釧路戦記 |
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第十二章
沢を下ってゆくと二三番川の谷に出るが、地図によると東の方に、もう少し下流で二三番川に合流するやや大きな谷がある。この谷には疎林もあり何となく臭い。私達は、東の方の丘に登った。丘の上から見下ろすと、谷のところどころに林がある。右側二百メートルくらいにある林を双眼鏡で窺ってみた。人間のいる形跡は認められない。しかし油断はできない。私達は匍匐前進で林に近づいた。 やはりあった。草薮のように巧みに偽装されてはいるが陣地がある。羽田が囁いた。 「私が手榴弾投げに行きます」 「よし、行け」 羽田は草の中をゆっくりと這っていくと、陣地まで二十メートルの所から手榴弾を投げた。爆発音が起こる。何人かの兵が飛び出してきた。重機が火を吹く。次々になぎ倒される。 「あっ! 後ろから……」 石川が叫んだ。私は振り返った。北の方の林から、敵兵が次々に駆け出してくる。 「挟まれたか! 一時退却だ!」 私は叫んだ。先刻越えてきた丘を越えて西側へ退却する。ここに重機を据えて、走ってきた敵兵を次々に倒した。やがて敵は退いた。 「下手かったな。でも、敵の陣地の位置は判った。無反動砲で叩いてやろう。 酒井。無反動砲を準備させろ。距離四四○メートル、方位角四八度だ」 私は酒井に指示すると、丘の上へ這って行った。双眼鏡で敵陣を偵察する。敵兵は二十人くらいいる。私はハンディトーキーを取った。 「TYS、こちらTYY。応答願う」 〈こちらTYS。どうぞ〉 「重機を一挺よこしてくれ。以上」 〈了解、重機を行かせます〉 すぐに谷口と矢部が、重機を担いで登ってきた。私は谷口に囁いた。 「左のあの林も油断するな」 双眼鏡で敵陣を窺う。何秒かの後、陣地のすぐ近くに爆発が起こると、後ろから発射音が聞こえてきた。私はハンディトーキーを取った。 「弾着修正なし。続けろ」 不意討ちに慌てた敵兵が何人か飛び出してきた。すかさず重機が火を吹く。陣地の周りに次々に爆発が起こり、その度に何人かずつの敵兵が吹き飛ばされ、なぎ倒される。 陣地には人影は無くなった。私はハンディトーキーを取った。 「砲撃止め。皆をこっちに来させろ」 警戒していた、左の林からの銃火は無かった。皆が登ってくる。二時四五分になった。 「中村と屋代、左の林を検査しろ。他はあの陣地の検査だ」 陣地には生存兵は無かった。地下壕が砲撃で落盤しており、その中で数人の兵が圧死している。野戦病院だったのかも知れない。 中村と屋代が戻ってきた。中村が報告した。 「小さな塹壕がありましたが敵はいませんでした」 三時丁度、私達は出発した。本谷の左右にある小さな沢を、一つずつ検査しながら進む。五十分頃、本谷の右岸にある小さな沢に入ってゆくと、突然前方で激しい銃声が起こった。 「伏せろ!」 私は手で合図した。 前方の丘の上には潅木が生えているが、この疎林の中に敵の陣地があるらしい。 「どうやら敵は、本隊と戦っているらしいな。後ろから回り込みをかけよう。 皆聞け。銃に銃剣を着けろ。声を立てずに出来るだけ静かに匍匐前進だ。俺が合図するまで発砲するな。いいか」 私は皆に小声で言った。皆は頷いた。私は銃に銃剣を着け、草の間を静かに這って行った。 塹壕まで十五メートル。そこには十人ばかりの兵が見える。私は皆に停止を命じた。暫く様子を窺ってから、私は草を分けて静かに前進した。緊迫した時間が過ぎた。心臓の鼓動を聞き取ることができた程、私は緊張していた。 塹壕まで三メートル。敵兵は前方に気を取られて後ろの様子を見ようともしない。私は先刻敵兵から奪ったナイフを抜いた。一人の兵の頚筋に狙いを定め、発止と投げた。一瞬間の後、その兵の頚にナイフが突き立ち、兵は声も立てずに突っ伏した。隣りの兵が驚きの叫びをあげて振り返った。私は大地を蹴り、飛鳥の如く兵に襲いかかり、銃剣を兵の喉に深々と突き立てた。 「かかれ――っ!」 号令一下、十四人の兵士達は皆、両手に高々と銃を振りかざし、高らかに叫びながら塹壕になだれ込んだ。 奇襲図に当たり、突然背後からの不意討ちに敵兵は恐慌に陥り、次々に銃剣の餌食となった。わずか十数秒の間の出来事だった。 突如沸き起こった後方の騒ぎに、前方の塹壕にも動揺が起こった。私達は塹壕から銃を射ちまくり、前方の塹壕の兵をも次々と血祭りに上げた。さらに銃を振りかざしながら塹壕に切り込み、敵兵を手当たり次第に切り倒した。 川の近くに布陣している敵兵も、丘の上の異変に気付いたらしい。私達を狙って射かけて来る。私達は敵兵の死体の転がる塹壕の中に隠れ、重機と銃で応戦する。概して陣地というものは正面攻撃には強いが、側面攻撃には脆いものである。敵陣は土嚢を積んであるが、私達の方向には土嚢が無いから丸見えで、重機弾を浴びせるとどんどん倒れ、死体はあたりを埋めてゆく。 側面からの加勢を得て、本隊は俄然勢いづいてきた。兵士達が敵陣に肉薄しては手榴弾を投げつける。土嚢は次々に崩れ、敵陣地は今や総崩れとなった。私達と、本隊とが射かける無反動砲の爆発の中、敵の兵士は遂に退却を始めた。後には、幾体とも知れぬ兵士の死体を残して。爆音、銃声は去り、静けさが訪れた。本隊の兵士達が、私達のいる塹壕に集まってきた。 「矢板じゃないか!」 河村が近づいて来た。私は水を一口飲むと立ち上がって部下に言った。 「さあ、行こう。俺達の任務はまだ終わってはいない」 河村はあっけにとられている。 「武勇談は勝ってからにしようぜ。合流点でまた会おう」 小隊長が言った。 「よし、一六四○に合一だ。分かれ」 本隊は東へ向かって丘を降り、私達は北西へ、先刻来た道を戻った。 四時二十分。合流点まであと百五十メートルだ。まだ時間があるので、弾薬の残りを調べた。私の残りは、小銃の弾倉二個半、拳銃弾三十発、手榴弾五個。他の者も、大体同じくらい残していた。無反動砲弾は三十発ある。問題は重機である。 「重機の弾帯はあと何本だ?」 「あと十本です」 これは少々困った。出発した時は五十本、一万発持っていたのに八割方使ってしまったのだ。 「少々使いすぎたな。今後は弾丸をうんと倹約しなければならん」 合流点付近には林が多い。敵が潜んでいる可能性は極めて大だ。ここからは匍匐前進で林の中を進む。 合流点は目前だ。と、そこに、かなり強固な陣地がある。石を積んで造ったトーチカだ。 「こいつは厄介だな。バズーカがありゃいいんだが……」 私と酒井は顔を見合わせた。 「無反動砲でやってみましょう」 「気付かれずにやるのは絶対無理だ。それにこいつは徹甲弾じゃない。あの石の壁をぶち抜けるかどうか心許ない」 「成型炸薬弾は無いんですか」 「何だそれ?」 「対戦車用砲弾です。命中すると熔けた金属の噴流を作って装甲板を溶かす弾丸です」 「多分無いな」 と、ハンディトーキーが鳴った。 「こちらTYY。どうぞ」 〈TYHだ。あのトーチカはどうやって潰したら良いと思うか? どうぞ〉 「それを考えてたんです。バズーカでも使わないと無理じゃないですか? どうぞ」 〈そうか〉 「酒井は 『成型炸薬弾は無いか』と言ってますが。どうぞ」 〈成型炸薬弾? ……あったかも知れん。探してみる。どうぞ〉 「わかりました。探しましょう。以上」 私はハンディトーキーを切った。 「おい酒井。成型炸薬弾てのはどういう形をしているんだ?」 「普通の弾丸と似てますが普通のより軽いんです。先っぽを外すと空洞になってるのがそれです」 私と酒井は、残っている弾丸の中から、先端が空洞になっている弾丸を探し始めた。 突然、前方のトーチカから閃光が連続して閃くと、激しい銃声が起こった。 「感づかれたぞ! 一時退却だ」 一時、林の外まで避退してから、私と酒井はまた砲弾探しを始めた。数分後、 「どうもありませんね」 「参ったな」 二人で顔を見合わせていると、ハンディトーキーが鳴った。 「こちらTYY。どうぞ」 〈TYHだ。成型炸薬弾は無かった。そっちはどうだ。どうぞ〉 「ありませんでした。どうぞ」 〈弱ったな。何かそれに代わる手段を考えるんだ。以上〉 「了解。考えてみます」 私は考え込んだ。 (トーチカの弱点ってのは銃眼だな。あれを衝くにはどうしたら良いか……) ふと、妙案が浮かんだ。 「そうだ! あれでやってみるか。……TYH、こちらTYY、応答願います」 〈こちらTYH。名案が浮かんだか? どうぞ〉 「浮かびました。これでいけそうです。どうぞ」 〈どうやるのだ? どうぞ〉 「どちらか片方から陽動作戦をやって、反対側の銃眼から手榴弾を放り込むんです。どうぞ」 〈そんなので上手く行くのか? 大体どうやってトーチカに接近する? 周りには敵兵が群がってる筈だ。どうぞ〉 「先刻見た限りでは、トーチカの周りにはいません。どうぞ」 〈わかった。やってみろ。右岸から攻撃をかける。どうぞ〉 「了解。では、左岸から行きます」 私は銃を射っている中村に言った。 「射撃を止めろ。任務だ。俺は左翼からトーチカを攻撃するから、俺について来い」 「はい」 それから今度は酒井を捕まえて言った。 「俺と中村は左翼からトーチカを攻める。お前に他の兵の指揮は任せた。右側、二十四番川の方から攻撃しろ。本隊と共同だ」 「了解。本隊と共同で攻撃します」 酒井は、十二人の兵を率いて二十四番川の方へ移動して行った。私と中村は無反動砲を背負い、林の中を左翼へ匍匐前進して行った。 やがて右翼の方から盛んな銃声が聞こえてきた。トーチカの周りに散開していた敵兵は皆右翼に気を取られている。私達二人は、草を分けて静かに這って行った。 数十メートル離れてトーチカを見ると、四方は堅固な石積みで、小さな銃眼があるだけ、しかも三方にしかない。私達がこれから攻める裏側には無い。さて弱った。 「どこかに出入口がある筈ですがね」 「その通りだ」 「上げ蓋じゃないですか?」 「そうかも知れん」 息を殺して匍匐前進し、トーチカまで十五メートルに接近した。私は中村に囁いた。 「お前はここに残れ。俺が合図したら射て」 私は銃を持ち、一人トーチカへ向かって這って行った。流れ弾が木々をかすめる。 トーチカの裏側に着いた。銃声が周りに響く。私は地面を探った。すると、五十センチ角くらいの木の一枚板があった。これが上げ蓋になっているのに違いない。私は板の縁に手をかけて持ち上げた。わずかに音がするが銃声にかき消されてしまった。持ち上げた板を傍らに注意して置いた。板の下には予想通り穴があった。その穴の中へ体を潜り込ませた。一メートル以上の深さがある。身をかがめて石をくぐった。ランプの光が、トーチカの中をほのかに照らしている。敵兵が二人いる。機関銃が一挺ある。この程度の広さなら一発で破壊できる。私は手榴弾のピンを抜き、そっとトーチカの床に転がし、通路の底にうずくまって耳を押えた。 ドカ――ン!! 骨髄に響くような爆発音と共に、強い爆風が感じられた。小石や土くれが降った。 私の体は半分土に埋まっていた。体を起こしてみると真っ暗だ。ランプが消し飛んだらしい。私は床に登り、銃眼から入るわずかな光で機関銃を手に取った。二脚架つきの軽機関銃だ。ふと懐中電灯を持っていた事を思い出した。それを灯けてトーチカの中を照らす。二人の敵兵は死んでいた。 外の兵がトーチカの異変に気付かぬ筈は無い。敵兵が入って来る気配がした。私は姿勢を低くし、その軽機関銃を構えた。敵兵が入ってきた。すかさず連射。入り口は敵兵の死体で埋まった。そうしておいてから、銃眼から軽機を突き出し、近くにいる敵兵を次々になぎ倒した。これでもう形勢逆転だ。トーチカを奪られた敵は一気に弱くなった。 と、何かを感じて私は振り返った。床に手榴弾が一個転がっている。私は殆ど無意識のうちにそれを拾い、銃眼から外へ投げ出した。その瞬間激しい爆発が起こった。轟音は耳を聾し、トーチカは音を立てて崩れた。私は床に転がった。瓦礫の下敷きになるのを感じた。意識が遠のいて行った。…… (2001.2.2) |
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