私本落窪物語

第十四章 出奔
 十月二十日、病の重くなった帝は突然譲位し、落飾して太上法皇となった。新帝の即位礼の後、老齢の関白左大臣、病気勝ちの右大臣も致仕(辞職)の意を表した。十一月の中旬、関白左大臣道孝公は致仕、落飾し、長子道信卿が左大臣に進み、隆国卿失脚劇の仕掛人道経卿は右大臣になった。道頼君は中納言兼左衛門督として、公卿に名を連ねることとなった。道経卿を中心とする摂関家公卿の思惑通り、新東宮には、時子女御が九月に産んだ若宮が、五十日の儀と同時に立坊した。
 世間は挙げて新帝の即位を祝う雰囲気に包まれているが、それとはおよそ無縁な人々もいるのだった。中納言邸である。隆明君との密通が露見して、乳呑み児を抱えたまま勘当された珠子姫は、まさに生涯最大の危機に直面していた。夫の兼時君は、隆明君を連行してきたあの日以来、中納言邸には全く音沙汰がなく、庇護を求められる状況ではない。さりとて隆明君は、臨時の除目で佐渡権守に左遷され、事実上の島流しになってしまい、一族揃って都から姿を消してしまったので、何の庇護も求めようがない。一応姫自身は、中納言邸内の離れに、事実上の軟禁状態になっているのだが、この邸内ではもう誰にも顔向けできず、心痛の余りすっかりやつれて、乳もよく出なくなってしまった。きっと落窪の君も雑舎に押し込められていた時には、こんな気持だったに違いない、私自身こんな目に遭うともし知っていたら、落窪の君を陥れるような事はしなかったのに、同じお父様の子だったのに、何故あんな事をしたのだろう、もし落窪の君が生きているのなら、どうか一度会いたい、会って今迄私がしてきた事を、全てお詫びしたい!
 庇護を失って困窮しているのは、少納言も同じであった。いやむしろ少納言の方が、石もて追われるかのように中納言邸を叩き出されて、まさに路頭に迷っていただけ、一層窮していたと言えよう。親しい身寄りといえば従妹の少将一人、これもまた主人が事実上の島流しになったため、主人に従って遥か佐渡の地まで下ってしまい、もはや音信不通である。
 少納言は、二条邸で女房を募集していると聞いて、あれこれとつてを頼ってようやく就職することができた。夕刻、二条邸へ参った少納言は、まず女房頭に会う。
 女房頭と言って出てきたのは、他ならぬ明子であった。明子と目が合った少納言は、思わず、
「あら!? 阿漕さん!」
 中納言邸の女童だった時分の名で呼ばれても、明子はにこやかに、
「そういう貴女は、少納言さんじゃないの。まあ、奇遇ですこと。懐しいわあ」
 だが、他の女房の手前、体面を繕って、
「わ、私が、女房頭の衛門です」
 少納言も、お辞儀して、
「少納言と申します」
 少納言が、与えられた曹司に退って間もなく、北の方様が少納言に御目通りをお許しなさると、女房の一人が連絡に来た。少納言が寝殿に参上すると、
「他の方かと思いましたよ。昔の事は決して忘れはしませんけど、なかなか、こうしているともお知らせできないで気懸りに思っておりましたのに。こちらへいらっしゃい」
と、聞き覚えのある声がする。この声の主は、誰? 簾をくぐって入り、見ると、大人びた様子で立派な装束に身を包み、赤ん坊を抱いて坐っているその人、落窪の君その人である。中納言邸の狭い部屋に、みすぼらしい有様でいた頃の様子がまず思い出されて、何という優れた宿運をお持ちの方なのだろう、と感嘆すること限りない。
 律子姫も少納言に再会したのを、大層懐しく思って、他の女房達を退らせて、中納言邸のその後の様子を話させる。典薬助のすっとぼけた弁解の話をすると、明子も少納言も大笑いするのだった。
「珠子姫の最初の結婚の話が、姫自身が絶対嫌だと言ったのでお流れになったという話は、私も耳に挟みましたけど、変な話ですね。夫は婿君を、大層立派な御方だと誉めておりましたのに。特に鼻が御立派な方だと」
 姫が不思議がって言うと、少納言は笑って、
「中納言様は姫様をおからかいなさったんですわ。私の目から見ましても、四の君様の御婿君に、あれほどふさわしくない御方は他にいらっしゃいませんわ。御顔はともかく、そりゃ御顔も、馬面で鼻が大きくて、人並外れてみっともなく、……あら!
 と、ともかく、何ですか、その、お頭が弱いのが、絶対に嫌だ、と四の君様は仰言っておいででしたわ。父君の治部卿様と御一緒に、お邸にお見えになった時、四の君様は治部卿様の前で、『うすのろ間抜け』と罵りなさったので、治部卿様がお怒りになって、別れさせなさったんですって」
「まあ。あの子は、思ったことは何でもすぐずけずけと言う子だったからね」
 そこへ、道頼卿が宮中から退出してきた。少納言を見ると、
「おや、新しい女房だね。中納言殿の邸にいた人じゃないか?」
「ええ、そうですわ」
「どうしてまた、ここに来たんだろうね。そうそう、例の交野少将の話、続きを聞きたいものだな」
 卿が意味あり気な目で見るのを、少納言はあの夜の噂話を聞かれていたとは知らないので、不思議に思って黙っている。
「少納言、お退りなさい」
 姫が言うので、少納言は曹司に退った。
・ ・ ・
 何日も考え抜いた末に、珠子姫は肚を決めた。坐して朽ち果てるのを待つより、自分の意志で突破口を開こう。宿命に弄ばれるだけの生き方はしたくない、自分の運は自分で開こう。
 十二月のある日、紀子姫が夜陰に乗じて、珠子姫が軟禁されている離れにやって来た。
「珠子」
 蔀戸を微かに叩きながら声をかけると、物思いにうち沈んでいた珠子姫は、はっと我に返り、蔀戸に近寄った。
「誰?」
「私よ、紀子よ。開けて頂戴」
 近くの妻戸を開けると、紀子姫はそっと入ってきた。
「何しに来たの?」
 尋ねる珠子姫に、紀子姫は姉らしく、励ますように言う。
「珠子、元気出しなさいよ。お母様と私達、貴女の勘当を解いて下さるよう、毎日毎晩お父様にお願いしてるわ。まだお父様はその気にはなっていらっしゃらないけど、諦めないで、気長にお願いしてるからね」
 珠子姫は、姉がこんな事を言ってくれる心遣いには心底有難く思うのだった。
「有難う、お姉様……」
「可愛いい妹が勘当されてるのを、黙って見てはいられないわ」
 だが珠子姫は決然と、思いがけない言葉を口走った。
「でも私、もう決めたわ。今夜私、このお邸を出る」
 紀子姫は顔色を変えた。余りにも思いがけない言葉を耳にして、驚きの余り口もきけない。
 珠子姫は文箱から畳んだ紙を取り出した。
「これ見て。ここが、このお邸。ここが、三位中将、じゃない、中納言衛門督様のお邸」
 紙を広げ、灯の下で紙に描かれた地図を指す。
 威勢良く立ち上がろうとする珠子姫を、ようやく心が落ち着いた紀子姫は、力強く制止した。
「駄目よ! 家出なんか、絶対駄目!」
 珠子姫は、予想通りの反応とは思いながら坐り直した。
「どうして?」
 紀子姫は、力のこもった声で言う。
「いくらお父様に勘当されている身だからって言っても、家出は駄目よ。お母様は、今ではもう、貴女の勘当を解いてあげて、そうしたら貴女に良い婿君を見つけてあげようって、それだけが生き甲斐なのよ。それなのに貴女が、家出したら、お母様は、どれくらい悲しみなさるか、考えたことあるの? そんな親不孝をするのは、私、絶対許さないわよ!」
 珠子姫は、先刻の威勢はどこへやら、すっかり黙り込んで、俯いてしまった。
「大体貴女、家出して、どこへ行くつもりなのよ? もしかして、中納言衛門督様と一緒になりたいの?」
 問い詰められて珠子姫は、恥かしそうに頷いた。紀子姫は表情を和らげた。
「やはりそうか。あんなひどい事になって、結婚を取り消されたんだもんね」
「……私……あれからずっと、あの方に、手紙を差し上げてきたの。大納言様がどう仰言っても構わない、どうか私と一緒になって下さい、って。そりゃ権中将様を、れっきとした夫に持ってる私が、そんな手紙を差し上げるのはいけないって知ってたわよ。だけど、私、本気であの方が好きになったの……それに、それに、権中将様が、私を好きでないの、だんだんわかってきたのよ……」
 時々言葉に詰まりながら、訥々と語る珠子姫を前に、紀子姫の思いは変わっていった。初めは、珠子姫の生来の向こう見ずな性格から、突拍子もない妄想に取り憑かれたのだと思っていたが、実は珠子姫自身、報われぬ恋に苦しみ、自力で道を切り開き、自分の思いを遂げようと思い立ったのに違いない、と確信していた。
「わかったわ。でもね、中納言衛門督様には、もう歴とした奥方がいて、子供までいるというじゃないの。そこへ貴女が押しかけて行ったとしても、先様が受け容れてくれるかどうか、わからないわよ」
 珠子姫は躍起になって反論する。
「大丈夫よ、だってその奥方は、私との結婚をお受けなさった去年の春にはもういたんだもの」
「その時と今とじゃ、状況が違うでしょう。貴女がお父様の娘としてこのお邸に大切にかしずかれていて、そこへいらっしゃるというのと、貴女の方から身一つで、あちらへ押しかけるのとでは」
「……」
 不意に珠子姫は顔を上げ、決然と言い放った。その目には涙さえ浮かんでいる。
「いいもん、私、女房の一人になってでも、中納言様のお邸へ行くもん」
 紀子姫は語気を強めた。
「まだわからないの? そんなに親不孝して、お母様を嘆かせたいの? 絶対駄目よ!」
「……」
「まあとにかく、家出したいって訳はわかったわ。でもね、姉としてもう一度はっきり言うけどね、いい、決して家出なんて、しちゃ駄目よ。私が許さないからね」
 紀子姫が帰ってゆくと、珠子姫は決然と立ち上がった。
 誰が何と言おうが構うものか、私はやるわ!
・ ・ ・
 いざ出奔となると、持って出られる物は限られている。まず何より、この子の着物。私の物はその次だ。珠子姫は、赤ん坊に着せられる限りの産着を着せ、自分も着られる限り重ね着した。その他の身の回り品は行李一つに詰められる限り詰め、赤ん坊を胸に抱き、行李を背負い、土塀の崩れ目からそっと外に出た。
 二条の道頼邸までは、かなり遠い。日頃歩き慣れていない姫にとって、しかも子を抱き、重い荷物を背負って闇夜の道を歩くのは大変な苦労である。地図を頼りに、見当をつけながら歩いても、一向に二条邸には着かない。そのうちに、雪が舞い始めた。
 小路の角を曲った途端、周囲を不穏な気配が取り囲んだ。はっと立ち止まった珠子姫の前に、立ちはだかる男がある。男はやにわに腰の太刀を抜き払った。姫は全身が縮み上がる思いで、胸の赤ん坊をしっかりと抱き締めた。
「ほう、上玉じゃねえか、いい物着てるぜ」
 別の男が、紙燭を姫の顔に近づけて言う。
「駄目だ、瘤付きだ」
 最初の男が、姫の胸元を見て言う。
「ちぇっ、瘤付きじゃしょうがねえ。
 やい女、命が惜しけりゃ、身ぐるみ置いて行け!」
 最初の男が抜いた太刀を、姫に突きつける。姫は後ずさりする。
「おっと、逃がしゃしねえぞ」
 後から別の男が姫を抱き止める。姫は進退窮まり、一層力強く赤ん坊を抱きしめたまま、じっと立ち竦んでいる。
「やっちまえ!」
 突如、後頭部に強烈な一撃を受けて、姫は地面に崩折れた。体中が痺れ、その感覚も次第に鈍り、男共の声も遠ざかってゆく……。
・ ・ ・
 道頼卿は、宮中の宴会ですっかり遅くなって退出してきた。二条邸のすぐ近くまで来た時、先駆に走っていた惟成が、道にうずくまっている女を見つけた。惟成が松明を持って近寄ってみると、女は袴一つしか身に着けず、何かをしっかりと胸に抱え込んだまま失神している。きっと追剥に遭ったに違いない。惟成は道頼卿の車に駆け寄り、卿に報告した。
「追剥に遭った女だと? 車を寄せなさい」
 卿は車を寄せさせた。惟成が女を抱き起こすと、女は胸に赤ん坊を抱きしめたまま、正気を失った態で震えている。女の顔と、赤ん坊の産着を見た卿は、この女は庶民の女ではない、何か深い事情があるに違いないと察した。卿は車の簾を掲げ、
「惟成、その女を車に乗せてやりなさい」
 惟成、この女をどうなさる積りかと訝しく思ったが、手を貸して女を車に乗せる。卿は今日の宴会で帝から賜った衣を、震えている女に着せかけてやる。
 邸に着くとすぐ、卿は丁度起きていた明子を呼びつけて、事の次第を話した。
「お殿様も物好きなこと」
 明子は呟きながら、それでも火桶や湯を持って、女のいる出居へ来て、手拭を絞って顔を拭かせようと面を上げさせてみると、明子も女も、驚くまいことか!
「四の君様!」
「阿漕!」
 珠子姫は、もうかなり前に、中納言邸から姿を消した明子と、思いもかけぬ様で再会した驚きと喜びに満たされたが、次第に、自分がこんな有様にまで身を堕したことの恥しさがこみ上げてきて、俯いてしまった。
「姫様、一体どうなさったんです? どうしてお邸をお出になったんですの?」
 明子が姫の髪を拭きながら尋ねると、姫は、
「阿漕、お前だから言うのよ……」
と前置きして、隆明君との密事から始まって先刻夜盗に襲われたことまで、詳々と語った。
「この子のためにも、自力で運命を切り開かなくちゃ、と決心してね」
と姫は、折しも目を覚まして泣き出した赤ん坊に、乳を含ませながら言った。
「どんな目に遭うとしたって、所詮、自分で播いた種だもの」
 明子はしみじみと、
「姫様、よくそこまで決心なさいましたね。このお邸に姫様が助けられなさったのも何かの縁、私も姫様のために精一杯尽くしますわ」
「……有難う……」
 姫は顔を上げて、前に坐っている明子に、
「ところで阿漕、お前はお邸から攫われてから、どうしていたの? お前と一緒に攫われた、落窪の君は?」
 明子は、今ここで全てを明かしてしまうと、お殿様が中納言様一家に復讐を続けようとしていなさるのを、潰えさせるような事になりはしないかと心配になり、自分の事についてだけ適当にごまかしながら語った。勘の鋭い珠子姫は、すかさず勘づいて言った。
「お前、落窪の君のこと、本当に何も知らないの? 落窪の君のこと、私に知られると困るとでも思ってるんでしょう」
 明子は図星を指されて黙った。姫は重ねて、
「私、落窪の君にはもう、悪い心は一切、持ってないのよ。もし落窪の君が生きているのなら、どうかして逢って、今迄の事を全部、謝りたいと思ってるのよ。ねえ、落窪の君のこと、何か知っていたら、隠さないで教えて頂戴。この通り、お願いだから」
と言って明子の前に手をつく。
「姫様、お顔を上げて下さいな」
 明子が困って言うのにも、姫は構わず、
「もし私が、落窪の君のことをお父様やお母様に告げ口するかも知れないと、そう思ってるのなら、私、約束するわ。落窪の君のことで何を聞いても、誰にも決して言わないから。だからどうか、教えて頂戴!」
 明子がいよいよ困惑しているところへ、女房の一人が来て言った。
「衛門さん、お殿様がお呼びです」
 やれ助かった、と思いながら明子は、道頼卿の部屋へ行った。
「随分かかったね。あの女の身元とか、何かわかったかね」
 卿は尋ねる。明子は人払いさせてから、卿ににじり寄って、小声で言った。
「あの方は、源中納言様の四の君様でした」
 明子が詳々と語るのを聞きながら卿は、自分が惹き起こした事件の波紋の大きさに、複雑な思いであった。
「どうしましょうか? 四の君様に、姫様のことをお話ししてもよいでしょうか?」
 語り終わった明子は、気懸りになっている事を言った。卿は、
「そうだなあ……。もしも四の君を通じて、こちらの事情を中納言殿に知られてしまうと、計画の遂行上どうも具合が悪いな。でもまあ、いいか。四の君は中納言殿に勘当されて邸を出奔した身、中納言邸へ戻って律子のことを告げ口することはよもやあるまい。話してやりなさい」
「かしこまりました」
 安心した明子に、卿は思い出したように、
「そうだな、四の君はもしここを出たとしても、行く当てもないだろう。律子の縁続きとして、余り人目に付かないようにこの邸に置いてやろう。装束を一式、見つくろって持って行ってやりなさい」
 明子としてはやや複雑な気持であったが、卿に言われるままに装束一式を見つくろって、出居へ持って行った。
「姫様、落窪の君様のことですが」
 言いかけた明子に、綏子姫は飛びかからんばかりに、
「やはり知ってたのね! 教えて頂戴!」
「中納言様や北の方様に、決して告げ口なさったりしないと、約束なさいますか?」
「約束するわ」
 明子は声を落として、
「落窪の君様は、このお邸の御主人、中納言兼衛門督様の北の方でいらっしゃいます」
 珠子姫は激しい感動に衝き動かされ、溢れる涙を拭おうともせず、
「ああ! お姉様、何て素晴しい運をお持ちだったのだろう! それなのに私は、お母様と一緒になって辛く当たったりして! 阿漕、いえ、衛門、今すぐお姉様に会わせて!」
と、明子を押し倒さんばかりに懇願する。
「ひ、姫様、ちょっとお待ち下さい! まず、これを、お召しになって」
 明子が差し出す装束を、珠子姫はいそいそと着る。
「御対面の事は、お殿様に伺って参ります。今しばしお待ちを」
 明子は寝殿へ戻り、道頼卿に言う。
「突然では律子も驚くだろう。まず衛門から、律子に話してやりなさい」
 卿に言われて、明子は律子姫の部屋へ行く。
「姫様、大切なお話があります。お人払いを」
 明子は姫に正対して坐り、事の顛末を語る。
「ええっ!? 珠子姫が!?」
 律子姫も大いに驚いた。
「姫様に、今すぐお会いしたいと仰言っておりますが」
「私もよ。すぐ、お呼びしなさい」
 明子は出居へ走った。
 明子に導かれて律子姫の部屋へ入ってきた珠子姫は、入ってくるなり律子姫の前に平伏し、涙にむせびながら、
「お姉様、会いたかった! 御免なさい!…」
 あとは言葉にならず、泣くばかりであった。
・ ・ ・
 珠子姫は北の対の一角に曹司を与えられて、律子姫の妹としての相応な待遇を受けることになった。ただし外には知らせず、内密にしておいてある。珠子姫は、かつて律子姫に異腹の姉として辛く当たったり侮ったりした時とは心をすっかり入れ替えて、実の姉に対する以上に親密に、敬意を払って付き合っている。ただ、かつては婚約もし、破談になってからもずっと恋い慕ってきた道頼君が、律子姫と水も漏らさぬ仲であることには、初めのうち嫉妬に似た思いに胸を苦しめることもあったが、二人も子を成した仲に、今更自分が太刀打ちできないと、やがて諦めてしまった。律子姫の方も、昔の事は綺麗に忘れて、広い心で妹を包み込むのだった。
 忠頼卿の邸の方では、軟禁しておいた珠子姫が姿を消したので、忠頼卿も北の方も、殆ど病人のような様子で失意の日を送っていた。
(2000.7.29)

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