2002年7月前半の日記
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7月15日(月)
また日記の更新が滞っていますが、管理者は一応生きています。
それにしても今年の梅雨は、どういうわけかあまり「梅雨」という実感がなかったのですが、台風が2つ続けて東日本を縦断してから急に暑くなって、一気に梅雨が明けたような気がします。暑さのせいか早くも夏バテ状態で、今からこんな調子では8月になったらどうなるのやら、先が思いやられます。
(7月20日アップ)

7月14日(日)
今日は朝から、聖籠町の運転免許センターへ免許の更新に行ってきました。
前回の更新から5年間無事故無違反だったので、「優良運転者」ということで、いわゆるゴールド免許証です。それで更新手数料も安く、講習もビデオを1本見るだけで終わり。さらに新潟県では「SDカード」といって、1年以上無事故無違反である運転者が自動車安全運転センターに申請すると発行してもらえるカードがあって、加盟しているガソリンスタンドなどでそれを提示すると値引きになる、という特典制度もあります。
私も優良運転者に該当するわけですが、“優良”と呼ばれることには、大変な気恥ずかしさを感じます。
それというのも要するに、前回の更新から5年間、自動車を運転したことが一度もない、完全なるペーパードライバーだからで、運転しなければ事故も違反も起こさないだけの話です。私に限っては、「優良」に「ペーパー」とルビを振った方がいいです。
そういう完全なペーパードライバーが自動車社会、言い換えれば「自家用車を運転することを前提としている社会」に生きているとどうなるかといえば、今日の更新に行くにしても、新潟駅から運転免許センター行きのバスは日曜日には3本しかないので、更新が終わってから帰りのバスまで1時間以上待たされることになります。
考えてみれば運転免許センターに自家用車で来ない人というのは、ペーパードライバー以外は、これから免許を取るために試験を受けに来る人か、免許停止になって講習を受けに来る人のはずですから、免許センターで用件を済ますにはそれなりに時間がかかるはずで、そういう人たちに合わせてバスのダイヤを組んであるとすれば、講習が30分で終わる優良運転者が長時間待たされる仕組みになっているのは仕方がないのかもしれません。
(7月15日アップ)

7月8日(月)〜13日(土)
なんだか日記更新の間が空きすぎて、日記の書き方を忘れてしまいそうな気がします。
出来事と日記の書き方を忘れてしまう前に、この日記が忘れられてしまう前に、ちょっとずつでも更新しておきましょう、生存証明を兼ねて。
月曜からの夜の自由時間は、主に「flutter of birds」のプレイ続行、その合間に遅れ日記の打鍵と月例更新。
flutter of birdsについては、まず9日に森野大気シナリオの第1のエンディング(書き忘れましたが、6日に初プレイで到達したアナザーエンドは、大気のシナリオでした)を見て、13日に南田白風シナリオのエンディングを見ました。
感想(ネタバレあり)はここです。(感想は7月23日アップ)
ちなみに13日の夜、週末にもかかわらずどこのチャットルームにも顔を出さなかったのは、朝から夕方までゲームを続けた後、時間まで仮眠しようとしたのが裏目に出たからです。
いや、起きたら翌朝だったというのではなくて、午後10時頃に目を覚ましたのですが、目が覚めたのがあまりにも嫌な夢を見たせいだったので、起きてパソコンに向かう気にもならずに寝直したという──
私って、こんなに線の細い人間だったのかと、我ながら不思議な気がします。
(7月15日アップ)

7月7日(日)
昨夜のチャットでは「巨大娘」という、読んで字のごとく巨大な体躯を持つ女性を題材にした創作を扱っているサイトの話題が出ました。
巨大といってもその程度は様々で、文章作品の場合、叙述されている身長で言うと5メートルくらいから数千メートル(!!)にわたります。その出自も、通常の人間が何らかの原因で巨大化した(その場合、元の大きさに戻ることが可能な場合と不可能な場合があります)ものと、人間に似た外見を持つ地球外生命体に大別され、身長数千メートルというような超巨大キャラクターは後者であることが多いようです。
科学的なことはこの際、考えないことにします。洋の東西を問わず伝説や神話の世界には、巨人や小人が登場するものは枚挙に暇がないほどで、特に巨人はその大きさが、通常の人間(産業革命より昔の)が恐れると同時に憧れる強大な「力」と結びつけられて、畏怖の対象であると同時に嫌悪の対象でもあるというような、善悪両面の存在となっていると思います。
個々の生身の人間としての大きさと力は変わっていないまま、機械文明という形で地球上のどの動物よりも強大な力を人類が手にした時代である現代の巨人譚とはどんなものか、チャットの後で、いくつかのサイトを回って文章作品を読んでみました。すると中には、普通の人間が偶発的な原因で巨大化した後、同じような巨人が周りに誰もいない孤独と、普通の人間から怖れられ嫌悪されることを悲しむ、という主題の作品があります。ファンタジー的な時代設定(つまり高層建築がない時代)を用いた作品で、身長数十メートルのヒロインの「私の目の高さに何もないんです」という台詞がとても印象に残った作品がありました。
……そういう作品ばかりではなかったんですけどね。
神話や伝説よりはもっと後で、地球外生命体が出てくるSFよりはもっと前の時代の巨人譚といえば、スウィフトの「ガリヴァー旅行記」が有名だと思います。小人国に行った主人公ガリヴァーが巨人として畏怖される第1巻にすぐ続けて、同じ身長のガリヴァーが巨人国に行くとそこでは小人扱いされる第2巻が書かれたのは、「巨人や小人は相対的関係にすぎない」ということを明確に示してみせたようで、古典文学としては卓見であったと思います。
もっとも私が、子供の頃ではなくて大学生の頃にガリヴァー旅行記全4巻を読んで、いちばん印象に残ったのは、第1巻と第2巻ではなくて、第3巻の後半に出てくる不死人の話だったのですが、これはまた別の機会にでも書きたいです。
(7月9日アップ)

7月6日(土)
週末になって、やっと「flutter of birds」のプレイを再開しましたが、初プレイの結果はアナザーエンド(攻略本では「バッドエンド」という表現はしていません)だったので、まだ感想をまとめられる段階ではありません。
それでこの夜のチャットでは、既にflutter of birdsをコンプリートしている人が、一日も早くネタバレを含む話をしたくてうずうずしているらしいのに、私は「ネタバレは勘弁して」と懇願するようなことになった次第です。
ネタバレとは別にその人が言うには、flutter of birdsには「最高のストーリーと最悪のシステム」という芳しからぬ評価があるようです。私もプレイしていて感じたのですが、基本的に1日に3回の行動ができるようになっていて、行動の結果として起こるイベントにはランダム性があるにもかかわらず、1日が終わるまでセーブできない(ロードは1日の途中でもできますが)システムは、私がやっているように攻略本と首っ引き(軟弱)でプレイするのでなかったら、かなり煩わしいと感じるかもしれません。シルキーズがflutter of birdsに続いて発売した「愛しの言霊」はシステム的にはflutter of birdsによく似ていて(こちらは1日に最高6回行動を起こせます)、ランダムなイベントもあったような気がしますが、1日の途中でもセーブできるようになっていました。
そもそも、シナリオを読ませるタイプのゲームにランダム性は必要ないばかりかむしろ煩わしいという意見は、「WHITE ALBUM」に対する否定的評価としても、耳にしたことがあります。WHITE ALBUMはセーブ/ロードの自由度の高さに関しては、それこそ会話の途中でもセーブできるようになっていたと覚えていますが。
(7月8日アップ)

7月1日(月)〜5日(金)
7月になった途端、急に暑くなったわけでもないし、仕事が突然修羅場になったわけでもないし、何か大きなお祭り騒ぎが終わってしまって虚脱状態に陥ったというわけでもないのに、不思議なほど趣味全般の意欲が減退しています。
数日遅れのウェブ日記をちょこちょこと更新するだけで毎日が終わってしまい、「flutter of birds」のプレイも停滞している今の状態は、いつまで続くのでしょうか……。
(7月7日アップ)

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