釧路戦記 |
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第二十五章
朝になった。建物は雑な作りで隙間風が吹きまくり、毛布もなく春秋用戦闘服の私達五人は、寒さに震えながら一夜を過したので、寝足りず睡い。外に整列させられ、サド侯爵が点呼を取りに来た。「点呼を取るぞ。赤坂」「はい」 「井上」「おい」 「大沢」「はい」 「加藤」「はい」 「桐谷」「あい」「近藤」「はい」「沢田」「おい」 「太刀川」「いるぞ」…… 「二十四人いるな。次、貴様」 私だ。こう言われるとむっとする。 「何だ!?」 「お前」「誰のことだ!?」 サド侯爵は早川の頬を張り飛ばし、 「お前だ」 「てめえ」「るせえ!」 「チビ」「何だ、もっとチビ」 山田はサド侯爵に蹴倒された。 「あま」「何よ失礼ね!」 「よし五人いるな。点呼終わり」 全くひどい点呼だ。朝飯の後、私と太刀川は脱出について相談した。 「どうやって脱出したものだろう?」 「一ヵ月半、いろいろ考えたんだがうまいのが無い」 「トンネルは?」 「誰でも考えつく方法だな。ところがそれがどうも無理だ。実際に掘ったんだが、土の始末が難しい。すぐバレて二日間飯抜かれた」 「それだけですか?」 「しかもな、あの鉄条網の真下あたりに、コンクリートの壁が埋めてあるんだ。発破でも使わないことには無理だ」 「……」 「道具だって金気の物は何一つ無いんだぞ」 「……」 いかにして脱出したものか。 昼前、建物の外を何するでもなく歩き回っていると、北の建物から出てきた兵に呼び止められた。 「所長が個別に尋問するそうだ」 「わかった」 行ってみるとサド侯爵は(本当はこんな下衆な奴を爵づけで呼びたくは無いが)相変わらず苛立った顔で机に向かっている。兵が言った。 「連れてきました」 「よし始めるか」 私は椅子に坐らされた。後ろには私を連れてきた兵が銃を持って立っている。 「貴様、だったな」 「そういうことにされてるな」 「余計な口答えはするな」 サド侯爵は机の上に地図を広げると、 「今まで我が軍が存在を確認した要塞はここと、ここだ。(と、私達の要塞のある位置と、二十四番川上流の丘の上の、太刀川小隊の要塞のあった位置を指し)この南側の方は八月二十九日我が軍が奪取したが敵の砲撃によって失った。北側の方は九月三日から包囲したが奪取に失敗したところだ。 他にも要塞はある筈だ。知っているだろう。言え」 むろん、上村小隊と大原小隊の要塞がどこにあるかは友軍の事であるから知っている。だが私は黙っていた。 「知っている筈だ!」 知っているが言わない。 「早く言え!」 ひたすらに黙り続けるだけだ。 「そうか。言わない積りか。 俺は暴力は使いたくないんだがな」 何を言ってやがる。私はわざと笑った。 「ふっ、ふふふ、あはははははは」 サド侯爵は一瞬狼狽し、続いて怒り始めた。 「何が可笑しい!?」 「ははは、何を言ってんだ、気狂い所長よ。あんたの娯しみが捕虜を殴ることだって、昨日あんた自身が教えてくれたじゃないか」 サド侯爵は怒り狂って拳を飛ばした。私はそれを身を飜して左手で受け止めると、右手で彼の腋を掴んで宙へ投げ上げ、右足では下腹を蹴り上げた。侯爵の体は宙を一回転して私の左後ろの床に叩きつけられた。侯爵は尾てい骨でも強打したのか暫く動けずに伸びていた。驚いた事には、私の後ろにいた兵は侯爵を助け起こそうともせず、私を打ち据えようともしなかったのである。となれば、私がここでどんなに暴れても、いきなり射殺されはしないだろう。 やっとの事で侯爵は立ち上がった。立ち上がるや否や拳を飛ばしてきた。私は椅子を倒しながら跳ね上がると一メートル程後ずさりした。侯爵が左の拳を突き出してくるのを、右へ回り込んで避けながら、私は手刀を侯爵の左肩に見舞った。彼の左腕は力を失い、だらりと垂れ下がった。私はすかさず侯爵の顔に回し蹴りを叩きつけた。侯爵は後ろへ吹っ飛んだ。 この立ち回りの間も、私を連れてきた兵はただ突っ立って傍観しているだけだった。 再び立ち上がった侯爵は、私と闘う構えをとりながら横へ歩き、机の向こうへ回り込んだ。僅かばかりの静止の後、侯爵は突然、どこに持っていたのか日本刀を抜き払い、私に向かって上段から振り下ろした。私は後ろへ飛びすさりながら、兵の持っていた銃を奪い、すかさず、侯爵の頭を狙って引鉄を引いた。煙も出ない。不発だ。 「悪運の強い野郎だ」 私は心の中で呟いた。 銃を奪われる時でさえも、この兵は全く抵抗しなかった。 侯爵は滅多やたらと刀を振り回す。私は銃を構えたまま、隙を狙って右へ左へと跳び回った。侯爵の刀は私の体に擦りもしない。 突然、私の左側にある戸が叩かれた。侯爵の緊張がふっと緩んだ。侯爵が微かに横を向いた。 「入れ……」 この言葉の消えぬうちに、私は右腰に構えた銃を大上段に振りかぶり、侯爵の脳天に打ち下ろした。侯爵は床に崩折れた。 戸が開いて二人の兵が入ってきた。二人はこの現場を見て戸口に立ち縮んだ。私は銃を持ち直した。しかし二人はそれ以上の事はしなかった。 「連れて行こう」 背の高いのが言った。 私はそのまま、三人の兵に周りを固められてそぼ降る雨の中を南の建物へ戻った。後から来た二人のうち背の低い方が言った。 「俺達はあんたを助けたんだよ」 私は驚いて訊いた。足が止まった。 「何の為にそんな事をしたんだ? 俺はお前達の敵だぞ?」 彼は平然と言った。 「うちの軍のお偉方にとってはあんたの軍のお偉方は敵だろうけど、俺にとっては別だ」 最初に私を連れてきた兵が言った。 「そうとも。何かわからない間に鉄砲持たされて戦わされてるんだ。あんたは俺達にとって敵なんかじゃない。同じように『戦わされてる』只の人間だ」 一言一言が私の脳に突き刺さった。 「しかし、……何で?」 背の高いのが答えた。 「俺達はあんたを助けたかった、っていうより……あいつをぶちのめして欲しかったんだ」 私の受けた衝撃の大きさを想像されたい。 「あいつ!? 所長の事か?」 「そうだ。ここで働いてる七人のうち、あいつを憎んでない奴なんかいるもんか。やたらと威張り散らす、何かというとすぐ殴る。俺達は兵士であってサンドバッグじゃないってんだ。おまけに旨い物は一人占めする。いつも昼間っから酒喰らってるし。この間俺、奴が俺達の給料ピンハネしてたって事に気が付いたんだぜ」 最初に私を連れてきた兵が、驚いて聞き返した。 「何? そりゃ本当か!?」 「そうだとも。矢臼別の収容所の仲間は月に一万貰ってるんだぞ。俺達先月幾らだった。五千だぞ!」 私は唖然とした。と同時に、脱出の糸口を掴んだ気分にもなった。 (こいつらを買収すればた易いぞ) 南の建物に戻った私は太刀川に囁いた。 「ここの兵士達はサド侯爵に皆かなり恨みを抱いてます。あの連中を手なずければ脱出できるんじゃないですか?」 「一考に値するな」 やがて兵士が来た。 「所長に『貴様』と呼ばれてるの。来い」 「俺か。わかった」 どうやらサド侯爵は目を覚ましたらしい。 私は椅子に、縄で何重にも縛りつけられた。頭に包帯を巻いたサド侯爵は木刀を持って机の向こう側に立っていた。のっけから侯爵は喚き立てた。 「知ってる事を洗いざらい吐け!!」 「知ってる事? じゃ言おうか。 一つ、お前は捕虜を捕虜として扱わない」 木刀が打ち下ろされた。 「一つ、お前は部下に助けて貰えなかった憎まれ上官だ。部下に尊敬されない上官なんて将校失格だ」 木刀で殴られながら私は喋り続けた。 「一つ、お前は威張り屋でチビの下衆野郎だ」 「一つ、お前は人間の風上に置けない滓野郎だ、蛆虫だ、排泄物だ、社会の害毒だ」 侯爵は殆ど発狂したかのように、喚きながら私を殴り続けた。私は意識朦朧としてきた。やがて侯爵も疲れ切ったのか、私を殴るのを止めた。私は縛めを解かれて外へ担ぎ出され、建物の裏口の近くにある木に、上半身裸にされて縛りつけられた。 この日私は、昼飯も晩飯も与えられず、一時間毎にやって来るサド侯爵の殴打に黙って耐え続けた。 一晩中小雨が降り続き、私は寒さに眠ることもできず夜を明かした。朝になると飯は運ばれてきたがそれからまたすぐ、侯爵が現れて私を殴った。こうなるともはや白状させるのが目的ではなかろう。実際、侯爵は私を、薄笑いしながら殴っていたのだ。 私の周りには常時三人の兵が銃を持って立っていたので、部下達は私に近づく事は出来なかった。夕方頃、私は兵を呼んだ。 「ちょっと来てくれ」 私に呼び止められた兵は私に歩み寄ってきた。私は彼に小声で言った。 「仲間と話がしたい。南の建物へ行って、襟章に三本線が入ってるのを呼んでくれ」 彼は困惑した表情で言った。 「そりゃ駄目だ。あんたの仲間を絶対ここに近づけるなと言われてるんだ」 「頼む」 そこへ、 「こらっ!」 サド侯爵だ。私が話しているのを見つけると、ずかずかと近寄ってきて突然、私と話していた兵を殴りつけた。数発殴ってから、今度は私を数十発殴った。 三日が過ぎた。四日目の朝、サド侯爵がやって来て、北側の建物の二階に移すことを告げた。私は縛めを解かれ、北側の建物の二階の、南側に面した一室に監禁されることになったが、上衣とシャツは返された。懐柔策に出る積りらしい。部屋の入口は二人の兵が固め、窓の下にも二人の兵が巡回するようになった。とにかくこれで、かなりの行動の自由が得られるようになった訳である。部屋には毛布一枚の他何も無いが。移る時私は、気付かれぬようにそっと、拳大の石を一個拾ってきた。 その日、私は一日かかって考えついた作戦を実行に移した。ランプを天井から吊るねじ釘を、手で少し伸ばし、ランプを掛けると落ちるようにした。 やがて夜になった。兵が、晩飯とランプを持ってきた。私は飯を食べてから、ランプをねじ釘に掛けた。わずかな揺れでも落ちる筈である。 十分後、兵が戸を開けた。私は何気なくその兵に食器を渡した。 「旨かった」 「そうか。ランプに気をつけろよ」 兵はそう言って戸を音を立てて閉めた。ランプは釘を外れて落ち、床に当たって火屋が砕けた。私は畳んだ毛布を取り上げ、今朝拾った石を毛布の中に入れ、床に落ちたランプを力任せに叩いた。この音に兵が気付かぬ筈がない。 「何だ!?」 外の二人が同時に飛び込んできた。 「ランプが落っこちた」 私は石を入れた毛布でランプを叩きながら叫んだ。火は消えたが、ランプはすっかり壊れてしまった。拳大の石で叩いたのである。 「困ったな。ランプを貰いに行く訳にはいかないし。……俺の落度にされちまう」 二人の兵は顔を見合わせた。 一人が声を上げた。 「そうだ、俺、懐中電灯持ってたぞ」 「そうか、それでいいや。いいだろ」 もう一人が私に言った。私は答えた。 「いいよ」 すぐに、小さな懐中電灯が私の部屋に届けられた。兵が出て行った後、私はそれを手に取り、一人ほくそ笑んだ。思う壷だ。 私は内ポケットの襞の中から、小さな紙を取り出した。モールス符号を書いた紙だ。 私は格子のはまった窓から外を見た。もう雨は上がっていた。すると夜目には定かでないが早川か浅野が二人の兵に連れられて南の建物へ向かって行った。そして少時して、山岡が南の建物から連れ出され、こちらへ向かって来るのが見えた。個別の尋問は続いているのか。 暫くして、突然、階下から山岡の悲鳴が聞こえてきた。私は床に耳をつけた。どうもこれは、山岡が尋常に殴られているのではなさそうだ。私は不安にかられつつ聞き耳を立てた。 「嫌あっ!! 止めて…きゃあっ!! ひいっ!!」 山岡の悲鳴は殆ど泣き声だ。私はいたたまれず立ち上がった。外を見ると、二−三人、窓から顔を出し、こちらの建物を見守っている模様だ。私は懐中電灯を取り出した。南の建物に向けてまず少し長く一つ、次いで短く一つ。間を置いて短く二つ、長く一つ、短く一つ。…… 「タチガワヲヨベ」 不思議そうにこちらを見ていた仲間はすぐ引っ込んで、太刀川が顔を出した。向こうからこっちへ向けて懐中電灯が点滅する。 「コチラタチガワ」 私は懐中電灯を点滅させた。 「ヤマオカガモドツタラフクヲケンサシ、コチラニツタエヨ」 「リヨウカイ」 山岡が常に、何か小さな薬の包みを持ち歩いていることに私は以前から気付いていた。 私は床に坐り込んだ。階下からは何かを叩く音、山岡の絶叫、サド侯爵の笑い声などが聞こえてくる。私は心の内で誓った。 (いつかきっと、お前を殺すぞ。それも出来る限り残虐にな) 夜は次第に更けてゆく。階下からは山岡の悲鳴が絶え間なく聞こえてくる。大体私にはどういうことが起こっているのか想像がつく。サド侯爵は山岡を尋問なんかしているのではない。快楽を得るためだけに殴っているのだ。そしてその後は当然、凌辱である。私は高ぶる気持を抑えるのに苦労した。 と言って、私は山岡の仇を討つ積りだったのではない。それよりも、私の家族を殺した男が、こんな唾棄すべき卑劣漢であったことに対して、深い憤りを感じていたのだった。 十二時を過ぎた。山岡が連行されてから四時間以上経っている。やっと山岡は、兵に両脇を支えられて南の建物へ戻って行った。彼女の泣き声は私の心に突き刺さった。 すぐ、私の部屋へ向かって懐中電灯が光った。 「ヤマオカ、クスリヲノモウトスル、トリオサエタ」 「クスリヲトイタダセ」 しかし悠長な通信である。これだけの通信に三分以上かかった。口でなら十数秒だ。 「スイミンヤク」 「リヨウカイ』ゴゼン二ジ、サクセンツタエル」 睡眠薬。山岡は何故かは分らないが自殺を図ったと見える。南の建物からは、山岡の号泣が絶え間なく聞こえてくる。私は作戦計画にかかった。 午前一時五十分、ようやく計画がまとまった。私は懐中電灯を取った。 「サクセンツタエル』サドハナニカイツタカ」 「アサツテ一リシヨケイスルトイツタ」 「ソレナラヨイ』アスユウガタ、タチガワ、サケ一ビンモラツテコイ」 「サケ」 「ヨルニナツタラ、タチガワ、サケニスイミンヤクヲイレテバンペイニノマセロ、コウタイチヨクゴニ」 「ワカツタ」 「ソシテカギトテツポウヲウバツテ、クルマヲウバツテニゲロ」 「リヨウカイ」 「セイコウヲイノル」 ・ ・ ・
さて翌日、夕方になった。太刀川がこちらへ歩いて来ると、やがて階下から声が聞こえてきた。サド侯爵の声だ。「酒をくれ? 駄目だ! 捕虜の分際で何を言うか」 「一本だけ、一本だけならいいでしょう? 明日は死ぬ身の人間に、生前最後の酒を一本」 「駄目だと言ったら駄目だ! ここの酒は俺のだ」 これはまずい。と、太刀川は意外な手に出た。 「そうですか。そりゃあんたにとっても残念ですな」 「何だ? 俺にとって残念だ?」 「実は重大な情報を知ってるんですがね、今度来たのが」 「重大な情報!?」 「私もそれを知ってるんですがね。そのうち言おうと思ってたんだけど、明日は死ぬ身の人に酒もくれないって言うんじゃあ……」 大した弁舌だ! サド侯爵の声が変わった。 「よし、今から、二階の奴を締め上げて吐かそう!」 「無理ですよ、あいつは。三日も野晒しにしといても何も言わないような奴を、ちょっとやそっと拷問したって吐かせられませんよ」 「わかった! 酒はやる! その情報を今すぐ教えろ!」 「今ですかあ? その前に酒を」 「今教えてくれ!」 侯爵は急かしている。早口になった。 「先に酒を下さい」 太刀川は人をじらすのが上手いと聞いたが聞きしに勝る。 「酒は後でやるから、今すぐ教えろ!」 「この前も情報と引き換えに酒をくれると言って反古にしましたね」 「うーむ……わかった。今度は約束を守る」 口惜しげだ。 「はあ。じゃ、酒一本」 「わかった。そこから持ってけ。高い酒は駄目だぞ」 やがて、焼酎の四合瓶を抱えた太刀川が南の建物へ向かって行った。私は心の中で彼に拍手を送った。 夜になった。太刀川が、酒の瓶を持って出て来ると、私の室の下にいた番兵二人を誘った。 「どう? 一杯」 番兵達は一言で参ってしまった。 「え? いいの? いやあ……久し振りだな、へへっ」 「本当、久し振り。……あいつにゃ黙ってようぜ」 どこにあったのかコップに一杯ずつ二人は飲んだ。睡眠薬が速効性の物であることを祈る。太刀川は、辺りを歩いている番兵にも勧めている。 十五分後、窓の下の番兵は二人とも眠りこけている。その様子を見ていた太刀川は、二人の持っていた銃を奪った。そして、上で窓を開けている私に、二挺のうち一挺を差し出した。私はそれを受け取った。弾丸は挿弾子一つしかない。 外の五人の番兵は眠りこけている。太刀川は門の中に駐めてあるトラックを確保した。門の鍵は見つからなかった様子だ。それから南の建物に戻った。二十三人の仲間達は、トラックに静かに乗り込んだ。太刀川は私のいる建物に向かってきた。 さあ行動開始だ。私は戸を細く開けた。番兵が振り向いた。私は彼の後頭部を一撃した。彼は崩折れた。 「ちょっと眠ってて貰おうか」 私は彼のポケットから弾丸を取り、ポケットに入れた。階段に向かった時、もう一人が登ってきた。私は彼に回し蹴りを喰わせて倒した。階段を降りた所に、太刀川がいた。 「門の鍵が無い。奴が持ってるみたいだ」 「奴は私が殺します」 戸の向こうで物音がした。私は銃を構えた。私は戸を素早く開け、中へ突入した。サド侯爵は酒を飲んでいた。侯爵は叫んだ。 「あっ! 貴様……」 私は銃は使わなかった。我が手で、足で誅してやるのだ。侯爵は跳ね上がり、机を乗り越えて私に向かってきた。私は、家族三人を殺された恨みと怒りを込めた、猛烈な蹴りを侯爵の腹に叩きつけた。私の靴先は文字通り侯爵の腹に突き刺さり、胃袋を突き破った。 「ぎゃああああああっ!!」 侯爵は凄絶な叫び声を上げた。私は侯爵の腹から足を抜いた。腹と口から同時に、血と酒と胃液と食物が混じった物が噴き出した。侯爵は床に倒れ、腹を押えてのたうち回った。ズボンが濡れ始めた。私は侯爵に馬乗りになった。 「げっ……ごぼっ、ご、殺ざないで!!」 侯爵は私に哀願した。しかし私は、そんな言葉を聞く耳は持たなかった。 「死ね!!」 私は怒りに燃えて叫ぶと、侯爵の胸板に鉄拳を叩きつけた。肋骨が砕け、私の左手は侯爵の肺に深々とめり込んだ。 「ぎええええ――っ!!」 侯爵は断末魔の悲鳴を上げた。その声は次第にかすれ、やがて侯爵は喀血した。もう数分と生きられまい。私は両の拳を、侯爵の顔に数十発立て続けに叩きつけた。顎が砕け、歯が折れ、鼻が潰れ、額は凹んだ。それから私は、両手の人差指と中指で、侯爵の両眼球を刳り取った。私の手は血塗れの球を握った。 机の抽出を物色していた太刀川が言った。 「まだ生きてるのか」 私は復讐の快感に顔を引きつらせながら言った。 「俺は即死はさせない。どうせ殺すなら、思い切り苦しませ悶えさせるんだ。もう数分と生きられまい。考えてもみろ、数分後には避け難い死が迫っているんだ。此奴の苦しみは幾層倍にも増すんだ」 やがて侯爵の体は、断末魔の痙攣を始めた。私は部屋を見回した。壁に斧が掛かっている。私はそれを手に取ると、侯爵の頭に力任せに撃ち下ろした。頭蓋骨が真っ二つに割れ、血と脳漿が噴き出した。私は狂ったように斧を振り下ろした。侯爵の手足は次々に千切れ飛んだ。 突然私は羽交い絞めにされた。 「おい、もう止めろ。殺しただけで充分だろう」 私は斧を捨てると言った。 「こいつを糞壷に叩き込む」 私は侯爵の肢体を拾い集めると、部屋を出た。階段の下に便所がある。私は糞壷の中に、侯爵の肢体を一つずつ投げ込みながら罵った。 「無間地獄の底まで落ちていけ!」 私は部屋へ戻り、机の上へ目をやった。敵陣の配置などを記した書類が何枚かあった。 「こいつが私達に提供する情報か」 私は銃を、太刀川はその書類を手に持って部屋を出た。この騒ぎに、番兵は誰も気付かなかったようだ。相当強力な薬だったに違いない。私と太刀川はトラックに乗り込んだ。荷台に乗り込んだ私を見て、顔を痛々しく腫らした山岡が呟いた。 「あいつ……」 私は言った。 「俺が殺した」 しかし山岡は、私の言葉が聞こえなかったかのように、無表情に呟いた。 「私の手で殺したかった……」 やがて浅野が私に尋ねた。 「小隊長は、何日か前に山岡と口喧嘩して、散々に罵ったでしょう。その前には楯突いたからと二度も殴った。それなのに、何で山岡の仇を討つ気になったんです?」 全然わかってない。たかが部下の女兵士が凌辱されたくらいのことで、仇討ちなどと息まくような男に見えるか。自分の娘じゃあるまいし。しかし私は、本当のところは言わなかった。 「部下だからさ。俺が山岡を殴ったのも、山岡を犯った奴を殺したのも、山岡が俺の部下だからさ……」 (2001.2.6) |
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