岩倉宮物語 |
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第十五章
春日大納言、承香殿女御、信孝の父、新中納言源満の舅として権勢揺るぎない室町左大臣信時公は、今年五十歳になる。それに合わせてか、一月十日、准三宮とし牛車参内を聴許する宣旨が下った。二月十二日、室町殿で五十賀の祝宴が催され、私も招待されて参列した。宴会が酣わとなった頃、誰言うとなく管絃をやろうという事になって、室町殿所蔵の名器が幾つも運び出されてきた。皆それぞれに得意な分野があって、頭中将は横笛、信孝は琵琶、公晴は笙と、この辺はすぐに決まったが、さて箏を弾ける者は、となった時、一同はたと困った。大体箏というのは女性の嗜む楽器で、室町殿にも招待客にも上手に弾ける男性は一人もいない。いつも合奏の際に箏を務める女房が、今日は風邪で寝ているのだった。一同が白けそうになるのを見て、 「では、私が」 私が立ち上がると、 「おおっ、これは珍しい」 「帥宮殿が、箏を弾かれるとは」 辺りは一斉にどよめいた。一座の視線を集めながら、私は箏の前に坐った。 私にとって箏は、悲しみを想起させる楽器である。私が播磨守邸にいた頃、西の対から時折、かそけくも妙なる箏の音が聞こえてきた事があった。弾いていたのは勿論、今は亡き澄子であった。女房達の噂話でそれを知った私は、以前澄子に箏を教授していた師匠に乞うて師事したのだった。これを契機にして澄子に近付こうという下心が、なかったと言えば嘘になる。母はそれに気付いたのか、私が箏を弾く事を余り快く思っていなかった。そのため、せめて一度澄子と合奏を、という秘やかな願いは叶えられる事はなく、澄子は私の前から去った、私が未だに出す事のできない妙なる箏の響きを私の耳底に残して。 「――爪はありますか」 箏と一緒に蔵から出して来た爪は、女物の小さい爪であった。私は子供の頃から農作業に明け暮れたせいで、人並外れて指が太く、特に節が太いので、普通の男物の爪では指が入らない。まして女物の爪が使える筈もない。 「どうも指が太過ぎて、爪が合わないようですから、素手で弾かせて頂きます。上手く弾けるとは思いませんが、御容赦の程を」 私が断ると、関白や大納言達は意に介する風もなく、 「いや、それで結構。ささ、早く」 一座の者は、今や遅しと待ち構えている。私は箏を笙に合わせて平調に調絃し、他の者に言った。 「越天楽、行きましょうか」 越天楽なら、誰でも知っているからその場で合わせられるし、それ程長くもない。私の合図一下、合奏が始まった。皆幾分酒が入っているから、頭中将は音を外すし、公晴は指を間違え、聞いている方も座興の積りだから大して目くじらを立てもしないが、私だけは別であった。他のどの楽器を弾く時とも違って、箏を弾く時だけは、一拍一音の全てに、澄子への鎮魂の思いを込め、西方浄土にいるに違いない澄子の耳にも届けと、万感の思いを込めて弾くのであった。今の邸へ移ってからは、そして澄子が世を去ってからは、私は箏の稽古には一層力を入れた。澄子の形見分けの時、母に強いて貰い受けた澄子愛用の箏をかき鳴らす度、澄子の俤が目の前に浮かんで涙した事も度々であった。そんな私であったから、曲が進む程に心身共にのめり込んで行って、ここが室町殿である事も、周りの者と合奏している事も、次第に念頭から薄れていった。そのうちに、周りの楽器の音が聞こえなくなってきたが、私は構わず、自分の心の赴くまま、使える限りの技を使って弾き続けた。弾くうちに胸が一杯になり、涙が頬を伝い始めたのにも、はっきりとは気付かなかった。 だが、そろそろ私も疲れてきた。この一節で弾き納めにしよう、と、私は精根を傾けて最後の一節を弾き、それで終いとした。最後の音の余韻が消えていっても、暫くの間、辺りはしんと静まり返っていた。 「……お見事! いやはや、大した物だ!」 最初に静寂を破ったのは、左大臣であった。それが口火となって、他の者達もざわざわとし始めた。私はそっと、涙を押し拭った。 「帥宮殿に、これを被けて差し上げよう」 左大臣自ら席を立って、女物の袿を手に取り、私に手渡した。辺りが一斉にどよめく。 「有難き幸せにございます」 深々と一礼して袿を拝してから、手に取ってみると、どこかで見たような紋だ。大体衣の紋様などというものは種類が決まっているから、同じ紋様の衣をあちこちで見かける事もあるが、この紋は少し違う。萩を象った紋で、ごくありふれた紋という訳ではないし、染色も少し変わっていて、むしろ珍しい布地に属するのに、なのにどこか、見覚えがあるような気がするのだ。 夜も大分遅くなってから、私は室町殿を辞した。渡殿を通りざま、左大臣から貰った袿を月明りの下で見た瞬間、私の脳裏に一つの記憶が、電光のように閃いた。 この袿は、三年前の八月、性覚が観珠寺から南方へ逃走する時、晴子に擬すべく被いていた衣ではなかったか!? そうだ、もう少し記憶を遡ると、信孝が性覚を斬った時、あの現場に駈けつけていた晴子が、これと同じ衣を着ていなかったか。確かにそんな気がする。室町殿所蔵の珍しい衣が、烏丸殿にもあったというのが、幾分納得しにくいのだが。 「信孝殿」 私は、車宿まで見送りに来た信孝に、袿を見せて言った。 「この袿を、烏丸殿で御覧になった覚えはありませんか。私は以前、晴姫がこれと同じ袿を着ておられたのを見た気がするのです」 信孝は不思議そうに首を傾げた。 「いいえ、見覚えはありません。いつですか、妻がこれと同じ袿を着ているのを御覧になったのは」 見覚えがないというのなら、こちらの知っている事を教えてやる事はない。私はわざと空とぼけた。 「いつだったか……それはちょっと、覚えてないんですよ」 帰邸すると私はすぐ、貴重品を入れてある小箱を開けた。幾つもある畳紙の包みの一つを取り出して広げる。包まれているのは、一尺四方ばかりの布地、これこそ三年前の八月、私の弟である性覚が、観珠寺から脱出し、晴子に擬して南方へと逃亡を図った時に被っていた袿の一部分だ。これを、今日左大臣から貰った被け物の袿と並べてみた私は、黙って深く頷いた。布地の質も、色も、萩を象った紋様も、全く同じだったからだ。 不思議な事もあるものだ。この布地の元々の出所は室町殿なのか烏丸殿なのかはわからないが、一枚は晴子の衣になり、もう一枚は三年を経て私の持ち物になるとは。 ・ ・ ・
三日後、私は清行と二人、馬に乗って市中を歩き回っていた。氏より育ち、と言うのだろうか、私は、貴族社会に浸り切っている今でも、市場や商店街、職人町や、洛外の農村地帯を歩き回って、庶民の暮らしぶりを肌で感じる事に、貴族社会の真只中にいる時には感じられない一種の安らぎを感じるのだった。生まれながらにして貴族社会の真只中にいる他の人々には、私のこの心はわかるまいが。今頃の季節だと、百姓は牛に犂を曵かせて荒起こしをしている。それを見ると、昔、近所の農家の荒起こしを手伝いに出て、犂がなかったために鋤一本で荒起こしをやり、足腰が立たなくなる程疲れ果て、這いずるようにして家へ帰った事を思い出す。洛外へ出て、桂川の河原に来た。ここらは身元不明の行き倒れ人や、葬式が出せない程の貧乏人の死体捨て場のようになっている。去年の七月、赤児の死体を拾ったのも、この近くであった。あれよりもう少し前、もしかすると晴子も、水死体となってこの川のどこかの川原に打ち上げられていたかも知れなかったのだった。 川沿いに歩みを進めるうちに、私は筵を被せられた行き倒れを見つけた。こんな物は、この辺りでは珍しくない。 「清行。ちょっとここで待っててくれ」 私は馬を降りた。清行を見上げると、またかと言いたげな顔をしている。 「変な事が好きな男だと、思ってるんだろう、顔に書いてあるぞ」 私は軽口を叩いて、川原へ降りて行った。行き倒れに歩み寄り、その傍らに跪いて、いつもするように合掌を捧げてから、ふと好奇心に誘われて、筵をめくった。 私の目は、行き倒れの顔に釘付けになった。幻を見たのではないかと、一瞬本気で思い込んだ程、この行き倒れの男は、性覚に瓜二つだったのだ。まだ死んで間もない男の顔は、頬の肉が病か何かのために少し落ちているが、それを除けば、もしこの男が剃髪して僧衣を着て現れたら、誰もが性覚だと信じ込んで疑わないであろう程、性覚にそっくりであった。 私は筵を払いのけて、男の全身を見た。六尺に近い長身で、その割には華奢な体格も、性覚そっくりだ。あり得ない事だが、一度死んだ性覚が生き返り、また死んでここに横たわっているのではあるまいか、と一瞬思った程である。 その時、私の脳裏に、一つの考えが頭を抬げてきた。 ――この男に、左大臣に貰った、あの時性覚が被っていたのと同じ衣を着せて、洛中のどこかに出現させ、「性覚の死体だ」と声を大にして叫んだら、どうなるか。帝は多分、これを本物の性覚の死体だと思い込むだろう。帝は、自分の異母弟であり、自分に刃を向けたために謀叛人として処断せずを得ず、追討の宣旨を出さざるを得なかった性覚が、どこかで生き延びていて欲しいと切望している。その帝の願いは空しく、性覚は既にこの世の人ではない。あの時は私は、その事を知る唯一人の人間として、帝にはそれを知らせるまいと考えた。それを知らせれば、帝と伏見院を激しい絶望と悲嘆のどん底に陥れる事が避け難いと思ったからだ。だが、今は違う。性覚の死という事実を、帝に知らしめる事、それが帝の心を深く傷付けずにはいない、なればこそ、私はその事実を、帝の目の前に突き付けてやる、そうせずにはいられないのだ。性覚の死、その性覚が私の弟だったと知った時の私の悲しみを、私はあの時は、私一人の胸の内に収めておこうと思ったが、今となっては、帝にも嫌という程味わわせてやる。この事は、今初めて思いついた事ではない。帝を心の底から憎み、憎み切ってやると決意した時から、ずっと心の奥底に秘めてきた事であった。ただ、それをやるに適した機を、私は今迄掴めずに来たのだが、今や機は熟した。目の前に、性覚に瓜二つの行き倒れがある。 私は清行を手招きした。土手を降りて来た清行に、私は言った。 「清行、この行き倒れを、筵で包んで馬に乗せて、岩倉の別荘へ運び込もう」 清行は目を白黒させた。 「これを、ですか!?」 「そうだ」 清行は少時黙っていたが、やがて意を決したように、 「承知仕りました。きっと何か、若殿様ならではのお考えがあっての事と推察致します」 私は頷いた。 「そうだ。私なりに、考える所があるのだ」 清行は、行き倒れに被せられていた筵の他にも二三枚の筵を集めて来て、それと縄を使って、男の死体を包んだ。筵包みを清行の馬に載せ、清行に馬を曵かせて、岩倉の別荘へ行った。ここは裏側は林になって、少し林に分け入れば、裏側から入る事ができる。裏から入って、筵包みを塗籠に隠した。 「これで良し。近日中に、始めるとしよう」 私が独り言を言ったのに、清行は黙っている。 馬を歩ませて帰る途中私は、どうやれば性覚の死体出現を、不自然でなく演出できるか、に考えをめぐらせた。一昨年の二月、性覚出現の噂が京洛を席捲した事があったが、あのような演出はどうだろうか。性覚が都へ出て来てそこで死んだという線は、どうも上手ではないような気がする。帝は性覚が、晴子の思い出を胸に吉野の地でひっそりと暮らしているだろうと思っている、いや、そう願っているに違いない。ならば、その期待に沿うようにしてやるか。だとしても、吉野の山里に性覚に擬した死体を放り出しても、その噂が京へ伝わるかどうかは疑問だ。さりとて、私が吉野へ行って、行った先で性覚の死体を見つけたと、帰ってから言いふらすのは全く下策だ。帝は、私が帝の兄であると知っているから、性覚の兄でもある事を知っている。性覚が自分の弟である事を伏見院から聞かされ、それ故性覚の追捕は骨抜きにしてしまおうと考えて、信孝に謹慎を申し付けた、その場に私は居合わせたのだ。その私が、性覚の死体を見つけたと言いふらしたりしたら、何故私がそんな事をするのかと、疑うに決まっている。それでは困るのだ。私の意に反して、性覚の死体を見つけたという噂が広まる、という形をとるのが望ましいのだ。 その日の夕方、私は帝に召されて参内した。召されたと言っても他愛ないもので、内裏の桜が見頃だから花見の宴を催す、というだけの事であった。こんな事であっても、帝に呼ばれたら喜んで参上する振りをするというのが上策だ。それに、帝が花見の宴を催す気になる程、東宮の焼死で蒙った打撃から回復してきたとなれば、そろそろ二の矢を放つべき時であろう、その時機を見極めるためにも、可能な限り帝の近くにいた方が良い。 参内してみると、殿上の間に屯す殿上人達は、やはり久し振りの宴という事で浮き立っている。 「帝におかせられても、近頃は漸く御気色麗しく遊ばされて、私達もやっと一安心ですよ」 春日大納言が、誰に言うとなく言うと、他の公卿も同じた。源中納言が言う。 「やはり、昔から申す通り、傷を癒す一番の薬は時間ですね」 やれやれ。遠からず帝はまた、激しく打ちのめされて、さながら諒闇のように宴は行われなくなるのだ。宴だけが楽しみな公卿連中には申訳ないが、今の私の眼中にあるのは、帝を苦しめる事だけなのだ。 やがて帝が出てきて、宴会が始まった。桜を愛でながら、とは言うものの、夜になると篝火程度では桜は大して見えない。結局のところ、飲んで食う事が主体になるのだった。 今日の宴には、承香殿、弘徽殿、宣耀殿、藤壷の四女御も、簾の奥に隠れてではあるが参加している。それを見て私が考えた事は、勿論、次は誰を攻撃目標にするか、であった。目標が誰であるかによって、最も適した、効果的な方法が決まってくる。誰を目標に選ぶとしても、その実際の着手は、もう少し状況の推移を見てからにする方が良い。私が放つ二の矢、即ち性覚の死体が見つかったという噂が、帝をどの程度打ちのめすか、それを見極めてからである。 そんな私の思いをよそに、宴会は盛り上がってきて、やがて帝は上機嫌で言った。 「帥宮の箏が、聞きたいな」 私は、一度は辞退する。 「私の箏など、主上のお耳に入れるには恐れがましゅうございます」 「またそう謙遜する。そなた室町殿で、実に見事に弾いたと聞いているぞ。是非私にも聞かせてくれ」 帝は熱心に勧める。どうやら左大臣辺りが、相当熱心に吹き込んだらしい。 「では僭越ながら、一曲だけ弾かせて頂きます。他人と合わせるのは、どうも余り得意ではありませんので、独りで弾きたいのですが、宜しいでしょうか」 昨今の音楽は合奏が普通で、独りで弾く曲というのは余り多くないのだが、帝は意に介する様子もない。 「構わない。残楽を七返もやる程のそなたなら、独りで弾かせても充分だろう」 (筆註 管絃合奏において、曲の終わりの部分を篳篥の伴奏で箏と琵琶が、様々な技巧を加えて繰り返すのを残楽といい、三回奏する三返が普通である) あの時一人で、他の楽器を無視して弾きまくったのが、七返の残楽と受け取られたのだろう。ともあれ、こんな事もあろうと、特製の爪も、譜も用意してある。蔵人が私の前に箏を運んで来る間に、爪を指にはめていると、帝が目ざとく見つけて、 「何だ、爪まで用意してあるのではないか。初めから弾く気だったのだろう」 私は、ちょっと肩をすくめた。 「私の指は他人より太いですから、自分用の爪を持ち歩くようにしているのです」 皆が注目する中で、私は箏を調絃した。それからゆっくりと瞑目し、息を整え、心を鎮めて、やおら弾き始めた。 手拍子を取ろうとした誰かが、二拍か三拍打っただけで止めてしまった。私が今、全身全霊を込めて弾くこの曲、これこそ、一昨年の五月、澄子を失った悲嘆と憤怒に衝き動かされるままに、五日間で書き上げた曲、澄子への鎮魂の曲なのであった。私室で一人で弾いていても、澄子の俤が後から後から目の前に浮かび、声までもが耳に聞こえて来て、胸が切なく苦しくなる曲であった。私はこの曲を、帝や公達に聞かせる積りで弾いていたのではない、西方浄土にいる澄子に聞かせるためだけであった。弾くほどに、澄子の俤が目の前に浮かんできて、懐しさと悲しさがせき上げてきて胸が苦しくなり、目の前が涙でぼやけてきた。譜が見えなくなったが、譜が見えなくとも曲の全ては体が覚えている。 最後の音が消えていった時、辺りは静かな啜り泣きの声に包まれていた。そっと涙を拭って顔を上げると、列席の公達も、或いは袖を顔に押し当て、或いは俯向いている。この曲に込めた私の思いは、言葉によらずに人々の心を揺り動かしたのだ。ゆったりと溜息をついた私の耳に、帝の声が聞こえた。 「――見事であった……」 何か言おうとしているのだろうが、言葉が続かないらしい。私はじっと黙って、帝の言葉を待った。 すると不意に、 「確かにお上手ですこと」 聞いた事のある女の声がした。承香殿女御だ。だが、承香殿女御だとわかる前に、私の胸中に苦い物が走った。確かに、とはどういう事だ。それに、感嘆の余り黙っていられなくなって賞讃の言葉が口をついて出た、というのとは少し違うものを感ずる。と思っているうちに、 「でも何でしょう、聞いた事のない曲ですわね」 聞いた事がなくて当然だ、他人に聞かせるのはこれが初めてなんだ。だからどうした、と思っているうちに、帝が、 「帥宮、今の曲は、何という曲だね。私も聞いた事がないが」 さて、そう言われてみると、この曲には名がない。 「私が最近作りましたので、まだ名は付けておりません」 私の答えを聞いて、帝や公達は驚きを新たにした。辺りがざわつく。 「何と、帥宮は弾くばかりでなくて、作曲もするのか! 近頃の音楽は、昔の曲をそのまま守り伝えるだけで、新しく曲を作る事は絶えてなかった事だ。大したものだ!」 帝が感嘆の声を上げる。 「でも帥宮殿、まだ名付けておられないと言っても、何かを念頭に置いて作られた曲でしょう。そうでなければ、これ程迄に胸を打たれますまい」 春日大納言が言う。私は、ぼそりと言った。 「ある人の思い出、とだけ申しましょうか」 澄子の名は、軽々しく口にしたくなかったのだ。たちまち一座は騒然となった。 「帥宮殿の、ある人とは、誰だろう?」 帝も気になるらしくて、 「帥宮、誰なんだね」 いやに興味津々で、身を乗り出してくる。どうやら帝も、他の公達も、「ある人」というのが昔の恋人か何かだと思い込んでいるらしい。確かに一面ではそうであるが、別の一面の方を、帝には突きつけてやろう。私は幾分抑えて、毒のある声で言った。 「凝華舎(梅壷の正式名称)」 辺りは、水を打ったように静まり返った。私の恋人は誰だ、などと詮索する積りで浮かれていた連中は、今は亡き薄幸の従姉(本当は実の姉だが)への鎮魂の曲だと思い知らされて、しゅんとなってしまった。 そこへ、 「当てつけがましい!」 棘々しい声が響き渡った。承香殿女御だ。私は思わず、簾中の承香殿を睨み据えた。澄子への追憶に満たされていた私の胸の内は、瞬時にして承香殿に対する、激しく燃え盛る憎悪に湧き返った。承香殿は言い募る。 「折角の宴に、こんな辛気臭い曲を弾いて雰囲気をぶち壊しにして、聞けば梅壷に事よせて、遠回しに主上をお恨み申し上げるなど、どういうお積りやら」 辛気臭い、だと!? 私は憤怒に打ち震えた。私の全身から放たれる殺気を感じ取ったのか、帝が慌てて、 「これ、承香殿、余りそう、他人が気を悪くするような事を言うでない。私を恨むだの、そなたへの当てつけだなどと」 それから私に向き直って、 「帥宮、どうか、気を悪くしないでくれ。承香殿は、どうも、物悲しい曲は好きでないようだ。気分直しに一曲、もう少し楽しい曲を弾いてはくれないか」 何を言われようとも、私の胸に湧き返り始めた憎悪と瞋恚は、今更消す事はできぬ。私は唇を歪めて、一層毒のある声で言った。 「主上の御為になら、お弾き致しましょう。辛気臭い曲がお嫌いな承香殿様の御為になら、箏には指一本触れたいとは思いません。他の御方にお申しつけ下さい」 「んまぁ……!」 承香殿が甲高い声を上げる。 「私に対する侮辱ですわっ! ええ、この私を侮辱するような人の箏など、聞きたくもありませんわっ! 私、退らせて頂きますっ!」 承香殿は勢い良く立ち上がると、足音も荒らかに出て行った。帝は肩をすくめた。 「どうも承香殿は、勝気で困る。帥宮、悪く思わないでくれ」 「承香殿様を、悪く思うなどとは、恐れ多うございます」 私は慇懃無礼に答えた。 「何をお弾きしましょうか。主上のお耳に入れられる程上手に弾ける曲は、幾つもないのですが」 帝は妙に焦り気味に、 「越天楽なら、弾けるだろう? 越天楽、弾いてくれ」 そこで私達は調絃をやり直して、弾き始めたのではあったが、どうも承香殿の退席で座が白けてしまって、私達も今一つ興が乗らない。残楽もなしに曲が終わると、そのまま散会になった。 「主上が承香殿へおいでになるそうです。私も参りますが、帥宮殿も、おいでになりませんか」 と言って私を誘った春日大納言に、 「いいえ、私は遠慮させて頂きます。大納言殿も行かれるのでしたら、良しなに申し上げて下さい」 表向きは平静を装って辞退しながら、内心では断乎たる決意を固めていた。春日大納言や信孝には申訳ないが、私は承香殿を、帝と同列の攻撃目標に見倣す。つまり、承香殿その人を攻略してその結果帝を苦しめるのではなく、承香殿の周囲の人々を攻略して承香殿を苦しみのどん底に突き落とし、それによって帝にも承香殿の苦しみの余波を被らせるのである。承香殿に、そのために身を損い命を失わしめる程の悲嘆や苦痛を与えれば、承香殿を鍾愛する帝にも、限りない悲痛を味わわせる事ができる。 ふと庭を見ると、左少将(元の左衛門佐)と左衛門佐(元の左馬頭)が庭の桜の木に寄り添って、何やら話している。私は庭へ降り、二人に歩み寄った。 「何をお話しですか」 少将が振り返って、 「あ、帥宮殿。いえ、大した事じゃないんですが、吉野の桜はいつが見頃か、と」 「ほう、吉野の?」 吉野と言えば桜の名所だ。私が相槌を打つと、衛門佐が意外な事を言い出した。 「実は資満殿(少将の本名)と私は、今度二人で金峯山に詣る事にしたのです。吉野まで出かけるのなら、桜の見頃に行こうと、去年のうちから相談していたんですよ」 私の脳裏に、ピカッと閃いたものがあった。 この二人を、性覚の死体の発見者に仕立て上げればいいではないか! 少将はあの当時、左衛門佐兼検非違使佐として、性覚の追捕に当たった身だから、性覚の死体を発見したとなれば黙っていないだろう。しかも少将は口が軽い。信孝が烏丸殿へ乱入したのを目撃し、翌朝には内裏中に言いふらしていたのは、他でもない少将だ。これを使えば、私の意に反して噂が広まった、という演出ができる。 そうすると私のする事だが、この二人が必ず見つけるような場所に例の死体を放り出すだけでは充分ではない。二人が死体を間違いなく発見するには、私がそうなるよう仕向けてやる必要がある。そうすると、私も一緒に行った方がいい。 「吉野の桜ですか。いいですね。私も一度、見に行きたいと思っていたんですよ」 私が、さもさも行きたそうに言ってやると、 「でしたら帥宮殿も、御一緒なさいませんか? 度は道連れ世は情、どうです?」 少将は嬉しそうに、熱心に勧める。私は、 「でも御二方は、金峯山へ参られるのでしょう。あそこへ参るには、潔斎やら何やら、何かとあるそうですね。御堂関白(藤原道長)が参詣された時には、七十五日潔斎したとか。今からでは間に合いませんから、金峯山迄は行けませんよ、私は」 こう言って、少しだけ消極的な様子を見せてやるのも、駆引きの一つである。案の定衛門佐が、 「御心配には及びませんよ。吉野には、家内の別荘がありますから、私達が金峯山へ参っている間、帥宮殿にはそこでお憩ぎ頂く、という事にすれば」 これは一層思う壷だ。二人が金峯山へ行っている間に、私は性覚の死体出現の演出をすればいいのだから。私は安心したように、 「それは有難い。では、そうさせて頂きます。それで、御出立はいつですか」 少将が嬉しそうに答える。 「十七日、明後日です。曲水宴(三月三日の節句に行われる宴会)までに帰って来いと言われてますので、余りゆっくり旅をしてもいられないのが、ちょっと残念です」 「そうですか。では明後日のいつ、どこで待ち合わせ致しましょうか」 少将が答える。 「卯の刻(午前六時)に、私達はそれぞれの邸を出ます。それから帥宮殿のお邸の前を通りかかりますから、その時合流なさる、という事でどうでしょうか」 私は少将の提案を受け容れた。 二人と別れて、私は殿上の間へ行った。蔵人に、明後日から吉野へ出かける旨、帝に奏上して欲しいと事づけた。程なく、帝は私を召した。 「明後日から吉野へ行くそうだな。少将と衛門佐と一緒にか」 「は。あの二人が、吉野の桜はいつが見頃か、などと話しているのを聞いておりましたら、急に吉野へ行きたくなりましたので」 帝は、ふと溜息をついた。 「吉野か。……そう言えば、晴姫が以前、永らく吉野に養生していた事があったなあ。私も吉野へは、行ってみたいとは思うが、帝という身ではそうも行かぬ。そなた達が羨ましい」 「恐れ入ります」 「まあいい。吉野の桜を、存分に見て来給え」 帝は笑った。私は頭を下げながら、内心に秘めた思いを新たに、唇を歪めた。吉野くんだりへ、脳天気に桜なんか見に行くものか。やがてもたらされる報告に、帝は血の涙を流すであろう。 私は帰邸すると、近江を呼んで言った。 「宮中の仲間に、吉野へ行かないかと誘われたんだ。前から一度、吉野の桜を見に行きたいと思っていたからね、行く事にしたよ」 「左様でございますか」 近江は、自分も連れて行って貰えると思ったのか、嬉しそうに顔を綻ばせた。だがしかし、私としては、余り他人を連れて行きたくない。表向きの理由は衛門佐の別荘に厄介になるから、本当の理由は隠密裡に演出しなければならないから。 「折角だけどね、近江達は又の機会にしてくれないか。今回は、その仲間の別荘に厄介になる事になったんで、大勢で行くと先方に迷惑だから……来年、皆で行こう、な」 「……わかりました」 近江はさすがに、がっかりしたようだが、それを顔に出すまいとしている。それを見ていると、申訳なさに胸が一杯になる。帝に対しては悪鬼羅刹の如き私でも、他の人々に対しては、人の心を失ってはいない積りだ。そうであるだけに、近江のような人達が、私の奸計の余波を受けるのは見るに忍びない。 その夜私は、性覚の死体出現をどう演出するか、に考えをめぐらせた。死体を出現させる時期は、往路、逗留中、帰路が考えられる。この内、往路は無理だ。吉野の地理には全く疎いから、一度は下見をしておかなければならないが、明後日出発ではその時間的余裕がない。あの二人の行動予定を乱すのも、余り気が進まない。時間的に考えても、帰路にどこかに出現させるのが、一番無難ではないだろうか。 次に、死体を運ぶ方策である。まさか私の車に、一緒に乗せてゆく訳にはいくまい。と言って、吉野から京まで牛車を往復させるのは目立ちすぎる。清行を随行させる事にして、夜陰に乗じて京へ往復させるか。京から木津まで、約八里(三十二キロ)の道を亥の刻(午後十時)から寅の刻(午前四時)までで往復できたのだから、吉野から京まででも、騎馬でなら二日で往復できるだろう。 出現の段取りは。あの辺、道沿いのどこかに、一軒位空き家があるだろう。そこに死体を隠しておいて、そこへ二人を踏み入れさせる。そうすると二人の目の前に、性覚の死体がある、という寸法だ。しかし、車に乗っている二人を、どうやって車から降りさせるか、その辺の算段もしなければならない。その辺の算段と下見は、現地へ行ってからでもいいだろう。 翌朝私は、清行を呼んで言った。 「明日から、左少将と左衛門佐と一緒に、吉野へ行く事になった」 「は」 「それで清行、今回は余り大勢では行きたくないのだが、お前には特別に、随行を命ずる。いいか」 「私を、ですか!?」 驚きと喜びを隠そうとしない清行に、私は真顔で言った。 「只の物見遊山に連れて行くのとは訳が違うぞ。旅の間お前には、重要な仕事をやって貰わなければならん、だから随行を命ずるのだ。わかるか」 「はっ」 清行は真顔に戻って平伏した。 「詳しい事は追って指図する。今日中に、旅仕度を整えておけ。明日卯の刻に出発だからな。狩衣の着替えを一着、忘れずに入れておけよ」 「承知仕りました」 清行を帰してから私は、旅支度を整えにかかった。とは言うものの、私自身何日間にもわたる旅をした事はないので、結局は上総宮邸に奉公していた時分に石山詣に随伴した事があるという近江に、一から十まで任せるような事になったが。自分の行けない旅の支度をしてくれる近江に申訳なくて、 「近江には、いや、皆に、ちゃんと土産を買って来るからね」 と言うと、近江は、 「そんなお気遣いをして下さらなくても結構ですわ」 と言って笑うのだが、それがまた無理に笑っているようで、一層応えるのだった。 ・ ・ ・
翌朝私は寅の刻(午前四時)に起きて、出発準備を整えた。準備万端整えて、騎馬で随行する清行も支度を済ませて、同行の二人を待っていると、やがて東の門前に、三両の牛車が来たと、門番が知らせに来た。「来られたな。車を出せ」 私は牛飼に命じた。車は、ゆっくりと動き出した。 門の外には、車が三両並んでいる。少将と衛門佐が一両ずつはわかるとして、もう一両は誰だろう。私は物見窓を開けて尋ねた。 「今日吉野へ行かれるのは、少将殿と衛門佐殿と、あとどなたですか」 すると、一番近くの車から衛門佐が顔を出して、 「申しませんでしたか。家内も一緒に、参るのですよ」 そう言われてみれば、一両の車からは出衣(車の後簾から、女の衣の裾を出しているもの)が出ている。それを見て私は、少しばかり安心した。もう一人の同行者が、私にとって扱いにくい人物であったらどうしようかと思ったのだが、衛門佐の妻くらいなら、どうという事はあるまい。 私達は牛車四両を連ね、従者や随身達五騎を従えて、東洞院大路を南へ向かって進んで行った。じきに京を出て、鴨川を越え、深草から伏見を通ってゆく。三年前のあの時、観珠寺炎上と聞きつけて馬を走らせた道であり、人目を忍んで逃走する性覚を、それと見破って追跡して行った道でもあるが、昼間通るのと夜通るのとではまた違う。辺りは一面の田園地帯で、百姓達が鍬や犂で田起こしをしている。 昼頃、宇治に着いた。ここの別院で、性覚は車から馬に乗り換えて行ったのだ。あの時の光景の断片を、私は思い出していた。そんな事は知る由もない少将と衛門佐は、別院の近くに車を停めて、昼飯休憩にしようと言う。筵を広げてその上に坐り、辺りの景色を眺めながら、少将は言った。 「旅に出ると、日頃しない事をする楽しみがありますね。道端で昼餉を食べるなんて事は、普段しませんからね」 私にしてみれば、昔九条で百姓の子供と同じ生活をしていた時分には、農繁期には屋外で農作業の合間に昼飯を食べるなど毎日の事だったから、別に特別な体験でも何でもなく、むしろ労働の疲れを思い出させる位だから楽しみなんかでは全くないのだが、二人の心証を害しないに越した事はない。 「これで椎の葉に盛れば、本当に旅の食膳でしょうがね」 私が応じると、衛門佐が額を叩いて、 「や、先に言われてしまいましたな」 古歌を引いて当意即妙の受け答えができる事が、教養の証とされるところである。 (筆註 万葉集所収「家にあればけに盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」による) 衛門佐の妻も、車から降りて来た。一般に出歩く事のない貴族の女性にとっては、野外での昼飯などは一層珍しい体験になるのだろう。私は衛門佐の妻に挨拶した。 「この度は金峯山詣でに御一緒させて頂き、その上別荘まで使わせて頂けるとの事、有難く感謝しております」 妻はにこやかに微笑んで、 「いいえこちらこそ、帥宮様においで頂けるのは、光栄の至りにございます」 と言って頭を下げてから、 「帥宮様の御名前はかねてから伺っておりますが、箏が大変お上手とか。是非一度、お聞かせ願いたいですわ」 私の箏の腕は、こんな所まで広まっているらしい。本当に箏を解する人になら、聞かせるのは吝かではないが、あの曲だけは軽々しく他人に聞かせたくない。私は言った。 「そのうち、折がありましたら、お聞かせ致しましょう」 「楽しみですわ」 妻は女房達に指図して、昼飯の支度をさせる。その様子を見ていると、自分から率先して仕事をする所といい、女房に対する指図のし方といい、上品ぶって取り澄ましたような所が全然なく、女主人と言うよりは女房頭と言った方が相応しい位だ。言葉を交わした感触からすると、気だても良さそうだし、何よりも朗らかで快活だ。私が衛門佐にそう話すと、衛門佐は照れ笑いして、 「家内は、外づらはいいんですよ。これが毎日一緒に暮らしていると、なかなか。口は減らないし焼餅は焼くし、それに……」 すると妻はそれを聞きつけたのか、足早に歩み寄ってくると、 「貴方! 他人の悪口を言ってる暇があったら、御飯の支度の手伝いでもして下さいな!」 と言いながら衛門佐の背中を叩く。衛門佐は肩を竦めて、 「この通りの地獄耳。迂滑に寝言も言えませんよ、本当に」 「貴方ったら!」 とますます声を上げて衛門佐にむしゃぶりつく様子も、よく見ると目が笑っている。引っ立てられるようにして衛門佐が立ってゆくと、少将は小声で言った。 「お二人ともあれで、結構楽しんでるんですよ。焼餅焼いて拗ねているのが一層可愛らしい、なんて、のろけか本気かわからないような事を言ってるんですからね、実光(衛門佐の本名)殿は」 私は微笑んだ。 「喧嘩ができる程仲が良い、という事でしょうね。本当に嫌いなら、喧嘩もしないでしょう」 少将は、我が意を得たりと相槌を打つ。 「そうそう、喧嘩ができるような性格というのは、本当に有難いですよ。これがもっと陰湿な性格で、文箱に他の女宛の文が入っていたからと言って、いじいじめそめそ、一晩中ぶっ通しで泣き言恨み言を聞かされた日には、それ迄どんなに首ったけになっていた女でも、心底うんざりしますよ。浮気の証拠を掴んだら、その場で一発ひっぱたいて、それで許してくれるような、そんな女だったら、どんなにこちらも気が楽かと、時々身に沁みて思います」 どうやら少将の妻や愛人の中には、一晩中ぶっ通しで泣き言を聞かせるような女が実際にいるらしい。私だって一時期、いじいじめそめそ型の女に散々泣きつかれた事があったから、その気持は分らないでもない。 昼飯後も車を進め、日が暮れた頃、橋寺に着いた。ここは伊賀・伊勢から木津川沿いに来る道と合流する所で、また近江・京から大和へ運ばれる物資が川舟から陸運に積み替えられる所でもあり、かなり賑わっている所だ。一軒の幾分大きな家に、私達は泊る事になった。この家は、長谷寺や吉野へ参詣する京の貴族が、よく一夜の宿を求める家であるらしい。既に先客が何組もいるというので、別の一行と相部屋になり、几帳を立てて部屋を区切る事になった。 「本当に申訳ございません。毎年今頃は、南都へお詣りの方々が多うございまして」 宿の主人が恐縮して、しきりと詫びる。衛門佐は、幾分不快そうな様子だが、 「相部屋になった事から、意外な出会いがあるかも知れませんわよ」 衛門佐は夫をなだめる。 「玉鬘かい。でももし玉鬘が隣にいたら、貴女の事だからきっとうるさいな。やれやれだ」 衛門佐が幾分機嫌を直して軽口を叩くと、妻は俄かに気色ばんで、 「んもう、貴方ったら!」 と言いながら衛門佐にじゃれ付くのを、少将は微笑まし気に見守っている。 (筆註 玉鬘……「源氏物語」内大臣が夕顔との間に儲けた娘。母の死後西国に沈淪し、上京して長谷寺へ参籠の折に、夕顔の侍女であった右近と相部屋になった事から再会し、源氏に引き取られた後、内大臣と再会する) 少将が、好奇心にかられたのか、従者の一人に合部屋になった一行の様子を探らせた。 「もし知っている方でしたら、挨拶しないのは失礼ですから」 と言っていた少将だが、戻って来た従者が、 「伊勢の丹(硫化水銀、赤色の塗料)を扱う商人だそうでございます」 と少将に知らせると、俄に軽蔑の色を露わにして、吐き捨てるように言う。 「何だ、商人風情か」 衛門佐に至っては、 「商人? 商人如きが私達貴族と相部屋だと! 主人に言い付けて、追い出させよう!」 などと言い出す始末である。隣との境は几帳だけだから、こんな暴言は隣に丸聞こえである。それより、こういう思い上がった考え方は私は嫌いだ。 「衛門佐殿」 自分でも口に出してしまってからその厳しさに驚いた、譴責するような口調に、衛門佐はびくっとして振り返った。私は幾分柔らげた、それでもかなり強い口調で、 「少将殿も。貴方達は何故、商人を馬鹿にするのです、いや、何故貴方達に、商人を馬鹿にできるのです」 できる、の一言に一際力を入れて詰問すると、二人は、何故私にこんな事で詰問されるのか解らない、といった様子で顔を見合わせた。やがて衛門佐が、恐る恐る、 「それでは、帥宮殿は、商人や百姓のような身分賎しい者共を、私達貴族は敬わなければならない、とでも仰言るのですか」 精一杯の抗議を試みてきた衛門佐に対し、私は悠然と応じた。 「それは少し飛躍していませんか。身分の高低と、人を侮り、馬鹿にする事とは別ですよ。 私の申したい事は、ですね」 私は三人を見回した。 「貴方達のお邸には、朱塗りの物の二つ三つはあるでしょう」 三人は頷いた。 「そういう物が、どうやって作られるか、御存じでしょうか。一番大切な事は、どんな物であれ朱塗りの物を作るには、塗る漆に入れる丹が、絶対に必要だという事です。その丹は、椀なり台盤なりの木地を作る材や、塗る漆のようにどこででも採れる物ではなくて、伊勢や西国でしか採れないという事、だから私達が朱塗りの物を手にする事ができるのは、伊勢なり西国なりから丹を京へ運んで来て売る商人、隣にいる人達のような人達がいるお蔭だという事なのですよ。朱塗りの物に限った事ではありません、他のどんな物についても同じですよ。米であれ塩であれ、魚であれ鳥であれ、布であれ紙であれ、私達が日頃使っている品物は全て、それを育てる百姓、獲る海人、木樵、運ぶ船乗りや馬飼牛飼、加工する職人、売る商人がいて、初めて私達の手に入るのです。私達貴族は、日々の暮しの全てを、こういった大勢の庶民の労働に負っているのです。それを思えば、私達貴族は庶民に感謝こそすれ、侮ったり馬鹿にしたりできる道理はありますまい。そうお考えになりませんか?」 私の問いかけに、三人は黙ったままだった。生まれた時から貴族社会に浸り切ってきて、貴族と庶民は別物、貴族が貴族であるのは当然、とでもいうような意識が骨の髄まで染みついているに違いない三人にとって、私の言葉は余りにも意外であったのだろう。 「……しかしそれでは、身分の高い私達が、身分の低い者共に頭を下げるという事に? それではあべこべになりませんか」 衛門佐は、幾分的外れな事を言って喰い下がる。 「衛門佐殿、まだおわかりでないのですか。私が今申した事は、身分どうこうとは別の事です。私達は庶民より身分が高い(私としてはこんな台詞は発したくないのだが、身分の存在までも否定してしまっては、私自身の存在の根拠も否定してしまう事になるので致し方ない)、それは認めます。身分故に、庶民達から敬意を払われるべき存在であるのも認めます。しかし、身分の高低に拘らず、敬意とは別に、人が自分の為に何かしてくれている時にはその人に感謝の気持を忘れない、そういうものではないですか。 まだおわかりになりませんか。ではもう少し、わかりやすい例を申しましょうか」 私が言い終わらないうちに、 「ちょ、ちょっと失礼! 樋殿はどこかな」 やにわに衛門佐は立ち上がり、逃げるように部屋を出て行った。私は衛門佐の妻に尋ねた。 「衛門佐殿は、お邸に仕えている女房達に、お前達がそうするのは当然だ、自分が感謝する筋合いはない、というような態度を取られる事はないかと少し気懸りなんですが、如何ですか」 妻は少し顔を曇らせた。 「そういう事は、ないとは申せませんわ」 少将が口を出す。 「帥宮殿は、貴族には珍しい物の考え方をなさいますね」 私の思想は、庶民と貴族の両方の身分を体験してきた人間なら、誰でも持ちうると思うのだが、生まれながらの貴族にとっては物珍しく映るらしい。 「そうですか」 そこへ衛門佐が戻って来ると、 「あちらの部屋に、左衛門督殿が泊っておられる。御挨拶に参ろう」 妙に皆を急かすような声で言う。誰か貴族に挨拶に行く事にでもすれば、私の追求を逃れられると思っているのが見え透いている。まして中納言兼左衛門督となれば、衛門佐の直属の上司だ。挨拶に行くには打ってつけの人物である。私が斜に構えているのに他の二人は気付く様子もなく、 「まあ、ではすぐ、伺いましょう」 「では、私も」 いそいそと立ち上がる。 「帥宮殿は」 少将が誘うのを、私はやんわりと断った。 「私は、そのうちに」 二人が出てゆくと、私は几帳を掻き上げて隣を覗いた。隣の一行は、今しも夕飯を終えたところだ。商人の一人が私に気付いて、 「あれ」 他の三人の商人も振り返った。皆一様に、驚きとも恐れともつかぬ顔をする。私が微笑みながら会釈すると、ぎこちなく会釈した。年嵩の男が、恐る恐る、 「あの、そ、帥宮様ではございますまいか」 「左様、帥宮です」 商人達は当惑して顔を見合わせた。 「先程は連れの者が、聞き苦しい事を申しまして。連れの者に代って、お詫びします」 私が手を突いて頭を下げると、商人達は一層当惑したらしい。 「い、いえ、あの、そ、そうだ、儂等すぐ、出て行きますで」 年嵩の男の声に、私は顔を上げた。 「いや、それには及びません」 慌てて荷物をまとめようとしていた商人達は、首を傾げて坐り直した。 「王侯将相いずくんぞ種有らんや、です。貴族だから先に来ていた商人を追い出していい、そんな事はありません。まして貴方達は商いの道中、私達は物見遊山の道中、私達の方が出て行って然るべきなのです。貴方達は、誰憚る事なく、この部屋にいて結構なのですよ」 商人達は、神妙に聞き入っている。 「さて、旅は道連れ世は情、袖触れ合うも他生の縁です。貴方達と合部屋になったのは並々ならぬ縁あっての事と思います。お互い、身の上話でもして、理解を深め合いませんか。もし迷惑でなかったら、貴方達の商いの話など、色々と伺いたいものです」 商人達は、漸く緊張が解けてきたようだ。 「儂は京へ行くようになって三十年にもなり申すが、こんな事を仰言る貴族の御方は初めてだ」 年嵩の男が言う。私が几帳をくぐって入ってゆくと、商人達は筵をずらして、車座の一角に私を加えてくれた。 「儂は長蔵と申します」 年嵩の男が名乗った。それから周りの者を一人ずつ指して、 「これが清丸、これが大鳥、これが多聞」 三人は一人ずつ会釈した。それから長蔵が、 「儂等は皆、伊勢国飯高郡の者です。そこらで採れます丹を、京へ運んで売る、それを生業にしておる者共です」 私は尋ねた。 「丹という物は、どうやって採るのですか」 すると多聞が、 「は。川縁の崖の下や、岩山の崩れた所に、岩の中に赤い石が出るのです。それを削り取って来るのです」 多聞は、首に懸けていた守袋を外し、袋の口を開けて、小さな布包みを取り出した。掌の上で布を広げて見せてくれたのは、赤色がかった紫色の石である。 「これが、丹の素になります石です。御覧下さい」 私はその石を、手にとって見た。 「市で丹を売っているのを見た事がありますが、最初からあのような粉で採れるのではないんですね」 私が多聞に石を返しながら言うと、長蔵が、 「昔はその石のまま、売っておったのです。ですが石のままでは売り買いに不便で、それに混じり物もあり申すので、いつ頃からか、粉を作って売るようになり申したのです」 「粉を作るのですか」 「左様、石を鎚で叩いて、薬研で挽いて粉にします。それを水の中で揺り分けて、混じり物を除きます」 「揺り分ける?」 私が尋ねると、長蔵は得意気に説明する。 「丹の素になる石は、他の石より重いのです。ですから盆に粉を入れて、水の中で盆を傾けて揺すり申すと、重い丹の粉と軽い混じり物は盆の上と下に分かれます」 「成程」 「さてそれを、篩にかけ申して、細かさを揃え申して、それを売り申すのです」 と言って長蔵は、唐櫃から小さな壷を取り出した。さもさも大切そうに蓋を開けた、その中身は、紫色の粉が一杯に入っている。これに手を触れるのは、さすがにためらわれた。長蔵が壷をしまってから、私は尋ねた。 「その丹は、幾ら位で売れるのですか」 「その時その時で違い申すが、一番上等な品で、三両が銀一両、つまり米五斗ですな」 (現在の物価に換算すると、一グラム百七十円になる) 私が丹の値段などという、高級貴族らしからぬ事を口にしたのを聞いて、随分さばけた人物だとの印象を得たのであろうか。商人達は、一層私に打ち解けてきた。一行が携えてきた、大瓢箪に入った伊勢の地酒が出、杯を重ねる頃には、皆が囃す俚謡に合わせて双肌脱いで踊り出す者もいる始末。私も声を張り上げて、田植歌や収穫祭の歌を歌い始めた。私が上機嫌の時に口ずさむ歌というのは、貴族社会に出てから覚えた詩や朗詠では決してなく、常に、庶民と共に暮らした時分に覚えた俚謡、つまり労働歌なのであった。必竟私は、精神の根本に於いて庶民なのであった。 商人の一行に酒肴を振舞われて、夜更けて私は、自分達の区画へ戻った。他の三人は既に戻って来ていて、几帳をくぐって来た私を見ると、幾分不満そうな顔をする。 「衛門督殿は、帥宮殿が御同宿と聞いて、大層楽しみにしておいででしたよ」 それなのに……と衛門佐は言わんばかりだ。私は肩をすくめた。 「そう申されるのも尤もですがね。しかし何も旅に出てまで、上司を表敬訪問しなくとも、常日頃顔を合わせておられる間柄でしょう、それよりも京にいては決して出会う事のない、地方の見知らぬ人々との出会いの方を大切にしたいと、私は思ったのです」 少将が、どうにも理解しかねるといった様子で、 「見知らぬ人々との出会いって、伊勢の商人と、どんな話ができると仰言るんです。どうしてあんなに意気投合なされるのか、私には到底理解できませんよ」 私は幾分、同情を含んだ目を向けた。 「どんな話でもできますよ。そりゃ詩歌や経論の話は無理でも、商人は商人なりに、私達の知らない事を沢山知っていますから。商人は、自分の売っている物に関してはどこの誰よりも詳しい、と言われるようになれば一人前ですからね。そうでなくとも、お国自慢でも、京を出た事のない私にとっては耳寄りな、楽しい話ですよ、幾ら聞いても飽きないですよ。まあ、そういう話に興味を持たず、聞きたいと思わなかったら、話をしに行くだけ無駄ですがね」 「……しかし、庶民とあんなに……」 首を振りながら呟く少将に、 「貴方達だって、内々の宴会では放歌高吟なさるでしょう。商人達を、自分とは身分の違う者達だと思うからいけないんで、同じ屋根の下に泊った仲間だと思えば、すぐに賑かになれますよ。それに、相手が商人なら尚更です。商人は初対面の客にでも、愛想良く物を売るのが商いの秘訣、人あしらいの上手さは大したものです」 三人は、呆れ返ったのか何も言わない。 翌朝、日の出と共に私達は出発した。京へ向かう商人達に別れを告げる私を、他の三人は黙って見ている。結局最後まで、理解の一線を越えさせられなかったと思うと、一抹の寂しさが私の胸に残った。その一方で三人は、少し遅れて出て来た衛門督には丁寧に挨拶している。 車を渡し舟に載せて、木津川を渡る。川の水嵩が多く、橋が架けられないのだという。ここでも衛門督を先に渡らせて、私達は後から渡った。船を待ちながら衛門佐に聞くと、衛門督は長谷寺に詣るとの事である。そうすると、桜井の辺りまでは同道する事になる。木津川を渡り、奈良山を越えてゆく間、衛門督一行の三台の車は、私達の車と前になり後になりして同じ道を進む。 平安遷都から二百年以上経た奈良の町は、当時は外京と呼ばれた一帯だけが、東大寺や興福寺の門前町として賑わっていて、左右両京は全くの田園に還ったという。興福寺や春日大社は藤原氏一門の尊崇篤い寺社で、参詣する京の貴族が引きもきらないのであるが、今日は先を急ぐので、東大寺の近くで昼飯にして、すぐ出発する事になった。 東大寺の門前に、参詣者を泊め、通過する客に水や竈を提供する家がある。私達はここに入った。衛門督も続いて入ってくる。こうなったら、いつ迄も知らぬ顔をしてもいられない。昼飯の支度をしている間に、私は衛門督に挨拶に行った。 「衛門督殿、昨夜は失礼致しました」 私が頭を下げるのを、衛門督は手を上げて制した。 「いや帥宮殿、気になさるな。旅に出た最初の日は特別疲れるもの。今夜ゆっくり、語らいましょう」 そうなるかどうかは、今夜の同宿人次第なのだが。しかし二日続けて無視したら、さすがに衛門督の心証を害するだろう。それは今後の事を考えると上策ではない。 午後私達は、左に山々、右に田園を眺めながら車を進め、夕暮れ時に椿市に着いた。ここは平城建都以前からの古い市場町で、今でも長谷寺や吉野、熊野に詣でる人々の宿泊地として賑わっている。橋寺や東大寺前にあったような宿屋が、ここにもある。その一軒に、私達と衛門督の一行は入った。宿は昨日よりは空いていたので、私達は合部屋になる事はなく、夕飯後早速、衛門督一行の部屋へと連れて行かれた。 思った通り、昨夜に比べてつまらない夜であった。衛門督も私達一行の三人も、参籠前で精進していたから酒も魚肉もないが、それを別にしても、だ。貴族社会という同じ社会、それも極めて閉鎖的な、狭い社会に属する衛門督が話し相手では、事改めて耳を傾けたくなるような目新しい話題がある訳でもない。衛門督という人自身、それ程話術が巧みでもないとあっては、私にとっては退屈以外の何物でもなく、生欠伸を噛み殺すのに苦労する有様であった。 翌朝、私達は椿市を発った。初瀬川の畔にある桜井で衛門督の一行と別れ、大和盆地と吉野川を分ける山越えにかかる。多武峯で休憩し、山を下って下市に出る。ここ迄来れば吉野はあと一息だと言うので、宵闇を突いて山道を登り、戌の刻に私達は、衛門佐の妻の別荘に着いた。金峯山寺に登るには遅すぎるので、今夜は皆ここに泊る事になった。山越えの強行軍に疲れ切った衛門佐達は、早々と寝てしまった。 明けて二十日、衛門佐夫婦と少将は、従者や女房を従えて金峯神社へと登り、別荘には私と清行、それに管理人の老夫婦だけが残された。出発に際し衛門佐は、 「三日の参籠の予定ですから、二十三日の朝、ここへ戻って来ます。それ迄、どうぞごゆっくり」 「では、お言葉に甘えさせて頂きます」 と言いながら私は、素早く日取りを計算した。二十三日の朝戻って来て、すぐ下山するかどうかはわからないが、何にしても二十二日のうちに準備を完了しなければならない。そうすると、ここから岩倉までは往復二日はかかるから、今日から着手しなければならない。今日は天気もいいし、早速取りかかろう。 一行を送り出すとすぐ、私は清行を呼んだ。 「清行、大切な任務を与える。ここでは何だから、外へ出よう」 「はっ」 私達は狩衣に草鞋履きの軽装で、但し太刀は忘れずに帯びて、別荘を出た。昼間見ると山を覆う一面の桜は、聞きしに勝る景色ではあるが、今の私にはそれに見とれている余裕はない。百姓家や土産物屋の間を通り抜けてから、私は清行に尋ねた。 「清行、昨夜登って来た道は、この道だったな?」 「は」 「この道を一人で、下市まで下山できるか?」 「できます。道標が立っておりますから」 清行は自信満々に請け合う。 「そうか。この道を、もう少し行ってみよう。空家がないかどうか、気を付けてくれ」 「空家、でございますか?」 訝しげに聞き返す清行に、私は立ち止まって答えた。 「そうだ、空家だ。手頃な空家を見つけて、そこにだな、この前岩倉の別荘に運び込んだ、あれを持って来るのだ」 「……あれでございますか」 「そうだ」 「承知仕りました」 それきり清行は黙って、道の左右を見回しながら歩き始めた。 少し先に、近くの百姓家からは一町程も離れて、小さな家があった。戸は開いているが、中に人の気配はない。 「入ってみよう」 踏み込んでみると、竈に火が使われた形跡はなく、床には埃が積もり、永らく人が住んでいた様子がない。これなら、お誂え向きだ。 「ここにしよう」 私は呟いた。空家を出て、少し離れた所へ清行を連れて行き、 「お前に与える任務は、今日別荘へ戻ったらすぐ、馬で岩倉へ向かう事だ。岩倉へ行ったら、例のあれを袋に押し込んで、馬の背に乗っけてここへ運んで来る。明後日の夜迄に、運んで来るのだ。帰りが相当きついかも知れんが、やってくれ」 「はっ」 「運んで来たら、人目に付かないように、あの空家に運び込んで、すぐ私に知らせてくれ。そこから先は、私がやる。 一つ注意しておく。京へ行ってる間、私の邸にもお前の家にも、立ち寄ってはいけない。お前はずっと、私と一緒に吉野にいた事にしておくのだ。だから、食糧は帰りの分も持って行く。そのために、乾飯を三日分余分に持って来た」 「承知仕りました」 「うむ。では、戻ろう」 別荘の門を入りながら、私は小声で清行に言った。 「私は中で、管理人を引き留めているから、その間に、そっと出発するんだ」 「はっ」 清行は頷きながら小声で答えた。 部屋へ入ると私は、三日分の乾飯と、乾肉や梅干等を入れた餌袋を清行に持たせた。清行が部屋を出て行くが早いか、私は管理人の老夫婦の部屋へ行った。部屋の戸を叩くと、戸を開けた翁は私を見て、 「おう、これは帥宮様」 半分は驚き、半分は恐縮して、 「何か御用でございますか」 私は、努めて気軽に、 「いや、別に大した用事があって来たんじゃないんですが。折角吉野まで来たんですから、ここで終日じっとしていても面白くないし、そこら辺に出歩いてみようと思うんですが、私は何しろここの地理には全く疎いものですから、どこら辺にどんな見所があるか、地理に明るい人に伺おうと思いまして」 「そんでしたら何も、こんなむさ苦しい所へおいでにならんでも、お呼び下すればお部屋に参りますに」 と言いながら部屋を出ようとする翁を、 「いや、ここで結構。あれこれと世話になっている人を呼びつけるのは、私の主義に反しますので」 私は強いて押し留め、部屋へ踏み込んだ。翁が勧める円座に坐って、翁と差し向いになる。 翁は、さすがに永年この吉野の地で暮らしている者らしく、誰の別荘がどこにあるとか、どの辺の見晴しが良いとか、そういった事を詳しく知っている。烏丸家の別荘がこの吉野山内にあると聞いた時は、私も思わず身を乗り出した。 「そうそう、二三年前でしたかのう、右大臣様の御別荘に、御息女の晴姫様が永らく静養なさっておいででしたのは」 翁は、ふと思い出したように言った。私は頷きながら、記憶を素早く手繰った。晴子が落馬して負傷したのが三年前の八月、その後いつ頃からか吉野に来た。そして帝からも、信孝からも帰京を促す文が行き――信孝からの文は守実が握り潰していたそうだが――晴子が吉野を出たのが、丁度去年の今頃だった。 「御静養と申しても、お供の者も連れずに、山里を歩き回っておられたのを、儂も一度ならず拝見した事がござります。京の姫君にしては、珍しい事をなさる御方じゃと思うておりました」 田舎の山里を、供も連れずに一人で歩き回る、か。その程度で済んでいれば、私も苦労しなかった、本当に。私は内心溜息をつきながら、相槌を打った。 「確かに、姫君らしからぬ御振舞ですね」 翁は少し勢いづいた。 「何でも、何とか申す謀叛人が逃げた事件に関わって、物怪憑きとの御評判が立って、都に居たたまれなくなって吉野へおいでになったとか、噂が広まっておりましたです」 私は、もう少し事の真相を知っているが、この事は言わないでおこう。 翁に適当に喋らせておいて、昼飯時に近くなったので、私は部屋へ戻った。清行の姿はどこにも見えない。恐らくもう、山を下りている頃だろう。そんな事とは露知らず、嫗が二人分の昼飯を持って来た。 「お供の方は、どちらで」 清行がいないのを見て、不思議そうに尋ねる嫗に、 「樋殿(便所)へ行ってますよ」 私は適当に言い繕った。嫗が退ってから、私は二人分の昼飯を、腹に押し込んだ。二人分一度に平らげるのは、昔、食べる物も充分でなかった時分、食べられる時にはここを先途と食い溜めする癖がついていたとは言っても、やはり苦しい。昼飯後私は、膳を下げに来た嫗に言った。 「水が変わったせいでしょうか、ここへ来てからどうも腹の具合が良くないんです。夕飯からお膳の量を、少し減らして頂けませんか」 嫗は、何の疑いも抱かず、 「まあ、それはそれは。かしこまりました」 それきり、薬を持って来るような事もない。 周りに誰もいない折を見計らって、私は荷物の包みを開けた。左大臣から被けられた例の袿は、確かに持って来てある。これをあの時性覚が着ていた事は、私と晴子、そして恐らくは帝しか知らない筈だ。だから一層、帝に与える打撃の大なる事が期待される。勿論、打撃を受けるのは帝だけではない。初恋の人が性覚だった晴子も、性覚の父でありながら父たる事を否定せざるを得なかった伏見院、他ならぬ私の実父も、激しい絶望と悲嘆のどん底に突き落とされずにはいるまい。もし私が、帝と同じように、性覚が逃亡した後で初めて性覚が弟である事を知らされ、かつその死を知らされていない者であったなら、私も帝と同じように、深い悲愁に打ち沈むであろう。弟の死を満天下に暴露し、弟の生存を信じている次兄や父の望みを断ち切り、絶望のどん底に沈める事は、長兄としてするに忍びないものがある。しかし、今の私には最早、人倫も道徳も情理も、行動を律する規範とはなり得ない。私の行動規範、それは帝に対し、死に勝る罰を与え続ける事だけなのだ。それが私の、天から課せられた使命でもあるのだ。 午後から私は、近江達への土産を買うために一人で出かけた。土産物屋を何軒か回って、近江には鏡、少納言には櫛、村雨と桔梗には簪、男達には押鮓と地酒を人数分買い入れた。皆に御守を買って行こうと思ったが、御守は山の上でないと売っていないというので、明日また出直す事にした。 夕飯は量を減らしてあって、難なく平らげる事ができた。 翌日私は、金峯神社の門前まで行って、邸の皆に御守を買い込んだ。戻りしなに、烏丸家の別荘に立ち寄ってみた。これと言って特徴のない所だが、一年半の長きに亘って晴子が、京に置き処のない身を置き続けた所だと思うと、幾分異なる感慨を催さずにはいない。あの時晴子が身に負った傷がどの程度の傷だったのか、それは知る由もないが、自分の経験から言って、打撲や骨折といった外傷なら完治に一年半も要するという事はない筈である。供を連れずに一人で山里を歩き回っていた、という翁の言葉からしても、晴子は身の傷の癒えた後も、この吉野の山里に逼塞し続けていた事は間違いない。その長い間晴子は、京の空を望みながら、何を思っていたのだろうか。観珠寺から逃走し、宇治の別院から更に南へ逃げ延びた筈の性覚、否、「吉野君」が、晴子と幼い日々を過ごしたこの吉野の地に姿を現し、晴子との再会を果たす事、それを心待ちにしていたのであろうか。晴子ほどの人間が、この吉野の山里に長々と逗留していたのは、自らが惹き起こした紛々たる悪評のためだけでは、決してなかったに違いない。だとすれば、他でもない「吉野君」との邂逅を心待ちにして、二度の冬をこの地に過ごしたとしか、私には考えられぬ。信孝から、或は帝からの、帰京を勧める文に心動かされて、吉野を後に帰京したものの、それでも晴子の心は、吉野には姿を現さなかったが、どこかにいるに違いない(と晴子は信じている)「吉野君」の上にあった、それは私も、あの土壇場の一世一代の大芝居のさ中に確信し得た。そう思うと、今度の私の策略は、実は晴子に一番激しい打撃を与えるかも知れない、という気がしてきた。それは私にとって、必ずしも望む所ではない。晴子とは一時期、最も危険視し、最も憎悪するという間柄だった事もあるが、その対立の前提となった東宮の存在が既に解消されている現在、晴子の方はいざ知らず、私の方に晴子に対する敵意、心身を害せんとする意志は毛頭ない。にも拘らずそのような結果をもたらすに相違ない事は、私にとっては不本意である。しかし、今更後戻りはできないし、そうする気もない。晴子への敵意が解消された分、全てが帝に集中されてゆくのである。 一日、別荘の周りの山里を、満開には少し早い桜を眺めながら出入りしていた。余りにも暇をもて余した私は、紙と硯箱を庭へ持ち出して、手すさびに写生などして時間を潰した。こんな事をするために吉野くんだり迄来た訳ではないのだが、如何せん清行が戻って来ない事には、どうしようもないのだった。今日中に戻って来るだろうとは、固より思っていなかったが。 翌日の夕方になると、私は気を揉み始めた。明日の早朝には、一行が下山して来る。その時迄に、準備を済ませなければならないのだ。今日の昼のうちに、準備を済ませる積りでいたが、この分では夜になる。夜になってから別荘を抜け出すのは、管理人の不審を買う事は間違いない。管理人の目を盗むには、と考えて、松明を一本盗み出してきた。 夜になっても清行は戻らない。車で片道丸三日かかる道程を、二昼夜半で往復させるのは、やはり無理だったか。もし明朝、一行が戻って来るのに間に合わなかったら、仮病を使ってでも一行の出発を遅らせ、時間稼ぎをしなければなるまい。 夜は更けていく。私は床に就く気にならず、簀子に坐って夜空を見上げていたが、不安と焦燥に胸は高鳴るばかりだった。月のない夜空に瞬く星々が、どんどん西空へ動いてゆくのが、私の焦燥をいやが上にも煽り立てた。 夜半をとうに過ぎ、半月が東の山から上ってかなり経った頃、前庭に人影が現れた。月の光に浮かび上がった横顔は、間違いなく清行である。 「只今、戻りましてございます」 清行は、囁くような小声で言った。 「うむ、待っていたぞ。大儀であった」 私は小さく頷いた。立ち上がって部屋へ入ると、例の袿を懐に押し込み、燭台の火を松明に移し取った。松明をかざして簀子へ出、清行に持たせると、草鞋を履いて庭へ降りた。 生垣の間から庭を出、清行の先導で、私は村外れの空家へ向かった。京洛と違って山里は、夜更けに出歩く人の姿は全くない。里人達は皆、昼間の労働に疲れた体で、安らかな眠りを満喫しているのであろう。そんな里人達の姿を思い浮かべると、貴族と呼ばれる身でありながら、人目を避けて夜中に良からぬ事をしている自分の姿に、自嘲にも似た思いを抱かずにはいられなかった。 空家に着いた。戸を開けると、思わず鼻を覆いたくなるような異臭が、ぷんと鼻をついた。部屋の真中に、大袋が一つ置かれている。臭いの源が何であるかは、言うに及ぶまい。私は狩衣の袖を脱いで帯に挟み込み、袋の口を開いた。清行も、松明を竈に立てて、私を手伝う。 性覚に瓜二つの男の死体は、桂川の川原で拾ってから七日経って、もう相当腐っているようだ。膚はぶよぶよに軟かくなり、腹が膨れている。何より、袋の口を開いた途端に家中に広がった悪臭。ただ、幸いな事に、顔の肉はさほど崩れていなかった。顔の肉が崩れてしまっていると、少将や衛門佐が見て、性覚だと気付かない恐れがある、それでは何の役にも立たない。 私は死体の手足を伸ばし、土間に横たえた。それから死体をよく見ると、ふと大事な事に気付いた。この死体の髪は、二年半前まで剃髪だった男の髪とするには長過ぎるのだ。これでは性覚であると言えない。私は短刀を抜き、死体の髪を適当な長さに切った。この髪も、確実に消し去らなければならない。私は部屋を見回し、竈の灰の中に、切った髪を埋めた。 最後に私は、懐から袿を取り出し、床や壁を擦って埃塗れにした。それを見て、清行が怪訝そうな声を出す。 「若殿様、その御衣は……」 「何だ」 私が振り返りもせずに言うと、 「そんな上等な御衣を、こんな事にお使いになって」 清行は、この袿が左大臣から被けられた衣である事を指摘しようとしたのではないらしい。ただ単に、上等な衣を勿体ない、と言いたかっただけだろう。 「気にするな、私が持っていても仕様がない衣なんだから」 私は素気なく答えて、袿を塵埃で汚し続けた。充分に汚れたところで、その袿を、土間に横たえた死体に被せ、顔だけを出した。 「戻るぞ。松明を」 私は最後に、空になった袋を運び出し、家の裏手の林中に捨てた。誰が見ても一点の疑念を差し挟む余地のない、完全な「性覚の死」を演出するためには、どんな些細な点も揺るがせにできない。 夜更けの道を歩いて別荘に戻った私達には、もう一つ重要な事がある。衣の臭いだ。私達は部屋へ入るとすぐ、狩衣を脱ぎ、臭いのついていない衣に着替えた。更に、香炉に火を入れて、伏籠を被せて脱いだ衣を掛けた。 翌る二三日、嫗が朝飯の膳を運んで来た時、私は既に起きていたが、清行は寝ていた。どんな些細な事でも、管理人に不審に思われる事があってはまずいのだが、清行は二日半の強行軍の後で相当疲れているのだろうから、寝過ごすのも已むを得まい。清行を起こして朝飯を食べさせた後、また寝かせてやった。 昼頃、金峯神社に参籠していた一行が下山して来た。清行は依然寝たままだが、私の方はいつでも帰京できるよう、準備万端整えて待機していた。 「何刻頃、出発しますか」 私が衛門佐に尋ねると、衛門佐は、 「いえ、出発は明日です。今日は日が悪い。今宵精進落しをして、明日の朝早く、ここを発つ積りです」 そうすると、あと半日、時間の余裕がある訳だ。いや、帰りに必ずあの空家の前で車を停められるか、となると確信はない。そうなると、今日中に二人を誘い出して、確実に演出し切る方がいい。 朝方から既に、西の空には雲が広がっていたが、午後になると空は灰色の雲に覆い尽くされた。この空模様の時に、二人を別荘の外へ誘い出すのは些か不自然だが、ではどうするか、と考えあぐんでいるうちに、少将が、 「吉野にいられるのも今日限りですね。桜を見に、そこらをぶらついてみませんか」 と、思いがけない誘いをかけてくれた。 「それはいいですね、私も参ります」 これこそ思う壷というものだ。私は内心ほくそ笑みながら、衛門佐を誘った。 「衛門佐殿もどうです、御一緒なさいませんか」 衛門佐は初め、空を見上げて、雨が降り出しそうなのに何となく気乗り薄だったが、私と少将が重ねて誘うと、重い腰を上げた。少将と衛門佐は従者を一人ずつ付け、総勢五人で山里に繰り出した。 最初に言い出した少将は勿論の事、誘われて腰を上げた衛門佐も、別荘を出てしまうとすっかり浮かれ気分で、遠くの山を覆い、近くの道端に並び、花吹雪を舞わせている桜木に見とれているが、私は山を眺めつつも、視線は山の上の空に向いていた。いつ雨が降り始めるか、その時例の空家のすぐ近くにいれば、二人を空家へ誘い込むのに、これ以上相応しい状況はない。折から降り始めた雨に、雨宿りと称して二人を空家へ誘い込む、これ程自然な、物語にでも書かれていそうな「出会い」の演出が他にあろうか。そこで誰に出会うかは、よくある物語とは大違いだが……。 「やっ、雨だ!」 不意に少将が、空を見上げて頓狂な声を上げた。 「本当だ」 私は掌に雨滴を受けながら、素早く辺りを見回した。例の空家は、一町ばかり離れている。見る間に、雨脚は勢いを増してきた。 「だから言ったでしょう!」 衛門佐が、それ見たことか、と言わんばかりに少将に喰ってかかる。 「諍っておられる場合じゃない、今はとにかく、雨宿りできる場所を探さないと」 私は衛門佐を宥めながら、辺りを見回し、今しも気付いたかのように空家を指差し、 「あの家で、雨宿りさせて貰いましょう」 と言うが早いか、ずんずんと空家へ向かった。こう迄思い通りに事が運んでいるのだ、最後の詰めは、有無を言わさず私自身の力で引っ張って行かねばならない。 戸口に着くと、私はわざと声高に叫びながら、戸を強く叩いた。 「御免! 雨宿りさせて頂きたい!」 勿論、返事などある筈がない。人気を感じて振り返ると、四人が狭い庇の下に入り込もうとしている。 「留守なのかな」 私はわざとらしく呟きながら、今一度戸を叩いた。少将が急き込んで、 「留守でもいい、この際、入ってしまいましょう」 よし、言ったな。 「そうしますか」 私は戸に手をかけた。勿論、錠など差してある筈がなく、戸は多少軋んだだけで開いた。 「失礼……な、なっ!?」 戸を開けた途端、鼻を襲った悪臭に、私はわざとらしく声を上げた。 「何です、この臭いは!?」 少将と衛門佐も、異口同音に叫ぶ。私は背を屈めて戸口を入った。続いて入って来た衛門佐が、 「こ、これは……!」 驚きと恐怖に取り憑かれたような声を上げた。振り返ると衛門佐は、袖で顔を半ば覆い隠すようにして、後ずさりしていく。入れ替りに入って来た少将は、土間を見下ろして顔を顰め、口許を強張らせている。気味悪そうに見つめていた少将は、やがて、妙に上ずった声を上げた。 「こ、これは、性覚ではないか!?」 ・ ・ ・
やった!!内心快哉を叫びながら、外面はわざと眉を寄せて、土間に横たわっている男の死体を見下ろしている私に、少将は同意を求める。 「そ、帥宮殿、これは確かに、性覚ですよ、そうですよね? 帥宮殿も、見覚えがおありでしょう!?」 私は努めて低く抑えた、苦渋に満ちたような作り声で呟いた。 「……そうですね、間違いありません」 少将は我が意を得たりとばかり、とうとうと喋り始めた。 「これは大発見ですよ、帥宮殿! 三年前にあれ程都を騒がせた謀叛僧が、こんな吉野の山里に潜んでいたのですから。あの時観珠寺から逃亡して、逃げた方角を幾ら捜しても見つからなかったのに、こんな所に隠れていたとは! これは帰ったらすぐ、帝に奏上しなければ!」 そうだ、そうするがいい、そうして帝を、立ち直れなくなる程の悲嘆のどん底に突き落とすがいい、それが私の復讐の第二弾だ。私は静かに同じた。 「そうなさるべきです、少将殿」 少将は勇み立って、 「雨が止んだら別荘へ帰って、すぐ報告書を作らないと。出来るだけ詳しく、状況を記録しなければ」 と声を上げたかと思うと、 「髪は大分伸びているな。三年間剃らなければ、こんな物だな。……この衣は、近くの別荘からでも盗んだんだろうな。萩の紋の袿、と」 などと死体を見ながら呟いている。死体を見ても気味悪がるでなく、むしろ詳しく観察しようという、元検非違使佐らしい殊勝な心掛けだ。その心掛けが、帝を完膚無き迄に打ちのめすのが私には見えるのだが。 夕方になって雨は止んだ。私達は足早に、別荘へと引き揚げた。衛門佐は、とんだ災厄に遭ったものだとばかり、数珠を押し揉んでいる。一方少将は、硯箱を取り寄せて、死体発見現場の状況を、逐一箇条書きにしている。詳しい状況について、何度も私に確認を求めに来る。 「随分な意気込みですね」 私がほんの僅か冷やかし気味に言ってやると、 「それは私は、あの時性覚の追捕に当たっておりましたもの。私が発見したと奏上すれば、大手柄だと皆に言われるでしょう」 すっかり有頂天になって答える。少将がこの調子なら、性覚の死体発見の噂は、野火のように広がる事請け合いだ。その事を思うと、つい頬に笑いが浮かんだ。それを見ても少将は、私の内なる思いに気付こう筈もなし、自分も上機嫌でにこにこしている。 精進落しの夕飯には、清行も起きてきた。私も、漸く腹の具合が良くなったからと嫗に言って、心おきなく魚肉を食べたのであったが、衛門佐だけは元気がなく、箸も進まない。私としては衛門佐にも、性覚の死体発見を言いふらして欲しいところだったのだが、この分では衛門佐が、得意然として言いふらす事は期待できそうにない。だが、自分の見聞した物事に恐れ戦いている人間というものは、その物事を見聞して眉一つ動かさず平然としている人間よりも、却ってその物事を他人に喋ってしまいがちなものだ、それは私の経験から裏付けられる。人は自分の見聞に不安、恐れを抱く時、それを他人に喋る事によって、それを知っているのが自分一人ではないという事に、一種の安心感を見出そうとする傾向があるものだ。そうすると、衛門佐が性覚の死体発見に恐れをなし、思い屈じているのも、私にとっては決して不都合ではない。 翌朝早く、私達は吉野を発った。帰途はさしたる事もなく、石上と贄野に泊って、二十六日の夕方、京へ帰り着いた。東から入洛し、最初に少将の邸の前を通りかかった。 別れ際に少将は言った。 「私はすぐ参内して奏上します」 そう来るなら、私も事の推移を最後まで見届けずにはいるまい。私は答えた。 「では私も、御一緒しましょう」 私は車を急がせて帰邸した。 「お帰りなさいませ」 迎えに出てきた近江に、 「夕飯は後にしてくれ。今すぐ参内しなければならない用事ができた。泊りにはならないと思うが」 「かしこまりました」 私が手水を使っている間に、近江はさっさと引き退る。部屋へ行くと、近江は既に、参内用の冠直衣を整えて待っていた。手早く着替えている間に、近江は部屋を出て行き、私が着替え終わる頃を見計らったように戻って来た。近江の先導で車寄せへ行くと、吉野まで随行させたのとは別の牛飼二人が、車の支度をして待っている。良助ともう一人、武敏という武士も、馬の支度をして待っている。私が何も言わないのに、近江が気を利かせて声をかけて回っていたのだろう。近江を見ると、私の胸中を察したのか、黙って僅かに微笑んだ。 「じゃ、行って来るよ」 「どうぞ、お気をつけて」 近江の声に送られて、私は車に乗り込んだ。 大内に着くと、丁度そこへ少将が来た。 「二人で、一緒に拝謁を乞いましょう。もしかすると、私が証人になる必要が出て来るかも知れませんから」 私の提案を、少将は何の疑念も持たずに受け容れた。私達が揃って殿上の間へ入って行くと、日が暮れたというのに殿上人が大勢いる。これは一層好都合だ。入って来た私を見て、春日大納言が声をかけてくる。 「これは帥宮殿。如何でした、吉野の桜は?」 私は愛想笑いした。 「聞きしに勝る素晴らしさでしたよ。行った甲斐がありました」 だが、そんな話をするために参内したのではない。引き止めようとする殿上人を制して、私は言った。 「桜の話は、後にさせて頂けませんか。実は思いがけず、帝に奏上すべき事が起こってしまいましたので」 それから五位蔵人に、私と左少将から至急、奏上すべき事がある故拝謁を許可されたい由を申し伝えた。五位蔵人が出てゆくとすぐ、私と少将は帝の御前に召された。 帝は、宴会でもあったのか至極上機嫌で、私を見るなり、にこにこして尋ねる。 「どうだった、吉野の桜は?」 こんなに上機嫌でいられるのも今のうちだ。 「聞きしに勝る素晴らしさでした。わざわざ見に参った甲斐がございました」 私の言葉を聞いて、帝は頷く。 「そうであろう。二度目の春を迎える迄、帰る気を起こさなかった人もいたな、そう言えば」 誰の事を言ってるんだ、誰の? だが、そんな事はどうでもいい、早く本題に切り込まないと。と私が思っているうちに、 「それで何だ? そなたと少将から、至急奏上すべき事とは」 帝の方から水を向けてきた。私は少将を顧みて答えた。 「私と少将は吉野で、由々しき物を発見致したのでございます。その事に関しまして、少将より奉る文がございます。少将殿、文を」 私に促されて、少将は懐から立文を取り出した。傍らに控えた蔵人が進み出て、少将の差し出した文を受け取ると、帝に差し出す。少将は頭を下げながらも、得意然とした、清涼殿中に聞こえるような声で言い放った。 「吉野にて帥宮殿と私は、謀叛僧性覚の死体を発見致しましてございます」 帝の顔色が変わるのが、私にもはっきりと見えた。少将の報告書が、帝の手から離れ、床に滑り落ちた。帝は全身の力が抜けたように、がっくりとうなだれた。 帝から一言の褒め言葉もないのを不思議に思ったのか、少将が顔を上げ、 「主上……?」 帝は、苦渋に満ちた、絞り出すような声で、 「少将、退れ……」 少将は納得がいかない。 「主上」 帝は一転して、激しい苛立ちを露にして、 「退れと言ったら退れ!」 帝に大喝されて、少将は震え上がり、声もなく平伏した。そそくさと立ち上がった時、 「帥宮は、残れ。話がある」 帝の声に、私は坐り直した。少将が蔵人に先導されて退出していくと、帝は私を近く招き寄せた。近く寄って見上げると、帝の顔は憤怒と悲哀に歪み、引きつっている。何か言おうとしているのだろうが、考えがまとまらないらしい。私は帝が何を言い出すか、固唾を呑んで身構えていた。 そこへ、蔵人が戻って来た。戻って来た蔵人に、帝は怒りに満ちた声で言い渡した。 「左少将の殿上を削れ(殿上の間への出仕を差し止める事)」 ふん、帝よ、その程度の人間だったか。私は内心、帝への激しい侮蔑の念を抱きながら、きっぱりと言った。 「主上、それはなりませぬ」 帝は、憎しみすら湛えた、ぎらぎらする目を私に向けた。 「何だと? もう一遍申してみよ!」 居丈高な帝に、私も負けじと声を上げた。 「左少将の殿上を削ることはなりませぬ!」 辺りの空気が、一挙に緊張した。帝は低い声で呟いた。 「帥宮、そなた、そんな男であったか。見損なったぞ」 普通なら、こう迄言われたら恐縮して、何も言えなくなる所だろう。しかし私は、平然として切り返した。 「これはしたり。主上は私の、いかなる所を御覧になって、私を見損なわれたのか、岩倉宮正良、とくと拝聴致しとう存じます」 私が些かも動じないのに、帝は少し怯んだが、やがて重い口を開いた。 「帥宮、そなた、何故少将の肩を持つ」 これには私は、大義名分を持って正々堂々と答えることができる。 「少将は、あの当時左衛門佐兼検非違使佐として、性覚の追捕に当たっておりました。あの当時は結局、追捕は実を上げ得ませんでしたが、あの当時追捕に当たっていた身、今も左近衛少将の職にある身として、追捕の宣旨の発せられた謀叛人の追捕という、その職務に忠実たらんとした者に対し、お褒めの言葉がないばかりか殿上を削られるとあっては、世間はいかに思いましょうか。恐れ多くも主上には御乱心遊ばされた、と思う者すら現れるでありましょう、それは天下の人心を惑わし、天下の乱れる元ともなりかねません。君たる者、天下の乱れをもたらすような事は……」 私が言い終わらないうちに、帝は怒鳴った。 「やかましい! そんな綺麗事は聞き飽きた!」 これでは本当に主上御乱心だ。私が冷たい目で見上げているのに、帝は、 「帥宮、そなた、性覚の事を知っていながら、よくそんな事が申せるな。そなたには人の心があるのか? 私や父院の御心を踏みにじって、何故そんなに平気でいられるのだ?」 冷たく突き放すような言い方をする。 「では主上は私に、少将にあの事を全て打ち明けて、性覚の死体を発見した事は一切他言無用と申せ、と仰せられるのですか。人の口に戸は立てられぬもの、そのような事をすれば、あの事はたちまち天下に聞き広がり、伏見院の御名を汚す事となりましょう。私には、それは到底できませぬ」 「ならば父院を悲しませ参らす事はできると申すのか!?」 興奮する帝を、私は静かにたしなめた。 「主上、恐れながら、今少しお声をお鎮め遊ばせ。殿上の間に聞こえます」 実際、帝がこんなに声を大にして言っては、「あの事」というのが何なのか、殿上の間にいる者達には察しがついてしまう。性覚の死が公になると、伏見院が深く悲しむ、という事を聞けば、性覚が伏見院の落胤ではないか、という事は誰でも勘ぐって当然である。 「その落ち着きが、気に入らん」 帝は憎々しげに呟いた。私は腹に力を込め、切々とした作り声で話し始めた。 「私とて、あの事を知っている者です。性覚の死という現実を、認めたくはございません。しかし、現実は現実です。就中私にとっては、それは私のこの目でしかと見た、疑いも否みもできない事実でした。事実なればこそ、是非とも奏上しなくてはと意気込む少将に、それはするなとは申せませんでした。そう申せば、必ずや少将の不審を買ったでありましょう。さすれば少将に、性覚の事を全て打ち明けぬ訳には参りますまい。私にはそれは出来ませぬ。一つには伏見院の御名誉を思うが故に、今一つは法治国家の廷臣として。法は遵られなければなりません。君臣の義、親子兄弟の情も勿論大切ではありますが」 最後に私は、帝をじっと見据えて力強く言い切った。 「主上もお辛い事と拝察仕ります、私も辛うございます。しかし、現実から御目を外らされてはなりませぬ。かつまた、親子兄弟の情を重んじる余り君臣の義を蔑ろになされてはなりませぬ。どうか左少将の殿上を、お削りなさる事だけは、思い留まられますよう、伏して冀い奉ります」 「……退れ」 帝は、深い苦悩に満ちた声で呟いた。私は深々と一礼すると、蔵人に続いて御前を退出した。 案の定、殿上の間の雰囲気は一変していた。辺りはしんと静まり返り、殿上人達の視線が私に集中する。皆、私と帝のやりとりを聞いて、性覚と伏見院について凡その事は察したようである。私の理と帝の情、人々はどちらを支持するであろうか。だが縦え、誰一人として私に与しなかったとしても、それで怯む私ではない。 雰囲気の重苦しさに堪えかねたのか、一人また一人、殿上人は退出していく。私も、長居は無用と退出した。 車に揺られながら、私は考えた。少将の殿上差し止めを巡って、帝と鋭く対立した事は、私の長期戦略に照らして失策だっただろうか。しかし、私の長期戦略が帝に取り入る事だからとて、物事の道理を枉げてまで帝に追従する気はない。物事の正邪、理非曲直を枉げてまで帝に媚びるのは、私の人間としての矜持が許さない。仮にもし今日の事で私自身の殿上が削られたとしたら、所詮帝はその程度の人間に過ぎなかった、との思いを再確認するだけの事だ。そう考えると、急に胸の内がすっきりしてきた。 帰ってから、邸の者達に土産を配った。皆それぞれに、貰った土産の礼を言っては何度も頭を下げる。男達は早速、押鮓を肴に酒を飲み始めるし、村雨は簪を差して悦に入っている。皆の喜ぶ顔が見られた事で、幾分かは後ろめたさが減ったような気がした。 ・ ・ ・
翌日参内して、殿上の間へ入ろうとすると、頭中将が私を見て立ち上がり、何か言いたそうな顔で近寄って来る。「帥宮殿」 「何ですか、頭中将殿」 私が悠然と尋ねると、頭中将は何とも極まり悪そうな顔をした。言いにくそうに、 「恐れながら帥宮殿の殿上は、削られておりますので、これより内へはお入りになれません。別の御沙汰ある迄、どうぞお引き取り下さい」 侍従として初出仕以来三年半、初めての殿上停止であった。しかしそれを聞かされた私の胸中に湧き起こった感情は、帝に対する限りない軽蔑、それに尽きた。 「私としても、残念至極なのですが、勅諚には逆らえません。どうか、お察し下さい」 頭中将自身の失態ででもあるかのように恐縮するのを、私は制して言った。 「いや、お気になさるな。叡慮のなさしめる所、臣下の抗う所にはございません」 何が叡慮なものか、五つ六つの小童と同じ程度の考えなしじゃないか、と内心、口から出る言葉の白々しさに呆れ返っていたが。 「それより、左少将殿は如何なさいましたか」 大いに気になっていた事を尋ねると、頭中将は一層顔を曇らせた。 「左少将殿も、殿上を削られました」 けっ! これが、帝とやらの所業か! 私は吐き気を催す程の不快感を、努めて顔に出すまいとし、息を整えてから言った。 「左少将殿の殿上停止だけは、どうか今一度考え直されるよう、切に切に冀い奉る、と私が申していた、と奏上して下さいますか」 「はぁ……」 頭中将は、私の言葉を取り次ぐのに気乗り薄な様子だ。やはり小心翼々、帝の顔色を窺っている節がある。しかし、表立って帝に私の意向を伝えるのに気乗り薄でも、内心では帝よりも私の方を支持しているのであれば、それはそれで充分だ。他の殿上人達も、頭中将の背後から、同情の籠もった目を私に向けている。世論がなべて私に味方しているのであれば、帝とてそうそう私に冷飯を食わせ続ける訳にもゆくまい。私は殿上人達に一礼すると、悠然と退出した。 私はこう悠然と構えていられるが、少将はそうはゆくまい。そこで私は、勘解由北堀川西にある、少将が父の権中納言治部卿と一緒に住んでいる邸へ向かった。 家の者に聞くと、少将は案の定すっかりしょげ返って、昼だというのに几帳を立てて寝込んでいるらしい。私が励ましに来たと伝えさせても、今は誰にも会いたくないから帰ってくれ、という返事であった。 「何て水臭いんだろう。この私が励ましに来たというのに」 私は家の者に強いて、少将の部屋へ案内させた。几帳の前に腰を下ろし、 「少将殿」 穏かな声で呼びかけると、 「帰って下さい」 少将らしくもない、棘々しい声で返事があった。これは相当、屈託してしまっている。 「まあそう、木で鼻括ったような言い方をなさらずに」 私が宥めるのに少将は、 「私がどんな気持だか、殿上を削られた事のない御方にはお解り頂けますまい。口先だけの慰めは結構です!」 一層棘々しい声で言い放つ。どうやら少将は、私も殿上を削られた事は聞いていないらしい。私は幾分口調を改めた。 「貴方、自分一人でこの世の不幸を全部背負い込んだような口のきき方をするものじゃありませんよ。私も昨夜、理不尽な逆鱗に触れて、今日から殿上を削られているのです」 突然、ごそごそと人の動く気配がしたと思うと、几帳を脇へ押しやって少将は顔を出した。 「帥宮殿も!?」 驚いて聞き返す少将に、私は頷いた。 「そうです。昨夜少将殿が御前を退られた後、帝は蔵人に、少将殿の殿上を削るよう仰せられました。それはなりませぬ、とお諌め奉ったところが、少将殿の殿上停止を思い留まらせ申すどころか、私まで殿上停止。少将殿のお役に立てなくて、腑甲斐なさが身に沁みますよ」 私が軽い口調で言うと、少将は深々と俯いた。 「……そうだったのですか。そうとも知らずに、無礼な口のきき方をしました。申訳ありません」 これで少将も、少しは気が楽になっただろう。私は努めて明るく、朗かに言った。 「まあ、元気をお出しなさい。貴方が帝の御勘気に触れたと言っても、貴方は御自分の職務に忠実であっただけなのですから。客観的に見て、貴方には何の非もありませんよ。帝にも、それはすぐお解りになる筈。直に還殿上の御沙汰がありますよ。それ迄僅かの辛抱です」 もしそれが解らない帝だったら、そんな帝はさっさと見限って、宮廷社会、言わば表の世界から姿を消してしまおう、と少将をけしかける事はしなかった。 そこへ、女房の先触れで、治部卿が入って来た。 「これはこれは帥宮殿、ようこそおいで下さった」 と私に慇懃に挨拶をしてから、 「帥宮殿には、とんだ飛ばっちりでござりましたな。資満が殿上を削られたせいで、帥宮殿迄もが殿上を削られなさるとは。親子共々、身の細る思いにござります」 と妙に恐縮する。 「少将殿のせいで、などと仰せられては、私の方が身が細ります。少将殿にも申しましたが、少将殿は御自分の職務に忠実であったのですから、少将殿には些かの落度もございません、ですから権中納言殿にも、要らざる御心患いはなさらぬように、と申し上げたいのです」 その後、治部卿、少将と少し話し込んで、私は邸を後にした。聞くところでは治部卿は、朝参内して少将の殿上停止を知り、昨夜殿上の間に居合わせた公卿に事情を聞くと、早速帝に、少将の殿上停止を解いてくれるよう懇願したのだそうだ。さすがに帝も、一夜明けて頭が冷えたのか、治部卿の殿上を削る、とまでは言わなかったらしい。 (2000.12.21) |
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