近江物語 |
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第十五章 竹生島
竹生島への行幸は、ようやく実現の運びとなった。四月三日出立、一行は帝と中宮、東宮と二の宮の他、公卿は東宮大夫中納言藤原顕信、中宮大夫の他、按察大納言と権中納言平師季の四人、殿上人は頭中将藤原家資を始め五人、行幸としては少人数である。片道三日という行幸なので、余り大勢で来られては政治が滞ると、帝自身の意向で人数を少なくしたのだった。権中納言帥季は、十年程前に近江守を務めた事があって、現地の事情に多少は通じていると言って本人が行きたがったので、同道させる事にした。二日以上の行幸の際には三種の神器のうち剣と爾を携行する慣例があり、近衛中将である家資が奉持する事になった。三日の早朝、内裏を出発した一行は、粟田口から山科を通り、近江へ向かった。帝は異例にも葱花輦を使わず、大型の唐車に中宮、東宮、二の宮と同車した。三歳の東宮は、車に乗っていても一向に落ち着きがなく、車の中を歩き回っては窓から顔を出したり、中宮にじゃれ付いたりしている。中宮の胸に抱かれて眠っている二の宮を、弟だとはまだ理解していないようだ。 「もうすぐ逢坂の関ね。関を越えたら近江の国だわ」 中宮は窓の外に移りゆく景色を眺めながら言った。 「逢坂の関か。歌にはよく詠まれているけど、通るのは初めてだな」 帝は明らかに周囲を意識している。自分が近江の出であることは、中宮以外はたとえ子供達にも知られまいとしていたのだった。中宮も素早くそれを察した。 その時、車が何かに乗り上げ、ぐらりと傾いた。と同時に、只ならぬ気配を感じて帝は振り返った。東宮がいない! 「東宮!」 帝は車の後ろの簾を撥ね上げた。一間ばかり後ろの路上に、東宮が倒れている。帝は無我夢中で車から飛び降り、東宮に駆け寄って抱き起こした。帝に抱き起こされて、東宮は大声で泣き始めた。行列は止まり、警護の者が集まって来る。 「そら、痛くない、痛くない! もう泣くな、男の子だろう!」 東宮を励ましながら、膝や肘をさすってやる帝の姿は、万乗の主と言うより一人の子煩悩な父親でしかない。東宮の手を引いて車へ戻り、東宮を抱き上げて、気もそぞろな中宮に抱き取らせると、周りの者が足台を持って来るよりも早く車によじ登った。 「おお、よしよし、もう大丈夫よ」 中宮は東宮を膝の上に抱き、手巾を出して東宮の涙を拭き、額の擦り傷を舐めてやる。これが父と母の違いなのかと、帝はふと思った。 やがて逢坂の関を越えると、前方に琵琶湖が見える。対岸の田園地帯、さらに遠く伊吹山地も霞んで見える。ここも盆地ではあるが、土地の広がりは京洛より一層広闊だ。中宮は目を輝かせて、前の簾を上げさせて景色を眺める。 「近江だわ! ああ、懐しい、私の郷里……伊吹山、比良山、琵琶湖! みんな、変わっていないわ……」 感嘆の声を上げる中宮。帝も、琵琶湖の輝く水面を見ると、懐しさがこみ上げてきて、その懐しさを表せない自分の立場がもどかしくなった。自分はあくまで、京洛に生まれ育った小野院の二の宮であり、近江滋賀郡に生まれた大黒丸ではないように装い続けなければならない。 「羨しいな、郷里を懐しがれる人は。私は京洛が郷里だから、郷里を懐しがるなんて事はないよ」 聞こえよがしに帝が言うと、中宮は唇を歪めて笑った。 夕暮れにはやや早い申の刻(午後四時)、今夜の宿である滋賀郡司の館に着いた。行幸の宿所に選ばれるなど一世一代の名誉と、郡司の恐縮し張り切る様子は尋常でない。この郡司滋賀経氏は、前郡司野足の長男である。父の後妻の連れ子が、今では中宮になっているというので、中宮に対し恐縮するのは一入である。帝も郡司を、微かに覚えているが、その事は決して表に出さない。 郡司の主催で盛大な饗宴が開かれる。滋賀郡の名所や物産、気候風土など、帝は郡司に様々な質問をし、郡司は地元民ならではの知識を披露する。その端々に、自分がいかに善政を布いているかをアピールしようとしているのが感じられて帝は可笑しかった。 夜、館の一室に中宮と臥しながら、帝はしみじみと言った。 「懐しいなあ、この館の何もかも。街道からこの館へ入る所の松の木、あの木の下で別れたんだったね。あれから十三年か」 「そうよ。あの時の約束、本当に成就したのね」 「本当に、何もかも懐しい。でも、それを口に出せないのは辛いよ、自分の為とは言え。私は所詮、この近江滋賀の地とは、何の縁もない人間として、生きなければならないのだから。父さんや母さんの法要も営めない、子としてこれ程の親不孝はないと思うんだ。今更もう後へは退けないし、仕方ないけど」 帝が沈んだ声で言うのに、中宮は明るく、 「でもそのお蔭で、私との約束を成就できたんじゃないの。そんな陰気な声、貴方らしくないわ」 普段の夜と違って、同じ建物の中に公卿達や郡司の一族がいるので、帝は幾分それが気になるのだが、中宮の方は一向に意に介せず、帝の体を求めてくる。 「貴女も元気だね。普通、旅なんかすると、車に揺られっ放しでくたくたに疲れるって言うのに」 帝が苦笑いすると、 「だって、あれ程恋焦がれた郷里を、明日には見られると思うと、嬉しくて嬉しくて、ちっとも眠くならないのよ」 中宮は弾けるように言って、帝を抱きしめる腕に一層力を入れるのだった。 ・ ・ ・
翌日一行は、日吉大社を左に見て、琵琶湖西岸の道を一路北進した。日吉大社の門前町である坂本は大きな町で、北陸道や更に遠く出羽や佐渡と京を往来する人々は、この坂本で宿をとる事が多い。庶民の生活と共にあろうと日々口癖にする帝なら、当然坂本に宿を求めるだろうと思っていた随行の公卿達は、坂本でなくて滋賀郡司の館に投宿したのを不思議に思っているようだ。比叡山が後ろへ去り、代って左手に比良山地が見えてくると、右手には一層広闊な景色が広がる。湖は一層広々と、見はるかす彼方には、湖に浮かぶ島のような丘が幾つも見える。伊吹山地や鈴鹿山地は、遥かな春霞の中だ。帝は車の中で、出発前に権中納言が描いて献上した近江国の絵図を広げ、左右の景色と比べては、あれが何山、あの辺が何峠と、中宮と言い合っている。中宮は、いよいよ目の前に迫った郷里を思って感無量である。その胸に抱かれた二の宮は、無邪気に眠っている。東宮は、昨日車から転げ落ちたのに懲りたのか、今日は帝の向かいにちょこんと坐って、大人しくしている。 この日の行程はかなり長く、酉の刻(午後六時)になって、高島郡三尾郷の郡司の館に着いた。中宮の実家である。中宮の祖父、高島郡前司入道三尾武麿はもうかなりの老齢であったが、自ら一行を迎えに門まで出て来た。車が母屋に着けられ、帝が東宮の手を引いて降りてくると、入道は帝を先導して大広間へ入る。続いて、二の宮を抱いて車から降りた中宮は、懐しさの余り立ち疎んだ。この古い豪族の館の、柱一本戸一枚に至るまで、中宮にとっては全てが、七年前に上京する迄馴れ親しんだものだ。何もかも、自分が上京した時と変わっていない。 〈あの半蔀の節穴、初めてあそこを覗けるようになったのは、九つの時だったわ。……あの几帳、あの頃と同じ所に置いてある〉 中宮は大広間へ向かう間、館内をあちこち見回しては、懐しさに溜息をついていた。 大広間では、同じく入道の主催で宴会が開かれた。上席に坐った帝と中宮に、入道の長男郡司武久が酒を酌む。宴と言っても痛飲して大騒ぎするのでは決してなく、帝が郡司や入道に、郡の名所や物産、民情や風土について様々な質問をし、郡司と入道が答える。他の公卿や殿上人達も、郡司の話に耳を傾けるもあり、仲間同士声を抑えて談笑するもある。 そのうち中宮は大広間を退出して、東宮を帝に任せ、二の宮を抱いて館の中をあちこち歩き回っている。やがて一室に来た。部屋には人はいず、簡素な仏壇が据えられている。仏壇には位牌が一つ。……この部屋こそ、千代がその短い生涯を、桜に看取られて終えた部屋なのだった。中宮は無我夢中で仏壇に走り寄り、跪き、二の宮を傍らに横たえると、合掌し深々と頭を垂れた。 〈……お母様! 私です、桜です! 私は今、東宮の母、中宮と呼ばれる身です、お母様の仰言った通り、私は最高の運を掴みました。この子は、帝との、いえ、大黒丸との、二人目の子です。どうかお母様、西方浄土にあっても、この子と、東宮と、そして今後、生まれるに違いない私と大黒丸の子供達とをお見守り下さい……〉 中宮は心の中で、亡き母の霊魂に叫び続けた。止めどなく涙が溢れ、頬を伝って床に滴った。 ふと中宮は、背後に人の気配を感じた。振り返ると、中宮の祖母の尼が、そっと寄ってくる。 「桜や、貴女が幸せになって、母さんもきっと極楽浄土で喜んでいるでしょう」 尼が優しく言うと、中宮は涙を拭いながら、 「ええ、お祖母様、でも、できる事なら、この子をお母様に抱かせてあげたかった……」 后妃となった事よりも、母となった事を亡母の霊に告げたいと思う心、これこそ中宮の女性としての真情であった。その熱い思いは、俗世を捨てた尼の胸をも激しく揺り動かす力を持っていた。中宮と尼は、夜更けるまで昔を懐しみ、千代を偲んで語り合った。 すっかり夜も更けた。入道も郡司も眠りに就き、尼も私室へ退って、来客用の部屋に帝と中宮、東宮と二の宮は床を並べた。皆が寝入って幾らか経った頃、突然中宮は声をあげてがばと身を起こした。 「どうしたの」 帝も目を覚ました。中宮は震える声で、 「そこに……お母様が……」 中宮は、わななきながら部屋の一角を指差した。勿論、帝の目には何も見えない。 「夢だよ。……夢ででも母さんに逢えるなんて、羨ましいな」 帝は低く呟くと、再び衾を被った。中宮は今の夢ですっかり興奮してしまって、一向に寝付けない。 ・ ・ ・
翌朝、三尾氏の菩提寺である近くの寺へ一行は赴いた。今回の行幸の真の目的は、中宮が母の墓参をする事にあったのだった。本堂で読経の後、住職に案内されて千代の墓所に来た。低い土饅頭には草が茂っている。中宮は数珠を押し揉みながら、じっと墓前に立ち尽くしていた。目を閉じると瞼の裏に、千代が生前のままの姿で浮かんでくる。帝に促されて、中宮は後ろ髪を引かれる思いで墓所を後にした。郡司の館を後に一行は尚も列を進め、昼過ぎに海津の港に着いた。琵琶湖は水運の盛んな湖で、湖北のこの周辺には、海津の他に勝野、塩津の港があり、米穀を積んだ船や、漁師の釣舟が足繁く往来する。行幸に使う御座船というのにはそれ相応の格式もあるのだが、前例のない行幸のため海津の港には御座船はない。已むなく、竹生島参詣客を乗せる一般の舟に、幡を立てて御座船とした。見慣れぬ幡に、辺りの漁民や参詣者は不思議がっている。 「さあ、船だ。皆、気をつけて」 風は穏かだが船は揺れる。帝は中宮の手を取って、船に乗り込ませる。帝も中宮も、船に乗るのはこれが初めてだが、帝は中宮の手前怖がる様子はおくびにも出さず、中宮は生来の剛毅な性格そのままに落ち着いている。むしろ中宮は、嬉しがってはしゃぎ回る東宮が船から落ちないか、その方が心配だ。 「主上、東宮をよく見てて下さいな」 「わかってるよ。あっ、これ、こっちへ来なさい!」 帝が目を離すと、すぐ舳の方へ行ってしまうので、帝は片時も油断できない。 「幾ら小さい子は、転ばせたり物にぶつからせたりした方が躾になると言っても、溺れさせる訳にはいかないからね」 帝は、隣に坐った按察大納言に言った。 やがて船は出帆した。穏かな西風を受けて船は順調に走り、夕方には竹生島に着いた。全島深緑に包まれ、社殿伽藍の森厳さを一層引き立てる。 「湖に浮かぶ社、か。両賀茂や石清水とは違った風情があっていいな」 帝はひとりごちた。 翌日、形式通り神社(都久布須麻神社)に幣帛を奉り、寺(宝厳寺)に様々な祈祷を行わせた。国家安泰、君民豊楽といった型通りの祈願の他に、帝は秘かに、父母の冥福を祈る祈祷をさせた。 〈父さん、母さん、私は、大黒丸たることを捨てて、帝と呼ばれる身になりました。でも今迄、父さんと母さんの、唯一人の子である事を、忘れはしませんでした。長い間何の供養もして差し上げられなかったのは、決して私の本意ではありません。せめてもの罪滅ぼしになれば幸いです……〉 その夜、帝と中宮は語り合った。 「やっと宿願が果たせたよ。母さんが亡くなって十四年、父さんが亡くなって十七年、いつか供養してあげたかったのが、やっと叶ったんだ」 「私も。ずっと気になっていた供養が、やっと果たせたわ」 中宮が不思議な笑みを浮かべるのを帝は見て、 「誰の供養? 母さんの?」 中宮は声を低めて囁いた。 「違うわよ、二、の、み、や」 帝は、はっと胸を衝かれた。七年前の冬、二条邸で二の宮が疱瘡のために亡くなった事は、帝と中宮しか知らない秘密だ。そして二の宮の骸がどうなったかは、帝も知らない。二条邸の裏庭の隅に、誰にも知られずに埋められている事は、中宮だけが知っている。以来中宮自身にも帝にも、何も不都合な事の起こっていないのが、この世に祟りの存在しない証拠だと嘯いている中宮だが、それでも心の一角では、後ろめたく思う事もあるのだった。 七日の朝一行は竹生島を発ち、高島、滋賀と泊りを重ねて、九日の夕方還幸となった。七日にもわたる行幸というのは、前例の少ない事であった。行幸後は、七日間に滞った政務の遅れを挽回すべく、一層夜遅くまで政務に励む帝であった。 (2000.9.16) |
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