近江物語

第十六章 帥宮
 帝が即位してから十一年の歳月が流れていた。帝は二八歳、中宮との間には、先帝の子という建前にしてある十二歳の東宮を頭に、十歳の二の宮崔仁、九歳の女一宮浩子、七歳の三の宮惟仁、五歳の女二宮清子、三歳の女三宮涼子、二歳の四の宮維仁と、七人もの皇子皇女がいる。皆、親王・内親王の宣下を受けている。藤壷には中宮と七人の子女が住み、北隣の梅壷をも遊び場としていて、内裏のこの一角からは子供達の賑やかな声が絶えない。二歳で実父を失った帝は、子供達には時には優しく、時には厳しく、父親として接し、母中宮と共に子供達を育んでいる。勿論、子煩悩な帝であっても政務には些かの怠慢もない。庶民の暮しをより良くするために、時々は洛中に微行して庶民生活の実態を自ら見聞し、その目的に向かって日夜政務に励んでいる。地方の民情を視察するために、さすがにこればかりは帝自身出向く訳には行かないので、腹心の若手殿上人を巡察使として全国に派遣し、国司が苛斂誅求を行っていないか、よく視察させた。新田開発や治水事業をよく行って、民力を涵養し善吏として讃えられる国司がいる反面、苛斂誅求によって私腹を肥やす悪徳国司も跡を絶たないのだった。そのような報告を受けると、帝はすぐさま、任期途中でも国司を解任し、時には位階剥奪、財産没収という厳罰で臨んだ。地方官に対してだけでなく、京官に対しても勤務評定を厳密に行い、遊惰に耽る高級貴族には、前摂政派、太政大臣派の如何を問わず、容赦なく処分を下した。建前上外祖父は太政大臣であると言っても、本当は自分はどの派閥の血縁でもないという立場から来る自信が、帝の施政の根底にあった。それ故、有力派閥であっても無能な者は決して顧みず、反対に有能な者であれば、どんな無名な出自でも次々に抜擢した。藤原氏であっても南家を始め傍流の者、何世も前の源氏、或は紀氏、橘氏、伴氏、その他今では衰微した氏族の者が、次々に抜擢され、中には台閣に列する者もあった。能力さえあれば出自が劣っていても出世できる反面、能力がなければ名門の出でも冷遇され、或いは台閣から除かれたりする政治は、家柄が決まりきっていた平安後期の沈滞的な社会に、活気と良い意味での緊張感をもたらしたが、家柄の良さに溺れていた名門貴族にとっては、恐怖政治でもあった。
 帝は次々に政治刷新を、やや性急とも見える程に行ったが、これを内心快く思っていない者は多少いる。前摂政や太政大臣、左大臣といった保守派の公卿である。彼らにとっては帝の政治刷新は、例えば荘園の廃止や年爵の禁止など公卿の既得権を侵害――彼等の実感なのである――する政策が多い。そうでなくとも、あちこちに微行したり内裏に水田を作ったり、奇行の多い帝と思っているのだ。中宮も一緒になって、内裏で蚕を飼って絹を紡いだりしている。
 この帝の治世が続いたら、我々貴族の既得権は何もなくなる。危機感を抱いた前摂政派の保守派は、帝に退位させて、何でも言いなりになるような帝を新たに立てる策謀をめぐらし始めた。
 帝を退位させると言っても、必要なのは後釜だ。現在男性の皇族は、帝と三人の息子達の他に、主だったところは六人である。最長老は七十歳の五条院、今上帝の祖父であって三代前の帝である。次は四九歳の小野院、今上帝の父である。この二人を重祚させるというのは、幾ら何でも無理がある。だが両院とも、政界における勢力は侮り難いものがあり、特に五条院は法体にありながら老獪な大御所として、政界に睨みを利かせている。五条院は今上帝に好意を寄せていて、現中宮の入内に際しては今上帝を後押しして入内を実現せしめ、その後も何か帝と公卿が対立すると、仲裁しつつも帝を贔屓するところがある。反対に小野院は先帝の母弘徽殿皇太后を鍾愛したせいか、先帝の存命中は先帝を贔屓し、今上帝には冷淡だったが、近年は一層それが激しくなった。今上帝もそれを知って、五条御所には時々行幸するのに小野御所へ行幸する事は滅多にない。
 次に三五歳の帥宮。この宮は五条院が、遅くなってから源尚侍に生ませた息子である。この宮は小野院よりも今上帝に齢が近く、今上帝との親交は深い。物心つく頃には異母兄の小野院の治世であり、永らく太宰帥という地位にあるが、これは親王が任ぜられる名誉職という色合いが濃く、宮も在京のままであった。しかし今上帝は、この宮が今は韜晦しているが、深い学識に支えられた識見の持ち主であり、自分の優れた補佐役となりうる人物であることを見抜いていた。この宮の息子の十三歳になる宮は、これも父に似て落ち着いた人物であり、将来は国家の柱石ともなるであろうと今上帝も目をかけている。
 そして今上帝の同母弟、二六歳の中務卿宮。この宮は兄と違ってごく温厚であり、兄帝のよく言えば英邁、悪く言えば才走りすぎて傍若無人な、そんな点はない。しかし、生来優柔不断で気も弱く、兄帝としては歯痒く思っているところがある。帝王の器ではないし、補佐役の器でもない、と辛い見方をしている。この宮は右大臣の弟大納言の娘を妃としているが、子供はまだ生まれていない。
 最後に十三歳の四の宮。これは小野院が、愛妾一条前尚侍に産ませた子である。尚侍がこの宮を産んで幾らも経たずに出家し、その直後に俄に亡くなった後は、尚侍への寵愛が一転してこの宮に集中し、溺愛と言ってよい程小野院は四の宮を愛している。
 この六人の中で、誰を今上帝の後釜に担ぎ出すか。太政大臣派は、太政大臣の孫である中務卿宮を望み、小野院の一派は四の宮を望む。前摂政派は、強いて言えば四の宮である。それは、小野院が前摂政の甥であること、それと太政大臣派への対抗意識の両方が働いているのだろう。勿論太政大臣派としては、現在の東宮が即位するのが最も順当だし、無難であると考えているが。こういった各派の思惑が絡み合ったまま、時は過ぎてゆく。
・ ・ ・
 その年の五月、五条院が崩じた。齢に不足はなかったが、今上帝の庇護者の一人でもあり、政界各派にどっしりとした睨みを利かせていた法皇の崩御は、何か波乱の幕開けを感じさせるものがあった。五条院の葬儀が定式通りに行われた後の七月のある日、喪が明けたばかりの帥宮が参内した。政務の閑な日で、帝は藤壷前の水田で二の宮や三の宮と一緒に雑草取りをし、弘徽殿西側の空地では、四の宮を背負った中宮と女一宮が桑の葉を摘んでいる。周りの建物や廊がなかったら、内裏とは到底思えない、洛外の農家のような風景だ。
〈父院も相当型破りな院ではあったが、こう迄はしなかったなあ〉
 帥宮が来たのに気付くと、帝は草取りを止めて、水田から上がってきた。
「これは叔父上、よくお越し下さった。どうも見苦しい格好で失礼」
 編笠を被り、水干の袖を捲り上げ、指貫の裾を膝上で括った姿は、どう見ても農夫である。冠直衣に正装している帥宮は言った。
「いやいや、何事にもそれに相応しい格好という物があります。参内には参内の、田仕事には田仕事の」
 帝は手足を洗ってよく拭き、簀子縁へ上がった。相対した帥宮に帝はしんみりと、
「故院が崩ぜられて、はや中陰も過ぎましたか。時の経つのは早いものですね」
 普通の公卿なら、ここですぐ泣いたりするのだが、帥宮は父五条院に似て明朗かつ剛毅なところがあり、努めて明るい声で言った。
「今更我々がどう言っても始まりますまい。後に残された者が徒らに悲しんだりすると、故院の往生の妨げともなりましょう」
〈これじゃ言う事が逆だな〉
 帥宮は膝を進め、小声で言った。
「それより、これで兄院がどう出るか、その方が気懸りです。何しろ兄院は、父の在世中はずっと抑えつけられてきておいでだった」
 この少し前から、帝が早々と退位して上皇となり、院政を布く傾向が強まってきていたのだ。小野院の在位中は五条院の院政であり、先帝の在位中も五条院が優勢で、小野院としてはなかなか実権を握れない。そして今上帝の世になると、五条院の権勢はやや衰えてきたものの今上帝が強力な親政を執っていて、上下に挟まれて権力を握れない小野院の鬱屈が徐々に嵩じてきている様子であった。
 帥宮は続ける。
「どうも前摂政派の動きが気になるのです。前摂政を始め右大臣達は、主上の御施政に不満を持っているらしい。私から見れば主上の御施政は、民を安んじ国を富ませるという方針で一貫していて、そう、延喜天暦の治にも決して劣らぬ善政と思っておりますが、どうも保守派の公卿にとっては、そうでもないらしい。事によると、主上に御譲位を求めて参るかも知れません」
 帝は今迄、このような話は聞いたこともなかった。
「それは初耳です。全く気が付かなかった」
「岡目八目と申しましてね。どこの派閥にも属せず、政界から一歩離れた所にいる者には、政界がよく見えるものです」
 政界の中枢から遠いところにいる帥宮は、若い頃から史学を始め様々な学問に精通し、その該博ぶりには帝も一目置いていたが、なかなかどうしてそればかりではない、透徹した情勢判断の眼も持ち合わせている事に、帝は今更のように気付いた。
「しかし、私に譲位させると言って、誰を次の帝とするのでしょう。東宮はまだ十二歳で、帝位に即くには早すぎる。中務卿宮は齢はいいが優柔不断すぎて、とても帝の器ではないし」
 帝が半信半疑で言うと、帥宮は手を振って、
「いや主上、よくお聞き下さい。
 主上自身は、帝とは親政を布くのが理想と思っておられるでしょうが、公卿の大半はそうは思っておりません。帝とは、外戚が権勢を得るための名目にすぎないのです。冷泉の帝この方、摂政関白が常置されて、事実上摂関の治世が続いてきたのがその証です。近頃は故院のように、太上天皇が権力を得る場合もありますが、これとても結局、帝は飾り物にすぎません。東宮は十二歳であられるが、一条の帝は七歳で即位されたのですし、中務卿宮は優柔不断すぎると仰せられるが、飾り物として奉るにはその程度の宮の方が、英邁すぎる主上より扱い易くて好都合なのです」
 無派閥だからこそ、こんな歯に衣着せぬ発言もできるのだ。
「父はどうなのでしょうね」
 帝が言うと、帥宮は表情を曇らせた。
「それが一番問題なのですよ。兄院は何しろ、一条尚侍の忘れ形見の四の宮を、見苦しいほど溺愛なさっている。兄院が主上と御仲が良くなく、その余り中務卿宮をも疎んじておられるのが気懸りでしたが、事によると四の宮を帝位に即けようとなさるかも知れないのです。一応主上の弟宮な訳ですし、帝位に即いて悪いということはありません。母方の後ろ楯がないと言って公卿達は反対するでしょうが、兄院の世となってしまえば公卿達には手が出せません。
 別に私自身、四の宮と同じ立場だからと言うのではないけれど、四の宮を帝位に即けるとなると、どうでしょうかね? 四の宮の人となりは、会う事も稀なもので、何とも申せませんが……。
 まあ、このような動きもあるという事を、お心に止めておいて下さい」
「わかりました」
 帥宮は、一転して朗らかな声で言った。
「主上は今日はお暇ですか。私は久し振りの参内なもので、田んぼや蚕屋を、一つ案内して頂きたい。宜しいでしょうか」
 帝は嬉しそうに笑って、
「そう言ってくれる人は少ないですよ。公卿連中に見せてやると言っても、全然興味を示さないのです」
 帝はいそいそと立って、簀子縁から庭へ降りる。帥宮も庭に降りるが、水田へは入らない。二の宮は草取りをしているが、三の宮は、草取りよりも蝗追いに夢中になっている。帥宮が来るのを見ると礼儀正しく挨拶するが、その後はまた蝗追いである。
「実に元気の良い親王方ですな」
 帥宮が笑って言うと帝も笑って、
「私が子供の頃は、男の子らしい遊びなんて何もしなかったから、私の子供達には虫取りや木登りや、男の子らしい遊びをさせようと思いましてね。ただ遊ばせるだけでなくて、草取りや庭掃除もやらせてますが。勿論、政道に欠かせない書道や算術、史書や儒書の勉強もさせてますよ。子供達は農民にするんじゃなくて、帝と、それを支える国家の柱石にするのですから」
 そう言う帝の袖を三の宮が引っ張って、
「父さん、ほら、見て」
と言って、もう一方の手には大きな蛙を掴んで帝の目の前に突き出す。
「大きな蛙だね。でも、生き物を苛めてはいけないよ。放してやりなさい」
 帝は三の宮の頭を撫でて言う。帥宮は蛙を見て、一歩後ずさりしている。帝は、
「蛙は蝗を食べると本に書いてあったので、洛外の田んぼにいたのを捕まえてきて、ここの田んぼで飼っているんです。鳴き声もなかなか趣があっていいですよ」
と落ち着いて言う。三の宮が蛙を放したのを見て、帥宮は再び歩み寄ってきた。
「今年は天気がいいので、稲が良く育って、もう穂が出ています。去年は不作で、新嘗祭には全然足りなかったけど、今年は良くできそうです」
 帝は屈み込み、稲の穂を掌に取って言う。その嬉しそうな様子は、口先だけで五穀豊穣を唱えている連中とは大違いだ。
「蚕屋へ行く前に、弘徽殿の方へ行きましょう。あの辺は畑を作ってあるので」
 帝は帥宮を、弘徽殿の東側の庭へ連れて行く。ここも広い庭だったが、今では一面の畑になっている。
「ここは南が承香殿なもので、どうも日当りが悪いんですがね。でも日当りの悪い所は韮を植えるのに良いと本に書いてあったから、承香殿の日陰になる所は全部韮です」
と言って帝が指し示す先は、韮が何畝も植えてある。
「その向こうが茄子、あの辺が白瓜、あの辺は葱、あれは大豆。その辺が里芋で、あれは京菜。ここの手入れは中宮の仕事になってましてね、いやもう、すっかり農婦になり切ってますよ。牛の糞を畑に入れるといいと言って、藁と一緒に積んでおいた牛の糞を桶に積んで運んだりして、女官連中が呆れ返ってます」
 帝は屈託なく笑う。帥宮も相槌を打つ。
「そうでしょうね」
「でも、中宮が摘んだ野菜だと思うと、一層美味しいですよ。何日前に穫れたかわからない野菜を、市から買いつけるより、穫ってすぐ食べる方が美味しいのでしょうかね」
 帥宮は慨嘆した。
「……こういうのが、本当の心の豊かさ、と言うのでしょうね。羨ましいですよ」
 帝は我が意を得たりとばかり頷いた。
「叔父上もそうお思いですか。……まあ、農業というのも、生活の不安のない者がやっている分にはいいですがね、これが何を幾らで売って、それで何を買って、なんて考え始めると、そうも行きませんよ。稲ばかりを作っている農民は、稲が凶作なら即、飢えるのですから」
 次に藤壷の一角を仕切った蚕屋へ行くと、ここでは先程摘んだ桑の葉を中宮が刻み、刻んだ葉を女一宮が蚕座に撒いている。桑の葉と蚕の匂いが混じって、一種独特の匂いを漂わせている。
「中宮、叔父上が蚕屋を見たいと仰言るのだ。案内して差し上げなさい」
 帝が言うと、中宮は包丁を置いてやって来た。髪を結い上げ、衣の裾を端折った姿は、女官とも見えず、まして中宮には見えない。
「こちらへどうぞ」
 中宮は帥宮に、蚕屋内の様々な物を説明してゆく。
「これは一番小さい、卵から孵ったばかりの蚕です。これには、新しく生えた桑の若葉を、細かく刻んであげるのです」
と言って、蟻のように小さな蚕のいる蚕座を見せる。刻んだ桑葉に埋もれて、小さな蚕は静かに桑葉を喰んでいる。
 次に中宮は、大きな蚕座を担ぎ上げて帥宮に見せる。
「これが四回皮を脱いで、もうすぐ繭を作る蚕です」
 蚕座では終齢の蚕が数十匹、所狭しとひしめき合って、刻まない桑葉をもりもりと喰べている。蚕が葉を喰む音が、帥宮の耳にも聞こえる。帥宮は驚いて、
「こ、これがそれと同じ、蚕なのですか?」
 中宮は微笑む。
「ええ、この蚕達も、二十日ほど前に孵った時は、一分程しかなかったのです」
 蚕屋を見終わった帥宮は、蚕屋を出ながら帝に言った。
「蚕の事は、今迄知らなかった事ばかりです。私も暇に飽かせて和漢の書は読んだけれど、農学書は読んだ事がなかった。いい勉強になりました」
 帝も満足そうに言った。
「そう言ってくれる人がいて有難い。大体公卿も殿上人も、見に来ようともしなければ話を聞こうともしない。蚕が気味悪いと言うならまだしも、米作りは下賎の者がする事だと軽蔑して、私がそれをするのに反対する始末です。何を食べて生きているのかと言いたいですよ」
 帥宮は笑いながら、
「仰言る通りです。……でも、田んぼはいいけれど蛙は苦手ですな。子供の頃、大きな蛙をうっかり踏み潰した事があって、それ以来どうも」
「それはお気の毒に」
 そこへ蔵人頭が、慌ててやって来た。
「主上、一大事です!」
 帝は振り返った。厳しい口調で、
「何事か?」
「太政大臣殿が、お倒れになりました」
(2000.9.21)

←第十五章へ ↑目次へ戻る 第十七章へ→