釧路戦記 |
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第三十四章
私は南へ向かって引き返し、橋の上に置いてきた弾薬の包みを引きずって民兵軍本部へ向かった。道中でも、敵兵の死体から挿弾子を奪ってはポケットにねじ込んだ。道のそこここに、敵兵の死体が転がっている。市役所前の通りと交差する十字路まで来ると司令部はすぐ先である。私は重い包みを引きずって歩いた。 司令部前に来てみると、これはしたり、司令部は木材の山である。かつて二階半の高さのあった建物は、すっかり崩れて、平屋並みになってしまっている。前の通りにまで散乱した木材の間に、民兵が折り重なって死んでいる。私は無念の余り呟いた。 「遅かったか……」 その時、上の方の木材の間から這い出してきた者がある。私は大声で誰何した。 「誰だっ!?」 「僕ですよ」 彼は顔を上げると言った。屋代である。私はほっとした。 「何だ屋代か。誰かと思ったぞ。 一体全体、何があったんだ?」 屋代は軍服の埃を払いながら言った。 「七時半頃ここへ戻って来たんです。そしたら、敵がここを攻撃してるから、裏の階段から入って、二階の窓から敵と戦ったんです。一時頃弾丸がなくなったもんで、下へ行こうとした時に、階下で物凄い爆発が起こって、何かガス臭いなと思ってた時だったんですが、それで家が潰れて下敷きになって。暫くして気が付いて、這い出してきたって訳です」 「他のはいなかったのか?」 「戻ってきた時に、石田と早川が店先で重機振り回してるのを見ただけです」 「石田と早川か……家が爆発した時には店先にはいなかったに違いない。この辺には倒れてないぞ」 屋代が出し抜けに言った。 「あ、そうだ。確か僕が階下へ降りる階段を降りようとしていた時、石田が階段の下にいましたよ。丁度その時爆発したんです」 私は愕然とした。 「階段の下!? 階段の下って事は、家の奥の方じゃないか。そこにいた時に家が潰れたって事は……三十分や四十分じゃ脱出できるかどうか」 屋代は言った。 「探しましょう!」 言うが早いか彼は木材の山によじ登り、奥の方の木材をのけようとし始めた。私は弾薬の包みを盗まれないように木材の間に隠してから、彼に続いた。 一番上は瓦である。割れた瓦を一片ずつ取り除き、瓦の下の木材を取り除いていく。屋根のすぐ下は、私達の居住していた屋根裏である。手を突っ込んだ屋代は、慌てて手を引き抜いた。 「痛っ! ガラスで切っちゃった」 私は言った。 「気をつけろ。ガラスなら大した事ないが釘だと危いぞ」 一メートル四方くらいの四角い穴を作り、その中へ私と屋代は潜り込んだ。懐中電灯の光で、木材の隙間を調べてゆく。 「床から天井まで七十センチ! 見事に潰れたなあ」 私は屋代をどやしつけた。 「馬鹿、何を言ってる。一センチでも隙間が広い方が、石田が生きてる確率が高いんだ」 三十分が過ぎた。私達の捜索は徒労に帰した。石田は見当らなかったのだ。 「本当に死んじゃったのかなあ……」 屋代はすっかり落胆の態だ。彼にとって石田は、単なる戦友であると言うよりも良き兄貴であったのだ。私は励ますように言った。 「そうがっかりするな。石田はきっと、この木材の隙間に生き延びてる。明日になってひょっこり出てくるかも知れんぞ。崩れたトーチカから生還したこの俺が言うんだ。奴ならきっと這い出してくる」 私は、木材の間に隠した弾薬の包みを取り出し、包みをほどくと、ポケットの挿弾子を弾薬と一緒にし、小銃の弾倉を二つ三つケースに収めた。屋代が訊く。 「その弾薬、どうしたんです?」 私は答えた。 「敵から奪った。お前も敵の小銃を一挺持ってた方がいいぞ。敵兵から弾丸を奪って使える。自動小銃にはこの弾は入らないからな。こういう戦いでは、最後は弾薬の量の勝負だ」 早速屋代は、そこらに倒れている敵兵のポケットを漁り始めた。私は言った。 「弾丸は結構重いぞ。盗みすぎると背負って歩けなくなるからな」 私は敵兵の死体から背嚢を奪うと、その中に敵の軍服、鉄兜、防毒マスクなどを入れた。それを背負い、鉄兜を被って私は歩き始めた。 ・ ・ ・
差し当たって敵軍の攻撃目標は何なのだろう。私は四方を警戒しながら歩いた。町は、人通りが殆ど絶えて静かである。時々、討伐隊員や民兵が、敵兵と銃火を交える音がするくらいである。四時頃、私はとある肉屋の前に立った。シャッターがこじ開けられた痕がある。という事は敵兵が侵入したという事である。私は小銃を構え、そっと店の中へ入った。奥の方から声がする。 「牛は美味えなあ」 「只でこれが喰えるなんて言うことなしだ」 敵兵だ! 私は銃の引鉄に指をかけた。銃の銃先には消音器がつけてある。街中で銃を発射するとその音はかなり離れた敵にまで聞こえてしまう。それは敵を呼ぶに等しい。そこで極力銃声を小さくするため、消音器を使うのである。 私はちょっと考え、銃剣を抜いた。近接戦なら銃剣も相当の殺傷力がある。私の銃剣投げは、狙いの正確さでは自信がある。何と言っても銃剣は音を立てない。私は足音を立てずに前進した。 肉を焼く匂いがする。その匂いは、私の敵愾心を一層煽った。いい気になって牛肉なんか喰いやがって。一分後には貴様等に貴様等自身の腹わたを喰わすぞ。 台所を覗くと、いたいた、敵兵が二人。どちらも下っ端の兵だ。一人が言った。 「どうだ、売り物を只喰いされる気持ちは? ええ?」 店の主人か誰かが縛られているのだろうか。私は銃剣を構えた。 「串焼きでも作ろうぜ」 その兵は言った。私は内心嗤った。お前の頭を串焼きにしてやろう。 私は銃剣を投げた。銃剣はその兵の耳に深々と突き刺さった。その兵は前のめりに倒れた。もう一人が振り返った。私はその兵の胸板に飛び蹴りを喰わした。兵は一回転した。私は床の上の皿を見た。牛のもつかある。 「牛のもつを食ってたんだな」 その兵は起き上がって言った。 「そうだ」 私は、床の上にあった牛刀を引っ掴むと、その兵を押し倒し、右脇腹を真一文字にかき切った。兵が悲鳴を上げる。私は脇腹に手を突っ込み、肝臓の切れ端を引きずり出すと、その兵の口にねじ込んだ。 「これが貴様のもつだ! どんな味だかわかったか!」 その時、その兵はもう死にかけていた。私はこの兵をそのままにして辺りを見回した。店の主人らしい男が縛られて坐らされている。私は縄を解いた。 「怪我はありませんか」 主人は答えた。 「ええ、どこも。お蔭で助かりました」 「肉を只喰いされただけですか?」 「そうです。他所なんか相当ひどく荒らされてますよ」 「……。それはそうと、こいつらを始末しないと臭くてかなわん。表へ捨てに行こう。手伝って下さい」 私は二つの死体を外へ引きずって行き、道端へ放り出した。銃剣を抜き取り、鞘に収める。台所へ戻った私は、床を拭いている主人に言った。 「家を汚して済みませんでした」 主人は顔を上げずに答えた。 「いいんですよ。あの連中さえいなくなるんなら少々の事は」 私は、皿の上にある肉を見て言った。 「もし捨てるんなら下さい。朝から何も食ってないんで」 少々厚かまし過ぎたか。しかし主人は言った。 「どうせ捨てなきゃならないんですから。……でも……人を殺した後でよく肉が食べられますね」 私は肉を食べながら答えた。 「肉屋だってそうじゃないんですか? 自分で殺した牛や豚を人に売ってる」 「自分では屠殺はしませんよ。屠殺したのを仕入れて来るだけです」 私の知識不足であった。考えてみれば肉屋に厩舎は無い。 五時十分頃、私は肉屋を出た。 ・ ・ ・
五時二十分頃、路地に入って行った私は、ふと敵兵の声を聞いた。私の足は止まった。小さな声が確かに聞こえる。声の源はどこだ。私は耳をそば立てた。 すぐ近くの家の中だ。私は声の源に静かに近づいた。雨戸の隙間からだ。私は雨戸の隙間から中を覗き込んだ。 敵兵が……十五、十六、十七人。准尉が一人、軍曹が一人、伍長が一人、他の十四人は兵だ。一網打尽にしてくれよう。 私は手榴弾を取り出すと、雨戸をそっと動かし、十センチ程開けた。二重窓を指先でそっと動かす。動いた。錠がかかっていないらしい。内側の窓は……動いた。暖気が吹き出してきた。ストーブを使っているのだろう。私は手榴弾のピンを抜き、レバーを外して撃針を作動させた。一秒。二秒。 手榴弾を、窓から投げ込む。素速く体を引っ込める。 大爆発! 爆風が窓から吹き出す。 雨戸は大破している。私はガラスの殆ど消し飛んだ窓から中へ入った。硝煙が立ち込めている。窓の近くにいた五人ばかりは、確実に死んでいた。他の敵兵は、まだ呻吟している。一人ずつ、銃剣で止めを刺した。最初覗いた時に見えなかった所にも敵兵はいて、結局部屋にいたのは准尉一人、軍曹二人、伍長二人、兵十六人、合せて二十一人であった。 私は背嚢とポケットに、自動小銃の挿弾子を詰め込んだ。少し考えて、准尉の軍服も奪い、背嚢に入れた。 外の方から人の声がする。敵が気付いたらしい。私は急いで、近くに倒れていた軍曹の軍服を剥ぎ取り、敵の軍曹に化けた。 窓から出た所へ、敵兵がやって来た。階級は伍長である。後ろに兵が二人いる。伍長は私を見ると敬礼した。 「今の音は何でありますか」 私は答礼すると言った。 「敵兵がここにいたから手榴弾でやった」 伍長が室内を覗き込んだらバレてしまう。私は足早に立ち去った。歩き出すとすぐ、思った通り後ろから、 「味方だ! とすると、あいつは敵だ!」 私は身を飜して物陰に隠れ、そこから自動小銃を三連射。三人は倒れた。 全く危い処であった。敵兵に化けるというのは、多少難しい。嘘で固めなければならないが、すぐバレる嘘では問題にならない。 私はこれで、敵の軍服を四着も手に入れた。つまり四人の、偽革命軍兵士がいるのである。 ・第三連隊第七大隊第一中隊 渡辺准尉 ・同右 桜田軍曹 ・第五連隊第十四大隊第三中隊 松本曹長 ・第七連隊第二十一大隊第二中隊 大河原一等兵 これを、時と場合に応じて使い分けることになる訳だ。ただ、やたらに化けると本当の味方に殺されてしまう可能性はある。それではいかに何でも困る。敵に殺されたくは無いが味方に、自分が変装したために殺されるのでは死んでも死に切れぬ。私は敵の軍服を脱いで矢板小隊長に戻った。 今は廃墟と化した民兵軍末広町司令部に戻り、屋根の下、かつて屋根裏だった空間に自動小銃の挿弾子を隠した。 夜になった。私は、小銃を提げて、町の辻々を歩き回っていた。 ふと、私の耳は、啜り泣きの声を捉えた。私は全神経を耳に集中し、声のする方向へと足を運んだ。 声は、ある店舗の裏庭から聞こえてくる。私は足音を忍ばせて、そっと接近した。微かな明りを頼りに、私は裏庭に目を凝らした。 一人の女が、地べたにうずくまっている。私は懐中電灯を取り出した。うずくまっている女を照らし出すと同時に、私は声をかけた。 「どうした?」 女は顔を上げた。二十歳くらいか。突然光を向けられた女は、すっかり怯えた様子で、目を見開き、表情を硬ばらせている。私は袖の徽章を照らして言った。 「怖がらなくてもいい。私は反乱軍ではない」 女は安心した様子だ。起き上がって、被っていた布団に身をくるみ直した。私はその隣に坐った。 女は細い声で言った。 「あなた、討伐隊の人ですか?」 「ああ、そうだ。私達は、市民に危害は加えない」 私は一呼吸置いて、女に尋ねた。 「何で泣いていたんだ?」 女は小さな声で答えた。 「怖いの」 「え? 何が?」 「反乱軍が……。 今朝、私の家は、反乱軍に襲われました。父と母が殺され、……私は……五人の男に……犯されました」 言語道断などという言葉では言えぬ。かかる蛮行を、断じて許すことはできぬ。 ……どうも腑に落ちない事がある。敵兵を怖れているなら、何故家の中に隠れないのだ? 夜だというのに、家の外にいるのでは、敵に襲われても仕方がない。まして、離れていても聞こえるような声を上げるというのは、敵を誘っていると取ってもよいくらいだ。 「夜になったら、反乱軍が、いつどこから来るか心配で……」 女が言うのへ、すぐさま私は疑問をぶつけた。 「なら何で、家の外で、声を出していたんだ? 聞きつけたのが討伐隊の者だったから良かったようなものの、反乱軍だったら」 女は答えなかった。動揺した様子だ。 「まあいい。何か訳があるんだろう」 私は独り言のように呟いた。 少時して、女は私に体をすり寄せてきた。そればかりか、体を包んだ布団を広げて、女の左脇にいる私を包み込もうとする。私の心の中に、不審な疑念が広がってきた。 私の警戒心を知らない女は、突然、先刻とうって変わった媚びのある声を出して、私にしなだれかかってきた。 「ねえ……」 私の冷徹な理性は、心の底に微かに湧き起こってきた情欲をねじ伏せるには充分だった。私は一層警戒心を強めた。それでも私は、更に策をめぐらせた。女の誘いに乗るそぶりを見せてやろう。私は女の腰に手を回した。 女の右腰に回した私の手は、硬い物に触れた。この形は銃剣の柄だ。一般市民が銃剣を腰に差す訳がない。となれば、……敵の回し者であろう。これは油断ならぬ。 やがて女は、私が積極的な行為に出ないのを見てとると、いきなり私に抱きついてきた。 「抱いて!」 女は囁いた。 この大馬鹿者が! そんな色仕掛に欺される俺ではない。大体考えてみよ、今朝五人の男に輪姦された女が、その日のうちに男を求めるか!? 私は女を突き放し、立ち上がった。 「駄目だ。討伐隊員として、そんな事はできない」 女が不満気に見上げるのを見て、私は口調を変えた。 「用足しに行ってくる。すぐ戻る」 私は少し離れた物陰に隠れた。昼間入手した武器の中に、二二口径の小型拳銃があった。これを餌にして、あの女の正体を暴いてやる。私は拳銃の薬室に、二五口径の弾丸を強引に押し込んだ。この状態で引鉄を引けば、銃は粉々になる。 私は女のもとへ戻った。 ・ ・ ・
何事もなく夜は明けて、朝になった。女が目を覚ましてから、私は言った。「また反乱軍が来た場合のために、これをやろう」 私は服の物入れから昨夜の小型拳銃を取り出し、女に与えた。女は拳銃を手に取って、銃身を覗き込んだりしている。私は立ち上がった。 「それじゃ、私はこれで」 と言って女に背を向けた途端、女の声がした。 「動くな!」 思った通りだ。雌狐め、正体を現したな。私は振り返った。女は拳銃を右手で構え、ぴったりと照準を合わせている。私は両手を広げた。 女は言った。 「引っかかったね、この老いぼれが。女だからと油断したのが運のつきよ。革命軍にはね、千人からの女兵士がいるんだよ。あたしは、立派な革命軍伍長さ。 あんたには死んで貰うよ。何か言い残す事はないかい」 私は黙っていた。女は言った。 「あばよ、この老いぼれ兵」 女は拳銃の引鉄を引いた。次の瞬間、苦痛に満ちた声を上げたのは、女の方であった。私の細工した拳銃は破裂し、女の右手を半分吹き飛ばしたのだった。 私は銃剣を抜き、右手を押えて苦痛に呻く女に飛びかかった。女が振り上げた左手を、私は銃剣で、後ろの壁に串刺しにした。 私は女の右腰から、細身の銃剣を抜いた。青ざめる女の顔前に銃剣を突きつけた。ほんの一瞬、私の頭の片隅に、微かな躊躇の感情が起こった。女の両目は、涙を浮かべ始めた。今度こそは本物の涙であったろう。…… 私は、脳裡から一切の雑念を追放した。 やらねばならぬ。この女は敵兵なのだ。 私は銃剣を握りしめ、女の左胸に深々と突き立てた。女の体はずり落ち、女は頚を垂れた。私は自分の銃剣を、女の右手から抜いた。女の布団で血を拭い、鞘に収めて、私はその場を去った。無意識のうちに私は呟いた。 「俺だって、女を殺したくはなかった」 (2001.2.10) |
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