釧路戦記

第十三章
 どの位経ったろうか。私は意識を取り戻した。目の前は真っ暗だ。胸が苦しい。私は俯伏せになっているようだ。辛うじて息ができる。左の耳の奥が激しく痛む。動く右手で左耳を押えると、温かいぬめりを感じた。
 脱出しなければならない。右手で床を探ると懐中電灯があった。スイッチが切ってある。スイッチを入れると、それは灯いた。懐中電灯の光で、私の閉じこめられているわずかな空間の様子を探った。左手が石に挟まれている。懐中電灯を置き、右手で石をのけてから左手を引き抜いた。時計を見ると、六時四十分を指している。すると、大体二時間、ここに閉じこめられている訳だ。その長い間、窒息しなかった事からすると、どこかに隙間があるのに違いない。
 石に挟まれていた左手は、肘がひどく痛むが動かせる。骨には異常は無さそうだ。
 私は努めて冷静に、自分の現況を考えた。
「転がった時に、頭は後ろの方を向いてた筈だから……。頭の方は崩れていない筈だ。と言うことは、頭の方へ進んで行けば……まずい。出入口は塞がってるんだ。どうやって脱出したものか……?」
 しばしば、耳の痛みは思考を妨げた。
 やるしかない。私は両手で石を一つずつのけて、進路を確保していった。足を引き抜いてみると、左足の足首が動かない。匍匐前進の要領で、両肘と右膝で前進する。
 読みは当っていた。大きな石を一つのけると、そこは崩れていなかった。トーチカの後ろの方だ。すると、天井は半分位崩れているのだろう。それなら、天井材を取り除けばトーチカの屋根に出られる。まずは一安心。すると空腹を感じた。私はポケットから、携帯食糧を取り出して食べた。乾パンと粉乳と乾燥卵とビタミン剤で作ってあるというこの棒のような食物は、正直に言って旨い物ではない。携帯の便を第一に考えなければならない戦場では、味の事などとやかく言ってはいられないが。
 天井材の隙間を探して、小さい破片を一つずつ取り除いていく。コンクリートのようで結構重い。何しろ右手しか使えないから重い物を動かすのは困難だ。しかも、歯を喰いしばると耳に来る。床に右膝を立てて、左足を横に伸ばした姿勢で天井材の破片を取り下ろす。大きな破片を一つ下ろそうとしたとき、それは手を離れて左脛の上に落ちた。骨が折れる音がし、凄絶な痛みに私は呻いて床に仰向けに倒れ、気が遠くなった。
 ふと、顔に冷たいものを感じて我に返った。雨滴が入ってくる。……ということは、天井が開いたのだ。助かった!
 私は勇気百倍、左足の上に落ちたコンクリート片を除けて、天井に手をかけて立ち上がった。天井の穴から上半身を出してみた。辺りは雨に濡れている。……急にめまいがして私は床に倒れた。かなり出血しているらしい。今現在もう出血してはいないが。私はまた起き上がった。何度も失敗した挙句に、天井の穴から這い出した。そのまま転がるように地面に落ちた。濡れた草が私の体を包む。また起き上がった私は、杖になる物を探した。そこらを見回すと、敵兵が何人となく倒れている。ある一人の兵が持っている小銃を取った。さらにその兵のベルトを探ると、挿弾子が二個出てきた。実弾二十発だ。この銃を杖に、私は立ち上がった。
 さてどうするか。辺りはもう死の静寂だけが支配する世界であった。見回す限りでは私の他に生きている者はない。今はもう八時を過ぎた。味方の兵はこの辺りにはいないだろう。ここから兵舎までは直線距離で約六キロ、私が今日来た道で行くと十七、八キロある。一晩中歩き通しても無理だろう。そうだとしても、三号幹線道路まで出れば、味方の兵士に出会うことは期待できる。敵と遭遇したらどうする。そうなったら、投降するより無いのではないだろうか。その時はその時だ。
 私は考えを決め、道に向かって二三番川伝いに遡ることにした。銃を杖代りにし、片足を引きずりながら、ゆっくりと歩き始めた。
 午後九時過ぎ、丸太の山を見た。ここの戦闘は今日の昼頃だった。この辺より先では川は小さな流れとなり、いつか草の間に消えている。やがて尾根に出た。雨は私の体を濡らし、私の体はすっかり冷えきった。貧血の為もあって頭が朦朧としてくるが、自分自身を叱咤激励しながら歩みを進めた。私は知っている。春や秋の中国で、重傷を負って雨の中で眠り込み、再び目覚めなかった兵士を。
 広い尾根の上を、何故か殆ど道にも迷わずに、午後十時半、三号幹線に出た。あとは道なりに行けば、兵舎への道の取っ付きさえ間違わなければ兵舎に着ける。雨に打たれた為もあって疲労は一層ひどくなり、歩きながらともすれば昏倒しそうになる。もはや私は、精神力だけで歩いているようなものであった。銃を持つ手も、歩みを進める足も、私の体であるとは思われなかった。手も足もその感覚をすっかり失い、私の体から遊離して自然に動いているかのようだった。一体何が私を歩かせるのか。意志か。意志ではない。私の頭は全く空虚になり果て、何も考えていなかった。何か私とは違う別の物が、私の足を動かしているかのようであった。
 いつとは無しに雨は止んだ。午前二時、兵舎への道が分れる所に来た。私は、さながら本能の命ずるままに、兵舎への道を辿っていった。私の歩みはさらに遅くなった。
 午前三時、辺りは明るくなってきた。午前四時、曇った朝が訪れた。しかし私は何も感じなかった。考える力を失っていたかのように。もう手足や耳の痛みすらも殆ど感じなかった。一体私は生きているのだろうか、それとも死んでいるのだろうか。それさえもわからなかった。
 午前四時半、私はついに兵舎の扉の前に立った。私には、もはや扉を開ける体力はなかった。崩折れるように扉の前に膝を突き、そのまま横に倒れた。ここまで来て、死んでたまるか。しかし私には、体を起こす力もなかった。
 ふとその時、少し離れた所から人の声がしたような気がした。足音が近づいて来る。やがて私の体は、何者かに抱え起こされた。
「矢板! しっかりしろ!」
 河村の声がした。私は精一杯の力で顔を上げた。河村の顔が、目に映った。私はそのまま失神した。
・ ・ ・
 ふと私は目を覚ました。柔かい寝台の上に寝ている。ここはどこだろう。白い天井が見えた。目の前に河村の顔が現れた。
「気が付いたか。俺だ、河村だ」
 私は頷いた。石田の顔も見える。
「ここはどこだ?」
「釧路の衛戍病院だ。安心しろ。
 しかし驚いたなあ。何しろお前が中にいるトーチカがバズーカを喰って崩れたろ。てっきりもうお前は死んでると思ってたよ。帰る道すがら言い合ったもんさ、『いい奴を失くした』って。
 そうしたらどうだい。朝になって、兵舎に帰ってきてみたら、そこに倒れていたのがお前だろ。俺はあの時ほどびっくりした事は無かったな。しかもお前の様子と来たら、もう蒼い顔して、生きてるのか死んでるのかわからんような、まるで幽霊みたいな様子だろ。野戦病院で見て貰ったら出血多量ってんで、トラック飛ばして送って来たって訳だ。
 全くお前の生命力は野生人並みだよ。片足へし折って、あれだけ出血してるのにあの道を夜通し歩いて来たんだからな。きっと『お前はまだ死ぬには早い』って、閻魔様の取り計らいだろうよ。俺も同感だな。うちの小隊長の後継ぎには、お前を措いて他にはいないもんな」
「小隊長がどうかしたのか?」
「ああ、あの後大激戦になって、敵の手榴弾に右膝から下を吹っ飛ばされちまったのさ。命は助かったもののもう二度と戦場には出られない体になっちまったんだよ」
「そうか……俺なんか運のいい方だな」
「お前が達者だったら、即昇格してるさ。ところがお前は死んじまったとあの時は皆が思ってたからな」
「それじゃ、次の小隊長は誰なんだ?」
「まだ決まってない。小隊の中から出すとしたらお前を措いていないし、他所から持って来るにも小隊長やれるような人はいないらしい」
「ふうん」
「出来る事なら、俺としてはお前になって貰いたい。お前の部下になれるなら本望だ」
「俺は小隊長の器じゃないよ、吉川小隊長に比べたら」
「しかしなあ……。お前の怪我じゃ、治るには一月はかかると軍医は言ってた。そんなにかかったんじゃ、それまでに辞令が出ちまう。精鋭部隊の第一小隊の小隊長を一月も空席にしておける訳がないものな。
 ま、お前の生命力で、出来るだけ早く治って来いよ、そうすればお前は小隊長だ」
「骨折してるんだぜ、俺は。そう簡単に治らないよ」
「ま、せいぜい養生してくれよ、次期小隊長」
 河村は病室を出て行った。
 私は石田を見て言った。
「石田、復帰か。俺と入れ替りだな」
「はい」
「今まで休んでた分、うんと働けよ」
「頑張ります。班長も、早くよくなって下さい」
 若い石田から、こんな言葉を聞くとは思わなかった。私は照れ隠しに、軽い口調で言った。
「お前に弟分ができたぞ。補充兵の屋代だ。お前に似て大飯喰らいだ」
 石田は苦笑した。
「それを言わないで下さいよ」
 廊下から河村の声がした。
「石田、行くぞ」
 石田は出て行った。
 私はぼんやりと宙を眺めていた。空腹を感じた。視野の端の方に点滴容器が下がっていて、そこから細い管が左手につながっている。私が昏睡している間ずっと、点滴で栄養を補給してきたのだろう。頭を回すと、左耳に厚く包帯がしてあるのに気付いた。恐らく私の左耳は聴覚を失ったろう。あの爆発で鼓膜が破れたのに違いない。目を閉じると、あの爆発の瞬間が、まざまざと脳裏に甦ってきた。
 目を開いて窓の外を見ると、空は曇っていた。あの日から何日経ったのだろうか。私は再び目を閉じ、眠ろうと努めた。
・ ・ ・
 病院生活は一ヵ月近く続いた。この間、最初の二十日ばかりずっと床に臥したままで過ごしたため、私の精神はすっかり変調をきたしてしまった。戦争の最前線で、四六時中命を張って生きていた時に比べると、病院生活の何と平穏かつ安閑たることか。人間というものは、ある程度以上繁忙であることが精神の安定を保つためにいかに必要であるかを実感した。私の従兄弟で五二年のメーデー騒擾で逮捕され禁錮一年の刑を受けたのがいるが、運悪く独房に入れられたために出所した時には相当神経衰弱をきたしていたものだ。私の精神もすっかり参ってしまった。自分でもそれに気付いて愕然とする程、物事に対する意欲を失ってしまったのだ。以前ならば、毎日毎日が「明日はどんな作戦があるだろう」という期待と意欲に満ちたものだったのに、ここへ来て十日も経つと、「いつ復帰できるか」ということさえ殆ど考えなくなってしまった。
 こんな事で、復帰してからやっていけるのか。もう私は兵士失格者ではなかろうか。時折、こんな事を考えた。
(2001.2.2)

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