釧路戦記

第三十三章
 十一時三十分。
 私はバズーカの銃身を遮蔽物の上に出し、前方十メートルの壁を砲身の延長線上に置き、引鉄を引いた。
 壁の一点が煙に包まれた。続けざまに五つ、壁に爆発が起こった。私はバズーカに次弾を填めた。爆発は次々に起こり、壁は次々に崩れてゆく。
 後ろに控えていた友軍の兵士達が、小銃を振りかざし、または腰だめにしながら、続々と前進してゆく。敵の最前線は瞬く間に突破された。私はバズーカを下ろし、背中に弾薬を扼りつけると、バズーカを背負い、小銃を構えて立ち上がった。弾薬が重過ぎて、歩けるかどうかも分らない。私はやむなく、弾薬を再び下ろし、遮蔽物の陰に隠すと、バズーカと小銃だけ持って前進した。
 幅員十数メートルの橋を埋め尽くしていた兵士達は、密集隊形のまま前進していく。バズーカで一発喰わして敵を威圧してから小銃の一斉射撃を浴びせながら突撃すると、敵は次々に射倒され、軽機は沈黙していく。敵の屍を乗り越え、踏み越え、尚も前進は続く。
 ところが急に前進が止まった。敵の後方に強力な機関銃座があるらしい。兵士達は地に伏して動こうとしない。機関銃座を至近距離で叩くのはバズーカの十八番だ。私はバズーカに装填し、一発発射した。次々にバズーカが火を噴く。
 何と! バズーカが効かない。土嚢や石材を積んだ、大した事のない代物なのだが、相当の厚さがあるらしい。こうなれば方法は一つ。私は叫んだ。
「バズーカ止め! 俺の所へ、全弾持って来い!」
 あるだけの弾を、一ヵ所に集中させれば必ず貫ける。雨滴石を穿つ、況してバズーカ、必ず壁を穿てる。
 すると、私の命令に従わない筈の佐々木の部下が、私の許へ弾丸を持ってきた。私は一人の兵に命じた。
「俺があの銃座を射つ。弾を填めろ」
 私はバズーカを構えた。先刻の射撃で破壊された一箇所を狙い、第二弾を発射する。
「弾丸を填めたら何か声掛けろ」
「はい」
 引鉄を引く。第三弾命中。
「はい」
 第四弾発射。一発毎に壁は崩れ落ちてゆく。
「はい」
 第五弾。しかし一向に崩れない。
「おい、残りは何発ある?」
「九発です」
「九発しか無いか……止めた。他の手段を考えるぞ」
 敵の機関銃座は、壁に隠れている私達に、次々に銃火を浴びせてくる。
「どうして一晩のうちにあれだけ頑強な代物を造れたんだろう?」
 佐々木が呟く。私は言った。
「金城鉄壁の砦だって、所詮は人間が造った物だ。人間が造った物が人間に壊せない訳が無い」
 と言ってはみたものの、バズーカも駄目となれば如何ともし難い。
 佐々木が言った。
「要は敵兵さえいなくなれば済む訳だ! 徹底した戦力漸減にかけるのも手だ」
「そいつはどうかな。今朝からの感じだと、敵は市内全体に散らばってるとして、我が軍の二倍か三倍はいる。その敵を一人ずつ殺してたんじゃ、我々の方が先に全滅するぞ」
「それじゃどうする?」
「戦車か自走砲に応援を頼むより無いな」
「しかし……」
 佐々木は考え込む。
「先刻、戦車か自走砲をよこしてくれと頼んではみた。そうしたら、戦車はよりによって矢臼別だ。しかも、当の矢臼別では燃料が払底してジープも走らせられないとさ。燃料注文し忘れたらしい」
 何たる醜態ぞ。最大の機動戦力が使えないとは。私は落胆を抑えながら訊いた。
「それじゃ自走砲はどうなんだ?」
「自走砲はすぐ来られるらしいんだが、七六ミリだろう? 大した破壊力は期待できないな」
「期待できてもできなくても、破壊力があることは否定できない! 自走砲を頼もう!」
「先刻頼んだよ」
「それじゃ、来るのを待つか。弾に当たらないように」
 私はバズーカを肩から下ろし、姿勢を楽にした。辺りを見回すと、橋の南にある四階建が目に入った。
「あの四階建はどうなってるんだろうな……。全然攻撃してくる気配が無いぞ」
 佐々木が訊いた。
「あの四階建がどうかしたのか?」
「敵が籠ってるらしいんだよ。で、攻撃させろと本部長に上申したら、放っとけって言うんだ。一人で潜り込んでみたら予想通り敵兵がいるのさ。数人殺して弾薬を奪って、橋の上の敵をやろうとしたら気付かれて、窓から逃げてきたという訳だ」
 この時、四階建の方から銃声が起こってきた。私は呟いた。
「どうやらあの四階建の戦術的重要性を認識したらしいな。攻撃が始まったようだ」
 橋のもっと北の方でも銃声が続く。標茶の二個中隊が戦っている様子だ。二つの戦闘に挟まれて、この前線は静かである。敵も射かけて来ない。次第に時間が経つ。
 突然、佐々木の無線機が鳴った。
「こちらFSH」
〈…………〉
「了解」
 私は佐々木に訊いた。
「何だって?」
「防毒マスクをつけろと」
 何の事だ?
「四階建をたった今、九州第二中隊が占領したらしい。屋上に榴弾砲があったんだと。それで、そこに、毒ガス弾があったんだとさ。それをあっちの敵にぶち込むらしい」
「そりゃ困ったな。防毒マスクなんか持ってないぞ。民兵軍本部に置いて来ちまった。……先刻敵から奪った武器の中にあったかな? 捜してみる」
 私は匍匐前進で、先刻弾薬を置いていった所へ戻った。包みをほどいてみると、予想通り敵の防毒マスクがあった。私はそれを持って前線へ戻り、防毒マスクを被った。多少息苦しい。地面に伏せていると、前方で鈍い爆発音が起こった。崩れた壁の隙間から様子を窺う。敵陣の方からは、兵士の喘ぎや咳が聞こえてくる。かすかに、草のような臭いがする。ガス弾が次々に破裂する。ごく淡い黄色のガスが拡がる。これこそ窒息ガス、ホスゲンである。敵兵が呼吸困難に陥って次々に倒れてゆくのが目に見えるようだ。
 やがて砲撃は止んだ。橋の北半分を包んだガスは、次第に風に流されて薄まってゆく。
「突撃ー!」
 佐々木が叫んだ。兵士達は一斉に飛び出した。その途端、敵の機関銃が火を噴いた。毒ガスが効かなかったのか? 考えてみれば敵も防毒マスクを持っているのだ。見る間に数人射倒されてしまった。他の兵士達は退却してくる。佐々木は困惑しきった声で呟いた。
「参ったな」
 私は言った。
「手榴弾があるだろう?」
「いや、あの機関銃座には屋根がある。手榴弾は投げてみたが役に立たん」
「駄目か……どうするんだ本当に?」
 佐々木は殆ど叫ぶように言った。
「もし使えたら原爆使いたいくらいだ!」
 彼は前方を見ながら言った。
「あそこに倒れてるのは俺の部下だ。犬死にさせちまった。俺が至らないばっかりに……」
 彼の声は次第に悲痛になってきた。私は言った。
「俺にもその気持ちはわかるよ。今後は部下を死なさないようにすればいい。反省は改善を産むが後悔は何も産まない。後悔したって始まらないんだ。
 さし当って今は、自走砲を待つこと、これが先決だ。気を取り直せよ」
「部下を死なせた人間に言う言葉か、それが」
 暫くして、私の無線機が鳴った。
「こちらTYH」
〈CKだ。もうすぐAR一が到着する。AR一と交信せよ。以上〉
「了解!」
 素晴らしい援軍である。航空隊の、八人乗りセスナ機を改造した爆撃機が来るのである。私は佐々木に言った。
「おい喜べ、『天誅』が来るぞ」
 彼は目を輝かせた。
「本当か!?」
「そうだ。交信しよう」
 私は日頃「天誅」と呼びならわしている爆撃機AR一を呼んだ。
〈こちらAR一〉
「こちらTYH。目的地到着予定時刻を知らせてくれ。どうぞ」
〈一二四○の予定だ。現在地は一四三一○、四三○五〉
 帯広の少し北の方だ。
〈もう暫くしたらこちらから呼ぶ。その時進入路と目標を指示してくれ。以上〉
「了解」
 私はスイッチを切った。時は刻々と過ぎてゆく。今ごろは白糠丘陵上空だろうか。
 十二時三七分、無線機が鳴った。
「こちらTYH」
〈AR一だ。現在地は一四四一五、四二五○。進入路を指示してくれ。どうぞ〉
「了解。北東微東へ直進。現在高度は? どうぞ」
〈八○○メートル。どうぞ〉
「知人礁上空に差しかかったら三○○まで降下。どうぞ」
〈了解。もう知人礁南方だ。左旋回する。どうぞ〉
「目標は、幣舞橋北詰付近の機関銃座。市街にかかったら一○○まで降下。どうぞ」
〈今刑務所上空、支庁上空。高度一五○。どうぞ〉
「北大通を真っすぐ見通せ。どうぞ」
 周りが騒がしくなった。飛行機を見て歓声を上げているのか。私はそれどころではない。
〈進入失敗! やり直す。どうぞ〉
 私は港の方を見た。「天誅」が超低空飛行で通り過ぎてゆく。
「南北いずれから進入するか? どうぞ」
〈北から〉
「南方の崖に注意しろ! どうぞ」
〈了解。現在駅上空、高度八○〉
 あと十数秒で来る。
 いよいよ来た。北方から爆音を響かせて、双発の我が軍爆撃機「天誅」が飛んで来る。
 距離五百。高度五○。
 敵は機に向けて発砲するが、かすりもしないようだ。それはそうだ。毎秒五○メートルで飛んでいるのである。
 距離三百。突如、一つの考えが浮かんだ。もし照準が狂ったら我々は肉切れになる! 兵士達が後ろへ逃げてゆく足音がする。私は遮蔽物に隠れたまま、空を見上げる。
 機の主翼下に吊下された一二○キロの通常爆弾二発が、主翼から離れた。二発の爆弾は放物線を描いて落下していく……。
 機関銃座が、耳を聾する轟音と共に火の玉に包まれた。猛烈な爆風が私の顔を襲い、私は思わず後ろへよろけた。コンクリート片、鉄片、そして大小の肉片が飛んできた。私の顔に妙な物が当たり、防毒マスクの眼ガラスが赤黒く覆われた。防毒マスクを外してみると、掌大の血塗れの肉片が貼り付いている。私は防毒マスクの血を拭い、被り直した。爆発の轟音で耳鳴りがする。
 空を見上げると、もう爆撃機は見えない。丘の向こうへ飛び去ってしまったのだろう。無線機が鳴った。
〈成功か否か? 応答されたい〉
 私は無線機を持ち直し、叫んだ。
「大成功!」
 後ろの方からは大歓声が上がる。
「行くぞー!!」
「わあっ!!」
 無線機から声がする。
〈機銃掃射やっておこうか? どうぞ〉
「やってくれ。まだ敵兵は生きてるようだ。以上」
〈了解〉
 南へ飛び去った「天誅」は、再び戻ってきた。私は叫んだ。
「まだ突撃するな!! 機銃掃射が先だ!!」
「天誅」は急速に高度を下げた。わずか二○メートル。機首の二五ミリ機関砲が火を噴く。二五ミリの炸裂弾の殺人力は強大である。一連射を浴びせて駅の方向へ飛んで行った機は、爆音を響かせながら再び舞い戻って来ると、今度は両翼の一二・七ミリも動員して、橋上の敵に猛烈な銃火を浴びせる。数往復した後、
〈もう充分だろう〉
「充分だ」
「天誅」は橋の上で一回旋回し、翼を振ると西へ向かって飛び去って行った。私は叫んだ。
「突撃――!!」
「お――っ!!」
 我が軍の兵士達が閧の声を上げる中、私は小銃を振りかざしながら突進した。兵士達が一斉に続く。機関銃座の墟に突っ込み、敵兵の死体を蹴散らし、動いている敵兵を次々に血祭りに上げる。先刻のガス弾が奏功して、倒れている敵兵は、大半が窒息している。呼吸困難で白目をむいている兵は殆ど身動きできないから、射殺するのは簡単過ぎるくらいである。
 と、銃弾が飛んできた。鉄兜に当たった。私は遮蔽物の陰に転がり込んだ。近くに軽機がある。これを遮蔽物の上から突き出し、前方の敵を狙って連射した。この援護射撃の間に、友軍の兵士達が匍匐前進で進んでゆく。手榴弾が飛び、バズーカが火を噴き、数十挺の小銃、鹵獲された敵の軽機が咆吼する。敵兵の断末魔の叫びが、火器の音に交じる。
 ところが敵もさるものである。川の北岸にある建物の随所に軽機を据えて射かけてくる。程なく、前進も止まってしまった。どころか、十二時を過ぎる頃からは敵が盛り返してきたために、我が軍はとうとう一時退却となった。橋の北側から三分の一位まで押した我が軍の前線は、橋の中程まで押し戻されてしまった。
「一体、北からの攻撃はどうなっているんだ? 『天誅』まで来てくれたというのにこのざまだ。朝から全然進んでいやしない」
 私は佐々木に言った。佐々木は無線機から耳を離すと苦渋に満ちた声で言った。
「自走砲が一両、東釧路駅の近くでバズーカの餌食になったと」
「……」
 ふと佐々木が言った。
「一個中隊を、川向こうにやる必要があるなら、船で充分だと思わないか?」
「それはどうだか。港は敵の船が走り回ってるらしいぞ」
「そうか?」
 佐々木が顔を上げた途端、河口の方から銃火が起こった。佐々木は言った。
「そのようだな。見たところ、小さいのが十隻からいるようだな」
「船を用意するのが大変だし」
 突然、佐々木は両手を差し上げて叫んだ。
「どうすりゃいいんだあ!」
 私は半ば諦めたような口調で言った。
「もし、橋を敵に渡しさえしなければいいのなら、この橋を敵諸共爆破するだけだな」
 一時半になった。
 無線機が鳴った。
「こちらTYH」
〈CKだ。すぐ突撃に出ろ。以上〉
「突撃? ……了解。やります」
 私は佐々木に言った。
「突撃命令だ」
 佐々木は言った。
「そうなったらやるしかないな。突破できなかったらその時はその時だ。やってやろう」
 私は頷いた。軽機を組み立て、弾倉を装着すると、後ろを振り返って叫んだ。
「突撃ー!!」
 最前線には数十人の友軍兵士が集まり、小銃の弾幕を張りながら前進を始めた。私は先頭に立って、軽機を連射しながら進む。今度はどうした事か、敵はすっかり腰砕けとなって、続々と敗走を始めた。ところが、北側から逃げてくる敵とぶつかって、橋の北側は混乱の巷と化している。
 その時、上空に再び「天誅」が姿を現した。今度は爆弾は吊下していない。機はまた超低空飛行に入ると、橋の北側の敵兵の渦に機銃掃射を浴びせる。二五ミリ機関砲の弾丸が炸裂する。空中に弧を描いて手榴弾が飛ぶ。
 軽機の弾丸が切れた。私は、軽機を投げ捨て、着剣した小銃を構えて、辺り構わず振り回し、敵陣に斬り込んだ。
 北側の建物の窓からは、敵兵が次々に投げ落とされてくる。我々を狙い撃ちする敵の銃火に代って、橋上の敵に味方の銃火が浴びせられる。逃げ場を失った敵兵は、次々に川に飛び込む。ところがその敵兵も橋の上から射られて、死体となって港へ流れてゆく。
 とうとう敵陣は破られた。前方から味方が押し寄せてきた。北からの友軍と南からの部隊は、幣舞橋の北端から約五十メートルのところで合した。午後一時五十分。
 北からの友軍を見ると、近畿第一、第二中隊だけでなく九州第二中隊と北陸第二中隊もいる。ということは、久寿里橋か旭橋か、或いは雪裡橋が先に我が方の手中に入って、そこから回ってきたに違いない。
「随分遅かったじゃないか」
 近畿第一中隊の一班長に声を掛けた。
「雪裡橋まで行き着けなくて、支雪裡まで回って来たんですよ」
 支雪裡は釧路の遥か北方、標茶の近くである。そこまで迂回を強いられたのでは已むを得まい。
(2001.2.10)

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