2004年1月後半の日記
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1月31日(土)
誕生日連作の第4作は、感覚的には昨夜のうちに完成したので、今日は久しぶりにそれ以外の作業に充てられるまとまった時間があります。
といってそこで、溜め込んだ日記の更新に真っ先に取りかかるのは、さすがにちょっと芸がなさ過ぎる気がします。他に何もすることが思いつかないならともかく、まだそこまで落ちぶれて創造力が枯渇してはいませんから、誕生日連作で創造力が大いに刺激されたのを幸い、その活性化状態が続いているうちは、もっと創造的な作業に時間を充てましょう。
まず、昨夜栞の絵を描いている時に、ふと思いついたネタがありました。公開すればけっこうインパクトがありそうで、しかもあまり手間がかからなさそうな、創作品にこういう言い方をするべきではないかもしれませんがコストパフォーマンスの高そうなネタです。そこでそれを、手早く作ってしまうことにしました。
次に、5号館5号室で続けている「100の質問」への回答の公開も、以前に番外日記で公開して5号館にはまだ再公開していないのが1つ残っているので、これをやってしまうことにします。
今日再公開するのは「† 絵描きさんに100の質問 †」で、実は100の質問2組、合計200問からなり、けっこう分量が多いです。CGの制作に関しても、いやむしろCGの制作に関する部分でこそ、2年前に回答した時とは私自身のやり方考え方、当サイトのあり方などが変わった点が多いと思うので、改めて200問、回答し直すことにします。
それが終わったのは午後8時でした。誕生日連作の栞の分は、ゲーム本編通りに日付が2月1日に変わった瞬間にアップロードするというのも一興ではありますが、午後12時というのはチャットルームによって、チャットがまだ始まらないか、始まって挨拶が交わされるかという時間だったり、談論風発大いに盛り上がっている時間だったりしますから、そんな時にチャットそっちのけでパソコンの時計を睨んでいるのも不都合ですし、日記を打鍵中だと一日の項の途中でアップロードされてしまうといった混乱もあり得るので、2月1日になる瞬間にはこだわらず、もっと早い時間に落ち着いて更新作業をすることにしました。
それで午後8時過ぎに日記以外の更新をサーバにアップしてから、日記の更新に取りかかります。いくらも打鍵しないうちに、チャットルームに人が来始めたので、日記の打鍵は中断し、打鍵が終わった分だけを更新して、チャットに専念しました。
(2月4日アップ)

1月30日(金)
「誕生日のプレゼント」連作は、とりあえず美坂栞の誕生日である2月1日にあと1組2枚の絵を公開すれば一段落します。ですが2月1日は日曜日、その前日1月31日は土曜日なのですから、なにも当日の深夜12時寸前に公開しなくてもいいわけで、もっと余裕を持って制作してもいっこうにかまいませんし、その方がまっとうなやり方です。
それに「Kanon」のゲーム本編で主人公の相沢祐一が栞に誕生日のプレゼントをあげたのは、2月1日の夜ではなく、午前0時になって日付が2月1日に変わったまさにその時、感覚的には1月31日の夜だったのですから、それに倣って私も1月31日のうちに絵を描いて、午前0時になって2月1日に日付が変わったちょうどその時に公開しようと思い立ちました。
そうと決めて、さらに早手回しに30日の夜から絵を描き始めましたが、絵を描き始めた時刻は真琴と同じ午後9時半だったにもかかわらず、完成したのは午前2時でした。真琴よりも栞の方が制作に時間がかかったのは、私もネタ出しの段階で既に予想した通り、真琴よりも栞の方が表と裏の差が大きかったからに他なりません。
(2月4日アップ)

1月29日(木)
今日1月29日は、先日来の私の認識に関わりなく「川澄舞の誕生日(そんな認識をする「Kanon」ファンは日本中に何万人もいるでしょう)です。さすがに3日連続となると私も疲れてきましたが、公開するためのHTMLファイルは昨夜のうちに作ってあるので、今日もあまり残業せずに帰れたのを幸い、帰宅するが早いか絵を描き始めました。
キャラ的に舞は真琴や あゆと違って、誕生日のプレゼントに何をもらっても、あまり表情を変えないと思います。ですから表と裏の共通化はこれまでの2人よりもさらに推し進めて、制作時間の短縮を図りました。表の絵の大半を占める誕生日のプレゼントは、日本中の動物園のホームページを片っ端からあたってみる必要があるかと多少危ぶんでいましたが、これもごく手近なところに恰好の画像があったので、それに基づいて描きます。
舞の絵が完成し、コメントを打鍵してサーバにアップしたのは、今夜も午後11時59分でした。2晩続けて残り1分で滑り込みしましたが、栞の誕生日は2月1日の日曜日なので、31日の土曜日を制作に充てることができますから、もっと余裕を持って作業できるでしょう。
(2月4日アップ)

1月28日(水)
昨日に続いて、今日1月28日は旧暦1月7日、つまり先日来の私の認識では「月宮あゆの誕生日(そんな認識を以下同文)です。今日は あゆの2枚組を描くのもさることながら、昨夜 絵は描き上げた真琴の2枚組をどうやって公開するか、それを考える方が優先と、昼間から考えていました。
結論は、「JavaScriptは使わない」です。というのも、あゆのネタは昨日か一昨日あたりから浮かんでいたのを採用したのですが、それが普通の人は説明されないとわからないような(逆にすぐわかってしまう人は“その筋の人”です)一種の「考えオチ」なので、裏の絵を表示すると同時にコメントが必要になります。といって表の絵を表示しているページに裏の絵の説明を書いたのではネタバレになってしまいますから、JavaScriptで画像だけ入れ替えてもだめで、コメントも含むページ全体を入れ替える必要があり、それなら仮にそういうJavaScriptがあるとしても、普通の<a href="〜〜〜.htm">を使う方がずっと簡単だからです。
幸い今日は定時に帰れたので、帰宅するとすぐに真琴の2枚組の公開準備に取りかかり、真琴のHTMLファイルができるとすぐにそれを元にして あゆに使うファイル、さらに引き続いて舞と栞に使うファイルも準備してから、あゆの2枚組を描き始めました。
あゆの絵が完成してから、真琴と あゆの絵にコメントを打鍵して、サーバにアップしたのは午後11時59分でした。真琴はかろうじて1日遅れ、あゆは残り1分の滑り込みセーフでした。
「本来の暦で言えば、あゆは21日遅れ」──そんなこと言う人嫌いです。
(2月4日アップ)

1月27日(火)
今日1月27日は、今年に限ってですが旧暦1月6日、つまり先日来の私の認識では「沢渡真琴の誕生日(そんな認識をするヤツは日本中に2桁いません)です。ですから今夜から誕生日連作を始めると決めて、前の週末からネタ出しを始めていました。
ところがこんな日に限って残業があるもので、極力早く終わらせて退出しましたが、帰宅してパソコンに向かったのは午後9時半でした。今から描き始めて午後12時までに完成するかどうかは、時間との戦いです。
それともう一つ、今夜中に完成したとしてそれをどういう形で公開するか、それがまだ固まっていませんでした。もう公開から1週間経っていますから、この日記を読んでいる方の大半はご覧になっていると思いますが、今回の連作はいずれも「表」と「裏」の2枚組で、表と裏はネタの中心になる部分以外は極力共通化を図ったので、人物の基本的な構図は全く同じです。そういうのを2枚公開するなら(そして裏は、表を公開してあるページを一見しただけでは見えないようにするなら)どうやって表示するのが効果的かと考えて、お知り合いの方が一部のCGを公開するのに使っている、画像の上にマウスカーソルを持って行くと画像が切り替わる仕掛けを真似てみようかと考えましたが、これはJavaScriptを使っているらしく、そうなるとまたブラウザによる動作の違いを考慮しなければなりませんし、セキュリティ上の観点からJavaScriptをオフにしている来訪者への対応も考えなければなりません。ホームページ作成ソフトを使わずにテキストエディタでHTMLファイルを打っている者が、当日に間に合わせることを最優先しようというこんな時に、余計なことを考えない方が身のためです。
結局、午後12時寸前、日付としては何とか1月27日のうちに2枚組のラフ画はできましたが、HTMLファイルは完成しませんでした。公開は明日にして、公開のやり方は明日の昼休みにでも考えることにします。
(2月4日アップ)

1月26日(月)
今朝は雪が止んでいたので、自転車で出勤しました。
私の自転車歴も、小学校に入る頃には乗っていたと思いますから、優に30年近く、人生の大半になります。その間、神奈川県に住んでいた子供の頃はもちろん、成人して新潟県に住んでいる今、自家用車を持っていないのは職場の圧倒的少数派に属する状態になっても「自家用車を持つことが義務づけられるまで自家用車は持たない、そうならずに自転車に乗ることが禁止されたら自家用車に乗らずに歩く」と公言して憚らず、自転車に乗っています。その間には、交通事故を起こして警察沙汰になったのも2回あります(2回とも相手の自動車が加害者で、私は被害者です)
そうやって今の職場への通勤には、よほどの大雪にならない限りは、多少の雨なら自転車に乗っているのですが、いわゆるダイナモ式のライトは、雨の夜には点かなくなることに気付いていました。それはダイナモ式のライトは、車体そのものが回路の一部になっていて、雨が降ると車体が濡れてショートするからではないかと思いますが、冬は毎日のように雨や雪が降る土地に住んでいて、定時に仕事が終わっても帰りは夜になる職場に勤めながら、雨の夜は点灯しないダイナモ式のライトを使っているのでは、無灯火運転の確信犯です。
無灯火運転はれっきとした道交法違反ですし、それが原因で交通事故を起こした場合、相手が歩行者で私が加害者になったら、最悪の場合人生を棒に振りかねませんし、相手が自動車で私が被害者になっても、私だって只では済まないでしょう。
そういったことを考え始めたのは昨日今日のことではないと思うのですが、今日になってやっと腰を上げて、仕事帰りにホームセンターへダイナモ式でないライトを買いに行きました。しかし自転車用品コーナーに売っている取り付け式のライトはいささか値段が高いので、またぞろ「要は懐中電灯を車体にくくりつければいいんだから」と変なことを考えて、アウトドア用品コーナーに売っていた、防滴(雨に濡れるくらいなら大丈夫)でクリップが付いている、LED式のライトを買いました。
ホームセンターからの帰り、さっそくそのライトをクリップで自転車の前かごに留めて走ってみました。ライトの位置が高いせいもあるのか、夜道を照らす役にはほとんど立ちませんが、私の職場からアパートまでの道なら街灯が途切れることはないし、自転車のライトは夜道を照らすためというよりも自動車に気付かせるためということにして、これでいってみようと思います。
あと注意することは、クリップで前かごに留めるだけですから、自転車から離れる時はライトを外して自分で持ち歩くこと、でしょう。新潟県も人心が荒廃してきたというのか、自転車のサドルの下に長い傘を差し込んで駐輪しておき、その日のうちに、雨が降っている時や降った後で戻ってくると傘が盗られていたことが一度ならずあります。
(2月4日アップ)

1月25日(日)
この日も終日、ウェブ日記の打鍵を続けたのですが、夜までその作業を続けていても、せっかくの週末をこういう作業に費やすことを人生の浪費だと感じて、一刻も早くキーボードを擲って色鉛筆を握る、つまり日記の更新を止めてCGの制作を始めることをしなかったのは、12日の日記を打鍵している時にはっきりと感じたことですが、私の中で何かが変わり始めているような気がします。
それは具体的にどういうことなのかは言葉にしにくいのですが、きっかけとして思い当たるのは2つほどあります。
1つは、平日の夜でCGを制作することに自信を持ったこと。平日は特に残業やパソコン以外の作業がなければ、午後8時から12時くらいまでパソコンの前に座っているのが私の日常で、それはここ数年変わっていませんが、平日の夜には腰を据えてCGを制作することはできず、腰を据えてCGの制作ができるのは週末だけだと思い込んでいると、その週末を日記の更新だけで終わらせてしまうと、日曜の夜12時を迎える時に「この週末は何をして過ごしていたんだぁ!?」と叫びながらのたうち回りたくなるほどの自己嫌悪に虜われるのに対して、平日の夜にもCGの制作が充分できると思えば、週末のうちにCGの制作に取りかからないまま日曜の夜12時になっても「明日の夜から始めよう」と思って平静でいられます。
もう1つは、以前は週末のうち1日はこれに充てることにしていた、図書館へ新聞を読みに行くのを止めたこと。その結果、パソコンに充てることのできる時間が実質1日だった週末が、名実ともに2日になったわけです。ですから以前は、土曜日に一日図書館へ行き、土曜の夜から日曜の朝まで日記の更新に充ててしまうと、日曜の午後に起きた時には「今から午後12時まで何時間だから……あー、だめだ、新しいCGは制作できないや……今週も」となってしまいがちだったのですが、今は土日を全部パソコンに充てることができるので、平日にCGを制作することができるという余裕と合わせて、土曜の午後に起きても「CGは月曜の夜から始めるとして、今夜と明日いっぱい、もっと日記の更新を進めてもいいな」と思うことができるわけです。
まあ、限りある時間の配分方法を変え、その結果として従来はそれをする価値が充分にあると考えていた1つの習慣(図書館で新聞を読む)を完全に止めたわけですから、その代償は当然実感しています。それは以前に増して世事に疎くなることに最も顕著に表れています。せめて日曜の夜、大河ドラマが終わった後の15分間のニュースくらいは視た方がいいかもしれません。
(2月4日アップ)

1月24日(土)
昨夜は「こたつのある情景」連作の4枚目を公開してから、突然麻雀がやりたくなって、「ELF ALL STARS 脱衣雀2」の埃を払いなどしていました。これを買って初めてプレイした時には、今読み返してみると我ながらその青臭さに赤面するほど、「メーカーの見識を糾弾するっ!!」てな文句を日記に書き連ねていたものですが、その後は「脱衣シーンには目をつぶる(文字通りに)」ことにして、たまにプレイしていたものです。
それにしてもelfというメーカーは、鳴り物入りで「らいむいろ戦奇譚」を出したと思うとたちまち「らいむいろ奇譚」を出すという具合に、麻雀ソフトによほどの自信があると見えますが、一介の同人サークルが出した「月姫」があれほどブレイクするぐらい、パソコンゲーム市場での同人サークルとメーカーの垣根が低くなっているとすると、同人サークルにはアルゴリズムの開発が手に余りそうな麻雀や囲碁将棋ソフトが、もしかするとパソコンゲームでメーカーが生き残っていく大きな道の一つになるかもしれません。秋葉原の同人ショップへ行った時のことを思い出すと、「Kanon」や「ToHeart」といったメーカー製ゲームを元にした同人ゲームだけでなく、「月姫」を元にした同人ゲームもたくさん売られていましたが、だいたいはタイピングかシューティングで、もしアルゴリズムが開発できたならきっと制作されていると思っていた「月姫キャラを使った脱衣麻雀」は見つからなかったからです。
もし月姫の主要女性キャラを使って脱衣麻雀を作るとしたら、1部リーグ(強い)が秋葉・翡翠・琥珀、2部リーグ(弱い)がアルクェイド・さつき・晶・レンで、1部リーグの中での序列は、秋葉(すぐ感情が顔に出るし、耐えることに慣れていなさそう)が最も弱く、次が翡翠(無表情に見えて実はけっこう動揺しやすく、土壇場で非情に徹しきれなさそう)で、琥珀(いくらでも表情を偽れるだけでなく、土壇場で秋葉も翡翠も躊躇なく裏切ることのできる非情さを持っていそう)が最強ではないだろうか、シエルは2部リーグかもしれないし1部リーグ最強のラスボスにもなりうるかもしれない、しかし2部リーグでアルクェイドを脱がせたらそれで「お腹いっぱい」になってしまうプレイヤーが多くないだろうか、などと埒もないことを考えてはみるのですが。

1年以上も棚上げしていた「こたつ連作」にやっと一区切りつけたので、次は「誕生日連作」ですが、どうやら本当に「誕生日当日、帰宅してから描き始めても間に合う」という自信を持ってしまったようで、今日起きてからはずっと滞貨の処分(日記の更新)を続けていました。
(2月4日アップ)

1月23日(金)
今日も雪が降り続いているので、朝はバスで出勤し、仕事が終わってからは歩いて帰宅します。自転車で出勤できない日の朝はバスで出勤するのは、社会人として始業時刻に遅刻するわけにはいかないから当然ですが、帰りは歩いて帰るのは、片道180円のバス代をケチるというだけではなく、私の仕事は冬場はもっぱらデスクワークになってしまうため、通勤の往復がバスになったら、決定的な運動不足→肥満という道をたどるのが目に見えているので、片道でも歩くことにすれば少しは運動不足の緩和になるだろう、と考えているからです。
というようなことを帰省した時に両親に言ったら、ウォーキングに熱中している父は、いっそ自転車に乗るのも止めて、毎日往復歩いて通勤すればいいと言いましたが、始業時刻が決まっていてフレックスタイム制を導入していない職場に勤めている以上、朝歩いて出勤するためには、必然的に早起きしなければならず、いくら健康のため安全のため(雨の日に自転車で通勤することは、親兄弟にも上司にも危ながられています)と言われても、そのために早起きしたいとは思わないのは、夜のパソコン遊びが病膏肓に入っている証拠でしょう。
それと父が言うには、父のような熟年ウォーカーの中には健康のために歩くという人が多いけれど、健康のためという人は得てして長続きしない傾向があり、健康のため以外にも目標を持つと長続きするし頑張り甲斐もあるので、それがバス代の節約であってもいいということです。
確かに「健康のため」というのは具体的な目標が立てにくい、漠然とした目的かもしれません。健康のためのはずのウォーキングでへとへとに疲れたり、それどころか足を痛めでもした日には、本末転倒に思えて挫折してしまうでしょう。それに比べればバス代を節約するために歩いて、節約したバス代を「バスに乗ったつもり貯金」とか言って小銭入れから出して貯金箱に入れでもすれば、節約できたバス代が目に見える形で貯まっていきますから、頑張り甲斐があるでしょう。「1万円貯める」といった具合に、具体的な目標を立てやすく成果が目に見えやすい形にするのが、意欲を長続きさせる秘訣とは、よく言われることです。

「こたつのある情景」連作の4枚目は、昨夜のうちには完成しなかったので、帰ってから制作を続けて完成させました。コメントをつけて、今夜の更新で公開することにします。
今までの3枚もそうだったのですが、鉛筆描きのラフ画にしては時間がかかりすぎている気がします。特に今回は人数が多く、しかも複雑に重なり合っているので、延べ何枚のレイヤーを使ったか──はここには書きませんが、手間をかけすぎたようです。
「誕生日連作」にはなるべく早く取りかかるつもりですが、来週の火曜から木曜まで3日連続でラフ画を公開しようと思ったら、あまり手間はかけていられないでしょう。
(2月4日アップ)

1月22日(木)
朝起きて外を見ると、視界が真っ白になっています。この冬初めての、本格的な雪です。この雪では自転車に乗って出勤するのは諦めて、バスで出勤しました。

ここ数年、冬コミで次の年のカレンダーを買っていたのですが、この前の冬コミでは金を出して買いたいと思うほどのカレンダーが見つからなかったので、カレンダーを買っていず、そのため今私の部屋には今年のカレンダーがありません。
これでは日常生活にも不便なので、Excelとプリンターでカレンダーを作ることにしました。日付と曜日だけの最低限のカレンダーで、その代わり日付の下に自由に記入する余白を大きく取ります。誰に見せるものでもないですから、実用性最重視です。
印刷したカレンダーにさっそく書き込んだのは、昨日の項に書いた「Kanon」キャラの誕生日(新暦・旧暦)です。書き込んでみると、来週の火曜日から木曜日まで3日連続となりました(1/27((旧1/6))沢渡真琴、1/28((旧1/7))月宮あゆ、1/29川澄舞)。
もちろん3日とも勤務日ですから、これはちょっと忙しくなりそうです。その日帰宅してから描き始めるなんてことは止めて、この次の土日あたりから描き始めておく方が安全でしょう。
カレンダーを作ってから、「こたつのある情景」連作の4枚目、さしあたってはこれで連作を完結させるつもりの作品を描き始めました。
(2月2日アップ)

1月19日(月)〜21日(水)
「こたつのある情景」連作が終わったら次に取りかかろうと思っている連作というのは、「Kanon」キャラの誕生日にちなんだ連作です。昨年の12月、「下級生」キャラの誕生日にちなんだ祭りが行きつけのチャットルームの1つで話題になっていた頃、Kanonキャラの誕生日が12月から3月に集中していることを、私が口に出したことがありました。
・天野美汐 12月6日 ・水瀬名雪 12月23日 ・沢渡真琴 1月6日 ・月宮あゆ 1月7日
・川澄舞1月29日・美坂栞2月1日・美坂香里3月1日
ゲーム本編の季節は1月8日から1月末までであり、誕生日がゲーム本編中のイベントとして重要な意味を持っているのは舞と栞だけですが、これだけ誕生日が続くのなら、それぞれの誕生日に合わせて、ラフ画の1枚ずつでも描いてみよう、と思ったわけです。
とはいうものの、連作を思いついた時には美汐の誕生日は既に過ぎていましたし、名雪の誕生日の前後はクリスマスCGの制作で手一杯でした。そして真琴の誕生日と あゆの誕生日も、年賀CGの制作と公開で切羽詰まっているうちに過ぎてしまいました。
こんなことでは次の冬に仕切り直しするかと思いましたが、17日夜のチャットで旧暦を話題に出したところ、今年の旧暦1月1日は、新暦の1月22日になると、他の人がわざわざ調べて教えてくれました。かなり強引ですが、旧暦でなら今年の1月6日は新暦の1月27日になるので、真琴と あゆの2人については旧暦の該当する日付に制作・公開することを目標にします。
残念ながら名雪については、旧暦12月23日は新暦1月14日にあたり、旧暦でも既に過ぎてしまっているので、この冬は見送りとなりましたが。

という計画が具体化していますが、19日は体調があまり良くなかったせいか今一つ意気が上がらないので日記の更新、20日はサイトとは関係ない身辺の雑事を一つ片づけ、21日は「100の質問」コーナーに「■ SS書きさんへひゃくのしつもん。+あるふぁ■」への回答の再公開、それが終わっても「こたつ連作」の完結を先にしよう、という具合で、誕生日連作に取りかかるのは何となく一日延ばしになっています。乗り気でない作業でも、やらなければならない作業は先に片づけてしまう、というのは仕事や家事に関する私の行動規範のつもりですが、それが趣味をも侵食し始めたのかもしれませんし、あるいは短時間でCGを制作することに妙な自信を持ってしまったせいで、「ラフ画なら今から取りかからなくても間に合う」と思うようになったのかもしれません。
(2月2日アップ)

1月18日(日)
今日も日がな一日CGの制作に没頭し、大河ドラマの時間までに完成しました。人物1人背景なしと、3号館本館で公開するCGとしてはだいぶ手を抜いたとはいえ、実働2日で完成できたことで、また少し、短時間でCGを制作する自信がついた気がします。
題材とシチュエーションを選んだ理由はCGのコメントに書きましたが、少し補足すると、「虫眼鏡で昆虫を観察している神山みこ」というシチュエーションを描くならば、もしゲーム本編のイベントビジュアルにあるようにアリの巣を観察しているところを描くことにしたとして、たとえ地に這いつくばっている みこを描いたとしても、その時は必ず、みこに長ズボンを穿かせようと決めていました。研究者や理系の学生がフィールドで観察をするなら、行動に適した服装をする、つまりスカートではなくて長ズボンを穿くに決まっているからです。それ以外に何か理由があるとでも?
今日が第2回になる大河ドラマは、第1回の後半(1854年、ペリー艦隊の来航)から早くも3年が流れて、日米修好通商条約の調印交渉になっているようですが、最後の方で、土方歳三の兄、盲人である土方為次郎が近藤勇と歳三に説いた言葉に、「あっ」と思いました。
思い出した方はいるでしょうか、「目が見えないからこそ見える物がある」という言葉を。前に「らいおんミーティング」の様子が内閣メールマガジンに載った時に、同じような趣旨の発言をした参加者がいたことに深く感銘を受けた私には、非常に印象的な言葉でした。

今日中に完成させようと決めていた みこのCGが完成したので、次は「こたつ連作」の完結と、それに続くラフ画連作に取りかかろうかと思いますが、その前に日記が溜まりすぎて更新する気を無くさないように、日記の更新を少し進めておきます。
(2月2日アップ)

1月17日(土)
昨年のNHK大河ドラマは、第1回放送を視逃したせいでか何となく視そびれて終わってしまった私ですが、今年は新撰組、織田信長が出てこない公家や外国人が出てくる幕末物なので、今日の第1回再放送を視ることにしました。
平成10年の大河ドラマは、15代将軍徳川慶喜が主役でしたが、その時感じたのは、国営放送が制作する幕末物の大河ドラマで、江戸幕府を倒して権力を握った薩摩・長州・土佐側の人物、いささか挑発的な表現をすれば「勝ち組」が主役でない番組(勝ち組が主役なのは、例えば平成2年放送の「翔ぶが如く(西郷隆盛と大久保利通が中心)」)が制作されるようになったことは、ようやく「薩長政府中心史観の呪縛」が解けてきた現れと言えるのではないか、ということでした。考えすぎと言われれば考えすぎですが、今年の主役である新撰組も江戸幕府側、似たような表現をすれば「負け組」ですから、どのような描き方がされるのか、興味があります。
さて午後1時5分、テレビのスイッチを入れて再放送を視始めましたが──
──大河ドラマって、時代劇じゃなくなっちゃったんですか?──
──だって登場人物がみんな、現代ドラマと同じ喋り方をしてますけど。
でも実際のところ、今から150年前の江戸の町人や下級武士、多摩の農民がどういう言葉を話していたのかとなると、私たちが「時代劇の登場人物の喋り方」と言われてすぐに思い浮かべる、昭和の御代に放送された時代劇の登場人物がしているような喋り方だったかは、ちょっとわかりません。話し言葉が書き言葉より砕けた言葉になる現象は古今東西共通ですから、江戸時代末期の庶民の話し言葉は、公文書に用いられた漢文や候文よりはもちろん、草子本や瓦版に使われていた言葉よりも、もっと砕けた言葉だったかもしれません。
だとしても、ここまでまるっきり現代ドラマのような喋り方をされると、なんだか時代劇を視ている気がしなくなるのは、やはり私のいささか旧弊な感覚、ウェブ日記に聖書を引用するのに文語訳を載せるような感覚のせいでしょう。
大河ドラマの言葉遣いというと、いわゆる時代劇の言葉遣いとの違いの激しさに衝撃を受けたのは、やはり平成13年放送の「北条時宗」で、宗尊親王が使っていた御所言葉(「あらしゃいます」とか)だったと思います。あれこそ、鎌倉時代当時どんな言葉が実際に話されていたのか、資料がほとんどありませんから、どう喋らせたものか苦心した結果だろうと思います。
さて上に勝ち組として薩摩・長州・土佐と書きましたが、土佐出身の人物で、幕末物のドラマでの扱いが大きいのは断然、坂本龍馬でしょう。今年も第1回放送の後半で、後の新撰組幹部となる近藤勇・土方歳三・沖田総司(この頃は元服前?)を早くも喰ってしまう存在感を見せていますが、正史での活躍以上に大河ドラマでの扱いが大きいような気がするのは、やはり視聴者に人気があるからでしょう。
正史での活躍という見方をすれば、明治元年より前に暗殺された坂本龍馬は、西郷隆盛や大久保利通と違って維新後の明治政府の中枢で権力を握ったことは全くないのですが、逆に言うとそのことが──志の実現を前にして非業の死を遂げたことよりも、明治政府の中枢で権力を握らなかったことが──いっそうの人気につながっている、そんな気もします。
穿ちすぎかもしれませんが、それなら同じ薩摩藩士で維新後は明治政府の中枢で権力を握った西郷隆盛と大久保利通とを比べた時、西郷に対する大久保の人気のなさはどうでしょうか。維新までは協力し合って同じ道を進みながら、維新後に袂を分かった後。地位を捨てて薩摩に隠居し、最後には反乱軍の首領に担ぎ出されて、かつては自らがそのトップに座った明治政府軍に追いつめられて自害した西郷と、西郷を追い払っていっそう権力を拡大した大久保の違いが、大久保も最後には暗殺されたとはいえ、西郷と大久保の人気の差に、かなり大きく影響しているのではないでしょうか。
西郷と大久保が袂を分かつ一つの原因になったのは、西郷が主張した「征韓論」に大久保が反対したことですが、それは「翔ぶが如く」で描かれていたように大久保が当時の日本の現状を見据えて、真に将来の国益を思って朝鮮への出兵に反対したというよりは、もっと欲得ずくの、政府内でのイニシアティブの奪い合いだったろうと思います。その証拠だと私が思うのは、征韓論が通らなくて西郷が政府の職を辞した後すぐ、台湾出兵に大久保がゴーサインを出したことです。
という見方を百数十年後の素人がすること自体、大久保の人気のなさを助長しているような気がします。
(ここまで2月1日アップ)
大河ドラマを視終わってからは深夜まで、もっぱらCGの制作に時間を充ててきましたが、夕方、食材の買い出しに近くのスーパーへ行きました。
すると、今頃になってこんなことに気付くのも世事に疎すぎますが、アメリカ産の牛肉が店頭から姿を消しています。昨年12月にアメリカで牛海綿状脳症(BSE)が発生して、アメリカ産の牛肉が輸入停止になり、外食産業、中でも牛丼のチェーン店、その中でも牛肉の99%をアメリカ産に依存していた吉野家が苦境に陥っているということを、帰宅してから新聞社のウェブサイトを見に行って知った次第です。
私は基本的に外食しませんから、吉野家がそんな状態になっていることは知らなかったのですが、自炊するための食材を買うにしても、従来は牛肉といえば100g98円のアメリカ産牛肉を買っていたのに、それが買えなくなると、最低でも100g128円はするオーストラリア産の牛肉を買うしかなくなります。
和牛? そんな高い肉は眼中にありません。
それにしても、このBSEに限らず、「○○から輸入された□□から××が検出された」というようなニュースが流れた後でスーパーへ買い出しに行くたびに、軽い不快感をすら覚えるのは、そういうことがあるとどのスーパーも決まって「うちは大丈夫」としか言わないことです。その裏に「よそは貧乏くじを引かされたのさ」とでも言いたげな口調を感じてしまって。
そもそもイギリスで最初にBSEが発生した後、日本政府自体が「うちは大丈夫」と言い続けてきたのに、やがて日本でもBSEが発生して大騒ぎになり、そうなってから、感染源として疑われている肉骨粉が、イギリスでBSEが発生した後もずっとヨーロッパから輸入され続けていたこと、だから日本でBSEがいつ発生しても不思議ではないというのが真相だったことが明らかになったのは、つい最近のことです。
BSEが新たに発生するたびに牛肉を輸入禁止する国が増えるだけ、という農水省のやり方にも、本当にそれでいいのかな、という気がします。アメリカ全土で何百万頭いるのかわからない牛の、たった1頭がBSE検査で陽性だったとして、その牛が飼育されていた牧場から何千キロも離れた牧場で飼育されていた牛の肉を使った牛丼を1杯食べた日本人が、新型クロイツフェルト=ヤコブ病に感染する可能性が、どれくらいあるのでしょうか。そこまで神経質になるくらいなら、タバコと酒の販売を禁止する方が
──指が滑りました。私はタバコを吸いませんが、他の人がタバコを吸うことは容認します。
こと牛肉に関しては、今アメリカ産を食べることよりも、賞味期限を過ぎたのを食べることの方が、ずっとリスクが大きいと思います──賞味期限切れの食材を冷蔵庫に溜め込んでいることへの自戒を込めて。
(2月2日アップ)

1月16日(金)
昨日付の日記に、こたつ連作をなるべく早く完結させると書いたのは、ラフ画でないもっと本格的なCGは、今すぐには制作するあてもなく、その意欲もあまり高まらなかったからでもあります。
もっとも、本格的なCGを制作する当てが全くなかったわけではありません。「麗子となりぽしの部屋」でお知り合いになった「下級生」のファンの人たちの間では、ゲーム本編で設定されている各ヒロインの誕生日に合わせて、昨年11月中旬には「麗子となりぽしの部屋」で「麗子祭り(新藤麗子の誕生日は11月14日)、12月上旬には「卯月学園」「愛ちゃん祭り(南里愛の誕生日は12月1日)と、相次いで祭りが開催されています。
その伝でいくと次は、誕生日が1月18日と設定されている神山みこです。しかも私のお知り合いの人で、ご自身でサイトを持っている人の中には、みこがお気に入りという人が決して少なくありません。
ですから、この1月18日を含む週末には、もしかしたらどこかで「みこ祭り」が開催されるだろうかと、昨年のうちから幾分の期待はありました。
しかしさすがに3人目、しかもクリスマス〜正月と続く、ウェブサイトを持つCG画家にとっては贈答品の制作のために修羅場モードを発動する時期が終わってすぐでは、祭りを開催しようと言い出す人はいないようで、チャットルームで話題になる様子がありません。
だからといって、居並ぶ下級生ファンの人たちを差し措いて、下級生キャラの中で みこが一番萌えでもない私が、みこ祭りを主催すると言い出すのも何ですし、もしそれで誰も応じてこなかったら、人徳のなさを突きつけられた私の立場がありません。
そういったこともあって、提出するのを忘れていた宿題を提出するくらいの気持ちで こたつ連作を完結させようと思ったのでした。

が。15日の夜に日記を軽く更新して、寝る前に何気なくメールチェックをすると、最近「麗子となりぽしの部屋」でお知り合いになったともゆきさんから年賀メールが届いていました。頂いたCGには、「一月十八日は、みこちゃん祭り!」という言葉が。
その瞬間、1月18日までに神山みこのCGを制作することを決心しました。
こんな具合に描くキャラが先に決まったような場合、たいていはここから、ああでもないこうでもないとシチュエーションを捻り出すのに苦心惨憺するのがお決まりのパターンなのですが、今回という今回ばかりは、麗子祭りの頃から、いやもっと前から、いつか機会があればこの題材で みこを描いてみたい、という題材が浮かんでいたので、キャラが決まった瞬間に題材が決まり、制作意欲が一気に燃え上がりました。
問題は、18日を期限とするならば制作日数があと3日しかないことと、依然としてどこのサイトでも祭りが開かれる当てがないことですが、前者は「愛ちゃん祭り」に参加したCGを平日3晩で完成できたことで、この土日2日間全力を傾注すれば完成できる自信がつきましたし、後者は自前のサイトを持っている人間が気にすることではないはずです。

そういったわけで、16日は帰宅するが早いかCGの制作に取りかかり──の前に、まずは頂いたCGの公開です。
それと「100の質問」の1つとして、先日新たに質問を見つけた「葉っぱゲー好きに100の質問」への回答を公開することにしました。もっと早く公開していてもよかったと思うのに、なぜ公開を遅らせたのか、日記を打鍵している今となってはよくわかりません。
(2月1日アップ)

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