庶民から見れば、何を甘い事言ってるんだと思うだろうけど。
 思うんだけどね、淡路廃帝も崇道天皇も菅公も、流された先で都を思って泣いたり怒ったりしないで、晴耕雨読の暮らしに入る機会を恵まれたと割り切りさえすれば、流されてすぐ憤死して怨霊になったりせずに済んだと思うんだな。九州は冬でも暖かいらしいから、きっと野菜がよくできたと思うんだ、それを七言絶句にしたりして、白楽天みたいに。左遷されて華南の僻地に行ってた時の詩、『故郷は何ぞ独り長安にのみ有らんや』、だよ」
 皇太后は笑いながら、
「そう思うのは、貴方が田舎の百姓の倅だからよ。貴方自身は六つで都へ出て、十七で帝位に即いたけど、貴方の体に流れる血は田舎の百姓の血そのものよ。先祖代々百姓だったんですもの。淡路廃帝や崇道天皇、菅公といった人達は、皆生まれついての皇族だし、京の貴族よ。そういう人達には、貴方が言うような晴耕雨読なんてことは、きっと思いつかないと思うわ。私にも実はよくわからないんだけど、京の貴族の中央指向、権力指向っていうのは、私達庶民―みたいなもんでしょ、私だって十二まで近江の田舎で、百姓の娘と大差ない生活をしてきたんですもの。庶民には想像もつかないくらい激しいらしいわよ。近江なんて京から見れば山一つ越えただけだけど、近江に来る国司ってのは皆、一日も早く京へ帰りたがって、心は京へ向きっ放しらしいのよ。近江は大国で収入が多いでしょ、収入目当てにせっせと運動して近江守になりたがる人でさえそうなんだから、まして罪人扱いされて流された人なら、どんなだか。それも本当に罪を犯したならまだしも、濡れ衣っていうんじゃ、晴耕雨読どころか、雷にでもならなきゃ気が済まないわ」
 だがこの頃、この一家の平和を紊す影が忍び寄っていた事に、新院も皇太后も気付いてはいなかった。
(2000.9.21)

←第十七章へ ↑目次へ戻る 第十九章へ→