釧路戦記 |
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第二十六章
「……という訳です」深夜の中隊本部。私と太刀川は中隊長に、捕虜収容所にいた間の経過を報告した。 「大したもんだ。太刀川小隊が生き残っていて何よりだ。角田が喜ぶぞ。山田は後方送りだ。手配しておこう」 中隊長が珍しく感情を現した。 「ところで今言っておくが」 何か作戦命令だろうか。しかし要塞守備隊に作戦というのも変だ。 「明後日に我が中隊は釧路市へ移動することになった」 「そりゃまたどういう訳で?」 太刀川が問う。 「敵はここ根釧原野で形勢利あらずと見たか、部隊を釧路はじめ都市などに分散させているのだ。ゲリラ戦に移る構えに違いない。そこで我が方でも、今根釧原野にある二十七個中隊のうち七個中隊を、都市警備隊として移動することになった」 「でも何故私達が?」 「上の方がそう言ってきたのだ」 「それじゃ今ある要塞には……」 「ちゃんと代替部隊がいる」 「わかりました」 「ああそれから、補充兵が来てるぞ。実は先週来たんだが、太刀川小隊と矢板小隊の存否が不明だったから割り当てを決めていなかったのだ。明日にでも割り当てを決めて、配属させよう」 補充兵には苦い思い出がある。鈴木と山口の二人を、配属から一ヵ月も経たぬうちに、相次いで狂い死にさせたことだ。それにしても、円朱別以来、志村といい石川といい、橋本、鈴木、山口、何故か補充兵ばかりが戦死する。 「さて、今は……一時か。矢板、どうする」 「要塞へ戻ります」 「今からか? 明日……いや今日か、代替部隊が出発するまで休んで行ったらどうだ?」 「今から帰ります」 「車は無いぞ」 「むろん歩いてです」 「君のような有能な兵士の生命を危険に曝したくは無いな」 「そうまで言うなら仕方無い。朝まで休ませて貰います」 私達は、私達にとってある意味での「古巣」である兵舎で朝まで眠った。 翌二十三日の朝は霙混じりの雨の降る寒い朝だった。私達は朝飯を食べるのもそこそこに基地を辞し、新しい銃を受け取って要塞への帰途に就いた。山田は、私達の出発と同じ頃釧路へ送られていった。 午前九時、要塞に着いた。哨戒任務に就いてない兵達が要塞から飛び出してきた。 「矢板、心配したぞ。どうしてたんだ」 「捕まっちまってな。五日間収容所暮らしだ」 「脱出してきたのか」 「そうだ。所長を殺して、重要書類を奪ってだ。……そうそう、太刀川小隊が二十四人捕虜になってたぞ。全員脱出に成功した」 「そうか。とにかく良かった」 賑やかすぎて話し声も良く聞き取れない。 「山岡の顔、ひどいな。誰にやられたんだ?」 「……」 山岡は無表情のまま、腑向いて黙り込んでしまった。 あの夜の出来事が彼女に与えた打撃の大きさは想像に余りある。いかに気丈な彼女でもこの打撃からは立ち直れるだろうか。立ち直ることを願わずにいられない。 ほんの一休みした時、無線機が鳴った。 「こちらTYH」 〈TMHだ。今すぐそっちへ、九州大隊の一個小隊が行く。そうしたら、すぐに小隊全体、兵站基地へ出頭せよ。敵が動き始めた。以上〉 私はスイッチを切った。皆に命じた。 「この要塞に我々の交代要員が来次第、ここを出発する。急いで支度しろ」 私は再び無線機を取った。 「TYT、こちらTYH、応答せよ」 〈こちらTYT。どうぞ〉 「すぐに部下を集めて要塞へ戻れ。もうすぐ本部へ向けて出発する。以上」 〈了解〉 私は続いて酒井を呼んだ。 「TYS、こちらTYH、応答せよ」 〈こちらTYS。どうぞ〉 「すぐに部下を集めて要塞へ戻れ。本部へ向けて出発する。以上」 〈了解〉 十五分後谷口班が、その五分後酒井班が戻った。私は急いで出発の支度をさせた。 十分後、緑色バスが要塞の前に停まった。二十人ばかりの兵士達が降りてきた。三本線の小隊長が降りてくると、私に向かって言った。 「九州第一中隊の吉田だ」 「東京第一中隊の矢板だ」 私は吉田に、要塞の構造などを一通り教えた。案内し終わってから私は言った。 「我々の小隊は速やかに出発しなければならない。健闘を祈る」 「こちらこそ」 午前十時、私達は緑色バスに乗って、要塞を後にした。私がハンドルを執り、バスは緩やかな丘を走った。 後ろから声がする。 「先刻の九州大隊の仲間は、何か随分温かそうな服を着てたなあ」 「俺達が要塞に閉じ込められてる間に、冬になっちまったのさ。冬服が支給されたんだろうよ」 そうだ。北海道の秋は短い(本州の人間にはそう思える)。一ヵ月の間に初秋から初冬になったのだから。 「うちの分の冬服も基地に届いてるだろ。着いたら受け取りに行く」 基地に着いた。私は中隊本部へ行った。 「矢板小隊到着しました」 「よし。総務部へ行って冬服を受け取って来い。釧路の本部には一二○○に出頭だ」 「解りました」 「ああそれから、補充兵だがな、前に吉川小隊がいた部屋に待たせてある。これが名簿だ。バスに乗せて釧路へ行け」 「了解」 中隊長に手渡された名簿には、八人の名前があった。 私達は総務部へ行った。 「矢板小隊、冬服受け取りに来ました」 ところが総務部長は、 「矢板小隊の分は無いぞ。申告を受けてないからな」 無茶だ。私は部長に喰ってかかった。 「じゃ我々は一冬、これで戦うんですか!?」 「誰も一冬とは言ってないだろう。釧路へ着いたら申告しておけ」 私は不機嫌になって車に戻った。しかし、これで当分あの部長とは縁が切れると思うとせいせいした気分にもなった。私の今着ている春秋用戦闘服は、支給されて以来一度も洗濯していない代物なので、血と泥で汚れて地色が明るい緑だったとはとても見えない色をしている。先日また返り血を浴びて黒い斑が増えた。 要塞から来た二十五人と、補充兵八人、総勢三十三人を乗せたバスは、冬枯れのし始めた景色の中を走る。このバスには暖房はない。何しろ装甲をまとっているから、余計な物は着けられないのだ。一号幹線に入ると道は良くなり、バスの揺れも少なくなる。 ・ ・ ・
基地から普通の速さで五十分も走ると、道は厚岸と標茶を結ぶ道と交差する。ここに、中チャンベツの集落がある。学校や郵便局もあり、根釧原野南西部随一の集落である。十一時十五分、チャンベツ川に架かる橋を渡るとこの集落が見えてきた。十字路にさしかかる直前、私は左側の学校の正門付近に、敵のジープ二台を発見した。と同時に、校舎から銃声が数発聞こえてきた。「敵がいるぞ! 学校を襲いやがった!」 私は叫ぶと、左へ急カーブを切り、全速力で学校の正門目がけて突っ走り、正門から校庭に突っ込んだ。昇降口の前に車を止めるや否や私は運転席を蹴り、小銃を構えて車から飛び降りた。校舎の方から再び銃声。私は校舎に駆け込み、三つある教室のうち、一番手前の敵兵の姿が見えた教室に突入した。小銃を持った敵兵が三人いる。三人は振り向いた。 「貴様等あ――!!」 私は怒号しながら小銃を乱射した。一瞬の間に二人を薙ぎ倒した。一人は反対側の戸口を向いた。私は銃剣を抜きながらその兵に飛びかかり、兵の左胸を刺し貫いた。兵は死んだ。 私は教室を見回した。ここは中学生の教室らしい。床に男生徒が二人、女生徒が一人倒れている。後ろの方で女生徒が泣き出した。教壇にうずくまっていた女教師が、どうにか立ち上がった。私はその教師を顧みた。 「驚かせて済みませんでした。安心して下さい、我々はこいつ等の仲間ではありません。もうすぐ我々の仲間が来ます」 怯え切っていた教師は、やっと頷いた。私は教室の後ろを振り返り、大声で命じた。 「誰でもいい、大至急、保健室に報らせろ!」 男生徒が一人、慌てて飛び出して行った。 私に続いて、廊下に部下達が姿を現した。私は部下達を制した。 「山岡、衛生兵、応急手当をしろ! 他は入って来るな!」 救急用品を入れた嚢を持った西川と荒木が入って来ると、床に倒れている三人に応急手当を施し始めた。やがて保健室から養護教師も来た。私は怒りに身を震わせながら、自分が殺した三人を睨み据えた。口をついて言葉が出た。 「許せねえ。子供を襲うなんて、人道の名に於いて許せねえ!」 どうも敵兵は霰弾を使ったらしい。重傷の三人の他にも、かなりの軽傷者がいる。敵兵の銃の遊底を上げてみると、やはり霰弾が入っていた。 西川が呼んだ。 「小隊長。救急車呼びますか?」 何を訊いてるんだ? つい腹を立てた。 「解り切った事を訊くな!」 「いや、あのバスで送った方が早いんじゃないですか?」 そうか。救急車はここへ来るのに時間がかかる。それを言いたいのだな。 「救急車がここまで来るのには、釧路からだと一時間かかる。早い方がいいのは言うまでもない、と。よしきた、バスで送るぞ!」 「送っていく間に容体が変わったら……」 「ここで待ってる間に容体が変わったらどうする。とにかく急ぐのだ! 保健室に担架はありますか?」 養護教師に訊く。 「一本あります」 「じゃ持って来て下さい」 養護教師が担架を取りに行く間に、私は外にいる部下に命じた。 「三−四人、バスへ行って、座席を三つか四つ外しておけ」 とこの時私は、ふとある事に気付いていた。 (ジープ二台に三人は少な過ぎるぞ……しまった!) 私は絶叫した。 「敵はまだいるぞ!! 町を捜せ!!」 二十人ばかり、ばらばらと走り出して行った。暫くすると、外から銃声が聞こえてきた。 数分経った。荒木が言った。 「まず一人応急手当終わりました」 「よし。おい、二人来い」 私が部下達に言うと、後ろの方から声がした。 「隊長さん、俺が運びます」 二人の男生徒だ。二人は手当の済んだ一人の男生徒を担架に載せると、バスの方へ担いで行った。部下が一人、護衛に付いた。 部下の誰かが私を呼んだ。 「敵兵の死体はどうしますか?」 「焼却炉で焼いちまえ」 私は吐き捨てるように言った。 やがて重傷の生徒三人はバスに運び込まれた。女生徒の友達らしいのがバスまで来て、不安気に見守っていた。私がバスに戻って間もなく、捜索に出ていた部下達が三々五々戻ってきた。話を総合すると学校の三人の他、五人の敵兵を殺したらしい。ジープの定員からしても順当なところだ。 バスに全員戻ったことを確認し、私はエンジンをかけた。十一時五十分。 「さあて、思いきり飛ばすぞ。三人の命がかかってるからなあ」 私はアクセルを踏み込んだ。バスは走り出した。たちまち加速した。 「あまり飛ばさないで下さいよ、小隊長」 誰かが言う。現在時速六十キロだ。 「大丈夫だ。必ず助かる。元気出して」 荒木が、重傷の三人を励ます声が聞こえる。 二十分余り走ると国道四十四号線との丁字路だ。右折して更に加速する。 「矢板、三人をどこへ運ぶんだ?」 河村の声だ。私は振り向かず答えた。 「救急病院だよ。物資揚陸場へ行く道の左にあるだろうが」 「そうだったな」 物資揚陸場は、釧路の街の南、千代ノ浦地区の海岸である。ここは砂浜が広がっていて艀を使わねばならないが、左右に岩礁・崖があり敵の襲撃を防ぎやすいところだ。もう一ヵ所、建設の始まった釧路西港の、新富士駅付近の浜も使っている。 丘の間から抜け出て左右が開けると釧路は近い。十字路を左折して左に丘を見ながら釧路市街に入る。やがて幣舞橋のたもとで左へ曲って丘の上へ登るとここが病院だ。ここまで三十五分。私は車を停め、病院に入って行った。外科診察室へ入り言った。 「至急、外科手術の用意を頼みます。中学生が三人、銃で撃たれました」 外科医はいかにも迷惑そうに言った。 「これから手術なんだが……。今日は無茶苦茶だ。あんたで五件目だよ。 他のとこにも聞いてみよう」 彼は受話器を取った。 「もしもし……○○病院ですが、また銃で撃たれたのが来てるんで、ええ、こっちは手一杯なんで、そちらの方、……ああ、そうですか。じゃどうも。 ××病院も手一杯だと」 ××病院というのは釧路駅の近くにある。 「他は?」 「うちとそこだけなんだよ、救急病院は」 私は多少の立腹を覚えながら病院を出た。車に戻るとエンジンをかけながら言った。 「衛戍病院へ行くぞ!」 私は無線機を取った。 「MH、こちらTYH。負傷者三名、手術の用意を頼む」 〈了解〉 私は車を発進させると十字路で方向を変え、今来た道を引き返した。幣舞橋を渡ると十字路を右折し、細い道を通って衛戍病院へ向かった。 救急病院を出て五分、衛戍病院に着いた。南に線路を望み、まわりには工場もある所だ。病院用地としては疑問符だろうが仕方がない。私は衛兵に告げた。 「東京第一中隊矢板小隊だ。負傷者三名を運んできた」 すでに用意は出来ていて、何人かの兵が出てきた。軍医が出てきて私に問うた。 「負傷者はどこだ?」 私は車内を指した。 「中学生三人だ」 軍医は驚きと困惑を現した。 「民間人か!?」 「救急病院へは行ったんだがどこも手一杯だと言うんだ。この際頼む」 「止むを得ん。特例を認めよう」 三人の中学生は、担架に載せられて病院に運び込まれた。私はバスに戻り、バスを発車させた。時刻は十二時三七分。あの籠城戦の前からここへ送られていた、貝塚・鶴岡・吉村・渡辺を加え、総員三十七人となった。 「やれやれ時間喰っちまった。出頭時刻を過ぎちまったぞ」 (2001.2.8) |
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