2003年5月前半の日記
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5月14日(水)〜16日(金)
先日からプレイしていた「真・瑠璃色の雪」は、10日に全ヒロインのシナリオをプレイし終わりました。その時点ではまだ、ごく一部に未見のCGが残っていましたが、それについては11日に、最初に攻略法を見つけたサイトとは別のサイトに公開されていた攻略法に基づいてプレイしてみた結果、無事に見ることができました。
このゲームは、攻略可能なヒロインが10人もいる上、プレイ期間がゲーム中の日付で11月24日から、最も早くエンディングに達するヒロインでも1月3日までにわたり、しかも「ONE」とは違って途中一日たりとも日付が飛ぶことがないので、1回のプレイで1人のヒロインのシナリオをたどっていたのでは、コンプリートするまでに時間がかかりすぎます。それでたいていの攻略サイトでは、シナリオが個別攻略に分岐する日として制作元が設定しているある日までは全員均等にイベントを見るようにプレイを進めていって、そこから一斉に分岐するプレイ方法を強く推奨しているのですが、分岐点で全員の個別攻略に分岐できるように全員均等にイベントを見ていこうとすると、分岐点までのスケジュールが非常にタイトなので、攻略に不可欠ではない若干のイベントを割愛しなければならなくなるようです。最初に見つけた攻略チャートではそういったわけで割愛されていた、いわば優先順位を低くされたイベントの中に、イベントCGが用意されているイベントが含まれていたのでした。
真・瑠璃色の雪は、私が初めてプレイしたアイルのゲームになりますが、今までプレイしてきたゲーム──メーカーで見るとけっこう偏っていて、elf(シルキーズを含む)、Leaf、Key(Tacticsで制作されたONEを含む)といったメーカーが多いのですが、それらに比べると、けっこう特徴的なテイストがあります。それがどういったものであるかは、近いうちに新しいコンテンツを設けて述べてみたいと思います。

それで次に手に取ったゲームは、これはまた古いも古い、アリスソフトの「AmbivalenZ(アンビヴァレンツ)」です。発売は1996年ですが、ウィンドウモードで起動してみると「アトラク=ナクア」に比べてウィンドウの縦幅が妙に狭く、手許にある「アリスソフト公式完全必勝ガイド2(コアマガジン発行)(この本にはAmbivalenZそのものの攻略法は載っていません)によれば1994年にWindows95より前のOS(MS-DOSかWindows3.1かはわかりませんでしたが)に対応して発売されたのが始まりのようです。
そう言われてみれば、MS-DOS版を画面サイズそのままでWindowsに復刻した「YU-NO」もウィンドウの縦幅が同じように狭かったこと──これがMS-DOS時代の画面サイズの標準つまり640x400ピクセルだったのを思い出しました。縦横比がWindowsの標準といえる3:4より横長の5:8であるウィンドウを、Windowsとしてはなぜか縦横比が他の画面解像度と違う1280x1024ピクセルのディスプレイに出しているのですから、ずいぶんウィンドウの縦幅が狭いように見えるわけです。
AmbivalenZの攻略法は手許の本に載っていなかったので、まずそれをインターネットで探し出して印刷してから、13日の夜からAmbivalenZのプレイを始め、16日の夜までかかってコンプリートしました。コマンド選択式アドベンチャーゲームの形を取っていますが、全7章のストーリーは完全な一本道で、ストーリーの内容的にも、アリスソフト初のノベルゲームを名乗るアトラク=ナクアの先駆作と言えると思います。「難易度は低め」とパッケージに書いてありますが、確かにストーリーを進めるためには今ここでどういう行動を取るべきかは、そこにいる他のキャラクターと会話していけば自ずと道が指し示されるようになっているものの、随所で展開される戦闘場面や、戦闘に先立ってマップ上を移動していく段階での行動は、一つ間違えば即ゲームオーバーということがままあり、アトラク=ナクアほど簡単ではありません。
しかし制作元が「難易度は低め」と言うぐらいのゲームで、ここまで攻略情報に頼り切ったヌルいプレイをしているようだと、制作元(同じアリスソフト)が「難易度は高め、挑戦して下さい」と言う「零式」を独力でコンプリートすることなど、まずあり得ないでしょう。零式は積みっ放しですが、もし零式をプレイするとしたら、その時は攻略情報より先に改造ツールをネットに探し求めることになると思います(我ながら軟弱)。
(5月18日アップ)

5月13日(火)
昨日の事故ですが、事故の直後には何ともなかった足の膝が、夜になって少しですが痛み出しました。今日そのことを職場で言ったらたちまち周りが心配し始めたのですが、実は昨日は自転車で帰宅し、今朝も自転車で出勤していたのです。これを正直に言ったら、膝の痛みと事故の因果関係はわからない、と言われてしまうでしょう。

今日職場で聞いた、頭の体操を紹介します。
赤い帽子が2つと白い帽子が3つあります。3人の人に縦1列に並んでもらいます。前から順にAさんBさんCさんとします。3人に目を閉じてもらって、5つの帽子の中から1つ選んだ帽子を被らせます。
3人に目を開けてもらいます。Aさんには他の2人が被っている帽子は見えません。BさんにはAさんが被っている帽子だけが見えます。Cさんには、AさんとBさんが被っている帽子が見えます。3人とも、赤い帽子が2つと白い帽子が3つあることは知っています。
まずCさんに、自分が被っている帽子の色を尋ねると、Cさんは「わかりません」と答えました。それからBさんに、自分が被っている帽子の色を尋ねると、Bさんも「わかりません」と答えました。最後にAさんに、自分が被っている帽子の色を尋ねると、Aさんは「わかりました。○です」と答えました。
さてAさんが被っている帽子の色は、赤でしょうか、白でしょうか? そう判断した根拠は?
そこにいた何人かの中で、最初に正解したのは私でした。皆さんも考えてみませんか?

5月12日(月)
職場の敷地内で、交通事故に遭いました。
昼休み、私が職場の建物の通用口から出た時、私より年輩の人が、すぐ近くに駐めてあった車に乗り込んで発進させたのでしたが、車は右へ曲がって建物から離れるべきなのに、左へ曲がりながら私の方へ進んできました。避ける暇もなく足の甲をタイヤに踏まれて建物横の植え込みに倒れ、何が起こったのかと思っているうちに、車はブレーキもかける様子もないまま、建物の玄関に突っ込んで止まりました。
私は起き上がるとすぐ車に駆け寄って、運転席の窓が開いていたので運転していた人に声をかけましたが、反応がありません。エンジンルームから煙が出てきたのでエンジンを止め、周りにいた人にも頼んで、運転していた人を車から降ろしました。
すぐに救急車とパトカーが来て、私は人身事故の被害者ということなので、本人よりも周りが騒ぎ出して、救急車で近くの病院へ行きました。「車に足を轢かれた」と聞いた周りの人たちや救急隊員は、大変な事になったと思っていたようですが、足の甲を乗用車のタイヤで踏まれたくらいなら、乗用車の接地圧はたかが知れていますから、どうということはありません。接地圧で考えれば、女性のピンヒールで踏まれた方がよほど大変な事になるはずです。一応レントゲン写真を撮りましたが、骨に異常はなく、湿布だけして職場へ戻りました。
私は怪我とも言えないほどの軽傷でしたが、それよりも運転していた人が、車が止まった直後に私の呼びかけに答えなかったことの方が気になります。シートベルトは締めていなかったのですが、突っ込んだ時の速度からすると、フロントガラスやハンドルに頭や胸を強打して失神したとは思えず、事故を起こして動転していたという感じとも違っていたような気がします。私が病院から戻った後、時間としては事故発生からまだ1時間も経っていなかった頃でしたが、運転していた人に、車が玄関に突っ込んだ直後に私が声をかけ、一度では返事がなかったのでもう一度、肩を叩きながら声をかけた、その時のことを覚えているか、と聞いてみたのですが、どうも要領を得ませんでした。
乗用車が建物の玄関に突っ込んで、玄関のガラス戸が大破したままにしておくわけにもいかないので、午後になってからクレーン車を呼んで事故車を運んでいきましたが、その時に事故車を改めて見ると、玄関に突っ込むまでハンドルは左に切られたままでした。事故原因として運転操作ミス──ブレーキとアクセルを踏み間違えるという、話にはよく聞く操作ミスを犯したのではないかと言った人がいましたが、事故当時車の一番近くにいた私が見ていた感じでは、動転してハンドル操作を誤るほど急発進した様子はなかったし、発進した車が建物の玄関に向かっていくのにハンドルを右に切ろうとした様子も全くないのは、ペーパードライバーとはいえ一応免許を持っている私でもいささか不自然に感じます。
そういったことが気になっていたので、後で上司から事情を聞かれた時、推測のしすぎかもしれないがと前置きして言ったのは、運転していた人が車を発進させたちょうどその時、瞬間的に失神したのではなかっただろうか、ということです。少し前ですが、新幹線の運転士が乗務中に、普通の居眠りではない、病的な失神状態になったことがニュースになったことがありましたし、もっと前にはバスの運転手が乗務中に脳卒中になって、乗客が気づいてバスを停めたので事故を免れた、というニュースを聞いたこともあります。運転していた人は私よりかなり年輩なので、公道で事故を起こしてからでは遅いから、一度きちんと検査を受けてもらった方がいいのではないか、と言っておきました。
(5月13日アップ)

5月11日(日)
この前の週末はゲーム三昧で近所の図書館へ行かず──もしゲーム三昧でなかったとしても、3日から5日まで祝日に当たっていて図書館は休館でしたから──新聞をまとめて読む機会がなかったので、この週末は2日続けて図書館へ行って、2週間分以上の新聞を読んできました。イラク戦争の終盤からは、新聞社のサイトを見に行くこともあまりしなかったので、パナウェーブっていうんですか?そういった世間の動きにはすっかり疎くなってしまっています。
そのイラク戦争は、5月1日にブッシュ米大統領が戦闘終結宣言をしたことで事実上終結しました。かつて日本がアメリカを初めとする約50ヶ国との間で大東亜戦争を行なった時には、国際法上の戦争状態が講和条約の発効によって正式に終結し(講和条約の締結国との間で)、占領下にあった日本が独立を回復したのは昭和27年4月28日であることから、4月28日を「主権回復の日」として位置付けよう、という社説を掲げていた新聞もありますが(読売新聞4月27日付)、18〜9世紀の欧米で確立した「最後通牒→宣戦布告→講和条約締結」という正式な手続きを踏んで行われた戦争はおそらく大東亜戦争が最後だと思いますし、イラク戦争では、宣戦布告をする権限を有するアメリカ連邦議会は宣戦布告を行なっていないはずです。そしてイラク戦争の戦闘終結宣言にしても、正式に勝利宣言を出すとジュネーブ条約の規定によりイラク兵捕虜を釈放しなければならず、今もって消息不明のフセイン大統領を追跡するのも制限される(見つけ出せたら法的手続きを踏まずに抹殺してしまいたいのが本音だとしても、そうするわけにもいかなくなるでしょう)らしく、それで正式な勝利宣言は出さなかったという指摘があるらしいです。

イラク戦争の戦闘終結宣言の全文が新聞に載っていて、大統領は戦闘に参加した米軍将兵に最上級の称讃を贈っています。それは戦勝軍の最高司令官としては当然だと思うのですが、神奈川県に住んでいて横須賀の在日米軍に知人の多い母からも時々聞くことですが、軍人の社会的地位が高いのもアメリカの伝統の一つのようです。しばらく前のことなのでうろ覚えなのですが、ハワイ近海でアメリカの原子力潜水艦が日本の漁業実習船に衝突して実習船が沈没し十数人の犠牲者を出した事故の後、責任を問われた原潜の艦長が除隊させられることになった際に「名誉ある除隊」の形になるかどうかが問題になったようですが、それは名誉ある除隊(自衛隊で言えば依願退職でしょうか)の形になれば在郷軍人としての待遇を受けられるが、そうでないと(懲戒免職だと)在郷軍人としての待遇を受けられなくなるからだろうか、と考えたことを思い出しました。
そこからまた発想が飛躍します。少し前から、職場の休み時間などに暇を見つけてジョージ・エリオットの「サイラス・マーナー」を読んでいるのですが、登場人物の一人、農村の地主の放蕩息子であるダンスタンがある日突然行方不明になり、杳として消息が知れないまま歳月が過ぎる間のことが、
人々は、彼は兵隊になってしまったか、あるいは「国を出ていった」ものと決めてしまった。
(土井治訳 岩波文庫1988年改版249ページ)
と書いてあるのを読みました。この書きぶりから想像したのは、臆測しすぎと言われるのは承知ですが、19世紀前半のイギリスの社会では、下士官兵(将校は貴族の子弟がなるものですから別です)というのは故郷にいられなくなった男どもの辿り着く職業と見られていて、社会的地位の高い職業では到底なかったのではないだろうか、ということです。19世紀前半というと時期的に微妙なのですが、この頃のイギリス軍はまだ近代的な国民軍ではなくて、中世以来の傭兵の性質が多分に残っていたのでしょうか。もう少し遡った18世紀後半のドイツの都市国家の市民生活のことを、相当詳しく書いた本を読んだことが以前にありましたが、そこでも都市国家の軍隊の下士官兵というのは社会の底辺に近い職業で、他のどの職業にも就けなかったから兵卒になったというのが普通で、老人や虚弱者どころか身体障害者がザラにいたらしいです。これじゃあフランスの国民軍やプロイセンの軍隊(根拠はないのですがドイツ西部に比べて都市部の第二次・第三次産業の発達が遅れていたのではないかと思われるプロイセンでは、相対的に優秀な人材が軍隊に集まってきたのではないかと思います)に勝てるわけがない、と思います。
翻って現代日本での自衛官や元自衛官の社会的地位は……となると、これはあまりいい加減なことは書かない方がよいかもしれません。
(5月12日アップ)

5月10日(土)
「真・瑠璃色の雪」のプレイは昨夜で、タイトルロールである瑠璃のシナリオを残すだけというラストスパートの段階に達していましたが、週末前夜であることもあり、ちょっとゲームを中断してネットにつないでみました。
すると凶報にぶつかりました。お知り合いのやや年輩の人が、最近体調が良くないため連休の間に検査をしたところ、糖尿病と肝機能障害の兆候が出たということです。幸い、すぐに入院を要するほど悪くはなかったようですが、以前のようなネット活動を続けられるかはわからないようでした。
私自身は、今までのところ血糖値に異常を出したことはありませんが、父親に軽い糖尿病の気配があると聞いたことがありますし、肝機能の方は以前に、献血できなかったり献血した血液が利用できなかったりするほどの異常値を二度も出していますから、節酒に努めた甲斐あってこの頃は安全域に収まっているとはいうものの、決して他人事ではありません。
行きつけのチャットルームで常連の人たちと健康談議を始めて間もなく、今度は別の常連の女性の人が、外出先で見知らぬ男性に後を追けられた(これが繰り返されればいわゆる「ストーカー行為」となるでしょう)ということが話題になって、対策はどうしたらいいか、という議論になりました。
後を追けられた人というのは、最近開いたサイトに、顔がはっきりわかるコスプレ写真を公開しているそうです。見知らぬ男性に目を付けられたのがその線からである可能性は、本人は否定していましたが、ウェブ上という不特定多数の(その全てが善良であるとは決して言い切れないのが現実)人の目に触れる所に、極めて容易に個人を特定されてしまうであろう、顔写真を公開するという行為には、いつどんな事が起こるかわからない危険性を感じずにはいられません。
──当サイト事務所内、職員詰所にある「肖像」は単なる冗談です。真に受けないで下さい。
(5月11日アップ)

5月9日(金)
5月になっても部屋の中でダッフルコートを着ているくらい季節感のない私でも、はっきりと季節の移り変わりを感じるのは、仕事帰りに食材を買うために八百屋やスーパーへ行く時です。今日はいつも行く八百屋が閉まっていたのでスーパーへ行きましたが、莢をむいたソラマメ(鹿児島産)が出ていました。近所の畑に植わっているソラマメもそろそろ莢が伸び始めているので、もうすぐ地場産のソラマメが出回り始めるでしょう。
といってもソラマメのふだんの値段は、私の金銭感覚に照らすと非常に高いので、ソラマメは決して嫌いではありませんが買ったことはほとんどありません。今日はたまたま「見切り品」のワゴンに4パック束(1パック約100g)100円で置いてあったから買ったのですが、帰ってから値札を剥がしてみると、最初の値段は100g380円もしていたことがわかりました。──これは高いですよ、スーパーで肉を買う時には100g100円を超える肉は買わないことにしている私にとっては。
値札を剥がして最初の値段と自分が買った値段を比べるのが、スーパーで見切り品を買った時の楽しみ──なんて言うと、独身貴族らしからぬ変な楽しみと思われそうなものですが、今回「ん!?」と思ったのは、一番下の値札と一番上の値札で「加工日」が違っていて、上の値札の方が新しい日付になっていたことでした。
つまり、売れ残った商品に値引きした値札を貼る間に、加工日をごまかして新しい商品のように偽っていたということです。賞味期限ぎりぎりの食材を買ってきて、さらに何日も経ってから食べるのがいつものことなので、日頃からあまり加工日や賞味期限は気にしていませんし、今回は定価の9割3分引きで買えたから得したと思っていますが、ちょっと引っかかりました。
(5月11日アップ)

5月4日(日)〜8日(木)
パソコンが直ってから3連休の間と、連休明けから後の毎晩の余暇時間は、もっぱらゲーム三昧です。連休中はチャットルームに少しだけ顔を出したこともありましたが、CGを描いたり新コンテンツを増やしたりといった作業に向けても良い余暇時間をことごとく費やして、これだけゲーム三昧になっていることは、私自身がそれを良しとしているのですから、それで良いのだと割り切ります。
今かかり切りになっているのは、ずいぶん前にちょっとだけ手を着けたままになっていた、アイルの「真・瑠璃色の雪」です。男主人公が科学信奉者で科学部部長というギャルゲーには珍しい設定、女性キャラには科学部副部長の幼馴染み・担任の国語教師・科学部の先代部長といった具合に 何気に眼鏡キャラが多いゲームです。もちろんそれだけではなくて、チャットルームでお知り合いの人が以前にプレイしていて、よそのサイトの掲示板で何度か話題に出していたことがあり、それで興味を持ったのが購入の動機ですが、前回ちょっとプレイしてみた時、コンプリートには相当時間がかかりそうな感触があったせいで、もうかれこれ1年半も積んだままになっていました。それが最近、また別の方面でのお知り合いの人が、気に入っているゲームだと言ったことがあり、かなり精細な攻略情報を見つけたこともあって、攻略情報をベタなぞりする形で最初からプレイすることにしました。
──予想通り、ウェブ日記の更新がすっかり止まるくらい時間がかかっています。ですが新しいゲームのプレイを進めていくと、そのゲームをプレイしたことのある人と共有できそうな話題が目に見えて増えていくのは愉しいもので、連休中の人けの少ないチャットルームでそういう人と会った時には、真・瑠璃色の雪 の話題を振っては、MS-DOS版の「瑠璃色の雪」(よく知らなかったのですが、Windows版の「真・瑠璃色の雪」は、MS-DOS版のWindows移植という域にはとうてい収まらない、新作と言ってもいいほどの作品らしいです)はこんなゲームだった、と聞くことができました。
(5月11日アップ)

5月3日(土)
ソフマップ新潟店の奥の方、自作用のパーツを売っているあたりに行くと、いろいろな大きさ・形のCPU用のファンを売っていますが、私が取り外して持ってきた電源ユニットに合うファンがどれなのかわからないので、電源ユニットそのものは壊れていないと思うがファンが回らなくなったので、ファンだけ交換したいがどれを買ったらいいのか、と店員に聞くと、電源ユニットを分解してファンを交換するなんて普通やることじゃないし、もしうまくいかなかったとしてもメーカーも店も一切保証できない、だいたい電源ユニット用のファンなんて単品販売していない、悪いことは言わないから止めた方がいい、電源ユニットを買い換える方がずっと安全だ、と言います。
組立キットを買ってパソコンを組み立てたのが4年近く前で、それ以来周辺機器の増設は何度か経験があるもののパソコン本体のパーツを買い集めた経験は全くなく、電源ユニットをそっくり買い換えるとするといくらぐらいするのかわからなかったので、もし電源ユニットという物が何万円もするのだったらどうしたものかと思っていたのですが、私のパソコンに積んであったATXという規格の電源ユニットの最も安いのは、最大出力400Wでわずか2980円でした(私のパソコンのは最大出力250Wです)。マザーボード用のファンが1000〜2000円なので、それを買っていってメーカーも保証していない電源ユニットのファンを交換するよりは、電源ユニットを買い換える方がずっと賢明だと、店員の言ったとおりです。

以前の私だったら、今日はこれを買うと決めた必要最低限の買い物だけ済ませたら、衝動買いに走ってしまうことのないように──もし十二軍に余る物欲魔人と妖精が束になってかかってきても撃退してみせる自信はありますが──さっさと店を後にするところですが、今のパソコンはサイトを更新したりゲームをしたりする分には性能に不満はないものの、CGの制作に使うソフトをPhotoshopLEからPhotoshopElements2.0に換えてからというもの前にもまして動作が重く感じられることや、遠からずネット接続用のパソコンのOSをWindowsXPに換えなければならないとすると、WindowsXPを快適に使うには今のパソコンはきっと非力に過ぎる(Microsoftのホームページによると、Windows98SEを運用するのに最低限必要なハードウェアは、CPUが486DXの66MHz、メモリが24MBだそうですが、「快適」と言えるほどに走らせようとしたら、このハードウェアではとうてい足りないでしょう。それに対してWindowsXPを運用するのに必要なハードウェアは、CPUがPentium/Celeron/K6/Athlon/Duronまたはこれらと互換のプロセッサでクロックは300MHz以上、メモリは128MB以上を推奨、ハードディスクは1.5GB必要とのことなので、私のパソコンではCPU((Celeron400MHz))が最低限すれすれです)と思うので、今のパソコンはオフライン及びWindowsXP非対応のゲーム用そして万一の場合の予備機にすることにして、WindowsXPやPhotoshopElementsを余裕を持って使える新しいパソコンを買うことを念頭に置いて、自作用パーツの相場はどんなものか見てみることにしました。
今のパソコンを買った当初から、すぐに時代遅れになることを承知の上で敢えてローエンドに近い安い物を買い、その結果として今ではパソコン全体の性能の足を最も引っ張っているはずなのはCPUですが、4年前にはPentiumIIIの700MHzがハイエンドでK6-2の300MHzがほぼローエンドだったのが、今ではCeleronやAthlonの1.5GHzがローエンドと言ってよく、それらの2.0GHzが1万円前後です。ハイエンドはPentium4の3.06GHzが5万円台、Athlonの3.0GHzが4万円台というところでしたが、その一番高いのだけが品切れになっているのを見ると、世のパソコン自作マニアという人種は、平均的日本人に比べれば相当にその気があるに違いない私の目から見ても、「少しでも、少しでも速く」という強迫観念に取り憑かれた「スピード狂」に見えてしまうのは、私の視力が悪いせいだけでしょうか。

新潟から帰ってくるとすぐに、今朝がた分解したパソコンの筐体に新しい電源ユニットを組み込みます。組み立て直して電源を入れると、当然ですが電源ユニットのファンが回り始め、それからしばらく経っても、昨夜まで聞こえていた音は聞こえてきませんし、ファンが回っている音は聞こえませんが、筐体の側面に触れると暖まっていない代わりにファンが回っている感触があります。やっと、あるべき姿に還りました。

5月1日(木)〜2日(金)
雪国新潟も、5月ともなるとすっかり暖かくなってきて、もう平場では雪などどこにも残っていません。私も通勤の際にダッフルコートを着るのは止めてジャンパーを着るようになりました。
ということは桜が散る4月の末まで、ダッフルコートを着て通勤していたということで、学生時代にこんな事があったことといい、私の感覚はどこか人と違っているのかもしれません。風呂から上がってパソコンに向かう時には、まだ寝巻の上にダッフルコートを着ていますし。
そんな具合に暖かくなってきたこの頃、4月のいつ頃からだったかは定かでないのですが、CDをかけながらパソコンに向かって作業をしている時やゲームをしている時、パソコンの筐体の中から、本来聞こえてくるべき音とは違う音が聞こえることに気がついていました。パソコンというのもいろいろな音を立てる機械ですが、電源を入れてしばらく経つと、CDの音楽やゲームのボイスよりも大きな、「ピーピーピーピーピーピー」という音が聞こえてくるのは、どう考えても正常な状態ではなさそうです。
聴いていたCDを取り出すと妙に熱くなっていることから、どこかの温度が上がりすぎて警報が鳴っているのかもしれないという予想はできたのですが、今まで4度の夏を越す間、こんなことは一度もなかったので、何となく音に耳を向けないようにして過ごしてきました。
しかし2日の夜、チャット中にまた音が鳴り始めたので、音の発生源とおぼしきパソコンの裏側を見ると、電源ユニットのファンが回っていません。電源ユニットが接する筐体の側面は、職場で使っているノートパソコンよりずっと熱くなっています。
これは明らかに異常事態、それも原因がはっきりと見えたので、チャットが散会になるとすぐにパソコンのスイッチを切り、夜も夜中にパソコンの解体に取りかかりました。
パソコンの裏側はうずたかく埃が積もっているので、まず筐体の内外と電源ユニットの埃を払い、さらにこれをやると保証外になるとされている、電源ユニットのカバーを外してファンを取り出し、そのあたりの埃を払ってみます。それからまた組み立てて電源を入れてみましたが、ファンは回りません。
幸い明日は休日なので、新潟市のソフマップまで電源ユニットを持っていくことにしました。
(5月3日アップ)

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