釧路戦記

第三十七章
 程なく、無線機が鳴った。
「こちらTYH」
〈CKだ。近くの隊員を集めて、至急鳥取方面へ向かえ。以上〉
「了解」
 鳥取というのは市街の西を流れる新釧路川の西岸である。私はまず民兵軍司令部跡へ行き、ここで部下を召集した。
 十五分後、部下が集まった。谷口班は谷口以下、浅野、西川、屋代、中山、早川、矢部。河村班は河村以下伊藤、貝塚。酒井班は酒井以下、上野、岸本、桐野、久保田。古川班は古川以下、宇田川、大島、君塚、渡辺。以上私を含めて二十一人が健在だ。他の部下は、中村、宮川、荒木、阿久津の四人が病院へ送られ、前から病院にいる山岡、高村と合せ六人になった。吉村は、昨夜戦死したそうだ。戦死者は、他には小笠原・細谷・鶴岡・吉田・加藤の五人。石田はまだ民兵軍本部から脱出していない。そして、行方不明なのが山田、片山、及川、森本の四人。
「では出発だ。新釧路川の向うへ進撃だ」
 二十一人の一群は、所々で銃火を交えながらも進撃し、鳥取橋の東、住之江町に到着した。辺りには、二−三百人からの友軍がいる。上村小隊長が、私の傍へ歩いて来ると言った。
「中隊長が呼んでいる」
「了解」
 私は上村に従いて行った。
 私が来たのを見ると中隊長は言った。久し振りに聞く声である。
「矢板だな。作戦を伝える。
 今朝、防衛庁から情報を得た。それによると、昨夜、第二、第五、第七、第十一各師団が出動した。大楽毛付近に包囲線を形成しつつあり、この方面では第五師団の第四連隊と第七師団が今日突撃する。そこで、その部隊と協同で、敵を挟撃するのだ」
 とうとう自衛隊のお出ましと相なったか。
「一一○○を期して突撃を開始する筈だ。それ迄に、鳥取橋を確保する」
「了解」
「自走砲が二両ある。それを先頭にする。矢板小隊と、大原小隊に貸す」
「了解」
 私は小隊のいる所へ戻って告げた。
「自走砲を使うことになった。乗員を決める。操縦手は酒井。射手は岸本。車長は俺だ。
 皆頑張れ。心強い援軍が来るぞ。陸上自衛隊第五師団だ」
 皆の顔が明るくなった。特に元自衛官の酒井は感慨深げだ。
「さあ、行くぞ」
 橋のたもと近くに私達は移動した。二台いる自走砲の片方には、もう大原小隊の仲間が乗り込んでいる。私はもう一方に乗り込んだ。この自走砲というのは、酒井に言わせるとまるで豆戦車であるというほど小さな物である。車体の長さは四メートル強、幅は二メートル半、車輪は十輪、その箱形の車体に七六ミリ砲が載っているが、砲身の旋回角度は左右に十五度ずつしかない。一回転する戦車との大きな差である。
 酒井が操縦席に乗り込み、岸本が私の隣に乗り込んだ。川向こうには敵部隊が展開している。私は鉄兜の顎紐を締め直した。
 午前十時五十分。中隊長の声が聞こえた。
「自走砲、発進!」
 私は叫んだ。
「自走砲、発進!」
 ディーゼルエンジンと無限軌道を響かせて、自走砲は動き出した。酒井が言う。
「自衛隊のより遅いし立ち上がりが悪いですね」
 私は言った。
「エンジンの出力が全然違うから仕方ない」
 隣を並走するもう一台の自走砲は、七六ミリ榴弾砲の代りに二五ミリ連装機関砲を載せている。歩兵部隊に対する掃射用に作られたものだ。二両の自走砲の後からは、部下達が銃を構えながら走ってくる。
 前方から、敵兵が押し寄せてきた。すかさず、隣の二五ミリ機関砲が火を吹く。こちらの自走砲には機関銃は無い。私と岸本は小銃を連射した。敵は次々に倒れていく。その死体を次々に轢き潰しながら自走砲は走る。敵兵は逃げ始める。それを狙って次々に銃を射る。倒した敵兵を無限軌道は次々に轢き潰してゆく。
 突然、車内に飛び込んできた物がある。私はそれを素早く拾うと、力一杯投げ返した。敵の手榴弾であった。これの爆発で敵が二人ばかり死んだ。冷汗がどっと噴き出した。
 たちまち、鳥取橋を渡り切った。と、前方の路上に車が駐めてある。私は命じた。
「停まれ! 手榴弾を投げてみよう」
 約十メートルの所で自走砲を停めると、私は手榴弾を車の運転台目がけて投げつけた。
 いきなり、猛烈な大爆発が起こった。鉄片やガラス片が飛んで来た。耳鳴りが治まってから顔を上げてみると、車は跡形もない。車を装った対戦車地雷だったのに違いない。勢いに任せて突っ込んでいたらどうなっていたことか。道路には穴が開き、周辺の建物の窓ガラスは目茶目茶に割れている。
 鳥取橋西詰の丁字路の、右側の角にある建物の窓からは、軽機の銃身が突き出している。
「あれは敵がいるな。やるか。右旋回」
 砲身を建物に向け、少し射角をかける。
「て――っ」
 轟音と爆風。建物の一部が煙に包まれた。続けて数発射ち込む。建物は瓦解し始めた。
 敵は退却を始めた。
「全力突撃!」
 エンジンが唸り、自走砲は敵を追って走る。一人また一人と落伍する敵兵が出、それを次々に射倒す。全く何の抵抗も受けない。無人の野を行くとはこの事か。
 前方に、土嚢や瓦礫を積んだ土手が現れた。私は酒井に命じた。
「構うな、突進しろ」
 自走砲は土手を目指して突進してゆく。土手の陰から敵兵が銃を射かけてくる。
 やがて自走砲は、激しい衝撃と共に土手に衝突した。あっと言う間に土手は崩れ、自走砲は崩れた土手を乗り越えた。土手の陰に隠れていた敵兵が数人、呻き声と共に自走砲に轢き殺された。血しぶきをあげて自走砲は走る。
 突然、車体後部が異様な音を立てた。
「何だ? どうなったんだ?」
「わかりません!」
 エンジン音が止んだ。自走砲は止まってしまった。酒井が舌打ちする。
「畜生! エンジントラブルだ!」
 この時とばかり、敵兵が車体をよじ登ってくる。私は銃に着剣し、登ってくる敵兵を切り払い、射落とした。岸本も銃に着剣して振り回す。酒井はエンジンを直そうと懸命だ。
 後から来る筈の友軍が来ない。どうしたのだ。頭の片隅だけにとどめ、敵を倒すことに専念する。車体の周りには死体が散乱し、その上に死体が重なり、その上に敵兵が登ってくる。それをまた倒し、死体を重ねる。車体は血に塗れ、私の軍服も返り血に染まる。
 岸本が呻くと、仰向けに倒れた。私は生死を確認するより先に、岸本の手から銃を取り、車内奥に投げ込んだ。敵には一本の銃剣たりとも与えてはならぬ。私は叫んだ。
「酒井、エンジンは放っとけ! 岸本がやられた!」
 酒井は銃に着剣すると、それを手に取って敵兵を切り払い始めた。しかし一向に敵の勢いは衰えない。幾ら斬っても幾ら斬っても、次から次へと敵兵が押し寄せてくる。
「友軍はどうしたんだ!! 友軍は!!」
 私は殆ど無意識のうちに絶叫した。
 左の腿に、熱鉄が刺さったような痛みを感じた。腿の内側に銃創だ。血が噴き出してくる。これは動脈出血に違いない。私は銃の吊り帯を引き千切り、腿の上の端をきつく縛った。創口の上にも包帯を当てて縛った。しかし血が止まらない。次第に眩がしてきた。銃を振り回す動作も、明らかに鈍くなってきた。……腕に力が入らない。敵兵に焦点が合わない。敵兵が二重に見える……目の前が……薄暗く…………
 私の体は操縦席に滑り落ちていた。酒井は気付いていないようだ。こんな所で死んでたまるか。濠朧たる意識の中、私は折り畳みナイフを取り出し、右の腿に突き立てた。右足から衝き上がってくる痛みに、私の意識は幾らか冴えてきた。私は銃を取ると立ち上がった。目の前の敵兵の顔が朧げにしか見えない。地獄の小鬼共が、俺を連れて行く気だな。俺はまだ死ぬには早過ぎる。やらねばならぬ事があるのだ。小鬼共め、返り討ちにしてくれよう。有りったけの力を振り絞って、銃を振り回し、次から次へと来る敵兵を斬り捨てる。
 また眩がしてきた。今度こそ本当に限界か。いいや、ここでは死なぬ。冥土への土産には何が何でも凱旋を持って行かねばならぬ。……だがまた目の前が暗くなってきた。全身の力が抜けてゆく。膝が立たない。私は自分の血の中に崩折れた。
 その時、遠くの方から激しい銃火が起こったように聞こえた。意識が薄れてきた。
 どれ位の時間だったのか、何があったのかはわからない。ふと意識がはっきりした時、上を見ると、何人かの顔が中を覗き込んでいた。目の前が霞んで誰なのかはわからない。私は死力を尽くして起き上がった。覗き込んでいる何者かは、私に打ちかかって来ようとはしない。とすると友軍か。私は呟いた。
「こいつを、守り抜いたぞ……」
 私はそのまま昏倒した。
・ ・ ・
 気が付くと私は、薄暗い幕舎の中に横たわっていた。見知らぬ顔の軍医がいる。
「気分はどうだね」
「すっかり良くなりました。有難う」
「本当に生死の瀬戸際だったんだよ。千五百は出血していた。これだけ出血したら、二人に一人は助からない。自走砲の中は血の海だった。傷は単純貫通銃創なんだが動脈が切れていてね」
 私の生命力が発揮されたのは二度目だ。いや、戦時中にもフィリピンで赤痢と肺炎に同時にかかり死線をさ迷った事がある。結局は「絶対に生き延びてやる」という精神力が物を言うのだ。「駄目だ」と思ったら、生きる者でも死ぬのだし、「生き延びる」と信じ続ければ、死ぬ者でも――体半分吹っ飛んだりしたら別だが――生き延びるのである。
「ところでここは一体どこなんです?」
「第二師団の野戦病院だ」
「えっ……自衛隊の」
「そうとも。私は第二師団衛生隊長の高橋三佐だ」
 三佐と言っても、大佐か少佐かわからない。
「私は東京第一中隊の矢板小隊長です」
 少時して高橋軍医は言った。
「一時か。補給部へ行って昼飯を貰って来よう」
「何もう一時!? 早く隊へ戻らないと」
 私は寝台から飛び上がった。
「まだ点滴が残ってるよ」
「……。連絡だけでも取らせて下さい。無線機はどこです?」
 寝台の傍に、私の装具一式があった。私は無線機を取り、中隊長を呼んだ。
「TMH、こちらTYH、応答願います」
〈こちらTMH〉
「TYHです。どうぞ」
〈矢板か! どこにいるんだ?〉
「第二師団の野戦病院です。つい先刻、目を覚したところで。あれからどうなりました? どうぞ」
〈十一時十五分頃、自衛隊の第九連隊が鳥取橋に到達した。酒井は第九連隊の先頭と一緒に戻って来た。岸本は戦死した。どうぞ〉
「自走砲はどうなりました? どうぞ」
〈酒井に訊いたんだが、クレーンが来て運んで行ったとしかわからん。どうぞ〉
「誰かに訊いてみましょう。私は出来る限り速やかに復帰します。以上」
〈了解〉
 スイッチを切って一息つく。高橋軍医はいない。急に空腹を感じた。
 点滴はごく僅かに残るだけになった。私は腕から点滴針を抜き、寝台から起き上がった。装具を身に着け、寝台を離れた。野戦病院の出口で、外から入ってきた軍医と鉢合わせした。彼は吃驚して立ち止まった。私は言った。
「討伐隊の者です」
 軍医は言った。
「ああ、先刻の自走砲の……」
「そうです。時に、飯はどこで配ってますか」
 軍医は外を指差しながら言った。
「補給隊はあそこです」
「分りました。有難う」
 私は軍医に礼を言って、補給隊のいる方角へ歩いて行った。
 補給隊では、幾つも並んだ大鍋の周りを、兵士、いや隊員が忙しげに立ち働いている。私は隊員の一人に言った。
「先刻病院に収容された討伐隊の者だが、責任者に会わせてくれないかな」
 隊員は、少し離れた所にいた別の隊員を指して言った。
「責任者はあの人です」
「有難う」
 責任者に私は言った。
「先刻病院に収容された討伐隊の者ですが、飯を頂きたい」
 すると責任者は、
「わざわざ来なくても良かったのに。これから病院へ食事を運ばせるところです」
 私は将校待遇なのだろうか。
「それには及びません。自分で持って行きます」
 私は飯を受け取り、病院へ戻って食べた。さすが国庫で賄っているだけのことはある。量も多いし、質も上等だ。負傷兵にこれだけの飯を与えていれば、負傷兵が餓死するなんて事は……いやいや、あの時はああするしかなかったのだ。
 私はすっかり満腹して、食器を返しに行った。
 幾らも離れていない所に、昼間私達が乗っていた自走砲が置いてあった。近くにいた隊員が私に近づいてきて言った。
「あなたは昼間あれに乗ってた討伐隊員ですね」
「ああ、そうです」
「故障は治りました。何の事はない、エンジンの過熱。ラジエーターに水が入ってなかっただけです」
「何だそんな事か。おそらく夜中に凍らないように抜いといて入れ忘れたんでしょう。今すぐあれで帰ります」
「もう帰るんですか」
「ああ、出来るだけ早く隊に戻らなきゃならないから。それに、あなた方にそう迷惑もかけられないし。それじゃ、衛生隊には、感謝してたって伝えて下さい」
 私は自走砲に乗り込んだ。血の海だった車内は拭き清められている。エンジンをかけた。窓から外を見ながら、ゆっくりと走らせて道路に出た。辺りを見回して東を見定め、東へ向かって走る。
 鳥取橋まではかなり走った。すると、私達は相当敵を深追いした事になるか。いずれにしても、討伐隊と自衛隊は鳥取橋を制圧し、革命軍の包囲を破ったのである。
 鳥取橋の東詰近くに、人の出入りの多い幕舎があった。私はその前に自走砲を停めた。幕舎の中には、中隊長、参謀、何人かの兵がいる。ここが中隊本部になっているようだ。私は言った。
「矢板小隊長、戻りました」
 中隊長が迎えに出てきた。
「おお、矢板か。よく戻ってきた。ちょっと休んで行け」
 私は幕舎の中で、中隊長が入れてくれた茶を飲みながら、戦線の状況を聞いた。
「大楽毛方面からは、第二師団第九普通科連隊、第二特科連隊、第五師団第四普通科連隊、第五特科連隊、それに討伐隊の近畿第三中隊、北海道第二中隊、東北第一中隊、東北第二中隊が、一○○○に攻撃を開始した。第四普通科連隊のうち二個中隊は、仁々志別川に沿って進行した。その結果は、一時間十五分で敵の包囲を突破したという訳だ。鳥取橋からはうちの中隊と第二中隊、釧路大橋からは中国第二中隊と九州第二中隊が西進した。現在、敵は、十条製紙の工場と、昭和四丁目――この辺だ、ここに包囲されて、あとは滅亡を待つだけだ。
 標茶方面からは、第五師団第六普通科連隊と、関東第一、第二、第三中隊が進攻した。第六普通科連隊の一部は新釧路川の堤防上を南進し、大楽毛からの部隊に合流した。本隊の方だが、別保から来た東海中隊、甲信中隊と共に天寧の第二十七普通科連隊救出に向かい、一二五○には包囲を破った」
「第二十七連隊は何で二日間、動かなかったんですかね」
「それはちょっと説明を要するな。
 自衛隊では、三曹――昔の伍長だ、それ以上の隊員には駐屯地外の居住を認めている。昔は曹長からだったが。それで、第二十七連隊では出動待機命令――これは二十五日の朝八時頃に出たんだが、その時駐屯地内には約九百人しかいなかったらしい。待機命令だから当然、駐屯地外の隊員は隊に戻るが、敵は本当に素早く駐屯地を包囲してしまったから、隊員は全く中へ入れなかったらしい。
 別保方面からは、第二師団第二十五普通科連隊と、中国第一中隊、大阪中隊、中国第二中隊、九州第三中隊が進攻した。先頭はもうすぐ雪裡橋にかかる頃だ。
 さて、自衛隊の残りの部隊、第二師団第二普通科連隊、第二十六普通科連隊、第七師団は、昼前から、新釧路川を渡って市内に入って来ている。第十一師団には、まだ出動命令は下っていないようだ」
 秋山参謀が口を挟んだ。
「第十一師団は、帯広に集結していますよ」
 中隊長は言葉に詰まった。私は言った。
「何にしても、自衛隊が味方に着いた以上、我が軍の勝利は疑えないでしょう」
「その通りだ。二十五日の状況は、我が軍が敵の包囲陣の中に約二千、外に五百、対する敵は数千と我が軍は数的に不利だったが、今や自衛隊三個師団二万が加わり、我が方は圧倒的有利に立った。敵はこの戦闘で雌雄を決する積りだったのかも知れんが、決戦場に原野を選ばず、市街を選んだ事によって、結果敵に自衛隊を敵に回すという大きな墓穴を掘った訳だ」
「奴等は一人だって墓穴には入れさせませんよ。陸行かば草むす屍、全て烏と野良犬の餌にするまでです」
「言っている事が違うよ」
 中隊長も、参謀もいつになく憩いでいる。ただ一人、幕舎の隅で、俯向いてふて腐れている男がいる。傍へ行ってみると、案に違わず宮本であった。
 私は中隊本部を後にした。
(2001.2.10)

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