釧路戦記

第三十六章
 午後三時、私は浦見地区にいた。ここは幣舞橋の南西にあたり、釧路川の南に発達した台地の上にある。崖の上からは、釧路川より北の町並が一望のもとに見渡せる所である。
 裏通りを歩いていると、前方で物音がした。敵がいるに違いない。私は足音を忍ばせて前進した。
 敵が姿を現した。すかさず一発。見事に頚椎を射抜いた。
 とこの音に気付いたか、四方から沢山の足音がした。何たる失策。消音器を付けていなかった。左にある筈の道へ向かって飛び出すと、前方から銃火が起こった。敵がいる。後ろからもだ。右は家だ。私は家の間の路地に飛び込んだ。
 背後から銃声がする。走る。
 突然、路地が途切れた。目の前は切れ落ちた崖だ!
 銃火が追ってきた。肩先に一発!
「わぁーっ!」
 私は咄嗟に芝居を打った。致命傷を得たかのような声を上げ、崖から転がり落ちた。
 崖は草木が生えている。転がり落ちれば緩衝材として作用するだろう。
 しかし、崖は高すぎた。岩や木やらにぶつかりながら転がり落ちた私は、崖下の地面に頭を強打した。そのまま、目の前が昏くなった。
・ ・ ・
 目が覚めた。体中が痛む。
「大丈夫、ですか?」
 十二−三歳位の娘が、心配そうに私の顔を覗き込みながら言った。
「有難う。もう大丈夫だ」
 私は起き上がった。すっくと立ち上がった途端、右膝に痛みが走り、思わず膝を押えた。娘は、私の体を支えながら言った。
「ほら、まだ駄目ですよ、無理しちゃ」
「この位、何でも無いって」
 私は痛みを堪えながら立ち上がった。娘が
「暫く休んでいかれたら」
 というのを、
「民間人に迷惑を掛ける訳には行かないよ」
 私は断り、そこを去った。ここは家の裏庭で、当の家は完全に倒壊している。この娘も罹災者の一人なのか。
 ふと気付いた。転落した時、私は相当負傷した筈である。それなのに、今は体のどこからも出血を感じない。額に手をやった私は、そこに包帯が巻かれていることに気付いた。あの娘が処置してくれたのに違いない。私の心は、赤の他人の娘の好意に対する感謝の念に満たされた。
 周囲に警戒の目を光らせながら、南大通へ出た。幣舞橋から駅へ通ずる北大通と対になっているが、道は狭く、普段も余り賑やかでは無さそうな通りだ。私は南大通を西へ進み、港町の辺りで左へ折れて台地の上へ登った。
 崖の上を哨戒していると、敵兵の気配を感じた。私は崖のすぐ上の物陰に隠れ、近くの植え込みをかき鳴らした。
 忽ち敵兵の足音がした。私は物陰に隠れ、銃を振り上げて待ち構えた。
 敵兵が来た。一人だ。崖っ縁に立ち止まった敵兵の背を、私は銃の台座で思い切り殴った。敵兵は前へ倒れ、忽ち視界から消えた。
「あ――っ!」
 絶叫だけを残して。
 また敵が来た。二人だ。崖下を覗き込んでいる。私は手前の兵の頚を銃の台座で薙ぎ払った。一瞬後に、もう一人の兵の背中に回し蹴りを喰わす。二人とも視界から消えた。私はそのまま立ち去った。あの三人は、もし落ちただけでは死ななかったとしても、私と違って誰も助けようとはしないだろう。
 暫くして私は再び南大通に入った。敵兵の気配が漂う。私は路地に隠れ、敵の動向を窺った。銃を単発にし、引鉄に指を掛けて待機する。
 敵兵が一人、先の方の路地から顔を出した。すかさず引鉄を引く。その兵は額から血を噴いて倒れた。
 銃火が起こる。敵の居所を見定め、敵兵が頭を上げた時を狙って発射。一人倒した。もう一人、またもう一人。敵は私に、擦り傷一つ与える事もできない。余程の技倆の兵なのだろう。
 十人ばかり倒した。この瞬間私の頭に、一つの考えが閃いた。敵は突進して来るかも知れない。私は、銃を連射に切り換えた。
 予想通り、敵は隠れていた所から飛び出すと、一斉に突進して来た。こうなれば機関銃の威力は絶大である。一連射。四人倒した。
 弾丸が切れた。ポケットから弾倉を取り出し、急いで装着し、第二弾を連射する。今度は三人。次の一連射。今度は五人。
「駄目だ! 退…」
 指揮官らしい下士官が叫んだ。その叫びの終わらぬうちに、私の弾はその胸を射抜いていた。
 逃げてゆく敵兵にまた一連射を与えて二人倒し、ほっと一息ついていると、突然後頭部に一撃を喰った。
 敵がまだいたのだ!
 あっという間に私は羽交い絞めにされた。前から襲ってきた兵が、私の銃を奪い取った。
「三線か。ちょっとした奴だな」
 一人の兵が言う。
「やるぜ」
 銃を持った兵が言う。私の両腕は数人の兵に押えられて動かない。足は……。
 銃を持った敵兵は、私から数メートル離れた。これでは足も届かぬ。絶体絶命。討伐隊東京第一中隊矢板小隊長、元陸軍伍長矢板正則は、こんな死に様を曝すのか。そうはさせまい。しかし何ができる……
 銃声!!
「うあっ!」「わぁーっ!」
 私の体には、弾丸は擦ってもいない。私の左腕を押えていた兵の一人と、銃を射た兵の二人が同時に奇声を発した。何事ぞ!?
 銃を持っていた兵の左側に、角材を握って立っていたのは何と、先刻の娘ではないか!!
「何だこいつは!!」「やっちまえ!!」
 敵兵が喚く。手の力が緩んだのを私は逃さなかった。両手を振りほどくと、銃を持っている兵の顔面に飛び蹴りを叩きつけた。その兵は吹っ飛んだ。
 私は振り返りざま腰の銃剣を抜くと、一人の兵の喉を掻き切った。頚から血を噴いて、その兵の体はどうと倒れた。私は銃を拾うと、残った兵に向かって連射した。瞬時にして二人倒れた。
「きゃ――っ!」
 甲高い声。私は振り向いた。二人の兵が娘を電柱に押えつけている。一人の手には蛮刀がある。私は銃剣を握り直すが早いか、蛮刀を持った兵の延髄を狙って投げつけた。狙いは過たず銃剣はその兵の後頭部に突っ立ち、その兵は声も立てずに即死した。娘の顔に血が飛んだ。もう一人の兵が向き直った。私は兵の顎に鉄拳を炸裂させた。私の拳は兵の顎を砕き、兵は顎を押えて立ち止まった。私は兵の鳩尾に蹴りを叩き込んだ。兵はもんどり打って仰向けに倒れ、未消化物を吐き散らしながら悶絶した。
 私は、立ったまま死んでいる兵の体を地面に引き倒した。銃剣は、後頭部から鼻へ突き抜けている。至近距離からの銃剣投げの威力は拳銃以上だと確信している。
 敵兵に押えつけられていた娘は、ぺたりと地べたに坐り込んだ。恐怖に体が縮んでしまったかのように、肩を震わせている。私は娘に手拭を差し出して言った。
「顔を拭けよ」
 娘は震える手で顔を拭いた。
「怖かった……」
 娘の唇から、かすかな言葉が漏れた。
 私は言った。
「何故、一度ならず二度までも、二度目は命の危険を冒してまで、俺を助けたんだ? この赤の他人の俺を?」
 娘は私を見上げて言った。
「何故って……私にも分からない……だけど……」
 ちょっと待て! もしかしてこの娘、私に惚れたとか……? 滅相な。私としても応対に困る。
「おいおいこの俺に惚れたなんて言ってくれるなよ」
 娘は黙って私を見つめている。十二−三の子供に言うには見当違いだったか。
 日が暮れて、辺りは暗くなってきた。
「四時か。……それじゃ、敵兵に気をつけてな」
 私は銃剣を鞘に収め、銃を背負ってそこを立ち去った。
・ ・ ・
 午後十時。辺りにはすっかり夜の帳が降りた。朝からの雲は去り、空には星が輝いている。それに伴って冷気が辺りを包み、襟から吹き込む風は冷たい。朝から出づっ張りなので、そろそろ睡気が忍び寄ってくる。鶴ヶ岱の丘の周辺を哨戒していた時、私は脳裏に、先刻の娘を思い浮かべた。
(あの娘……先刻、命賭けで俺を救ってくれたあの娘は今頃どうしているかな……。この夜の寒さは辛かろう……。まだ十二−三なのにあの娘には身寄りも無くなったのだろうか……? 思えば気の毒な身の上だな……)
 とりとめのない思いに耽っている自分自身に気付いて愕然となった。
(おい、矢板、お前、あの娘に惚れちまったのか?)
 とは考えてみたものの、やはり気掛りではある。私は南大通へ向かった。
 静かな中では、小さな音でも良く聴こえるものである。私の耳は、前方から微かに聴こえてくる人声を捉えた。私は全感覚を耳に集中した。人声の聞こえてくる方向へ、足音を忍ばせて前進した。表通りではあるまい。私は路地を通って、崖下の裏通りに出た。
 木立を迂回した時、前方に小さな光が見えた。私は物陰に身を潜めた。匍匐前進で、光ににじり寄っていく。
 蝋燭の光の中に、三人の男の上半身が浮かび上がった。私は銃剣を抜き、耳を澄ませた。
「騒ぐんじゃねえぞ」
 一人の男が凄味を利かせた声で言った。よくよく目を凝らすと、その男は敵兵である。となれば、残り二人もそうであろう。私は距離を目測した。十メートル。この姿勢からの投げでは命中は覚束ない。私は更に接近した。
 一人の敵兵は、体を盛んに前後に揺すっている。何が行われているかは察しが着いた。
「嫌あ―――っ!!」
 突然、甲高い絶叫が闇を裂いた。
「こいつめ……えっ!」
 その敵兵は罵声を発した……その声と同時に、私は銃剣を放ち、その兵の頚は銃剣に貫かれていた。
 二人の兵は、突発した事態に気付いたらしい。私は地を蹴って突進し、一人の兵の鼻面に飛び蹴りを叩き込んだ。その兵は吹っ飛んだ。
 私の右側にいたもう一人の兵が、私を捕えようとした。私はすかさず、兵の頚に回し蹴りを炸裂させた。兵の頚は直角に折れ曲がり、兵はその姿勢のまま動かなくなった。
 私は、銃剣を命中させた兵の頚から、銃剣を力任せに抜き取った。頚からは血が奔り、兵の体は斜め前へ倒れた。既に死んでいる。
 さて三人に組み敷かれていた女は? 何と昼間の娘だ! 私は、心配が現実になった事に言葉も無かった。私は無言のまま、敵兵の死体を娘の体から引き離し、傍へ放り出した。娘はいきなり私に縋り着くと、激しく慟哭し始めた。私は無意識のうちに、厳しい声で耳打ちした。
「静かにしろ! 敵に気付かれるぞ!」
 軍人の性と言うべきだろうか。こんな時に、慰めるより先に、軍人としての立場から叱咤してしまうとは。言葉が口を出てから、私は愕然とした。
 娘は私の声の厳しさに驚いたのだろうか、泣声を止めた。それでも私の胸に顔を埋め、啜り泣き続けた。
 暫くして娘は泣き止んだ。私はその時、娘が寒さに震えているのに気付いた。既に気付いていたのだが、娘は衣服を剥ぎ取られて素裸である。気温は氷点下、これでは寒いのも無理はない。辺りを見回してみると、娘の衣服らしい物は見つかったが、刃物でひどく切り裂かれている。已むなく私は上衣を脱ぎ、娘に着せかけてやった。
 二人の兵の生死を確認してみると、二人とも死んでいた。私は二人の死体を崖下の薮の中に放り込んだ。銃剣を死体の軍服で拭うと、鞘に収めた。
 娘の傍に坐った私は、小声で言った。
「先刻は済まなかったな。いきなり叱りつけたりして。一日のうちに二度救われ、二度救うなんて何かの縁かも知れないな。なのにお互いに名前も知らないのも何だな。
 俺は矢板正則、こういう字だ」
 私は指で、地面に字を書いた。娘は小声で喋り始めた。
「それじゃ、私も言うわ。私は宮崎浩子。さんずいに告げるっていう字です」
「ああ、思い出した。民兵幹部に、宮崎っていうのがいた」
「そうです。父は民兵部隊の幹部……でした」
「でした、って言うと?」
「ええ、父は……昨日の朝、殺されたんです……」
 そう言って宮崎は涙ぐんだ。やがて、涙にむせびながら語り始めた。
「朝……まだ暗い中でした。二階で寝ていると、下で物音がしました。ドアを壊すような。それで目を覚したんだけど、何かわからなかったから、暫く何もしないでいたんです。
 そうしたら、下からあの、鉄砲の音が聞こえてきました。吃驚して飛び起きて、寝巻のまま下へ降りて行きました。そうしたらそこに、父が倒れていたんです。胸と頭を射ち抜かれて……もう死んでました………」
 言葉が途切れた。宮崎は、また肩を震わせて泣き始めた。私は黙っていた。こんな時には何も言うべきではない。
「……奥の方で、母がしきりに何か頼んでいるような声がしました。奥へ行ってみると、革命軍の兵が、お金とかを漁ってました。それに母が、縋りついて止めさせようとしてたんです。そうしたら急に、何人かの兵が母に襲いかかって……。母は乱暴されて絞め殺されました……。
 ……お母さん……」
 宮崎は顔を覆った。私は烈しい憤怒に虜われていた。宮崎に対する同情もあったが。
「……母に縋りついて泣いていた妹も、絞め殺されました。子供を殺すなんて……。
 弟は、勇敢でした。台所へ行って包丁を持ち出してくると、一人を刺したんです。結局、その兵と刺し違えて死にました。最後の最後まで、勇敢な――と言うより無鉄砲でした」
 その意気やよし、などとは言うまい。
「私は……二階へ逃げました。二階へ逃げたってどうなる訳でもなかったんだけど……。そうしたら何人も兵が追ってきて、私は捕まりました。あの時は怖かった……殺される、と思いました。もし殺されるのなら、汚されずに殺されたいと思いました。
 ところが……私を捕まえた兵は、私を裸にして…………私を汚したんです。余りの痛みに、気を失ってしまいました。体の痛みより、心の痛み、苦しみに……」
 宮崎は口を噤んだ。暫くして、また口を開いた。
「気が付くと、私は、柱と壁に挟まれていました。家を潰されたんです。どうやったのかわかりませんけど。怪我しなかったのは殆ど奇跡でしょう。私はどうにか抜け出しました。家がそんなに潰れてなかったから、何とか着る物を探して、寒くないようにして。
 出歩くと危いと思ったから、裏庭のあたりで、昨日からずっと何もしないでじっとしてた時に、裏の崖の上から落っこちてきたのが、矢板さんだったんです。討伐隊の人だとわかったから、すぐに手当をしました。もし革命軍だったら、見殺しにしていたわ。誰が助けるもんか」
「当然だ。ところで、昨日の朝から、何か食べたのか?」
「ううん、何にも」
「何にも? 腹が減ってるだろう」
 宮崎は黙って、僅かに首を振った。少時して、再び語り始めた。
「夕方になって、表の通りの方で鉄砲の音がするから、店先に隠れて見てたら、やがて討伐隊の人が捕まって、殺されそうになったもんだから、よく見たら矢板さんだったんです。それで、無我夢中で角材を拾って、角材は辺りに散らばってましたから、鉄砲を持った革命軍の兵を思い切り殴ったんです。矢板さんは射たれないで済んだけど、私も殺されそうになって、大声で叫んだんです。そうしたら矢板さんが……私は怖くて腰が抜けちゃって」
「どうしてあの時、助けてくれたのか幾ら考えてもわからん」
「私にだってわからないわ。変な言い方だけど。
 夜になって、眠ろうとしたんだけど、寒いし、お腹が空いて眠れないでいたんです。そうしたら、いきなり、革命軍の兵が三人襲いかかって来ました。私は思い切り抵抗したんだけど……三人では敵いませんでした。私はまた汚された……」
 少時、宮崎は口を噤んだ。
「そこへ、助けに来てくれたのが、矢板さんだったって訳です。いきなり、刀が飛んできたから私、吃驚して……矢板さんだと分ったら、急に安心して、泣いちゃったのよ。そうしたらいきなり叱られた……」
「あの時は……あんな大声で泣かれたら、辺りの敵が来ると思ったからなあ。あの時は仕方無かったと思う。済まなかったな」
「もう、いいの」
 私は腕時計を見た。
「十一時か。……その格好じゃ寒いだろう。布団を捜して来てやろう」
 私は懐中電灯を手に、倒壊した家の二階に入って行った。床が傾き、机や箪子が倒れている。床の隅の方には布団がある。これを持って行こうか。よく見ると、ひどく乱れた敷布には血が着いている。という事は、宮崎はこの上で汚された訳だ。こんな物を持って行く訳には行かない。私は家中捜し回って、布団と毛布を探し出し、裏庭へ持って行った。家の陰に布団を敷いた。
 宮崎は、布団に潜り込みながら私に言った。
「矢板さんが私にこんなにしてくれるのは、討伐隊員としての義務感からだけではないんでしょう?」
「そうだなあ。義務感は半分くらいかな。俺には……お前より少し年上の娘がいた。親の俺が言うのも何だがいい子だったよ。一昨年の三月、革命軍の奴等に家を焼かれた時に死んだんだ。まだ十四だった」
 宮崎の目は潤んでいた。
「だが俺は復讐を成し遂げた。先月十七日だ。俺が捕まって入れられた収容所の所長が下手人だった。俺は奴を殴り殺し、斧で叩き切り、糞壷にぶち込んだ」
「物凄い復讐ね」
「お前だってそうしたくなる筈だ。親弟妹を殺されたんだ」
「私には出来ないな……」
 やがて宮崎は、安らかな寝息をたてて眠りに着いた。私はその寝顔を見ながら思った。
(こんな子供を孤児にした革命軍を、俺は何が何でも滅ぼすぞ!)
 やがて私も眠りに落ちて行った。
・ ・ ・
 余りの寒さに、私は目を覚ました。辺りは真暗だ。上衣を着ていない上半身の寒さは体に応える。懐中電灯を取り出して時計を見ると、午前四時だ。もう一眠りといこう。
 再び目を覚ますと、辺りはもう明るくなっている。時計を見ると六時少し前。宮崎はと見ると、まあ何て様子だ。掛布団を剥ぎ、敷布団から半分はみ出し、しかも肩に掛けていた上衣は外れて、裸のまま丸くなっている。私は目の遣り場に困ったが宮崎の体を布団に戻し、上衣と掛布団を掛けてやった。
 やがて宮崎は目を覚ました。すると宮崎は大きく伸びをしながら起き上がった。上衣がはらりと落ちた。とこれに気付いたのか、布団で胸を覆った。私は言った。
「何か着る物を探して来いよ。俺が目の遣り場に困る」
「そうするわ」
 宮崎は立ち上がった。私は目を外らした。空は晴れて雲も無い。南に崖のあるここは、日が差さず薄暗い。上空に烏が飛んでいる。
 やがて宮崎は戻ってきた。大して厚着でもない。私は上衣を着込みながら言った。
「その格好で寒くないのか?」
 宮崎は事もなげに言う。
「今朝は十度くらいだから大した事は無いわ。一月になると毎日二十度なんだから」
 十度とか二十度とか言うのは「氷点下」だ。本州人の感覚とは全く違う。
 不意に、三−四羽の烏が舞い降りてくると、薮の中へ飛び降りた。宮崎は怯えたような声で言う。
「ど、どうしたの、あれ?」
「昨日の晩あそこに敵兵の死体を捨てたんだ。それを啄みに来たんだろ」
「嫌だ……私、烏、嫌いなの」
 宮崎は私に甘えるように縋り付く。
「あの芥を始末してくれているんだ、いいじゃないか。昨夜の奴等が烏の餌になってる、って考えてみろよ」
「戦争してると、殺伐になるのね」
 一般人にはそう思われても仕方あるまい。
 少時して、宮崎が言った。
「お腹が空いちゃった」
「よしきた。食糧を調達して来るぞ」
 と言って立ち上がった時、私は考えた。武器を貸すべきだろうか。ほんの瞬間、宮崎が敵の回し者ではないかという考えが頭の中をよぎったのだ。昨日の事もある。……銃器を貸すのはやめよう。私は昨日敵兵から奪ったナイフを宮崎に手渡しながら言った。
「俺がいない間に革命軍の者が現れた場合の為にこれを貸しとく」
 宮崎は手を引っ込めた。首を振りながら言った。
「私にはできない……」
 私は憤然と言った。
「自分で自分の安全を守ることがか?」
 宮崎はナイフを手に取った。私は宮崎から目を離さないようにしながらそこを離れた。
 本部へ行けば食糧は手に入る。しかし本部までは一キロある。もっと近くて手に入らないか。と辺りを見回すと、少し離れた所を敵兵が通った。手に飯盒を提げている。よしきた。私は素早く革命軍曹長に化けた。もう一人の兵が、近くを通り過ぎた。私はその兵を呼び止めた。
「おい、そこの兵。ちょっと」
 その兵は私の方へ歩いてくると敬礼した。私は答礼すると言った。
「その飯はどこで配ってる」
「右側へ向かって二番目の角です」
「わかった。行ってよろしい」
 その兵が回れ右した途端、私の手刀が飛び、その兵は気絶した。私は飯盒を奪い取り、物陰に飛び込んで飯をかき込んだ。中身は実に貧しい。敵は食糧も払底しているのか。
 私は兵が言った場所へ行った。道端に竈が作られ、鍋がかかっている。何人もの兵が並んでいる。私を見た炊事兵が敬礼した。並んでいた兵も一斉に敬礼した。私は横柄に、列の先頭に割り込んだ。誰も何とも言わない。昔の陸軍でもこんな事は無かった。これでは下っ端の兵士の士気は低下する。そうなってくれた方が我々には都合がいいが。
「肉が少ないぞ」
 飯盒の中蓋に煮付をよそう炊事兵に、私は高圧的に言った。炊事兵は箸で鍋をかき回すと、肉を一切れ、私の飯盒の中蓋に入れた。このような事は日常茶飯事なのだろう。
 私は飯盒を提げてそこを去った。宮崎の許へ戻る前に、敵の軍服を脱がねばならない。
 私が持ち帰った飯を、宮崎は旨そうに食べた。食べ終わると宮崎は言った。
「どうやって御飯を手に入れたの」
「大した事は無い。飯盒持って歩いてる敵を殴り倒してかっ払ってきただけだ」
「……」
 私は銃を取り、立ち上がると言った。
「俺はもう行かなきゃならない。達者でな」
 宮崎は私の顔を見上げ、黙っている。私は後ろ髪を引かれる思いで、振り返りながらそこを去った。
・ ・ ・
 この日午前八時頃、我が軍は幣舞橋を奪還した。私は幣舞橋を渡り、北岸へ戻った。
 民兵軍末広町司令部墟へ行ってみた。石田が脱出して来られたかどうかはまだわからない。
(2001.2.10)

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